[1862] ワン・アンド・オンリーである私

投稿:  著者:  読了時間:23分(本文:約11,300文字)


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【日刊デジタルクリエイターズ】 No.1862    2005/11/11.Fri.14:00発行
http://www.dgcr.com/    1998/04/13創刊   前号の発行部数 18341部
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<「ほわほわっと生きる」>

■映画と夜と音楽と…[270]
 ワン・アンド・オンリーである私
 十河 進

■Otaku ワールドへようこそ![15]
 私も十河さんと同じように自問するときがある
 ~「映画がなくては生きていけない」を読んで
 GrowHair


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■映画と夜と音楽と…[270]
ワン・アンド・オンリーである私

十河 進
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●めまいを起こすような映像が氾濫している

最近、トラック&ズームというテクニックを使った映像をやたらに見る。その度にめまいがしそうだ。「あ、また、使ってる」とテレビを見ていて、ややうんざりする。

インパクトの強い映像だからCMでも多用される。少し前だが、TOKIOの長瀬が出ていたリゲインで使っていた。最近はスマップのクサナギくんが出ているトヨタレンタカーのCMでも見かける。

最近はテクノロジーが発達しているのだろう、トラッキングとズーミングが見事にシンクロしている。タイミングを合わせるというより、電子的にシンクロをしているのではないだろうか。それだけに手作り感はない。CG映像のような印象もある。

トラック&ズームはドリー&ズームとも言われる。レールを敷きムービーキャメラを積んだ台車をのせ移動撮影するのがトラッキングだ。被写体に寄ればトラックアップ、引けばトラックバックである。被写体が動くのに合わせて移動撮影するときにはトラッキングと呼ばれたりする。

ドリーは車輪のついた移動撮影台である。ムービーキャメラを積んで移動撮影するがレールを敷くわけではない。最初はテレビスタジオで使われることが多かったのだと思う。

カメラ位置を固定したままレンズの焦点距離を変えて被写体に迫ったり引いたりするのはズーミングだ。ズームアップ(ズームイン)やズームバック(ズームアウト)という言葉は、テレビ番組のタイトルにまでなっていて誰でも知っているだろう。

カメラを横に振っていくのがパンニング、上下に振るのがティルティングである。ティルトアップ、ティルトダウンという。チルトアップなどと記述する人もいるが、僕はティルトと習った。

トラック&ズームはトラッキングとズーミングを組み合わせた撮影テクニックだ。たとえば被写体からトラックバックしながらズームアップをすると、被写体の大きさは変化しないのに背景は奇妙に変化する。一瞬で背景がゆがんだような印象になる。

人が台車を押してトラッキングしていた時代に、このテクニックを使うのはむずかしかっただろうと思う。トラッキングとズーミングのタイミングをぴったり合わせるのは大変だ。何度もリハーサルをしたと推察する。

しかし、今やコンピュータ制御でキャメラをリモートコントロールできる時代だ。クレーンキャメラだって無人である。昔のようにクレーンで吊り上げた撮影台の横に監督とキャメラマンがいるなんて光景は見られないかもしれない。そんな便利な時代だから、ついついトラック&ズームも使いたくなるのだろう。

●主観的感覚を表現するために生み出された技法

トラック&ズームという映像テクニックを発明したのはアルフレッド・ヒッチコックである。「めまい」(1958)という映画の中で、眩暈の映像を作り出すために工夫された。初めて見たとき、僕もクラクラとめまいがしそうだったのを覚えている。

そのトラック&ズームを一般化させたのがスティーブン・スピルバーグだ。巨大な人食い鮫の恐怖を描いた「ジョーズ」で使った。泳げない署長が浜辺で椅子に座って海を見張っているとき、鮫の尻尾が現れる。そのとき、署長を正面から捉えたトラック&ズームが使われた。

署長(ロイ・シャイダー)のサイズは変わらない。背景だけがグニャとゆがんだようになり、彼の受けた衝撃の強さを感じさせた。現在、よく使われる映像は、このシーンを模倣していることが多い。

ヒッチコックの「めまい」で初めて使われたときは、教会の鐘楼に昇る長い螺旋階段の中央の吹き抜けを主人公が見下ろしたときに感じる「めまい」を表現する主観カットだった。主人公は高所恐怖症であるために同僚を死なせてしまった心の傷を持つ元刑事(ジェームス・スチュアート)である。

つまり、高所恐怖症の人間が高いところに昇ったときに感じる恐怖感を「めまい」のするような映像で具現化したのだ。愛する女を追って昇った螺旋階段の途中で彼は動けなくなる。

実は僕も高所恐怖症である。僕の高所恐怖症は歩道橋が渡れないほどのひどさだ。やむを得ず渡るときは、歩道橋の真ん中2メートルほど前の床を見つめて目を逸らさず一心に歩く。すれ違う人は不思議そうな顔をして避けていく。

おまけに閉所もダメだ。「エイリアン2」でアンドロイド役の俳優が狭いパイプの中を這って進むシーンを思い出すだけで気が狂いそうになる。そのうえ先端恐怖症だから、目の横にチラチラとハサミの先が見えるだけで耐えられなくなり床屋にいけない。

僕を拷問するのは簡単だ。狭く身動きのできない土管の中に入れてクレーンで吊り上げ目の前に尖ったものを置けば、すぐに何でも喋ってしまう。それを知っているカミサンは僕の髪を刈っているときに限って「この間、遅かったときは何してたの?」とさりげなく聞いてくる。

だから、僕は「めまい」の主人公の感覚がよくわかる。いくら愛している女だといっても、その女が死を望んで鐘楼を昇っていったとしても、おそらく僕も立ちすくむ。動けない。うずくまる。そして、目の前を女が落ちていくのを見ながら己を責め絶望するだろう。

主人公は刑事をやめた後、旧友から不審な行動をする妻マデリン(キム・ノヴァク)を見張ってほしいと頼まれて引き受ける。マデリンの美しさに惹かれながら尾行する彼は、彼女と知り合い愛し合うようになる。しかし、ミステリアスなマデリンは不可解な行動をとり、死に憑かれているように見える。

ある日、とうとう彼女は自殺をほのめかして教会の鐘楼を駈け昇る。彼は追う。だが、足がすくんで階段の途中でうずくまる。目が眩む。愛する女が落ちていく姿を目に焼き付ける。

自責の念にとらわれ腑抜けのようになった主人公は、ある日、彼女にそっくりな女ジュディを目撃する。違うのは髪の色と服装の趣味だけだった。

●自分はワン・アンド・オンリーだという自尊心

原作者のボアロー・ナルスジャック(ふたり組の作家)は、どんでん返しだけに命をかけたような小説ばかりを書いた。アンリ・ジョルジョ・クルーゾーが映画化した「悪魔のような女」もそうだが、「めまい」の原作である「死者の中から」もラストのどんでん返しが肝である。

しかし、映画は早々にネタをばらしてしまう。その結果、映画はせつない恋愛映画の傑作になった。映画の後半、観客は死んだマデリンと瓜ふたつのジュディに感情移入をするだろう。彼女のつらさに思い入れ、主人公の鈍感さに苛立つ。官能的なラブシーンに女心の悲しさが匂い立つ。

主人公は死んだマデリンを忘れられない。取り憑かれているといってもいい。愛し合うようになったジュディに髪を金髪に染めさせ、マデリンが着ていたようなシックなスーツを身につけさせる。そのくせ、マデリンそのものにしか見えなくなったジュディにショックを受ける。

男が自分を愛しているのは、死んだマデリンにそっくりだからだとジュディは知っている。どれほど自分が似ているか、自分が一番わかっているのだ。男は自分をマデリンに仕立てようとする。だが、ジュディである自分を愛してほしいと彼女は願う。切望する。神にさえ祈る。

別に僕は女心に詳しいわけではないのだが、主人公がジュディの髪を染めさせスーツを着せるシーンで「何て無神経な男だろう」と思った。彼が死んだマデリンに囚われているのはわかる。しかし、その行為はあまりにジュディを傷つける。愛する男の心が今も死んだマデリンにあるのだと思い知らせるようなものである。

私を愛して、と本当は言いたかったに違いない。死んだ女のことなんか忘れて、と叫びだしたい衝動にも駆られただろう。だが、秘密を抱えるジュディはそのことをなじれない。耐える。翻って自分を責める。「めまい」のストーリーは、いつの間にかスリラーからラブロマンスに移行している。

男たちは勘違いしているのかもしれない。「キミ、○○に似ているね」と口説いてみたり、「別れた恋人にそっくりなんだ」と気を惹こうとする。多くのメロドラマでは、死んだ恋人や妻にそっくりな女が登場する。主人公たちは愛する人にそっくりだからという理由で惹かれてゆく。

しかし、誰かに似ていると言われて嬉しいわけがない。私は身代わりなの? と思うだけだ。人はどんなに似ていても同じ人ではない。人の存在価値は「ワン・アンド・オンリー」にあるのではないか。世界でたったひとりだけ、オンリーワンであることで人は存在している理由があるのだと思う。

だが、多くの人は「本当にこの人は私が好きなのか」という不安から逃れられない。「私は誰かの(あるいは何かの)身代わりなのではないか」と相手の言葉から漠然と疑心が起きる。不安がよぎる。長く夫婦として過ごしていても、悲しいことにそんな場面がないとは言えない。

ワン・アンド・オンリーである自分を見てほしい、そう願うことは自然なことだ。だが、「めまい」のジュディは愛する男のためにマデリンの姿になる。男の望むように髪を染め、スーツを身につける。しかし、彼女は悲劇的な結末を迎えるまでマデリンを憎み続けていたに違いない。

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■Otaku ワールドへようこそ![15]
私も十河さんと同じように自問するときがある
~「映画がなくては生きていけない」を読んで

GrowHair
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ひとくちに「面白さ」と言ってもいろんな種類の面白さがあるけど、私が本を読むときに期待するのは、何でもいいから、がーんと打ちのめしてほしいってこと。知識量でも発想力でも洞察力でも苦悩の深さでも心に潜む暗い部分の暴露でも底抜けの馬鹿馬鹿しさでも何でもいいから、「はは~っ、参りました~、自分には100年がんばってもその域には到達できましぇーん」とひれ伏したくなるような何かをぶつけて欲しいと思うのだ。

十河進さんの「映画がなくては生きていけない」と永吉克之さんの「怒りのブドウ球菌」を読んだら、パンチを浴びまくって、もうふらふら。ああ、俺って幸せ~、ってな状態である。

●10歳違いの大人と子供

たった10年遅れて追いかけているだけで、世界はずいぶん違って見えるもんだと思った。十河さんは1951年生まれ、私は1962年生まれである。

それしか離れていないのに、考えていることがまるで大人と子供なのは恥ずかしい限りだが、そこは人間の資質の違いということで脱帽するしかない。十河さんが私の年には人生のもっと深いところが見えていたであろうことは想像に難くないし、私があと10年経って十河さんになれるとは考えられない。

しかし、それは棚に上げておいて、読んでいて常に意識させられたのは、世代が違えば考え方がずいぶん違うもんだなあ、ということであった。ほぼ同じ時代を生き、40年は共有しているはずなのに、10年の開きは決定的で、行けども行けども色の違うフィルタを通して世界を見ているような気がする。

十河さんはご自身の世代を次のように表現している。

「全共闘世代という分類がある。僕の世代は彼らの直後に当たるが、2、3年の違いが決定的な悲惨さを生んだ。その分類法に従うなら、僕らの世代は『内ゲバ世代』と呼ばれる。その呼び名だけで説明はいらないだろう。全共闘世代の高揚の後には、退廃と堕落が訪れたのだ。」

それから10年下った私の世代は「新人類」と呼ばれる。ただし、その言葉自体がすでに死語で、世代論を語るときの便宜的な呼称としてしか現れない。それもむべなるかな、今となっては、我々の世代を特徴づけるものは何もなく、前の世代の築き上げた社会の仕組みにきれいに組み込まれてしまっている。

新人類がもてはやされた昭和末期はバブル景気の真っ只中、企業は広告やイベントにばんばん資金を投入するもんだから、それに乗っかってわけの分からんバブリーな職業がわんさと出現した。なんちゃらコーディネーター、かんちゃらプロデューサーといった、名前を聞いただけでは何の仕事だか皆目見当がつかないカタカナ職業。同じ土俵では前の世代と勝負にならないから、土俵を移してみました、みたいな。

人々が目新しさを求めていたから、何でも思いつきでよかった。こつこつ努力して何かになるのではなく、響きのいい肩書きを案出してそれになったと宣言することで第一人者を名乗れる。いわば先着順。それで生きていけた。

結局それは、バブルの崩壊とともに、水洗トイレの水を流すかのごとく、消え去った。時代を刷新したかのように見せかけていたけど、実は何も変わっちゃあいなかった。学生時代には「サラリーマンなんて絶対にいやだ。会社の歯車となって没個性的な労働に埋没した挙句、定年退職後は趣味もなく、すぐにボケちゃう、そういうものに私はなるまい」なんてうそぶいて、前の世代の駄目なところを乗り越えた気になっていたのが、会社に入って半年もしないうちに「いつまでも学生気分が抜けないようじゃ、だめだなぁ」なんて言っている。君たち、すごい適応能力だね。軽薄で不毛で結局雲散霧消した世代。

既存の社会システムに溶け込んだとは言いながら、世代の新奇性を打ち出すことに挫折し、結局何者でもなかった我々の生きる姿勢の甘さはそのままである。十河さんが「しこしこと生きる」、「ねちょねちょと生きる」ならば、私の場合は「ほわほわっと生きる」、「しれっと生きる」って感じかな。私の世代の死のイメージは喪失ではなく、虚無。もともと軽く希薄な存在が、すっと消えてなくなっていくだけ。軽さの再確認にすぎない。

●人生を甘くみても何とかなる時代

こんなのを調べても面白くないかもしれないが、十河さんと同じ年に生まれた俳優には中村雅俊、多岐川裕美、田中健、三宅裕司、柴田恭平、ジョニー大倉、江藤潤などが名を連ね、歌手には五輪真弓、山本リンダ、芹洋子、藤圭子、天地真理、あべ静江などがおり、他にも、作家の桐野夏生、漫画家のあだち充、プロレスラーのジャンボ鶴田、長州力、ゴルフの岡本綾子、落語家の笑福亭鶴瓶などがいる。存在感の大きな堂々たる個性派揃い。

それにひきかえ、私が生まれたのは「ニッポン無責任時代」の公開された年、同年生まれは連続幼女誘拐殺人事件の宮崎勤、オウムの上祐史浩、新潟少女監禁事件の佐藤宣行など、ろくなのおらん。この年をなかったことにして'61年の終わりを'63年につなげてしまいたいほどだ。

それでいなかったことになるのは、俳優では柳沢慎吾、三上博史、風間トオルなど、歌手では松田聖子など、他に将棋の谷川浩司九段、歌人の俵万智など。大物がいても少ない感じ。海外に目を向ければ、トム・クルーズ、デミ・ムーア、ジム・キャリー、ジョディ・フォスターと、あっと驚く大物揃いなんだけどね。

肥料をやりすぎると花が咲かない原理かな。ある意味、幸せな世代である。社会はいつでも普通に回っている。景気の変動があったり、人々の生活様式やものの考え方に変化があったりしたが、社会全体が崩壊しかねない大事件や政情不安定に見舞われたわけではない。人生をなめてかかっても、世の中からそんなにひどいしっぺ返しを受けたりしない。のほほんと生きてみましょうか。

きっと私の親ぐらいの世代は、自分は苦労しても子供には苦労をかけまいという思いでがんばったのだろう。おかげで楽をさせてもらってるので幸せっちゃあ幸せなんだが、人生にこれといった意味を見出せず、そのことで焦りを感じたりもしない、空虚な存在になり下がってて、これでよかったのでしょうか?

我々の世代は人生と真剣に向き合ったりするのが苦手である。仕事に対しては勤勉で、困難な状況を力強く切り開いていく人は多くいても、人生の問題や心の深い部分の問題をどう扱ってよいか分からず、とりあえず蓋をしておこうという現実路線。人付き合いもそんなもんで、趣味の話題などで盛り上がっているうちはうまくいっているが、暗い話題を振ると「ドン引き」されたりするので、タブーである。

そんなの本当の友達とは言わないだろ、と言われればその通りだが、そんなぜいたく言ってたら友達なんてそうそう見つかるもんじゃない。お互いの深い部分には踏み込まず、表面だけで明るく楽しく振舞うのが長続きのコツ。結局お互いのことを何も分かっちゃいない。希薄な友情。

映画を見に行った感想が「70点」の一言、みたいなやつ。たたっ斬ったろかいっ! ……と心の中では言ってみる。

●古い情景が蘇ってきた

かつての新宿南口の場外馬券売り場の描写で昔を思い出した。あの頃は戦争の名残がまだそこここにあった。新宿駅西口では義手義足の人が四つん這いでハーモニカを吹いて小銭をもらっていた。建国だか憲法記念日だかには環状7号線を戦車のパレードが通った。小学校には軍隊式のしつけをとする教師もいた。

小さい頃は銭湯に行っていたのだが、よく話しかけられる。「坊、名前はなんていうんだ」、「漢字でどう書くんだ」、「年は?」、「学校は楽しいか」など、聞かれることは大体決まっている。父親が私に入れ知恵し、名前の「章」の字を「文章の章」でなく「日章旗の章」と言えと言った。その通りに言うと「坊は偉いな」と必ずほめられた。

まあ、私自身、社会科がまるっきり駄目だってこともあるのだが、浅間山荘事件、オイルショック、ロッキード事件などが、何だか現実感を伴わない。浅間山荘事件なんて、悪い子が暴れた事件であり、あんな子に育てた親が悪い、で片付けられていた。オイルショックは夜の灯が消え、トイレットペーパーに長蛇の列ができるイベントだった。ロッキードは「記憶にありません」などの流行語を生んだ茶番劇だった。

だけど十河さんの本を読んだことで、「そこに至る経緯」のようなものを見せてもらった気がした。なんだか自分の人生が映画を途中から見るようなものに思えてきた。

●対比ばかりしてきたが

まるで負け惜しみみたいに、世代間の違いばかり言ってきたが、もちろん深く共感するところが基調にあってのこと。本当に感動的なものは、昔も今も変わらない。人のために自分を捨てて尽くす姿は美しい。……素直にそう思う。また、私も十河さんと同じように自問するときがある。

人生には迷いがいっぱいだ。青春時代の夢をいつまでも追いかけてはいられない。いつかは、重く長い現実の人生を引き受けなくてはならない。そう思って堅実な小市民的生活を選択した。だけどあのとき、まっしぐらに突き進んでいたら、違った人生が開けていたかもしれない。ときにはそう思うころもあるけど、もしかしたらそれはイバラだけあって実りのない道だったかもしれないじゃないか。生きる基盤が第一。他にしょうがないじゃないか。

じゃあ逆に、現実路線一本槍だったらどうだろう。好きでもないこと勉強して専門知識で稼げる仕事見つけてつまらなくても我慢してばりばり働いて偉くなってお金持ちになる。人生の深いところに見ざる聞かざるを決め込んで鈍感に生きていけば、映画がなくても生きていけたかもしれない。そんなこと、できるわけないじゃないか。

かくして、十河さんは「映画がなければ生きていけない」人生を選択した。生活の基盤も手放さないが、人生の大事なこととも常に共にある。他にありようがないじゃないか。

ついつい語りすぎちゃって、永吉さんの本のこと、書くスペースがなくなりました。ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさいっ。回を改めてきっと書きます。

【GrowHair】GrowHair@yahoo.co.jp
カメコ。だけど実は堅実なサラリーマン。前回、英語のしゃべれるコスプレイヤーさんいませんか、と呼びかけたら、おかげさまでさっそく一件、問い合わせのメールをいただきました。デジクリ、すごいっ! さすがは「すべてのデジタルクリエイターを支援する」メルマガだけあって読者の幅の広いこと! 読者どうしでつながりができたら何でもできちゃうんじゃないかと思いました。
< http://www.geocities.jp/layerphotos/ >

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■編集後記(11/11)
・今週はけっこうキツかった。先週末を大阪行きで遊んじゃったので、データベースに入力できなかったからだ。当たり前のことだが、データが入っていないデータベースは無力だ。問題は姉妹誌「写真を楽しむ生活」である。メインの写真展情報は、1か月先までだいたい分かっている。それを前もって全部入力してしまえば、毎日の仕上げが天国のように楽チンなのだが、なかなかそうはいかない。せいぜい、1週間分を週末に入れる程度だ。それが先週できなかったから、今週は毎日当日分を入力して凌いだ。だから、仕上がりが発行前60分という日が続いた。週末のせいぜい半日はこの作業にあてないと、今週みたいな目に遭う。それにしても、いい気候だ。犬の散歩に土手に上がると、どこまでも歩いて行きたくなる。好天の休日にデータ入力なんてまっぴらだい。しかし、やらねばならぬ。休日こそが稼ぎ時なのだ。いっそ雨降ってくれと思う。ところで最近のウマイのとマズイのと。毎日水を汲みに行くスーパーで、さいたま市の酒蔵から出ている大吟醸を買った。大吟醸で900ミリのパック入りとは珍しい。冷やしてないのをそのまま飲んだら、はっきり言ってとってもマズかった。これは料理酒にするしかない、やっぱり安いのはだめだと思った。冷蔵庫に入れて2日ほど忘れていた。先日あきらめきれずに飲んでみたら、あら不思議、非常にウマくなっているではないか。室温では×、冷やすと◎ってのか? 差があり過ぎ。ビールから日本酒の気候になってしまった。ああ、今年ももうすぐ終わっちゃうのね。(柴田)

・11月のKNN Nightはお休みします。12月9日金曜日に開催決定。忘年会兼ねてやりますのでぜひ参加してください。懇親会のみの参加も大歓迎! 詳細は後日。スケジュール空けておいてくださいね~!/水曜日の夢の話で、Mさんから「困って助けてもらう場面が3回も出てくる。助けてもらうだけかと思ったら、最後には何かが成長している。」というメール。ああ、そういう解釈方法もあったんだ。助けてもらいながら成長するんだな。最後の赤ちゃんが大人になるところでは、とても幸せな気分になり、起きてからもしばらく浸っていた。さなぎから蝶へ羽化するところを見ている感覚に近かった。どんなモールス信号が届くんだろう。/数か月ぶりにmixiにアクセス。何かあった時に見に行けるようアカウントだけは残してある。承認待ちがあったりするのだが、ほとんどアクセスしないので申し訳なくて承認できずにいる。周りにも、いつ抜けるかわからないから招待しないでとお願いしている。足跡とか、最後にログインして何時間とかわかっちゃうのが苦手なのだ。日記を書く時間ないし~と。でもmixiの威力をひしひしと感じる時があるよ。(hammer.mule)
< http://www.nta.go.jp/week/h17/index.htm > 税を考える週間

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