[0611] もうひとりの寅さん作家

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【日刊デジタルクリエイターズ】 No.0611   2000/05/27.Sat発行
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 <ナベプロ3人娘の園まり様のことが気になって仕方がなかったのだ>

■デジクリトーク
 もうひとりの寅さん作家
 十河 進

■デジクリトーク
関西人は、なぜロシアに向ったか?(その2)
未来派批評家 東 知世子
 


■デジクリトーク
もうひとりの寅さん作家

十河 進
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●「おかしな男」

新潮社の「波」に何年か連載されていた小林信彦の「おかしな男」が単行本に
まとまった。僕は連載で一回目から読んでいたのだが、途中から「波」の購読
をやめてしまったので、後半が気になって仕方がなかった。

表紙は渥美清の似顔だ。「おかしな男」とは、もちろん渥美清のことである。
小林信彦は個人的なつきあいのあった渥美を、作家らしく時に厳しい目で描い
ている。ここに登場する渥美清に寅さんのイメージはない。

登場するのは、すべて実在の人物ばかりだから、書くのにはかなりストレスが
溜まると思う。連載中から、様々な軋轢があったのではないだろうか。アメリ
カなら(今や日本でも)訴訟覚悟で書く内容かもしれない。

しかし、ノンフィクションライターのように他者から聞いた話で構成している
わけではない。小林信彦は「天才伝説 横山やすし」と同じく、自分が直接見
聞した渥美清しか書かない姿勢を貫いている。したがって、描かれるのは小林
信彦が接した渥美清の姿だが、変に「いい人でした」的には書かない。

いや、それどころか、フーテンの寅のイメージが浸透し「いい人、お人好し」
のイメージを保っていた渥美清が、個人の生活を異常なまでに秘密にしようと
する人物であり、時に相手を怖がらせる複雑な性格の人間だったことを、割に
しつこく描き出す。

どちらかというと、フーテンの寅になる前の渥美清が中心かもしれない。独身
時代の渥美清のアパートで徹夜で話をするシーンなど、相変わらず記録魔の小
林信彦らしい正確な記述で、なかなか凄い。渥美の奇妙な人格が伝わってくる。

「おかしな男」を読んでいて、そう言えば渥美清というコメディアンは時に凄
みを見せたものだった、と思った。「男はつらいよ」の人気が高まり国民的映
画になり、フーテンの寅が「いい人」になるまでは、寅さんは乱暴者でとても
怖い面を見せることがあったのだ。

渥美清が全国的な人気者になったのはNHKのおかげである。当時、全国で共通
して見られるのはNHKだけだったという事情もある。渥美清は、永六輔が構成
作家をしていた「夢であいましょう」(1961年4月~1966年4月)と渡辺プロの
タレントが総出演していた「若い季節」(1961年4月~1964年4月)に出演して
いた。

僕は「夢であいましょう」は見させてもらえなかったが、「若い季節」は毎週
見ていたのに、渥美清のことはあまり記憶していない。当時、小学生の身だっ
た僕としては妙な顔をした男のことより、ナベプロ3人娘の園まり様のことが
気になって仕方がなかったのだ。

その後、中学生の頃には「泣いてたまるか」が渥美清の主演で放映された。こ
れは主題歌がヒットして、何となく覚えている。俳優座が協力していたのか、
劇団の若手だった原田芳雄が真面目な青年役で登場した回を、なぜかよく記憶
している。

高校生の時には「男はつらいよ」(1968年10月~1969年3月)が放映された。
父親は欠かさず見ていたが、僕は時たま見るだけだった。さくら役の長山藍子
と弟分を演じた津坂匡章(後に秋野太作と改名)が印象に残っている。もう有
名になってしまったが、このドラマの最後で寅は沖縄でハブに咬まれて死んで
しまう。

●寅さんの変質

渥美清の主演映画を見たのは「男はつらいよ」(1969年)が初めてだったかも
しれない。加藤泰監督の「沓掛時次郎・遊侠一匹」(1966年)の前半に出てく
る渥美清を見て、その演技の凄さに驚いたりはしたが、あれは脇役だった。

「男はつらいよ」は1970年の5月に銀座の並木座で見た。同時上映は森崎東の
監督デビュー作「喜劇・女は度胸」(1969年)だった。倍賞美津子の映画デビ
ューでもある。

渥美清は、両方の映画に出ていた。「喜劇・女は度胸」の方は、暴力的でどう
しょうもない男の役で、本当に怖いキャラクターだった。何と言えばいいのだ
ろう、肉体労働者の感じをあんなにうまく表現した役者は、あまりいない。

中上健次の路地もの小説に出てくる肉体労働者を演じるなら、あの時の渥美清
がぴったりのような気がする。「赫い髪の女」(1979年)は名作だと思うが、
石橋蓮司はやっぱりインテリっぽい。あれを渥美清がやったら、凄かったんじ
ゃないだろうか。

第一作「男はつらいよ」のフーテンの寅も、キャラクターとしてはやくざな男
で「これが渡世人のつれぇところよ」というセリフを連発し、やたらに隣の印
刷工場の若いモンや源公を殴る。20年ぶりくらいに帰ってきたフーテンの寅は、
次第に持て余され、疎まれるのである。

後年のシリーズになるとパターンができて、お約束としておいちゃんと寅は喧
嘩するのだが、第一作目の喧嘩は本気である。喧嘩しながらも寅を愛している
などという甘さはない。「おまえのような兄がいたら、さくらは不幸になる」
と、おいちゃんは本気で思っている。

3作目「男はつらいよ・フーテンの寅」(1970年)の監督は森崎東。その後の
膨大なシリーズを思えば、異色の寅だった。その頃、僕はすっかり寅さんファ
ンになって、5作目まではきっちりと見た。しかし、その後、8作目を別にして
寅さんシリーズはいっさい見ていない。

僕が8作目以降「男はつらいよ」を見なくなったのは、フーテンの寅というど
うしようもないやくざなダメ男が、いつの間にか大衆に愛されるキャラクター
になってしまったからである。

テキ屋なんかやっているけど、本当はやさしくていい人で、自由に生きている
んだという設定に変わってしまったからだ。大衆が望む肯定的なキャラクター
への変質である。

第一作を見ればわかるが「そんなことやってると、寅さんみたいになるよ」と
近所のおばさんたちは子供を叱る。寅さんは、昔、近所にひとりやふたりはい
た「手本にしてはいけない大人」だったのである。

それがいつの間にか、「いい学校を出て、いい会社に入って」という価値観か
らは外れているけれど、寅さんは自由でのびのびと生きている羨むべき存在に
なった。いや、彼こそが人間本来の生きる理想像なのではないか、とまでまつ
りあげられてしまった。あまつさえ、彼は観客に説教までする始末だ。

これは、山田洋次の視点がフーテンの寅というどうしようもないやくざなダメ
男に対する共感を失い、大衆を啓蒙するような欺瞞性を持ち始めたからではな
いかと僕は思う。国民的な人気が出てしまったために、フーテンの寅の性格を
変え、監督は哲学さえ変えてしまったのだろう。

僕は山田洋次の映画が好きだった。あまりヒットはしなかったが、「馬鹿が戦
車〔タンク〕でやってくる」(1964年)は特に好きだった。村人たちに差別さ
れ、さげすまれて生きてきたハナ肇は、最後に納屋を破壊しながら戦車で現れ
大暴れし海に消えていく。愛すべき馬鹿な乱暴者を山田洋次は好んで描いた。

●変わらない森崎東

森崎東は、山田洋次の助監督であり共同脚色者だった。彼は「吹けば飛ぶよな
男だが」(1968年)「男はつらいよ」の脚本を書いている。今では「男はつら
いよ」と言えば山田洋次の名前しか出ないが、1作目の「男はつらいよ」は脚
本・森崎東とクレジットされている。

今にして思えば初期・山田洋次作品の、とりわけ「吹けば飛ぶよな男だが」の
虐げられた人々、疎外された人々へ寄せる共感の視線は、森崎東のものだった
のだ。そのことは、森崎のその後のフィルモグラフィーが証明している。

森崎東は徹底して女のたくましさを描く。「喜劇・女は度胸」のラストで派手
な喧嘩を繰り広げる亭主の花沢徳衛と長男の渥美清に向かって清川虹子が言う
セリフ「女がいなけりゃ男は生まれない」は、おそらくずっと続く森崎東のテ
ーマだ。

森崎東は渥美清と、それほど仕事をしているわけではない。しかし、彼が描い
たフーテンの寅や「喜劇・女は度胸」の乱暴者の兄を見ると、森崎こそが渥美
清というキャラクターの持つ魅力を引き出し、生き生きと銀幕上に使い切った
ように思えるのだ。

自らの本来のキャラクターを殺し、あえて大衆が望むフーテンの寅のイメージ
を演じ続けた渥美清。彼と共にスター監督になり変質してしまった(せざるを
得なかった)山田洋次監督。ふたりは、果たして幸せだったのか。

彼とは逆に、社会的弱者に寄せる共感と反権力を鮮明にする映画を作り続けた
森崎東は松竹を追われ、苦闘の日々を続ける。森崎の苦闘の年月を振り返る時、
あえて自らの信念に従って体制に媚びず、貧乏暮らしをしている先輩の姿を見
るような気がして、僕は涙を禁じ得ない。

しかし、原発ジプシー問題を描いたため公開さえ危ぶまれた「生きてるうちが
花なのよ、死んだらそれまでよ党宣言」(1983年)は、東海村の臨界事故を経
た今、いかに森崎が作家として先鋭的かつ先見的であったかを証明した。

作家的信念・誠実さを貫いた森崎東の方が、今では幸せであったような気が、
僕はしている。

【そごう・すすむ】DG@genkosha.co.jp http://www.genkosha.co.jp/dg/
玄光社勤務。小型映画編集部、フォトテクニック編集部、ビバビデオ編集長、
コマーシャルフォト副編集長を経て、現在は季刊DG/デジタルグラフィ編集長。
テレビシリーズを演出した小林俊一は第4作「新・男はつらいよ」を監督して
います。それ以外の46作はすべて山田洋次監督作品。

▼「散歩の達人」6月号が、柴又・堀切・水元公園特集で、寅さん48作資料も
載っている。

さすらいの月虎
http://www.asahi-net.or.jp/~vd3t-smz/

にこにこ山田村in internet
http://www.tky.3web.ne.jp/~hhirai/

RIKIHOUSE
http://plaza9.mbn.or.jp/~riki/

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■デジクリトーク
関西人は、なぜロシアに向ったか?(その2)

未来派批評家 東 知世子
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(前号まで)大学で「日本文化の源泉は、仏教にあり」と開眼した私は、京都
の知り合いには散々「お寺に永久就職」のような言い方をされましたし、実際、
教授にもその話を勧められたものの、そんな『やわな話』に乗るはずもなく仏
像を各地に見に行ったり、寺社参りに明け暮れているうちに卒業。

またしても、試験や面接の要領が悪く(横柄な第一印象も悪いのか?)一切の
マニュアルを信じない意固地な私は(同世代にこういう人は少ない)やはり当
然のことながら、厳しい時代のせいか就職も落ちまくって、失意の日々を送る
ことになります。

●怪しい貿易商人と化していく

ところが、ところがそこへ突然、舞い込んだうまい話。間接的知り合いの経営
する「ロシア貿易会社」へ就職。ま、こういうとこが無鉄砲というか、社長一
人社員一人の極小会社生活が(まさにミニマリズムの世界だった!)こうして
幕を開けたのでした!

そして、だれに頼まれもしないのにロシア語を習い始め、ロシアに関すること
なら生き字引のように知る(大体頭の切れが違う)恐るべき 旧日本帝国 元
スパイ上がりの 外大名誉教授によって、またしても、未知のロシアに『目覚
め』させられるのでありました。

ま、やりだしたらなんでも徹底的にやらないと気が済まない性格上、ほんまに
信じられないくらい、がむしゃらにやりました。この先生もまた凄い方で、週
一の講座でロシア語のロの字も知らなかったのに、一年後には、チェーホフの
短編「かわいい女」を読ませるほど進歩させ、しょっちょうウラジオストクか
ら来ていたロシア人の言葉も、曲りなりにも、少しづつ理解するようになって
いきました。

そのうち仕事の方でも、考えられないような条件のいい仕事が舞い込んできて、
富山の港から新車のランドクルーザーを売り、その代金を現生でロシア人の船
員から受け取るという、かなりキワドイ事に進展していき(卑屈な銀行や水上
警察からの冷遇にもめげず)当然のごとく、私は日帰り出張でせっせと「雷鳥
ランデブー」することになり、いっそう「ロシア人の実態」を目にする機会が
増えてしまった。

携帯片手に、車両のデッキで「今からいくぞ、待っとれ!」ってなことを、下
手なロシア語で叫びつつ、怪しい目で眺めるタクの運ちゃん待たせて、乗船。
時には、親切なロシア人の船員の接待で、なぜか船の中で「アバ」のビデオな
ど見せてもらうなど、とんでもない貿易商人と化していくのでした。

2年の勤務期間中、気が狂いそうなくらいの金額を『自転車操業』して(いつ
も「今月の給料払えんなあ」、と脅かされつつ)私の前を通過していった金額
(年商10億)。今となると、どうでもいいことでっけど、そのわりに薄給で、
交通費さえ立て替えたり、社長の嫌味とくどくどした説教に悩まされ、出張手
当ももらえなかった『不遇時代』でもありましたが。

そうこうこうするうちに、いろんなロシア貿易関係の人からロシア人の悪口を
聞かされるようになりまして。特に、社長などは大変、ロシア人を軽蔑してい
て、それでいて目の前では、見事に真の友達(マブダチ)を装う、どうしよう
もない人間でした。

しかし、富山のタクに乗るたびに聞かされる、「盗み」関係の話には我ながら、
「こいつら、なめとーなあ!」と怒りを感じましたし、たしかに船乗りという
のは、どうしようもない連中もけっこういて、日本海沿岸の地元の方は、相当
迷惑しているのも確かでした。

●ロシア人のぼさーっとした優しさに惚れる

でも、ロシア人の「不器用さ」「やさしさ」「人間臭さ」は信じられないくら
い不思議な速度で、私の心に浸透していったんですわ。あのJR神戸駅、怪しげ
な古い場末の雰囲気を醸し出す神戸シーガルホール(船員会館)で見たモスク
ワ・タガンカ劇場の「検察官」。

最前列で見ていると、隣にいきなり何気ない顔して座っているロシア人の俳優
の憎めない笑顔に出会う。彼らの芝居に同時通訳は必要なく、とにかく日本人
の観客もみんな大爆笑。「ロシア人って、こんな愉快な人たちやったんか」と
感じさせ、芝居好きでなくても、十分満足させるだけの面白さでした。

後になって、ライオンのような堂々たる風格で歩いていた、小柄な白髪のロシ
ア人が、かの有名なタガンカの演出家リュビーモフだということを知ったとき
は本当に驚き!! しっかり、その新聞記事を手帳に記念に貼りましたが。

大体、ロシア人の船員たちも、どうしようもないけど愛嬌のある連中で、どこ
か子供っぽいおちゃめな素直さや単純さで、いつもこっちを安心させてくれる
のでした。連絡しておいても、行ったら必ず「買い物に出かけ留守」という悪
気のない兄貴っぽい、やくざな若者のちょっと照れた笑顔。豚でもマネできな
いほど太ったおやじ連中が、昼間っから仕事もしないで甲板にぼけーっと何も
せずに並んで、熊のような顔を覗かせている、どことなくユーモラスな姿。
(富山の人がいつも「あいつらあんなに仕事せんで、いつするんでしょうなあ
??」と代わりに心配そうにしてくれていたりして)

それでいて、私のようなよそ者が船に入って行っても、だれもたいして驚かず
「ふーん、なんか日本の子が入ってきたよ」って感じで、相変わらず外を眺め
ていたり、古くて汚いけれどロシアの船の上はすごく居心地のいい空間で、私
にとってはどういうわけか最初っから、その怪しさより、人間的なあったかさ
が気に入ったのでした。

もちろん、私という人間が、日本社会で「はみ出し者」ではないか、という自
覚があったからかもしれませんけど、思い出してみると、他の外人グループ、
たとえばアジアやヨーロッパ・アメリカとは違うなんともいえない、ぼさーっ
とした優しさがあったようで。

ロシアという大きさや、大陸的な余裕・包容力なのか? もちろん、逆に「だ
らしなく、行儀悪く、愛想のかけらもない」そういうとこもありまっけど。大
体、あのゴツイ体だけで「怖い」と思う人も多いでしょう。でも、それは偏見
でっせ。

熊のような、おっちゃんたちといる安心感は、日本の都会では感じられないく
らいの、不思議な連帯感があって(雪の中でこけたら、絶対助けてくれるし)
芝居や地下鉄や寝台列車なんかで一緒になって、隣のおっちゃんに話しかけら
れたりして、喋ったら、たいてい怖い顔のおっちゃんほどいい人だったりする
し、本当の「心の素直さ」がなかったら、あんなに、いつまでも芝居見て、素
直に涙なんか流せますかいな。

ロシアの演劇は、えらーい芸術家ぶった役者や演出家や劇場関係の人だけで成
り立ってるんとちゃいまっせ。それよりむしろ、庶民の感性とか感受性が支え
てる気がするんですわ。文化を支えてるのは、ほんまに普通の人って感じ。

演劇人っていう驕りとかのかけらもなく、客と同じ出口から出入りしてる役者
もすごいっちゃあ、すごいんで、もちろん彼らもえらいけど、どんな経済状況
が悪かろうと、演劇の土壌を保ってる、全然効率を考えない社会や、なんか漠
然としたものに立ち向かう勇気のある人間のスケールに、なんか惚れてしまい
ましてん。

今、この原稿を書きながら、5月の寒さに毛布に包まっております。やはり大
陸の気候は厳しいでっさ!! 昨日今日と雪までチラチラと、まったく油断大
敵。ロシア人もみんな冬物にいっきに逆戻り。

まったく最後の落ちが『ボヤキ漫才』みたいになってしまいましたが、今回は
この辺で。えらく長々とお世話さまでした。ほな、また。

未来派批評家 東 知世子
 
P.S.
ところで、「関西人はなぜロシアに向ったか」、これで納得いただけました?
これを機会に『ロシア演劇』に「わいもはまったろ!」と思った方、ご登録よ
ろしくお願いします。

週刊メールマガジン「ロシア・天井桟敷」
http://melma.com/mag/24/m00010124/

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■編集後記(5/27)
・わたしの師匠であると勝手に思っている嵐山光三郎氏の新刊を買う。ハード
カバーは重いし高いのであまり買わないが、この人のは別。だが少し前に買っ
た「芭蕉の誘惑」はまだ少ししか読んでいない。新刊はレジに持っていくのも
恥ずかしい「断固、不良中年で行こう!」っての。不良中年で行くには体力も
精神力も必要だ。氏が自分に課しているただひとつの命題は「安全地帯に淀ま
ないこと」だそうで、かっこいいなあ、わたしも何か標語考えよう。(柴田)

・在宅ネタの続き。4コマが登場してびっくり。そういう結末もありえるよな。
パソコンスクールとは違って、通信教育ってシビアになる。スクールに50万つ
ぎ込んだら、回収がいつからになるか考えたら頭痛いけど、いろんな人に出会
えたり、生の技術が見られたりして、それだけでも勉強になる。支払ったもの
に見合えるようにするかは、その人次第という気がする。通信教育に30万つぎ
込んでも、プラスアルファが少ないので、月々いくらの儲けがありますよ、と
言われないと食指は動かない。確約でもないのに信じてしまう。「何がしたい
か」よりも「いくら儲かるか」がカギになるのだろう。鼻先に餌がぶらさがっ
てはじめて「しゃーない、ちょっと勉強するか」だ。学校に通う学費がないか
ら通信教育でがんばる、ではない。だって向こうからの飛び込みなんだもん。
今回も、教わるのはインターネットと向こうが言う「メール部分」のみだ。そ
れで、文字入力やら翻訳やらweb制作で儲けられると堂々と言ってくれるから、
それは違うでしょう、と言いたくなる。なんとなくカラクリがわかったので、
断る方向に。「月に3万じゃ食べていけませんよね。」(続く)(hammer.mule)


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