Otaku ワールドへようこそ![26]理系の感覚はズレているか/GrowHair

投稿:  著者:  読了時間:9分(本文:約4,400文字)


●いきなりですが、問題です

下記、上の段の(1)~(5)の各文字に対応する「仲間」の文字が下の段の(a)~(e)にひとつずつあります。それぞれ結びつけてください。

(1)一(2)号(3)包(4)山(5)同
(a)久(b)〒(c)弓(d)パ(e)向

自作問題です。ヒネリも何もない、いや、多少ひねってはありますけど、意地悪問題ではなく、まっとうな問題です。難易度はどの程度のもんかと周りに試してみたところ、まだ誰も解けた人がいません。降参した人に答えを言うと、「あーなるほど。そりゃー、一生考えても分からんねーよ」と言われます。げげげ、そんなに難しかったとは。じゃ、ヒントを出します。


(ヒント 1)読み、意味、用法は関係なく、純粋に字面の問題です。
(ヒント 2)「一」と「S」は「仲間」です。
(ヒント 3)でも、「白」と「臼」は「仲間」ではありません。
(ヒント 4)「凸」と「凹」は「仲間」です。
(ヒント 5)「凸」と「凹」は「口」や「○」とも「仲間」です。
(ヒント 6)「白」は「巴」となら「仲間」だったりします。
(ヒント 7)「臼」はなんと、「上」や「下」と「仲間」だったりします。

これでずっと引っ張っててもしょうがないので、答えを言います。

「仲間」の基準は、線のつながり具合が同じということです。どういうことかと言うと……。例えば、やわらかい針金のような材質を考えて下さい。折り曲げたりまっすぐに伸ばしたり、引き伸ばしたり縮めたり、回したり動かしたりはできるけれど、ちょん切ったりつなげたりはできないものと思って下さい。

例えば「一」という形を作って、これをぐにゃぐにゃっと曲げると「弓」という字になります。だから「一」と「弓」は「仲間」です。「○」からは「口」や「凸」や「凹」が作れます。だからそれらはみな「仲間」です。だけど「○」を「一」にするにはちょん切らないとならないので、「仲間」ではありません。

この調子で見ていくと、
(1)一 -(c)弓
(2)号 -(e)向
(3)包 -(b)〒
(4)山 -(a)久
(5)同 -(d)パ
が互いに「仲間」であることが分かります。
いかがでしたでしょうか? 調子が悪くなったりしてなければいいのですが。

●何が言いたかったか?

いや、時として、自分は一般の人々と感覚ずれてるんかいな、と思えることがありまして。ぼろっと理系のジョークが出てしまい、それが誰にも理解されなかったりして、ちょっとしたショックと一抹の寂しさを感じるわけです。で、こういう試みがうまくいくかどうか、いまひとつ自信がないのですけど、一度、その種の理系ジョークを解説しておけば、以降、通じやすくなるのではなかろうかと、思ってみたわけです。

さて。前述の問題で「仲間」の基準となっている「線のつながりぐあい」をトポロジーと言います。トポロジーはゴム膜の上の幾何学とも言われ、連続的に変形しても変わらない性質を調べるものです。これに慣れ親しんでくると、似てる、似てないの感覚がゆがんできます。で、こんなジョークがあります。
 Q:トポロジストとはどういう人か?
 A:ドーナツとコーヒーカップの区別がつかない人。

●理系の人たちは野暮ったい?

今でこそ萌え萌えタウンと化している秋葉原ですが、その前の時代にあの辺を席巻していたのは、理工学系の人たちです。パーツ屋に群がる無表情のオニイサンたち。アキバ系とかA系と呼ばれるファッションだって、その呼び名こそ目新しくあれ、実体は昔からありました。機能性重視、見た目には無頓着ということで、野暮ったさの骨頂ですね。

そう言えば、理系のファッションセンスのなさを笑うジョークもあります。「世界一短い本」というカテゴリーがありまして。例えば「美術史専攻者のための就職ガイド」、「デトロイトの観光ガイド」、「男性が女性について知っていること」などがあり、要するに「中身を書こうにも、何もない」という洒落なわけです。その中のひとつに「エンジニアのためのファッションガイド」というのがあります。何とかなるのではないかと期待する方が間違っている、どうにもならん、ということですね。

理系の人間の野暮ったさは、ファッションだけではありません。時として内輪受けのジョークを飛ばして、場の興をぶち壊しにすることがあります。例えば果物のアボカドが出てきたとき、思わず「6.02掛ける10の23乗」と言ってみたくなります。それ、アボガドロ数、ね。

夏の夜空にどーんと上がった花火を見て、「ごらん、あの赤はストロンチウムの炎色反応だよ」などと言おうものなら、せっかくのロマンチックな空気は木っ端微塵、百年の恋も冷めるというものです。それを意識すればするほど、ますます言ってみたくなるところが、理系のいけないところですね。

性格も、人づきあいの得意な人はなかなかいないようで。
 Q:内向的な数学者と社交的な数学者はどうやって見分けるか?
 A:内向的な数学者は、しゃべるとき自分の靴を見ているが、社交的な数学者は相手の靴を見ている。

数学者が出てきましたけど、理系の中でも、現実世界からの乖離が一番甚だしいのは、やっぱ数学者でしょう。

 エンジニアは、数式というものは現実世界を近似したものだと考える。
 物理学者は、現実世界が数式への近似であると考える。
 数学者は現実のことなんか、知ったこっちゃない。
 
 13次元空間の幾何学に関する講義を聴講した後で、
 エンジニア「13次元の空間なんてどうやったら直感的に把握できるんだ?」
 数学者「そんなの簡単。一般のn次元の空間を思い浮かべておいて、nを13に設定すればいいんだよ」

そういう広々とした空間に暮らしていると、現実世界なんて些末なこと、どうでもよくなってきますね。よく、コンピュータゲームなんかにハマってると、現実世界との関わりが希薄になるとか何とか批判する人がいますけど、それがいけないと言うのなら、数学屋はその最たるものなんですがね。

あ、そう言えば、スウィフトの「ガリバー旅行記」では、空中に浮かぶラピュタ島に住む数学者と音楽家がけちょんけちょんにやられてましたっけ。いつも抽象的な思索にふけっているので、会話を始めるにも、棒でつついて意識を現実世界に呼び戻さないとならない、とか。やっぱいけませんか。

抽象的と言えば、ごちゃごちゃした話に業を煮やしたときなど「もっと分かりやすく、抽象的に話して下さい」と言いたくなりませんか?

数学屋の間で定番の内輪ウケネタとして、余白ネタがあります。これはフェルマーの定理に端を発しています。1637年、フェルマーは、愛読していた本の余白に「x^n+y^n=z^n(x^nは「xのn乗」のこと)で n≧3のとき、x, y, z は正の整数解をもたない。」という予想を書き込んでいます。

さらに、「驚くべき証明を発見したが、これを記すには余白が狭すぎる」と書いて、その内容を明らかにしませんでした。おかげで後の人たちが360年にもわたって悩み苦しむことになり、1994年になってやっとワイルズが肯定的に解決しています。

フェルマーが本当にこの証明を頭に描いていたのかどうかは、疑問視する声もあったりします。そういうわけで、自分の失敗やら実力不足やら手抜きやら何でもかんでも余白が足りなかったせいにして片付けようとする、悪ノリ連中が後を絶ちません。世の中のありとあらゆる問題を吸収してくれる、便利な余白であります。

ところで数学屋に向かって「それが何の役に立つのだ」というのは禁句です。

 学期が始まってまだ2週目くらいに、微分積分のクラスで、生徒が挙手して質問した、「それが実生活でいつか必要になるときがあるのですか」。教授は穏やかに笑って「もちろんありませんよ。君の言う実生活がマクドナルドのバイトでハンバーグをパタパタやることならね」。

本気で怒っちゃった先生もおられたようで。

 テキサス出身の数学教授に、生徒が質問した、「数学って何の役に立つのですか」。教授いわく、「そういう質問にはうんざりだ! 誰かを初めてグランドキャニオンに連れて行ったとき『これが何の役に立つんだ』って言われたらどうだ? 崖から蹴り落とすだろうよ!」。

音楽が何の役に立つのか、とベートーベンに聞くようなもんですね。そうそう、数学も芸術なんですよ、芸術! あ、そうか。それで、分かりました。社会の中での数学屋の居場所って、売れない芸術家と大差ないんですね。
 Q:数学の博士号と大きなピザの違いは?
 A:大きなピザがあれば、4人家族が飢えを凌げる。
 
数学じゃ家族を養っていけないようで。それじゃマクドナルドのこと、言えないじゃん。この不遇の根源は、この世がたったの3次元でしかないってことですかね?

●仕上げの問題

以上のことを踏まえて、ひとつ秀逸なのをご紹介しましょう。カッコ内は私の副音声なので、必要のない方はオフにして読んで下さい。

 エンジニアと物理学者と数学者は牧草地に案内され、そこにいる羊の群を柵で囲って、しかも、その周囲長をできる限り節約してほしいと言われた。
 
 まず、エンジニア。彼は適当な円形の柵を作ってその中に羊を追い込んで、宣言した。「与えられた面積に対して周囲長を最小にする形は円形だ。だからこれが最もよい方法だ」(面積が与えられている場合ならそうだけど、この問題はそれとは無関係。えてして生半可な知識を適当に適用して悦に入っているエンジニアの間抜けっぷりを笑いものにしている)
 
 次は物理学者。彼女は羊の群の周りに十分大きな半径の円形の囲いを立て、それをきつく絞り込んでから、こう宣言した。「これが羊の群を囲う最小の長さの柵でしょう」(それ、正解。こうしてできる形を凸包という。それを言われてしまっては数学者の出る幕はなさそうに思えるが)
 
 最後に数学者。彼はこの問題についてしばらく考えをめぐらした後、自分自身の周りに小さな柵を立て、こう宣言した。「私のいる側を外側と定義しよう!」(おおっ! そんな答えがあったか! 円形にしろ凸包にしろ、閉じた曲線で囲いを立てるということは、地球の表面を2つの領域に分断するということで。トポロジカルには、どちらの領域が外側か内側かを必然的に決定する根拠はない。だから、単なるラベル付けであり、どっちをどっちと決めても構わない。ならば自分を小さく囲っておいて、自分のいる側を「外側」とラベル付けしてやれば、羊の群のいる側は必然的に「内側」となり、題意を満たす。大長考の末に、決して間違っているとは言えない答えを出すが、ものの役には立たないという数学者の特徴を見事に描写している)

いかがでしたでしょうか。理系の人間が、卓抜した発想力と独自の美意識をもった、愛すべき人々であることがお分かりいただけたでしょうか。

【GrowHair】GrowHair@yahoo.co.jp
カメコ。驚くべきジョークを思いついたが、余白が足りなくて...。
(これを言いたいがための本文だったわけです)
< http://www.geocities.jp/layerphotos/ >