[4855] 地味な街・本庄を少しだけ歩く◇「活版TOKYO2019」に参加して

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《それにしてもなんたる昭和感》

■わが逃走[244]
 地味な街を少しだけ歩く の巻
 齋藤 浩

■もじもじトーク[113]
 「活版TOKYO 2019」に参加して
 関口浩之




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■わが逃走[244]
地味な街を少しだけ歩く の巻

齋藤 浩
https://bn.dgcr.com/archives/20190905110200.html

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地味な街とはS玉県の本庄市のことである。

ものの本によると、本庄はもともと中山道でも有数な宿場町で、本陣2軒、脇本陣2軒、旅籠70軒を数えたとある。また幕末から明治にかけては繭の集散地としてたいへん栄えたらしい。

現在の本庄は、東京から新幹線に乗れば駅弁を食べ終わらないくらいで着いてしまうが、在来線だとそれなりにかかるという微妙な距離感。都会でもなければ田舎でもない。いや、田舎か。

分岐駅があるというわけでもないし、有名観光地というわけでもない。新幹線ができる前も、すでに特急はほとんど通過してたんじゃないかなあ。すでに昭和も終わりに近づく頃には、地味な存在だったといえるのではないか。

で、なぜ本庄かといえば、とある仕事のロケハンがあったからなのだが、その帰り道、やや日が傾きかけた市内をほんの少し歩き、これはもしかしてとても面白い散歩道なのではないか! と気づいたのでこの場を借りてご報告させていただく次第。

今回の起点はココ。本庄市立歴史民俗資料館。館内はハニワなどステキ造形物多数。建築は明治期のもので、旧本庄警察署を改装して使っている。

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入口には田村本陣の門が移築されている。それにしても、この唐突感がすごい。周囲との調和など皆無。しかしこれぞ現代日本の原風景であるとも言える。昭和の繁華街が区画整理や地上げで更地となり、手前に江戸時代の本陣、奥に明治期の洋館。

ブレードランナーの美術設定は、さまざまな時代の建築が多層化して高く積み上げられていく、というものだったが、本庄は平面上に、江戸から令和までが並ぶ。そのぶん、空は高い。

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脇には市内文化財MAPが。文化財を「点」として残すだけでなく、それらを繋ぐ「線」を風景として残せるか? こそ肝要。次回は9箇所すべてを訪ね、検証を試みたい。

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民俗資料館の近所に昭和な美容院が。看板が秀逸。書体は清楚な「美容」そして健康的は「ぼたん」の使い分けがイイ。行灯の形状と上下の唐草もタマラん。

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そして資生堂のサイン。この左右対称に見えて全く非対称という美学は、学ぶべき点が多いと思う。

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すぐ近くに理髪店。いわゆる切断建築だろう。この建てられっぷりからすると、両脇にも同様な商店長屋が続いていたのではなかろうか。

このスジが保存されていれば、昭和ドラマのロケ地として観光地として脚光を浴びていたかもー。街灯の形状も質素でイイ。街はところどころ歯抜けになってきてはいるものの、懐かしい昭和な日常を感じさせる建築が多数残っている。

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更地が増えてきたためか、いままで家々の奥に鎮座していた土蔵もちらほら見える。これがいいことなのか否かは判断つけがたいが、今しか見ることができない風景であることは確かだ。

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トマソンも多数。かつてこの壁に接していた隣家の形が刻まれている。

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70年代的不思議建築。窓に「ストリップ」の文字が見られることから、そのテのお店だったのだろう。

それにしても、なんたる昭和感。偶然にもチェッカーズの鼻歌まで聞こえてくるし。これ以上周囲に更地が増える前に、昭和の残像をめぐる散歩をしなければ!

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これも見事な切断建築。ここまでくると、このまま保存してもらいたい。そもそも長屋というものが今後増加するとは思えないし、土地や建物の権利関係も今以上に複雑になることはないのではないか(憶測)。

そうなると、こういった建築も風前の灯ということになる。技術的な革新があって、高層建築が部分的に切断されて歯抜けになってゆく、なんてことがあったらビジュアル的にスゴイかもしれないが。

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というわけで、約30分にも満たない散歩だったが、実に興味深いものがあった。

行きは新幹線だったが、帰りは上野東京ラインにひょいっと乗った。ビール片手にグリーン車という豪勢なコースとしたが、新幹線よりずっと安上がり。しかも夕暮れの関東平野を楽しみながら。これぞ旅ってもんだろう。

300キロで流れる景色は速すぎて記憶に留まりにくい。それに対して在来線は、関東の街並みがグラデーションで徐々に東京になってゆく。そのさまをしみじみながめながら飲むビールの味は格別だった。

帰宅後、地図を見ると、本庄にはまだまだ昔ながらの路地が残っている印象。風景が消されてしまう前に、再訪の計画を練らねば!


【さいとう・ひろし】
saito@tongpoographics.jp
http://tongpoographics.jp/


1969年生まれ。小学生のときYMOの音楽に衝撃をうけ、音楽で彼らを超えられないと悟り、デザイナーをめざす。1999年tong-poo graphics設立。グラフィックデザイナーとして、地道に仕事を続けています。


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■もじもじトーク[113]
「活版TOKYO 2019」に参加して

関口浩之
https://bn.dgcr.com/archives/20190905110100.html

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こんにちは。もじもじトークの関口浩之です。
今日のテーマは「活版TOKYO 2019に参加して」をお送りします。

●活版TOKYOとは?

どんなイベントかというと、「年に一度の活版印刷の祭典」ってノリの楽しい催しです。今年で5回目の開催です。

2分間の動画ですが、お時間あれば、ぜひ、ご覧になってください。
http://bit.ly/kappantokyo2019


なんか楽しそうでしょ。フォントおじさんこと、私関口が1分20秒から10秒間ほど登場します。

書体デザイナーの藤田重信さん、主催者の東條メリーさんと、トークショーを行いましたので、その様子が流れました。

来場者は、活版オタクや活字オタクというよりも、「可愛いステーショナリーが好き」とか、「活版印刷の風合いが素敵」ってノリの若い女性が、比較的多かったような気がします。

親子で参加して活版印刷を体験してニコニコしている方や、「昔、活版職人やってました」という方もいて、年齢問わず、沢山の方が、8月30日(金)〜9月1日(日)の3日間に神保町に集まりました。

楽しみ方は、ひとそれぞれでした。まだ、参加したことない方は、ぜひ、来年、神保町で開催される(と思われる)活版TOKYOに足を運んでみてください。

●フォントおじさんがトークショーに出演

活版TOKYO事務局から、「フォントワークスの書体デザイナーの藤田さんとフォントおじさんとで、トークショーを行なっていただけませんか」との連絡が数か月前にありました。

アナログ活字からデジタルフォントまでを知り尽くした、筑紫書体の藤田さんとセット商品のように声を掛けられことは、正直いうと、とてもうれしかったです。

ここ5年ぐらい、僕が企画したイベントや座談会で、20回ぐらい、藤田さんをお招きしました。僕は藤田さんの鞄持ちのような存在であり、修行の身であるのですが、セット商品として扱われことは、とても光栄でした。

筑紫書体の魅力は、過去に何度か書いているので、今回は、僕が披露した活字トークをご紹介します。

こちらをご覧ください。ジャーン!
http://bit.ly/mojitalkshow


会場で、いちばん反響があったのは、IBM製セレクトリックタイプライターの「ゴルフボール型活字カートリッジ」でした。普通の打鍵式タイプライターは、書体は一種類しかありません。だって、ジャバラの先に付いてる活字は交換できないし。

でも、このIBM製セレクトリックタイプライターは、活字カートリッジを交換できるのです。書体が変えられるのです。凄いでしょ。「謎の円盤UFOというドラマ知ってる人、いますか?」と質問したら、60人中3人でした。では、IBM製セレクトリックタイプライターが動いている動画をご覧ください。


この海外ドラマは、1970~1971年にテレビ放送されました。当時、僕が大好きなドラマの一つだったのです。この1分間動画のタイプライターを見て「ちょー、格好いい!」と思って、その時から、タイプライターマニアになりました。

まだ、コンピュータは全くといいほど普及してなかたっし、ワープロも誕生していなかった時代に、このメカニカルな動きと、活字がレタリングされるようにパンチングされるのを見て、心が踊らないわけはありませんでした。えっ、俺って、やはり、変態??

ついでに、トークショーで使ったスライドの一部を公開します。
http://bit.ly/mojitalkslide


トークショーの最後で、「藤田さんのスライドは普段公開しないのですが、許可をいただいたページを含めて公開します」とお話しましたが、その部分は反映されていません。

1週間後にアップデートしますので、興味のある方は、先ほどのURLに再度、アクセスしてくださいね。

●活版印刷とは?

活版TOKYOのお話をしたので、活版印刷の基本の「キ」を少し書きます。

活版印刷とは、ルネッサンスの三代発明「印刷術」「火薬」「羅針盤」の中のひとつです。15世紀の半ばに発明された「グーデンベルグ印刷術」は、情報伝達のインフラ(基盤)がビッグバーンを起こしたような、大きな出来事だったのです。

活字を拾って組んだ情報が印刷され書籍になって、一度に大量に情報伝達できるようになったのです。それまでは写本(オリジナル本を手で書き写す)だったので、一度にたくさん製本できないし、写し間違いも発生していたようです。

活版印刷なら、同じ刷版から印刷できるので、それらの問題が解決し、「情報を正確に伝える」ことができるようになったのです。15世紀から、科学や文化、そして、僕が好きな天文学も、どんどん進化し、情報が正確に後世に伝えられたのも、活版印刷が発明されたからに違いありません。

欧米では、15世紀から活版印刷は盛んに活用され、「モノタイプ」という活字をひとつひとつ組む方式や、「ライノタイプ(Linotype: Line of type)」という一行分の活字を鋳造する方式も開発されました。

一方、日本語は1万文字以上と、文字の種類がたくさんある活字文化なので、活字の鋳造技術が確立される明治時代になるまでは、木版印刷が主流だったのです。

なんか、社会科の授業みたいになりましたが、印刷術の発明に端を発して、情報伝達の技術は、写植やDTPやインターネットを介して進化し続けるているのです。

そして、文字組みの原点は、活版組版にあるといっても過言ではないのです。もじもじトークでは、今後、「初心者でも分かる文字組み講座」の連載も計画しています。お楽しみに。

では、また、2週間後にお会いしましょう。


【せきぐち・ひろゆき】sekiguchi115@gmail.com
関口浩之(フォントおじさん)

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1960年生まれ。群馬県桐生市出身。1980年代に日本語DTPシステムやプリンタの製品企画に従事した後、1995年にソフトバンク技研(現 ソフトバンク・テクノロジー)へ入社。Yahoo! JAPANの立ち上げなど、この20年間、数々の新規事業プロジェクトに従事。

現在、フォントメーカー13社と業務提携したWebフォントサービス「FONTPLUS」のエバンジェリストとして、日本全国を飛び回っている。

日刊デジタルクリエイターズ、マイナビ IT Search+、Web担当者Forum、Schoo等のオンラインメディアや各種雑誌にて、文字やフォントの寄稿や講演に多数出演。CSS Niteベスト・セッション2017にて「ベスト10セッション」「ベスト・キャラ」を受賞。2018年も「ベスト10セッション」を受賞。フォントとデザインをテーマとした「FONTPLUS DAYセミナー」を主宰。趣味は天体写真とオーディオとテニス。

フォントおじさんが誕生するまで
https://html5experts.jp/shumpei-shiraishi/24207/


Webフォントってなに? 遅くないの? SEOにはどうなの?
「フォントおじさん」こと関口さんに聞いた。
https://webtan.impress.co.jp/e/2019/04/04/32138/



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編集後記(09/05)

●偏屈読書案内:追悼総特集 橋本治 橋本治とは何だったのか?(文藝別冊)

橋本治は見るからに頭がよさそう、ではない。ところが、超弩級の優れた頭脳を有していた。巨星堕つ、とは橋本治が亡くなったときに使われたかどうか知らないが、それほどの人物であった。百科事典がまるごと頭に入っているような人だったらしい。KAWADEムック「文藝別冊」橋本治追悼総特集は、読み応えがあったな。ここまでスゴイ人だったのか。圧倒された。どうもすいません。

橋本治とは何だったのか? 高橋源一郎×安藤礼二の特別対談に、内田樹、金原瑞人、斉藤美奈子、嶋中行雄、中島京子ら12人のエッセイ・論考、担当編集者が語る「橋本さん」。そして橋本治劇場として、遺稿「異邦人」、ロング・インタビュー、小田島隆「橋本治ベストエッセイセレクション」、さらに橋本治1948-1984「ちょっと早すぎた自叙伝」、マンガ哲学事典、といった構成である。

内田樹によれば、橋本を「放っておくと一頁も読めば先を読む気を失うほどに『退屈で無内容な普通の人の独白』に、読み出したら止められない独特のグルーヴ感を賦与したのである。橋本さんの物語は、登場人物のとまどいやためらいを無視して、非人情に、容赦なく進行する」と、みごとに喝破している。

素晴らしい作家的技巧で「事件の外にいる人」たちに言葉を贈り、彼らに語らせ、彼らの事績を記憶に止め、それを通じて「昭和という時代」を描き、供養すること、それを橋本は個人的ミッションとして引き受けたのだ。誰も頼んでいないけど。自分以外に誰もしそうもない仕事だから、やるしかなかったのだ。

「橋本治は何かを語る、訴える、そうするときに、自分以外に根拠を持たない、というすごいやり方を実行した。自分を語るのではない、そこをカン違いしたらダメだ。橋本治は客観的に妥当なものを根拠とせず、自分なんていうまったく客観的でなく妥当性がないものを根拠にして、言い分を強引に押し通してみせた」と説くのは保坂和志である。一般読者には窺い知れぬ橋本治の本分。

橋本がすごいのは「上代から平安鎌倉、近世から明治〜現代まで、日本語の変遷の歴史の全体を、たったひとりですべて読み書き、論じきってしまうところである。とても常人のわざとは思えない。(略)わが国文学史始まって以来の才人である」と断じるのは橋爪大三郎である。「だめだし日本語論」読まねば。

橋本が亡くなったすぐ後に、「桃尻語訳 枕草子」を図書館で借りて読んでみた。正直、すぐに投げ出した。この異常なノリ。現代(橋本が翻訳した1980年代半ば)の女の子の話し言葉で、橋本がロールプレイしながら読者に向かって書いているわけで、約40年後に読むわたしには全然ナウ(既に死語W)には感じられない。そのハイテンションなおしゃべりが苦痛だ。まあ、わたしの場合。

橋本は本当のバカが嫌いだった。「バカは理屈じゃありません。初めに『NO!』の結論を出して、その後で体のいい理由をつけるだけです。そのウソ理由をくっつけるだけで、皮ばっかり筍みたいなものですから、剥くだけ疲れるだけです」。実際、そんなタイプの女性科学者と対談したとき、5分も経たずに「あ、おれダメだ」といって席を立った。橋本は、東京大学の国文の伝統は、谷崎、川端の後は自分だと自負しているところがあったらしい。いいね。(柴田)

追悼総特集 橋本治:橋本治とは何だったのか?(文藝別冊)河出書房新社 2019
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4309979742/dgcrcom-22/



●物心ついた頃には、タイプライターは家にあった。親が貿易会社に勤めていて、書類作成のためタイプすることがあったから。触るの好きだったわ。

/レジ話続き。昨日の補足。私や私の前に品を選んでいる人は、こちらから声をかけるまで放置されていたのであった。もう一つ補足。店員三人とも日本人女性。

家人「経験のないことが起きて頭パニックになり、とにかくこの状態から離れたかったんちゃう? 現金出してもらうのが本人にとって一番楽な解決方法だから。」

お客さんの主張はいったん受けて、本当にできないのか、他に方法がないかを模索するよね。お客さんに折れてもらうのは最後の手段じゃないの?

「買うのやめるわって商品返品する動作をすれば良かったのに。『全部いったんキャンセル』の言葉も聞こえてない(理解していない)んとちゃうか。返品動作をされたら、本気でやり方探しそう。」

一歩も譲らない不可解な行動は緊急避難だったのか? やったことのないこと、失敗したら怒られそうなこと、責任のあることをするのは怖いよね、そこはわかる。(hammer.mule)