[0564] 「オペルデジタルチャレンジ2000」の真相

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【日刊デジタルクリエイターズ】 No.0564   2000/03/25.Sat発行
http://www.dgcr.com/    1998/04/13創刊   前号の発行部数 15735部
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 <ヨーロッパでの授賞式を楽しみに応募してください>

■特別インタビュー
 デジタルに特化したまったく新しいコンテスト
 「オペルデジタルチャレンジ2000」について聞く
 (株)インタービジョン 吉岡輝久さん
 (株)オーエスエル 長谷川良樹さん
 聞き手 濱村和恵(本誌デスク)

■デジクリトーク
 人生を構成する三つの要素
 十河 進



■特別インタビュー
デジタルに特化したまったく新しいコンテスト
「オペルデジタルチャレンジ2000」について聞く

(株)インタービジョン 吉岡輝久さん
(株)オーエスエル 長谷川良樹さん
聞き手 濱村和恵(本誌デスク)
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<文責は日刊デジクリにあります>

いよいよ3月24日から、「オペル デジタルチャレンジ 2000」の作品データの
受付が開始された。日刊デジクリもこの斬新なコンテストに協力している。プ
ロジェクトの企画運営を担当するエージェンシー(株)インタービジョンの吉
岡輝久さんと、事務局の(株)オーエスエルの長谷川良樹さんに「オペルデジ
タルチャレンジ2000」についてインタビューした。

濱村●このコンテストは何回目になりましたか。

長谷川●94年から5回開催しています。我々は98年から関与していますが、イ
ンターネットを中心としたデジタルメディアの急激な発展に対応するため、99
年はお休みしています。その間、デジタルに特化した企画内容、運営形態のス
リム化などいろいろ課題をもって、なおかつ目的意識を持ったものとしてコン
テストを一新しようという大きな動きがありました。5回もやっていると、な
んとなくまたやっているみたいに捉えられがちですし、やはり5回目にもなる
と応募作品そのものが平均化して面白味もなくなってきました。そこそこクオ
リティは高い、しかし突出したものがない。審査員の先生も同じことを感じて
いたようです。

吉岡●類似のコンテストはふえており、その中で実際にやっていく目的とか、
入賞した作品をほんとうにオペルのコミュニケーションに使っていくことがで
きるのか、企業としての課題はありますよね。その部分をクリアできるかとい
うときに、このリニューアルした形態にもってきたのです。

濱村●そういえば、いままではオペルという自動車会社がサービスでやってい
るようなかんじもしましたが、今回の応募要項を見ると、企業がコミュニケー
ションのツールに使えるようにと、ぐっと課題がはっきりしてきたような気が
しますね。

長谷川●今後はインターネットからまったく無名のクリエイターが出てきて、
どこにもないようなコンテンツをいきなり発信する、そういう場面がどんどん
ふえてくると思います。コンテストの形態をとりながら、それを後押しできな
いかなという気持ちがあります。

濱村●応募者側にとって、いままでの5回とは違うところはどこですか。

吉岡●いままでの形態が、ポスターや雑誌広告、インターネットやデジタルム
ービーなどと、かなりばらけた状態でした。デジタルとアナログ的なものが混
在していました。また、アートと企業のコミュニケーション性との関連があい
まいでした。新しい形態では、やはりデスクトップ上ですべてが完結できるこ
とが魅力です。まず、見た時点でデスクトップ上で魅力的で、ユーザーをとり
こめるかどうか。表現や主張が明確なもので、端的にブランドが表現できてい
る、そういうものを求めます。

濱村●デスクトップで完結するもの、ですか。

長谷川●当然ですが、いまのインフラをふくめたコンピュータの環境というも
のも意識しなければならない。たとえばHPでよくありますが、読み込むのにや
たら時間がかかる。それで、そのサイトから離れてしまう。これはもうペケで
すよね。部門がインタラクティブ部門とノンインタラクティブ部門とあります
が、ノンインタラクティブ部門は、従来の紙のポスターがモニタの中のサイズ
にかわって、そこでどんなものができるのか。インタラクティブ部門のほうは、
媒体としてとらえた場合、そこに魅力があるからクリックしてしまう。そうい
った作品を見てみたい。クリックするのがもうおっくうになるサイトだってあ
るわけです。つまり、インタラクティビティのあり方ですよね。

濱村●インタラクティブ性に重きをおいているのですか。

長谷川●そうでもないです。われわれもどんなものが出てくるかはっきりいっ
て未知な部分がある。ああ、こんなこともできるんだみたいな作品を期待して
います。

吉岡●作品としての規定も評価も、基本的にネットワークの中のデスクトップ
上で、ということです。

長谷川●中途半端にデジタルを意識するのではなく、とことんデジタルでやっ
てみようというのが今回の趣旨です。もちろん試験的なこころみではあります。

濱村●いままでポスターをつくっていた人が、今回の規定で出品するときはモ
ニタ上で1枚ものとして見えなければいけないものをつくるわけですね、印刷
してわかるというものではなく。

長谷川●画面に入るように縮小する、というものではもちろんありません。解
像度1024×768の中で表現できるものです。

濱村●印刷することはないんですか。

長谷川●授賞後にヨーロッパで作品を展示するとか、可能性としてはあります。

濱村●規定サイズでは印刷のデータとしては小さすぎますものね。

長谷川●受賞した方とご相談で、作り直す時間があれば印刷用に作りなおして
いただくこともあります。

濱村●印刷の制限や技術を考えなくていいなら、かなり自由にできそうですね。

長谷川●前回でも応募作品1000点近くが、多くはそのまま廃棄しなければなら
なかった。それも時代からすると、逆行していますね。それから印刷を考える
と、そのへんのノウハウを持たない人には敷居が高い。そうでなくて、ふだん
作業をされているそのままの状態でもいいということです。注意すべきは、ブ
ラウザやOSの個々の環境でしか見られないというのはあまり評価できません。

濱村●それはむずかしい……。

長谷川●そうですね、逆に言えばその中で、ああここまでできるんだ、という
ものを見たいですね。プラグインもフラッシュやショックウエーブ、リアルプ
レイヤーなどスタンダードなもので。

吉岡●デスクトップの標準の環境の中で、汎用技術の中で、どう表現できます
かという問いかけですから。

長谷川●マニアックなプラグインでを使用し、その特異性で勝負してしまうと
いうかんじではありませんね。

吉岡●いままでの応募規定では、わりと自由な表現で大きさも自由でした。そ
れが実際の環境かどうかということを考えないところがありました。今回は、
こういう部分を、こういうことに気を付けてほしいと、テーマについてもかな
り細かく規定しているわけです。しかも、オペルという企業のコミュニケーシ
ョン性を強く求めています。ユーザーがデスクトップの普通の環境で見たとき
に、ちゃんとそれが表現できますかという、かなり難度の高い特化したところ
で表現してくださいといってるわけです。クリエイターやアーティストのなか
でも、そういう意識を持った方が高く評価されるし、われわれもそういう部分
を見ていきたい。

濱村●サイトにある情報で、条件はすべて出し切っているのですね。質問はき
ませんか。

長谷川●いまのところは、ピクセル数についてだけですかね。印刷することは
本当にないのかという確認です。審査の段階では印刷は考えなくていいのです。

濱村●審査員にはヨーロッパのアーティストもいるそうですね。

吉岡●受賞者がヨーロッパツアーにいったとき、日本とヨーロッパの文化の交
流ってあると思うんですよ。同時にクリエイターの交流もあってもいいと考え
ました。

濱村●審査員の顔ぶれをみて、応募作品を変えるという手もありますよね。

長谷川●いままでは審査員の顔ぶれを見てからの「傾向と対策」で、画一的な
作品が多く来たというのを逆手にとりまして、審査員の発表は遅くしているの
です(笑)。しかし、審査員がこういう人だからこういうふうに作るというパ
ターンは、もう有効ではありませんね。

吉岡●それから、審査員のなかでも審査委員長がいるので、みんなでまとまっ
て審査するとひとりのオピニオンに左右されることがないわけではなかった。
この作品がオペルのブランドをあらわしていると我々の側で思っても、審査員
の重鎮の方が別の作品をいいじゃないかと言うと決まってしまうジレンマでも
あったんですよ。今回の審査は、こうしてほしいという審査規定は当然ありま
すが、個々の審査員の判断により選んでもらう、というかたちを尊重したいと
思います。ですから、審査委員長のような人はいません。ただ最終的にオペル
のブランドのマネージャーによる判断があります。いろんな視点で見ていただ
いた上で、しっかりした評価のポイントがあって、やはりオペルブランドのコ
ミュニケーションに使っていきたいと思うような作品を評価して欲しい。

濱村●いままではそういう評価ポイントはなかったのですか。

長谷川●そういうものは特別なにもなかった。テーマ自体も詳細についてはな
にもなく、たとえば「環境」だけ。それでは幅が広すぎて、いろいろな表現が
出る反面、焦点がぼけていました。

吉岡●各審査員がいいと思う作品が、どの賞にふさわしいかというふりわけが
審査のスタイルでもあって、多少安易であったという印象はぬぐえません。そ
ういう審査の方法をまったく変えたものにしたかった。

濱村●だから、各審査員がじぶんのデスクトップで審査するスタイルにしたわ
けですね。応募者にたいするオリエンテーションもしっかりしていますね。

吉岡●基本的にはそれぞれのテーマについても、広告でいうコミュニケーショ
ンブリーフみたいなかたちで落としています。連係して、ブランドについての
「オペルガイド」というのも入れていますので、こちらの趣旨と、どういうこ
とを表現してもらいたいかということをご理解いただけると思います。これは、
実際の広告コミュニケーションをつくるのとかわらないプロセスなんです。

長谷川●ただ、アート一辺倒ではなくて、デジタルにおけるコミュニケーショ
ン性を重視しています。

吉岡●審査員はひとつの審査する機能であって、現実にはオペルがいて、最終
的にはそれを見るコンシュマーがいて、そこでどうなのかというのが一番重要
なんです。いままではそこじゃない部分で評価されていました。ひとつのきっ
ちりした評価軸があり、出品した人がああこう評価されているのだとわかるこ
とが重要でしょう。

長谷川●いままでのやり方では、どこがよくってこの作品が選ばれたのか、わ
かりにくかった。そのへんはなるべくクリアにしたかった。

吉岡●登録している方が今1000名プラスアルファというところで、そのひとた
ちが実際にどういう作品を出してくるかということをふくめて新たなチャレン
ジですから、時代とともに検証して変えていかなければならないこともあるで
しょう。ある意味トライアルですが、こういうコンテスト形態はほかにありま
せん。それがどういう効果をもたらすか非常に愉しみであり、そこからまた新
しいステップが生まれるのかもしれません。

長谷川●次回、その次と、インフラによって変化していくでしょう。ハイスペ
ックでなければ表現できないものが、インフラの整い方でスタンダードになっ
ていくでしょう。時代の流れとともにコンテストも変わっていくと思います。

濱村●WEBの制作専門会社の人や、広告代理店の人などのプロも応募できるん
ですか。

吉岡●プロ、アマはまったく問いません。ヨーロッパでの授賞式を楽しみに応
募してください。                

・オペル デジタルチャレンジ 2000
http://challenge.opel.co.jp/

▼編集長でなくデスクがインタビューを担当した理由はそのうち分かります。

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■デジクリトーク
人生を構成する三つの要素

十河 進
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「人生は三つの要素で出来ている。夢と友情と裏切りだ」

この言葉を、僕は30年間、何かあると自分に言い聞かせるようにつぶやき続け
てきた。座右の銘というわけではないが、何かを期待しそうになったり、人を
好きになりかけたりしたときには、言い聞かせてきた。

この後に「だから期待するな、期待しなければ裏切られることはない」と続け
ることが多い。人を好きになれば、相手からも好かれたいと期待する。自信の
ある特集が出来れば、本が売れることを期待する。だが、世の中はそんなに単
純じゃない。愛情や努力がストレートに報われることは、ほとんどない。

いつの間にか「期待しなければ裏切られなくてすむ」という考え方をするよう
になったのは、この言葉のニュアンスが体の芯までしみこんだからだろう。こ
の言葉の重要な点は、もちろん「裏切り」だ。人は裏切る、自分さえも。そし
て、裏切られる、様々なものに。

「夢と友情」は人生の明るい面を象徴し、「裏切り」という言葉は人生の暗部
を象徴している。だからこそ、18歳の僕は、この言葉に感銘を受け、以来、一
度も忘れたことはない。もちろん、その奥深さは実感できなかったが、前途に
漠然と広がる自分の人生の重さを噛みしめたものだった。

「裏切り」という言葉を選んだところに、この箴言を吐いた男の人間洞察の鋭
さ、人生に対する深い認識を感じる。「裏切り」という言葉は、文字通りの意
味を含むと同時に、人生における挫折や失意、落胆、悔恨、絶望など、すべて
を象徴しているのだ。

この箴言を吐いたのは、フランスの映画監督ジャン・ピエール・メルヴィルで
ある。文字通り「夢と友情と裏切り」を描き続けた偉大な映画監督だ。

さて、ここまで僕は「夢と友情と裏切り」と書いてきたが、メルヴィルの言葉
を正しく引用すると少し違う。この言葉はキネマ旬報社の世界の映画作家シリ
ーズ18「犯罪・暗黒映画の名手たち/ジョン・ヒューストン、ドン・シーゲル、
ジャン・ピエール・メルヴィル」中の読売新聞の映画記者・河原畑寧の取材記
事に出てくるものだ。

「映画は夢を描くものだ。私の映画は、もし私だったらこういうふうに行動し
たいという願望から作られている。……人生は三つの要素で出来上がっていて、
その三つとは愛と友情と裏切りである」

河原畑寧は「リスボン特急」(1972)の完成試写を見ながらメルヴィルをイン
タビューしたらしいが、残念なことに「リスボン特急」はメルヴィルの遺作に
なってしまった。

30年足らずの間に、13本の長編を遺しただけの寡作な監督である。日本ではJ・
P・ベルモンド主演の「いぬ」(1962)からしか公開されなかったから、フィ
ルム・ノワールの監督と思われてきた。初期には、ジャン・コクトーの「恐る
べき子供たち」を映画化して評判になっている。

日本公開では「いぬ」(1962)「ギャング」(1966)は通に好まれたが、アラ
ン・ドロンと組んだ「サムライ」(1967)が話題になり「影の軍隊」(1969)
「仁義」(1970)と続いた。「リスボン特急」のヒットは、当時、日本でもブ
ームになっていたカトリーヌ・ドヌーヴのおかげかもしれない。

先日、WOWOWで処女長編「海の沈黙」(1947)が放映された。初期の「マンハ
ッタンの二人の男」(1958)も以前にWOWOWで放映された。WOWOWはハリウッド
の大作放映ばかりを告知して、こういう映画は気付かないうちに放映する。困
ったものである。

「海の沈黙」は、ヴェルコールのレジスタンス小説である。僕は、高校の国語
の教科書で初めて読んだ。この原作を処女長編に選んだところに、メルヴィル
らしさを感じてしまう。何しろ、主人公の老人と姪は一言も喋らない。

小説なら喋らなくても成立する。内面を語れるからだ。小説でも、喋るのはフ
ランスを占領し、老人の家を宿舎にすることになったドイツ軍のインテリ将校
だけである。老人と姪は沈黙で、占領者に抵抗するのだ。

感銘深い映画である。インテリで芸術を愛するドイツ軍将校はフランス文化を
尊敬し、ドイツとフランスの融和を本気で信じている。誠実で素晴らしい人間
に描かれる。

だが、彼はドイツ軍の占領政策に絶望し、戦死率の高い悲惨なロシア戦線を志
望する。自殺的行為である。その彼が去るときに、老人と姪は口を開くだろう
か……、映像だけでサスペンスを感じさせる後年のメルヴィルの手法は、こん
な設定でも才能を見せつける。

メルヴィルの映画を一言で表すなら「ストイック」だろうか。禁欲的で厳しい
映像が、ゾクゾクするほど素晴らしい。セリフを削りそぎ落とし、最低限必要
なものしか残さない。もちろん、音楽で盛り上げることなど、まったくしない。
すべてを映像で語る。

メルヴィルの映画はモノクロか、カラーでも色彩設計は沈んだモノトーンだ。
夜のシーンが多いから、眼を凝らさないと大事なものを見逃すこともある。ま
さにクールな映像である。一瞬たりともスクリーンから目を離せないと思わせ
る厳しさ。

饒舌で意味のない映像が垂れ流されている現在、メルヴィルの映画を見ると、
緊張感でいつの間にか背筋がのびてくる。俺も意味のない言葉を喋り散らした
りしないようにしよう、と厳しく律したくなる。

そんな映像の中で描かれるのは、禁欲的で厳しい男たちの「友情と裏切り」の
物語である。

暗黒街を舞台にしたのは、いつも死を意識して生きているストイックな男たち
を描けるからだろう。その典型は「サムライ」でアラン・ドロンが演じた殺し
屋ジェフ・コステロである。

後にギンギラギンの衣装で沢田研二によって歌われる「サムライ」は、もちろ
んこの映画からインスパイアされたものだが、映画自体は「武士道の本による
と、サムライの孤独は密林の虎の孤独である」というスーパーと共に始まる、
一匹狼の話である。一人で傷の手当をするシーンが、男の孤独と誇りを見せつ
ける。

僕は「冒険者たち」という映画のリノ・バンチュラが大好きだが、本来は、彼
はギャングを演じたときに、その個性を最も発揮すると思っている。その代表
作が「ギャング」だ。ここでは、裏切り者・密告者と思われたギャングが、死
を賭して汚名を雪ぐ誇り高い姿が描かれる。

リノ・バンチュラがインテリの教師役を演じたのが「影の軍隊」だ。彼はド・
ゴール派のレジスタンスの一員である。捕まれば死という緊迫した状況の中、
ここでもレジスタンス活動の厳しさが描かれる。

シモーヌ・シニョレ演じる女闘士は「鉄の女」として描かれる。だが、彼女は
逮捕され、ゲシュタポの巧妙な罠に落ち、娘を盾にとられ、ついに仲間を裏切
る。「愛と友情と裏切り」が究極の形で設定されるのである。

ラストは、(彼女自身が望み覚悟していたのだが)解放されたシモーヌ・シニ
ョレを処刑するシーンだ。その後、非業の死を遂げるレジスタンスの仲間たち
の運命をクレジットして映画は終わる。非情な印象を残す映画だった。

「友情と裏切り」をテーマにした暗黒街ものの集大成のような大作が「仁義」
である。以前、アル中の話でも書いたことがあるが、イブ・モンタンとアラン
・ドロンが初めて共演した。

口を割らずにひとりで5年つとめあげ、出所してすぐに昔の仲間に貸しを取り
立てにいくが、トラブルで金が入らず宝石店襲撃を計画するのがアラン・ドロ
ン。元警官で今はアル中の射撃の名手がイブ・モンタン。彼は宝石店襲撃の仲
間になる。

主要な男たちは5人。列車で護送される途中に逃げ、ドロンと出会って宝石店
を襲うジャン・マリア・ヴォロンテ。ヴォロンテに逃げられ、捜査中に宝石店
襲撃犯を知る警部がブールビル。ヴォロンテの昔の仲間で射撃のプロを斡旋す
るのが、ナイトクラブを経営するフランソワ・ペリエ。

ここでも、メルヴィルは究極の設定をする。ヴォロンテが昔の仲間であるペリ
エを頼ると踏んだ警部は、彼の大学生の息子を微罪で逮捕し、その釈放を条件
にペリエの口を割らそうとする。

そのやり口の卑劣さに怒り、最初は裏切らなかったペリエも、息子が20年以上
の刑になると恫喝されると、気持ちが振れ始める。ペリエの息子を微罪で逮捕
し服に麻薬を入れ陥れたのは警部であり、そのことを気付いているペリエだが、
警察権力が無実の息子を20年の刑にするくらいのことは平気でやると知ってい
るから、息子を愛する彼は絶体絶命の窮地に落ちる。

このシーンで、卑劣な罠を仕掛けるブールビルに対して不思議と反感は湧かな
い。彼は、自分のしている卑劣さを自覚しているし、そのことは彼のプロ意識
のなせるわざなのだ。彼もまた、犯人逮捕という目的のためには手段を選ばな
い非情さを持つ、有能なプロフェッショナルなのである。

息子への愛情、仲間への友情、そして裏切り。

ペリエは裏切り、罠と知らずにドロンは盗んだ宝石をブールビルが化けた故買
屋に売りに出かける。何かを感づき、ドロンを救おうと、ヴォロンテは警察が
待つ罠の中に飛び込んでいく。

「仁義」では、もちろん友情も描かれる。逃亡中のヴォロンテはドロンの車の
トランクに身を隠す。検問を無事に抜けた後、ドロンは人のいない原っぱに車
を駐め、トランクに向かって「もう大丈夫だ」と言う。トランクの中にあった
拳銃を構えてヴォロンテが現れる。逃亡犯が隠れているのを知りながらかばっ
た理由を彼はいぶかる。

ドロンがジタン(ゴロワーズだったかも)を取り出し、1本くわえてから投げ
る。受け取るヴォロンテ。ドロンは自分のタバコに火を付け、マッチを投げる。
二人の間はキャッチボールが出来るくらいは開いているだろうか。マッチを受
け取り火を付けるヴォロンテ。ドロンが「今日、出所したんだ」と言う。紫煙
が流れて、無言のふたり。

ふたりの友情はそれだけで成立する。男同士の友情、男女の愛情は、タバコと
いう小道具を使って表現されることがある。映画は視覚的に表現するから、火
を付けてやるのは友情や愛情の証なのだ。

「さらば友よ」のラストシーンで警察に連行されるブロンソンに火を付けてや
るドロン、「脱出」の中でローレン・バコールに火を付けてやるハンフリー・
ボガート。そして、「仁義」のドロンとヴォロンテ。これを3大タバコシーン
と僕は名付けている。

さて、メルヴィルの映画は「俺の目を見ろ、何にも言うな」に近い世界でもあ
るが、男たちも、男と女も、アイコンタクトだけで意志を通じ合わせる。セリ
フはほとんどない。

「リスボン特急」では、ナイトクラブの経営者で銀行強盗のリチャード・クレ
ンナと警部のアラン・ドロンは親友であり、ドヌーブはふたりを愛している。
ドヌーブはクレンナの犯罪を手伝いながら、ドロンとも寝ている。

この映画は、3人がそれぞれに交わす視線の映画である、と断言してもいいく
らい、登場人物同士の視線の交錯を見逃すと、物語を理解し損ねる。1シーンし
か登場しないが、男娼の密告屋がドロンに向ける視線も凄い。あの女装の密告
屋は、頬を張られ冷たくされても警部を愛しているのだ。

「リスボン特急」は、どこまでセリフを削れるか試したような映画で、最初の
銀行強盗のシーンもほとんど現場音だけ。途中の列車のシーンは、20分ほどま
ったくセリフがなく、列車の音だけである。

そんな寡黙で禁欲的なメルヴィル映画の影響を受けているのは、北野たけしで
はないかと、僕は睨んでいる。言葉で語らず映像で語る、スクリーンから目が
離せない映画。北野ブルーと呼ばれる青を基調にしたモノトーンの色彩設計。
主役の二人を聾唖者に設定した究極の「あの夏、一番静かな海」は、その発想
の根底に「海の沈黙」があるような気がしてならない。

メルヴィル映画の放映やビデオを見つけたら、ぜひ、見て欲しい。メルヴィル
の映画を見逃しているということは、人生の深さを学ぶチャンスを逃している
ということである。

人生は、本当は四つの要素で出来ているのである。

夢と友情と裏切りと……(それらを描いたメルヴィルの)映画と、である。

【そごう・すすむ】DG@genkosha.co.jp http://www.genkosha.co.jp/dg/
玄光社勤務。小型映画編集部、フォトテクニック編集部、ビバビデオ編集長、
コマーシャルフォト副編集長を経て、現在は季刊DG/デジタルグラフィ編集長。
我が社の月刊ビデオサロン副編集長は髭を生やし、冬になるとトレンチコート
のベルトをギュッと締めて歩いている。「仁義」のドロンになりきっているの
だろうが、どう見てもグルーチョ・マルクス。

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■編集後記(3/25)
・予想通り、作品集の校正と展覧会の準備がいっぺんにやってきた。どちらも
前からちゃんと進めていれば、月末になってあわてなくてすむのに、編集屋は
やはりギリギリにならないと頭も手も動かないのである。約200名もの会員の
ディジタル・イメージの展覧会は会場のキャパを大幅に越えているので、また
2会場に分離して、東京展前期は銀座ワシントンでGWに、東京展後期はお盆あ
けに表参道ネスパスで開催することになった。9月は大阪展を予定。(柴田)

・インプレスの「できるシリーズ」の広告が面白い。エラーメッセージに対す
る突っ込み。「また命にかかわる誤りを犯した。←致命的なエラーが発生しま
した。」「私に宇宙語で話しかけないで。←プラグインから得たアプリケーシ
ョンの結果を入れるバッファが小さすぎます。」 わはは。 (hammer.mule)
http://dekiru.impress.co.jp/

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編集長     柴田忠男 
デスク     濱村和恵 
アソシエーツ  神田敏晶 
        森川眞行 

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