[2011] 盗作について語ろう

投稿:  著者:  読了時間:21分(本文:約10,300文字)


<なんせオマージュやしな>

■武&山根の展覧会レビュー 特別編
 盗作について
 武 盾一郎&山根康弘

■グラフィック薄氷大魔王[60]
 濃い! ピクサー展
 吉井 宏


■武&山根の展覧会レビュー 特別編
盗作について語ろう

武 盾一郎&山根康弘
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山: いやー、昨日も飲んだな。
武: 呑んだねー! 痩せたよ。
山: ほんまかいな!? なんで痩せる?
武: 朝まで二人で焼酎3本飲んで、肴はきゅうりと酢蛸だけじゃあ痩せるだろっ!
山: 食えって言ったのに食えへんかったんは誰や!
武: ははは。身を削って飲んでるんだよ。いやそれでね、今回レビューじゃなくて行こうと思うんさよ。
山: ほう。と言うと?
武: どうしても絵描きとしては無視して通れない、例の盗作についてちっと突っ込んでみようか、と。あちこちでさんざん言われて一段落してるけど、もう一度、俺達絵描きとしてこれをどう判断するか、っつーことをね。
山: そうやね。なんせ絵描きの事件やからね。
武: で、ニュースを聞いた時、どう思った?
山: 最初ね、なんでこんなにおっきな話になってるんや? と思た。だいたい和田義彦って知らんかったし。スーギって誰? みたいな。
武: なんか、好きなタイプの油絵でもないしね。
山: そうやな、画壇な。ほとんど見ないなー。でも都美館に行けばおそろしいぐらい公募展団体展やってんねんけどな。
武: 芸術選奨文部科学大臣賞という権威があったからこれだけ大騒ぎになった側面もあるけど。並べられた絵を観た時、俺はやっぱビックリしたんさ。
山: ほう。
武: 「なんじゃこりゃ?」ギャグか? って。「盗作疑惑?」とかいう次元じゃねーだろっ「疑惑(ぎわく)」じゃっ!

・ウィキペディア「和田義彦」
< http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%92%8C%E7%94%B0%E7%BE%A9%E5%BD%A6 >

●模写と贋作

武: ふむ。でね、絵画って「模写」という枠がしっかりある訳で、絵を描くんだったら誰もが必ず模写をした事がある訳で、絵画で「盗作」ってあり得ないと思ってただけにビックリ仰天したよ。
山: 模写という枠、か。そやけどそれをそのまま外に出すことってそんなないやろ。
武: わたくしこれを模写しました。って言って模写のみの展覧会を開くことってないよなあ。ある種のコンセプチュアルアートならあり得るけど。
山: そうやね。つまり最初っから模写、あるいは引用、とゆーことを言ってるか言ってないか。例えば模写の場合、主に技術の修練として描くことが多いんとちゃう?
武: そうだよな。
山: あるいは贋作。盗作ではなく。
武: 贋作は贋作として立派に(?)贋作作家がいる訳だしの。
山: おるなあ。歴史になってる。
武: そうなると、やっぱり絵画で「盗作」という事態は起こり得ない。起こり得ない事が起こってしまってた。しかも、賞までとってる。これはホントにビックリだよ。で、和田義彦の人間性とか美術ギョーカイとか権威とか、そういう話はいろんなとこでさんざんやってるからさ、「絵の盗作」に絞ってみようと思うんすよ。

●盗作と「関係性」

山: そうやね。ほんなら盗作とはどういうことやろか。
武: 例えば和田氏の絵の場合、スーギ氏の絵をコピーしてから、さらに要素を加えている。
山: ふむ。
武: そこには「クリエイティビティー」がないわけだよな。情報量を削る所に、アーティストの力量が問われるわけで。でも例えば、中学生が教科書に出てくる顔写真に鼻毛とかメガネとか描き足すじゃん。
山: 落書きでな。
武: それは「クリエイティブ」なんだよな。
山: 本来のもののイメージをまったく変えてるわけやね。
武: そうそう!
山: それはつまりマルセル・デュシャンが、モナリザにヒゲ描いて作品にしたり、ということとよく似てへん?
< http://art-random.main.jp/samescale/080/081-m-duchamp-1.jpg >
武: ははは。オモロい! そだね。価値の転換が行なわれてる訳だね。
山: これ盗作か?
武: 盗作じゃないねー。明らかに違うメッセージがこめられてしまう。
山: そうやね。意味ちゃうからね。
武: 古典引用の場合、「みんなが知ってる」という前提条件がある。だから引用出来る。
山: 例えばピカソ引用例。
< http://www.nishida-s.com/main/categ2/spain-1/spain-1.files/madrid-prado-velaz-onna.jpg >
< http://www.nishida-s.com/main/categ2/spain-2/spain-2.files/barcelona-picasso-kanjotachi.jpg >
これベラスケスの絵を引用してるんやけど、タイトルに(ベラスケスにもとづく)って入ってるしな。
武: イメージが再構成されて、違う世界観になってるよな。けど、わざわざ引用してる所にも意味があるよね。
山: もしベラスケスとピカソが同時代やったらどないなる? ベラスケス怒れへんか?
武: あー、引用者との関係ってのがあるか。承諾を得れば良いのかな。
山: 承諾を得る、というのは大事やろね。
武: ピカソが当時、他の画家達のアトリエをよく探索してたっつーじゃないですか。で、他の画家の技法・画法を盗んで先に絵を描きあげた訳じゃないですか。これも盗作と呼ばれない。悪辣と言えばかなり悪辣。
山: それから、ピカソがアフリカの美術を引用してたことはよく知られてるわな。これ、パクり、と言っても間違いとちゃうかったりするんちゃう?
武: パクってますねー。けど、盗作と呼ばれない。
山: 実際アフリカの美術なんて当時知らん人の方が多かった訳で。
武: 良い言葉で言えば「紹介」、悪い言葉で言えば「搾取」だよな。欧米人の常套手段だぜよ。支配する側が、支配される側を盗用しても盗作として問題にされない場合が多いよな。
山: 引用する側、される側の関係が重要なんかな。例えば絵描きは自然を、風景を模写する。木が怒るか? 訴えるか?
武: 訴えないですねー。例えば、スーギ氏がイタリア人じゃなくて、南の方の知らないような国の人だったら変わってくるかもな。
山: そうそう! ありえるで。
武: うーん。その方がもっとコワイ感じがするが。盗作の問題の裏に、支配強弱の関係がある。例えばスーギ氏が日本人で、和田氏がフランス人だったらどうなってただろうか? スルーってことになりかねないかもよ。
山: うーん。どうなんやろ。
武: 例えばこーゆーのは? 玖保キリコと奈良美智
< http://www.kubokiri.com/sakuhin/comic/cynical_t/cyt7.html >
< http://www.tomiokoyamagallery.com/image/n_21.jpg >
山: むむむ、似てると言えば似てますな。
武: 醸し出す雰囲気は似ているけど、奈良美智は盗作だとは絶対に言われないでそ。
山: 意外とお互いにリスペクトしてたりして。もしそうやったら話変わるよな。
武: やっぱ人間関係が重要なポイントになる、か。けど、和田氏はスーギ氏をリスペクトしてたんでしょう?
山: はは。そう言ってるわな。なんせオマージュやしな。

●盗作と「心」

山: こんなんどないやろ?
< http://www.zakzak.co.jp/gei/2006_06/g2006060906.html >
武: ウワーッ! 何これ!
山: ああ、すでにこんなことにも。
< http://armadillon.exblog.jp/3218603 >
武: うおっっ! こ、これは(も)、シャレにならんではないかっ!! まさに蹂躙という言葉がピッタリだのー。
山: すごいわな。
武: ゆ、許されるのか? こういうのって。芸術選奨文部科学大臣新人賞恐るべし。こうなるとさ、著作権という権利の問題というより、良心の問題だよな。
山: みんなどないなっとんねん! ほんなら例えば武さんとこに和田せんせーがやってきてね。
武: ほう。
山: 何のかんの「すばらしい!」とか言って絵の写真パシャパシャ撮って、気が付いたら武さんとそっくりな絵が文部科学大臣新人賞! とかなってたら、どう? そんで俺の絵やん! って文句言ったら「オマーーージュです」(笑
武: むむむう、対策を考えよう。まず、こっちがオリジナルだという事を表明する前に、そいつに打診する。ちょっとづつ一生に渡って金を要求し続けるのじゃ。で、送金して来なくなった所で暴露する(笑
山: それもたいがいやのー(笑
武: で、被害者らしく「悔し泣き」をしながら、テレビで会見して、地位と権威と金を手に入れる。ムッシッシ。。。(笑
山: なんやカッコ悪いで(笑
武: わはは! けど、マジでそんなん起こったら、ヘコむよ。相当、ショック受けるわな。

●いい知れぬ気持ち悪さ

山: そうやんなー。で、要するにどういうことなんやろ?
武: 絵というものはその人の「アイデンティティー」そのものだからなんだろな。盗作された事によって、「自己存在」が完全に消滅しちゃうわけでしょう。
山: 消滅というか、侵害というか。
武: それに耐えられないんだな、きっと。
山: 金も当然絡んでくるしな。
武: うーん、「金払うから、私が描いたことにしてくれ」言われたらオーケイする?
山: それはつまり自分の絵が売れた、と解釈することも場合によっちゃ出来なくはない。
武: おー。
山: 絵、あげます、と。ゴーストぺインター。
武: 作者が他人になるのはキモチワルイね。けど、ゴーストペインターとして生きるんだったら、またありかもしれないよな。
山: 商売として捉えたらそれもありかもやで。
武: デザインの仕事とか、イラストの仕事とかそういう部分はあるしの。
山: そうやな。実際そっちの方はみんなパクりまくりやったりするしな。けど「絵画」ってなると、ちとちゃうな。確かに。
武: この、「盗作」に対してどうにも、なんか、煮え切らない気持ち悪さがあ
  るんだよな。いい知れぬ気持ち悪さ。それは何だろうって考えた時に、近代自我、つまり「個」が「個」として保証される権利という価値観に行き着くんよ。
  もし、全ての人間が、木や草や、動物や大地の一部として、全体感の中できちんと生きて行けたら、著作権もないし、盗作もない。現代の「盗作」と呼ばれることをされてもショックなんて受けないかも知れない。むしろ「喜び」になってしまうかもしれない。
山: なるほど。「個人」という意識が「権利」を生み出す訳やね。
武: そうなのよね。個人が個人で価値を持ち、金を得て行かないと生きて行けない社会が構築されてるから、著作権を主張したり、盗作したリが出て来てしまう。
山: ふむ。
武: アーティストとしては著作権は絶対に主張しなきゃいけない立場なんだけど、「盗作が悪」となり、「悪の盗作を働く」ことが産まれてしまうこの社会構造そのものに対して、なんか、いい知れぬ気持ち悪さと言うか、そういんを感じたりするんだよな。けど、権利を主張して、自分に価値を付けていかないとこの社会では生きて行けない。
山: 武さんの言う「いい知れぬ気持ち悪さ」というのは、全体から切り離されてしまった個人の悲しさ、と言うか虚無と言うか。
武: うん。なんかね。「いい知れぬ気持ち悪さ。」

●「個」と「共」

山: 本来「独創」、一人で創り出す、というのは人間にできることなんやろか。
武: 無理だろうなあ。
山: 一人で生きていく、ということは実際無理やしね。
武: 様々な影響を受けた個人の身体から、再構成されたものを「作品」と呼ぶんだと思うんさよ。その再構成の仕方が「個」という価値観を作り出している。
山: 様々な影響、それらをその人の流儀でまとめあげる、そこに価値を「持つ」か「持たない」か。一種の装置やね。
武: そうだね。価値が「与えられる」か「与えられない」か、と言った方が良いかもしれん。
山: 模倣は悪やろか。
武: 模倣は再構成させる力を養う為の技術獲得訓練のようなもんだと思う。模倣のままで終わる人もいるだろーけど。。。
山: 再構成が見えない作品はやっぱりただの模写、あるいは盗作、となるんかな。実際僕も肖像画描いたりすんねんけど。
武: ふむ。
山: あれは作品というより写真模写、工芸品的意味合いが強い、というかそうとしか考えられへんけどね。
武: そうだね。現代では「コピーそのもの」には付加価値が与えられないからね。
山: オリジナルよりもコピーの方が意味を持つ、ってことはあるんちゃう?それこそデュシャンのレディ・メイド以来、世の中はあらゆるコピーで溢れかえっている。
武: どれだけ数が多いか、には価値が与えられるよな。和田氏も1000点くらいコピーしてたら、違う価値が与えられちゃうかもよ。
山: おお。それはそういう機械みたいでおもろいな。危う気なおもろさやけど。違う意味が生まれそうやな。
武: コンセプトが変わるからね。そうなるといわゆる「独創」が生じちゃう。これって、不思議じゃのー!
山: そうやな。むしろ翻ってある種の批判的作品に仕上がる。
武: 「100万人殺せば英雄」ってやつか?
山: むずいなー。でもそういうことやったりすんのか?
武: 近代以降、「個」が価値を持つようになるでそ。だから、変態的ともいえるくらい過剰に「個」を追求した芸術家が讃えられたワケだ。けど、一人の天才に苦行を強いる方向性は最近では消えて行き、むしろ「集合性」や「匿名性」が価値を持ち始めたりする。
山: それってどういう変化なんやろ。
武: 「個人」という価値観が頭打ちになって、共有・共産が今、花開いてる。ネットなんかはある意味、情報共産主義革命のようなものだし。そうなるとじゃあ、「個人の作品」ってのはどういう扱いになるのか。
山: 「個」って社会とちゃうよな。究極的には。でもネットでこれだけの情報を共有する、その情報の発信者は「個」やったりする。
武: 「個」なのに「全体」

●オリジナルの技術

山: ここで、いったい作品って何や? って話もありそうやな。
武: そだのー! なんだか難しい話しになって来たのー。そういう事を考えなきゃならない時代なのかもしれんな。
山: ちょっとええかな?
武: ほい。
山: こんなの。

複製 フクセイ copy
絵画作品の模写、彫刻作品や工芸品などの模刻または模造をいう。古代ギリシアのヘレニズム時代から古代ローマ時代にかけて古典的彫刻を模範とする複製が作られ、特にハドリアヌス帝の時代にはギリシア時代のほとんどの作品が模刻され、職業的な複製業が成立した。ルネサンス時代にはその時代の有名な美術家の作品が複製されたが、バロック時代になると複製ないし模写は美術アカデミーの美術教育のうえで重要な役割を果した。複製は原作を原作者以外の人が同じような技術的手段で再製するものであり、原作と大きさや素材が異なっても容認されるが、細部や比率は正確であることが肝要である。最近では高度の印刷技術によって絵画作品などはきわめて正確に複製されるようになった。
(Jamming ver 2.8.2 PPCより)

武: ふむふむ。コピーはアカデミズムが奨励してたわけだ。
山: 技術的向上の意味があったんか。それともええもんはたくさん欲しいってことか?
武: 美の原点をギリシャ時代に置く、と。
山: そういった意識が複製技術を発展させたんやな。
武: 今の日本もこの「アカデミズム」で美術が成立してるしの。
山: 実はギリシャを意識してるんか?(笑
武: わはは! こんな極東の島で、かたくなにギリシャ美の原点を守る、の巻、だな。
山: ほんと、生真面目に(涙
武: ある意味、和田氏はもっともそれを守り遂行した、と。模写対称はスーギ氏だけど(笑
山: わはは。

武: 例えば、新宿で描いてた時、夏まつりがあってさ。
山: はい。
武: みんなで絵を描こう! ってことになって、祭りのボランティアスタッフ達が絵を描いたんすよ。
山: ほうほう。
武: そしたらさ、画風がみんな「段ボールハウス絵画」だったんよ。
山: わははは!!
武: でさ、その時、俺は「嬉しかった」んだよな。
山: みんな、なんかそないせなあかんと思ったんかな? そやけどそれは一つの模範、規範となっとった訳やね。
武: 見慣れてるから、知らないうちにそういう風に描いちゃったって感じなんだよね。かわいい女の子とかがドロドロとした絵を描いてんの。
山: ははー。それは教育の原点やな。お手本があって、真似する。
武: あーなる程。ただ、俺達の絵は技術の取得にはならんよなー。
山: そやね。まあでも技術っていうのは必ずしも上手いもんだけにあるとは限らんが。いや、上手いって意味がいろいろとある、ってことか。
武: あーそうかあ、技術とは何かっていったら、再構成能力だと思うんよ。それをきっと世の中は「オリジナル」と呼んでる。
山: 記憶や思いの再構成、構築の能力。形作るってことかな。
武: そうっすね、「ストン」と形に抜き出せる力を「技術」だと俺は思ってるんのね。だから、作品は全て「技術だ」とも言える。
山: なるほど。描写の技術、ということではなく。むしろ「心の技術」やな。
武: そう考えると和田氏はヘタクソ中のヘタクソだった、と。
山: ははは! 技術も奥が深いのー。

【武 盾一郎】(たけ じゅんいちろう)take_junichiro@mac.com 画家
新宿西口地下道段ボールハウス絵画集
< http://cardboard-house-painting.jp/ >
夢のまほろばユマノ国
< http://www.uma-kingdom.com/ >

【山根康弘】(やまね やすひろ)ymn_yshr@ybb.ne.jp
阪神タイガース信者兼画家
交換素描
< http://swamp-publication.com/drawing/ >
SWAMP-PUBLICATION
< http://swamp-publication.com/ >

▼う〜ん、このスタイルは「まつかさオマージュ」かい(苦笑 (柴田)

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■グラフィック薄氷大魔王[60]
濃い! ピクサー展

吉井 宏
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六本木ヒルズ森アーツセンターギャラリーで開催中の、ピクサー展に行ってきた。月曜18時半という時間、込んでるかと思ったら、ほぼガラガラの状態。よかった〜。夏休みが始まったら大変な混雑になるだろう。

ピクサー作品は大好きだ。7作品全て大ヒットってのは尋常じゃない。鋼鉄のようにしっかりした破綻のないストーリー構造に最新CG表現が乗っかって、面白い上に突っ込みどころがない(人によっては無難すぎるだろうし、突っ込めるだろうけど)。4年の制作期間中の3年を、CG制作の前段階であるストーリーの練り上げやプロダクションスケッチに費やすそうだ。ピクサー作品DVDの特典映像でその様子を垣間見ることができる。

ピクサーの大勢のアーティストたちが寄ってたかって作り上げてる最中の、プロダクションスケッチの原画やマケット(立体模型)の実物が大量に収録されているのだ。

最初の展示は「アートスケープ」というパノラマ映像。プロダクションスケッ
チのパステル画などの静止画を素材にした映像なのだが、これが半端じゃない!「愛・地球博」のマンモスのところで見た映像のような、超横長で超高精細な映像。各ピクサー作品のプロダクションスケッチを切り抜いて3D的に動かして見せてるんだけど、2Dがここまで3D的に馴染むか! と驚いた。丁寧な丁寧な仕事。これ、完全に独立した映像作品になってて映画館でやっても不思議じゃない。また、CGとはいえ、完璧にワンカット映像。いったいどうやってシーンを管理したんだろ。

プロダクションスケッチ。キャラクターの形を決めるためのスケッチやストーリーボード、カラースクリプト(色彩計画)。それぞれが、アーティストが全力でじっくり取り組んだことが伝わってくる力作ぞろい。絵画作品として通用しそうなものも多い。世間一般の画家やイラストレーターが「作品」と称している貧弱な絵が、はだしで逃げ出す質と量の圧巻。こういう才能が何百人も一本の映画に力を注いでるのだ。

ストーリーボードを、実際の時間軸に沿って音声付きで動かしたテスト映像もすごい。CG制作に入る前に、タイミングやカット割りなどを決めるためのもの。鉛筆書きの静止画がタイミング良く切り替わるだけでも、本編に迫る面白さや迫力が出ちゃうものなんだな〜と感心した。やはり、CGは映画にとって表皮でしかなく、骨であるストーリーや演出が面白さのほとんどを占めるってことなんだろう。

マケット。こりゃ〜〜〜もう、フィギュア愛好者にはたまらん〜。僕にとっても「偶像・御神体」がゾロゾロ。モンスターズインクのサリーの形が決まるまでの立体模型、Mr.インクレディブルの表情の表現の立体。また、3Dソフトに取り込むための格子目の描かれたキャラクターの頭部などなど。「ピクサーが目指すものをすみずみまで立体として把握している凄腕アーティスト」が造形したマケットは、本当にすみずみまで血が通っていて、存在感の強さに戦慄するほどだ。しっかり目に焼き付けてきた。複製してほしいよ〜。

展示の最後は、ゾーエトロープというカラクリもの。会場でのお楽しみってことで、詳しくは書きません。最初、そいつは止まっていた。なんだこれ? 意味わからん。しばらくすると回り始めた。ぎゅいぃぃぃぃ〜〜んと速度が上がっていく……おっ? おっ? ……で、見えた!!! 瞬間、チビりそうなほどの感動が……。何度も何度も延々繰り返して見た。ずっと見ていたいと思った。こいつを見れただけでも行った価値アリ。

ピクサー展< http://www.roppongihills.com/jp/events/macg_pixar.html >

【吉井 宏/イラストレーター】hiroshi@yoshii.com
六本木ヒルズギャラリーに上がる階段のところに人が鈴なりになってた。下の広場に有名芸能人がいるらしい。ふ〜ん。で、帰りに下まで降りたらドクロ旗の海賊船の巨大セットを分解・撤収中だった。ジョニー・デップがPRで来てたそうだ。しまった。ちゃんと見ればよかったー。
HP < http://www.yoshii.com >
Blog < http://graphic.pastel.co.jp/yoshii/ >

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■編集後記(7/12)
・そんな、、、死なせなくてもよかったのではないか、思わず絶句、立ちつくすわたし。山岸凉子「舞姫 テレプシコーラ」は単行本で買っているので、連載分は「ダ・ヴィンチ」を立ち読みしているのだ。だから立ちつすのは当たり前だが。前回の終わりでこうなるのは予想していたが、あんまりな展開ではないか。千花はバレエができない身体になったのを絶望し自殺してしまう。ひどい話で、未熟な医師が最初に切らなくもよい靱帯を手術してしまったのが原因だ。ヒロインはドジで幼い六花で、なにごとも完璧な姉・千花ではないとわたしは最初から思ってはいたが、ここまでするか。まったく、おそるべし山岸凉子。単行本は9巻目が近く出るから買うが、絶望の日々の千花の姿が多く出てくると思うとつらい。このマンガは、バレエの頂点をめざす女の子たちのリアルなドラマで(主役はまだその気はなく、生臭さがない)、お約束の意地悪なライバルも登場するが、かなり手抜きな顔(自画像ほどのいいかげんさではないが)なのがいい。もうひとり、主役が死んだ。期待通りにぶざまに死んだ。大場つぐみ+小畑健の「デス・ノート」が単行本12巻で完結した。いやはや、難解なマンガであった。ようやく終わってくれてホッとしている。いくつもあるノートの約束事、心理戦、深読み、裏読み、罠、ああめんどうくさい。一回読んだだけでは正直よくわからない。矛盾点が見つからないが、見つける気にならないほど複雑な構造になっているからなのだ。よほど綿密な設計図をもとにつくられたストーリーなのであろう。全巻を読み返すか、けっこうしんどいから忘れた頃にトライしようかなあ。(柴田)

・美容室で聞いた話。お父様亡き後、ご実家に戻られるという熟年の奥様。田舎では車が必須で、その田舎独特の地形で練習したいからとわざわざ田舎近くの合宿所に行かれたそうだ。「イケメンの先生がいらして、とっても良かったわ〜。合宿だから早くとれたし。」「それは良かったですね。」「ええ、鳥羽一郎そっくりだったのよ〜!」「……。(まぁ人それぞれだし)」「でね、今はこっちで運転したいんだけど、車が多くて、怖くて怖くて。」「交通量は多いですからね。長く通っていただきましたが、もうすぐこちらのサロンには来ていただけなくなるかもしれませんね。」「あら、どうして?」「田舎に戻られるんですよね?」「父はぴんぴんしているから、いつ戻ることになるのかわからないのよね。」それならこっちで免許をとった方が良かったのではと突っ込みたかったのだが、鳥羽一郎似のイケメン(?)先生に教わったからいいんじゃないかと思ったそうだ。(hammer.mule)