[3474] 趣味の時間・仕事の時間

投稿:  著者:  読了時間:22分(本文:約10,900文字)


《ユートピアかデストピアか》

■ユーレカの日々[22]
 趣味の時間・仕事の時間
 まつむらまきお

■グラフィック薄氷大魔王[344]
 実家でFRP立体制作
 吉井 宏

--PR------------------------------------------------------------------

 デジクリ電子文庫第一弾! マイナビより発刊

 怒りのブドウ球菌 電子版 〜或るクリエイターの不条理エッセイ〜
 Kindle版
 < http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B00CIOU68M/dgcrcom-22/ >

-----------------------------------------------------------------PR---




━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■ユーレカの日々[22]
趣味の時間・仕事の時間

まつむらまきお
< http://bn.dgcr.com/archives/20130515140200.html >
───────────────────────────────────
「三文未来の家庭訪問」(庄司創)というマンガを読んだ。
< http://www.amazon.co.jp/dp/4063878783/ >

ジェンダーやカルトといった様々な問題を扱った、SFとして非常におもしろい作品だったが、この中でドキッとするような描写があった。

●プログラマという仕事が絶滅した世界

その未来社会ではプログラマという仕事がなくなっている、という描写だ。ストーリーとはほとんど関係のない描写だが、この時代アプリケーションはコンピュータが作るようになっていて、だれでも端末と会話していけば、アプリケーションが作れる。その技術が一般化したとたん、ほんの数年で多くのプログラマが失業した、というのだ。

デジクリ読者にはぞっとするような未来だが、このような世界は、そう遠くない未来に実現するだろう。

自動プログラミングというSFのアイデアは昔からあるものだが、今の時代だとかなりリアルに感じる。「判断するのは人間じゃないと無理」という意見があるが、はたしてそうだろうか? 別にSFに出てくるような人工知能まで進化する必要はないだろう。

たとえばスパムメール。GoogleやAppleはユーザーの利用状況を常に分析している。多くの人がスパムだ、と判断すれば、そのパターンに合致する新しいスパムを自動的に判断する。

ならば、人が心地良い、便利と思うパターンもどんどん蓄積し、分析し、判断することもいずれ可能になるだろう。

テストを行うプログラム、デバッグするプログラムなど組み合わせていけば信頼性も高まる。

ひょっとしたら、すでにそういったプログラムは開発されているのかもしれない。そうなるとマイクロソフトやアップルがとても困るので、開発者は密かにゴルゴ13に抹殺されているのかもしれない...


●技術革新は仕事を奪う

このマンガが怖かったのは、そういった技術面での信憑性が問題なのではない。ここで描かれている「ほんの数年でプログラマが失業に追い込まれる」というところがリアルなのだ。

実際、私たちはすでに似たようなことを見てきた。20年ほど前DTPが登場し、当初は「あんなものは仕事で使えない」と言われながらも、あれよあれよというまにシステムは発達し多くの写植業、版下業が廃業や転業を余儀なくされた。

デジタルカメラが登場した時も、「あんなものは仕事で使えない」と言われていたのが、あっというまにフィルムメーカーは統廃合に追い込まれた。

もっと歴史を遡ってみよう。

産業革命以前、仕事は主に世襲制。子どもの時から時間をかけて、仕事に慣れていく。大人になって死ぬまでその仕事はちゃんと存在し、次の代が引き継いでいく。だから教育は学校ではなく、家、村、仕事場で行われるのが合理的だった。

産業革命により、大量生産の時代になると、仕事は分業制になる。工場で自動車のボルトを作り続ける、といった具合だ。仕事場は家から工場や企業に変わり、仕事をする場所=都市に人が集まり、核家族化が進む。

こういった時代では、教育も専門性より汎用性が高いものが必要となる。技術革新で仕事が変化していくからだ。だから教育の場は「学校」という仕組みになり、基礎教育をたっぷりと、専門教育を少しだけ行う今の仕組みになる。

そして現代、デジタルの時代。あらゆる状況が瞬時に変わっていく。

専門学校で2年ほどFlashのプログラミング「ActionScript」を学んで社会に出てみれば、Flashの仕事はなくなっていてHTML5に取って代わっている、という時代だ。仕事の仕方が若干変わるくらいなら、差分を学び直せばいいだろうが、新しい技術は多くの場合、効率化され、それ以前より少人数しか必要としなくなる。

かつてFlashのアニメ、バナー広告全盛期に、いずれネットでもテレビのCMをそのまま流すようになるだろう、そしてFLASHのアニメの仕事はなくなる、と書いた。まさにその通りになった。どうやら技術の革新が仕事を奪うというのは真理のようだ。

自動プログラミングや、3Dプリンター、ロボットといったテクノロジーはたしかに人間を楽にしてくれて、魔法のように人の考えを現実化するだろう。

これらの革新は新しい仕事を生むとも言われるが、その仕事に従事できる人間は限られる。

先のマンガでは、主人公の両親はプログラマだったのが、母は仕事を失い、父はなんとかプログラムの仕事にありつけているがとても辛そう、という描写がなされている。

●教育の問題

さきほどFlashのプログラマについて書いたが、教育という仕組みも、旧来型で今はリスクが増えてきている。

昔読んだ星新一の小説で、宇宙飛行士になろうとした二人の話があった。片やスポーツ優秀、様々な訓練をトップでこなし、難関をくぐりぬけて宇宙飛行士に選ばれる。もう一人は身体が弱くすぐに脱落する。

宇宙飛行士になった男がはじめての宇宙飛行に出かけるというとき、もう一方が「なんの訓練もなく、だれでも宇宙に行ける安全な宇宙船」を発表するという皮肉な話だ。

今読んでもコワイ話だ。

「今後看護ビジネスが確実」ということで勉強しても、卒業するときには業界が冷え込んでいる、ということが充分考えられる。自動車学校に通う半年の間に、Googleが自動運転を普及させているかもしれない。

だから変化に対応できるよう、より仕事の核心部分に就けるよう、人々は高い学歴を求める。しかし、技術の進み方、世の中の変化は容赦ない。高い学歴があってもそれを活かす職があるとは限らなくなっている。大学院にまで進学しても、安定した仕事にありつけるとは限らない。リストラされたり、会社が潰れたりするかもしれない。

現在の、仕事前提で教育を受ける、という仕組みが、社会の実情に合わなくなりつつある。

●仕事が減った世界

今のように週5日・8時間働くという工場生産型の生活はいずれ変化するだろう。仕事が効率化されるので、就労は週2日になったり、半年休みになったり。実際、非正規労働がどんどん増えている。企業にしてみれば長期に安定した仕事を保証できないからだろう。いずれ、非正規労働の方が正規の労働になる日が来ると思う。

この流れは止められるのか?

昔、ロボットが人間の仕事を奪うことに人々が反対する、というような話を読んだ。たしか「鉄腕アトム」だったろうか。それが描かれたのは、工場を自動化するのに、組合が反対するという時代だったのだ。しかし、自動化の波は止まらなかった。

自動化効率化を進めなくては他社に負けてしまう。価格競争に負けて会社が潰れる。一度手にした効率化、利便性を人間はそう簡単に手放さないだろう。だからリストラが行われる。

なんだかお先真っ暗な話のようだが、効率化は様々なコストを下げてくれる。生活にかかるコストも下がる。

そもそもが「世の中を楽にするために色んな物が生産」されているのだ。それが合理化されコストが下がっているのだから、生活そのものは楽になるはずだ。

生活を楽にする道具を作って、そのために仕事がなくなる。なんだか相反することのようだが、総量で見ればプラスマイナスゼロだ。

仕事が減っても、生活費が安くなればバランスは保たれる。日本の場合は地価がネックだが、このコストが下がれば、仕事が減っても生活は可能になるのではないか。収入が減っても生活費がまかなえるなら、それは悪い世界ではない。

もちろん地球規模でみればエネルギー、人口、高齢化、貧富の格差など問題が山積みで、そんな呑気な未来は現実的でないかもしれないが、とりあえずもう少し考えてみよう。

●趣味の時間

さて、もしそういった技術の進歩が「生活には困らないが仕事もお金も少ない、のんびりとした世界」を実現したとしよう。プログラムも、プロダクトも、デザインも、ごく一部の人を除いて仕事にならない時代。ベーシック・インカムかなにかでとりあえず生きていくには困らない。貴族の時代と違うのは、時間はあるが、自由になるお金はそんなにはない、というところだ。

そんな時代でも、人はプログラムを書いたり、デザインをしたりしているのではないかと思う。仕事ではなく対価を求めない「趣味」として。

なぜなら、モノを作る行為そのものが「面白い」からだ。行為が合理化されて仕事として成立しにくくなっても、その行為が面白ければ、人はそれをやり続ける。だれかを喜ばせるために無償で行う。だれかとコミュニケーションを取るために、無償で参加する。それが「趣味」ではないのだろうか。

写真、工作、絵画、音楽、手芸、園芸...現在「趣味」と呼ばれることの多くは、もともとが仕事だったのではないか。ゲームやスポーツといった娯楽と呼ばれる趣味も「戦争」や「決闘」といった、仕事のなごりと考えることができる。

それらは昔は世襲の仕事として成立していたのが、技術の革新によって仕事として従事できる数が減り、そのかわり趣味として携わる人の方が多くなっている世界だ。

合理化され自動化され、仕事にはならなくなったジャンル。それでも人々はそれに夢中で取り組んだり、教育を受けたりする。

これらのジャンルでは多数のアマチュアと、その中から生まれたごく少数のプロの生産者、指導者、そしてそれらの面倒を見る人たちが居る。だから規模の大小はともかく、今でもそれなりに経済活動として成立している。

とすれば、社会全体が「全て仕事中心」から「全て趣味中心」で成立しないだろうか。

●仕事になることを当てにしない趣味世界

「生活には困らないが仕事もお金も少ない、のんびりとした世界」では、仕事の種類はどんどん減り、かわりに趣味の種類はどんどん増える。

幸い時間は余っているので、自分の気の赴くまま、趣味に走る。

最初はお金のかからない趣味だ。コンピュータとネットさえあれば、そういった趣味はいくらでも見つかる。

趣味といえども、自己流ではうまく行かない。専門教育が必要だ。現在、教育というのは大変コストがかかるものだが、これもネットがあれば独学に必要な資料教材はいくらでも手に入る。先に述べたような、プログラムをプログラムが作ってくれるような時代だから、独学の相手をしてくれるアプリケーションもある。

また、そういった時代では指導者も無料で見つかる。「教える」という行為は実は相当に「面白い」からだ。だから「趣味として教えている」という人もたくさん出てくる。

そういった趣味世界でも、それを仕事として成功させる人が出てくる。上手くできる人は尊敬され、対価やスポンサーを得やすくなるからだ。

その人たちがその他の人たちに教えるのは「経済的な成功方法」ではない。それはもう仕事でなくなっているから。彼らが教えるのは「楽しみ方」だ。ゲームや映画鑑賞、読書といった消費系の趣味であっても、そのジャンルに精通し、なにが面白いかを人にうまく伝える能力があれば、そのジャンルで頼られる人になる。今でも、ライターや評論家というのは目指してなれるものではないだろう。

それぞれの趣味には周辺の産業もある。それらの仕事もまた自動化され減っているだろうが、それらの仕事が好きな人が、それらの仕事に携わる。

「面白いから学習してしまい、上手く出来た人はそれを仕事にできる」世界。現在の「対価を得るために仕事を選び、仕事を得るために教育を受ける」というのとは真逆の世界だ。

今でもBLOGなどで発表したものが注目され、本としてヒットし対価を得るということがある。芸術家や評論家、マンガ家、ミュージシャン。もちろん、目指してプロになった人たちもいるが、そういう趣味的ジャンルのプロたちは、仕事にならなくてもずーっとそれをやっている人たちなんだと思う。「(うまくできたから)面白くて続けていたら、それが仕事になってしまった」という世界だ。

今の世の中だと、こういうジャンルの成功者にあこがれて目指してみるものの、結局は挫折する、というケースが多い。しかし、趣味が中心の社会になれば、挫折しなくても済む。自分が楽しくて他人に迷惑をかけなければ、それでいいのだから。

なんだかとても楽しそうな世界ではないか。楽天家のぼくはつい、そんな世界を夢想してしまう。

●ユートピアかデストピアか

便利になって仕事がなくなる、と考えると恐怖だ。しかし人類は今、その向こうにある、この脳天気な「趣味世界」を目指して進化している最中なのだ、と思いたい。

大学でイラストやマンガを教えているが、入学してくる学生たちはみな、「できれば仕事になればいいけど、まずは上手くなりたい」と言う。

それはすごく正しいと思う。

自分が面白いと思って夢中になっている学生はどんどん伸びる。結果としてプロになる。逆にどうやって社会に出ようかと考えすぎると迷走する。何が好きだったのか、何をしたらいいのかわからなくなる。

今はまだ、社会の構造がそういった人たちにあまり優しくない。趣味よりも仕事優先だからだ。社会に役に立つことをしろ、安定した仕事に就け、という。でもそんな仕事が減ってきているのだ。すべての仕事が減っていくのだ。

今はまだ、プログラムやデザインは技術を習得すれば仕事になる。マンガもアシスタントという技術仕事がなくはない。でも、そういう時代はいつ終わってもおかしくない。

大学ではデザインの考え方や、仕事ということを教えている。マンガもプロとしての仕事の仕方だけではなく、人に伝えること、わかってもらう技術として教えている。時代が変わっても技術が変わっても、受けた教育が無駄にならないように。違うジャンルの仕事に就いても役にたつように。

イラストやマンガを教えていても、仕事としてやっていくことを薦めはしない。それがいい生き方だとは言わない。それを目指しても、必ず幸せになれるとは思えないからだ。今はまだ、仕事をして生きていかなくてはならない時代だから。仕事にするかどうかは評価が得られてからだと思うから。

仕事に使える技術を教えながらも、無償でも続けてくれたらいいと思う。好きなコトを続けられる方法を伝えられたらと思う。もっと面白くなる方法を伝えたいと思う。

若い人たちを見ているととんでもない労力で就活をし、せっかく就職しても合わないとか、ブラック企業だったとか言ってすぐに辞めてしまう人がいる。

好きでない仕事を延々と続けている人がいる。イラストやマンガで評価され一旦仕事になりながらも、仕事という仕組みがしんどくて続かない人もいる。非正規雇用。合理化、リストラ。

政府や経済界は経済を活性化させようと躍起になっている。仕事にまつわる問題はすべて景気のせいだといわんばかりに。

でもおそらく景気の問題ではない。社会構造の変化なのだ。どうやら仕事中心の世界が徐々に終わりを告げているのだ。

その先が少ない仕事を取り合うデストピアなのか、趣味に生きられるユートピアなのか。この変化を乗り越えることができるのか。

願わくば近い将来、皆が好きなこと、趣味に従事することで長生きできる世界が来て欲しいと思う。

【まつむら まきお/まんが家、イラストレーター・成安造形大学准教授】
< twitter:http://www.twitter.com/makio_matsumura >
< http://www.makion.net/ > < mailto:makio@makion.net >

・滋賀ローカルですが18日の土曜日にポスティングされる「リビング滋賀」新聞でインタビューを受けました。マンガの楽しみ方についての話が掲載されます。捨てずに見てね。
< http://www.shigaliving.co.jp/living/02.html >
・19日の関西コミティア(創作マンガイベント)に個人&大学のゼミ&部活で参加します。スペースQ-08


━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■グラフィック薄氷大魔王[344]
実家でFRP立体制作

吉井 宏
< http://bn.dgcr.com/archives/20130515140100.html >
───────────────────────────────────
ゴールデンウイーク、4月28日(日)から愛知県の実家で展覧会用の立体制作をしてました。東京に戻ってきたのはおとといの5月13日(月)。正味二週間ものロングバケーション! じゃない、猛烈に働いてたわけですが。

なぜ実家で制作かというと、樹脂や溶剤の臭いや削った粉や電動工具の音などが出し放題で、広い部屋を使えるから。東京の自分の部屋じゃ無理、っていうか気を使って遠慮がちにやるのがきゅうくつなので、ここ2年くらい立体制作は休止してたのです。

とにかく大変でした。何がたいへんかって、GWを立体制作かかりきりにするべく、残ってる仕事を全納品&待機状態にした上で実家に行ったのに、新しい仕事がいくつも入っちゃって、並行して進めながらだもん。

コンペ仕事のキャラ制作も立体制作も、どちらも楽しいことなのに、両方同時に限られた時間でやるのはキツイ。1.5人前の寿司とカレー大盛りを5分以内に食え! みたいなもん。

制作の詳細ログは、Facebookや、twilogの
4月28日 < http://twilog.org/hiroshiyoshii/date-130429 >
から
5月12日 < http://twilog.org/hiroshiyoshii/date-130512 >
まで、写真入りでいっぱい載ってます。

特に今回は、FRPに初挑戦。FRPと言えば、猛烈な臭いに加え、そこら中に散らばるガラス繊維のチクチクで有名な、とってもとってもハードコアな造形素材。立体アート作品や遊園地の造形物などはたいていFRPで作られており、あこがれてたのでした。

FRP、やってみてわかったのは、臭いはポリエステルパテをちょっと強くした感じで、猛烈ってほどでもないかな。まあ東京のマンションでは無理としても。ガラス繊維はゴム手袋をしてれば大丈夫だけど、それでも靴下にくっついたらしく足がチクチクした。

ガラスマットをちぎって貼り付け、刷毛でポリエステル樹脂を染み込ませる「含浸」って作業は楽しい! ガラス繊維につゆだくに含ませた樹脂がカチカチに硬化して強力なFRPになるわけです。

全体の手順は、
インダストリアルクレイで一次原型を作る→石膏で型取り→ポリエステルパテで置き換え→二次原型を制作→増粘剤を入れたシリコーンで前後二つに分けた型を作り、石膏で補強→FRP積層を数回→前後のパーツを接着して合わせ目を処理→下地塗装→本塗装→クリアースプレーを吹き、表面をコンパウンドで磨く、という具合。

今回の完成作品にはいくつも不満点がある。全体の曲面がちょっと雑で、微妙に大きな凸凹がある。そのあたり、本来ならしつこく何日もかけて修正を繰り返すのに、十分な時間が取れず、ほとんど全工程が一発勝負。目とかの輪郭の凹みのエッジも甘い。ここが一番時間がかかるのだ。

エッジが甘いから、塗り分けのときに中央の境界線がわからないまま塗ることになり、別の角度からの光で見るとエッジから離れたところで塗り分けになっちゃってる。そこがいちばん残念。完全にアナログで作ったわけで、「味」とか「作家の手の痕跡」とか解釈してもらえたらいいんだけど。

完璧にするにはかかりきりで3週間くらいは必要だなあ。客観的に冷静に作業結果を評価する余裕がなかった。

「原型を作り、型を作り、一個抜くところまで」って、その一個のための大変な工程なわけだけど、順調に複製できれば全工程の苦労が個数分で割られるんだよね。複製前提ってのは数を作ってこそのものだなあ。3個複製するだけだったら、丸太から木彫りで3個作るほうがラクかもと思った。

あと、型からはみ出したFRPを切り取って、前後を貼り合わせて表面処理する作業が大変すぎ。やっぱ中空レジン方式でポリエステル樹脂を「流し」するのがいいかな。気泡の問題もなくなるし。ガラスマットを入れないと強度の問題があるけど、ガラスマットを5mmくらいに細かく切って樹脂に混ぜて何層か流し込むのがいいんじゃないかと思う。それで何層か流し込めば相当強くなるんじゃないかな。

塗装は下地の色以外、マスキングなしの筆塗りだったけど、やはり面倒でもマスキングしてエアブラシを使わないとダメだな。何度も塗り重ねても不透明度が上がらず、目の輪郭一組を塗ってる間に、45分のポッドキャストを2本聴けちゃうくらい時間かかるのはどうかしてる。

とか考えてたら、おとといまで「立体なんて二度と作らん!」とか思ってたのに、また作りたくなってきた。思いついた方法を試したい。経験値上がってるし、次は絶対にもっとうまく要領よく早く作れるに違いない! とか思っちゃうんだよなあ〜。いつもそう思うんだけど、作り始めると「やっぱ大変〜〜!」って後悔するw

......っていうか、元にしたCGで作ったキャラは、「展覧会用に、こんなの作ったらどうかな?」の参考見本として、2時間くらいで作ったもの。それをアナログで立体にするのに2週間もかかるって、クリエイティブとしてはどうなのか? まるまる2週間使えたら新しいキャラがCGで40〜50個は作れてしまう。僕にとっての立体制作は、そこまで価値があるものなのか、ちょっと悩んでみたり......。

【吉井 宏/イラストレーター】
HP < http://www.yoshii.com >
Blog < http://yoshii-blog.blogspot.com/ >

先日、「3Dプリントは「作品」になり得るか?」で、立体作品作るならぜったいアナログ! とか書いたけど、ちょっと揺らいだ。形を作るところまでは3Dプリンタ利用で多少はデジタルを取り入れてもいいかな。


━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
編集後記(05/15)

●百田尚樹「夢を売る男」の中で、カモのひとり、小説なんか書いたことのないフリーターの人間像が興味深かった。俺は世間の奴らとは違う、俺はいつかジョブズのような男になるんだ、という根拠のない自信を持っている若者だ。自分以外はバカと思っている、他人を見下ろす若者の典型だ。彼は「努力こそが人から自由を奪うんだ。具体的な何かを目標にするということは、それに縛られるということなんだ。正社員にならないでフリーな立場でいるのも、人生の大きなチャンスのときに動けるような立場に身を置いておきたいんだ」と妄言を吐き、仲間の支持を得ている。仲間もみんなバカである。

こんな若者をその気にさせるのは簡単で、自分はやればできる男、と思っている自尊心に餌をたらしてやればすぐに食いつく。君は本当の天才だよ。君の凄さをわかる編集者は滅多にいない。レベルが突き抜けている。そうおだてて舞い上がらせると、フリーターは「ハイリスク・ハイリターンのギャンブルだ。半端じゃないリアル人生じゃないか。147万が惜しくてやらなかったら俺は一生後悔することになる」なんて自分自身を納得させてしまう。そんな人物だから、コロッと騙されてなけなしの金をふんだくられても気の毒ではない。

「俺はまだ本気出してないだけ」なんて、未熟な若者が言うから多少は許容できるが(人によるけど)、40歳で会社やめてマンガ家めざすバカとなると、ひとかけらの同情の余地もない。青野春秋の漫画「俺はまだ本気出してないだけ」の主役・大黒シズオがその人だ。妻はいないが高校生の娘がいる。その娘から金を借りたりしている。「シズオよ。そろそろ目を覚ましたらどーだ?」「世の中なめてんのか?」と、いつも青筋たてて説教を垂れる父親がいる(わたしも彼と同意見だ)。

シズオは本気出せば売れる漫画家になるはずだと思っているが、才能はない。持ち込んだ出版社ではボツの連続。ハンバーガーショップのバイトで年下にバカにされながら、なんとか収入を得ている。ヘタなとぼけた絵だが、ギャグではない。けっこうシリアスでつらい漫画は5巻で終わった。堤真一主演で映画化されたが、予告編を見るとどうやらコメディみたいで、違うんじゃないかと思う。ところで、共産党の穀田恵二をテレビで見るたびに、あっ堤真一の兄さんだ、と必ず言うわたしである。(柴田)

< http://www.oremada.jp/ >
映画「俺はまだ本気出してないだけ」公式サイト
原作紹介のページで16ページの試し読みができる
< http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/409188377X/dgcrcom-22/ >
「俺はまだ本気出してないだけ」


●小橋建太。引退記念試合を見たいがために『G+』の契約をしたよ。「完全生中継」を録画で見た(涙)。そして、もう生では見られないんだなぁと。とはいえ生で見たのはたった一度。テレビで見ている時はジュニアの試合が好きだったんだけど、生だとヘビーの重量感や存在感に圧倒された覚えがある。小橋のサイン入りTシャツを買い、三沢と握手してもらった。すてきな思い出だ。

引退記念試合はカウントダウンからはじまり、ハヤブサの開会宣言、花束贈呈や10カウントなど。川田が登場したよ。野田元首相が楽しそうであった。いいなぁ、チケットとれて。

プロレスが嫌いだった。大変さを知らなかったから。技が成立するためには、技を受ける人がいないといけない。よけたらダメ。よけるのは次の技に繋がる時のみ。次から次に技を繰り出すためには、相手と呼吸を合わせる必要があって、下手な相手だと、いくらひとりが巧くても、塩試合になってしまう。(続く)(hammer.mule)