[4679] エセー物語(エッセイ+超短編ストーリー)◇マンガ絵アニメ絵=萌え絵?

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《マンガ的表現しても大丈夫な世の中に》

■エセー物語(エッセイ+超短編ストーリー)[28]
 超短編の話
 脳内亭
 海音寺ジョー

■グラフィック薄氷大魔王[587]
 マンガ絵アニメ絵=萌え絵?
 吉井 宏




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■エセー物語(エッセイ+超短編ストーリー)[28]
超短編の話
脳内亭

海音寺ジョー
https://bn.dgcr.com/archives/20181114110200.html

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◎超短編の話

超短編とは超短編小説の略で、本田透さんやタカスギシンタロさんが興した新しい文学様式である。500文字以内、という規定がある。500文字以内で成立する小説を超短編と呼んでる。

詩、自由詩との差異、明確な違いは定義が難しい。詩よりも物語性に富んだもの。一般にショートショートと呼ばれる、とても短い短編小説より短歌や俳句に近い。わざと文章を閉じないことで、読者の空想領域をつつきイメージの広がりを狙う。

ぼくは超短編を知らない人に紹介する時は、このような説明ではわかりづらいから、『500文字の心臓』という超短編小説の競作サイトにアーカイブされてる二つの作品を読んでもらい、「こうゆうのなんです」と直に超短編小説を読んでもらうことにしている。

そのうちの一つがこれ、脳内亭さんの1996年の時発表した作品、タイトルは『その他多数』だ。


◎その他多数

脳内亭

足が降りてくるのだという。そのためのくつ下を編んだのだという。履かせるのはただ一人、それがわたしの意中の相手なのという。何の話かさっぱりわからず、ええとこれはフラれたと解釈すればいいのかなとぽかんとしていると、「ほら、きた」と彼女が上空を指さした。つられて見あげると、そこには空を埋めつくさんばかりにたくさんの巨大な足、足、足。おもわず腰をぬかした。呆気にとられるぼくをよそに、彼女はきょろきょろと何かを探す仕種で、そのうちに「あなた」と手をのばして足の一本をつかんだ。そしてそのすねにキスをし、くつ下をていねいに履かせてからぎゅうと抱きついた。すると彼女はあっというまに上空たかく引っぱられ、次の瞬間、フラれた他の足たちがいっせいに地団太を踏んだ。そこから先はおぼえちゃいないが、おそらく世界は、彼女以外はことごとく踏みつぶされてしまったいら。


どうだろう? ぼくは、この、いきなり巨大な足が空から落ちてくる冒頭のシーンからビュワッと心を持って行かれ、ラスト、少女と共に踏みつぶされ、壊滅した。

このような爽快さ、カタストロフを見舞ったことはかつて無かったし、少ない文字数で瞬時に畳みかけられたドライブ感を味わった。

この物語を読んだ10年後。たまたま大阪の中之島で脳内亭さんと直接話す機会ができ、この物語のことを尋ねてみた。『その他多数』は一気にイメージが降りてきて、そのままさっと書き上げたとのことだった。

タイトル競作はお題をまず決めて、希望者がその題に基づく超短編作品を書き、互選による投票で出来栄えを競うという催しだが、このタイトルで冒頭のイメージを良く想起できたなー! というワンダーがあった。

ラストの〈踏みつぶされてしまったいら。〉は〈踏みつぶされてしまい、まったいら。〉ではないの? と良く訊かれた。500文字以内に仕立てるためのギミックだ、と勝手に説明してたのだが、今回そのことも脳内亭さんに尋ねてみた。

これはリズムを整えるため、とのことだった。つまり韻をそろえるために敢えてそういう末尾にしたとのことだった。そうだったのか。何年も「これこそ最高傑作」と周りに標榜しまくっといて、初めて知る真実だった。

しかし、もしそのような脳内亭さん、作者自身の狙いが読み切れなくても、巨大な足がドカドカーッと落ちてくるラストシーンを、文末をつづめたこの異色の表現にしたことにより、凄い迫力が生じてとても良いと思う。

ぼくはもう一つ、同じ年に発表されたオギさんの正選王作品『誰よりも速く』、この二つが超短編の名作だと思っている。

この『500文字の心臓』には他にもたくさんの作品が収録されてて、全ては読み切れてない。未読の分にさらなる面白い作品が眠っているかもしれない。エセー物語で超短編に興味をもたれたら、ぜひ一度覗きに行ってみてください。

超短編作家の一人空虹桜さんが作成した、超短編をテーマごとに分類した『超短編の折り詰め』というサイトもあり、こちらからアプローチするのもお勧めです。もしあなたにとっての最高のストーリーが見つかったら、是非ぼくにも教えて下さい。


◎彼方彼方

オールトの雲の中で、流星の胎児が目を覚ます。
すぐさまはじまる飢餓と排泄欲とで思考が定まらない。

我々の感知できない銀河の裏側で、
アステロイドをかいくぐりながら星間飛脚便が速度を上げ、
『納期』『納期』と叫びながら航路を行き交っている。

安全圏。
安全圏には誰もいない。


【海音寺ジョー】kareido111@gmail.com

ツイッターアカウント
kaionjijoe@
kareido1111@

500文字の心臓のアドレス http://microrrelato.net/

超短編の折り詰めのアドレス https://www.wicurio.com/microstory/


(訂正とお詫び)先日書いた記事「城に泊まった話」で、誤記がありました。村田幸三さん→村田英雄さんの誤りです。また「舞台女優・杉村誠子の話」で書いた映画のタイトル「ランナー」は「サード」の間違いでした。すみませんでした。つつしんで訂正いたします。


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■グラフィック薄氷大魔王[587]
マンガ絵アニメ絵=萌え絵?

吉井 宏
https://bn.dgcr.com/archives/20181114110100.html

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●言葉が認識を作る

話題の「児童書に『萌え絵』」について。たぶん、「萌え絵」という言葉が新しくできて、(主に)女の子を描いたアニメ・マンガタッチの絵の総称と解釈され、叩く対象として再発見されてしまった。のではないかと。

↑先日、映画「メッセージ」を観たときに「言葉が世界・認識・意味を作る」的な解説を読んだ影響w 新しい言葉によって、それまで認識できなかったものが見えるようになる、という。

従来、「正統派(?)のイラストレーション、さし絵」に対する「アニメ・マンガタッチの絵」を指す明確な単語は無く、単に「イラスト」とか「マンガ・アニメ風イラスト」としか呼べなかった。

そこへ「萌え」という新しい概念とともに、「萌え絵」という呼び方が生まれたとき、アニメ風イラストでしかなかったものが、「あれは『萌え絵』というものだったのだ!」と、認識されるようになったのかも。

曖昧な概念にピッタリな呼び名ができると、その周辺含めて一緒くたに放り込まれる。「ゆるキャラ」もそう。ゆるキャラの定義とか関係なく、着ぐるみマスコットは全部ゆるキャラ。

同様に、萌え要素がなくても、アニメ風イラストは「萌え絵」。この強い単語には、「アニメ風イラスト」などという弱い単語は影が薄くなるというか。

少なくとも30年以上前から、アニメ絵の絵本ってあったはずだけど、「萌え絵」という言葉ができて初めて見えるようになったのかも。

(児童書にアニメ絵の是非については、「全部の本がアニメ絵になってるわけではなく、多くから選択可」「子供がほしがる=読書のきっかけ」という点で、反対するつもりはないです)

●マンガ絵の違和感

ところで、やはり30年以上前からジュヴナイル(ライトノベル)をはじめ、文庫本等にもマンガ・アニメ絵のものが増え始めていた。当時僕はリアル系のSFイラストを目指してたので、マンガ絵が増えてきてた状況を苦々しく思ってた時期があるw

某大物イラストレーターの人も「マンガ絵撲滅運動を」とか冗談で言ってたくらい。実際、「イラスト」と言えば今やほとんど、「マンガ・アニメ風の絵」を指すことになっちゃったわけで、「正統派(?)」が駆逐されたとまでは思わないけど、ある程度その見方は正しかったんだな。

1984年の映画より前の「デューン」の文庫本シリーズのカバーは、石森章太郎のマンガ絵だったが、それさえ抵抗感あった。

マンガ絵を表紙やさし絵にすると、イメージが固定されてマズいんじゃないかと思った。考えてみればリアル絵も、登場人物の詳細な描写や凝ったメカデザインなど、イメージが固定されるのは同じだけどね。

生頼範義とか含むリアルでハードなイラストにあこがれてた一方で、僕も高校から専門学校卒業まで5年くらい、マンガをちょこちょこ描いてたので、マンガの様式や記号表現が染みついてた。

ところが、デザイン事務所に入って、パンフや広告やチラシなどに「カット」を描くようになると、「一般の大人向けのイラスト・カット」にマンガタッチが入り込むのとものすごい違和感があることに気づいた。

何を描いても、染みついたマンガ表現が出ちゃって困った。そういったマンガ表現から抜け出すのに数年かかったもんw

マンガに近い表現は従来のイラストにも普通にあるけど、それとは別の「明らかにアニメやマンガ系統からのニュアンスや表現」のこと。当時の僕が感じてた相違。

今でもたとえば「ベルばら」「ガラスの仮面」などを広告に登場させ、「違和感」をギャグとして使ってることがあるけど、あの「場所にそぐわない感」に近い。

それで、若い人が躊躇なくマンガ的表現をしてるの見て、「後で苦労するぞw」とか以前は思ってたんだけど、もうマンガ的表現しても大丈夫な世の中になってきたのかなあと感慨。

余談1:「一般の大人向けのイラスト・カット」……ふと考えたら、デザイン事務所に入った当時は20歳。最年少の大人。大人は全員年上だったw 相当背伸びしないといけなかったんだなあ。

余談2:日本の人形アニメ、ロボット製品などで「汗」とか「バッテン目」などのマンガ記号を使ってるのには、今も強い違和感がある。その記号を使わずにどうにかならないか? って。日本のマンガ記号が通じる範囲でしか理解してもらえないぞ? って。


【吉井 宏/イラストレーター】
http://www.yoshii.com

http://yoshii-blog.blogspot.com/


「♪あなた変わりはないですか、空のかなたにおどる影」
というのを思いついたんだけど、あっ! どちらも小林亜星だw

「♪冬のリビエラ、今は秋」
ってのもあって、こちらは大瀧詠一。

・スワロフスキー「HOOT HAPPY HOLIDAYS 2018年度限定生産品」
https://bit.ly/2QbNMmg

・スワロフスキー「SCS ペンギンの妹 PATTY」
https://bit.ly/2OZa3n9

・rinkakインタビュー『キャラクターは、ギリギリの要素で見せたい』
https://www.rinkak.com/creatorsvoice/hiroshiyoshii



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編集後記(11/14)

●1999年に公開されたアメリカのSF映画「アンドリュー NDR114」を見た。原題はアイザック・アシモフの原作通り「The Bicentennial Man(200年の男)」である。タイトルのタイポグラフィが素敵。この作品に限らず、アルファベットって使い勝手がいいからうらやましい。タイトルワークを見るのが好きだ。

アンドリューと命名されたロボットは、目を見開いた大仏みたいな顔である。もちろん「ロボット3原則」を守った設定だから、人間に危害を加えない。最初の行動は自ら胸部を開けて、プラグのコードを伸ばし、コンセントに差すこと。電力で動くのだから当然の行為だが、その後一切このシーンはないwww

アンドリューには創造力、好奇心、友情などが存在した。ありえない話だろう。製作元のロボテックス社では、予期せぬ事態だ、欠陥商品だから、陽電子製の頭脳を交換すると提案するが、購入者のリチャードは「人格を持つものに値段はない。彼はわたしのロボットだ」と拒否し、プログラムにない教育を施す。

性教育。人間は本当にそんなことを? 結婚するとその行為が義務となるわけですね、とアンドリュー。「子供をつくる一番良い方法なのだ。双方にいいものだ、だからしばしば行う」とリチャード。そんなこと、ロボットに教えてどうする。じつは、遥か後年に、このロボットは「人間になって」行なうのだ。

彼は感情を顔に出せるよう改造を要求、時計を自作して儲けている大変な金持ちなのだ。服を着る許可も得た。やがてリチャードから自立。同類を探す何10年にわたる長い長い旅に出る。そしてサンフランシスコで一体が復元されたとの情報を得て、会いに行く。復元したのはアンドリューを作った会社の元社員の息子で、機械に生物学的な生命を与えようとするマッドサイエンティストだ。

彼はアンドリューに顔を与え、人間の中枢神経組織を参考にデザインした臓器も施し、完全な人間の男性にした。電源はどうするの? と聞く者はわたし以外にはいない。たぶん原子炉みたいな心臓がセットされたのであろう。空飛ぶ自動車の時代の裁判所、アンドリューは人間であることを法的に認めろという訴えを起こし、当然ながら敗訴する。穏やかな裁判長の宣告は真っ当である。

また年月が流れ、妻と呼ぶ人間の女性は75歳。ぼくは君なしでは生きられないと、また法廷。私はもう不死身ではありません、わたしは人間として死ぬことを選びましたと訴えるアンドリュー。「あと数時間で彼は年齢200歳に達する。彼は人類の歴史で最も長寿を誇る人間です。私はここに彼とポーシャの結婚を認め、彼は人間であると宣言します」と、人類法廷とやらの裁判長が宣う。

異義あり。「人間社会は不死のロボットを受け入れても不死の人間は受け入れない」とした最初の判決が正しい。そもそも裁判に持ち込まれる案件ではない。感動のSFヒューマンドラマとパッケージにあるが、違うだろう。ネットで評価をみたら、かなり高い。人間になりたいロボットの話は「A.I」もあるが、これも居心地の悪い映画だった。このテーマは近寄るな、危険である。(柴田)

「アンドリュー NDR114」アメリカ 1999
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B018S2FASS/dgcrcom-22/



●ポケモンGOで、いま一番楽しいのはフレンドとのギフトのやり取り。ギフトというのは、ポケストップを回した時に出てくるもので、ランダムアイテムが入っている。そのポケストップ名と画像の入っているポストカード風ラベルつき。一日一回贈り合いができる。

スペシャルリサーチのタスクでフレンドを作る、フレンドにギフトを贈るというものがあって、クリアできるだけの数のポケモンGO仲間がいなかったため、Twitterで「#PokemonGOfriends」で検索をし、募集している人たちに申請してみた。

Twitterだけではどこの国の人かわからないことが多く、海外の人だと思って申請したら、実は仙台の人だったりすることも。その仙台かどうかというのも、ギフトのラベルにある地名で判断しているだけなので、たまたま旅行で来てストックしていたものなのかもしれないが。続く。 (hammer.mule)

スペシャルリサーチ
https://appmedia.jp/pokemon_go/1799700

タスクをクリアすると、ミュウやセレビィがもらえる

#PokemonGOfriends
https://twitter.com/search?q=%23PokemonGOfriends