[3432] 堪忍袋の緒は切るためにある?

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《被告人を責める責める責める責める責める弁護人》

■映画と夜と音楽と...[579]
 堪忍袋の緒は切るためにある?
 十河 進

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 痴漢の裁判を変態が傍聴?!
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■映画と夜と音楽と...[579]
堪忍袋の緒は切るためにある?

十河 進
< http://bn.dgcr.com/archives/20130301140200.html >
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〈切腹/上意討ち 拝領妻始末〉

●足の裏に向かって20分間インタビューしたことがある

40年近く勤め人をしているので様々な経験をしてきたが、人の足の裏に向かって初対面の挨拶をしたのは一度だけだ。広告写真の専門誌編集部にいた頃だから、もう20年近く昔のことになる。僕は40を過ぎたばかり。相手は有名なアートディレクターだった。

ある日、取材でそのアートディレクターのオフィスを訪ね、女性マネージャーに打ち合わせスペースに案内された。アートディレクターのオフィスらしいオシャレな空間だった。素敵にデザインされたオフィスだから、仕事を依頼にくるクライアントは「きっと素晴らしいデザインをしてもらえるに違いない」と思うのだろうなあ、などと部屋を見渡して想像した。

打ち合わせスペースには大きめのダイニングテーブルくらいの机があり、椅子が六脚ほど配置されていた。その片側の長辺に置かれた椅子に僕は腰を降ろした。「××は、ただいま参ります」とマネージャーは言って去ったが、なかなか××さんは現れなかった。10分以上が過ぎた頃、Tシャツに白っぽい綿パンをはき、裸足の××さんが現れた。何だか子供みたいな人だった。

──取材だって、最近○○(僕のいた雑誌の名前)はちっとも俺の作品のせねェじゃねえか。

そう言って××さんは僕の正面の椅子に腰を降ろし、両足をテーブルにのせて椅子の背にもたれた。わかりやすく言うと、ふんぞり返った。勢い、僕としてはその足の裏に向かって、挨拶をすることになる。「はじめまして、ソゴーと申します」と、僕は足の裏に頭を下げ「副編集長」の肩書きの名刺を足の横に置いた。顔を上げると、足の裏の向こうの目がじっと僕を見つめていた。

驚いたことにインタビューの間、僕はずっと足の裏に向かって質問することになった。××さんは椅子の背にもたれているから、頭の位置がテーブルにのっている足の裏より低いのである。時間にして20分ほどだっただろうか、どうしてもその取材をしないと特集記事が成立しない...というほどでもなかったけれど、腹を立てて席を立つほどのことでもないと自分に言い聞かせた。

売れっ子のアートディレクターだったのは間違いない。彼がアートディレクションした広告のポスターはアート作品として外国の美術館に収蔵されている、という話も聞いた(確かめたことはないけれど)。それにしても、こんな応対を誰彼かまわずにやっていたら、きっと怒り出す人もいるだろうなあ、と足の裏の窪みの当たりを見つめながら僕は考えていた。窪みが浅かったから、もしかしたら扁平足ぎみだったのかもしれない。

その話は、ときどき笑い話(自虐ネタ)として酒席で披露したりすることはある。もっと屈辱的なことにも遭ったし、理不尽に怒鳴られたこともある。とても笑い話になどできない体験もした。人には話せない。思い出すと、今での体の芯がカッと熱くなる。熱を帯びてくる。だから、その足の裏に向かってインタビューしたことで、僕はそんなに傷ついてはいないと思っていた。

しかし、20年たっても、そのときの映像が鮮明に甦るのは、やはり僕が強い印象を持ったからだろう。いや、何かが刻み込まれたのだ。やはり傷ついていたのかもしれない。そんなことを最近は思うようになった。少なくとも、一生忘れられない経験だったのは確かである。20年後の今も忘れていないのだから......。

●名作のリメイクはなかなか成功しないのだけれど...

先日、テレビ朝日で「上意討ち」(1967年)をリメイクして放映していたので、期待して見た。朝日新聞にも事前に大きな記事が出た。「最後の黒沢組 橋本さん脚本の完全版放映」という見出しだった。その見出しには違和感を感じた。「黒沢組? 小林組じゃないの」と、僕は強く異議申し立てをしたかった。確かに橋本忍は「羅生門」のシナリオで有名になった人ではあるけれど......。

小林正樹監督には「人間の条件」(1959〜61年)を始めとして多くの名作があるが、その中でも「切腹」(1967年)と「上意討ち 拝領妻始末」(1967年)は、滝口康彦の短編小説を橋本忍が脚色した時代劇の傑作だ。僕はどちらも好きだが、出来のよさで言えば「切腹」が上まわる。これは、最近、三池監督が「一命」(2011年)としてリメイクした。

名作はリメイクされる運命にある。しかし、なかなかオリジナルを上まわる作品に出会うことはない。テレビ版「上意討ち」も、モノクロームの美しく厳しい映像で描かれた小林正樹監督版には及ばなかったけれど主演の田村正和に味があり、何度か頬を涙が流れた。拝領妻になる仲間由紀恵もよかったし、久しぶりに見た緒形直人も耐える顔に厳しさがうかがえて適役だった。

映画版は三船敏郎(田村正和)、加藤剛(緒形直人)、司葉子(仲間由紀恵)、大塚道子(梶芽衣子)、仲代達矢(松平健)というキャスティングだった。僕が高校生の頃に東宝で封切られ、三船と仲代の対決シーンがポスターになっていた。僕は「拝領妻」という言葉の意味を理解できず、どんな話なのだろうと首をひねった。

それがずっと気になっていたのだろう、後年、すでに「切腹」も「上意討ち 拝領妻始末」も見ていたが、原作にあたりたくなって講談社文庫を買った。滝口康彦さんは九州在住の時代小説作家で多くの作品を書いている。しかし、僕は「切腹」の原作である「異聞浪人記」と「拝領妻始末」が入った短編集しか読んでいない。

前述の「一命」は原作を「異聞浪人記」と明記し、「切腹」の橋本忍のシナリオは使っていない。新しく脚色したのだが、どうしても前作と比べられるのは仕方がない。瑛太と満島ひかり(「切腹」では新人の頃の岩下志麻)が夫婦を演じて健闘していた。もっとも、いつものように三池監督の不可思議な演出に首をひねるところがあり、少し落胆した。「十三人の刺客」のリメイクは、よかったのになあ。

さて、三船敏郎が演じた主人公を田村正和が演じるわけだが、田村正和も年寄りの役が似合うようになった。性格が悪く、皮肉ばかり口にするきつい妻がいる。婿養子の主人公は、それに20数年耐えて家庭生活を送ってきた。映画版の大塚道子は、意地悪な姑役を得意としている女優だったが、田村正和版の妻は肉は付いたけれど僕の好きな梶芽衣子である。もっとも、きつい性格の姑役には向いている。

笹原伊三郎(田村正和)は剣の遣い手だが、家庭では妻に耐え、城中では上役の無理難題に耐え、ようやく隠居する年齢を迎えようとしている。彼の愚痴を聞いてくれるのは、親しい友であり剣ではライバルの浅野帯刀(松平健)だ。藩内では、ふたりが闘えばどちらが勝つかわからないと噂されている。そのことが、冒頭から描かれる。ラストシーンの伏線だ。

しかし、田村正和の日常は、とにかく日々之平穏にという生き方である。剣の能力など、生かしようもない。せいぜい藩主が入手した剣の試し切りを命じられるくらい。御用第一、上役の理不尽さに耐え、妻の皮肉に耐えている。息子の緒形直人がいじめられている妻に、「耐えられなくなりそうだったら、父上のことを思え。父上は、あの母上に20数年耐えてきたのだ」とまで言う。

●田村正和のノラリクラリぶりは三船敏郎には出せなかった味

ある日、田村正和は側用人の来訪を受け、藩主が子まで産ませた側室を疎んじ暇をとらせるので、その側室を息子の嫁に下げわたすと言われる。側室だった女を息子の嫁にすることは、田村正和も妻も乗り気ではない。「畏れおおいこと...」と、ノラリクラリと返事を延ばす。そのため、内々の意向だったのが大げさな藩命になる。藩命に背けば、お家断絶だ。

この田村正和のノラリクラリぶりは、三船敏郎には出せなかった味だ。三船敏郎は豪快なイメージが強すぎるのと、あの重厚な口調だから「耐えている」感じが希薄になる。田村正和は眉を八の字にして、心底困り果てた顔をする。上役の忠告にも決定的な拒否の言葉を口にせず、ノラリクラリと返事を引き延ばす。この「かわし方」が実に堂に入っている。

これは、勤め人の処世術である。どんな無理難題を言われても決して感情的にならず、冷静に耐えて相手を怒らせず、いつの間にか問題をうやむやにする。足の裏に向かってインタビューさせられたからといって、いちいち怒ってなどいられないのである(あっ、まだこだわってるなあ)。しかし、うやむやですむ話ではない。田村正和は窮地に陥る。

このままでは笹原の家がつぶされるというところまで追い詰められ、息子(これは映画版の加藤剛の方が適役)は、側室いちの方を拝領することを決意する。このあたりのディテールは映画版ではなかった。今回、橋本忍がテレビ版のために書き直したのだという。息子は父の困惑と家の安泰を憂い、藩主の側室を妻に迎える屈辱に耐えることにしたのだ。以前、一度だけ見かけたいちの記憶が甦る。

藩主の子まで産んだ側室なのに、なぜ彼女は疎まれたのか。産後の養生をして城中に帰ったとき、藩主の横に新しい側室がいたため逆上し、その側室の頬を打ち髪をつかんで引きずりまわした。部屋を出た藩主を追って、やはり頬を打ったという噂話が聞こえてくる。しかし、やってきたいち(司葉子の気品と仲間由紀恵の親しみやすさを比べると甲乙つけがたい)は、実にしとやかな武家の娘だった。

息子といちは仲睦まじく暮らし、父親の田村正和は何かと冷たく当たる妻から嫁を守ろうとする。やがて若い夫婦に子供も生まれ、初孫に舅は頬をゆるめる。家督は息子に譲り、隠居の身である。穏やかで幸せな日々が過ぎてゆく。だが、藩主の長子が病死し、いちの産んだ子が世継ぎになる。いちはいずれ藩主の母になる存在だ。藩士の妻では具合が悪い。藩は、いちを返上せよと言い出す。理不尽な話である。

上役、家老、一族の者たち、妻、次男、すべてが主人公と息子夫婦の敵になる。藩命に逆らっては生きていけないからだ。笹原家は取りつぶし、一族にも累が及ぶと長老がやってくる。たまらないのは、いちである。自分のために笹原家に災難が及んでいる。しかし、城中に帰るなど考えられない。舅と夫だけが味方だ。だが、藩命に背くと上意討ちが待っている。舅と夫の命か、それとも...といちは煩悶する。ふたつの思いがせめぎ合う。

●「しかしだよ皆の衆、じっとがまんをしなければいけない」

組織の中で生きる個人は、多かれ少なかれ理不尽だと思うことにぶつかる。「理不尽だと思うこと」と書いたのは、何に理不尽さを感じるか個々人で違うことがあるからだ。あんな目に遭わされてよく我慢できるな、と見ている人が思っても、本人は案外平気でやり過ごしていることもある。生きる上でのこだわりは人それぞれだから、何が理不尽か規定するのはむずかしい。

逆に見れば誰がどんなことを理不尽と感じて我慢しているかはわからない。だから、社会人なら、組織の中で生きているのなら、すべての人は何らかの我慢をしている。耐えている。こらえている。僕だって、40年近い勤め人生活で多くのことを我慢してきた。ただ、僕の場合は感情的になりやすく、沸点は低いと言われてはいる。その僕でさえ、いろいろ耐えてきたのだ。

だが、人間には譲れない一線がある。ここだけは、我慢できないという限界点だ。耐えに耐え、こらえにこらえて生きてきた人間ほど、そうなった場合は後戻りできない。いわゆる、堪忍袋の緒が切れた状態である。一度切れたものは、修復できない。「上意討ち」の主人公は息子夫婦の絆の強さに打たれ、上意に逆らうことを決意する。その覚悟の強さが後半のドラマを盛り上げる。

倉本聰さんの初期のエッセイ集「さらば、テレビジョン」に、俳優たちを寸描した「心やさしき役者たち」というシリーズが載っている。その中の小林桂樹のエピソードが忘れられない。小林桂樹は若い役者たちを連れて、ニコニコ飲んでいた。「いいか、役者というものはな、何事も辛抱が肝心なンだ」と説教を始める。店に二人づれの酔客が入ってくる。

「オッ、小林桂樹だ! 小林桂樹だよ」とひとりが言い、「どれどれ、アッ、本当だ。小林だ!」ともうひとりが覗き込む。小林桂樹は「無礼な人間も中にはいる。時には不愉快な思いもする。しかしだ。しかしだよ皆の衆、ここが役者の辛いところだ。じっとがまんをしなければいけない」と笑顔で話し続ける。

酔客は図にのる。「こっちに面見せろ。ちぇッきこえねえフリしてやがる」とか「偉ぶっちゃってよォ」などとからんでくる。「君たち若いもンはすぐにカッとする。しかし役者はこういうことに慣れなければいかん。忍耐する。そして、何をいわれても、いつもニコニコ笑っている」と、小林桂樹は連れの若者たちに説教を続ける。酔客たちの暴言がエスカレートする。

──突然小林さんは言葉を切り、パッと立ち上がるや酔客の一人の胸ぐらをつかんだ。「堪忍袋の緒は切れるためにあるンだッ!!」

僕のことを「怒りんぼ」と呼ぶのは、会社の相棒である。僕は彼のことを「乱暴者」と呼んでいるからおあいこだと思うけれど、自分でも「怒りんぼ」だと実感する場面はしばしばある。生き方に対するこだわりが強いのかもしれない。かっこよく言えば、美学・美意識にとらわれすぎているのだ。譲れない一線が多すぎる。もっとも、足の裏に挨拶するくらいは我慢できますけど......。

【そごう・すすむ】sogo@mbf.nifty.com < http://twitter.com/sogo1951 >

「キネマ旬報」3月下旬号、タランティーノ「ジャンゴ」特集頁に僕の「映画がなければ生きていけない」の広告が出ています。目立っているけど、恥ずかしいような、申し訳ないような気分。マカロニ・ウェスタンにオマージュを捧げるなら、主人公の名はジャンゴしかありません。両手をつぶされたジャンゴ(フランコ・ネロ)がガトリングガンを柩から取り出すシーン、ゾクゾクしました。

●長編ミステリ3作が「キンドルストア」「楽天電子書籍」Appストアの「グリフォン書店」で出ています/以下はPC版
< http://forkn.jp/book/3701/ 黄色い玩具の鳥 >
< http://forkn.jp/book/3702/ 愚者の夜・賢者の朝 >
< http://forkn.jp/book/3707/ 太陽が溶けてゆく海 >
●日本冒険小説協会特別賞「最優秀映画コラム賞」受賞のシリーズ
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■Otaku ワールドへようこそ![170]
痴漢の裁判を変態が傍聴?!

GrowHair
< http://bn.dgcr.com/archives/20130301140100.html >
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2月25日(月)の午後、東京地方裁判所にて、痴漢の裁判が開かれた。被告人は、昨年12月に新宿歌舞伎町の路上にて17歳の女子高生の胸に衣服の上から触ったとの容疑がかけられ、東京都の迷惑防止条例違反に問われていた。

私は被害者からこの裁判のことを事前に聞いていた。空は青く澄み渡っていながら風がやけに冷たいこの日、東京メトロ丸の内線で霞ヶ関へと向かった。いつものセーラー服に加え、日の丸を挟んで「痴漢●撲滅」と書いた鉢巻を締め、その鉢巻の左右に2本ロウソクを差した、丑の刻参りのような姿で。さて、痴漢の裁判を変態が傍聴することはできるのか?

裁判所入り口に注意書きが掲げられていて、鉢巻やたすき等の着用は認められないとあったため、鉢巻を外して入る。しかし、セーラー服姿で傍聴することにはなんら問題なかった。

争点のないケースなのであっさり終わるかと思いきや、心のありようまで掘り下げた人情味あふれる法廷であった。裁判というのは、証拠と論理に基づいて客観視点のみからきわめて事務的になされるものだとの勝手なイメージを描いていた私は、それぞれの人となりの表れた生々しい進行に驚かされた。

●図太い犯行:堂々と触って立ち去る

高校2年生のトモエ(仮名)は新宿歌舞伎町にある喫茶店でバイトしている。ときおり、店の前の路上に出てきて、店の宣伝をしていることがある。12月初旬のある日、トモエが店の前でチラシ配りしていると、わずか数分の間にやたらと往ったり来たりする男がいた。以前に見かけたことはなかったが、アブナいやつがうろついているとは店長から聞いていた。

店の前で立ち止まると、店の看板をじーっと見て、話しかけられるのを待っている。「高校生喫茶ですが、いかがですか?」「どんな?」「ふつうの」「お触りありなの?」「ないですね」「スカートめくっちゃだめかな?」と言うのと同時にめくってきた。

すぐに後ずさりしたので、一瞬のことで、パンツが露わになるかならないか程度であった。どんなパンツをはいていたかは覚えていないという。多分、毛糸のパンツだったのではないかと。近くに店長が立っていたが、犯行を見ていたかどうかは覚えていない。男は立ち去った。

次にこの男を見たのは、12月23日(日)のこと。また、店の看板をじーっと見ていた。魂胆は分かっているので、今度は話しかけなかった。一旦は立ち去ったが、すぐに戻ってきて、いきなり、ブレザーの上から胸に触ってきた。ぬるーっと手が伸びてきて、「お触りありなの?」と言うのと同時であった。

逃げようとしたけど触られてしまい、ほんの1秒足らず程度であるが、触られた感触があった。「うざいんだけど」とどなった。「次来たら警察呼ぶから」。男は立ち去った。3:15pmごろであった。

あー、ムカつく、ふざけんな! こいつもうぜったい許さない。あー、気持ち悪ー。まわりの通行人から見られて恥ずかしいとかどうこうとかは、気になったりしなかった。また、恐怖や不安もなかった。ただただ、ムカつく、と、気持ち悪い。

店長は出かけていて不在だった。トモエは店に入った。ほどなく店長が戻ってきた。先ほどのことを話すと、「じゃ、俺もついてるから」。トモエは店長とともに店の前に立った。

10分ほどすると、男が戻ってきた。今度は素通りしようとした。トモエは「あいつだ」と店長に告げた。店長も顔を認識していた。追いかけていって捕まえた。店長は「ここの道を通るな」と言った。

店長は、逃げられないように犯人の服をつかんでいた。犯人の歩くにまかせて延々と歩いた。靖国通りに出て、伊勢丹の中を通り、地下道を新宿駅方向へ。通行人に「警察を呼んでください」と言っても、誰も呼んでくれなかった。

「触ったろ」「触ってない」「触ったろ」「触ってない」と何度も繰り返し押し問答。「本当のことを言ったら警察には行かないから」。警察沙汰になるといろいろ面倒くさいことになると思ったので、実際、突き出さなくてもいいか、と思っていた。

「触ったんだろ」「触ってない」「触りたかったんだろ」「3千円で行けるおっぱいパブを紹介してくれませんか」「4千円のとこなら知ってるけど」所持金は、4千円に満たなかった。「店の前の道、二度と通るな」「なんで通っちゃいけないんだよ」。こいつはダメだと思った。放っておいたらまたやる。やはり警察に突き出そうと思った。

新宿駅近くの地下通路で駅員が二人歩いていたので、「警察を呼んでください」とお願いし、警察が到着すると、引き渡した。現行犯逮捕ではないので、任意同行という形。5:00pmごろ。

トモエは一人で店の前に立ち、チラシを配っていた。店長と警察官が迎えに戻ってきた。アルタ前まで歩き、パトカーに乗って新宿警察署へ大きな部屋の端と端に分かれて、別々に調べられた。顔も合わせられない。

犯人は、どったんばったん暴れていた。そうとう興奮しており、なだめられていた。過呼吸気味で、はあはあという激しい息遣いの合間合間にやっと言葉が出てくる感じ。「つばを飛ばすな!」と10回ほど怒られていた。

容疑者は犯行を否認していた。いわく「肩に触れようとしただけ」「やわらかい感触がなかったので、胸には触ってないはず」。なんと失礼な。警察は、トモエの着ていたブレザーを預かり、科捜研へ回し、指紋検出を依頼した。

夜が更けてもカツ丼が出されることはなく、腹が減ったなら自分でコンビニに行って買ってくるよう言われた。

警察は、逮捕状を取りに裁判所へ。犯人は「帰る」と言い出したが、5人がかりで引き止め、田舎の話をしたりして、引き延ばす。逮捕状が取得でき、それで逮捕。1:00amごろ。犯人はまた暴れた。終電が発車した後だったため、トモエは白黒のタクシーで送ってもらって帰った。

●懲りない:4度目の逮捕でついに起訴

容疑者には、逮捕の前歴が3回あり、今回が4回目。いずれも2012年のことである。しかも、すべて女性相手の犯行の疑いで。

最初は4月に地元の九州で逮捕されている。小学校2年生の女の子の胸に触った疑い。示談が成立して不起訴処分となり、示談金30万円を支払っている。親が払ったらしい。容疑者は40歳。かなりダメダメな香りがする。

2回目も地元。女性のお尻に触ったらしい。3回目も地元。女性に対して卑猥なことを言ったらしい。いずれも不起訴処分。二度としないと誓わされて、放免されている。二度としないと三度誓ったわけだ。

本名でネット検索をかけると、どうも余罪がありそうな気配。写真撮影のモデル募集のネット掲示板で、複数の偽名やメールアドレスを使い分けて、募集をかけていた疑いが持たれている。募集に応じて本人に会いに行くと、そこで援助交際を持ちかけられ、断ると胸に触って去っていったという話があげられている。ただし、あくまでも噂にすぎない。実際にそのような事実があったのか、犯行主は本人か、裏づけ情報があるわけではない。

年内は証拠が発見されず、容疑者は犯行を否認していた。その間に、容疑者の弁護人からトモエに電話がかかってきた。示談交渉である。犯行は否認しているが、怒らせてしまったことに対してお詫びしたいからという理由であった。具体的な金額は提示されなかった。

トモエは、一通り話を聞いた上で、これを断った。トモエの親とも話をしたいと言われ、母親に電話を代わった。母親も話を聞いた上で後日、示談を断った。

和解が成立せず、刑事裁判になった場合は、罰金刑が下されたとしても、払った罰金は国庫に歳入される。慰謝料を請求したい場合は、あらためて民事訴訟を起こさなくてはならない。お金よりも裁きを選択したということだ。

科捜研に回されたブレザーからは指紋は検出されなかった。防犯カメラによって記録されている映像が調べられた。その結果、胸に触った際の犯行現場が写っていることが確認された。

容疑者は、この映像を見せられると、観念したようで、一転して犯行を認めた。また、スカートめくりの場面は防犯カメラの映像からは発見されなかったが、その犯行についても認めた。検察は起訴した。

検察からトモエに、公判の通知が届けられた。通知書の日付は2013年1月24日(木)で、通知内容は、2月25日(月)2:00pmから東京地方裁判所にて公判が開かれるというもの。被害者は、出廷して発言する必要はなく、一般の傍聴人と同じ立場で傍聴することができる。

通知書には、事件番号、法廷の部屋番号、被害者氏名、被告氏名、検察官氏名と連絡先、起訴罪状が示されている。起訴罪状は、「公衆に著しく迷惑をかける暴力的な不良行為等の防止に関する条例違反」。東京都の、いわゆる「迷惑防止条例」である。また、判決期日は裁判所から通知される旨が記載がある。

適用されるのは、おそらく第5条であろう。
「第五条 何人も、正当な理由なく、人を著しく羞恥させ、又は人に不安を覚えさせるような行為であつて、次に掲げるものをしてはならない。一 公共の場所又は公共の乗物において、衣服その他の身に着ける物の上から又は直接に人の身体に触れること」。

証拠が挙がっていて、被告が犯行を認めている状況での裁判なので、事実関係において争点はない。弁護側として、がんばる余地があるとすれば、情状酌量を求めての後悔や反省の表明ぐらいであろう。そこをがんばらなければ、短時間であっさり終わる可能性もある。

この裁判、私も傍聴したくなった。痴漢の裁判を変態が傍聴。勤め先には有給休暇の取得を申請し、認められた。

●道すがら、痴漢撲滅を無言で訴える

2月25日(月)、朝から出かける。晴れているが、風が強く、寒い。私はいつもの「盛装」。セーラー服を着て、淡いピンク色の大きなファーを付けたスクールバッグを肩から提げ、髭は三つ編みにしてピンクのリボンを結んでいる。ヒゲ面の男がスカートはいて裁判を傍聴、というと、阿曽山大噴火さんの二番煎じになっちゃいますな。

前述のように、今回に限り、特別アイテムが追加されている。日の丸を挟んで「痴漢●撲滅」と書いた鉢巻を締め、その鉢巻の左右に2本ロウソクを差した、丑の刻参りのような姿。
< https://picasaweb.google.com/107971446412217280378/TokyoDistrictCourt#5849043104531891458 >

時間があったので、高田馬場から新宿まで、少し遠回りした。山手線外回りで田端に行き、京浜東北線で赤羽に行き、埼京線で新宿へ(一筆書き乗車になってないという細かいツッコミは許していただけると)。痴漢がよく出ることで聞こえし埼京線に、「痴漢撲滅」を掲げて乗ってみたかったのである。

しかし、だいぶ出遅れた模様で、通勤通学ラッシュのピークは過ぎており、電車はすいていた。新宿駅で降り、1、2番線ホームの池袋寄りで、しばらく腕組みして仁王立ちしていた。かなり目立つはずなのだが、流れる人々は、誰もこっちを見ようとしない。あまりに寒く、激しく震えが来て、ものの10分ほどで退散。地下の西口改札口前に場所を移して続行。

何人かの人が断ったり断らなかったりして、写真を撮っていった。それから歌舞伎町の犯行現場を通って、喫茶店へ。正午。トモエと店長は店に来ていたが、後から出るとのことで、一人で東京メトロ丸の内線に乗って霞ヶ関へ。裁判所の前には、5〜6人のおじさんおばさんがいて、狭山事件の冤罪を主張し、裁判のやりなおしを訴えていた。

私はその隣りに立つ。声に出して訴えたいことは特になかったので、黙って立っていた。前を通って裁判所に入っていく人は多いが、こっちを見ていく人はほとんどいない。何人かが声をかけてきて、写真を撮っていった。ネットで見ました、と言っていく人もいた。もし翌日だったら、例の遠隔操作ウィルスの件があったので、報道陣が大勢詰め掛けてただろうな。

●性欲はあったのなかったの? ──被告人を責める弁護人

一番奥の、一番高い席の中央に裁判長。両脇の裁判官席は空席。裁判長の前の少し低い席に書記官。裁判長と書記官は黒い法衣をまとっている。左脇に3人、右脇に3人、裁判長を挟んで向かい合う形で横向きに、机を前にして座っている。この6人は見習いか、裁判を通じて一言も発しなかった。

書記官の手前中央に証言台が据えられている。一般的な配置とは左右が逆で、証言台の右側に横向きに検察官が一人。その手前に裁判所事務官(廷吏)が一人。証言台を挟んで検察官と向き合う形で、左側に被告人席。3席ある中央に座り、両脇の刑務官席は空席。被告人の背後に、机を挟んで弁護人が一人。

手前に、腰くらいまでの高さの木製の柵で隔てられて傍聴人席がある。左側前列、右側前列、左側後列、右側後列、それぞれ5席ずつで計20席。われわれが入ってほぼ満席となり、後から入ろうとした人は断られていた。

スーツ姿の被告人は長身だが、背が丸まっている。気が弱そう。やたらと気の強い性格の被害者とは対照的だ。口ががくがくがくがく終始動いている。両手は軽くこぶしを握ってひざの上に置いているが、指と指をすりすりすりすりこすり合わせている。そうとう神経質になっているようだ。

2:00pm 開廷。冒頭手続(人定質問、起訴状朗読、黙秘権の告知、罪状認否)
2:05pm 冒頭陳述。
2:12pm 情状証人として被告人の父親が証言台へ。証人尋問。
2:30pm 被告人が証言台へ。被告尋問。
2:55pm 検察官の論告・求刑。弁護人の弁論。被告人の最終陳述。
3:00pm 判決日協議、決定。
3:05pm 結審。閉廷。

取調べのときは発狂していたとトモエから聞いていたので、どんなことになるかとハラハラしながら見ていたが、人定質問にはちゃんと答えていた。

この裁判のポイントは、やはり情状酌量を求めての弁護方針にあった。弁護人は、がんばった。面白かったのは、なんか本来の弁護とは逆向きの仕事をしているように、一見みえたことである。弁護人は、ちっとも弁護せず、罪の大きさを主張し、被告人をどんどん追い詰めていく。

もっとも、弁護するったって、そこらのエロオヤジみたく「ちょっとぐらい触ったって減るもんじゃなし。さほどの重大事でもないでしょ」なんてやらかすわけには参らんでしょう。一気に心証を悪くし、下手すりゃ全女性を敵に回して、窮地に立たされかねない。ならば、徹底的に逆をいこうという作戦がおもしろい。

いわく「福岡で3回逮捕されているけど、いずれのときも二度ととしないと誓ったよね」。
いわく「どうして破ったか考えた?」。
いわく「勧誘してる人だから少しぐらい触ってもいいと?」。
いわく「被害者がどんな気持ちになったか考えた?」。

いわく「時間が経ったって、思い出したら不愉快な気持ちになるんじゃないの?」。
いわく「示談を提案したけど、断られた。どういう気持ちで断ったのか、わかってる?」。
いわく「店長は自分の店の従業員が触られたと言っているから聞いてんのに『おっぱいパブを紹介して』って、おかしいよね?」。

いわく「またやるんじゃないかと思われても仕方がない、そういう状況を作ったのは自分だよね?」。
いわく「母親は裏切られた思いだと言ってたよ」。
いわく「これから何をすればいい?」。
いわく「療養に専念、守れる?」。
いわく「誓える?」。

責める責める責める。いったん「以上」と言ったものの、検察からの質問の後、弁護人が挙手して続ける。

いわく「そういう気がないのに女性の体を触るのは病気ではない?」。
いわく「性欲、あったの、なかったの、どっち?」。
いわく「犯行時、たまってたんじゃないの?」。
いわく「自分の中で、たまってたかどうか気づかないの?」。
いわく「性欲なんて、自分のもんでしょ? わかんないの?」。
いわく「路上で他人に触るなんて、許される?」。
いわく「しっかり処理することが大事でしょ。処理のしかたを間違ってはいけない」。
いわく「認識できなきゃだめなんだよ」。

検察官の論告・求刑に引き続き、弁護人の弁論では、「事実に関しては弁明の余地なし」とした上で、以下を理由に情状酌量を求めた。
─歌舞伎町で女子高生が制服を着てビラ配りしていたこと
─比較的軽微であること
─本人、療養優先の必要性認め、すでに通院始めていること

一見、被告人をちっとも弁護していないようでありながら、責めることで罪の重さの自覚と反省を促し、それを情状酌量のよりどころとしている。上手い作戦だと思った。

●もやもやもやもや

犯罪の程度としては軽微な部類である。けど、心の問題として捉えたとき、裁判長も感想をもらしていたように、根が深い気がする。一年間に類似の件で4回逮捕されているからといって、違法行為をはたらいて屁とも思わない、鉄面皮の極悪人という感じはちっとも漂ってこない。

どちらかというと、気が弱そうで、根は悪い人じゃないんだろうな、という感じさえする。けど、馬鹿だ。捕まるたび、その都度反省して、もうするまいと心に誓ってはいるのであろう。けど、またやっちゃうんだな。そこにドロ沼があると知っていながら、足が勝手に向かっちゃう。手が勝手に動いちゃう。どうしても破滅の道に魅入られてしまう。病気なのか? 永久に治らないのか?

そもそも変態という病気はあるのか? いちおうある。名称は「性的倒錯」というが。身体的な病気の場合は、本人が痛みやかゆみなどの苦痛を感じたり、見た目に病変していたり、身体の一部が本来の機能をまっとうしなかったり、放っておくと命にかかわりそうだったりと、本人の状態によってのみ、病気かどうかが診断される。

しかし、メンタルな病気の場合はちょっと事情が異なり、
─本人が苦痛に感じている
─まわりが迷惑している
のいずれかが満たされて初めて病気と診断される。なので、明るく楽しい変態で、まわりも大して迷惑していない場合は、病気とはみなされない。社会的要因が介入しているのだ。

実際に治るかどうかはともかく、変態の治療法、いちおうあることはある。薬物を使う場合は、テストステロンを減らすという手段があるらしい。それって性欲そのものを抑えつけちゃおうってことなのかな?

「わかっちゃいるけどやめられない」という側面からは、脅迫神経症と結びつけて診断されることもあるようだ。性癖の方向性を根本から変えるか、性癖はそれとして迷惑行為を抑制するか。

私の場合は、メンタルには多少変態的なところもあるのかもしれないが、行動において、まあまあ抑制がきいているので、社会的にまずいことには今のところあまりなってないというあたりにいるのかもしれない。きわどいなぁ。

被告人の父親は、とても実直で善良な人にみえ、たいへん気の毒に思えた。息子が40歳ということは、おそらく60歳を越えているであろう。そろそろ上のほうからのお迎えも多少は意識するであろう歳になって、息子がこれじゃ、おちおち死んでもいられまい。40歳の息子のことで、これまでの監視の甘さへの反省の弁を述べ、これからはもっと密に見ていることにすると証言台で述べる心情、いかばかりであったか。

「減るもんじゃなし」と主張するわけではないけど、もっと重い犯罪がたくさん起きている中で、比較的軽微であることは否めない。日本でトップレベルの頭脳の持ち主たちが、事前に関係者と話をしたり、分厚い資料を作成したりと、それなりの手間隙をかけて準備した上で法廷に臨み、法廷においては緊張感をもって頭をフル回転させ、それぞれが言葉を尽くして役割を果たす。そして、そうとうのコストが国庫から出て行く。その重さと、衣服の上から女性の胸を触るという行為とのバランスって、どうなんでしょう?

この手の問題の解決手続きとして、これが本当に理想的なのか、あるいは理想的ではないにせよ、他にどうしようもないのか。もやもやもやもや、ちょっと考え込んでしまう。いったい誰のために費やされる頭脳、労力、時間、費用なのであろうか。

被害者の心情が、蚊帳の外に置かれていたような感じがする。弁護人から被害者の心情をどう思うかと問われた被告人は「怒らせてしまった」と述べた。弁護人は、それを、消えることのない深い心の傷を負ったのだと、認識を改めさせたいようであった。

示談交渉を断られたことをもって、被害者は犯人を許していない、それは心の傷が癒えていないことの証左である、と言いたいようであった。ううむ。実は弁護人よりも被告人のほうが、被害者の気持ちをよく察していたのではないかとむにゃむにゃ...。

まったくの机上の空論だけど、この件で無罪を主張することは可能ではないだろうか。迷惑防止条例の題五条には「人を著しく羞恥させ、又は人に不安を覚えさせるような行為であつて」という前提が書かれている。被害者にはどちらの感情にも乏しかったようである。ならば、行為があったとしても、この法律を適用することはできず、違法行為ではなかった、と。

第一審で事実に誤認があったとして、被告側が控訴し、高裁で逆転無罪とか。まあ、たぶん、ない。

「JK爆弾」という言葉が頭に浮かんだ。

【GrowHair】GrowHair@yahoo.co.jp
セーラー服仙人カメコ。アイデンティティ拡散。

あ。今回の、デジタルでもクリエイターでもオタクでもなかったですね。変態ワールドへようこそ!

ここに書こうと思ってたことがいっぱいあるんだけど。「東京女子流」のこと、イタリアのこと、大山淳子『猫弁と透明人間』(← お薦め)のこと、テレビのこと、またテレビのこと。けど、すでに長くなったので次回に回します。


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編集後記(03/01)

●読売新聞1面の特集「医療革新」で、ICT(情報通信)を駆使した「がん診療ネットワーク」の最先端医療の話を読んだ後、2面を開くと記事下に宝島新書「どうせ死ぬなら『がん』がいい」の大きな広告。治療ではなく放置という生き方を提案しているんだから、笑える偶然だ。

「どうせ死ぬなら『がん』がいい」を読む。「患者よ、がんと闘うな」「がん放置療法のすすめ」など多数の著書がある近藤誠氏と、ベストセラー「大往生したけりゃ医療とかかわるな」の著者・中村仁一氏の対談である。医療業界で村八分されている過激な二人、異なる道を歩んで来たにもかかわらず同じ結論に達している。「がんは自然に死ぬのは苦しくなくて、むしろラク。がん死が痛い、苦しいと思われているのは、じつは治療を受けたためである」「検診等でがんを無理やり見つけ出さなければ、逆に長生きできる」

わたしは臆病者で、痛い、苦しいのが大キライだ。病気になるのがこわい。いまは9割の人が医療死、つまり病院死で、死ぬ前の治療でたっぷりと地獄を味わわされる。そう聞かされると病気になっても入院するのはいやだ。だけど、自宅で痛みに耐え、苦しむのもいやだ。なんとか楽に死ぬことはできないものか。そこで飛びついたこの本だ。

「がん死」のお迎えは最高だ。人生の幕引きを、思い通りにできるかもしれないからだ。がんという病気は、たいてい最後まで意識はしっかりしているから、ゆっくり身辺整理ができるし、親しい人にお礼とお別れもできる。ところが、ポックリ死ではそんなことやるひまはないし、ボケちゃったらなんにもできないし、寝たきりになったらいつ死ねるかわらないので、周りの人に迷惑をかける。介護する側も先が見えないので疲れ果てる。

どうせ死ぬなら『がん』がいい。治療しなければ、がんはけっこうハッピーな病気だ。対談のむすびの言葉。中村「手遅れのがんで死ねる幸せを、ともに満喫できるよう祈りましょう(笑)」。ああ、とっても気が楽になった。(柴田)

< http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4800202868/dgcrcom-22/ >
どうせ死ぬなら「がん」がいい


●ネタがない。うーん。反省文や、自分の悪いところならいくらでも書けるんだが、それを書いて何の得にもならないどころか、あの人は○○な人という先入観までもたれてしまう。いかん、いかん。試行錯誤はするのだが、足踏みばかりと書いてどうするんだ。誰がそれを聞きたいのだ? うー。

頭の中にあるのは、いまやっている調査の必要な仕事類のこと、家事(消防点検と雑配水管点検が別の日にあるって......)と確定申告、先の予定に、やり残していること。それらが詰まってきてショートしつつある。

政治や世の事件に無関心になってくる。机の上を整理したいなぁ、でもこれに時間かけるとなぁ、と思いつつ、できないもんだから、まったく関係のないことをしたくなったり、眠たくなってきたりする。いい言葉があったわ。「抜本改革」。あー、手あかがつきすぎている言葉だと、なんだか改革できない気がしてきた〜(笑)(hammer.mule)