[0477] 「見果てぬ夢」を見続けるせつなさ

投稿:  著者:


■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
【日刊デジタルクリエイターズ】 No.0477   1999/11/27.Sat発行
http://www.dgcr.com/    1998/04/13創刊   前号の発行部数 14505部
情報提供・投稿・広告の御相談はこちらまで mailto:info@dgcr.com
登録・解除・変更・FAQはこちら http://www.dgcr.com/regist/index.html
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■

 <散る夢ならいらねぇや>

●デジクリトーク
 「見果てぬ夢」を見続けるせつなさ
 十河 進

●デジクリトークミニ
 帰ってきた「電脳畸人大博物図鑑」
 柴田忠男 

●デジクリWebサイト案内
 日本フラッシュクラブ(日本閃光倶楽部)発足




■デジクリトーク
「見果てぬ夢」を見続けるせつなさ

十河 進
───────────────────────────────────
ハリウッド映画を見ていると、わりあい頻繁に「Dream Come True 」という言
葉が使われるのに気付いた。

昔から使われていたのかもしれないが、気になるようになったのは、例のミュ
ージックトリオが登場して以来、その名前が頭に残っているからだろう。「夢
が本当になる=夢が実現する」と訳すのが近いのだろうが、「夢は叶う」と僕
は訳している。

夢、という言葉は安易に使われている気がしないでもないが、未だにどこかロ
マンチックな気分を醸し出す。また、「夢を持っている」ことが免罪符に使わ
れたり、口説き文句に使われたりすることもある。

少し前のことだが、ドイツだったかで子供が本物の電車を運転して事故を起こ
した。怪我人が出なかったこともあったのだろうが、「将来は電車の運転手」
というその子の夢も一緒に紹介されており、その記事はどちらかといえば好意
的に書かれていた。

しかし、これが単なるいたずらだったら、受け取られ方は違ったはずだ。ここ
には「電車の運転手になるのが夢」である子供がやったことだから……という
免罪の効果が働いている。

こんなシチュエーションもよく使われる。たとえば、売れないロック・ミュー
ジシャンの恋人を親に紹介した娘と両親の話し合い。

父「あんなカッコして、ふらふらしているような奴は駄目だ」
娘「彼には、いつか六本木にライブハウスを持つという大きな夢があるのよ…」
母「あの年で、そんなきちんとした夢を持っているなんて感心じゃないですか」
父「夢だけじゃ食えないんだぞ」
母「でも、目標のない人よりいいと思いますけど」
娘「そうよ、私は彼の夢の実現のために一緒にがんばるわ」

最近の父親は「父さんみたいに夢をなくした人にはわからないのよ」などと娘
に言われるのを恐れて、腰が引けている。「夢があるのよ」というのは、葵の
印籠ほど効き目はないかもしれないが、それに近いものになっている。

それまで嫌っていた男が自分の夢を語り、それをきっかけにしてヒロインが惹
かれ始めるという設定はドラマなどでもよく使われるシチュエーションだ。

ここには、夢を持つ人=純粋な人、という無前提的かつ無批判な定理が存在し、
たとえば、パンク兄ちゃんのようなカッコをして登場してきた人物が「夢を語
る」ことで、見かけとは違う純粋な人だったのだと見直されるという通俗的パ
ターンが成立する(これは、見かけで判断する方が悪いと思うけど)。

したがって「あなたの夢は?」と聞かれて、すぐに答えられない人、「ないな
ぁ」などと答える人は、ちゃんとした目標のない人、無気力な人、日々を無目
的に流されている人という烙印をおされ、先程の父親のように「夢を持ってい
る若者」を認めない人などは、現実的な人、打算的な人、夢が理解できない俗
物として否定される。

「夢を持つ」ことが奨励され、そのことの価値が高まったのは戦後の民主教育
の結果だと思う。個性を伸ばす、夢を持たせる、そのことは管理教育に対する
アンチテーゼとして提唱され、妙に過大評価されている(教育とは一定の標準
的型にはめることだから、個性を伸ばすこととは概念矛盾を起こすと思うが)。

しかし、どんな境遇にいても「夢を失わないこと」は、昔から日本人の琴線に
触れる部分であるのかもしれない。どんな境遇に堕ちたとしても……「俺には
夢がある」のである。

高倉健は「唐獅子牡丹」の中で「やがて~夜明けのくるそれまでは~意地で支
える夢ひとつ」と歌い、渡哲也は「東京流れ者」の中で「夢はいらない~花な
らば~花は散ろうし夢も散る」と歌う。哲也が「夢はいらない」と歌うのは、
夢を持っているからだ。「どうせ俺の夢なんて叶うわきゃないんだ」という自
嘲なのである。「散る夢ならいらねぇや」という強がりなのである。

若者たちは安易に夢を語る。それが彼らの特権だとは思う。夢が叶う可能性は、
まだまだ彼らにはあるのだ。夢が叶わないのだと知りながら、「いつかよう」
と夢を捨てきれないで生きていく切なさを理解するためには、長い長い年月を
経なければならないのかもしれない。

(編集部注:「いつかよう」 少し後に出てくる人斬り五郎のセリフの中に、
「いつかよう」という言葉があり、そこから引いている。「いつかきっと…」
という意味。

夢が叶わないことを確信しながら夢を持ち続けること、夢を捨てきれないこと、
そのことの切なさに昔から共感してきた。苦い現実を知りながら、「そんなこ
とあるはずねぇ」と思い知らされながら、それでも夢を持ち続けること、「俺
には夢がある」とつぶやきながら、現実に負けまいとする人々に僕は共感して
きた。

渡哲也の人斬り五郎シリーズ2作目「大幹部・無頼」(1968年・日活)の
セリフ。「俺はやくざだ。それも銭で雇われたど汚ねぇやくざだ。~中略~だ
がな、いつかよう、どっかでなんかが起こってよ、まともな暮らしに戻れねぇ
もんでもねぇ。そんなことを空頼みにしている。そんなことあるもんかよ、そ
う思っちまったら人間おしめえだよ」

やくざな境遇に堕ちても、いつか堅気になる夢を捨てない藤川五郎は素敵だ、
と僕はいつ見てもこのシーンで涙ぐむ。このセリフを書いたのはシナリオライ
ターの池上金男、現在、時代小説家として活躍している池宮彰一郎である。

もうひとつ、中村錦之助の「関の弥太っぺ」(1963年・東映)からのセリ
フ。「この娑婆にゃあ、悲しいこと辛えことがたくさんある。だが、忘れるこ
った。忘れて日が暮れりゃ、明日になる」

ここにも、苦い現実認識を持ちながら、それでも諦めずに「何か」を求めてい
る、見果てぬ夢を見ているひとりのやくざがいる。

そう、「見果てぬ夢」である。この言葉を知ったのは中学生の時だった。誰の
レコードかは忘れたが、曲のタイトルだった。1965年にブロードウェイで
初演された「ラ・マンチャの男」のテーマ曲である。セルバンテスと彼が書い
たドン・キホーテの物語が交錯するミュージカル。1972年にピーター・オ
トゥールとソフィア・ローレン主演で映画化された。

「見果てぬ夢」を追い続けて死んでいったドン・キホーテ。しかし、「見果て
ぬ夢」の原題が「The Impossible Dream」だと知った中学生は、複雑な気持ち
になった。「不可能な夢」と直訳すると、「見果てぬ夢」という言葉が持つニ
ュアンスはまったくなくなる。

「見果てぬ夢」は「不可能な夢=実現しない夢」ではない。「叶うことはない
かもしれないが見続けないではいられない夢」なのだと思う。この「見続けな
いではいられない」ということが、人間に与えられた業なのだ。

僕は「夢が実現しないのなら、夢を見る能力なんて欲しくなかった」と思った
ことがある。だが、不幸なことに、人間には見果てぬ夢を見続ける能力が与え
られてしまったのである。

「夢を捨てきれない悲しみ」を思うとき、思い出す小説がある。中島敦の「山
月記」(1942年)だ。詩人となる志を立てた李徴は、志を得られないまま
屈辱と貧窮の中で狂し、虎となって友を襲う。その虎の告白には「夢を見ずに
はいられない」人間の悲しみが溢れている。

【そごう・すすむ】DG@genkosha.co.jp http://www.genkosha.co.jp/dg/
玄光社勤務。現在は季刊DG(デジタルグラフィ)編集長。「私には夢がある」
という言葉を繰り返し、名演説と言われたのがキング牧師です。あのパターン
は使えます。ところで、僕にも夢はあるのです(ここは現在形)。

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■デジクリトークミニ
帰ってきた「電脳畸人大博物図鑑」

柴田忠男
───────────────────────────────────
わたしはかつて実験的オンラインマガジン「Wonder-J」という、オンラインマ
ガジンの走りみたいな月2回刊の編集をやっていた。テイストは、おもしろけ
ればなんでもありのエンタテイメントマガジンだった。その次は、日本で発売
されたばかりのアクロバットを用いた日本初のPDFオンラインマガジン「月
刊アイピーネット」を始めた。これは、かつて紙で編集していた「スーパー・
デザイニング」のような内容だった。

しかし、これらはビジネスになる前に力尽きて休刊になってしまった。敗因は
いろいろあったが、第一は編集長がビジネスをわからず、たんなる編集バカだ
ったということだ。だが、このふたつのオンラインマガジンに共通して関わり
を持ったある連載記事が、不吉な力をもってマガジンをつぶしたのだという怪
しげなうわさは絶えることなくささやかれ続けているのだ。

その「兇通項」とは、「電脳畸人大博物図鑑」である。蝿男とか、百足男とか、
女王蜂とか、蝉男とか、蝶々夫人とか、、、奇怪なキャラクターたちを、あの
地獄の絵師・藤原ヨウコウ氏の描くビジュアルノベルである。

そのビジュアルノベルが、とうとう商業誌で復活することになった。今度餌食
になるのは、あの名門「SFマガジン」!(11月25日発行から連載)だ。
タイトルは、髏地裏(ろじうら)のアリス─もしくは完全球体装置─。うむ、
聞いただけで怪しい。テキスト/井上佳穂、イラスト/藤原ヨウコウ。

弾み、転がる毬の後を追い、「この世ならぬ世界」を彷徨う少女が見たものと
は………。井上佳穂の綺想が、もしかしたら、藤原ヨウコウの新側面を切り拓
くかもしれない、ささやかな問題作……。

ちなみに、井上佳穂とは、賢夫人のほまれも高い井上佳子(藤原ヨウコウの嫁)
で、あまりの同姓同名の多さにめげて(インターネットで検索すると、結構エ
ライことになるそうな)、とりあえず文筆系に関しては、別ペンネームを使う
ことになった。大好きな稲垣足穂大先生から一字、勝手にいただき。

また「月刊少年マガジン増刊 マガジンGREAT」(隔月20日発売)では「ユミ
ル」の連載を開始。

黄昏の世界の野望・絶望・希望の叙事詩を、あるときは激しく、あるときは切
なく描き出す。緻密かつ妖艶な藤原ヨウコウのイラスト世界の今世紀の集大成
となるかもしれない、意欲作、トノコト。

yowkow@mbox.kyoto-inet.or.jp
yowkow2@alles.or.jp
http://www.alles.or.jp/阯謠??
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■デジクリWebサイト案内
日本フラッシュクラブ発足
http://www.yds.ne.jp/jfc/
───────────────────────────────────
横浜データサービス株式会社の小柴登司さんからメールをもらった。

突然ですが、このたび日本フラッシュクラブを設立しました。

ご存じの通り、Macromedia社のFLASHは、Webサイト制作ツールとして人気の高
いソフトです。このFLASH を上手に使いこなし、なにか今までにないものを創
って遊ぼうと、12名のクリエイタ-が集まって日本フラッシュクラブ(JFC)
を設立いたしました。このたいそうなネーミングに実質はいまだともなってい
ませんが、 FLASHの技術を磨きながら新しいビジネスの可能性も追求していき
たいと、メンバーの意気込みだけはしっかり込められています。

ベータ版ですが下記の通りホームページを開設いたしましたので、お暇の折り
にお立ち寄り下さい。トノコト。

行ってみました。「日本閃光倶楽部」とある。「どうしてクラブなんだろう」
というFAQによると、「クラブだといろんな役が生まれます。誰が偉いのか
分からなくなるのが良いと思います。部長と監督と主将とフロントとマネージ
ャーとキャプテンとコーチとトレーナーと応援団長とチアリーダーと何でもあ
りです。そのうち四天王とか、八閃光仙とか、美人三人組とかでてきたら面白
い。私は、はやOB会を作るのを楽しみにしています。殿堂入りなんてのも面
白いでしょうね」とあり、なかなか楽しそうである。

クラブのスローガンは、自主・公開・エンターテイメントの3本柱。今後、ク
ラブの活動成果はホームページに随時発表していく予定である。新規会員も随
時募集している。 FLASHに興味を持ち、日本フラッシュクラブの趣旨に賛同す
る人は会員になれる。会費/登録料は無料。監督は澤田敬一さん。(柴田)

───────────────────────────────────
■編集後記(11/20)
・「カムナビ」をやっと読み終る。荒唐無稽だが、なんとなくだまされて読ん
でしまう。三世紀の邪馬台国と四世紀の大和王朝は同じ奈良県にあった。だが
両者は別勢力であり、ストレートに連続しない。トいう考古学や民俗学の学会
のセンセイが目をむくシナリオが物語と平行して語られて、なるほどな~と感
心。梅原克文の3作、全部まったく傾向が違ってそれぞれが面白いんだからす
ごい。筒井隆康「邪眼鳥」も同時に読み終える。哲学研究者東浩紀の解説を読
むと、もう本編に行くのがいやになるが(あまりに難解なことゆってるので)
行ってみたら一気に読めた。すごいのは文体で、ひとつの段落(改行1字下げ
から、次の改行1字下げまで)の中で、演者が変わってしまうの。時空を超え
ての入り乱れもあってわけがわかんなくなる。やはり難解だ。(柴田)

・お受験が理由? 本当に? だとしたら悲しいね。想像では、双方共に原因
があるような気はするのだけれど。受験戦争をする人達は、子供も巻き込んで
一生受験戦争をするのかな。今でもエリートはエリートなのかな。踊る大捜査
線じゃ学歴でその人の一生が決まるようなことを言っていたっけ。現実は今で
もそうなのかな。わたしゃ、もっと勉強しときゃ良かったとは思うけど。受験
に関係なく、知識や思考力は欲しいよ。あ、デザイン力も~♪(hammer.mule)

----------------------------------------------------------------------
■ 日刊デジクリは投げ銭システム推進準備委員会の趣旨に賛同します ■
http://www.shohyo.co.jp/nagesen/ <投げ銭システムをすべてのhomepageに>
----------------------------------------------------------------------

■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
発行   デジタルクリエイターズ
     <http://www.dgcr.com/>

編集長     柴田忠男 
デスク     濱村和恵 
アソシエーツ  神田敏晶 
        森川眞行 

情報提供・投稿・プレスリリース・記事・コラムはこちらまで
 担当:濱村和恵
登録・解除・変更・FAQはこちら http://www.dgcr.com/regist/index.html
広告の御相談はこちらまで   mailto:info@dgcr.com

★等幅フォントでご覧ください。
★【日刊デジタルクリエイターズ】は無料です。
 お友達にも是非お奨め下さい (^_^)/
★日刊デジクリは、まぐまぐ<http://rap.tegami.com/mag2/>、
Macky!<http://macky.nifty.ne.jp/>、Pubzine<http://www.pubzine.com/>、
E-Magazine<http://www.emaga.com/>のシステムを利用して配信しています。

Copyright(C), 1998-1999 デジタルクリエイターズ
許可無く転載することを禁じます。
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■