[2494] 映画の力を信じていたい

投稿:  著者:  読了時間:30分(本文:約14,700文字)


<いつもながら、オタク、あっぱれである>

■映画と夜と音楽と…[388]
 映画の力を信じていたい
 十河 進

■Otakuワールドへようこそ![80]
 ぼくの夏休み '08後編
 GrowHair

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■映画と夜と音楽と…[388]
映画の力を信じていたい

十河 進
< http://bn.dgcr.com/archives/20080912140200.html >
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●「Shooting Dogs」とは何を象徴するのだろう

「ルワンダの涙」(2005年)というセンチメンタルな邦題をつけられた映画の原題は「Shooting Dogs」という。それは、実際に物語の中で国連軍としてルワンダに駐留しているベルギー軍が、惨殺されたツチ族の人々の遺体を食べる野良犬たちを撃つことを示すと同時に、犬のように殺された人たちのことを象徴している。

「ホテル・ルワンダ」(2004年)と同じく「ルワンダの涙」も実話をベースにした映画であることが最初にクレジットされる。ただし、「ホテル・ルワンダ」が南アフリカで撮影されたのと違い、実際にルワンダで撮影された映画であり、虐殺の現場でカメラがまわされたのだという。

「ホテル・ルワンダ」は、首都にある一流ホテルの支配人(彼自身はフツ族で妻がツチ族だ)が、フツ族の民兵たちの虐殺を逃れてホテルに逃げ込んできた人々を客として守りきる話である。ヨーロッパ資本のホテルの社長(ジャン・レノ)の援護もあり、彼は千人を超える難民の命を守ることに成功する。

もっとも、「ホテル・ルワンダ」でも国連軍の無力さは描かれていた。ニック・ノルティが演じた隊長は、虐殺を目の前にして発砲もできない無念さをにじませる。彼は命令に従って白人のみを救出し、ツチ族の難民たちを置き去りにしていかざるを得ない。それでも、主人公のホテル支配人は彼らを守りきるのである。ハリウッド映画らしい救いがある。

だが、「ルワンダの涙」は徹底的に絶望的な映画である。救いはない。主人公は命惜しさで人々を見捨て、見捨てられた数千人は殺される。ルワンダではツチ族とフツ族が対立し、その監視のために国連軍が駐留していた。しかし、1994年に大量虐殺が起こる。映画は、道端に放置された死体の山を再現する。女、子供、赤ん坊、老人、無差別に惨殺されている。まさに死屍累々…

この映画を見ながら、昔、一度書いたことではあるけれど、社会学者・宮台真司の言葉を思い出した。

───多くの人に大きな誤解がありますが、人類社会にはいまだかつて「人を殺してはいけない」という規範が一般化したことは一度もありません。……中略……人類社会が伝統的に維持してきたのは「仲間を殺すな」「仲間のためには人を殺せ」という二つの規範です。

フツ族の過激な民兵たちは、ツチ族を人間として見てはいない。ナチスがユダヤ人を絶滅させようとしたように、ツチ族の絶滅を願っている。彼らのリーダーは虐殺を始めるに当たって「作業開始」と怒鳴る。ナチスがユダヤ人たちをガス室に追い込んだのと同じ意識なのだ。

だが、血にまみれたナタを持つフツ族の民兵たちは異様な興奮状態にあり、強烈な仲間意識を持っているように見える。初めて会った人間でもフツ族だとわかれば、強い連帯感を感じるのだろう。彼らはまさに「仲間のために敵を殺している」のである。

そんなことは、何もアフリカだけで起こっているのではない。その数年前にはボスニアで紛争が起こっていた。先日、ボスニア紛争での虐殺の指導的立場にいた人物が逮捕されたニュースが流れたが、セルビア人たちは彼を英雄だと主張していた。彼は「セルビア人のために敵を大量に殺した英雄」なのだ。

そのボスニア紛争がまだ終結していなかった1994年、ルワンダでは数え切れない人々が虐殺されていた。白人たちは「ツチ族もフツ族も見分けがつかない」と言うが、僕には「セルビア人とクロアチア人の区別はつかない」し、アメリカやヨーロッパの人々には日本人と韓国人の区別はつかないだろう。

人類はなぜ、仲間の定義を広げることができないのだろう。逆にどんどん定義を狭めていく。人が集まれば、仲間ができる。それが、どんどん細分化される。やがて、他の仲間(グループ)との対立が生まれる。だから、小さな対立はどこにでもある。

●狂気の世界に投げ込まれても尊厳を保とうとする人間の存在

ここ数年に見た映画の中でも、アフリカを舞台にした作品が強く印象に残っている。リドリー・スコット監督「ブラックホーク・ダウン」(2001年)は、1993年10月3日にソマリアで起きた実話をベースにしている。この戦闘でアメリカ兵18名が死亡し、アメリカ軍が撤退するきっかけになった。

ルワンダ虐殺が起こるのは、その半年ほど後のことだ。国連軍としてルワンダに派遣されていたベルギー軍の兵士10名が虐殺されたのは、自国兵士の死によって国連軍が撤退するのではないかという期待がルワンダ軍にあったことは、「ルワンダの涙」でも言及される。

「ブラッド・ダイヤモンド」(2006年)も人気者レオナルド・ディカプリオ主演のハードな映画だった。この映画はフィクションだが、強烈なリアリティがあった。数十万人が暮らすという難民キャンプの俯瞰ショットは、僕にアフリカの現実を強く感じさせた。百聞は一見に如かず、という言葉に納得する。

「ブラックホーク・ダウン」「ホテル・ルワンダ」「ルワンダの涙」「ブラッド・ダイヤモンド」、それにちょっと毛色は異なるがニコラス・ケイジが実在の武器商人を演じた「ロード・オブ・ウォー」(2005年)などを見ると、アフリカの問題について、いくぶん理解できるかもしれない。

どの映画もある種の面白さに充ちている。面白さと書くと、何となく不謹慎な気がするが、真実を面白く伝え、その結果、多くの人に何かを考えさせることができるのも映画だと思う。気になっている「ダーウィンの悪夢」(2004年)もアフリカの現在を写しとったものだが、それがドキュメンタリーであるということで、僕に二の足を踏ませている。

たとえば、僕はソマリア紛争のコアのようなものを「ブラックホーク・ダウン」で理解した。映像は素晴らしく、戦闘シーンのリアルさが刻み込まれる。人の上半身がちぎれて内臓がはみ出し、ロケット砲を腹に撃ち込まれた兵士はのたうちまわる。映画を見ている間、まるで銃弾が僕のそばをかすめるようだった。

「ブラッド・ダイヤモンド」を見たレオナルド・ディカプリオ・ファンの女性たちは、きっとダイヤモンドを買うときに思い出すだろう。いくら輝いていても、それが血にまみれているかもしれないことを…。敵兵たちに崖に追い詰められ、恋人のジャーナリストと携帯で電話しながら死んでいくレオナルド・ディカプリオは、本当にかっこよくて泣けてくる。

「ロード・オブ・ウォー」はニコラス・ケイジのとぼけたナレーションを聞きながら、世界がいかに暴力にまみれているかがわかる。武器を握れば、人は簡単に人を殺す。武器商人という存在がなくならない、いや、ますます隆盛を極める商売になっている現実が悲しい。

そして、「ホテル・ルワンダ」「ルワンダの涙」を見ると、狂気の世界に投げ込まれても尊厳を保とうとする人間の存在に涙するだろう。虐殺を叫ぶ民兵たちに囲まれながら、人としてのモラルとルールを持ち続けようとする人間がいたことを、僕たちは唯一の希望として胸に刻むことができるのだ。

●虐殺した側の人間も同じように今を生きている

「ルワンダの涙」は3人の人物を中心にして展開する。ルワンダで30年も布教活動と学校を続けているクリストファー司祭(ジョン・ハート)、希望と夢を信じ海外協力隊としてルワンダで教師をしているイギリス青年のジョー(ヒュー・ダンシー)、そして走ることが好きなツチ族の少女マリーだ。

ルワンダの首都にある公立技術学校。国連軍のベルギー兵たちが駐留している。グランドを何周も走り続けるマリー。それを実況中継して生徒たちと愉しんでいるジョー。クリストファー司祭は修道院でシスターたちにミサを行い、学校に帰ってくる。

しかし、その夜から異変が起きる。難民たちが学校に逃れてくる。国連軍は自衛のための発砲しか許されていない。難民たちの学校への受け入れにも難色を示すが、司祭の「私の学校だ。私が許可する」という言葉で受け入れる。2000人以上の人たちがやってくる。

ジョーは学校の様子をテレビ局に取材させ世界に流すことで、ルワンダの現状を訴えようと知り合いのキャスターを連れに出かけるが、帰途、民兵たちにクルマをおろされる。殺されそうになったのを救ったのは学校の使用人だったフランソワだが、彼が持つナタが血まみれなのを見て衝撃を受ける。

街中に死体がある。学校も熱狂したフツ族の民兵たちに取り囲まれる。学校から逃げ出した人々を民兵が襲い、生まれたばかりの赤ん坊を地面に叩きつける。ジョーは絶望するが、マリーには「見捨てないよ」と言う。しかし、遂に国連軍に撤退の指令が下る。

難民の代表が国連軍の隊長のところにやってくる。ナタで殺されるくらいなら、全員を銃殺していってくれと…。断る隊長に彼は言う。「せめて子供だけでも」と。しかし、国連軍は出ていく。ジョーもそのトラックに乗る。マリーの視線に耐えながら…。

ひとり残った白人であるクリストファー司祭は、マリーを含めた子どもたちを学校のトラックに隠して逃がそうとするが、民兵たちに止められる。司祭は民兵の地区リーダーであり長年の知り合いである商店主に頼るが、「白人は殺されないと思っているのか」と罵られて撃ち殺される。

彼らは、狂気の世界に入っているのだ。憎しみだけに支配されている。殺すことだけが目的だ。何人殺したかが、仲間内での勲章になる。競って殺そうとする。学校を囲んでいた民兵たちは、国連軍が撤退すると一斉にナタを振り上げて避難していた人々を殺し始める。

トラックに乗っていたマリーは、司祭と民兵の押し問答の間に子どもたちを逃がす。司祭の死を見届けて、走り出す。マリーは走る。ただ、走る。僕は「徹底的に絶望的な映画」と書いたが、その走り続けるマリーの背中に「希望」が見えた。「希望」が走り続けていた。映画なのだ。どこかに「希望」がなければ辛すぎる。

映画は、最後に技術学校での虐殺を生き延びた何人かを映し出す。そして、この映画のスタッフの中にも虐殺を生き延びたルワンダ人がいることをクレジットする。彼らは両親を、兄弟を、姉妹を、親戚たちを失っている。家族の死体に隠れて生き延びた人もいる。

それは、たった14年前のことなのだ。だとすれば、虐殺した人間も同じように、今を生きている。彼らは「ルワンダの涙」や「ホテル・ルワンダ」を見るのだろうか。見たとしたら何を思うだろう。自らの蛮行に身を苛まれるか。二度と殺すまいと思うか。そうであってほしい。僕は、映画の力を信じていたいのだ。

【そごう・すすむ】sogo@mbf.nifty.com
残暑のぶり返しか。毎日、暑いです。こう暑いと、原稿もはかどりません。汗を拭きつつキーボードを打つ週末。エアコンは入れない主義(?)なので、ホントに汗だくです。

●305回までのコラムをまとめた二巻本「映画がなければ生きていけない1999-2002」「映画がなければ生きていけない2003-2006」が第25回日本冒険小説協会特別賞「最優秀映画コラム賞」を受賞しました。
< http://www.bookdom.net/shop/shop2.asp?act=prod&prodid=193&corpid=1 >
受賞風景
< http://homepage1.nifty.com/buff/2007zen.htm >
< http://buff.cocolog-nifty.com/buff/2007/04/post_3567.html >

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■Otakuワールドへようこそ![80]
ぼくの夏休み '08後編

GrowHair
< http://bn.dgcr.com/archives/20080912140100.html >
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ネタがぜんぜんないのも困るが、ありすぎてもまた困るもので、前回、夏のことを振り返ってずいぶん書いたのに、まだまだ書ききれなくて、今回は続きを書くわけなんだけど、いくら地球温暖化でももうさすがに夏でもなかろうというこの時期になってわが夏を再び思い返してみると、なんだか詰まったスケジュールにしたがってあっちこっち行ったりして、ばたばたしまくりで大変だったなぁ、という漠然とした印象が残るばかりで、ひとつひとつは貴重な経験だったような気がしながら、よく咀嚼する間もなく、嵐のように過ぎていった感じで、結局自分の中に何が蓄積されたのだろうと思ってみると、案外これといったものに思い当たらなかったりして、なんかちょっとした空しささえ感じられたりする。まあ、それが秋ってもんなのかなぁ、という気もしなくもないけど──。

そういうわけで、またまた言い訳で始まるわけですが、今回もまた、特に深い思想を語るわけでもなく、ある中年のオタクはこんな夏を過ごしましたという一サンプルとしての、夏の日記なのであります。

●大盛況のSF大会"DAICON"

8月23日(土)24日(日)、大阪府岸和田市にある浪切ホールにて、「第47回日本SF大会」が開催され、2,000人近い来場者でにぎわった。この大会は、日本全国のSF(サイエンス・フィクション)好きが集まって、SFやそれにまつわるものを楽しむお祭りで、1962年(昭和37年)に東京の目黒で開催された第一回大会(MEG-CON)以来、毎年、日本のどこかで開催されてきた(ってことは、開催回数、イコール、私の数え年か)。

大阪で開催されると"DAICON"というニックネームがつけられ、今回はそれの7回目なので、"DAICON7"である。ロゴマークは、7本の大根を放射状に配置したデザイン。
< http://www.daicon7.jp/ >

浪切ホールの入り口前の広場ではロボットが二足歩行し、大ホール、小ホール、会議室などでは、20か所以上の同時進行で講演会が開かれ、特撮映画の歴史や宇宙開発の展望などが論じられた。特に「ボーカロイドが世界を侵蝕する」は人気が高く、大会議室が200人ほどの人で満杯となり、ネギを振って歌う初音ミクをあらゆる手段を講じて表現するネットの住人の常軌を逸したこだわりぶりなどに、終始笑いに包まれていた。コスプレ姿の来場者も多く見られたが、やはりボーカロイドのコスが多かった。

さて、私とSFの関わりについては、これまであまり語ってこなかったので、この機会に、一気に語り倒してみたいと思う。覚悟はいいですか? いきますよ?実は、何を隠そう、ほとんど接点がないに等しいのです。スターウォーズも見てないし。中学生のころ、星新一をよく読んだくらいかな。以上。

DAICONのことは、2年くらい前、岡田斗司夫氏の同人誌「オタク・イズ・デッド」で知った。岡田氏は、オタクが死にゆく現状を、10年ほど前に起きたSFの状況と対比して論じている。実際、漫画やアニメなどのコンテンツ制作の勢いは衰えることがなく、ファンも増加傾向であることはSFと同様であるが、では、死につつあるのは何かというと、オタク全体という巨大な大陸に住む民族としての連帯意識であるという。

SFファンには世代があり、かつては、大量に本を読むことがSFに生きるための修行のようなものと捉えられ、好きなジャンルに限らず、幅広い知識の吸収に努めたものだが、スターウォーズ以降は、SFが分かりやすくなったために誰でも努力なしに入っていけるようになり、各自が好きなところだけをかじって満足するようになったため、ファンの間での相互理解を支える共通基盤が薄れていったという。

それと同じことがオタクにも起きていて、「萌え」という分かりやすいキーワードが出てきたおかげで、メイド萌えにせよ、ミリタリー萌えにせよ、自分の好きな萌えを見つけて楽しめれば、それだけでもうオタク、という風潮が生じ、オタクどうしでの仲間意識が薄れてきているという。

それを読んでDAICONのことを知ったので、なんとなく消えかけの線香花火のような雰囲気なのかな、と想像してしまった。実際目の当たりにして、勝手に思い描いていたイメージが大ハズレであることを思い知らされた。いや、過去を知らないので、昔はもっとすごい熱気だったのかもしれないけど。

岸和田駅を降りると、ぞろぞろぞろぞろとすごい数の人の流れができている。それも、一見してただの人ではなく、どこかで宇宙とか異次元とかにつながっていそうな雰囲気を漂わせている。1〜2割くらいは女性。立ち居振る舞いがきりっとしていて、ものすごく頭がよさそう。男性はやけにヒゲ率高し。あるいは白髪含有率30%ぐらいの長髪を後ろで束ねていたり。この人人人の流れの先にあるのはモスクかいな、と思わされるエキゾチックな空気。いや、日本人なんだけどね。

講演会に先立って、50人ほど入る研修室で「SF大会初心者ガイダンス」があったが、立ち見が出るほどの盛況だった。「初参加の人」という問いかけに、半数以上の人の手が挙がった。スタッフは大いに喜んでいたが、実はスターウォーズも見てない人まで混ざっていたのだと知ったら、複雑な気持ちになっちゃうかも。次回から「SF入門、初歩の初歩」みたいな駒ができたりして。

さて、そういうわけで、私にとってはよじ登るほど敷居の高いSF大会だが、なぜ参加したのかというと、SFアートギャラリーに人形の写真を展示してもらえる話になったからである。たとえて言えば、野球のルールも知らないやつが、プロ野球の試合で俺にも一球投げさせろと言っているようなもんで、図々しいにもほどがあるのだが。

いつも人形の写真を撮らせてもらっている美登利さんが、SFアートギャラリーを企画した堀直樹氏とお知り合いで、そのつてで、美登利さんから声をかけてもらった。「まきますか、まきませんか」と聞かれたら、一も二もなく巻いちゃう性格なもんで(←分からない方、ごめんなさい、ローゼンメイデンネタです)、ほいほいと参加を決める。いや、ほんとに図々しくてすみません、すばらしい機会をありがとうございます。

プロ、アマの区別なく、イラスト、模型、フィギュアなどが一堂に展示され、盛況であった。私にとっては、今までで一番多くの方々に写真を見ていただけた。四つ切ワイドに焼いて額装した人形写真を3点、壁に掛けたのだが、一点一点の前で立ち止まってじっくり見ていってくれる人がたいへん多く、なんかくすぐったい気分でありました。いやいや、ほんとにほんとに、ありがとうございます。

新井素子「ひとめあなたに…」と瀬名秀明「デカルトの密室」を買って、空いた時間に近くの喫茶店で最初のほうだけ読み、残りを帰ってから読む。作者が近くのどこかにいると意識しながら本を読むのって、変な気分。あたかも作者が目の前で自分のためだけに朗読しているかのごとく、言葉が妙に生々しく迫ってくる。趣向のまったく異なる2冊だが、どちらも非常に面白く読めた。

一日目の夜は、アートギャラリーの関係者のみなさんと、難波の焼き鳥のお店で一杯飲んだ後、カラオケへ。大阪府の条例はキビシくて、未成年者はたとえ父兄同伴であっても11時以降はカラオケ禁止なんだそうで、子連れの方々が参加できなかったのは、残念。

残ったのは14人。地球と人類を守るため、宇宙へ赴いて勇ましく戦ってくるぜ的な趣の選曲が大半で、もう誰がマイクを握ってんのか分からなくなるほどの大合唱。それがみんな上手くて、実にきれいにカッコよく響きわたる。すげー。こういうとこでの芸の洗練されっぷりにも、SFな人たちの頭のキレのよさが現れているように思える。

さて、こっちにマイクが回ってきて、選曲に困る。が、こっちはこっちの世界でいくしかないと覚悟を決めて、わが内なる純潔性と魔性性の交錯に悩む乙女心を描いた歌などをば。あ、もちろんローゼンメイデン、ね。このハズシようは、たとえて言えば、バッターボックスにロリ服着て入るようなもんである。

しかし、まあ、いちおうアニソンというつながりはあり、知ってる人はちゃんと知っているのだ。そのあたりはまだまだ何とかオタク大陸の地続きは保たれているのではないかと感じられる。

すべてが新鮮で、非常に楽しい思いをさせていただけた。ほんとにほんとにありがとうございます。

●見応えあった世界コスプレサミット

8月2日(土)3日(日)は名古屋で世界コスプレサミットが開かれ、初日のパレードでは、コスプレイヤー約300人が大須を練り歩き、2日目のチャンピオンシップ大会では、13か国の代表が力のこもったパフォーマンスを披露した。

年々、すごくなっていくような……。パレードの参加者も、見物人も、報道陣も、去年よりいっそう膨らんでた。3年前に愛知万博の会場内で開催されたときは、イベント自体がまだそれほど世に知られてなくて、報道もほとんど来てなくて、せっかくこんなに面白いことが繰り広げられているのにもったいないような気がしたものだが、あれは実は転がり始めた雪だるまだったのか。

今年は三脚の林を見に行ったようなもんだった。……というのはちょっと誇張しすぎだけど。どんどんにぎやかになっていくのは楽しくていいのだが、ここまでくると、ちょっとカオスな様相も……。2年くらい前は、パレード前にメイド喫茶で各国代表のレイヤーさんたちとたっぷりお話ができたり、パレードでも少しぐらいなら言葉を交わしたりできたのに、もはやそんなのんびりムードではなく、レイヤーさんたちが見物人にもみくちゃにされないよう、スタッフの方々が必死で押し戻したりして大変そうで、気軽に近づけない感じだった。

2日目のステージは、どのチームもほんとうにすばらしかった。審査員のひとりであるいがらしゆみこ氏(「キャンディ・キャンディ」の作者)は、パフォーマンスのすばらしさに感激してぼろぼろ泣いてた。その気持ち、分かる。演者たちから、ものすごい情熱と、ついに念願かなって日本に来ることができた喜びが伝わってくるのだ。

日本から発信した漫画やアニメに共鳴した世界中の人々が、今度はその熱い思いを携えて、日本に集まってくるのだ。そして、みんな、あっという間に仲間になっちゃう。すばらしいことである。初日のパレード後のミニ・ステージで、コンテストへの意気込みを聞かれたメキシコ代表が、「ぼくたちはライバルではなく、すでにいい友達どうしになっています。みんなで一緒にがんばるという気持ちで臨みます」と答えていたのがたいへん印象的だった。

審査して受賞チームを選ぶのは、興行としてはアリだと思うけど、演じる者も、見る者も、それを重視しなくてよいと思う。各国とも、前面に押し出してくるものの質が全然違うので、比べてどうこう言えるものではなく、その多様性が面白いのだ。みんながそれぞれにオンリーワンだとも言える。

私だったら、各チームのパフォーマンスにおいて傑出したポイントを捉えて、後付けで命名した賞を全チームに差し上げたい。たとえばこんな感じで(ちょっとズレてたり意味不明だったりしても、ご勘弁を)。
フランス:コンテンポラリー・アート賞
韓国:アクション賞
日本(大阪):腐妄賞
デンマーク:エレガント賞
タイ:バラエティ賞
メキシコ:作りこみ技術賞
スペイン:メルヘン賞
中国:舞踏・舞台総合芸術賞
アメリカ:キンキラ・エンターテインメント賞
ドイツ:フレンドリー賞
シンガポール:変わり身パフォーマンス賞
ブラジル:メガ・メカ賞
イタリア:ゴシック幻想美術賞
日本(東京):造形美術賞

私も審査員と同じ気持ちで、いいものを見せていただけたと感激した。世界コスプレサミットのウェブサイトに動画がアップされています。
< http://www.tv-aichi.co.jp/wcs/ >

●コミケではエスカレータにそっと乗り

8月15日(金)16日(土)17日(日)は、東京ビッグサイトでコミケ。8月中旬の暑い盛りと12月末の寒さの折に開かれ、1日あたり約15万人が来場するという、巨大な同人誌即売会、または、オタクの祭典。今回は第74回。

コミケに来ると、いつも、何とも言えない不思議な気分になる。これだけの人が集まっている光景自体が壮観で、しかも大の大人が萌え系の絵のでかでかと描かれた紙袋を誇らしげに提げて歩いている姿はあまりにも非日常的。だけど、それがいつもいつも当たり前のように繰り広げられていて、慣れてしまうと、まるでふるさとに帰ってきたような、ほっと一息つけるような感覚も同時に生じるのだ。

むしろ、コミケじゃないときにビッグサイトに行ったりすると、あまりの人の少なさに、さびしくて泣きそうになる。わ、コミケの抜け殻。みたいな。コミケでは、報道陣の姿はそれほど多くない。すでに世の中に知れ渡って新鮮味がないからなのか、世の中の知る必要のないことだからなのかは定かではないが。

私にとって、この時期にヒゲがちゃんと伸びてることはけっこう重要で、今までに何回か撮らせてもらっているお馴染みさんには、なるべく見つけてもらって、ごあいさつしたいのだ。コミケ以外ではまず会うことはなくて、コミケではなぜかほぼ必ず会うって人が、けっこういるのだ。開催期間にだけ生を得る、コミケの妖精だったりして。

今回、ちょっと心配したのは、アキバ事件とエスカレータ事故の影響だ。爆破予告は毎度のことらしいが、今回は荷物チェックすると、事前にアナウンスされていた。男の子のキャリーを開けるとメイド服やらセーラー服やら出てくるわけで、毎日15万人分チェックしてたら警備の人も目が回りそうになるんじゃないかと思ったのだが。実際は、両脇に立つ警備員さんたちの間を、荷物の口を開けて通るだけで済んだので、ほとんど混乱はなかった。

2週間前のワンフェスで開場直後に西ホールの1階→4階直通エスカレータがオタクの重みに耐えかねて壊れ、逆走する事故があった。先頭には岡田斗司夫氏が乗っていたそうだが、昔の体型のままだったら何を言われたかを考えると、やせておいて、ほんとうによかったのではないかと思う。私も居合わせなかったかと会社などでずいぶん聞かれたが、確かに、コスサミとかぶらなければ、行っていたところではある。

コミケでは、このエスカレータは使用できなくなっていて、他のはみんな慎重に間隔を空けて乗っていた。右側を空けた上に、1ステップおき、つまり、2段に1人の割合である。歩行禁止なのはいつものルールで、みんなしっかり守っている。あの暑さと混雑でも殺気立った空気はまったくなく、みんな落ち着いて整然と動いていたのは、いつもながら、オタク、あっぱれである。

ただ、それがボトルネックとなったか、西ホールと東ホールをつなぐ通路はいつも以上に混んだ。空調はいちおう利いているのだが、流れが停滞すると一気に蒸し暑さが襲いかかり、腕から手の甲へと伝った汗が指先からぽたぽたぽたぽたと落ち続け、干からびる前に抜けられたのは幸いである。やはり、オタクが乗っても壊れないエスカレータの開発と、ビッグサイトへの導入は急務なのではないかと思う。

コスプレ広場は、今回、西ホール4階駐車場から1階に移された。ここ数年は企業ブースに並ぶ人の列に圧迫されて窮屈だったので、よいと思う。広場というより通路みたいな箇所もあったりして、動きづらさもあったが、全体的には日陰も多く、過ごしやすかったし、木や噴水などが写真の背景としてもよかった。

いつも意表をついたコスでウケを狙う人はいるものだが、今回、私の笑いのツボを捉えてくれたのは、「うさビッチ」のプーチンのコス。ぼてっとしたウサギの囚人が、腰をゆっくり左右に振る波動の伝播に合わせて、耳まで左右に揺れる動きが、人をおちょくっているようで、なんともユーモラスなのだが、それをコスプレで表現しようという感覚がまた超越的でよい。

2年前のコスサミで準優勝した万鯉子さんと蝶子さんに会う。5月の鳥取以来だ。万鯉子さんはローゼンメイデンの水銀燈で。衣装の作りのよさに加え、ポーズもとてもきれいで、キャラのクールさがよく現れている。なのに、通りがかる人たちから、なぜか「完璧な女装だー」とかつぶやかれ、ヘコんでいた。いや、私もね、かつて「のだめ」の千秋やってるのを見たときは、こんな美形が実在するもんだから、こっちへお鉢が回って来んのだ、プンプン、とか思ってましたがね。

イタリア人のコスプレイヤーもずいぶん撮らせてもらえた。3年前のコスサミでデビルマンやって優勝したジョルジアを始めとして、ビアンカ、シモナ、バーバラ、フランチェスカ(←ダニーとは別人)、エレナ、ローラ。後でディナーにもご一緒させてもらったりして、今回も大いに楽しんだのであった。

【GrowHair】GrowHair@yahoo.co.jp
カメコ。人形と写真の4人展の準備が追い込みの段階に入って、いい感じに修羅場ってます。写真担当の私は、目下、画像をどう加工するかに、絶賛苦吟中。これ、ぜったい内緒にしといていただきたいんですがね、会社にこっそり居残って、夜中に作業してたりします。研究所の設備を駆使して秘密裡に私的な研究にいそしむマッドサイエンティストのイメージで。BGMは石川ひとみ「ひとりぼっちのサーカス」。しんと静まった真夜中、一人の部屋で人形たちを目覚めさせ、ついでにナイフと鏡も目覚めさせ、涙が乾くまで踊りましょう、という歌。30年前の。歌い手の可愛さが、歌の怖さをいっそう引き立たせてるね(YouTubeで見れます)。

●人形と写真4人展 〜幻妖の棲む森〜
会期:10月23日(木)〜11月1日(土)
時間:平日12:00〜19:00 土日12:00〜17:00
会場:ヴァニラ画廊(東京都中央区銀座6-10-10 第2蒲田ビル4階)
< http://dollexhibition.blog93.fc2.com/blog-entry-84.html >

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■編集後記(9/12)

・トラウマである。読売新聞コラム「いやはや語辞典」に、「『傷』は一律化していいのか」のタイトルで亀山郁夫氏(ロシア文学者、東京外語大学長)が一文を寄せている。「最近、若い人たちのやりとりを耳にする機会があって、この語がごく日常的なニュアンスで用いられていることを知り、軽く鳥肌を覚えた。『私、3月ってトラウマなの』 思えば、『トラウマ』ほど、それを口にする人間によって温度差のある言葉はない。」「やはり、言っておこう。人間一人一人の苦しみと傷の深さを一律化し、無化してしまう『トラウマ』という語、私はこれからも、けっして自分に即して口にすることはない、と。」わたしも以前からそんな感じを持っていながらイージーにつかっていたので、このコラムにおおいに共感を覚えたのであった。亀山氏によれば、「トラウマ」とは権力をもたない人間の苦しみであり、その特質は「恐怖」と「孤立」にあり、ナチス収容所やベトナム戦争など限界的な状況で生じた「傷」こそがこの語にふさわしいと思うという。わたしの感覚では、幼少時に親から虐待を受けたとか、家族に自殺された家族などの「傷」がそれであろうか。それを、ちょっといやな思いをした程度で、軽々と「トラウマなの」とか言っちゃうのは、やはりまずいだろう。言葉の意味は時代で変化するからいいじゃないか、と肯定的に捉える向きもあるが、そういう考えには反対だ。わたしには、「傷」を意識するほどの体験はない。たぶん死ぬまで「トラウマ」はわからない。でも、その語は自分用には使わない。大嫌いな語、「リベンジ」も。(柴田)

・いま一番気になっているものといえば、ホームベーカリー(HB)。原材料の高騰でパンが倍近くに値上がってしまい、以前の価格同程度のパンだと美味しくないのが目下の悩み。何しろ、お祝い返しのカタログでジャムを選ぶぐらいなのだ。まず、香りが美味しくない。生のままで食べられないのはもちろん、トーストしても美味しくない。噛み続けたくない。HB持ちの友人が、焼きたては美味しいと言っていたのが、頭の中から離れない。今は安くなっていて2万以下で買えちゃう。毎日高いパンを買い続ける方が安上がりなんじゃない? 原材料が値上がりしているんだし、損益分岐点は何回目ぐらいなのさ? 第一使い続けるかどうかわかんないしさぁ、などと突っ込まれてもいる。全自動予約タイマーにすれば、炊飯器でご飯を炊くのと手間は変わらないだろう。材料はかって入れるだけなんだから。最初のうちは出来上がるのが、イベントとして楽しいはずだ。これは買いだ、よし、買うぞ。ん、全自動にするより半自動の方がバリエーションが多く……ふむふむ、いや、だめだ、全自動にしなければすぐにお蔵入りだ、そんな手間かける暇はないだろう、ん、こっちの機種は米粉でも、いやいやあくまで現状打破用食パンだ。レーズン、くるみ、ごま、全粒粉程度でいいのだ。メロンパンやケーキも焼け、うどんやお餅が……ほう、ん、こっちはジャムやパスタにスープまで、うーん、あれ、こっちはパン焼き先輩方が美味しいって、あら、そっちのは上部がガラスで工程が見られていいって、そうよねぇ、え、でも音がうるさいの? うーん、うーん、だから食パンさえ焼けたらいいんだってば、他のパンまで作るかどうかわからないし、オーブンでもいいわけで、いや、でも、あああーー。/ま、どれを買ったとしても、現状より美味しいパンが食べられるとは思うんだけどね。(hammer.mule)
< http://www.niseko.info/hb/index.htm >  ホームベーカリーマニア
< http://bakingdays.cuoca.com/contents/motto/post-1.html >
現行機種じゃないけど
< http://plaza.rakuten.co.jp/reshipyi/4014 >  ヨーグルトにアイスまで
< http://www.pan-buzz.com/myfriend/index.html >  凝る人は何台も
< http://allabout.co.jp/family/electronics/closeup/CU20051214B/ >
お試しリポート
< http://allabout.co.jp/family/electronics/closeup/CU20051214A/ >
調べれば調べるほど悩みが
< http://www.wmstyle.jp/archives/2007/06/19_111420.php > 安全性か……
< http://shop.tomizawa.co.jp/category/data.php?fCategory=01&sCategory=09 >
はるゆたかで作ってみたい