[4690] タイに分身を置いてきたセーラー服おじさん◇石平「中国五千年の虚言史」

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《象にお姫さま抱っこしてもらう》

■ Otaku ワールドへようこそ![293]
 タイに分身を置いてきた
 GrowHair



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■ Otaku ワールドへようこそ![293]
タイに分身を置いてきた

GrowHair
https://bn.dgcr.com/archives/20181130110100.html

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やらかした。ネタを吹っ飛ばした。シンギュラリティ来ない派への反論、前編、中編と来たら、今回は当然、後編を書くべきところだ。

一か月がかりで準備してきた。前編の冒頭に挙げた、来ない派の著書を二冊選び、日々、肌身離さず持ち歩き、ていねいに、ていねいに読み込んできた。

そこらじゅうのページの端が三角に折ってあり、赤ボールペンで傍線が引かれたり、段落丸ごと角括弧でくくられたり、余白にはコメントがいっぱい書き込まれたりした。ここまで来ると、魂が宿り、もはや自分の分身である。

移動中などの空き時間に読もうと、タイにも持って行った。帰ってきてみると、見当たらなくなっている。どこかに置き忘れたという自覚がぜんぜんない。分身の野郎、いつの間に巣立って行きやがった。

まあ、たぶん、寝台列車だ。ラオス国境近くまで行ったんだろうな。行って、それでどうなったんだろう。分身よ、さようなら。今回のネタ、さようなら。以上。

……というわけにもいくまい。

●やらかしの数々

一度、ばかでかいやつをやらかしておくと、その後、多少のことをやらかしても、あのときのよりはなんぼかマシだ、と気持ちに余裕ができる。

今までの人生最大のやらかしは、北京からの乗り継ぎ便に乗り遅れて、中国太原でのイベントにでっかい穴を開けたやつだ。2016年5月のこと。かなりの規模のイベントで、何人かのゲストが呼ばれていたが、ポスターの配置からして、私がメインだったようだ。

もはやリカバリーの手段がまったく残されていないと悟った瞬間から、適温に保たれた空港内で、私一人だけ、噴き出した汗が止めどなく顔を伝う。

『大チョンボ! 中国のイベントに大穴を空ける』
https://bn.dgcr.com/archives/20160527140100.html


二番目のは、ステージ上で進行するお芝居の真っ最中、小道具を倒して壊しちゃったやつだ。ああ、あわててこの世に出てくるんじゃなかった。

去年は、あやうくキューバ行きを吹っ飛ばしそうになった。キューバに入国するためには、あらかじめキューバ大使館でツーリストカードを取得しておかなくてはならない。ビザの簡易版みたいなやつだ。

12月23日(土)に出発予定なのに、18日(月)に取りに行っている。ぎりぎり進行がそもそもダメなんだけど。

申請にはパスポートとそのコピーが要る。東中野駅前の歯医者を出た後、隣りにある「ファミリーマート東中野駅東口店」でコピーをとった。

9:59 東中野─10:22 赤羽橋、都営大江戸線都庁前行。キューバ大使館に着いて、パスポートがないことに気がついた。あ、コピー機の中だ。

パスポートの発行・再発行には二週間かかる。もし出て来なかったら、キューバ行きが吹っ飛ぶことになる。10:58 赤羽橋─11:19 東中野、都営大江戸線光が丘行。この間、1時間20分。頭ハゲそう。

コピー機のふたを開けると、そこにパスポートはあった。そのまま。幸い、誰も使わなかったらしい。いい汗をかいた。

タイでもいろいろやらかしている。往きの飛行機内にパソコンを置き忘れ、宿に着いてから気づいたことがあった。空港まで取りに戻り、取り返せたのはよかったけど、夕方のバンコクは大渋滞で、三時間ぐらいロスした。夜、そうとう遅い時間まで、一緒に夕食に行く仲間たちをお待たせしてしまった。

マッサージ店で腕時計をなくしたというのもあった。途中ではずして、手さぐりでベッドの下のかごに入っている脱いだ服の上に置いたはずだったが、神隠しにあったように出てこない。お店の人もずいぶん探してくれた。

帰国してから、出てきたと、お店から滋野さんに連絡があった。服ではなく、タオルに紛れ込んでいたらしい。東京まで来る予定の当分ない滋野さんは、お知り合いに預け、おかげで取り戻すことができた。

今回は、行く前にひとつやらかしている。夏服がぜんぶクリーニング屋に預けっぱなしになっていた。出発前日に取りに行ったら定休日だった。しかたなく、長袖でずっと過ごさざるをえなかった。

モラベックのパラドクスというのがある。人間とAIとでは、簡単とむずかしいが往々にして逆転すると言っている。だれもやらかさないような、簡単なことでよくつまずく私は、ひょっとしてAIだったのか?

●イラストと対面することが目的

バンコクの地下鉄の駅に通じる通路の壁にイラストが現れた。白いヒゲを三つ編みにしてセーラー服を着たじいさんが、片足を上げてニャニャンとポーズをとっている。

隣りにはハローキティ。下にはピンクのチェキと迷彩色のリュックサック。フジヤマ・ゲイシャの時代は終わった。これがタイからみえてるニッポンのイメージだ。
https://photos.app.goo.gl/Ry7F7A763GU5xwWz2


いつ出現したのか、はっきりしない。なにしろ、本人には通知なしなのだ。ツイッターを検索してみると、2017年10月24日(火)にふたつ、つぶやきが上がっている。

・バンコクの地下鉄の壁に出現した絵。セーラー服おじさんってそんなに認知度あるんだ。
14:44 - 2017年10月24日

・【朗報】セーラー服おじさん、バンコク地下鉄の壁画に日本代表として採用
20:32 - 2017年10月24日

きっと、そのあたりだ。まあ、グッズ販売など、直接的に金儲けに利用しているのであれば、こっちも当然もらえるべき肖像権使用料を請求するところだが、今回のは、勝手に描かれて掲げられてるだけ。自分にとってもいい宣伝になるので、放置だ。

というか、実地に行って写真を撮ってきたいぞ。いつもタイで一方的にお世話になりっぱなしの滋野真琴さんと、Facebookでメッセージをやりとりして、計画が具体化していったのは、10月25日(木)ごろからだ。話がすいすい進んで、11月16日(金)に出発することになった。

ANAに7万マイルたまっていて、半分使えばほぼタダで往復できる。

11月16日(金)9:45 成田(NRT)- 15:15 バンコク(BKK)、タイ国際航空 TG641
11月19日(月)14:50 バンコク(BKK)- 22:30 羽田(HND)、タイ国際航空 TG660

エアポートリンクの下を走っている国鉄に、どうしても乗りたくなって、一駅だけ行って帰ってきたのは、2016年10月23日(日)のことだ。
15:45 Makkasan - 15:52 Khlontan、国鉄東線 Kabin Buri 行
16:42 Khlontan - 16:51 Makkasan、国鉄東線 Bangkok 行

これがものすごくよくて、もっと存分に乗り倒したいと思っていたので、じゃあ、チェンマイに行こうという話になった。滋野さんのお友達三人が加わることになった。そのうちの一人が、われわれの目的はチェンマイではなく鉄道であると知って、スリンを提案してきた。象まつりが開催されるのだとか。

これはラッキーだ。行く日が先に決まっていたのに、たまたま象まつりの日だったと。けど、それって何だ? 象に触れちゃったりするのかな? 

滋野さん「おじさんと象まつりヤバいと思います」。

●壁と対面

タイには四回行っていて、今回が五回目になる。なのに、なぜか時差を間違えていた。日本と中国が一時間。全土が北京時間に合わせているので、西のほうはなかなか夜が明けず、なかなか日が暮れない。

うっかり、タイも一時間のような気がしていたが、実は二時間だ。空港からエアポートリンクでマッカサン駅に行き、周辺を軽く散歩して、6時に駅に戻ってきたが、滋野さんがなかなか現れない。

駅の改札階の喫茶店「Cafe Ricco」に入ったら、英語が通じて、小林さん、と言われた。こんなところで会えるなんて、と、めちゃめちゃ感激していた。幸先よいスタートだ。

パソコンで滋野さんにメッセージを送ったら、「おー! 早い! 急ぎ参ります!」と返信が来て、「あれ?」と思ったけど、自分の間違いに気づいていない。私は6:08pmだと思っているが、実際は5:08pm。

最初は、国鉄フアランポーン駅前で8:00pmに待ち合わせしようという話も出ていた。エアポートリンクをマッカサンで降りずに、終点まで乗っていれば、その駅に着くもんだと勘違いしていた。成田エクスプレスが東京駅に着く、みたいなノリで。いやいや、終点はパヤータイだ。

滋野さんの案内で、ペッチャブリ駅から地下鉄に乗り、途中のスクンビット駅でいったん降りて、さらに同じ路線で終点フアランポーン駅に着いたとき、頭の中の地図がぐちゃぐちゃになっていた。

エアポートリンクのマッカサン駅と、地下鉄のペッチャブリ駅は直結している。そこに第一のイラストがある。おじさんは、タイの女子学生の制服のようなのを着ている。撮影、成功。壁ではなく、分厚い半透明のビニールシートみたいなのに描かれていて、裏側から透過で白色光に照らされている。

ひとつ、問題があった。トイレの中に設置された、ティッシュペーパーの自販機にも私のイラストが描かれている。男性用と女性用のそれぞれにあるのだが、撮影者と被写体が一緒に入らなくてはならない。どっちへ入るべきか。

トイレのすぐ近くまで来たところで、滋野さんの男性の友達がたまたま通りがかって、解決。ひょっとして、滋野さんも脳から直接電波が出し入れできるクチですか?

スクンビット駅で下車して第二のイラストへ。人の通行の多い通路で、通りすがりに撮っていく人がいっぱいいた。15分ぐらいいて、100枚ぐらい撮られたか。実物のセーラー服が冬服で、イラストと合ってないのがちょっとくやしい。しかも暑い。

離れたところに警備員が立っていて、ひやひやしたが、ありがたいことに、見て見ぬふりをしてくれていた。が、ついに追い立てに来た。

国鉄フアランポーン駅は、ヨーロッパ風の荘厳なつくりだ。かまぼこ型の壮大な天井。ぜんぶが行き止まりの線路。柱には、ギリシア建築っぽく彫刻が施されている。駅前ロータリーに面した飲み屋が、歩道に盛大にはみ出してテーブルと椅子を並べているところまでヨーロッパ風だ。

ビールを飲んでるところへ、同行者三人が合流。あれ? 発車時刻を過ぎてるじゃん、となって、時差の間違いに気づく。

●日本では絶滅した客車寝台

タイの国鉄のホームは、レールのトップよりも少し高い程度の低さである。そこもヨーロッパ風だ。車両の側にステップがある。

しかし、線路脇の機器類は、見慣れた日本風だ。日本で引退した車両がタイに払い下げられて、元気に走っているケースをよく聞くので、てっきり軌間が同じかと思いきや、日本1,067mmに対してタイ1,000mmで、異なるのだった。改造して使っていたのか。

中国製の車両も走っている。鈍行列車の濃い緑と黄色の客車は、中国で見かけたのと同じ柄だ。中国の軌間は新幹線と共通の1,435mm(標準軌)なので、これまた改造しているらしい。われわれの乗る客車寝台も中国製らしい。ぴかぴかの新車両だ。

日本では客車寝台は絶滅している。特急サンライズ出雲・瀬戸は寝台列車だが、機関車が牽引する客車ではなく、自力で走る電車だ。

客車寝台は、時刻表からは消えているが、旅行代理店でべらぼうに高い料金を払うと、こっそり走っている企画列車に乗れるらしい。その料金で、バンコクに10往復ぐらいできちゃうじゃん。

どうせいつも遅れるに決まってるんだからと、ぎりぎりにホームに行ったら、20:30定刻発車でビビった。15両編成。すべてのドアの脇に駅員が一人づつ張り付いていて、乗車時に券面をあらためる。

先頭の機関車を見に行く暇がなかったのが心残りだ。おそらく、ディーゼル機関車だった。車内を通り抜けて10号車から1号車まで歩いてみたが、先頭車両は乗務員専用になっているようで、入ろうとしたら制止された。

日本の寝台列車は、通路が片側窓際に寄っていて、線路と垂直向きに寝るタイプが多かったが、この車両は平行向きだ。通路が真ん中にあって、両側が二段寝台になっている。上の段は作りつけだが、下の段はボックス席になっていて、途中でベッドに切り替える。

シートは一人用だが、幅がゆったりしている。その幅のままベッドになる。係の人が手早くやってくれるのだが、シートを持ち上げて引っ張ると前にずるっとせり出し、向かいのシートどうしがつながる。垂直の背もたれを引き下げると水平になり、隙間が埋まる。うまくできてる。

最初の30分間ぐらいは軌道の分岐がいっぱいあって、ものすごくのろのろ運転。しかも、停車駅がいっぱいあり、最初がらがらだった座席がほぼ満杯まで埋まっていく。乗り過ごしても、タクシーで追いかければ追いつける可能性がある。

バンコクからスリンまで約430kmある。料金は乗車券、特急券、寝台券込みで、下段が899バーツ、上段が799バーツ。1バーツは約3.5円。安い! 日本だと、寝台料金だけでもいちばん安くて7,560円するんだけど。

食堂車も日本ではとっくに絶滅している。行ってみたら、全部の席が埋まっている。

郊外に出ると、ようやくまじめに走り出すが、それでも大したスピードになってないあたり、夜汽車〜っとした情緒を醸し出していて、たいへんよい。ほぼ定刻通り、4:10にスリン駅到着。真っ暗だ。

駅舎で朝まで過ごすのかと思ったら、ホテルを二泊分予約していてくれた。ツインの部屋二泊で2,700バーツ。うわ、これまた安い。こんな時間でもトゥクトゥクが呼べた。三輪のバイクによるタクシー。

同行した「とも先生」が写真入りでブログにレポートしてくれている。
『タイ国鉄の寝台列車』編。
http://tomosensei.net/archives/1073035410.html


●象にお姫さま抱っこしてもらう

ホテルは七階建てで、われわれの部屋は六階だ。周辺にこんなに高いビルはほとんどないので、窓から広く見渡せる。のどかな田舎町だ。

朝食はビュッフェ方式で、安宿だからと大して期待していなかったら、けっこういい。炒め物やトムヤムスープもよいが、スイカ、パイナップル、グアバ、ドラゴンフルーツと、果物が豊富だ。

"Surin Elephant Round-up" は年に一度、スリンで開催される世界最大規模の象まつりで、200頭以上が集結するのだという。日が迫ってから計画して、列車と宿の予約が取れたのは、超ラッキーだった。

ホテルから会場の "Si Narong Stadium" まで30分おきに送迎バスが出ているというが、バスではなくバンで、われわれ五人のうち三人が積み残された。

象さんショーはチケット制。松竹梅みたいな感じで、1,000、500、300バーツのエリアに分かれている。われわれは竹にしたが、正解。向かい側の梅の席は、上段のわずかな日陰の帯に人が密集し、日向には誰も座らない。日陰はだんだん伸びてくるのだけど。

ショーは8:45amから11:30amまで。開始前、会場外の小道で象が商売をしている。小さいビニール袋にサトウキビの茎の小片が10個ぐらい入っているのが20バーツ。象にはエサとして干し草みたいなのが豊富に与えられているが、甘いやつが欲しいのだ。ねだるのが上手い。

象の鼻はぼよよんぼよよんした感触で、ホースみたいだ。鼻先は濡れている。サトウキビを上げると、鼻で巻き取って、一瞬にして口へ放り込み、次をねだってくる。代金も象に渡すと、それは食べずにちゃんと飼い主に渡す。商売が分かっていらっしゃる。

100バーツ払うとお姫さま抱っこしてもらえる。腰に鼻を巻きつけ、持ち上げてくれるのだ。私は75kgあるが、高々と持ち上げてくれた。前の人よりも上がっている時間が短かったのは、もう少し痩せてから出直してこい、というメッセージか。

偉い人が通るからと道を開けさせられた。「下にぃ〜、下に」の大名行列みたいだ。このものものしさは県知事レベルではないな、と思っていたら、オープニング早々、スピーチをしたのは文化大臣だった。

ショーは時間が長くて途中、間延びする感じもしたけど、おもしろかった。背中に椅子をくくりつけて、偉い人を乗せた象が10頭以上、行進。前の象のしっぽに鼻を巻きつけて連なる象電車。踊ってくれたりも。

30人ぐらいを相手に綱引き。子供が多く混ざっているとは言え、あんなに大勢で束になってかかるのはフェアじゃないんじゃないかと思ったら、何の抵抗もなく、30人をずるずると引きずって前進し、象の勝ち。

昔、戦いでは、象を戦車として使っていたらしい。ていうか、あれ、乗ってる人が槍みたいなのを振り回しても相手には届かず、結局、象の強いほうが勝つんじゃないか? 歩兵を踏み潰して歩くには便利かも。

象つかいは命懸けの仕事だよなぁ。みんな小柄ながら筋骨隆々としてたくましい。草刈り鎌みたいなのを片手に持ち、時おり象の額をつんつんしてコントロールしている。本気出したらどっちが勝つか、バレないようにしないとならないのではあるまいか。

象はおもしろい。どの系統樹とも似ていないユニークさがある。そうなってみれば全体的に整合性がとれて合理的なつくりになっているのは分かるけど、よくもまあ、その方向に進化したなぁ。

あの巨体を支えるには四本脚がぜんぶ必要だ。地面のものを食べるのにいちいち頭や身体を上げ下げしていたのではエネルギーを食ってしょうがないから、拾い上げる腕がもう一本要る。ついでににおいも嗅げるとよい。鼻でやるのが合理的だ。

しかし、鼻を筒に伸ばして、筋肉も発達させて、手にしちゃおうって発想によくなったなぁ(誰が?)。

ショーの後、大通りまで歩き、トゥクトゥクに乗って昼飯に。冷房が効いてて、ビールが飲めて、タイ料理が食べられるところ、とリクエストすると、合点承知した、と走り出す。どこへ向かっているのだろう。

おっちゃんの自宅だったりして、とか冗談を言っていると、15分ほどで到着したのはバスターミナルだった。

飲食店が立ち並び、店頭で何やら調理していて、一階にはドアがないが、二階のあるお店がある。我々が入ると、冷房を点けてくれた。ちゃんと合ってる!

日本時間8:00pmから10:00pmまで、松田卓也先生のオンライン秘密勉強会の講義を聴講する間、みんなはライトアップされたクメール遺跡でのショーを見に行っていたらしい。虫がものすごくいっぱい飛んでて、たいへんだったらしい。

ホテルのはす向かいにあるお店が深夜まで開いていて、タイ料理と大量のビールを満喫。挽き肉の炒めたやつが、言語道断に辛かったのだ。成都の火鍋より辛かったぞ。ピンクの象が出そうだった。

とも先生氏のブログ『スリンのホテル』編
http://tomosensei.net/archives/1073035542.html


『スリンの象祭り 2018』編。写真がよく撮れてる
http://tomosensei.net/archives/1073053101.html


『ランチはタイ料理をアテにビールくいくい』編
http://tomosensei.net/archives/1073065349.html


●帰りのバス、止まる

前日来たバスターミナルから、バスでバンコクへ。436バーツ。定刻通り、12:15に出発したのはいいとして、18:15にMo Chitバスターミナルに到着するとは最初っから期待していない。二時間程度の遅れは想定済みだ。

高速道路はない。けど、幹線道路には中央分離帯があって、草ぼうぼうの低い湿地みたいになっている。高速道路みたいなもんだけど、T字に脇道が生えている。たまーにUターンレーンが設けられている。

行けども行けども土地は真っ平らで、牧草地帯みたいになっている。牛みたいなのがいるけど、家畜なんだか野生なんだか。景色を眺めているのが観光みたいなもんで退屈せず、このまま着いちゃうかな、と思ったけど、途中で寝た。

起きたら暗くなってた。パソコンを取り出して仕事をしたら、やけにはかどった。10:00pmを過ぎてもまだ着かない。ガソリンスタンドに寄ったら、なぜかガソリンが入らないんだとか。外から車体を揺すったり、急発進してみたりするが、解決せず。10:30pm。

われわれは降りて、タクシーでバンコク市街へ。デュシタニにチェックインした後、徒歩でタニヤへ。チムチュム(土鍋料理)の食べられるお店で最後の夜を惜しむ。2:00amごろまで飲んでた。

壁と対面できて、国鉄に乗れさえすればいいと思っていたのが、期待を遥かに越えて盛りだくさんで、いい旅だった。象に遊んでもらえたのは貴重だ。タイ料理もたっぷり満喫したし。旅慣れてて、タイ語が堪能な、みんなのおかげ。ありがとう。

心残りなのは、ほかの知り合いに会えなかったことと、ゴーゴーバーに行けなかったことか。

あ。なくした本は買いなおして、正月にでも読みなおす。

滋野さん撮影の写真:
https://photos.app.goo.gl/pLeuvWivAhvpoXbM9



【GrowHair】GrowHair@yahoo.co.jp
セーラー服仙人カメコ。アイデンティティ拡散。
http://www.growhair-jk.com/



《オンライン秘密勉強会》

松田卓也氏(神戸大学名誉教授、宇宙物理学)が、毎週土曜の夜8時から二時間、オンライン秘密勉強会というのを催してくれている。

Wikipediaによれば、松田氏(1943-)は75歳になられたはずだが、現役を退いて以降は興味が人工知能に移り、猛勉強されている。著書に下記がある。

 松田卓也
 『人類を超えるAIは日本から生まれる』
 廣済堂出版(2015/12/28)
 https://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B01FX286NM/dgcrcom-22/


参加資格は、数学と英語がある程度できて、先生から直接指名を受けること。ありがたくも畏れ多くも、混ぜていただけている。十人ほどいる生徒たちも、学術領域でばりばりがんばっているすごい方々からなる。

松田氏は、英語のオンラインビデオ講座などを駆使して、機械学習等の基礎理論にあっという間に詳しくなられ、人に教えることのできるレベルに到達している。

六〜七回に分けた強化学習のシリーズは、その数理モデルや種々の解法について、数式にまで立ち入って、がっつり解説していただけて、分かりやすく、非常にためになった。「強化学習強化合宿」なんていうのも催したらしい。

松田氏の主催する「シンギュラリティサロン」で金井良太氏(株式会社アラヤ代表取締役)が講演された際、意識の数理理論の代表的なものに、カール・フリストン氏の「自由エネルギー原理」とジュリオ・トノーニ氏の「統合情報理論」があることが述べられた。

両者とも、エントロピーやカルバック・ライブラー情報量が底流をなす。その上で、特に前者を理解するには、変分ベイズやEMアルゴリズムを理解しておく必要があるとのこと。私なんぞには、数学が難しすぎて、まるで歯が立たないのだが、松田先生は、果敢にアタックされている。そのあたりをこれから解説していただけるようで、非常に楽しみだ。

ところが、一方的に聴講して恩恵にあずかるだけでは済まなくなった。生徒たちも、何かしゃべりなさい、って話になってきた。これがまた、レベルが高くて、興味深い話がぽんぽん出てくる。

アラン・チューリング氏が1950年に書いた論文について、以前、デジクリで取り上げたが、あれも実は、生徒さんの発表からネタを引っ張ってきている。

『70年前の50年後を答え合わせする』
https://bn.dgcr.com/archives/20180921110100.html


私は準備がまだだとか言い訳して逃げ回っていたが、ほぼ一巡して、ついにお鉢が回ってきた。なんたる事態。

11月24日(土)、私が二時間しゃべって、松田先生をはじめ、すごい面々が聞くという、スーパーオソロシイことになった。

以前、デジクリに書いた、このへんの話をした。

『ウェブという名の大海に釣り糸を垂れてみる』
https://bn.dgcr.com/archives/20121019140100.html


土台となる数理は、エントロピーやカルバック・ライブラー情報量も関わってくるので、ネタとしてちょうどいい。二時間もたせることができ、松田先生からは「おもしろい」と言っていただけた。やれやれ。

《すぐ上に上坂すみれさん》

翌11月25日(土)大手町のサンケイプラザで、松田氏の主催する「シンギュラリティサロン」が開催された。この回のゲスト講演者は浅田稔氏(大阪大学教授、ロボティクス)。浅田氏は、「ロボカップ」を創立した一人であり、日本のロボティクスの重鎮である。

講演内容は、あらためてデジクリでレポートすることにして。

二階入り口の前に、その日に催されるイベントと部屋の一覧表が掲げられる。シンギュラリティサロンは三階だが、四階のイベントに声優の上坂すみれさんの名前が。おー、ライブやってるのか。

『上坂すみれの文化部は夜歩く 秋の文化祭』。300人規模のイベントらしい。

私は上坂さんの『恋する図形(cubic futurismo)』のミュージック・ビデオに、薬味みたいな味付けとして出演させてもらっている。今、見てみたら、223万回も再生されとるではないか。


収録では予定が合わなくて別々の日になってしまった。今回は、偶然、すぐ上と下の階という近さまで接近したけど、当然ながら、やっぱりお目にかかれない。運命のすれ違い。


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編集後記(11/30)

●石平「中国五千年の虚言史 なぜ中国人は嘘をつかずにいられないのか」を読んだ。筆者は日本に帰化した元中国人だが、中国人がなぜ嘘をつくのか、その歴史と淵源を調べ、筆者なりに解説を加えたこの本をまとめてみると、「中国の歴史ではいかに嘘が重要なキーワードになってきたかということに、正直、私も驚いた」と「はじめに」で書いている。中国人は息を吐くように嘘をつく。

中国は何度も王朝交代を繰り返し、ときには数百年間、異民族に支配されてきた歴史もある。モンゴルに支配された時代は「モンゴル史」の一部だ。にもかかわらず、中国はチンギス・ハーンを自国の民族英雄に仕立て、無理やり「中国人だった」という歴史の捏造を行っている。えー、うっそ〜、笑えるぅ〜

「だいたい、中国に5000年の歴史があるかどうかも疑わしい。それ自体が『嘘』という意味を込めて、『中国五千年』と謳った」という。各章のタイトルがステキ。「第一章・中国共産党という史上最大の嘘集団」「第二章・なぜ中国人は平気で嘘をつくようになったのか」「第三章・中国では建国も亡国も嘘から始まる」「第四章・嘘で国を盗った者たち」「第五章・中国三大嘘つき列伝」。

中国の歴史上、もっとも大きな嘘をつき続けているのが中国共産党であり、中国大陸に大きな悲劇をもたらし続けている。中国共産党の創立は1921年だが、主導権を握っていたのはコミンテルンである。最初からソ連共産党の中国支部的存在だったが、現在の中国の小学校で使用される教科書には、コミンテルンやソ連共産党との関わりは一切示されておらず、完全に隠蔽されている。

中国の虚言史の根本にあるのが「易姓革命」だ。儒教では、天命を受けた有徳の天子が王朝をつくり、万民を統治すると説く。その王朝が徳を失ったら、天は新たに別の姓の有徳者に天命を与え、新王朝を建てるという。どんな暴君であっても、前王朝を滅ぼして新王朝を建てれば聖君になれる。どんな優れた有徳者であろうと、滅ぼされたら後から「暴君だった」という物語がつけられる。

だから王朝交代は頻繁に行われる。暴をもって暴に代わる。天命なんてありやしない。「易姓革命」は単なる欺瞞であり、中国史における最大の嘘である。しかし、この「易姓革命」の嘘はいまも続き、習近平の神格化が進んでいる。日本では「嘘つきは泥棒の始まり」だが、中国では「嘘つきほど成功する」。

同時に、愚かな者は騙されて当然だという風土でもある。誰もが騙し騙される時代にあって、いかに嘘に対抗するのか。嘘を見破るだけでなく、嘘には嘘で対抗するのがベスト、鉄則とされる。さらに、「いちばん親しい者こそが最大の敵」となる、徹底的な人間不信社会なのだ。毛沢東は劉少奇を失脚させ客死に追い込み、林彪は毛沢東暗殺を目論み、露見して逃亡中に航空機事故死した。

トウ小平は絶大な信頼を口にしていた胡耀邦と趙紫陽を失脚させ、習近平は自分を総書記に抜擢してくれた江沢民派に対して反腐敗運動を仕掛け、その幹部らを失脚に追い込んだ。面白い話が続々と。この本は小見出しが秀逸、それだけを拾い読みしても、史上最大の嘘集団の実態がわかる。つづく。(柴田)

石平「中国五千年の虚言史 なぜ中国人は嘘をつかずにいられないのか」
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B07FVY7QWJ/dgcrcom-22/



●私も大概のことはやっているが、GrowHairさんには負けた。/ポケモンGOのフレンドギフト続き。ホセ・ミゲル・カレーラさんの話は、「チリの詩人パブロ・ネルーダにノーベル賞を与えた」らしい。ますます謎が深まってくる。宝塚で上演してくれないものか……。既にやってたりして。

パブロ・ネルーダさんの半生は映画化されていて、去年日本でも公開されている。独創的文学サスペンスらしい。ああ、もう訳がわからない。映画「イル・ポスティーノ」で「主人公の郵便配達夫に詩法を伝授する静謐な亡命老詩人」で、ピカソとも交流があったとか。

学生時代は頻繁に書店に出入りしていたので、大抵の名前は知っているはずが、まったく引っかかってなかったよ。ノーベル賞詩人さんなのに。

ポケモンGO→フレンド→チリ→マヌエル・ロドリゲス→チリの独立→パブロ・ネルーダ→映画と詩、まで来て、要領を得ないまま、疲れたので終了。仕事や研究だとここで終われないからしんどいよねぇ(笑)。続く。(hammer.mule)

パブロ・ネルーダ
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%91%E3%83%96%E3%83%AD%E3%83%BB%E3%83%8D%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%83%80


ネルーダ 大いなる愛の逃亡者
http://neruda-movie.jp/


二つの錯綜する〈語り口〉によって極上のサスペンス映画に仕上がっている
https://eiga.com/movie/86925/critic/


ネルーダ詩集
https://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4783725136/dgcrcom-22/

「五木寛之の長編小説『戒厳令の夜』(1976年刊行、1980年には同名で映画化)の中に、『3人の偉大なパブロ』がいる、それはスペインの画家のパブロ・ピカソと、チリのノーベル賞詩人のパブロ・ネルーダと、そしてスペインの20世紀最大のチェリストのパブロ・カザルスであり、奇しくも3人とも同じ1973年に亡くなっている」
レビューは絶賛