[3625] もったいビジネスから承認ビジネスへ

投稿:  著者:  読了時間:24分(本文:約11,800文字)


《年末年始に幸せについて少し考えてみた》


■Otaku ワールドへようこそ![187]
 もったいビジネスから承認ビジネスへ
 GrowHair

■Take IT Easy![03]
 モードを意識させないインターフェース
 若林健一 / kwaka1208


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■Otaku ワールドへようこそ![187]
もったいビジネスから承認ビジネスへ

GrowHair
< http://bn.dgcr.com/archives/20140128140200.html >
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カラオケは、その装置がスナックなどの店に導入され始めた当初からうるさいものではあった。将棋の芹沢博文九段は、『王より飛車が好き』(サンケイ出版、1984年)で書いている。最近は、どこのスナックへ行ってもカラオケ装置が導入されていて、うるさくてしょうがない。落ち着いて話ができやしない。

けど、画期的な対抗策がひらめいた。自分が歌っている間だけはうるさくないのだ。店に入ったらすぐに一曲歌い、さっさと会計して店を出る。それを次から次へとやってハシゴすればいい、と。おいおい、それってけっこうな散財になりませんかい?

会話を楽しみたい人たちにとっては邪魔な装置ではあったものの、いちおう、間をもたせ、場を盛り上げる機能を果たしてはいた。たまたま店に居合わせた赤の他人であっても、一曲歌い終わった後は、まあ、おざなりにせよ、拍手ぐらいはした。スナックのママさんとしてはお世辞を言う格好のタイミングであり、それなりの和やかなムードが形成されていた。

今は違う。無関係の客からはパラとも拍手が来ない。そもそも聞いちゃいない。スナックやキャバクラだと、横(あるいは向かい)についた女の子が、音が出るか出ないか程度の拍手をせいぜい3つくらい。店全体にシラッとした、いたたまれないムードが漂う。「歌唱後空虚感」とでも名付けようか。

女の子のいる店を、かつて私は「もったいビジネス」と称して揶揄した。普通に日常的な雑談をするくらい、川原の石ころ同然、タダのものではないかと思うのだが、それになんだかんだともったいをつけて、人の財布の中身を吸い上げる商売。

何回か通って馴染みになると、二人で外で食事ができたり、さらに進むと一緒にカラオケに行ってもらえたりする。それに応じて財布の中身は加速度的に吸い上げられるようになっているのだが、お客の側としては、ここまで使ってきたのだから、もうちょっと使えばもっといいことが起きるのではなかろうかと変な期待が高まってくる。

これをビジネス用語では「コンコルド効果」と呼ぶ。フランスが技術の粋を集めて開発した超音速旅客機が、機能的にはいくら優れていても、事業的にはちっともうまくいかず、それでもここまで莫大な予算をすでにつぎ込んでしまったのだから、もう少し続ければ明るい展開になるのではなかろうかという淡い期待から、撤退するタイミングを逸してずるずると赤字を垂れ流し続けたことに由来する。もったいビジネスにハマったお客は300万円ぐらい吸い取られてから目が覚めるものらしい。

今は、この「もったいビジネス」が「承認ビジネス」へと変貌しつつある。お客は承認を買いにくる。自分だけ特別視されたい。持ち上げられたい。ちやほやされたい。モテたい。たとえ、その場かぎりの形ばかりのものであったとしても。

サラリーマンは宮仕え。仕事でボロボロになった自尊心を修復してから帰りたい。そのためにお金を払っているのである。承認とお金の等価交換。だから、赤の他人の歌に拍手するなんていうのは、お金が減っていくのと同じことなのである。意地でもしてやるもんか。

仲間内4〜5人でカラオケボックスへ行って歌うときも、承認ゲームの様相を呈してきている。ただし、この状況における承認は、お金によって補完されない。つまり、AさんがBさんの歌に拍手したとすると、一定量の承認という名の価値がAさんからBさんへと移行したとみることができ、これによって、承認の総量に変化は生じない。つまり、承認保存の法則が成り立っている。ゼロサムゲームである。

かつては、思い思いのタイミングで曲を入れていた。その場では特に問題が起きなくても、後になって、誰それは続けざまに曲を入れて、人より多く歌いやがってだの、メドレー曲を入れて10分もぶっ通しで歌いやがってだの、不満爆発で第三者に愚痴ったり、mixiの日記に書いたりする者がよく出てきた。

人の歌など聞きたくもないけど、自分の歌は人に聞かせたい、という各自の思いが全員で共有されることによって、カラオケゲームは成り立つ。一人だけ得したりしちゃ、いかんのである。最初に、一番手と巡回方向を決め、あとは順繰りに入力パネルとマイクを隣へ隣へとまわしていくのが最近の流儀のようである。

もとよりゼロサムゲームなのであるから、承認の出を最小化し、承認の入りを最大化しようとする各自の力が均衡し、結果として、誰もが差し引きゼロになって終わるのが、公平で、平和的である。仲間内であっても、拍手などめったに起きないし、感想を述べることもめったにないので、歌唱後空虚感はやはり漂う。そういうもんだと、みんなあんまり気にせず、きわめて事務的にマイクが回されていく。

それって、合理的ではあるけど、楽しいんだろうか。承認ゲーム的マイク巡回カラオケに参加するか、ひとカラに行くか、選択肢があったら、私などは迷わず後者を選ぶけどなぁ。DAMの「精密採点 DX」で90点以上出したときに鳴るファンファーレと歓声のほうが、ナンボか気分がいい。

年の明ける瞬間をひとカラで歌って過ごすというのが、ここ数年来の私の密かな縁起かつぎの儀式となっている。その瞬間をあえて意識せず、一曲歌い終わってぱっと時計を見ると明けている、という具合にする。

今年はやのあんなさんの「Shape My Story」で年を越した。マイ・ラッキー・ソングである。YouTubeに上がっているMusic Video(MV)は、18万アクセスを稼いでいる。この曲、めっちゃ難しくて、精密採点DXでは 80点前後しか出ないんだけど。
< >

去年、歌って年を越したので、歌の神様の覚えよろしく、ご褒美にと、MV出演の機会を授けてくださった。今年も二匹目のどじょうを狙って、……というわけではなく、そのラッキーに感謝の意を込めて。

その後、中野へ行き、「アニソンカラオケバーZ」へ。おいおい、なんだかんだ御託を並べておきながら、結局お前ももったいビジネスだか承認ビジネスだかにハマってんじゃん。……いやいや、そういうわけではなく。このお店は別格なんである。

お客がステージに立って歌っている間、店のコスプレした女の子たちが「盛りあげ隊」として、タンバリンを叩きつつリズミカルに踊ってくれるだけではなく、お客さんたちも気を入れて、手拍子したり合いの手を入れたりヲタ芸を打ってくれたりするのである。

およそ承認の出し惜しみというものがなく、歌い終わった後も拍手と歓声が飛び交うので、歌唱後空虚感のムードはまったく漂わない。気分のいい店なんである。

ただ、このところ、あまりに人気が高まりすぎて、徒歩2分くらいのところに2号店をオープンしているにもかかわらず、どちらも満杯で入れないことがちょくちょくある。あ、こんなとこであんまり宣伝しないほうがいいか。

元旦の午前1時ごろは、ものすごいことになっていた。椅子の数の2倍ほどのお客さんで店内はひしめき合い、誰も座っていなかった。盛り上がりようが、ほぼクレイジーの域に達していた。

このお店は、最初の一曲だけは優先順位を上げてくれて、入店後、即、歌わせてくれる。このオーバーヒート気味の熱気の中、大してノリがよくもない私がステージに上がっていっては盛り下げてしまうんじゃなかろうかと、たいへん気が引けた。

ともかくも、今歌ってきたばかりの「Shape My Story」をば。これが、すんげー盛り上がって、こっちがびっくりしたほどであった。それほどみんながこぞって入れる曲というわけでもないのに、合いの手の入れ方が完璧だ。みんな、この曲、知ってるの? ヲタク、あなどれんな。

そういうわけで、お店の女の子もお客さんも区別なく発するスーパーポジティブなオーラで大盛り上がりする熱気の真っただ中にいて、幸せ気分で満たされた正月であった。明けましておめでとうございます。

前置きが長くなったが、「会うと幸せになれるセーラー服おじさん」とネットではうわさが広まっている私であるからして、年末年始、少しばかり、幸せについて考えてみた。

●煩悩に流されないための止観

仏教は、つまるところ幸せになるための方法論であると私は認識している。なので、幸せについて考えるのであれば、坊さんに聞いてみるのがよかろう。

「アニソンカラオケバーZ1号店」は「ワールド会館」の地下一階にあるが、同じビルの二階には「坊主バー」がある。安っぽい「もったい」や「擬似承認」を売り物にしているわけではない、という点において、両店は共通すると言ってよかろう。
< http://nakano-vowsbar.com/ >

暮れに2回、年明けに2回行った。特に年明けの2回は、私のいる間じゅう、他のお客さんの来店はなく、ずっと坊主独り占め。線香のかほりよろしい静寂な空気の中、ありがたいお話をたっぷり聞くことができた。

坊主の作るカクテルがなぜかめっちゃ美味く、私は「極楽浄土」と「空即是色」が気に入っている。

仏教は幸せに至るための思想、という私の基本的な認識は、さほど的外れではなかったようである。究極的には、解脱の境地に至ることにより輪廻転生から解放され、永遠なる魂の平穏を得ることを目指す。

そこへ行くことを妨げているのが煩悩である。欲と解釈してもよい。ただし、仏教の欲には大欲と小欲があり、われわれの言うところの下世話な我利我欲の類は後者である。仏の心を求める信仰心が前者である。

欲というのは何々を手に入れたいという願望である。すぐには手に入らないので、努力して手に入れる。そうしたら喜びを味わえる。それでいいじゃないかと思うのだが、それでよくないのが仏教の教えである。

十万円手に入ったら百万円欲しくなる。百万円手に入ったら一千万円欲しくなる。結局、欲しいものが入手できないという欠乏感はどんどん肥大していき、行けども行けども苦しみから逃れることができない。

米原万里氏が読売新聞に寄稿したエッセイをまとめた『真昼の星空』(中公文庫、2005年)という本がある。何の不自由もないリッチな生活を営んでいる母娘がいて、さぞかし幸せであろうと話を聞いてみると、娘の誕生石である縞メノウがダサいことを母娘ともども真剣に悩んでいた。人間とは、不幸の理由を発明する天才である、と書いている。

どうやら欲望のほうを何とかしないことには、幸せの境地には到達できないようになっている模様である。それを仏教は教えている。

社会のシステム化がどんどん細部まで浸透していく現代にあって、承認の欠乏感が人々の悩みの大きな部分を占めているのではなかろうかと私はみている。これがちゃんと満たされないことには人は幸せになれないのではなかろうか。

しかし、承認はもとよりゼロサムゲームである。誰かが多くを獲得すれば、誰かが多くを失うわけで、社会全体において承認格差が生じるのは回避のしようがない。賞賛を欲しいままにするやつもいれば、日々馬鹿にされっぱなしで過ごすやつもいる。

満足な量の承認を全員に配布することは、土台無理な話なのである。しかし、だからといって承認格差の底辺の人々がいつか大爆発して、やけくそな犯罪でも起こした日には、社会が不安定化して困る。みんなが幸せになるに越したことはない。

それこそDAMの「精密採点DX」じゃないけど、人工的に承認を発生させる装置でも発明しないといかんかなぁ、とも思う。

しかし、仏教の教えに照らしてみると、承認願望そのものが煩悩の一種なのかもしれない。そっちを何とかすることで、幸せになる道もあるのかもしれない。

どうやら、承認が得られないから幸せになれない、ではなくて、承認を得ることにこだわっているうちはなかなか幸せになれない、ということなのかもしれない。この発想は、いままで私にはまったくなかった。まさに天啓に触れた思いである。

そうは言っても、煩悩とはコントロールの難しいもののようで。よくないからといって、無理やり抑えつけようとすると、かえって大反発してくるものらしい。ダイエットや禁煙に失敗する所以である。

じゃあ、どうしたらいいか。「止観」という考え方があるらしい。欲望のうちでも、後先考えずに突っ走っちゃいがちなやつは、たいていが悪いものなのだそうで。せめて突っ走る前に一時停止して、前後左右の安全を確かめなさいよ、と、そういうことらしい。

とりあえず、ここまで聞いた。続きは今後、追い追い聞きにいこう。お寺に行かなくても、中野のバーで美味いカクテルを飲みながらありがたい説話が聞ける。いい世の中になったもんである。

ただし、私は話を聞いたというだけのことであり、仏門に入って悟りを求めて修行したというわけでも何でもない。ましてや悟りの境地なんてものは、霞の向こうにすら見えていない。

仏教において、悟ったふりをして、知ったかぶりして人々を惑わすことは、破門にも値する大罪である。そこには自覚的であって、そんなつもりは毛頭ありませんと、いちおうお断りしておきます。いや、はっきり言って、煩悩のカタマリです。

けど、悟れてない割には、私の内面は平穏と幸福感で満たされているような感覚がある。満たされてるどころか、パンパンで、早く人様に配って歩かないことには破裂しそうである。別に、宝くじで1億円当たったということもなく、キャバクラのねーちゃんといいことがあったということもない。

ただ、美味いものを食ってるときなどに、生きてるっていいもんだな、と実感できる瞬間が訪れたりする。

そう言えば、もう20年ほど前になるが、ちょっと重い病気にかかったことがあるんだった。血液1ミリリットル中に7万匹だかのウィルスがうじゃついていた。この状態になった人の生き延びられる確率は2分の1と言われた。

罹患したのは、おそらくそれよりもさらに20年近く前。潜伏期間が長く、その間は、まったく自覚症状がないことになっている。しかし、内面のどこかから、「お前は30歳まで生きられないんだから、やりたいことがあったら今のうちにやっておけよ」というかすかな声が届いていて、そのつもりで生きてきていた。

幸い、治療が功を奏して、あれほどいたウィルスを1匹残らず駆逐することができた。いちばん大事なコイントスで表を引くことができたというわけだ。後のくじなんて、全部はずれだって、別にいいじゃんね。

当時同じ状態まで病状が進行していた数十万人の人は、いま、この世にいない。なんで私はあの人ではなく、あの人は私ではなかったのだろう。

そう思うと、少しばかり努力して欲しいものを手に入れるといった、自分の力でコントロールできる領域なんていくらの大きさを有するものでもなく、自分はもっと大きな力によって生かされているのだという感覚に至る。あんまりじたばたせず、身も心も大きな力にあずけて、生きている間を安寧の心で過ごしきればいいのではなかろうか。

30歳以降の私の人生は、ボーナスゲーム。丸得なのだ。人からの承認なんてどうでもいい、生きてるだけで儲けもの、そう思えた者が、幸せ格差社会における勝ち組なのかもしれない。

みなさまにおかれましても、だまされたと思って、一度、セーラー服を着用の上、表を歩いてみてはいかがでしょうか。おっさんも女子高生も一如であるという真理をきっと悟ることでありましょう。

【GrowHair】GrowHair@yahoo.co.jp
セーラー服仙人カメコ。アイデンティティ拡散。
< http://www.growhair-jk.com/ >

現役合格なら? 早稲田塾〜。去年の8月に同時にアイドルグループを卒業した豊田冴香と共演。
< >

YouTubeの動画を見ようとすると、その前に強制的に挿入される宣伝映像。最初の5秒はどうしても見ないとならない。その後、スキップボタンが押せるようになるが、それを押させず、最後まで見ていただこうという大作戦。

その狙い自体は成功の様相だけど、宣伝としてプラスに作用してるのだろうかというところが若干、心配。ツイッター内検索をかけてみると……

・ ワロタwwポージングかわえーww
・ わろたwwwwwwかわいいwwwwww
・ くそわろたwww
・ 不覚にも笑ってしまったwww
・ 冒頭めっちゃ釣られたw
・ フナッシーみたいなゲリラゆるキャラなんだろうか
・ 守りたい、この笑顔
・ 父より年下でなんかわろた。楽しそうでいい
・ さっきすれ違った、まんまあの格好で広告でてるww
・ 最後までしっかり見てしまった
・ 悔しいけど最後まで見ちゃった
・ 普段広告はすぐさまスキップするのに、じっくりと見とれてしまつた
・ ずるいっ!!あんなん最後まで見てまうやろっっっ
・ ビビった…w喋り方は普通の人なんだなー
・ 発言はまともだったwww
・ すごく流暢な口調で語ってていろいろ驚いた
・ ポジティブな方なんですね
・ すごく立派そうな方だった!
・ 何やら人生観ぽいことを話してた… ナニモノ?
・ 良い大学を出て良い仕事について且つ自由に楽しく生きようという感じが
  伝わる
・ もう講師になるしかないでしょ!
・ 隣の女の子かわいくね??
・ セーラー服おじさんと共演してる子かわいい
・ 早稲田塾のCMに写ってる女の子かわいい
・ このCMはさすがだ。着眼点がいい
・ かなり攻めてる宣伝(°_°)
・ こーゆー企画を飲み込む早稲田塾のすごさ
・ バカバカしいギリギリの線を極めている
・ どんだけ突っ込んだPR戦略やねん
・ w塾の迷走とチャレンジが今後どう出るか楽しみw
・ インパクト強すぎだよ早稲田塾
・ 何故セーラー服おじさん起用したし
・ 俺はセーラー服おじさんがコマーシャルする塾に通っていたというわけか!
・ 早稲田塾やばいwwwwwww通ってたことが恥ずかしいwwwwwww
・ 早稲田塾の方向性どーなってだよ笑
・ 早稲田塾が迷走してる…笑
・ 迷走しすぎなんだよなぁここ……
・ どこ行く早稲田塾…
・ 早稲田塾なにやってんだよwwwwwwwwwwwww
・ 何やってんだって思った
・ がち早稲田塾どうした?
・ 早稲田塾どうしちゃったんだ......
・ 早稲田塾だいぶキテるwww
・ 早稲田塾が狂った(笑)
・ 早稲田塾まじ気が狂ってる
・ 早稲田塾こわれてるな
・ うええええー、きもちわるい。どうかしてるな
・ キモすぎてどうにかなりそう
・ YouTubeの早稲田塾の広告ウザいwww
・ マジで気持ち悪かったし言ってること意味不明。割と本気でやめてほしい
・ 勉強を舐めてる
・ ほんとにイライラする。気持ち悪い系のやつは流さないでほしい
・ 吐きそうになった


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■Take IT Easy![03]
モードを意識させないインターフェース

若林健一 / kwaka1208
< http://bn.dgcr.com/archives/20140128140100.html >
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操作するためのモノの形や画面などの「ユーザーインターフェース」は、作り手と使い手が対話する最前線。ITが気軽に使えるものに、人にやさしいものになるためには、「操作性」がとても重要です。

「操作の分かりやすさ」「操作することの楽しさ」に注目され始めたきっかけのひとつに、iPhoneの登場がありました。そのiPhoneでも採用された操作方法のひとつで、今でもタッチ操作の代名詞のひとつとして、デモなどでよく使われているものに「ピンチイン/ピンチアウト」があります。

「ピンチ」とは「つまむ」という意味で、「ピンチイン/ピンチアウト」とは、画面の上で何かをつまむように人差し指と親指を置き、広げると表示が拡大し、つまむと縮小する操作のことで、地図やブラウザでよく使われます。名前は知らなくてもその操作方法を知っている、見たことがある方は多いと思います。

「操作とそれに対応する動作の対応が分かりやすい」ことが、「優れた操作性」の条件のひとつにあるのですが、指を狭めると画面上の表示が小さくなり、広げると大きくなるという動作が、利用者の感覚にフィットしていることが指の動きに対する画面の動きが一致していることから、「直感的」で分かりやすい操作方法として知られています。

ピンチイン/ピンチアウトが良い操作方法である理由は、もうひとつあります。ピンチイン/ピンチアウト操作が可能なアプリは、指一本で操作した時に画面の移動操作になるものがほとんどです。

つまり、指一本なら画面移動、二本なら拡大縮小と、ふたつのモードを指の使い方を変えるだけで切り替えられている、これがもうひとつの理由です。

●モードを使い分ける操作

ひとつの機器に多数の機能を搭載した今のIT機器には、多くのモードが存在しています。つまり、IT機器を使いこなすというのは、複数のモードを使いこなすということに等しく、モードを使い分ける操作の提供方法には次のふたつの方法が考えられます。

1・モード切替のための操作を用意する

Photoshopのパレット操作のように、パレット上のボタンを押すことで「線を引く」「色を塗る」などのモードを切り換える操作方法です。モード切替のための操作を統一すれば、より多くのモードを切り替えられる反面、操作は煩雑になります。

2・各モードに異なった操作を割り当てる

初期のAndroidの地図アプリは、一本指で操作すると場所を移動し、画面上の+ーボタンを押すと拡大縮小する操作方法が採用されていました。つまり、移動と拡大縮小に異なった操作を提供することで、ふたつのモードを使い分けていたのですが、それぞれの操作方法を覚えなければなりませんでした。

どちらの考え方を採用したとしても、操作しやすい方法を実現するのはかなり困難です。

●モードを意識させない操作

ピンチイン/ピンチアウト操作の場合、一本指と二本指の使い分けでモードを切り換えている、と考えれば1のタイプと言えます。一方で、一本指操作に移動を割り当て、二本指操作に拡大縮小を割り当てられているとも考えられ、2のタイプとも言えます。

どちらのタイプとも言えるのですが、いずれにせよ指の使い方だけで自然な使い分けを実現しているため、利用者にモード切替の負担を感じさせない、それどころか操作して楽しい、優れた操作方法である。これが、ピンチイン/ピンチアウトが優れた操作方法である、もうひとつの理由です。

出来上がったものを見てあれこれ言うのは簡単ですが、発想するのも、使えるものにするのも大変、エンジニアもデザイナーも相当な苦労があったはず、こんな努力のひとつひとつが、作り手のメッセージ。こういう良い対話が進めば、ITはもっと人にやさしいものになるはずです。

#人にやさしいIT

【若林健一 / kwaka1208】 kwaka1208@pote2.net
Take IT Easy!
< http://kwaka1208.net/ >
< https://www.facebook.com/kwaka1208net/ >

1月22日の配信で吉井さんが書かれていた「ブツ切りニュース記事」の話、自分も読みにくさを不満に思っています。

私個人の想像なのですが、あれって、どこまで記事の内容に関心を持たれているかを測定するためにあるんじゃないでしょうか。

ぶつ切りにしておいて、最後まで読む人が多ければ良い記事、途中でやめる人が多ければ大した記事じゃないという判定をするため。もしかすると、何ページまで読まれたかでライターさんのギャラが決まっているのかもしれません。

同じように、記事の中に「続きを読む」ボタンを表示するサイトが増えていますが、これも「どれだけアクティブに読まれているか?」を測定するために設けられているのではないかと推測しています。あくまでも個人の推測ではありますが……。


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編集後記(01/28)

●映画DVD「めぐり逢い」を見た。1957年版で、主演はケーリー・グラントとデボラ・カー。1939年の「邂逅」が二度リメイクされ、そのうちの一本がこれ。豪華客船でめぐり逢ったプレイボーイの画家・ニッキーと歌手のテリーが、トレンディーな会話(笑)を楽しむうちに恋におちる。しかし、二人はそれぞれスポンサーともいうべき、金持ちの婚約者がいる。そこで二人は婚約者と別れ、自立して半年間必死に働き、自分の愛が本物だったら、天国に一番近いエンパイアステートビルの屋上で再会しようと約束して別れる。しかし、その当日、テリーは交通事故にあい、それを知らぬニッキーは待ち続ける。ふたりは再びめぐり逢えるのだろうか。おお、絵に描いたようなすれちがいメロドラマ。

わたしのような無粋な田舎者にとっては、気恥ずかしいシーンも多く、いい気なもんだ、でき過ぎた設定だ、ベタな恋愛映画の典型ではないか、などと感じるのだが(さらに美男美女なのが気に入らない)、たいていの女性はこの映画に夢中のようだ。クリスマスの夜、二人は再会する。その場面のふたりの演技はまさに絶品。お互いがわかっているウソも交えた、探り合うような微妙なやりとり。やがてすべての誤解が解けて、涙を流しながら抱き合うふたり。なるほど、これが「名作」といわれる所以なんだな。すべてのトレンディドラマ、恋愛ドラマの原点だ。これを見てもわたしは泣かないが、泣く女性が好きだな。

映画DVD「三十四丁目の奇蹟」を見た。クリスマスの頃になると、アメリカでは必ずといっていいほど上映されるという1947年の作品だ。クリスマスシーズンのニューヨークで、メイシーデパートのサンタ役に採用された老人クリングルは、自分をサンタクロースだと主張し、その誠実なプレゼントアドバイスは、子供たちや顧客から大好評で迎えられる。それを妬む者の悪意から、なんと彼は審問会にかけられてしまう。サンタが実在するはずがない、彼は精神障害ではないか、彼がサンタである証拠を提出せよという検察側の主張に、クリングル側の弁護士は窮地に立つ。

やがて奇蹟が起こる。素晴らしい! なるほど、こんな手があったのか。クリングルがサンタであることを判事が認める。サンタ真贋裁判もサンタ認定も現実にはありえないが、夢や信頼が常識を超えることを見せた上等なファンタジーだった。もちろん、自分をサンタと信じる老人はサンタではない。でも最後の最後になって、もしかしたら、と思わせるところがうれしい。サンタ役の老人とおしゃまな女の子の演技が最高だ。かなり泣ける。元々はモノクロだが、デジタル処理でフルカラーにした方を見た。なんの違和感もなくきれいだった。ところで、わたしはクリスマスでいい思いをしたことは一度もない。(柴田)

< http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B003QUCXRY/dgcrcom-22/ >
「めぐり逢い」
< http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B0000V4MLM/dgcrcom-22/ >
「三十四丁目の奇蹟」


●下手な歌を聞くのは苦痛なはずだとカラオケ行っても歌わないワタクシ。2〜3人で、みんな酔っぱらっている時なら歌うことはある(自分はシラフ)。あと、お世話になっている人から強要されると、体育会系なので断れない。人の歌を聞くのは好きなのよ。知らない曲を知ったり。手拍子ばっかりしてる。なので人の承認ばっかりしていることになるってことか。

人の承認ばかりしてたら自尊心がなくなるってことはないよね……。もっと承認欲求が強ければ、自己PRが強ければ……。たられば話だけど、自分がクローズアップされると嬉しい反面、私のために時間や労力を使ってくれるなんて悪いと思ってしまうわ。

あー、これ自尊心がないってこと? だから自分の誕生日パーティーとか披露宴とか、いらないって思っちゃう。人のを祝うのは好きなのにね。仲の良い人がこっそり祝ってくれたりして、それが嬉しい。小さな宝物のような秘密。……まだ中二病っぽいかもしれぬ。流れで書きますが、今日は私の誕生日だったりします。すっかり忘れてたわ。/早稲田塾のCMいいな。「一歩踏み出すことが大事。」(hammer.mule)