[3247] あらゆるジャンルをカバーした小説家

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《社内ひきこもりな私》

■映画と夜と音楽と...[541]
 あらゆるジャンルをカバーした小説家
 十河 進

■Otaku ワールドへようこそ![151]
 間の悪い日々
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■映画と夜と音楽と...[541]
あらゆるジャンルをカバーした小説家

十河 進
< http://bn.dgcr.com/archives/20120413140200.html >
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〈ひとりぼっちの青春/銀座旋風児/秋津温泉/赤い殺意/果しなき欲望/泥だらけの純情/ある殺し屋/ある殺し屋の鍵/地平線がぎらぎらっ/花と嵐とギャング/恋と太陽とギャング/恐喝こそわが人生/馬鹿まるだし/喜劇 女生きてますシリーズ/拳銃(コルト)は俺のパスポート〉

●その日、日本冒険小説協会の解散宣言が行われた

3月24日の土曜日、熱海で日本冒険小説協会第30回全国大会が開かれ、2年ぶりに参加してきた。5年前、25回大会で特別賞をいただき、それ以来、ずっと参加していたのだが、昨年は義父の逝去が重なりドタキャンしてしまったのだ。今回は昨年末に内藤陳会長が亡くなり、協会そのものがどうなるのかと気にしながらの参加だった。

受付をして客室に入ると、かわなかのぶひろさんがソファで缶ビールを飲んでいた。挨拶をしてしばらく客室で過ごし、一時間ほどした頃に「大会が始まる」とアナウンスがあった。大広間に入ると中央前列に作家の方々の顔が見えた。大沢在昌さん、桐生祐狩さん、平山夢明さん、西村健さんなどだった。大沢さんに「ソゴーさん、こっち」と声を掛けられた。

大沢さんとは昨年9月の「内藤陳会長聖誕祭+日本冒険小説協会30周年パーティ」と今年2月4日の「内藤陳会長帰天祭」でお会いしており、気さくに声を掛けていただいた。そうは言ってもその列に並ぶのはおこがましいので末席を探したが、結局、年間5冊も新刊を出し続けている福田和代さんの隣の席に腰をおろすことになった。

僕が座布団に坐ると、福田さんに「ソゴーさん、最近、どうですか?」と声を掛けられた。「そうですね。特に変わりは...」と答えた後、「今月出た香納諒一さんの文庫『梟の拳』に解説を書かせてもらいました。凄いですよ。盲目の元ボクサーが一人称で語るハードボイルドですから」と、何となく宣伝めいたことを口にした。

大会が始まり、順番は忘れてしまったが、その日、日本冒険小説協会の解散宣言が行われた。理由は、永世会長だった陳さんが亡くなったこと、ちょうど30年の活動で区切りがついたこと、冒険小説が日本のエンターテインメントとして定着したことなどである。解散宣言をしたのは、西村健さんと事務局長のKさんだった。

西村健さんは昨年末に出版した「地の底のヤマ」で、ひと月ほど前に吉川英治文学新人賞を受賞しており、その選考委員のひとりが大沢在昌さんだった。そして、その日発表になった冒険小説協会の第30回日本軍大賞は、大沢在昌さんの「新宿鮫X 絆回廊」と西村健さんの「地の底のヤマ」の二作だった。同時受賞は初めてのことである。

その大沢さんの受賞挨拶がとてもよくて、浴衣姿の西村健さんが後ろで泣きそうな顔をしていた。その夜、大沢さんは作家挨拶でもう一度壇上に立ち、さらに最後の閉会の挨拶も指名されたので、三度、挨拶をした。大沢さんは声がよく通り、挨拶にメリハリがあって本当に上手だ。聴き惚れる。冒険小説協会の思い出、陳さんとのエピソードなどを披露し、会場をしんみりさせた。

そんな挨拶の中で大沢さんが昔、「バビロンを夢見て」を書いたリチャード・ブローディガンと話したエピソードが紹介された。ブローディガンに「どんなものを書いてる?」と訊かれ、大沢さんが「ハードボイルド」と答えると、ブローディガンは「俺がハードボイルドだと思うのは、ホレス・マッコイの『彼らは廃馬を撃つ』だけだ」と答えたというのである。その直後...

──ソゴーさん、あれはマラソンダンスの話ですよね。

壇上でマイクを持った大沢さんに、いきなり振られてしまったのである。僕は咄嗟に「そうです。『ひとりぼっちの青春』です」と、大声で答えた。答えたはいいが、それで答えになっていたのだろうか、とすぐに思い返した。少なくとも「映画化され、『ひとりぼっちの青春』という邦題で公開されました」と言うべきだった。しかし、大沢さんは映画や小説なら「ソゴーに訊け」と思っているようだった。

大会が終わり、本部の部屋で二次会が始まり、その夜はかわなかのぶひろさんが編集した内藤陳さんの思い出の映像作品が流された。大沢さんは座敷でくつろぎ、ほとんどかぶりつきで見ていた。昔懐かしい映像には、20代の若き大沢さんも映っている。かわなかさんは、BGMに小林旭の「銀座旋風児(マイトガイ)」「ダイナマイトが百五十屯」「女を忘れろ」などを使っていた。

「旋風児」と書いて「マイトガイ」とルビを振る感覚はキライじゃないけれど、今じゃわからないだろうなあと思いながら僕は聴いていた。「ダイスころがせ...」と小林旭が歌い始めたとき、再び大沢さんに「ソゴーさん、『銀座旋風児』の原作は藤原審爾さんだよね」と振られた。うん? どうだったっけ、と思ったのは一瞬で、すぐに「そうですね」と僕は答えていた。いい加減だなあ...、まったく。

実は、確信はなかったのだ。小林旭の新人時代の出世作「女を忘れろ」(1959年)の原作は間違いなく藤原審爾だったが、「銀座旋風児」(1959〜63年)シリーズが藤原審爾原作だったかどうかはあやふやである。小林旭の日活最後の「女の警察」シリーズ(1969〜70年)の原作者は梶山季之で、藤原審爾が書いたのは「新宿警察」シリーズだったな、と余計なことは浮かんできたのではあるけれど...

●「秋津温泉」という美しい恋愛小説を書いた作家

僕が最も愛する日本映画は、ずっと変わらず「秋津温泉」(1962年)である。「秋津温泉」に主演した岡田茉莉子が素晴らしく、2年ほど前に出た3000円近い自伝「女優 岡田茉莉子」も迷わずに買った。その単行本のカバーに使われていたのは、もちろん「秋津温泉」の新子の横顔だった。「秋津温泉」は、藤原審爾の純文学系の代表作である。昔は集英社文庫で入手できたのだが、最近は見かけない。

僕は藤原審爾を「秋津温泉」で知ったから、ずっと純文学の作家だと思っていたが、あるとき今村昌平監督の「赤い殺意」(1964年)の原作が藤原審爾だと知り、少し意外に思ったことがある。今村昌平は、初期作品「果しなき欲望」(1958年)でも藤原審爾の小説を使っている。

以前から、藤原審爾原作の映画化作品を調べようとは思っていた。「秋津温泉」という美しい恋愛小説を書く作家が、一方で強盗に犯された人妻が女として目覚めていく「赤い殺意」のような話や、男女数人が欲に絡んで宝探しをする「果しなき欲望」のような話を書いていることが、僕にはしっくりこなかったからだ。

吉永小百合と浜田光夫が主演した日活映画「泥だらけの純情」(1963年)は、深窓の令嬢とチンピラの純愛を描き、14年後に山口百恵と三浦友和で再映画化(1977年)されるほどだったが、あれも原作は藤原審爾である。そうなると、ますます藤原審爾という作家の実像がわからなくなってくる。要するに、何でも書いた作家なのだろうか?

最近はあまり見かけないが、藤真利子という女優がいる。テレビ版「飢餓海峡」(1978年)の娼婦役(映画版で左幸子が演じた役)で注目され、その後、演技派と言われるようになった。「飢餓海峡」は、いわゆる「体当たり演技」だった。企画が今村昌平で、監督したのは粘るので有名な浦山桐郎と恩地日出男だ。半端な演技ではオーケーは出ない。

藤真利子がテレビに新人女優として出始めた頃、必ず「藤原審爾の娘...」という接頭語が付いた。そう言っては悪いが、容姿も目を惹く方ではない。ポーラテレビ小説「文子とはつ」(1977年〜78年)で僕は初めて彼女を見たのだが、文子役の香野由里子は美人女優、はつ役の藤真利子は個性派という扱いだった。このドラマでは、新人・浅野温子の視線の強さが印象に残ったことを僕は憶えている。

一度だけ、藤真利子さんの普段の表情と話し声を聞いたことがある。30年近く前のことだ。僕はカメラ雑誌編集部にいて、毎号、体験取材をしていた。そのときは、スタジオマンの体験レポートだった。僕が体験する様子を撮影するのが、コンビを組んでいたカトーカメラマンだった。そのカトーカメラマンが彼女と知り合いだったのである。

麻布にあった撮影スタジオで、僕は2日間にわたってスタジオマンを体験した。初日はデパートの家具のカタログ撮影で、重い家具を運ばされてクタクタになった。翌日は週刊誌の表紙撮影で、写真家は一色一成さんだった。モデルは藤吉久美子さんである。藤吉さんはスタジオマンであるはずの僕を、別のカメラマンが撮影しているのを不思議そうに見つめていた。

藤真利子さんを見かけたのは、その撮影スタジオのロビーだった。彼女がカトーカメラマンに気付いて、「あらっ」と声を掛けてきたのだ。大河ドラマ「徳川家康」で濃姫を演じていた頃で、人気も知名度もあった。20代後半の若さである。カトーくんと気さくに話す彼女を見て、「個性派女優」と言った己を恥じた。女優としての自信が彼女を輝かせていた。しかし、僕はまったく別のことを考えていた。

──藤原審爾さんて、どんな風に小説を書くのだろう。聞いてみたいな。

●「銀座旋風児」の原作者は藤原審爾ではなかった

熱海から帰った後、気になっていた「銀座旋風児」の原作者を調べた。僕は、もしかしたら菊村到かもしれないと思っていたのだ。菊村到も純文学畑からスタートし芥川賞を受賞したが、後にエンターテインメント系の作品を量産した。そんなところから、藤原審爾と似ている気がしたのかもしれない。石原裕次郎がパイロットを演じた航空サスペンス「紅の翼」(1958年)は菊村到の原作であり、原作者もカメオ出演している。

菊村到は1925年生まれ、藤原審爾は1921年生まれであり、どちらも戦争中に青春を送った世代だ。藤原審爾は戦後、同人誌をやりながら文学修行を積むが、やがて結核に冒される。「秋津温泉」の主人公には、自身の姿が色濃く反映されているのだろう。安酒を飲み、結核を再発して血を吐き「おめおめと...、また、秋津か」と、自嘲的につぶやく姿に無頼派の面影が重なった。

さて、案の定「銀座旋風児」の原作者は藤原審爾ではなかった。ごめんなさい、大沢さん、と僕は心中深く詫びた。「銀座旋風児」の原作は、川内康範だった。僕らの世代なら「月光仮面」の人であり、全国的に知られているのは「おふくろさん」の人である。森進一とのトラブルによって、晩年の姿をテレビでさらしたから年寄りのイメージがあったが、生まれは藤原審爾と近い1920年だった。

失敗したなあ、と思いながら、改めて藤原審爾原作の映画化作品を調べてみると、驚いたことに相当数あり、「えっ、これも...、あれも...」と僕自身が好きな映画がいろいろと出てきたのだ。市川雷蔵が現代の殺し屋を演じた「ある殺し屋」「ある殺し屋の鍵」(1967年)も藤原審爾の原作だ。畳針を首筋の盆の窪に刺して殺すテクニックは、この映画が最初だと思う。

しかし、新東宝の怪作「地平線がぎらぎらっ」(1961年)が藤原審爾原作とは知らなかったし、新東宝から東映に移籍した石井輝男が高倉健や鶴田浩二を使って作った快作「花と嵐とギャング」(1961年)「恋と太陽とギャング」(1962年)の原作もそうだと知り嬉しくなった。深作欣二は「恐喝こそわが人生」(1968年)を映画化していた。

その他にも、ハナ肇主演の「馬鹿まるだし」(1964年)は山田洋次監督だし、「喜劇 女は男のふるさとヨ」(1971年)は森崎東と山田洋次が脚本を書き森崎東が監督をしている。森崎東は「喜劇 女生きてます」(1971年)「喜劇 女売り出します」(1972年)「女生きてます 盛り場渡り鳥」(1972年)と、藤原審爾の小説をベースに底辺に生きる女たちのたくましさを描いた。

そうかと思えば、藤原審爾はヤクザ小説にも手を染めていて、「昭和おんな仁義」(1969年)「新兄弟仁義」(1970年)「日本やくざ伝 総長への道」(1971年)「昭和おんな博徒」(1972年)といった作品に原作を提供している。大人の恋愛もの、純愛あふれる青春もの、犯罪もの、殺し屋が主役のアクションもの、警察もの、ヤクザもの...、これだけ様々なジャンルを書ける小説家って、一体......。

●邦画ナンバーワンの狙撃映画と評価する作品も...

藤原審爾原作のリストに日活映画「拳銃(コルト)は俺のパスポート」(1967年)を見付けたときは、思わず頬がゆるんだ。僕が邦画ナンバーワンの狙撃映画と評価する作品である。45年前、これほどクールなハードボイルド・タッチの殺し屋映画が登場したことに僕は拍手をしたくなった。

この映画に対する強い思い入れを持っている人には何人も会った。矢作俊彦さんもそのひとりに違いない。日活映画の旧作の名場面を編集した「アゲイン AGAIN」(1984年)は、矢作俊彦さんの監督でナビゲーターは宍戸錠だったが、「拳銃(コルト)は俺のパスポート」のラストのアクションシーンがそのまま取り上げられていた。

「拳銃(コルト)は俺のパスポート」は、冒頭の狙撃シーンで観客の心を奪う。主人公の殺し屋・上村(宍戸錠)は弾丸が風の影響をどれくらい受けるか、タバコの煙を流して読み取る。そのシーンにゾクゾクする。ライフルスコープの中に捉えられた映像は無音だ。主人公がトリガーを引くと、スコープの中でヤクザの親分が音もなく倒れる。ボディガードが慌てて周囲を見る。この描写が斬新だった。

狙撃に成功し、主人公は弟分の塩崎(ジェリー藤尾)と高飛びを図るが、狙撃した相手の組織がいち早く手をまわしたため捕らえられる。だが、車の仕掛けを使って逃亡し、ヨコハマの安ホテルに身を隠す。そのホテルには、ひとりの女(小林千登勢)が働いている。藤原審爾の原作「逃亡者」は、ここでの男女の情感あふれる関係を中心に描いているのだろうか。小林千登勢の美しさが輝く。

ハードボイルド好きたちの間で伝説になったのは、たったひとりで組織と対決するクライマックスシーンである。対決の前夜、上村はホテルの部屋で黙々と時限爆弾を作る。翌朝、上村は、敵対組織と会う約束の埋め立て地にやってきて、相手が現れるだろう場所を想定し、深さ50センチほどの人がひとり入れる穴を掘る。彼は、何を企んでいるのか。

約束の時刻がきて、上村は埋め立て地の真ん中で身を晒している。遠くからは穴は見えない。穴の中に時限爆弾を置く。組織の手下たちが銃を乱射しながら、上村を襲う。散弾銃で反撃しながら、上村は拳銃を投げる。立ち上がり、散弾銃を連射する。走る。ふたりを倒した散弾銃を投げ出し、回転しながら拳銃を拾い上げ、残りの手下たちを撃ち殺す。

その上村と手下たちの銃撃戦を、組織の幹部たちが防弾装備のベンツの中で眺めている。後部座席にいるのは手を結んだ二人のボス(佐々木孝丸と内田朝雄)と、組織の二代目(杉良太郎)だ。運転手は江角英明、助手席の男(宮部昭夫)が振り返り、「やっぱり散弾銃です」と得意そうに言う。彼は車窓から身を乗り出し、スコープ付きの銃で上村を撃つ。

上村は散弾銃を構えて、じっと車を狙っている。弾丸が上村の腕をかする。それでも上村はじっと立ったままだ。次の弾丸が上村の脚をかすめ膝を折らせる。それでも、彼は反撃せず、何かをじっと待つ。待ち続ける。ベンツが彼をひき殺そうと、真っ正面からスピードを上げる...。

・「拳銃(コルト)は俺のパスポート」YouTub映像
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60年代は、空前のガンブームだった。「拳銃は俺のパスポート」もガンブームを当て込んで作られたプログラム・ピクチャーである。だから、銃器に関するセリフが頻出する。もちろん僕もガンにかぶれていた。当時、人気があった拳銃は、ルガー、ワルサーP38などのドイツ製だった。ベーシックなS&Wのチーフスペシャル、ボディガード用コブラなどもカタログに出ていた。

マンガ月刊誌には必ずモデルガンの広告が出ていたし、大人も夢中になっていたから「エラリィ・クイーンズ・ミステリマガジン」には、東京のモデルガン専門店「MGCボンドショップ」の広告が出ていた。僕は、一度「MGCボンドショップ」を覗いてみたかったが、その後、モデルガン規制が厳しくなり、本物そっくりなモデルガンは販売できなくなった。

就職して「小型映画」という8ミリ専門誌編集部にいたとき、モデルガンを使った銃撃戦を撮影するのが趣味という読者を取材したことがある。その人は映画で使用する弾着を仕込んで、本格的なガンアクションを8ミリで撮影していた。取材すると、その人はMGCの設計開発技術部長だとわかった。本格的なはずである。彼は、日活映画のアドバイザーも務めたという。

石井輝男監督のギャング・シリーズ「花と嵐とギャング」「恋と太陽とギャング」にも、ガンに関するセリフがよく登場する。やはり、ガンブームの頃、銃器好きの男たちに向けて作った映画なのだろう。それらの原作も藤原審爾だったとすると、あの時代のガンブームに大きな貢献をしていたのかもしれない。

【そごう・すすむ】sogo@mbf.nifty.com < http://twitter.com/sogo1951 >

安岡力也さんが亡くなったニュースを聞いて、日活映画「野良猫ロック セックスハンター」を思い出した。若く、体重も半分以下だった頃だ。「ワタナベカズマ」という役名さえ憶えている。梶芽衣子とデュエットする「禁じられた夜」は、ずっと僕の愛唱歌です。

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■Otaku ワールドへようこそ![151]
間の悪い日々

GrowHair
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都内の桜が満開の日曜日、私は新宿の漫画喫茶にいて、下記のニュースがネットを賑わしているのを見つけた。「37歳警部補の男、セーラー服姿で下半身露出した疑いで逮捕」。げっ。春めいた話題と言えなくもないけど。

記事によると、「警視庁交通部の警部補の男が3月、東京・武蔵野市内のマンションで、セーラー服姿に女装してエレベーターに乗り込み、女子高校生に「見てください」と声をかけ、下半身を露出した公然わいせつの疑いが持たれている。同容疑者は高校一年の女子生徒(16)と一緒にエレベーターに乗り込み、先に降りた後、振り返ってスカートをめくりあげたという。セーラー服姿で長髪のかつらをかぶっていた。昨年10月ごろから武蔵野市や府中市などで同様のわいせつ事件が数件発生し、警視庁が捜査していた。今月7日午後9時過ぎ、JR武蔵境駅近くで女装姿の容疑者を発見、武蔵野署で事情を聴いたところ、容疑を認めた」とのこと。

なんて間が悪い。このとき私はセーラー服を着ていた。これから帰らなきゃならないんだけど。出て行きづらいではないか。

さて、今回は小ネタ連発でいきます。若い時分のことなども引っ張り出して。

[1]4月3日(火)、夕方から都内では台風並みの暴風雨になると予報が出ていた。午後から多くの会社が帰宅命令を出した。日本人って、どうしてこうみんな右へならえなのか。3:30pmごろの山手線は激混みだった。あきらめて次の電車を待つ人も多くいる中、私はなんとか乗れた。リュックを片手に提げ、ドアの上をもう一方の手で力いっぱい突っ張る。ドアが閉まってくる。と、そのとき、隣に立っていたお兄さんが、予想外の行動に。私のヒゲをぱっと払ってくれた。ドアに挟まれないようにと。あああありがとうございますっ!

[2]高校2年生の明日香(仮名)は先週木曜に下半身露出男に遭遇したという。暗くなってから友達と一緒に帰る途中、友達がキャッと言ってぱっとよけた。明日香は自転車で、友達は歩いていた。状況がよく分からなくて、自転車のライトを当ててみると、前から歩いてくるおじさんのズボンのファスナーが開いていて、ブツがボロッと出ていた。すぐにライトを背けた。

すれ違ってから、互いに振り返っていて、目が合ってしまった。向こうは片手を上げてさわやかに「やっ」。その瞬間、前をよく見ないで歩いていたおじさんは、何かにけつまずいて転倒。これって、明日香の超能力?

[3]うんと小さかったころ、デパートに買い物に行くのが楽しみだった。屋上がミニ遊園地みたいになってて、遊具がいろいろ置いてある。私はすべり台でアクロバット技を見せつける。腹ばいから、頭を下にしてすべり降りる。しかも、ひねりを加えてきりもみ状態で。なんかヒーロー気分。

見ていた小さな子供が、真似しようとしたのか、もっとすごい技を編み出そうとしたのか、連続でんぐり返しでごろんごろんごろんと。すべり台は螺旋になっていて、外へ落ちそうになる。母親が悲鳴を上げて抱きとめる。本人はびーびー大泣き。やばいっ。逃げました。この場をお借りしてお詫び申し上げます。

[4]われわれ人類は、言葉という強力なツールを持っているがために、築いてきた英知を世代から世代へと譲り渡すことができる。これが時として機能しないことがある。やっちゃいけないことは、やってみたくなるという心理のせいで。証言が次々と。炊飯釜から出る湯気に手をかざしてみたとか、ドライアイスをつかんだとか、フライパンにてのひらをべたっとつけたとか。

[5]ついうっかりということもある。中学のころ、学校でよくミニフラスコを作って遊んだ。ガラス管の一端をガスバーナーであぶって閉じる。それから先端数センチぐらいの区間をまんべんなくあぶってやわらかくする。クタッとならないように、回しながら。で、他端から息を吹き込むと、ぷっと膨らんで、フラスコ状になる。真っ赤っ赤なんだけど、すぐに引けて無色になる。そのとき、うっかり持っちゃうんだな。3回ぐらいやらかした。

[6]高円寺の氷川神社の横の坂がいい感じだ。何にいいかというと、自転車で両手離し白線スラロームするのに。道が緩やかにS字を描いていて、その先は直線で見通しがいい。車が来てないときを見計らって、ゴー!

破線のセンターラインを踏まないように、切れ目切れ目で右へ左へ。近道な縫い方は簡単すぎるので、カーブは外側を通るように縫って降りる。大得意。と、行く手に、両手を広げて立ちはだかる人が。あ゛。お巡りさん。

「いつもそんな走り方してるのか!」。えーっと、その質問は答えづらいです。練習の賜物なわけですが。(蚊の鳴くような声で)「いえ、今日が初めてです」。こってり絞られて、逃がしてくれた。中学時代の話。

[7]社会人になってから。最初の職場は、敷地内に6階建てのビルが建ってて、脇に駐車場があった。門には赤外線ビームだかが水平に渡してあり、人でも車でも、出入りの際にそのビームを切ると、びーーーっとブザーが鳴り、塀の上のサイレンが回る。2階の管理室からモニタしている。ビームは腰くらいの高さに一本だけ。高くジャンプして、足をぐっと胸に引きつけると飛び越せる。鳴らない。セーフ。匍匐前進すると、やっぱり鳴らない。大人になっても中身は中学生な私である。

[8]身に重大な危機が迫っているとき、時間が超スローモーションで経過する。たぶん、頭が超速フル回転するので、相対的に時間のほうが遅く感じるのであろう。両側が沼地になった細いうねの上から、アヤメの花を撮っていた。もうちょっと距離をとりたいと思い、一歩下がった、そこにはもはや地面はなかった。すでに自分の体の重心は、両足の外にある。

眼下に広がる水面、それを透かして、泥。運命は決した。そこへ落ちる以外にないのだと。さてどうしたもんか。腹からバシャーンは最悪だ。しょうがない、足一本だけを犠牲にして、残りを助けよう。実際はほんの一秒ばかりのこと。ひざ近くまでもぐった左足を泥から引き抜き、水道の水で洗う。左足はずぶぬれだけど、全身泥まみれの事態は避けることができ、カメラも助かり、電車で帰った。

[9]人からは割とおだやかな性格だと思われているらしい私であるが、そんな私でも、ごくたま〜にブチキレるときがある。数年前、ファミレスのガストで店員を怒鳴りつけた。深夜で客は少ない。入り口付近に2〜3組いるが、奥のほうには私しかいない。まず、音がうるさい。液晶パネルがあって、宣伝映像が流れているのだが、短い周期で繰り返し繰り返し流されるので、だんだんイライラしてくる。

店員を呼んで、ボリュームを下げてくれませんか、と頼む。すると「規則ですから」と断られる。「他に見てるお客さんもいるかもしれないですし」と。おいおい、映像が見える位置には誰もいないじゃないか。そう言うと、ボリュームを下げてくれた。ぐだぐだ言う前に黙ってそうしろよと思ったが飲みこんだ。

プリンアラモードを頼んだのだが、間違えて持ってきた。アラモードではない、ただのプリン。伝票にもそうついているので、来たものと請求額はいちおう合っている。客にはいっちょまえに口答えしといて、自分がやるべきことはこの手抜かりかよ、と思ったが飲みこんだ。

しばらくすると、またボリュームが上がった。「うるせえ!」。バンッ。累積していたイライラが一気に堰を切った。「ちょっと来い!」。大絶叫。「アイスクリームがついてねーじゃねーかっ!」。

[10]晴れた日曜日の午後、広い原っぱを散歩していると、野球のグラブをはめた青年と、ミットをはめた青年が笹薮を掻き分けている。飛び込んだボールを探しているらしい。その様子から、ボールは絶対にこの薮の中にはないだろうと確信できた。

辺りにはこの薮の他には視界をさえぎるものはあまりない。だから二人はボールがあるとしたらこの薮の中に違いないと思い込んでいる。もうすでに同じところを何度も探したと見え、さらに精査するモードに入っている。そういうときは、まずそこにはないものである。

ボールが灌木に飛び込んだときは、往々にして、それを突き抜けて遥か遠くまで転がって止まることがある。そう思って広く見渡してみると...。5秒で見つかった。小径を隔てた反対側の、さらに向こうの硬い地面に軟式野球のボールが転がっている。そんなに見つけづらい場所ではない。枯れ葉に埋もれかけたりしていないところを見ると、つい今しがた転がったばかりであることが分かる。探し物はあれに違いない。拾って「これでしょ?」と渡したら、グラブ青年は驚いた顔をした。「あの辺に落ちてましたよ」と指差すと、照れ笑いを浮かべた。

そのときちょっとイタズラ心がわいた。いかにも何でもない、分かりきった、どうでもいいことをついでに言っておこうか、という調子でぼそっと付け加えた。「目で探すから見つからないんですよ」。沈黙して立ちすくむ青年二人を後に残して静かに立ち去ってきた。

[11]火曜日の朝、駅を出て、徒歩で会社に向かう。晴れて、ぽかぽかと暖かい。駅から会社まで一直線の道があり、いつもはそこを通るのだが、なぜか、ふと別の道を歩いてみたくなった。一筋左の平行な道へ。すると満開の桜並木だった。以前にも通ったことはあったが、咲いてない桜の木は目立たず、桜並木だとは意識してなかった。まったく予想外。桜に呼ばれた感じ。あちこちで写真を撮ってる人がいる。車道のセンターラインに立って撮ってる人もいる。見事な咲きっぷり。これって超能力? けど、好きなときに好きなように使えるわけではない、ってとこがショボい。

[12]上司のM山さんから聞いた話。NHKの科学番組「いのちドラマチック」によると、頭髪を分析することで食べたものが分かるのだそうで。調べてみると、日本人の平均40%はとうもろこしでできていると判明。え? そんなに食べないよ、と思ったら、家畜の飼料がとうもろこしなのだとか。肉も牛乳も卵も元をただせばみんなとうもろこし。

You are what you eat. 人は食べたもので出来ている。我々はみんなとうもろこしが服着て歩いているようなもんだ、ってわけだね。そう思うと、気持ちが軽くなる。おれもお前もとうもろこし。人前でスピーチするのに緊張しても、どうせとうもろこし。上司にしかられてもしょせんはとうもろこし。

[13]4月7日(土)は、コスプレイヤーふたりを撮影した。イベントではなく、個人的に企画し、景色のいい場所へ行って撮る、いわゆるロケ撮り。栃木まで行った。一人は柊としあき。10年来の仲間。もう一人は大葉竹。新三郷駅で柊さんと待合せ、竹さんが車で到着するまで、マクドナルドでおしゃべり。アイスティーを飲み終わって、氷をがりがりかじっていると、柊さん「氷をかじるのは、なんか栄養成分が足りてないらしいよ」「いちおうバランスよく食べてるはずだけどな。愛かな?」「愛ぃ? ホレっ愛! ホレっ愛!」「ちぎって投げるなぁ!」

[14]竹さんは、初めて会ったけど、なんか気風のよいさばさばした性格で、しっかり自立してて頼れる感じ。運転は非常に上手いんだけど、なんというか、上手すぎて、トロくさいやつが気に食わない感じで。オラオラ系。

「中身男なんじゃないの?」(←失礼)というと、「よく言われる」と。そんな竹さんは、早くに母親を亡くし、男手ひとつで育てられた。その父親もしょっちゅう海外出張があり、3つ年上の姉とお留守番な日が多かった。小学生のころだったか、父親から電話があったが、ノイズがひどくてよく聞きとれない。

「%?a!z###猿&$??!」「え? 猿? モンキーの?」「そう、猿」。こんな調子で、聞きとれたのが「猿」「DNA」「フィリピン」。この3つのキーワードを残して、一週間帰って来なかった。まあ、どうせいつもの海外出張なのだな、と思っていた。実際その通りで、猿の遺伝子を調べる研究所をフィリピンに立ち上げるので、行ってくる、と言っていたのだそうで。

[15]初めての海外旅行では、奇妙な体験がいっぱいあった。'94年に、当時同僚だった瀧田とロサンゼルスへ行った。瀧田にとっても初めての海外。なのに、ツアーに入ろうなどとは微塵も考えず、往復の飛行機と最初の宿泊地だけを予約し、後は行き先も宿泊地も決めず、レンタカーで気ままな旅。

サンディエゴからメキシコをちょっと踏んで(←予定外)ロスに戻ってくると、日が暮れかかり、早く宿泊地を決めたい。けど、Travelodgeはもう飽きた。なんか、古めかしくていい感じのモーテルがある。壁は蔦で覆われている。二人で入ると、ロビーのカウンターの向こうには男性が二人いる。互いに顔を見合わせてうなずいたように見えた。

「以前に泊ったことある?」「いいえ」「評判を聞いてきた?」「いいえ」。なんか拒絶されてるっぽいけど、なんでだろう? 向こうは向こうで「早く察しろよ」と思ってたに違いない。ついにストレートに言ってきた。「ゲイホテルって聞いたことある?」。あ゛。失礼しました。こっちは男性二人だったけど、最初っから客ではないと見抜かれてたってわけだね。

[16]その旅行に行く前、妙にリアルで怖い夢を見た。着いた空港でアイスクリームを買おうとして、ドルがないことに気がつく。あ、換金しなきゃ。銀行を探し当てる。カウンターの向こうに何人か人がいるが、一番左だけ男性だ。その男性と話をして、用が済む。けど、その後、ひそひそ声でなんか話しかけてくる。聞きとれず、顔と顔が近づく。

すると、こっちを口説きにかかっているらしい。えーっと、えーっと。「そういう趣味はありません」ってときの「趣味」は"hobby"じゃなくて、なんだっけ、なんだっけ...。で、目が覚めた。細部までリアルなとこが正夢っぽかったけど、どうせ銀行に用事なんてあるわけないし。

瀧田がケツのポケットに入れてたトラベラーズチェックを失くした。住友銀行に電話すると、バンクオブアメリカへ行け、という。え? 銀行に用事? どこのでもいいというのでサンディエゴで。目的別にカウンターが分かれているわけではなく、一列に20人ばかりの列ができていて、先頭の人は空いたカウンターに呼ばれる。カウンターには数人いて、一番左だけ、...男性だ。あれ?直前の人がそこに呼ばれる。ということは我々はどっか別だろう、と思っていたら、その人の用事は一瞬で済んで、我々が呼ばれる。げ。

失くした額を申告し、その場で再発行してもらえた。そのオニイサン、日本にいたことがあるそうで。千葉で英語を教えてたとのこと。なんか話が盛り上がって、楽しかった。口説いてくる気配は、なかった。余談だが、トラベラーズチェックは親切な人に拾われ、届けられていた。失くしたと申告した額が多すぎたと判明し、返しに行ったそうだ。

[17]いまだにケータイを所有したことがない私である。けど、2月にこっちの職場に移ってきたら、各人に一個ずつ配布されちゃって、困っている。どうやって使うんだ、これ? 2か月ほど経つが、かかって来たのは10本足らずで、半数以上が間違い電話であった。社内ひきこもりな私である。たまにかかってくると大変で、チンパンジーにケータイ持たせたらきっとこんな具合だろう、ぐらいの勢いで、もてあそんだ挙句、放り投げたくなる。

用事があって、会社の偉い人にメールを送ったら、電話で返してきた。えーっと、どうやって取るんだ? これか? これでいいのか? 今、どんな状態?もうつながってるのか? 向こうは、とっくに話し始めていた。えーっと、すみません、どちら様でしょう。早くも先行きが危ぶまれる私である。

[18]散歩していると、花壇があり、猫がほじくり返している。あーあーあーあー。横には立て札があり、「みんなで大切に花を育てています。どうか荒らさないでください」と、まるで泣きながら懇願するような調子。犯人の目星がついてなかったとみえる。

【GrowHair】GrowHair@yahoo.co.jp
セーラー服仙人カメコ。実は堅実なサラリーマン。アイデンティティ拡散。

日曜の事件の件では、翌朝、元上司のN河氏からメールが来た。「ドキッとしたよ」。あー、すみません、ご心配おかけします。私ではありません。

前回も書いたけど、電車の中で、目に留った人に声をかけて写真を撮っている写真家さんがいます。3月18日(日)、下北沢で小田急線に乗ったら、さっそく声をかけられたのが出会いです。まあ、おっさんがセーラー服着て電車に乗ってきたら、目につきますわな。それまでに撮りためた写真を見せてもらいましたが、けっこういろんな人がいるもんです。

声をかけるのが恐いような人もいて、度胸あるなぁ、と。断られることはあっても、トラブルになることはないそうで。4月後半に、電車内で撮った人物写真シリーズで個展を開くそうです。私が被写体のも展示してもらえるそうです。

◎中山学写真展 トレイン撮レインシリーズVol.1「電車の中のニッポン」
会期:2012年4月17日(火)〜4月29日(日)12:00〜20:00 月休
会場:GALLERY SHUHARI 新宿区四谷3-13大高ビル3F(1F南昌飯店)
< http://www.gallery-shuhari.com >

よく作品を撮らせてもらっている人形作家さんたちの一人に吉村眸さんがいますが、現在、作品を展示している展覧会が開催中です。「木工をやっている友人の、北村真梨子さんが荻窪にアトリエを構えました。そのアトリエのオープンを記念した、展覧会に参加します。南荻窪にある、ビルの一室をほとんど自分の手でリノベーションして作ったアトリエです。私も微力ながら、お手伝いをさせていただきました。広いスペースではないのですが、かわいいアトリエです」。

◎atelier 2211 オープニング展
会期:2012年4月9日(月)〜4月15日(日)11:00〜19:00
会場:atelier 2211 杉並区南荻窪1丁目22-11 京王南荻窪コーポ103
< http://t.co/huOlI6dU >

石神茉莉さんの小説に出てくる、廃墟の外れに孤立して営まれる玩具館「三隣亡」をイメージした展示が初台の「画廊珈琲 Zaroff」で開催されます。かつて私と一緒に展示会を催した仲間の何人かが出展しています。石神茉莉さんご本人もアドバイザーとして参加していて、案内文を書いています。

三隣亡とは

小説『人魚と提琴 玩具館綺譚』『謝肉祭の王 玩具館綺譚』(ともに講談社ノベルス)の舞台となる玩具館の名前です。ゾンビのことしか頭になく、ほとんど店のカウンターから動かない店長のTとその妹の美少女、美珠が廃墟の外れにて経営しています。

ホラーグッズやパワーストーン、御守り、古今東西の呪物の類、マンドラゴラや鴆の羽、媚薬、ありとあらゆる不思議なもの、妖しいものがその棚には並んでいるのです。それらが本物なのか偽物なのか、美しいのか禍々しいのか、すべては夢なのか現実なのか。

多分、それはどちらでもいいことなのです。すべては「玩具」なのですから。この度、初台に登場する玩具館『三隣亡』にも様々な怪異、異形のモノたちが集まると聞いています。どうか不思議なもの、妖しいものをご一緒にお楽しみください。皆様のご来店をお待ちしております。 石神茉莉

◎玩具館 三隣亡 vol.0
会期:2012年4月19日(木)〜5月1日(火)12:00〜20:00
会場:画廊・珈琲 Zaroff 渋谷区初台1-11-9 五差路
< http://www.house-of-zaroff.com/ja/gallery_2nd/20120419/index.html >

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編集後記(04/13)

●尻が痛い。って、なんだよ、いきなり。先の日曜日、好天、妻と一緒に自転車で市内の桜見物に出かけた。もっとも有名な長堤の八重桜を愛で、水路に沿って所々の桜を見ながら北上し、ホームセンターで買い物してから南下し、市役所と公園の桜を見て、最後は水路の両脇が1キロほど桜並木になっている名所をトロトロ走って帰って来た。充分に満足いたしました。ほぼ2時間、距離としてはたいしたことはない。しかし、最後の2キロぐらいは尻が痛くて参った。これはどういうわけだ。自転車に乗って尻が痛くなるなんて、いままで経験したことがない。そのときはたまたまコンディションがよくなかったのだろうと思っていたら、一昨日も昨日も、図書館や買い物に行く帰り道では尻に違和感がある。これは歳をとって尻の筋肉が落ちたからであろうか。さわってみると尻の肉はあきらかに減り、ふにゃふにゃと頼りない。こんな尻ではなかったのに。しかし、サドルに坐って痛みが来るほど弱くなったのか。

大学サイクリングクラブの2歳上の鉄人先輩に聞いたら、おれも昨年末に伊豆大島一周してきたが最後には尻が痛くて往生したよ、たかだか50キロで、という。たかだか、ですか...。もう一人、やはり2歳上の昨年5500キロ走ったという千葉県サイクリング協会の世話人は、乗ってる距離が少ないのが一番の問題だ、尻の筋肉強化をせよ、ときびしいことを言う。おいおい。こんな人たちに聞くのは間違っていたが、尻の筋肉はどうやって取り戻すのか。痛くても自転車に乗り続ければいいのか。たしか68歳で乗り始めた伊藤礼先生の本でも、苦痛なく自転車に乗れるようになるには、多少の足腰の筋肉と尻の皮の厚さが必要だ、そのためにはとにかく走って肉体を鍛錬しなければならぬ、と書いていたな。痛くてもがんばる、ってのはいやだな。(柴田)

●「人前でスピーチするのに緊張しても、どうせとうもろこし。上司にしかられてもしょせんはとうもろこし。」好きだわ、これ。

明日はいよいよ「まにフェス」だ。3F板付きスタッフなので4Fの話は聞けない。が、3Fの話も面白そうなので喜んでいる。3Fは入場無料なので、気軽にいらしてね! その3Fでのセッションで紹介されるサービス「チャットワーク」が使いやすい。ブラウザベースでiPhoneやAndroidアプリあり。サイボウズLiveの軽い版と書くと語弊があるかな。ほんと軽いの。Skypeなどのチャットを想像してもらえれば雰囲気はわかってもらえるかと。タスク管理、プレビューつきのファイルアップ機能、エモティコン(顔文字)がある。音声アラートがあって、私は「kiai(気合い)」にしている。他のアラートにない音というか声なので。Google Chromeならデスクトップ通知もできる、MLだとタイムラグがあるし、そのプロジェクトの一部だけの会話を全員に流すと迷惑だろうなぁと思えるようなのも、目的別、内容別のグループチャットを作っておけば気兼ねなく話せる。チャットが増えたらカテゴリ分け(フォルダ)でまとめることもできる。Skypeでの通話連携機能も備わっている。利点をピックアップ。「迷惑メールが届かない」「転送できるファイル容量が大きい」「相手がオフラインでも送受信できる」「どの端末でアクセスしても最新の状態」「横断検索(フリープランは不可)」など。試すのが一番。「どのように制作業務が変わるか」「デモ」が見たい人は3Fへどうぞ〜。/髪の毛切りたかったな......。急に春になってしまって着ていく服がない......。(hammer.mule)
< http://www.chatwork.com/ja/ >  チャットワーク
< http://m2.cap-ut.co.jp/fes/ >
まにフェスは明日! 遊びに来てね!
< http://livedoor.blogimg.jp/dqnplus/imgs/4/c/4cbb6698.jpg >
形を見て吹いた
< http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1707110.html >
新商品「東京スカイツリーアイス」、形が違う