Otaku ワールドへようこそ![123]ロマンスも ちょっとズレてる 俺の夏/GrowHair

投稿:  著者:  読了時間:16分(本文:約7,600文字)


会社の同僚のM田君は、昆虫が全般的に恐いという。生物でありながら、どちらかというと精密機械に近いメカメカした感じがするところに、ぞぞぞとなるらしい。特にオニヤンマ。あれはもはやヘリコプターと区別がつかない。そう言われてみると、セミもなんだかまるで乾電池が切れるような死に方をするね。

夕方、羽ばたきながらも上昇するだけのパワーは残ってないようで、降下してきては路面に衝突して乾いた音を立て、羽が高速で路面をたたく。ひっくり返って動かなくなり、死んだのかと思えば、思い出したようにじーじー鳴いては、低空をのたうちまわる。

まだまだ酷暑のさなかにあっても、秋を感じてしまう。セミ君よ、短い夏だったね。羽化してからはたった一週間の命だったけれど、ちゃんと童貞は捨てられたかぃ?......って、セミの心配してるときじゃなかった。自慢できるような、ひと夏のうんちゃらかんちゃらみたいな話、......なかったなぁ。



●ロマンチック、なのかな?

疲弊気味でぺしゃんこになりかけてた自意識が、アクロンで洗った毛糸のセーターのごとくほわっと生き返るような、素敵な出会いなら、あった。一週間の夏休みの最後の3日間はコミケなので迷う余地はないが、前半はいかに過ごそうかと考えると、やはりなんとかしなきゃならないのは、写真撮影の腕を上げることだ。撮り方にもっと芸の幅をもたせたいし、ロケ地情報のレパートリーも広げたい。ということで、ロケハンと練習撮りを兼ねて、あちこち出かけてきた。

撮る者にとってロケ地情報は財産なので、伏せておくのをお許しいただければ。8月8日(日)に行ったのは、都心から列車で2時間ほどのところにある、ヨーロッパ風のテーマパーク。去年、12月のグループ展向けに人形作家さん10人の作品を撮らせてもらったとき、一人からステンドグラスのある教会で、というリクエストがあったにもかかわらず、適当なロケ地が見つからなくて、よろめきによろめいてラブホテルになっちゃったことを反省し、結婚式が挙げられるチャペルのあるテーマパークを重点的に調べていて、見つけた場所だ。

チャペルとそのまわりだけでなく、全体的にカップル向け仕様というか、メルヘンチックな空気がただよう。一人で来て黙々と写真撮りまくってる人なんて、ちょっと見かけない。頭の中のBGMは金井夕子の「ジャストフィーリング」。作詞作曲は尾崎亜美。青い空を独り占めだと強がってみても、初秋の海辺をひとり散歩はやはりさびしくて、わざと誘わなかった彼氏のことが気になる、という歌。

レンガを積んだ壁から水が湧き出ていて、カップが置いてある。「恋人の泉」。脇には能書きパネルが。「地下200mから湧き出ている天然水です。この泉を通じて沢山の愛が生まれました。恋を忘れた人が飲めばたちまち恋をし、愛をなくした人が飲めばたちまち愛が始まります。さぁあなたも飲んでみませんか?きっと泉のような愛が限りなくわいてくるでしょう」。ふふんと鼻で笑いつつも、人が見ていない隙に、ささっと飲んでみる。ひんやり冷たい。で?

チャペル前の広場の反対の端の、切り株だったか、適当なところで休んでいると、小さな女の子がじっとこっちを見ている。なかなかかわいい。母親は娘がついてきていると思っているのか、背を向けて歩いていくが、当の娘はちっとも追おうとしていない。撮ってほしいのかな? パシャッ。撮っちゃった。ポーズ作っちゃったりなんかして、まだ撮ってほしそう。こっちも地べたに座り込んで目の高さを合わせて、もういっちょ、パシャッ。う〜ん、いいねぇ。パシャッ。パシャッ。おお、息が合ってきたぞ。

振り返って、意外な事態を目にした母親は、笑ってるし。聞くと、1歳9ヶ月だという。わ、若いっ。こんなふうに撮れました、とカメラの背の液晶に再生した画像を見てもらうと、わーっと驚いて、すごく感心してくれた。親でもこんなにいい瞬間が捉えられたことはないそうで。というか、親が撮ろうとすると、なぜかいつもぷいっと横を向いちゃって、撮らせてくれないのだそうで。プロが撮ると、ぜんぜん違いますね、と言ってくれた。

それなら後で写真を送りましょう、という話になって、メアド、ゲット。ナンパ成功。......じゃないか。どこから来たのか聞くと、テーマパークを挟んでウチと反対のほうだ。そうとう辺鄙なとこらしい。さて、いったん別れたけれど、写真を送ってあげるんだったら、もうちょっとバリエーションがあったほうがよかったかな、なんて思っていると、建物内の大理石の階段のところで、また会った。

ここではかなりの枚数、撮った。表情がくるくる変わるので、面白くて。子供は難しい。シーンを演出しようなんてもくろみで、ああだこうだ要求したってどうにもなるものではなく、鳴くまで待とうの姿勢が大事。じっと待って、ここぞと思う瞬間が来たら、迷わずシャッターを切る。いい表情は一瞬しかないので、ここで躊躇してはいけない。失敗したっていい。撮っても目を離さず、次のチャンスを待つ。調子が出てくると、もう、やめられない止まらない状態に陥る。

結果、ひとつのシーンで同じようなのがいっぱい撮れてるわけで、後からシーンごとにベストなのを1〜2枚ピックアップすればいいわけだ。そのつもりだったのだが、見てみると、表情が多彩で、どれもこれも面白い。見ていて顔がほころんでいく。無関係な人だったら、似たような写真が延々続いては退屈かもしれないけど、親だったら楽しんでくれるに違いない。そう思って、20枚ぐらい送ることにした。

メールに添付できない大サイズのファイルを受け渡すには、ウェブ上で、ファイルをアップロード・ダウンロードできるサービスがいくつかある。「宅ファイル便」がよく知られてるみたいだが、私は250MBいっぺんに送れるFilePostをよく使う。個人情報入力とか要求してこないし。< http://file-post.net/ja/ >

「感激です!」というタイトルで、お礼のメールが来た。「感嘆をもらしながら家族で写真を拝見」、「娘も自分で『かわいいね』と言って大はしゃぎ」、「写真家さんから撮影していただき、我が家にとって忘れられない思い出深い場所になりました」、「プリントして飾り、年賀状などにも大切に使わせていただきます」、などなど。いやいや、こちらこそ感激です。末尾には、家族みんなの名前と住所と電話番号。

田舎だから素朴で無用心、というのとは、ちょっと違うんだな。なんか、人の心をほんわかとさせてくれる、ほんとうの教養というものに触れさせてもらいました、そんな感じ。ああそうか、だから子供ものびのびと育って、表情豊かなんだ。

< http://picasaweb.google.com/Kebayashi/1088# > 撮った写真
(その女の子の写真は、もちろん載せてませんが)

●世間vs.システム

戸籍上は居ることになっているけど実際の所在が分からなくなっている老人の問題、呼称は「非実在老人」でいいのかな? 「シュレディンガーの老人」っていうのもなかなか笑えたけど(分からない人は「シュレディンガーの猫」でググってみてね)。

「週刊SPA!」には、こういう問題が出てくるのは、世の中から「世間」というものが撲滅されてしまったからだ、というようなことが書いてあった。昔は「世間の目」がご近所の動向を常に見張っていて、「あのおじいちゃん、最近見かけないね」って話になれば、なんらかのアクションが起こされたものだという。

うん、まあね、その論そのものには反対しないけど。でも、じゃあ、世間というものがもし復活したら嬉しいかというと、どうも、ちょっとね。昭和前半あたりの小説なんかには、世間という名のばかでかい怪物との絶望的なまでに勝ち目のない戦い、みたいな描写がよく出てきていたような気がする。

凡庸な者たちが、数の力で身を守る。羊の群れ。集団の利益のために個を犠牲にするのがあたりまえ。自由とか多様性とかプライバシーとか、まったく許容せず、お互いに普通であることを強要しあう。基準からちょっとでも外れると異端呼ばわりされて寄ってたかっていじめ抜かれる。悪いうわさが立つとか、後ろ指さされるとか、そういうのを極度に恐れて人々は生きる。何も考えず、慣習を守り、何世代にもわたって同じような生活スタイルを維持しつづけるには、楽な社会形態。私にとってはきっと悪夢のような社会。ヒゲをのばし、二次元の妻と契りを交わし、女のパンツをはき、ぐらいで村八分にあいそう。

いま、世間に取って代わりつつあるのはシステムだろう。人の所在確認のみならず、防犯とか、結婚相手探しとか、不要物の譲り渡しとか、生活上の助け合いとか、店の評判とか、商品の評価とか、人のうわさや陰口とか、以前は世間の役割だったことが、どんどんシステム化していっている。

役所の管理する情報をデータベース化したり、ケアの必要な人の情報を役所が把握して巡回するなどの福祉サービスが法制化されたり、公共の場所を防犯カメラで監視したり、不要物の譲り渡しがネット上のオークションサイトでできるようになったり、婚活の商業サービスがいろいろ出てきたり、店や商品やサービスに関する口コミサイトがあったり、うわさ話や陰口が横行する学校裏サイトなどの掲示板があったり。自分の口座を晒して金を乞う「金くれ」なんてサイトまであり、乞食もネット上でできるようになっている。

社会のシステム化傾向が究極まで推し進められた結果、どんなふうになっているかは、SF作家でなくともある程度想像がつく。森羅万象がすべてデータに反映され、何かあったときには必要な情報がすべて瞬時にして出揃う。なにもかもが監視され記録されている。すべての人がGPS機能つきのケータイを常に持ち歩くことが義務づけられるとか、あるいは、その機能をもった極微小デバイスが、誕生の時点で体内に埋め込まれるとか。

体内にデバイスを埋め込むなら、センサーの機能もつけておけば、死んだときには自動的にその情報がセンターに送られるようにできるから、非実在老人問題は起こりえなくなる。血圧や脈拍や血中成分含有率や特定のウィルスの有無や存在密度などの健康状態の情報も送っておけば、具合の悪くなったとき、呼ばなくても救急車が来る。というか、もっと早い時点で「医者へ行け」とお達しが届く。

治安はめちゃめちゃよくなる。犯罪の突発的な発生そのものは防止できないかもしれないが、ひとたび何かが起きれば、捜査に必要な情報は瞬時に出揃うので、労なくして検挙率100%を達成。それが抑止力となり、実際の犯罪発生は皆無。無賃乗車や信号無視すらできない。

データを分析すれば、誰と誰がどこで何時間一緒にいたか、なんて情報も抽出できるので、人間関係相関図なんてのも構築できる。商品の購買歴やネット上での発言歴などとリンクさせれば、個人の嗜好や思想傾向や生活スタイルなども分かっちゃう。組織の所属歴やイベント参加歴、メールのやりとりなどの通信歴も記録しておけば、テロなどは、企てそうなやつを抽出して、マークしておける。共謀者も一網打尽にできる。

収入支出も筒抜け。膨大な個人履歴を分析して、趣味嗜好や容貌や健康状態や技能や財力や社会的地位や性格などのパラメタを抽出すれば、その組合せにより、最適な結婚相手などは、そうとう精度よく抽出できそうだ。「あーあー、日本のどこかにぃ〜、わたしを待ってる〜人がい〜る〜」と。鉄道で旅して探し回る必要はないのだ。

個人の自由は最大限にまで尊重される。自由意志にしたがって、好きな格好をして、好きなところへ行き、好きなものを見て、好きなものを食べ、好きなトイレで糞をひり、好きなものを読み、好きな音楽を聴き、好きな趣味に没入し、好きな発言をしていい。ただ、社会のルールに違反したときは、ほぼ自動的に捕まり、罪状に応じて事務的に処罰される。安全で便利で自由で公平な社会。

わがままばかり言って申し訳ない。世間によってがんじがらめにされる社会はいやだと言ったが、ここまで極端なシステム化社会も、ちょっとなぁ、と思う。だけど、今の世の中は、そっちへ向かって着々と進んでいっているんだよなぁ。上記のような社会って、みんなは快適だと思うんだろうか。どうも私には、味気ないというか、自分もシステムに組み込まれて機械的に生きてるだけ、みたいな、生の実感がもてない、喜びに欠ける人生を過ごすことになってしまうのではないか、という気がしてならないんだけど。

システムが整備されて、生きていくための精神的基盤がかえって脆弱になっていっちゃう、なんてことはないだろうか。ほんの数百年の間には、村がひとつ全滅するほどの飢饉に見舞われたり、結婚相手が自由に選べなかったり、赤紙が届いて戦争に駆り出されたり、16歳から21歳の女性8人が強姦され殺害されるという凶悪犯罪が起きたり、といった社会を経てきた。

そのころに比べれば、今の社会なんて、理想が実現したと言ってもいいくらいなのに、自由を満喫し、生きる喜びを謳歌する人よりも、不平不満だらけの人や、ストレスを溜め込んで参りかけてる人や、何かに依存しきっている人や、特に理由がなくてもなんだかつらそうな人や、「リア充爆発しろ」とか言っている人(あ、俺か)が多い気がする。自殺する人の割合は、過去になく高いのではなかろうか。

太宰治だったっけか、大金持ちで何不自由なく暮らしている人は、悩みなどないのではないかと思って聞いてみた、ってなことが書いてなかったっけ? そしたら、誕生石がダサいっていうのが、その人にとっての深刻な悩みだった、と。人は幸せを実感できない生き物なのか。

このままいくと、みんなゾンビみたくなっちまうぞ。どこかの時点で気がついて引き返すのだろうか。なら、ここらへんにとどまっていて、みんなが引き返してくるのを待ってたほうが、時代の先端をいっていることになったりしないだろうか。10年後には、誰もケータイなんか使ってなかったりして。本はやはり紙で読みたいし。子供は表情豊かなのがいい。

●その他もろもろの出来事

7月24日(土)は池袋の乙女喫茶 "Cougar" でてんちょさんのアメフラシさんが主催するコスプレパーティに参加。私は、セーラー服。ヒゲで三つ編み、自分で編めるようになったし、デザフェスのときに出た要望を取り入れて、ローファに三つ折ソックス。好評だった。アメフラシさんとは、'05年4月22日(金)に秋葉原のメイド居酒屋「ひよこ家」でたまたま隣り合わせて知り合ったのだった。その年の6月11日(土)にはサバゲを経験させてもらっている。

7月31日(土)は大多喜のハーブアイランドへ。ロケ地情報は伏せておきたいところだけど、すごくよかったので、たまには気前よく。スタッフが気軽に話しかけてきてくれるし、こちらから質問するとていねいに対応してくれて気持ちがいい。園内にチャペルがあり、ヨーロッパ風のホテル「ノルマンディー」がある。頼んだら、スイートルームを開けて見せてくれた。レストランのシェフはフランスで修行し、神楽坂にいたこともあるという。けど、手の空いたときは、ガーデンに出て、植木鉢を運ぶのを手伝ったりしている。いい人だ。メニューからやや高めのDセット(1,980円)とハーブティー(500円)を注文。うん、すばらしい。
< http://picasaweb.google.com/Kebayashi/100731# > 撮ってきた写真

その日の夜は、中野でオタク仲間のパーティ。セーラー服を着る。夜中過ぎからは、上の階のTwoFaceへ。朝5時まで。途中、寝落ちしてたよ。かわいい女性が何人かいたというのに。ごめん。

8月10日(火)は、ロケハン。列車で2時間ほどのところにあるヨーロッパ風のテーマパーク。結婚式の挙げられるチャペルやバラ園がある。
< http://picasaweb.google.com/Kebayashi/10810# > 撮った写真

帰りがけに立ち寄った高田馬場の漫画喫茶で寝落ちして気がついたら朝。帰らずそのままロケハンに。列車で3時間ほどのところにある、ヨーロッパ風のテーマパーク。チャペルはないが、屋外で教会式の結婚式が挙げられる。
< http://picasaweb.google.com/Kebayashi/10811# > 撮った写真

夜、中野で、イタリアから来たBiancaさんと会う。お友達のGraziaさんとは初めてお会いする。カラオケスナックへ。AnimeLyrics.comっていうサイトがあるんだね。アニソンの歌詞がローマ字で提供されているという超便利なサイト。どっさりとプリントアウトして持ってきている。「最遊記」の主題歌などを見事に歌い上げ、他のお客さんたちからも拍手喝采浴びていた。

8月15日(日)は、イタリアから来たBarbaraさんと池袋のアニメイトの前で待ち合わせ、乙女喫茶を2つハシゴ。"CAFE801" と"Cougar"。Barbaraさんは、イモヅル式にイタリア人の友達が増えていくきっかけになった最初のひとり。'03年8月3日(日)に、原宿の「橋」でコスしているところを声をかけて撮らせてもらったのが始まり。

'06年4月、Brescia(ブレーシア)で開かれた日伊文化交流イベントのスタッフをしていて、私もそれに呼んでもらえた。人生初の写真展示がこのとき。今回会うのは、そのとき以来で、お世話になった母上と一緒に日本に来た。ポルチーニ茸を持ってきてくれた。Bresciaのレストランで一緒にカルツォーネを食べたときに、酒井順子の「負け犬の遠吠え」のことを話題にし、オタクと負け犬とで話が合わない例として、30代独身女性のイタリア料理の話題、例えばポルチーニ茸のことなどにオタクが乗れないと書いてあったと言ったらウケて、今回も土産に持ってきてくれたというわけだ。

うん、例年のことながら、あわただしい夏だった。

【GrowHair】GrowHair@yahoo.co.jp

伝説のカメコ。......ってわけじゃないけど。ネットのある板の住人の間では、最前線君に次ぐ二番手ぐらいなのかな。コミケのコスプレ広場で寝っ転がって撮ってる俺の写真、またぞろ2ちゃんのまとめサイトにアゲられた。「戦場のカメラマン『最前線君』の生存確認!!」というスレ。俺のAA(アスキーアート)まで作ってくれてるし。仕事仲間2人に偶然見つけられちゃったよ。いつか最前線君と会えたら2ショ撮られたいなぁ。