[0415] 自転車は民主主義の象徴だった

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【日刊デジタルクリエイターズ】 No.0415   1999/09/11.Sat発行
http://www.dgcr.com/    1998/04/13創刊   前号の発行部数 13984部
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 <ちょっと懐古な2本立て>

●デジクリSPECIALコラム
 自転車は民主主義の象徴だった
 十河 進

●鉄砲玉デザイナーのドイツ体験記(その3)
 またまた命がけのバイク撮影現場
 松永正泰



■デジクリSPECIALコラム
自転車は民主主義の象徴だった

十河 進
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自転車は高価だった。一家に一台あればいいほうで、それを家族全員で乗って
いた。

昔の自転車はがっしりしていて、重かった。左右にまっすぐに伸び、グリップ
のところから手前に曲がり、子供の手では伸ばしきらないと握れないハンドル。
ブレーキをかけるためには目一杯掌を広げてブレーキハンドルをつかみ、力一
杯引き絞らなければならなかった。ブレーキの効きは悪いのに、キーキーと大
きな音がした。

荷台は左右が30センチ、前後が40センチくらいあった。荷台のサイドには荷造
り紐をかけるためのフックがいくつか等間隔に設置されており、大きな荷物も
積めるようになっていた。ごつごつしていて、二人乗りするとお尻が痛かった。
ペダルは重く、自重も重いからちょっとした坂道を登るのも大仕事だった。

タイヤは太かったが、よくパンクをした。パンクをすると自転車屋まで押して
いき、パンク修理をじっと見ていた。タイヤを外すおじさんの手際の良さに感
心した。水戸黄門をやるずっと前の東野英治郎みたいな自転車屋のおじさんは、
チューブを取り出し空気を入れ、水につけてパンクした箇所を探す。パンク箇
所が見つかるとゴム板を適当な大きさに切り、強力な接着剤を塗って貼り付け
る。膝当てをしたズボンみたいになったチューブを戻して、タイヤをかぶせて
終わりだった。

早朝は商用自転車(?)の天下だった。新聞配達と牛乳配達だ。オート三輪や
ダイハツ・ミゼットが配達所に荷を降ろし、仕分けをすると一斉に自転車が散
っていく。いったい何本入っていたのだろう、みんな自転車の荷台にいっぱい
牛乳瓶を積んでいたものだ。あれで坂道を毎日登ったりしていたから、今で言
えば競輪学校の生徒並の訓練になっていたはずだ。

昔の自転車は、サドルとペダルとハンドルの中心は逆三角形の鉄のパイプで結
ばれ、天辺は水平にハンドルの中心からサドルの部分まで伸びていた(今でも
そうだけど)。その自転車に小さな体の子供が乗るのは、まず無理だった。乗
るときに高い天辺が邪魔をして自転車をまたげないし、乗れたとしても足が届
かなかった。

それでも子供たちは大人用の自転車に乗っていた。どうやっていたかって? 
三角乗り、である。

サドルとペダルとハンドルの中心部で作り出された逆三角形ゾーンの空間に、
自転車の左側から右足を突っ込み向こう側のペダルに足を乗せ、左足をこちら
側のペダルに乗せる。そうして、自転車を向こう側斜め30度から40度に倒して
バランスをとり、ペダルをこぐ。

もちろん、ペダルを360 度回転させるのは無理だ。ペダルを真上から前方へ90
度ほどこいだら逆の足で再び真上に戻し、また同じ動作を繰り返す。こいで戻
し、こいで戻し、こいで戻し……、だからあまり速くは進めない。

断っておくが、僕は右利きなのでこういう乗り方をしていた。左利きの人は、
もしかしたら逆なのかもしれない。今でも、たまに自転車に逆の側から乗ると、
慣れないので変だ。

三角乗り、と呼ばれるようになったのは、たぶん、その状態を正面から見たか
らだろう。斜めに傾いた自転車に人間も斜めに傾いて乗っている図になる。何
だか北京雑伎団みたいだが、あちらはひとつの自転車に10人くらい乗ったりす
る。それに、あくまで自転車は直立し、人間が斜め左右45度に扇状に広がって
いるだけだ。三角乗り、という生活の知恵(?)とは発想および目的とすると
ころが根本的に異なる。

スタジオ・ジブリの「となりのトトロ」(1988年)は、郷愁に満ちたアニメー
ションだが、その中に三角乗りが登場する。メイが入院中のお母さんに会いに
行こうとして迷子になり、姉のサツキを始め村人たちが探し回る。その時のシ
ーンだと思うが、隣家の少年が自転車の三角乗りでサツキに何かを知らせにや
ってくる(まったくの記憶で書いたので違うシーンだったかもしれない)。

「となりのトトロ」は細部にこだわったアニメーションで、この三角乗りのよ
うに「ああ、そうだったよなあ」と些末なこと(?)をありありと思い出させ
てくれる実証主義的作品である。僕の文章で三角乗りがイメージできなかった
人は、ぜひ「となりのトトロ」を見てください。

さて、こんなことを書くと、いったい何歳なのか、と思われるかもしれないが、
戦後の解放感と民主主義を象徴する乗り物は自転車だと思う。それは昭和30年
代(純情の時代)まで続いていた。

戦後の解放感をイメージさせるのは「青い山脈」(1949年・東宝)が印象に残
っているからだろう。すべての事件が片づいた後、主人公たちは銀輪(!)を
連ねて高原へサイクリングに行く。「青い山脈」が作った自転車=解放&民主
主義というイメージは、昭和30年代の吉永小百合まで引き継がれる。

昭和30年代、高校生たちは自転車を連ねてデートしていた。学校が終わると、
男女数人で裏山に自転車で登り、遠く海を見ながら舟木一夫の学園ソングを歌
ったりしていた。「言葉は尽きても~去りかねた~」のである。恥ずかしい。
民主主義と正義が信じられていた、純潔がまだ最高の価値を持っていた純愛の
時代のことだ。

自動車に乗るのは、金持ちの資本家で貧民を虐げる悪役だった。貧しくとも正
しい者は、みんな自転車に乗った。お父さんたちは自転車に乗って工場に通い、
労働組合に結集した。優等生の娘(吉永小百合的存在)は、自転車で新聞配達
をしながら高校に通い、日曜には銀輪に太陽の光を反射させながら高原を恋人
と走った。

そして、いたずら盛りの小学生の弟たちは、三角乗りをしていた。小学生の中
にも「自転車に乗ると、女は気持ちがいいんだぞ」などと言う輩がいたが、純
真な少年たちは無視をした。そんなことを言う奴は、女子だけではなく自転車
をも侮辱しているのだと憤慨したものである。それに三角乗りでは、気持ちは
よくならない。

自転車に乗るときに、足を荷台側へ大きく跳ね上げてダイナミックに乗るのを
「男乗り」と言った。足を体の内側から抜いて、サドルの前をまたぐ乗り方を
「女乗り」と言った。たまたま「女乗り」をしたところを悪ガキ共に見られる
と、翌日から学校でからかわれた。

それって、今なら性差別じゃないか?

【そごう・すすむ】DG@genkosha.co.jp
玄光社勤務。8ミリ映画誌、カメラ誌、ビデオ誌を経て月刊コマーシャル・フ
ォト副編集長を務め、現在、季刊DG(デジタルグラフィ)編集長。「エンタ
テインメントでよい」という柴田編集長の言葉のまま、デジタルともクリエイ
トとも関係のない話ばかり書かせてもらっている。こんなんで、よいのでしょ
うか。まあ、週末のコラム担当だから勘弁してください。だいたい、まじめな
ことは書けないたちなので。もっとも「面白くねぇぞ」と言われればそれまで
ですけど……。投げ銭ではなく、礫の嵐になるかもしれませんねぇ。

・なにを書いても強引に映画にもってくる人だけど、今回はまあ懐古に浸って
いますねえ。前回は名前ネタで反応メールが多かったようですね。(柴田)

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■鉄砲玉デザイナーのドイツ体験記(その3)
またまた命がけのバイク撮影現場

松永正泰
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今年は大阪─ハンブルクの友好都市提携10周年なのである。この事を知ってい
る貴方は相当なドイツファンである。知らなかった貴方は普通である。8月か
ら12月までここハンブルクでは様々な催物が繰り広げられる。カールシュタッ
トデパートでは着物ショウ、大阪俳画展、文楽など大阪日本をハンブルクッ子
達に満喫してもらえる事だろう。大阪市の皆様御苦労様です。ガンバレー!

という事で話はガビーンと80年代のドイツーデユッセルドルフに戻る。例のCD
兼カメラマンのペーターとまたまたヤマハオートバイの雑誌広告用の撮影をす
る事になった。その当時画期的なモデルが登場したヤマハTR-1である。V字型
エンジン搭載1000ccmのハイエンドモデルでヤマハがドイツBMWの高級モデルシ
リーズに殴り込みをかけた第一弾である。

ビジュアルコンセプトはエレガント、シック。ロケーションはデユッセルドル
フ郊外の屋敷を探す事になり手前にTR-1を、バックに高級感と歴史を漂わせる
お屋敷という感じでショットする事になった。本来はスタイリストに探させて
ロケハンするのだが(まあーこの時はTR-1モデルが一台しかなく撮影時間が限
られていた)このペーターは行き当たりバッタリの本番カメラマン、クライア
ントからTR-1をピックアップしておんぼろフォルクスワーゲンのバンに載せる
とさっそくスタート!

1時間位走っただろうか、高い塀に囲まれた高級感溢れる豪邸が現れて来た。
なかなか良さそうだ、2人でバンから降りて頑丈な鉄格子で防備している玄関
に行きペーターが呼び鈴を押す、ダミ声のオバンとペーターがなんたらこうた
らと話をしていた(......すみません話の途中ですが、この頃の僕は週に3回
ドイツ語学校に通っていてカタコトではありますが日常会話も少し理解出来る
程度にはなっていたのだ!ドウダ!......という事で話は続く....)。

だんだんペーターの声が大きくなって、終いにはシャイセ(日本語訳:クソー)
と捨てセリフを残してバンに戻っていった。オイオイどうしたどうした? ダ
ミ声のオバンに撮影許可を断られた......と悔しそうにペーターはのたまう。

それ見ろ、やっぱりチャンとロケハンして撮影許可を取り付けてから撮影本番
だろうが?!ケッケッケ!......とは僕はペーターには言えなかった。ここら
へんは日本男児の優しさだろうネ。......僕はオイ、ペーターくよくよするな、
これくらいの豪邸他にもいっぱい見つかるだろうが。ホレ出発進行!!

オンボロバンに揺られてまたまた約1時間程走って行くと塀はそれほど高くな
いがビシイーッと蔦が絡まりお城みたいなお屋敷が見えてきた。二人で顔を見
合わせウンウンこれやこれや! さっそくオンボロバンを鉄格子玄関につけて
ペーターが呼び鈴を押す。彼にとっては緊張の時間であろう(ドイツ人は不意
の客は極端に嫌う。必ずアポを取ってからである)満面に笑みを浮かべて優し
く話さなくてはならないのであるが.......? またオバンの声がインタホンか
ら聞こえる。2人の会話はたぶんこうだった

ペーター:グーテンターク、お忙しい所恐れ入ります。私達はBWという広告会
社の者でお宅の庭でオートバイの撮影をしたいのですがよろしいでしょうか?
オバン:........................
ペーター:ハロー? 誰かいますかあ?
オバン:........御主人とアポ取ってますか?
ペーター:イヤー実はアポ取っておりません。実は急な撮影でして.......
オバン:..........御主人の許可を得ないと私は何ともいえません。
ペーター:イヤーそれは充分わかっていますけれども、そこをなんとかお願い
します。1時間位で済みますので。お願いします。
オバン:..........御主人の許可を得ないと私は何ともいえません。
ペーター:そこをなんとかお願いします。
オバン:..........御主人の許可を得ないと私は何ともいえません。
ペーター:そこをなんとかお願いします。
オバン:..........御主人の許可を得ないと私は何ともいえません。
ペーター:そこをなんとかお願いします。

ペーター結構しつこく嘆願したが........やっぱりダメ!そりゃー給仕さん勝
手に主人の許可無しに赤の他人を屋敷内にいれてもし事故があったらオバンの
死活問題になりかねないからね!!

またまたシャイセの捨てセリフを吐き今度は頑丈な鉄格子にケリを入れ(この
ペーター普段は学校の先生みたいに整然としているが切れるとガラが悪くなる
タイプであろう)オンボロバンに2人で戻り、さあどうする?? とりあえず
昼飯をとる事になった。

近くの田舎料理のお店で、僕はシュニッツエルとじゃがいものベーコン炒め、
飲み物はデユッセルドルフ名物ハンネンアルトビア。ペーターは鶏丸ごと空揚
とじゃがいもの蒸し、飲み物はもちろん僕と同じハンネンアルトビア。実はBW
広告会社はこのハンネンアルトビアの広告も扱っている。

僕はビール2杯、ペーターは3杯ゴクンと飲み干し、さあてロケーション探し
である。(注:ドイツではその頃血液中のアルコール量が0.8 プロミールまで
はお酒を飲んでも運転出来た。今現在は0.5 プロミールになったが、ちなみに
僕の例でいうと0.3リッターのビールは約3杯まではオーケーであった)

その頃流行っていたジェネシスの音楽をガンガンに鳴らしながら、ドイツの田
舎道をオンボロゴルフのバンで野を越え山越えてお屋敷探しの珍道中であった。
またまた約1時間程走っていると塀は高いが綺麗なお屋敷が見えて来た。玄関
先まで行くと今度はなななんと!頑丈な鉄格子が 開 い て い る!!!

2人顔を見合わせガッツポーズ。オンボロゴルフのバンを玄関前に止める、さ
っそくインタホンまで僕が行こうとすると、ペーターが「ヒロちょっと待て!」
ペーターが車から降りて僕を制止させ、本人は周りを伺いながらススーッと頑
丈な鉄格子を通り抜け屋敷の中に入って行った。赤土で敷き詰められた歩道と
緑の芝生、白い清閑なお屋敷まさに僕らが探していたロケーションである。

もうここは強引に撮影するっきゃないと僕らは暗黙の了解をしてさっそくTR-1
をバンから降ろしお屋敷をバックにTR-1のポジションを決めた、カメラケース
から2台のコンタックスを取り出し1台を僕に差し出した......?? 何?僕も
撮影するの?まあ僕もカメラはニコマート(古いね)を使いこなしていたカメ
ラ小僧だったから腕には自信があった。自然光もちょうど良いサイドパネルな
どを調整して撮影開始!

ペーターは正面サイド俯瞰とバチバチ撮りまくり、僕は下からTR-1のV 字型エ
ンジンを強調してバックにすこしお屋敷が見えるという贅沢構図で撮りまくっ
た。35mmフィルムを5、6本撮り終わってソロソロ撮影終了............と..
カメラをペーターに返そうとした時に急にペーターが咽をゴクンと鳴らし直立
不動になって、顔面からみるみる血の気が引いていくのが手に取るようにわか
った.......

フト彼が見ている屋敷方向に目をやるとデッカイ、ジャーマンシェパードがこ
っちに向かって猛スピードで突進してきているのである。さも美味しい獲物を
見つけたように大きな口を開けその口の中からこれまた大きな舌を右へ左えと
ブランブランさせて突撃して来てまさひ僕らの5メートル手前まで来た。

これを見たペーターは直立不動になって金縛り状態だ。熊さんだったら死んだ
ふりをするのだが、犬だと直立不動にするのがドイツ流なのか? まあとにか
く彼は完全にビビッテいた。

僕はというと根っからの動物好きだから突撃してくるジャーマンシェパードに
両手を広げて受け答える「おおヨシヨシ、ビリイ元気か?(どうも僕は動物に
は自分で勝手に名前を付けてしまう癖がある)大きくなったなあ」等と、もち
ろんドイツ語で話しかけながら頭をなでなでしてあげる、するとワンチャンも
「あれえーオレ、ビリイじゃないけどオレの事知ってたっけ? そういえばど
っかで会ったかな??」というハト豆鉄砲状態になって僕が「ジッチェン(日
本語訳:おすわり)」というとチャントいう事を聞いた。

このワンチャンなんとなく気まずくなったのかまたまた屋敷の中へ戻って行っ
た。もちろんその隙に道具とTR-1を片付け......まさに頑丈な鉄格子を出よう
とした瞬間に今度はデッカイ、ジャーマンシェパード3匹! 3匹ですゾ! 
この3匹がグワングワン吠えながらこちらに向かって来た......あのビリイ君
僕の事を他の2匹に確認してもらおうと思って連れてきたのでしょうネきっと
......ゴメンネ! ビリイ君僕らは初対面だったのですヨー! でも騙された
君もキット人間が好きなのでしょうネ!

その時すでに僕らは車の中! 襲われても恐くはないぞーっとすっかり顔色が
もとに戻ったペーターはゲンコに中指をたてるあのフXXX モードでワンチャン
達に別れを告げていた(その時に気ずいたのだがワンチャン達はチャンと敷地
内までしか追ってこなかったのです。自分達の守備範囲をチャンと知っている
賢いワンチャン達でした)。

さて恐怖の興奮から醒めて落ちついたペーターが一言「ヒロお前恐くなかった
の? この前の新聞で敷地内に入ってきた外人労働者(ドイツの場合はトルコ
人とかスペイン人とかの国から出稼ぎにきている住民)が犬にメッタメッタに
噛まれて瀕死の重傷を負ったが、噛んだ犬や持ち主には一切咎めはなく保険も
自分のを使わなければならない、もうふんだりけったりの大変な事件があった
ばかりだったんだぜい」..........

「ペーターお前なあ......そんな事知るかい!....大体最初からロケハンして
チャンと許可を取った屋敷で撮影すればこんな思いしなくて済むんだろうがア
ホ!」.......と日常会話が少し出来る僕は言ってやったが.......あのワンチ
ャンの牙むき出し突撃を今思い起こすと........背中に氷が走ったのを感じた。
あの時僕もペーターと同じドイツ流直立不動していたら2人とも確実にベッド
の上だったろう!.........ゾーッ!

さあて僕らはフィルムを現像所に届けてBW広告会社に戻ると、ペーターが今日
の出来事をスタッフのみんなに面白おかしく話していたようだった僕の犬好き
と少しの勇気に、スタッフ一同かなり感心していたのを覚えている。まあ悪い
感じではないワン! 

夕方にフィルムが出来上がり、CDとかクライアントとか営業とかが写真を選ん
でデザイン版下を作成するのだが写真を見て驚いた..........これって下から
TR-1のV 字型エンジンを強調してバックにすこしお屋敷が見えるという贅沢構
図で撮りまくった僕の写真ジャン!............やった!........ペーターに
さっそく「よおー!みんな僕の写真選んでくれたんだねえー!嬉しいよ!」

..........と言うと......「エーッあれヒロが撮ったのだっけ?」........僕
は....「......お前なあーええ加減にセエーヨ!下からの構図はおれだろ、お
ーれ?!!! お前のは正ハサイド俯瞰だろうが....アン??」........「あ
あーそうかもネ...まあでも僕のカメラで撮ったから.....あれは僕の写真さ!
....だろ?」........僕は........「.......」(無言で開いた口を塞げてしま
った)このアホ!もう絶対写真一緒に撮ってあげないからなっと心に誓ったの
であった。

後で分かった事だがこのCD兼カメラマン、ちゃんとカメラマンフィーを別途会
社に請求していたのである。だからあの時、これはヒロが撮った写真なあんて
言ったら請求できなかったのである.........納得。 

だから写真横取り事件の後、昼飯をよくオゴッテもらったのを記憶している。
ヤッパリあいつも人の子、僕に悪いと思ったのだろう。まあ許して上げよう。
あいつが今生きているのも、ひとえに僕がドイツ流直立不動をしなかったから
という事さえしっかり覚えておいてくれればまあいいだろう。ペーター肝に銘
じておけヨ!!..........が......またまた大変な、僕にとっては生涯忘れら
れない撮影事件が起こるのである。 次号を待たれよ!

【まつなが・まさひろ】mm@mmm-hamburg.de
博報堂の鉄砲玉グラフィックデザイナーとして渡独しアートデイレクターを経
て、今現在ハンブルクでM.M.&P. Creative Design GmbHというデザイン制作会
社を主宰。
今年5月にDreamweaber2 とFireworks2を購入し、Fireowrks1の取り説でFire
works2をこなしながら.......また完全に試行錯誤しながらWeb-Design に挑戦
して7月30日にホームページを開設予定がグッと遅れました........が、やっ
と出来ました。タイトルはシテイマガジンーハンブルクです。ハンブルクの今
を伝える情報誌です。ハンブルクってどんなとこや? 何があるんや? とか
ちょっとでも興味が湧いたら見て下さい。
http://www.mmm-hamburg.de

・ちょっと昔のアナログな話がいいか、いきなりデジタルにワープしちゃうか
読者のご意見、本人の意欲をたしかめて、え~い、当面はアナログな笑い話で
暴走しちゃえ~、ということでこうなりました。(デジ栗)

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■編集後記(9/11)
・珍しくリアルタイムで書いています。昨日も幕張で、帰ってきてから仕上げ
ようと思ったけど、ビール飲んだら疲れちゃって寝てしまいました。で、本日
朝組上げています。いつもなら発行にかかるタイミングだけど、すまぬハマム
ラデスク。今日は午後から小諸に行きます。モバイルなし。では。(柴田)

・サハラ砂漠の砂をもらう。とっても綺麗。今の私の宝物。(hammer.mule)

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編集長     柴田忠男 
デスク     濱村和恵 
アソシエーツ  神田敏晶 
        森川眞行 

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