Otakuワールドへようこそ![86]世界終了のお知らせ/GrowHair

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ニュートンの予言―2060年、世界は滅亡するうちゅうじんではない私だが、予言は嫌いではない。高橋里季さんが薦めている本、「ニュートンの予言 2060年、世界は滅亡する」(中見利男/日本文芸社/2007/10)を読んでみて思ったのは、物理学の法則に基づいたシミュレーションによる算術的な未来予測も、天からの声をキャッチすることによる呪術的な未来予知も、過去の経験の積み重ねから帰納的に導き出される法則を未来にも延長して先のことを言い当てるという点において大差ないんじゃないかな、ということである。

で、本の感想などを交えつつ、私も神について語ってみたくなってきた。決して、ネタが尽きたから、苦しいときの神頼み、というわけではない。



●数学・物理学者は仮の姿、って……

「ニュートンの予言」には、ざっと次のようなことが書いてある。

ニュートンは、数学・物理学者の余興として未来予言に取り組んだのではなく、事実はそのまったく逆、異端の神学者が数学・物理学者の顔を持っていたにすぎない。

ニュートンは、聖書の解読に50年を費やし、4,500ページにも上るレポートを書き残した。そこには、聖書の暗号を解いた結果、2060年に世界が破滅することが判明した、と書かれている。みずから終末予言の決定版を提示することにより、それまでヨーロッパに数多くみられた軽率な予言を粉砕するのが狙いだったに違いない。

レポートは秘密文書として220年間、ポーツマス伯爵邸で封印されてきた後、一部は英国の経済学者ケインズが競り落とし、また一部はロンドンの収集家アブラハム・ヤフダ氏が競り落とし、現在、ヘブライ大学に保管されている。

ニュートンは、聖書解読作業において、旧約聖書の「ダニエル書」と新約聖書の「ヨハネの黙示録」を特に重点的に掘り下げている。ニュートンは、ダニエル書の四番目の獣とヨハネの黙示録の竜とは同じ存在を暗示していると考えた。それは、ローマ帝国。

ニュートンは、三位一体というカトリックの教義に反し、神、キリスト、精霊は、それぞれが独立したものとして捉えていた。イエス・キリストの神性を否定し、キリストは人間であるとした。したがって、イエス・キリストを人間として栄誉を讃えるのは構わないが、神として崇めることは偶像崇拝にあたり、モーゼの十戒に反するとした。ニュートンは、ローマ教会から異端とみなされたグノーシス主義を擁護した。また、秘密結社「シオン修道会」の第19代総長だった。

ニュートンは「2060年、世界は破滅する」と予言している。しかし、破滅の日をひとつに絞りきれておらず、2060年、2132年、2344年、2370年、2374年の5つを候補として挙げるに留まっている。また、これらの算出に際し、「神の国の一日は人の国の一年に相当する」という読み替えを行っている。仮に2060年に終わらなくとも、あと4回、終わりの日のアラームは鳴り続けることになる。どうやら先送りにしていくよりほか手がないようだ。

310ページの本を無理矢理要約すると、ざっとこんな感じである。さて、ケバヤシの感想。「う〜ん、どうもなぁ」。著者自身はいちおう大真面目に書いている。私のように世界地理にも世界史にも疎い人にとっては、いい勉強になる。「しかしなぁ」。たぶん、ニュートンは、神への正しい崇拝について、当時の定説に捉われず、自分の頭で真剣に考えた、そしたら結果として、カトリックの教条とは異なる考えが出てきてしまった、弾圧を恐れ、しかたなく、封印。そんなとこじゃないかなぁ。

万有引力を発見したあの偉大な科学者ニュートンが、実は終末予言に相当の力を注いでいたというのは、イメージとしては、ずいぶんびっくりなものがある。「だけどなぁ」。科学者とは仮の姿で、実は異端の神学者、とまで言っちゃうのは、どうなんでしょ。

たぶん、ニュートンは、宇宙を支配する原理のすべてを解明し、神の許へ行って、姿を拝みかったんじゃないかなぁ。そのための最も地道な方法論として科学がある。科学には、観察した事実に基づいて、それらを破綻なく説明する法則性を発見していく帰納法に立脚した物理学と、すでに正しいと分かっている命題に基づいて、厳密な論理的推論によって新たな命題を導き出す演繹法に立脚した数学とがある。

この方法論は非常に堅実で、ここから得られた物理の法則や数学の定理は、誤謬の入り込む余地が非常に小さく、宇宙の真理に近いものであると考えられる。実際、ニュートンは万有引力の法則と運動方程式を発見し、ライプニッツとともに微分・積分学を確立した。これらの成果はとてつもなく偉大である。

しかしながら、宇宙のすべてを説明づける根本原理に至る、という最終目的に対しては、歩みがのろすぎて、非常にまどろっこしい。ニュートンは、自身が発見した原理が、まだ最終的なものではないことをちゃんと認識していたに違いない。しかし、こつこつとした歩みでそこへ到達するには、一生という時間が短すぎる。

多少論理は飛躍しても、先を遠くまで見通すための光として、直観力や想像力や神秘的な力をも活用しないことには、最終目的地から遥か手前をうろうろするばかりである。科学的思考の水先案内人として、宗教的、超越的な思索も必要だったのではあるまいか。物理や数学と、哲学や宗教との関係って、そんな感じなんじゃ、ないかな?

●哲学を原点に引き戻してくれる本

ニュートンの万有引力と運動方程式が、もし仮に宇宙の根本原理であったとすると、ひとつ、素朴な疑問が生じる。それは、「この世で起きるすべてのことは運命としてあらかじめ決まっているの? 我々に備わっているはずの自由意志って、もしかして思い込みとか錯覚の類だったの?」という疑問だ。

どういうことか。ニュートンの万有引力は「どんな2つの物体であれ、質量Mの物体と質量mの物体がrという距離を置いて存在するとき、両者の間には引っ張り合う力fがはたらき、その大きさは、Mおよびmに比例し、rの2乗に反比例し、比例定数はGである」というふうに定量的に記述されている。また、ニュートンの運動方程式は、「どんな物体であれ、質量mの物体にfという量の力が加われば、結果としてその物体にはf/mという量の加速度aが生じる」というふうに、これまた定量的に記述されている。

力には万有引力以外にも、電磁力などがあるのだが、それを考慮に入れても本質は変わらないのでここでは置いておくとして、ニュートンの2つの法則を素直に受け入れると、結局この宇宙すべてにおいて、最初の状態さえ決まれば、その後に起きることはすべて必然的に決まってしまう、ということになる。偶然によって何かが起きる余地や、意思によってAかBかを選択する余地がどこにもなくなってしまう。

例えば、これから昼飯を食うとして、我々は、ラーメンにするか、ハンバーガーにするか、自由意志で選択することができると考えている。ラーメンにしようと思えばできるし、ハンバーガーにしようと思えばできる。どちらも可能と思われる。しかし、ニュートンの法則を分子レベルで適用すれば、実は選択の余地なんてなくて、それは単なる錯覚で、宇宙の開闢以来、ラーメンならラーメン、ハンバーガーならハンバーガーと、どちらか一方に決まっていたのだ、ということになる。

これは大変困ったことである。例えば、犯罪を処罰する法律は、我々に自由意志があることが前提になっている。物干し竿からパンティーを失敬することもできた、よだれを垂らしつつ素通りすることもできた、しかしあなたは失敬することを選択した、その選択に対して責任をとってもらう、よってこれこれの罰を与える、というのが法律の根拠となっている。もし犯人が心身喪失状態にあり、自由意志がはたらいていなかったら、選択の余地がなかったということになり、処罰の対象外となる。

もし、自由意志なんてもんが、そもそも錯覚だったとしたら……。盗むことも思いとどまることもできて、迷ったんだけど、結局盗むことを選択しちゃった、というのは本人の思い込み。裁判官が、こいつは自由意志によって盗むことを選択したのだ、と判定を下すのも思い込み。盗むことも、判決が下されることも、運命だった。この世で起きるありとあらゆることは、最初から運命づけられていた、ってことになる。

たいへんやる気がそがれますね。じゃあ、今までがんばってきた俺はどうなるんだ、と。最初っから決まってたんなら、がんばる必要なんて、ないじゃないか、と。はい、がんばってると思ってること自体が実は思い込みであって、がんばるか、がんばらないか、なんて自由意志による選択の余地なんて、最初っからなくて、がんばったつもりになって、あれをしたりこれをしたり、というのが、運命として最初っから決まっていたというだけのことです。がんばって絵を描いて、これは俺の創作物だ、なんて思っていても、それはただの思い込み。どんな絵が描けるかは、最初っから決まってた、ってわけです。たいへんやる気がそがれますね。

そのへん、どうなんでしょ? そういうことを考えるのが「哲学」である。宇宙の根本原理について、論理的につきつめて考える。それが、哲学。どうも最近の哲学は、科学のことをほぼ無視するか、誤解するか、曲解して、人間の精神とか社会のあり方とか、すっかり逸れてしまった議題について、文系頭のおっさんたちが、ただの思いつきみたいなことをごにょごにょごにょごにょ延々と垂れ流しにしている観がある。哲学は、完全に文系オヤジ連中に乗っ取られたというか。どうしようもないところへ堕落したというか。

哲学の原点に立ち返って、いちばん根本的なところにある哲学の精神みたいなものを思い出させてくれる良書がある。飲茶氏の「哲学的な何か、あと科学とか」(二見書房、2006/11/30)である。

哲学に関してまったくの素人を対象に想定し、入門書として平易に書かれているところがいい。哲学ぶったいかめしい言葉使いをせず、口語的な調子を貫いている。引っ張り出してくる思考実験のネタも、ドラえもんの道具とかだし。本全体を通じて伝えようとしていることは、哲学の面白さであるところが、またいい。哲学的な思考をしていると、楽しくて楽しくて、思わず時を忘れちゃいますよ、みたいな。

それでいながら、哲学することのいちばんの根本的なところを紹介するにあたって、ポイントをはずしていないところが、またまたいい。デカルトの「我思う、ゆえに我あり」だって、「これは近代自我の萌芽である」なんてしょーもないことは決して言わない。原典に忠実にしたがった、素直な解釈が述べられている。アインシュタインの相対性理論についても、いちばんの本質的なところを、分かりやすく解説している。

ある意味、どんな本よりも、一読の価値があるかもしれない。一部分は、作者のウェブサイトでも読めます。
< http://www.h5.dion.ne.jp/%7Eterun/ >

●1/8,000,000の神話

神様は一人ではなく、大勢いる。その数およそ800万と言われ、神の国は、だいたい東京都の区部ぐらいの規模である。その生活ぶりも東京都区民と大して変わらず、混んだ通勤電車で会社に行って仕事したり、スーパーで晩飯の具材を買ったり、カラオケで流行歌を振りつきで歌ったりしている。

しかし、東京都と違って、住民は揃いも揃って神様ばかりなので、みんないたって善良。テロリストも潜んでいなければ、通り魔もいないし、下着ドロボーもオレオレ詐欺もいない。おかげでちょっとしたいさかいすら起きず、世の中いたって平和、おしなべて事もなし。来る日も来る日も天下泰平、平穏無事、本日晴天、出前迅速、落書無用。ほんわかぱっぱ〜、ほんわかぱっぱ〜。

実はみんな、いささか退屈している。そこで、ひまつぶしに神々総出でゲームでもやろうかという話になる。ゲームの名は「神の中の神」。下記のようなルールで進められる。

(ルール:1)各々の神様は、各自それぞれの天地を創造し、その世界を司ることができる。
(ルール:2)各々の神様は、各自の世界の物理法則を思い通りに設定することができる。
(ルール:3)各々の神様は、各自の世界の初期状態を思い通りに設定することができる。
(ルール:4)審判の号令とともに一斉にゲーム開始となり、神様には、物理法則および初期状態の設定に7日間与えられた後、各自の世界が一斉にスタートする。
(ルール:5)ひとたび世界がスタートしてからは、神様は各自の世界の成り行きをつぶさに観察することができるが、それに影響を与えるような一切の手出しをしてはならない。これを破った場合は、その時点で、その神様の司る世界は瞬時に消滅させられ、その神様はゲーム失格となる。
(ルール:6)各世界において、その世界のすべてが静止したままの状態に陥ったり、平行移動・拡散などの定常的な動きが続くだけの状態に陥ったり、同じことが反復されつづけるだけの状態に陥ったりして、この先変化が見込まれないと審判に判定された時点で、その世界は「終わった」とみなされ、司る神様はゲームから脱落する。
(ルール:7)神様は、それぞれの世界がどれだけ長く存続したかにより順位づけされる。最後まで生き残った世界を司る神が優勝し、「神の中の神」の称号が与えられる。

いざ、ゲームの火ぶたが切られると、これが盛り上がるまいことか。なにしろここの住人は、創造性に長けること神のごとし、って実際神なのだから。奇妙奇天烈、奇想天外な世界が百花繚乱。ある神様の作った、物質と精神が入れ替わった宇宙では、空間にまず精神の素粒子が散在し、それらが離合集散することによって、物質が形成される。また、ある神様の作った7次元の世界にはやっぱりオタクがいて、「6次元萌え〜」とか言ってるし。

で、それら800万の世界のうちのひとつが、我々の住むこの世界、というわけだ。ものごとを成り行きに任せておくと、時として、とてつもない不幸に陥る人が出てくる。そんな人は、よく「神も仏もあるもんか」なんてつぶやくのだけど、真相はこうである。神はいるし、見てはいる。だけど、ゲームのルール上、手出しができないんだよねー。「ごめん、悪く思うなよ」(神の声)。

さて、我々のこの世界を創造したまい、司りたまう神は、いったいどのくらい善戦しているのかというと、これが実は、ものすごくいい線いっているのである。初めは800万人もいた参加者が、今では10人に絞り込まれている。その中にまだ生き残っているのである。ひょっとすると優勝するんではないかと目されている。すごいじゃないか!

ところが、ここへ来て、ちょっとした異変が起きている。神様が創造した世界に住む者たちの知恵が予想以上に高度に発達してきているのだ。いや、ある程度までは予測していたことである。自意識を備えて自律的に行動する生物の出現や、それらのコロニーの形成、言語による個体間の情報伝達、貨幣による経済システムの構築、文明の発達、学術の発展、芸術の振興などは、予想のうちに入っていた。

神々をして、ちょっとたじろがせているのは、次のような事実である。すなわち、神様がこしらえたひとつの閉じた系の中で暮らしていながら、その系の外のことにまで想像、あるいは推測を及ぼすことのできる者が出現してきたということである。端的に言って、神の存在を見通すことのできる者が現れはじめたということである。みずからを「予言者」と称して、人類に情報を行き渡らせようと働きかけたりしている。

今に、人類は知的レベルにおいて、神々を超えてしまうのではないか。そんな危惧が広がっている(ここだけの話、ここの神々は、自分たちを創造したもうた、もうひとつ上のレベルの神については、まだ想像も及んでいないのだ)。

一定の法則の下に、大量のエージェント(存在単位、粒子)が相互作用する系において、下位レベルの個々の粒子の機能からは想像もつかないような高度な機能が上位レベルにおいて発現する現象を「創発(emergence)」という。この創発により、世界がどれほどまでに高度なところへと発展していきうるのか、そこまでは神々もあらかじめ分かってはいなかったのだ。このままいくと、神々の世界と人々の世界とで、主客逆転しかねない。

さて、どうしたものか。「神様ほど善良ではないやつらの中から、神様よりも知恵をつけたやつが現れるのを見るのはいやだなぁ、ゲームの続行は断念して、今のうちに強制的にハルマゲドンしちゃおうか」なんて意見も出ている。下界には、それをまた察知して、ネットに「世界終了のお知らせ」なんて書き込んでるやつまでいる。

まあ、そういうわけで、今、世界は曲がり角に来ているのです。このことを皆様にお知らせしたく、私は思い切ってこの稿を草したのであります。皆様におかれましては、今すぐ悔い改め、善良な生活を送るようにされんことを。そうすれば神々からの赦しが得られ、この世界はまだまだ存続することができます。もしかすると優勝できるかもしれません。

え〜っと、何で私がそんな神々の秘密を知っているのかと疑問に思われたあなた、いい勘してます。お答えしたいのは山々なんですが、あんまりしゃべりすぎると、失格になりかねないんで。んじゃっ。

【GrowHair】GrowHair@yahoo.co.jp

カメコ。中野にある行きつけのメイドバー「ヴィラージュ・レイ」のメイドさんたちの何人かは、いわゆる「地下アイドル」。11月23日(日)にライブがあった。行って、カメコる。毎度のことながら、出演者とヲタ芸師の息の合いっぷりに感心。シンクロナイズした動きも見事だし、手拍子や掛け声がぴったり揃ってキマるのも、実に気持ちいい。大森スポーツセンターの小ホールは88席あるが、50人ほどの来場者のうち、おとなしく座って聞いてるのは半分ぐらい。盛り上げることで盛り上がるヲタ芸師たちが、結局一番楽しんでる感じ。いや、カメコも存分楽しんだけど。気がつくと1,200枚以上撮ってた。うち60枚を厳選して掲載しています。
< http://www.geocities.jp/layerphotos/Heiwajima081123/ >

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ニュートンの予言―2060年、世界は滅亡する
中見 利男
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