[4036] タコ型宇宙人とタコ・エイリアン説

投稿:  著者:  読了時間:22分(本文:約10,800文字)



《7時だけど8時だと思って生活することに意義がある》

■装飾山イバラ道[168]
 タコ型宇宙人とタコ・エイリアン説
 武田瑛夢

■ところのほんとのところ[131]
 職業カメラマンの危機?
 所 幸則 Tokoro Yukinori

■メグマガ[04]
 2016年は、一時間遅れでやってくる。
 こいぬまめぐみ




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■装飾山イバラ道[168]
タコ型宇宙人とタコ・エイリアン説

武田瑛夢
http://bn.dgcr.com/archives/20151215140300.html
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「スター・ウォーズ/フォースの覚醒」の映画が公開されるので、ファンがウキウキしているけれど、アラフィフの私も「スター・ウォーズ」世代なのだと思う。実際に小学生当時の映画が公開された頃は、ブームは凄かったし男子はみな下敷きなどの文具で「スター・ウォーズ」のものを買っていた。

私はというと、ここで書いたこともあると思うけれど、学校推薦図書のようなまじめな学校推薦映画しか見せてもらうことができず、「キタキツネ物語」とか「あゝ野麦峠」などを見ていた。

もちろん、今から思えば絶対に「スター・ウォーズ」を見た方が良かったと思うけれど、当時は男の子が夢中になる映画という感じだったかもしれない。

母がSFを好まないのは、「ウソだから」という何の反論の余地もないような理由なのでしょうがなかったけれど(笑)、禁じてしまうと大人になってハジけるのは当然の摂理だ。

なんだか、私が今になっても男子が好むようなSF作品を見ているのは、きっとその頃の影響もあると思う。

「無駄なことに興味を持ちすぎるとバカになる」というような、当時の母親が持つ共通の危機感もあったのかもしれない。

しかし、母は心霊特集とか、幽霊ものはとても好きで見ていた。霊的なものには何らかの興味があったようだ。オカルト的な噂話の大流行やコックリさんが禁止になるほどのブームも当時はあったので、「無駄なことに〜」もまんざら間違ってはいなかったかもしれない。

●事実認識のレベル

宇宙飛行士が帰還したり、金星探査機が画像を送ってきたり、日本が関わっている宇宙のニュースが、日常の普通のこととして伝えられている。特別なことが特に騒がれないような普通のことになるまでの時間は、どんどん短くなっているのかもしれない。

人間の認識の中では「信じられないこと」→「もしかしてあるかもしれないこと」→「あるらしいこと」→「あると信じられること」→「当たり前なこと」というように、事実認識のレベルが移動していくように思う。

ないところから誰かが「ある」ことを見つけて、それを「伝える」ことをして他の誰かに「信じる」「信じない」などの異なる意見が生まれる。

これは誰かの気づき一点から始まることもあれば、同時に始まっていることもある。誰かが「ある」と思い始めている時は、既にどこかの誰かも同時にそれを思っているかもしれないのだ。

誰かが伝えて公にした時に、自分もそう思っていた人の賛同を得ることができるし、他にもそう思っていた人がいることを知ることもできる。ネット時代になってリアルタイムにこれらは確認できるようになった。

例えば、私は宇宙人はきっと「いる」と思っているけれど、これも大きく意見が分かれるネタだ。自分が地球にいるのだから、どこかの星にも生きているものはいると思うのだ。未だ全然発見できないけれど、そんなのは宇宙の全体の大きさから見たら当たり前なのかもしれない。

宇宙人の古いイメージに「タコ型宇宙人」というのがある。頭が大きくてひょろひょろの足が何本もあるという絵。H・G・ウェルズが1898年に小説『宇宙戦争』の挿絵に書いたからとも言われているイメージだけれど、人間とは似ても似つかない存在の高等生物がいるかもしれないということに、何ともいえない恐怖を感じたものだ。

私たちはこのタコ型のルックスのイメージのせいで「きっと言葉は通じない」「どんな攻撃をしかけてくるか予想もつかない」「食べられちゃうかもしれない」という絶望感を持ったのだ。

水がある場所で高度な知能を持っているとしたら、という設定で考えられたというこのタコ型宇宙人だけれど、最近これはけっこう「バカにできない直感」だったのではないかとも言われている。

●タコの全ゲノム解読

タコの遺伝子は全ゲノム解読の結果、地球上の生物の中で特有のものらしいことがわかったという。科学誌「ネイチャー」に掲載された発表で、シカゴ大学と沖縄科学技術大学院大学が三年間もかけたという。このことで、タコはエイリアンだったかもしれないという可能性が多くの興味を集めているのだ。

・タコのゲノムを解読する 沖縄科学技術大学院大学
https://www.oist.jp/ja/news-center/press-releases/20839

特殊だからといって、なぜ地球外から来たと考えるのかは飛躍しすぎな気もする。確かに地球の歴史上、どこかの星の何らかのカケラが割とまともな形で地球上に落っこちて来たことがあるとしても否定できない。その中にタコの元となる何かがあったかもしれない。

タコの解読に三年もかかったのだから、生物のゲノムの解析自体がまだこれからの分野であるけれど、計算スピードが速くなれば解ることが増えるのだから長生きしたくなる。

タコが特殊な存在に思われる理由として、その頭の良さがある。実際にタコの頭の良さは凄いという、テレビでの実験映像を見たことがある。

水の中の透明な箱にタコを閉じ込めて、一つだけ小さい出口を作ると、そのサイズを器用に調べて、自分が通れる出口であればどれだけ時間をかけてでも外に出る。もし出口のサイズを手で測って自分が通れないものだと解ったら、まったく出ようとはしない。無駄な努力はゼロなのだ。

もしかしたら人に閉じ込められたことを認識していて、自分を利用する時には再び出すだろうということまでも知っているかのような落ち着きぶり。

トロンとした目はただのタコの目と言えばそうだったけれど、こちらのスキを狙っているようでもある。周囲に合わせて擬態する能力も凄いし、身体能力はタコ、イカ類は独特だ。タコだけにつかみどころがないというか、まともに戦えない感じはある。

認識の話に戻すと、私にとってこのタコ・エイリアン説というのは「もしかしてあるかもしれないこと」のレベルで、下から二つ目という感じだ。信じられなくはないけれど、そうらしいとも言えない。ただそう考えると何か楽しいことであるのは確かだ。

もしタコが宇宙の別のところから来たエイリアンであったなら、タコ型宇宙人のユーモラスな挿絵はすごく的を得ていたことになる。宇宙人という高等生物が地球外にいたなら、シルクハット姿でもなく金属色の全身タイツ姿でもなく、人間とは似ても似つかない外見の、何ならタコみたいな状態という発想。

タコが何らかの鍵になって、地球外の生物に対する興味・発見が始まるという暗示にも思えて来る。

もしかすると未来では、タコが元々はエイリアンというのが当たり前という認識を皆が持つ時代が来るのかもしれない。地球が丸いのを皆が当たり前と思っているように。

実は地球外から来た生物はタコだけじゃないかもしれないし、今みつけられているのがタコだけなのかもしれない。元がどこからかなんて誰も明確に答えられないのだから、あんまり考えすぎると夢にタコが出て来そうだ。


【武田瑛夢/たけだえいむ】eimu@eimu.com
装飾アートの総本山WEBサイト"デコラティブマウンテン"
http://www.eimu.com/

ブロッコリースプラウトの水栽培で、最初の五日間ほどは光のない暗所に置かなければならない。これをダンボール箱で済ませてきたけれど、ダイソーで買える茶色いプラスチックのプランターが正にちょうど良いサイズだった。

別売りだけれどフタがあるのでばっちり暗くできるし、鉢底には穴もあるので空気穴も完璧だ。見た目はそれなりだけれど満足だ。


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■ところのほんとのところ[131]
職業カメラマンの危機?

所 幸則 Tokoro Yukinori
http://bn.dgcr.com/archives/20151215140200.html
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最近一部の写真好きがはまっている投稿サイト。いろいろ問題が起きてますね。ネットに上げてあることだけでアウト、なんて悲しいことだけど、この写真いらない、持っていっていいよ、と思うしかないのが現状です。特にsnsでは。

[ところ]の場合、大事なものは写真全体にタイトルや自分の名前を入れたものをアップするようにしていますが、まあ、入れてないものと比べると確かに見劣りがします。

ひどい例をあげると、プロが主宰するグループページに投稿した、趣味の写真家の写真を、別のページにその主宰するプロが自分が撮ったものとして投稿するとかね。

もう少し大きな話になると、オシャレな企業のページに写真を投稿するシステムが付いていて、世界の腕自慢の写真愛好家が投稿する。

企業イメージに合っていて、それなりのクオリティなら採用されて、そのページのタイムラインに流れる。掲載されてももちろん無償、採用通知もなし。それでも、撮影者の名前は入る。

投稿した人は、自分の写真が採用されたかどうか必死で探して、あったら嬉しい。確かにウィンウィンの関係だから、文句の付けようもない。

一般的な投稿サイトだとまあその程度だけど、世界的な視聴者を抱える巨大な写真のファインアートのサイトなどでは、お金を払ってページを買い、自分のポートフォリオを載せて、誰か有力な目利きに見つけてもらおうとしたりする。

[ところ]は無料で招待するから載せてよいと相手側から言われて、知り合いのキュレーターに相談したところ、そんなにメジャーな投稿サイトでもデータの盗用疑惑があると聞き、ストップしました。

ある飲み会の席で、アマチュアの方が嬉しそうに招待された話をしていたのですが、そこで疑惑の話をするとシラけるよなあと思い、黙っていましたが。

少し話が逸れますが、ギャラリーといえども嫌な話はあって、世界中でこの問題はありますが……。

仮の話ですが、パリの有名老舗のギャラリーに、パリから遠く離れたところに住んでる作家が出品している。その作品が売れる。だけど作家には知らされない。どういうことが起きたかというと、仕入れがタダでギャラリーが儲かる。

作家に知らさなければ、売れたこともわからない。だけどパリ近郊に住んでる作家ならば、客とも繋がってる場合もあるし、時々顔を出せばそういう目にも会わないでしょうけれど。

だけど、この構造似てますよね。タダで作品を手に入れて、それが企業のイメージアップにつながる。つまり作者にはお金が入らず企業だけが儲かる。

いまはフィルムが要らない時代、バンバン撮って投稿する。撮ることに快感があるし、採用されることに快感がある。そんな人がたくさんいます。

同じような事例で、フォトコンテストがどんどん増えています。カメラメーカーがやるのは、カメラを使う人、買う人が増えて欲しいからでわかりやすい。カメラ雑誌がやる場合はもっとわかりやすいよね。

審査員にはタレント写真家もどきもいるけど、いちおうオープンだし、編集部がちゃんと見てるから講評も付く。二次使用で儲けようなんて感じじゃない。ただ、もっとカッコ良くする必要はありそうですけれど。若い層も取り込まないと……。

そして、普通の有名企業がコンテストを始めるようになって、それが増えてきています。賞金が50万や100万なら、たくさん写真が集まります。有名企業ともなるとパンフレット、カレンダー、ホームページなど、みんなが思ってるよりはるかに写真を使っています。

以前はレンタル写真業者などから借りるのが、一番コストがかからないやり方でした。今はコンテストをやって写真を集めるやり方がベストということに気づいた企業が多くなりました。

審査員もかなり適当な人が多い。だけど、これもウィンウィンの関係です。問題は、職業カメラマンはそこに入っていないということでしょうね。

これから職業カメラマンは、初心者相手にレクチャーする仕事が主流になっていくのかもしれないですね。既にそうなってるか……。

ただし、高価なカメラで覚えることが多いうちはそれも成り立つでしょうが、iPhoneなどのスマホで簡単に写真が撮れるのですから、今の高校生が中年になる頃、写真のうまい撮り方を教える人がそんなに必要だとは[ところ]には思えません。将来が心配です。

そういう意味では、ブランド化で高級腕時計が好きな人がいるように、ライカみたいなやり方が残っていったりするのかもしれないですよ。高級カメラを所有し、使いこなすところに喜びを残す、という意味もあるのかもしれません。

あとは、[ところ]のような、哲学的なというか、快楽的にシャッターを押して喜ぶ写真ではなく、自分が考えてることを伝えたい写真、そして美しい写真、世界で一つだけの考え方で撮った写真、という方向ではないかと思っています。

そして今、日本が極めている印刷技術の行くすえも案じています。そういうことを考えて、開催するのが今回の個展です。

●所幸則写真展「アインシュタイン・ロマンス」の贈り物
─写真集は芸術表現の高みを目指す─

会期:2015年12月22日(火)〜27日(火)11:00〜23:00、最終日21:00まで
最終日の27日(日)14:00〜15:00過ぎまでトークショー。その後、クロージングパーティを行ないます。みなさん、是非いらしてください。

スピーカーは[ところ]と、One second Shibuyaの頃からずっと所幸則の作品を見て語り合ってきた太田菜穂子さん(東京画コミッショナー&キュレーター)と、20年以上の空白期間を置いてfacebookで再会した、ビジュアルアーティストの先輩でもあり、武蔵野美術大学視覚伝達デザイン学科の非常勤講師もされ
いる片山裕さん。三人で時間と空間と今のアートについて語り合います。

本展覧会は写真集の存在意義について考える「写真集文化を伝えるための個展」でもあります。会場には写真集「Einstein Romance」をじっくりと鑑賞していただくスペースのほか、オリジナルプリントの展示、4kモニターでオリジナルの音楽とともに映像的展示も行います。

この写真展が、日本の匠の高度な印刷技術によるクオリティの高い写真集の可能性について感じ考えていただく機会になることを強く望みます。

ほぼ毎日、午後数時間は在廊予定ですが、詳しい在廊日程は、所幸則Blog「CHIAROSCUARO」でご案内します。
http://tokoroyukinori.seesaa.net/?1449857662


【ところ・ゆきのり】写真家
CHIAROSCUARO所幸則  http://tokoroyukinori.seesaa.net/
所幸則公式サイト   http://tokoroyukinori.com/


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■メグマガ[04]
2016年は、一時間遅れでやってくる。

こいぬまめぐみ
http://bn.dgcr.com/archives/20151215140100.html
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師走も半ばにさしかかり、今年も残すところ半月。この時期になると、人の集まるところにはこの定型文で溢れ返る。

「早いもので今年もあと少し…」

「2015年あっという間だったね」

話の導入を遮らないように大抵その場では同意して流してしまうが、実際にそう思ったことはない。Yahoo!の検索大賞や報道番組の今年のニュース大特集でこの一年間の出来事を振り返ったり、一年前の自分が書いたネタ帳を読み返してみると、人々は今とは違うことに興じ、私は今とは違うことを考えている。

三年前なんてきっともっと違う。そこに一年間や三年間という月日の流れをあてがってみると、とりわけ早くも遅くもなく、妥当ではないかと思うのだ。

現代人は常に時間を欲している。一日二十四時間じゃ足りない、もっと自由に使える時間を持ちたいといった願望は、本屋さんにたくさん並べられている「時短テク」の本からも見てとれる。それなのに、まだ火曜日か今週長いなとも思うし、時間がないと言いながら暇つぶしの手段を探している。

時間の体感速度は誰が決めているのだろう。9月17日と9月18日の変わり目に、今年も一年早かったなとは思わないということは、時計やカレンダーによって時間の経過が可視化されることで、自分が今一日や一年のどの地点にいるのかを認識しているのだろう。

ということは、自ら可視化した時間の流れをつくり出すことで、自分のライフスタイルも変えることができるのではないかと考えた。

そこで今回は、私が最近開発したタイムマネジメント法をご紹介しよう。だが、これを思いついた動機は時間を有効に活用したかったからではない。早起きが苦手な私が、寝坊した朝をなかったことにする細工を施したのが始まりである。

その方法は至って簡単なもので、お手持ちのスマートフォンや腕時計の時刻表示を実際の時刻よりも進めるというものである。

ご存知だろうか、(他機種はわからないが)iPhoneの時刻設定は自動から手動に切り替えることで、デバイス内の時刻表示を自分の好きな時間に変えることができる。

これを就寝前に発見した私は、思い切ってiPhoneの時刻表示を、東経135度の日本標準時子午線が定める時刻よりも一時間進めてみた。本当は家中のすべての時計も同じようにしたかったが、実家住まいのため、他の家族の生活が混乱しそうなのでやめておいた。

東京の自宅のベッドに寝転がりながら、枕元のiPhoneの時計はグアムの現在時刻を指している。そうして、自らの中に一時間の時差を作り出した私は眠りについた。

翌朝、気持ちのいい冬の朝の二度寝から目覚め、何度目かのスヌーズ音を止め、iPhoneの時刻表示を目にした私はハッと我に返り飛び起きる。若干の寝坊である。ベッドから飛び出し、着替えをしている最中に、昨夜の自らの計らいを思い出す。寝坊は帳消しされた。

しかし、ここで重要なのが、あくまでその進めた時間の中での生活を徹底することである。ここで安心して三度寝してしまっては元も子もない。そこそこ急いで身支度を整えた私は、大学へ向かう。

しかし到着したのは始業の一時間前。大学へ三年間通って、こんな経験ははじめてである。図書館へ行き、ずっと気になっていた本を借り、閑散とした自習室で本を片手に考え事をする。

パッと時刻を目にしたとき、円盤の中で針と針が交差しながら時を知らせるアナログ式の時計よりも、スマートフォンやパソコン上、朝や夕方のテレビの左上に刻まれる四桁の数字が時を知らせるデジタル式の時計の時刻の方が、信憑性を感じる気がする。

アナログ式時計の狂いには寛容だが、デジタル式時計が狂っているのはなんだかちょっと許せない。これはデジタル世代の性なのだろうか。

スマートフォンやパソコンが提案した新しい暮らしは、確かに我々のライフスタイルを変えたけれど、常に時刻が画面に刻まれていることで、生活することと時間に追われることがセットになって、時間を消費する体感速度をより一層速めてしまったのではないか……などと考えていたら、一限の終わりを知らせるチャイムが鳴る。余裕を持って二限の授業の教室へ向かう。なんと余裕のある生活。

しかし、ここまで読み進めた人はきっとこう思っているだろう。一時間早い自分の時計で生活していても、学校や街中の時計は標準時刻のままではないか。きみの時計が一時間早いからといって、授業は三十分で終わらないし、相手は一時間早く待ち合わせ場所に来ない。世界はきみ中心に回っていないよ、と。この方法の核心はそこにある。

このタイムマネジメント方法は、時計の示す時間に則って生活しているだけで、結果的に一時間の心の余裕を生み出すことができる。主に自分で自由に使える家の中での時間を、いかに余裕を持って有効活用するかにフォーカスしたものである。

要するに、時計を家の中と外とで使い分けるという考え方で、そこで重要になるのは、相対性である。家の中では実際の時刻(外タイム)よりも一時間早い時刻(家タイム)で生活し、学校や会社や街中にいるときはその場所にある時計が示す時刻(外タイム)に合わせて行動する。

これによって生まれる効果は、実際の時間と比較するからこそ実感するものであるため、7時だけど8時だと思って生活することに意義がある。

それゆえに、外タイムから家タイムへ切り替わる瞬間に一時間失われるなどの多少の違和感は、生まれる余裕の代償であると思って、そのときどきで臨機応変に対応しよう。

実際の時刻との計算のしやすさを配慮して一時間早めたが、三十分、十分、五分でもいいかもしれない。時間には世界一忠実な日本人である、仮に日本の全国民がこれを行ったら、日本の標準時刻は一時間早まってしまうかもしれない。

たかが一時間、されど一時間である。時計を一時間進めたことで、物事に一時間早く取りかかれるかもしれない。一時間早く起きられるかもしれない。

始業前の一時間で一息つきながら本を読んだり勉強したり、朝一のメールを送れたりするかもしれない。早く到着した目的地の下調べは完璧だ。辺りを散策してその地の人や物を観察し、ネタ採取もできる。

人は誰しも皆、二十四時間という時間を平等に手にするが、その中での時間の捉え方は自由にカスタマイズすることができる。時間の体感速度の決定権を持てるのだ。

さあ、これを読んだどれくらいの人が時計の設定時刻を変えるだろう。そして、どれくらいの人がそれを一日で元に戻すだろうか。


【こいぬまめぐみ】
Facebook: こいぬまめぐみ
Twitter: @curewakame
BLOG: http://koinuma-megumi.hateblo.jp/

武蔵大学社会学部メディア社会学科在学中。宣伝会議コピーライター養成講座108期。現在、はてなブログ「インターフォンショッキング」にて、「おもしろい人に自分よりおもしろいと思う友だちを紹介してもらったら、13人目には誰に会えるのか」を検証中。


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編集後記(12/15)

●一日の最後はベッドで読書。小さなLEDデスクライトで手もとを照らし、寝ながら読むからキンドルか文庫本がいい。しばらくキンドルで吉川英治の「私本太平記全巻完全版」を読んできたが、ここ三日間は途轍もなく面白い文庫本が取って代わった。黒川博行「疫病神」である(新潮文庫、2000)。関西を舞台に、産業廃棄物の処分地をめぐりゼネコン、土建屋、不動産屋、地上げ屋、地方議員、コンサルタント、極道たちが暗闘をくりひろげるお話。欲に目がくらんだうさん臭い連中がゾロゾロ。肩書きは建築コンサルタント、クライアントは解体業者、主に現場のサバキ(ヤクザ対応)をやっている二宮が主役。

なりゆきでコンビを組むのが本物の極道、桑原である。徹底したエゴイスト、カネの亡者で、この疫病神が暴れ回るため、いつのまにかギリギリの綱渡りを強いられる二宮。四回もヤクザに殴られ、ロープでつるされ、拳銃をつきつけられた。倉庫の三階から海にジャンプして逃げたこともある。桑原は粗暴だが頭の回転は早い。性根は腐っているが、怯むことがない。この物語はほんの五〜六日の出来事を描くが、あきれるほど移動場面が多い。金のためには寝ずに働く。二宮の視点で物語は進行するから、桑原についてのボヤキや、腐ったゴミどもにひと泡ふかせたいという気持ちもよく分かり、物語に引き込まれる。

二宮は船越建設をアタマにして相関図を描き、桑原は「ノータリンのお前にも隠れた才能があったんや」と感心する。とにかく関係する会社や人物が多いので、正直いって途中で分からなくなる。これがあっても、わたしにはサッパリわかりまへん。あきらめて二人の動きを追うだけ。それで充分。「な、所長さんよ、甘えたらあかんがな。わしはおまえをサポートして、どれだけの働きをした。おまえが口先八丁のいんちきコンサルタントなら、わしは体を張ったトラブルバスターや。おまえは虚業、わしは実業、どっちが世の中に貢献しとるか、よう考えてみんかい」と桑原。正調関西弁が説得力(?)を増す。

超面白いなー、このコンビ。映画化されたら誰がやる? と思いながら読んでいたが、BSスカパーで今年、疫病神シリーズの「破門」がドラマ化され、「螻蛄」も来年2月から放送されると知った。二宮=濱田岳、桑原=北村一輝とはナイス。今後、シリーズを読むときは彼らを思い浮かべよう。「泣き言ぬかすな。『たら』と『れば』があるから世の中まわっとるんじゃい」とは最高のセリフ。わたしも使ってみたいが、舞台は家庭内でしかない。「じゃかましい、それがどないした」と妻(関西出身)から反撃されそうだ。「人は生きてきたように死ぬ」なんて名言もあったな。次は「国境」を読む予定だ。 (柴田)

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4101370133/dgcrcom-22/
黒川博行「疫病神」


●私も一時間早めてみようか。一日早めたいぐらいだ。時間のせいで信用や信頼が失われる。もっと余裕のある生活を。ただ、早起きした方が遅れがち。余裕があると思うと、普段しないことをやったり、のんびりしちゃうんだなぁ。

遅刻をしがちな人は、ジャストタイムに到着することを考える。それも何のトラブルもないという前提の上で。だから言い訳は「間際に電話がかかってきた」「電車が遅れた」「道を尋ねられた」「団体客が通路を占拠していてすり抜けられなかった」「エレベーターが来なかった」などになり、それら(と臨機応変な対応ができなかった自分)に怒りを持つ。

かと思えば逆に30分以上前に到着することを考える。が、頭のどこかに30分前に着いて何をしようか、暇だろうななんて考えも同居している。30分は余裕があるんだからとどこかで考えている。いざとなれば、走って挽回できるとも。続く。 (hammer.mule)