Otaku ワールドへようこそ![132]言葉の供養と神秘主義と統計力学/GrowHair

投稿:  著者:  読了時間:17分(本文:約8,400文字)


デジクリに書いていると、たまってくるものがある。それは何か。答え=ぜったいに書けない裏話。そりゃあ、ありますとも。いろいろね。あの話の後日談が実はひどいことになってるよ、とか、持ち上げて書いてやったのにキサマ本当はそういうやつだったのか、とか、書いてもし会社にバレたらNDA※ 違反でクビだ、とか、一時期うまくいってた恋だって破綻するときゃしますわな、とか、水面下で進めているプロジェクトなので時期が来たら公開します、とか、みなさんプライベートな領域ではのっぴきならぬことが起きてますなぁ、とか、自分の失敗談なんで恥をしのんで白状するぐらいはいいんだけど、言ったら他の人にもご迷惑が及びますわなぁ、とか。
※ NDA: Non-Disclosure Agreement. 会社間で交わす機密保持契約。

読者諸兄におかれましては、そういうのこそ読みたいという向きもおられるかもしれない。「本当は怖いデジタルクリエイターズ」とか「デジタルクリエイターズの真相」とか。その路線なら、ネタはいっぱいあります、はい。「王様の耳はロバの耳」じゃないけど、しゃべりたくてうずうずしてるとこでもあります。けど、無理無理無理無理。こちとら平和で円満に維持しなきゃなんない人間関係ってもんがありますゆえ。アブナい人かと思われたりすると困るんであります。

で、今回は、裏話ではないけれど、ちょっと書きづらい話。書いちゃうことによって大サービスしようとしているのか、底意地の悪さを発露しようとしているのか、自分でもなんとも言えないのだけれど。ちょっと黒いかも。



●人はなぜ書くか

特に、ギャラの出ないデジクリに、なぜライターさんたちは文句も言わず(というか、不満ならいつ降りちゃったって構わないんだけどね)、せっせと書き続けるのか、疑問じゃありませんか? 当方の極秘調査によると、多くのライターさんたちにとって、書く動機の大きな部分を占めているのは、後記でハマムーさんにツッコミを入れてもらうのが楽しみで、ってことみたい。あー、いやー、そのー、私に関しても、まあまあまあまあ否定はしませんがね。

けど、私の場合、書く動機はもうひとつあって、普通に暮らしてると、自分の中に言葉が溜まってきちゃって、時折吐き出さないと言葉の大爆発が起きそうだから、っていうのがあります。大学時代、「根暗」という言葉が流行ったことがあり、そのとき私はまわりからその典型例のように目されてたようなところがあります。無口だからなんでしょうね、きっと。

あ、なんとなく「です・ます」調で書いてますけど、この辺で「である」調に切り替える。

どうも私は、人よりもCPUのクロック周波数が遅いのか、自然でスムーズな対話がうまくできないところがある。人が話しているのを聞いていると、その内容から刺激を受けて、頭の中に思い浮かぶことはあるのだけれど、果たしてそれは、皆様の貴重なお時間を拝借してまで発表するほどの価値のあることなのだろうか、と検討しているうちに、タイミングを逸して、気がつくとすでに別の話題に移っていたりする。

よくよく検討した結果、やはりこれは発表してみても面白いんじゃなかろうかという結論に自分の中で至ったとしても、「あのさぁ、35分前の話題に戻るんだけどさぁ」などと切り出すことを考えると、スムーズな会話の流れを阻害してまで言い出そうとしているその内容はよっぽど重要なんだろうなぁ、と変な注目を集めてしまいそうで、その時点で「発表する価値」のしきい値が上がっているのである。結局クリアできず、引っ込めて終わることになる。

そのような言葉の数々は成仏できずに冥界をさまようことになるので、線香を上げ、経を読み、丁重に弔ってやる必要がある。その場がデジクリというわけである。言葉の葬式。

●ところで、日本人の会話形態って変わった?

ロダンの彫刻のように逡巡した末に、意を決して英会話のNovaの扉を叩いたのは、'95年ごろだったであろうか。ロビーのテーブルを挟んでおねいさんから説明を聞いている間、脇の教室では授業が進行している。NovaにはVoice Roomというシステムがあり、生徒たちがネイティブの先生を交えて自由に会話ができる場である。Voice Roomからはぽつりぽつりと声が聞こえてくるので、中にいるのは3人ぐらいかと思っていた。

ところが、チャイムが鳴って休み時間になると、ぞろぞろぞろぞろと30人ぐらい出てきた(多分に感覚的であり、実際には20人であったかもしれない)。大勢の日本人の前で英語を発する勇気のある者などほとんどおらず、無言のうちにもテレパシーで「お前しゃべれよ」「いやいやそういうお前が」とメッセージを飛ばしあい、結局、気まずい沈黙の時間に耐えられなくなった人がぼそっと何かを言う、というシステムであった。

ところが、Novaも人知れず財政状態が行き詰ってきていたころには、ムードが一変していた。まあ、'70年代のデパートにおけるバーゲンセールの洋服をうずたかく積んだワゴンの周囲に群がるご婦人方の様相にたとえてみても、分かる人は少ないか。つまり、場の奪い合いなのである。たとえるほどのことでもないか。

とにかく、その場にいる人の中で一番英語のできない人が一番強くて、人が何をしゃべっていようと割り込んできて、とにかく "Do you know" と言っちゃう。そうやって場の支配権を略奪しておいてから、目的語を言って疑問文を完結させようとするのだが、その英単語を知らないもんだから、日本語で言っちゃったりして、先生には通じない。結局、身振り手振りなどを総動員してなんとか通じさせるのに残りの30分を費やされちゃうのである。

概して、みんな自分の実力で表現できること以上のことを言いたがる。ギトギトと脂ぎった中年のおっさんは、「愛と憎しみはコインの表裏みたいに、一体のものである。愛の反対は無関心である」と言おうとして、どうしても伝えることができず、チャイムが鳴って先生が出て行くと、「こういう感情の機微は外人には理解不能なんだよな」とのたまった。めまぐるしい会話のテンポに、英検1級、TOEIC970点の私は、まったくついていくことができなくなっていた。

●成仏してくれ宝くじ

前置きが長くなったが、そんなシャイな私が、かねがね成仏させたいと願っていた話題のひとつに宝くじがある。ジャンボな夢を買うことのできる、たいへん結構なシステムである。その運営形態にはなんら問題があるわけでもなく、購買者はその仕組みを理解し納得した上で買うわけだから、はずれて損したからといって、苦情を申し立てるわけでもなく、平和に運用されている。また、のめりこみすぎて身上つぶすわけでなく、生活上のちょっとしたアクセントとして、健全に利用されている。

なので、私から申し上げることは特に何もないのである。そういうわけで、この話題になると、仏のような笑みを浮かべて、黙って聞いている。で、たまるんだなぁ、そういうときに。我が内側に言葉が。では、今からしめやかに葬式を執り行いたいと思います。

内部に蓄積されたもやもやを一言で要約するならば「無邪気にサンタクロースを信じている人に、ほんとうはいないんだよ、と教えてあげるのは、余計なお世話というもんだよなぁ」である。

そりゃ、お金は、欲しい。で、得るための基本的な形態は、働くことである。モノやサービスを売ることによって、顧客から代金を支払われる。あるいは、モノの生産やシステムの運用などにおいて労働力を提供することによって、雇用主から賃金を支払われる。まじめにこつこつ働いていると、これがけっこうな額となり、あっという間に田園調布に家が建つ。......ということはなく、その額はよくすずめの涙にたとえられる。たまにはダチョウの涙ぐらい、見てみたいもんだ。私も思う。

宝くじに当たったら、いいだろうね。地道な労働からは得られないような高額のお金が、労働なしに手に入るんだから。このロジックに何ら誤りはないように見えるのだが。私も実は本質がよく分かってないのかもしれないけれど、キーは、「お金が潤沢にあること」と「幸せになること」がまったくイコールではない、ってあたりにあるのかな? 私も、宝くじにおけるサンタクロースの不在については、自力で気づくことができず、人から指摘されてあっと思ったクチなので、大きなことは言えない。

どうも、宝くじに当たったけど幸せになってない、という実例がやけに多いのである。お寿司屋さん。たんなるお客さん以上の親近感をもって接していたなじみ客の足が遠のき、結局自殺してしまった。他の例では、親しいと思っていた友人から、いきなり訴訟を起こされたりとか。建てた家が、直しても直しても、何者かによって破壊され続けるとか。暴飲暴食がたたって、結局寿命を大幅に縮めて終わったとか。当たった代償として、人間のもつイヤな側面を見ちゃう、ってことなのかな。

宝くじにあたったら、アレやコレが買えて、あんなところに行って、そんなこともできちゃう、とバラ色の想像が広がる人は多いようだけど、もっと現実に即したシミュレーションとして、こんな不幸に襲いかかられるだろうなぁ、という方面に想像が及ぶ人は少ない模様である。私もその一人だった。15年ほど前だけど、指摘してくれた人は、宝くじに当たることは「ラッキーなできごと」の範疇に入ってないよ、占いの世界では常識なんだけどなぁ、と言う。え? そうだったの?

で、ここからは自力で考えたのだけれど、宝くじに当たったにもかかわらず、ちゃんと幸せになる方法がひとつだけある。同じことに思い至った人は他にもいるようで、実践する人もいると聞く。信頼できる慈善団体に、全額寄付しちゃうのである。

●神秘主義は統計力学みたいなもの

説明するのが難しいのだが、神秘主義と科学的な態度とは、まったく相容れないものかといえば、そうでもないのではなかろうか、と私は考えている。

昔から、「月にはウサギがいて餅をついている」とか「雷サンにヘソを取られる」とか「嘘をつくと閻魔様に舌を引っこ抜かれる」とか「夜に口笛を吹くと蛇が出る」とか「悪いことが起きる前に虫の知らせがあった」とか「ミミズにおしっこをかけるとチンチンが腫れる」なんてことが言われてきた。

科学的な視点からみると、根拠のない迷信であり、まじめに受け取る必要はない、と考えるのは、一面においては正しい。私もいちおう、修士課程を修了するまで数学を専攻していたので、科学的な態度について、ある一定の理解はあるつもりである。しかし、それでも私は上記のような伝承知を完全に否定するのではなく、統計力学みたいなもんだという比喩をもって受け入れている。

どういうことか。たとえば、我々のまわりには空気が取り巻いている。空気は窒素分子や酸素分子などで構成されている。それらがてんでんばらばらの向きに飛んでいる。速いやつもいれば、遅いやつもいる。それらは、そこいらじゅうでしょっちゅう衝突している。衝突すれば、運動量保存則とエネルギー保存則にしたがって、跳ね返り、次の向きと速度とを得て進む。

だから、我々のまわりの空気の状態を完全に把握しようと思うならば、ある時刻において、一個一個の分子について、No.1はどの位置にあってどの速度で飛んでいて、No.2はどの位置にあってどの速度で飛んでいて、......というのをすべて書きくだすしかない。さらに、時間の経過とともに、どれとどれがどこで衝突して、それぞれどの速度を得たかを追っていくしかない。それは無理な話である。ちゃんと計算したわけではないけれど、ほんの近辺だけでも、20桁ぐらいの個数の分子が飛んでいると思う。

では、空気の状態はまったく知ることができないのかといえば、そうでもなく、個々の分子の運動の総和として、全体的にどうなっているという、統計量なら把握できるのである。温度や気圧や風向きや風速という形で。個々の分子の運動がすべて分かっていなければ、それらの総和をとるという計算だってできない道理だが、温度や気圧や風向きや風速は、別の手段を使って、間接的に測定することができるのである。

つまり、個別の分子が正確に運動力学にしたがって運動しているとしても、その挙動をすべて把握することはできない、それでいながら、その全体像は統計力学という形で把握することが可能なのである。神秘主義の言語は、統計力学にたとえることのできる、マクロ言語のようなものなのではないかと思う。ものごとの進行は、ミクロレベルでは神秘でも何でもなく、物理法則に正確にしたがっている。しかし、我々には個別にすべてを把握することは不可能である。一方、マクロレベルでは、個別の事象の総体としてあたかも温度や圧力のように感じ取ることはできる。その「感じ」を言葉で記述すると「虫の知らせがあった」のような迷信っぽい言い方にどうしたってならざるを得ないのではないか。

ところで、話は逸れるが、気体については、私にとって神秘にしか見えない点がもうひとつある。科学をかじった者としてこれを言うのは恥ずかしいのだが、気体がなぜ落ちてこないのか、よく理解できていないのだ。一個の分子が、次に衝突するまでに孤独な飛行を続けている間、等速直線運動をしているかといえば、そうではなく、地球の重力に引っ張られて放物線運動をしている。ガリレオがピサの斜塔で明らかにしたように、重い軽いによらず、等しい加速度を得て、自由落下していく。鉄の球も窒素分子も同じなのだ。

孤独な飛行時間は非常に短く、すぐに誰かと衝突するのだから、その間の軌跡は直線とそんなに変わらない、ということは言えるのかもしれないけれど、だからといって、重力の影響が消えてなくなるわけではない。膨大な個数の分子の集まりをマクロ的にみたとしても、全体の重心位置は、重力加速度にしたがって落下していくしかなく、内部で衝突が起きていようといまいと全体的には鉄球と同様に自由落下いくしかないのではあるまいか。大量のパチンコ球を分子に見立て、頑丈な部屋の中でそれぞれに初速を与え、気体と同様の状態を作り出せ、と言われても、可能なような感じがしない。

話はさらに逸れるが、もうひとつ、別の意味で神秘的なのが、ハードディスクだ。ぶんぶん回転するディスクの上空に磁気ヘッドを差し出して、情報を読み書きするのだが、この円盤とヘッドの距離は、わずか10[ナノメートル]に保たれている。この距離は、1[ミリメートル]の10万分の1である。磁気ヘッドは、それを支える柄によって、ディスクに押し付ける力が加えられるが、一方、ヘッドには翼が生えていて、浮き上がろうとする力がかかるので、バランスが保たれ、決して着陸することはない。相似に拡大すると、ジャンボジェットが地上 0.8[ミリメートル]の高さを超低空飛行している状態に相当する。ディスクに記録されている0と1の羅列を、1秒間に10億個読み出すことができる。ハードディスクよ、おまえは化け物か?!

●人間関係にも応用が利く

さて、話を元に戻して、宝くじに当たったら全額寄付しちゃうとなぜ幸せになれるのか、説明したい。これは、上述のマクロ理論の人間関係への応用展開ということになる。

人は、他の人に対して、さまざまの感情をいだく。親近感とか疎外感とか共感とか反感とか信頼感とか警戒とか尊敬とか侮蔑とか。相反する感情がアンビバレントにはたらくのも普通のことである。好きとか嫌いといった感情は、「なぜ?」と問われても、「これこれが原因で」とちゃんと因果関係を説明づけられることは少ないように思う。「運命の出会い」などといえば、なんだか神秘的な力が作用したようにも感じられる。

しかし、こういうのは、やはり統計力学のように、マクロな記述言語として捉えうるのではあるまいか。ミクロのレベルでは、人は、他の人のちょっとした仕草とか言葉の端々から、ちょっとした印象を抱く。そのこと自体は、神秘でも何でもなく、分子レベルの運動力学の法則のような、脳内の下位レベルの刺激と反応の法則にしたがって、微視的な電磁誘導が起きているだけなのかもしれない。しかも、その微弱反応は、本人にとっても個別に意識できることではないのであろう。

そういうミクロレベルの印象の総体として、「私、この人、好きかも」とか「なんか、気を許せない感じがする」といった、マクロな印象が形成されるのではあるまいか。

大勢の人の集まりからなるひとつの社会の中における人間関係の全体的な相関図なんていうのは、もう神秘みたいなもんである。Aさんにとって、BさんがCさんにどんな感情を抱くかなんてことは、コントロール不可能である。自分では、把握したりコントロールしたりすることはできなくても、ミクロレベルでは、人間関係も自然なメカニズムにしたがって形成されていくように思う。

「多くの人から、この人、幸せになって欲しいな、と願われている人は、実際に幸せになっていく」といえば、神秘的な響きがあるかもしれない。けれど、意識にのぼらないミクロレベルでは、自然なメカニズムがはたらいて、実際には神秘でもなんでもなく、そういうことが起きていくのだと思う。

宝くじの当選額をすべて寄付しちゃうと、施しを受けた大勢の人から、「どこの誰だか分からないけれど、その寛大なお方には幸せになってほしい」と願うであろう。どこの誰だか分からないのだから、その思いが直接届けられることはなく、それがいつか通じるものだと信じるのは、科学的根拠を欠いた神秘主義的信仰の領域のようにもみえる。

しかし、説明をつけちゃえばあたりまえすぎて拍子抜けしそうなほどのミクロレベルの人間関係の作用の総和として、まるで、見知らぬ他人への思いが届いたかのように見えてしまう現象が起きたりすることは、あってもおかしくないような気がする。

それと、もうひとつ。もしあなたが、ある日あるとき、重い病に罹患していることが発見され、このままだと早晩死ぬかもしれないということになったとしよう。そのときは、有り金を全部はたいてもいいから、延命させてくれ、と願うのではなかろうか。それを逆にして、お金をもらう代償として大喜びで命を縮めちゃうというのは、たいへん馬鹿馬鹿しいことのように感じられるのではなかろうか。宝くじに当たるというのは、結果的にそういうことなんだと思う。

ごめん、やっぱり黙って溜め込んでおいたほうがよかったかな? チーン。

●お知らせ:浅草橋「パラボリカ・ビス」にて人形展が開催中

浅草橋「パラボリカ・ビス」にて人形展「錬金術の夢想世界」開催中。雑誌『夜想』のベルメール特集号とシンクロした企画展。

'05年4月のドールショウで林美登利さんと出会ったのが、私が人形を撮り始めるきっかけだったことは、前回書いた。美登利さんは、当時、ほぼ無名の人形作家さんだったが、以来、登竜門を駆け上がっていった。今回のパラボリカ・ビスの展示は、人形界のビッグネームな作家さんたちが名を連ねる中で、出品している。本人は「ドキドキだ」と言っているけれど、ついにトップ集団の仲間入りを果たしましたか、って感じ。2月6日(日)にはスペシャルイベントとしてトークショウが開かれるが、美登利さんも出ることになっている。やっぱり本人「ドキドキだ」と言ってるけど。やー、すごいね。

人形展「錬金術の夢想世界」
会期:2011年1月14日(金)〜2月7日(月)
人形:林美登利、池田祐美、三浦悦子、木村龍、緋衣汝香優理、伽井丹彌、清水真理、山吉由利子、マンタム、みつばち@BabyBee × HIROKO
写真:田中流
< http://www.yaso-peyotl.com/ >

【GrowHair】GrowHair@yahoo.co.jp

カメコ。年末から年始にかけて、ひどい風邪をひいていた。「目が回る」という表現があるが、文字通り目が回るのだと知る。自分の両目が同じ向きにぐりぐりと回っている感触がある。寝て見上げている自分の部屋は、ポルターガイストのごとく、ぐるんぐるん回っている。き、気持ち悪りいっ! ついにウィルスが脳内にまで侵入してきたか。救急車を呼んだほうがいいレベルなんだろうか、とも思ったが、その前にピンクのフリフリヒラヒラのパジャマを着ているのを、なんとかしてからにしなくては、と思いなおす。バレエグッズのコッペリアから通販で買った、お気に入りのやつだ。そうこうするうちに意識が遠のいた。気がついたらこっちの世界に戻って来れてたけど、もし戻れなかったら......。棺に入るときは、白ワンピがいいかなぁ。