[0918] 環境にスポイルされない人々

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【日刊デジタルクリエイターズ】 No.0918    2001/08/24.Fri発行
http://www.dgcr.com/    1998/04/13創刊   前号の発行部数 19423部
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 <貧しくても健気に生きる>

■デジクリトーク
 環境にスポイルされない人々
 十河 進

■デジクリトーク
 関西人もはまった、このロシア映画の不思議世界
 東 知世子

■イベント案内
 「ロボフェスタ神奈川2001」明日より開催
 




■デジクリトーク
環境にスポイルされない人々

十河 進
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●貧しさを澄み切った目で記述する高潔な精神

子供の頃、実話だと聞いて感動した本や映画がある。特に「貧しく健気に生き
ている子供たち」を主人公にしたストーリーはよく映画になり、月に一度あっ
た映画教室で教師に連れられて見にいったものだ。

しかし、実話であるだけに僕はその後の彼らの運命が気になって仕方がなかっ
た。その中でも特に気になっていたのは「山びこ学校」の生徒たちと「にあん
ちゃん」の主人公たちのその後である。

数年前に佐野眞一の「遠い『山びこ』」(文春文庫)というノンフィクション
を読んだ。「遠い『山びこ』」は「山びこ学校」に作文(綴り方)を載せた生
徒の数十年後を追った作品である。

先日、書店で岩波文庫の棚を見ていたら「山びこ学校」が並んでいた。パラパ
ラとめくったら、あの有名な詩が目に入った。

  雪がコンコン降る。
  人間は
  その下で暮らしているのです。

「山びこ学校」は、僕が生まれる以前の昭和26年(1951年)3月5日に出版され
た山形県の山村にある山元中学校の生徒たちの文集である。クラス全員43名の
作文が掲載されていた。彼らの担任教師は若き無着成恭だった。

無着成恭は昭和23年(1948年)に山形師範学校を卒業し、すぐに山元中学校に
赴任する。21歳だった。彼は昭和29年(1954年)の春、駒沢大学に編入学する
までの6年間、学校の寮に住み、その山村の学校で子供たちを教えた。民主教
育への情熱に燃える彼は、子供たちに自分の生活を作文にすることで社会を考
えさせようとする。

子供たちは無着の教育に見事に応える。「山びこ学校」の中で最も有名になっ
た作文は、江口江一が書いた「母の死とその後」である。この作文は全国コン
クールで一位になり文部大臣賞を受賞した。授賞式のために無着は江一を連れ
て上京するが、江一には着ていく学生服さえなかった。

──僕の家は貧乏で、山元村の中でもいちばんくらい貧乏です。そして明日は
お母さんの三十五日ですから、いろいろお母さんのことや家のことなど考えら
れてきてなりません。それで僕は僕の家のことについていろいろかいてみたい
と思います。

「母の死とその後」はそのように書き始められている。その後、妹と弟が他家
へもらわれていかなければならない江口家の悲惨な状況が記述される。戦後の
山形の山村である。その中でも最も貧乏な江口江一の家は目を覆うほどの貧し
さだった。

しかし、この作文の素晴らしいところは、自分の家の貧しさや悲惨さを澄み切
った目で記述していく江一の少しも引け目や僻みを感じさせない高潔な精神が
感じられるところである。自尊心を保ちつつ、彼は客観的に自分の家の貧しさ
を検証していく。

貧しさや逆境は人を育てる(こともある)というのが僕の持論だが、その見事
な見本がここにある。とても13歳の少年の文章とは思えない。

働き手が江一しかいない江口家では、江一が学校へ行っている余裕はない。無
着は級友たちに相談する。その結果、級友たちは江一の手伝いにきて、江一は
学校へ通うことができる。そして江一はこのように書く。

──僕は、こんな級友と、こんな先生にめぐまれて、今安心して学校にかよい、
今日などは、みんなとわんわんさわぎながら、社会科「私たちの学校」のまと
めをやることができたのです。

──お母さんのように貧乏のために苦しんで生きていかなければならないのは
なぜか、お母さんのように働いてもなぜゼニがたまらなかったのか、しんけん
に勉強することを約束したいと思っています。

●「山びこ学校」43人の生徒のその後の人生

佐野眞一の「遠い『山びこ』」には、43人の生徒のその後の人生がルポされて
いる。もちろん、消息のわからない人もいる。だが、若くして死んでしまった
とはいえ、江口江一がきちんと成長した事実が綴られていて、僕は何となくほ
っとした。彼は、あの悲惨な状況のままではなかったのだということが、僕を
安心させたのだろう。

もちろん人生がハッピーエンドで終わることは稀だ。江一は好青年に成長し、
彼の人生で成すべきことを成して死んでいった。少なくとも、あの貧窮の生活
の中では死ななかったのだと、僕は中途半端なままで終わってしまった小説の
結末を知ったような気分で、江一の人生に想いを馳せた。

関川夏央の「砂のように眠る──むかし『戦後』という時代があった」(新潮
文庫)の中にも、「山の民主主義──『山びこ学校』が輝いた時代」という一
章がある。ここでは、その当時の米の生産量やその価格など数字的なデータが
駆使され、貧しい戦後の状況が客観的に描き出される。

その戦後の貧しさの象徴として「山びこ学校」が捉えられ、同時に無着成恭と
子供たちの中に戦後民主主義を見い出し、戦後という時代の空気を肌で感じさ
せ、さらにはその本質を提出してくれる。いつもながら関川夏央の見事な技で
ある。

関川夏央が「戦後」の象徴としてテーマにしたもうひとつの貧窮は「『にあん
ちゃん』が描いた風景──日本の貧窮、日本の理想」という章に描かれた安本
末子著「にあんちゃん」である。

「にあんちゃん」は安本末子という少女が小学校三年生から五年生までつけて
いた日記であり、昭和33年(1958年)に光文社からカッパブックスの一冊して
出版されベストセラーになった。

昭和27年(1952年)12月に炭坑夫であった父を亡くした安本家の兄弟姉妹は四
人。長兄の喜一が二十歳、長女の吉子が十六歳、次兄の高一は十二歳、末子は
十歳だった。母は末子が三歳の時にすでに死んでいる。

「にあんちゃん」とは「二番目の兄ちゃん」の意味である。昭和27年に十二歳
だった「にあんちゃん」は、生きていれば今は六十一歳である。末子は五十九
歳になる。彼らは、幸せな人生を送ったのだろうか?

長い間、気になっていた僕の疑問には関川夏央が答えてくれた。その文章の中
で書かれていることだが、「にあんちゃん」の印税で喜一は病気を療養し、高
一は高校に復学、その後、慶大を卒業する。末子は早大を出てコピーライター
となり、結婚して子供も生まれたという。彼女は、その後、マスコミに出るこ
とを拒み続けた。

●貧しくても健気に生きる人間たちの映画

今村昌平監督作品「にあんちゃん」(1959/101分)は小学生の映画教室以来、
一度も見ていない。だから、長男を長門裕之、長女を松尾嘉代が演じた記憶は
あるが、その他の出演者で僕が記憶しているのは、教師役が印象的だった穂積
隆信くらいである。

ぴあのシネマブックの映画紹介によると「昭和28年の春、不景気に覆われた佐
賀県の小さな炭鉱町を舞台に、父母のいない四人兄弟が貧しくても健気に生き
る姿を描いている」という内容である。

僕は「貧しくても健気に生きる」という文章だけでも涙目になれるほど「貧し
さに負けずに頑張っている子供たち」に弱い。「負けるな、貧しさに負けずに
育った君たちは、きっと立派な大人になれる」とエールを送りたくなる。

もちろん、貧しさに負けていじけた僻み根性の強い性根の曲がった大人になる
人たちもいるし、最近の精神病理学の報告では、幼い頃の貧窮は精神的な悪影
響を与えると言われている。愛情に包まれ、何不自由なく育った子供の方が精
神的安定を示すという報告は、それはそうだろうと思うけれど、ちょっと違う
んじゃないか、と僕は異議申し立てをしたくなる。

村上春樹がモーリス・ラヴェルの曲のタイトルからインスパイアされたであろ
うところの短編「今は亡き王女のための」は、次のような文章で書き起こされ
ている。

──大事に育てあげられ、その結果とりかえしのつかなくなるまでスポイルさ
れた美しい少女の常として、彼女は他人の気持ちを傷つけることが天才的に上
手かった。

関川夏央は、映画「にあんちゃん」を語る中で以下のように書いている。

──この映画は戦後民主主義独特の性善説にもとづいていない。誰もが必ずし
も善意のひとではない。しかし貧乏という共通の水平線上では不要な悪意を発
揮しない、すなわち貧乏にスポイルされない人間たちを描いているのである。

そう、貧乏(という環境)にスポイルされないこと、それが大切なのだ。大事
に育てられても、そのことによってスポイルされ厭な人間に育ってしまうこと
もあれば、貧しさに負けずに育つ人間もいる。結局は、環境ではない。資質だ、
と僕は思いたい。江口江一や安本末子のように……

●貧しさが教えるみじめさや屈辱

数年前、近くの市場の中にある安くておいしいと評判の寿司屋へカミサンとラ
ンチを食べにいったことがある。ランチだとさらにお得なのだとカミサンが言
うので、休暇を取った日の午後にいってみたのだ。

少し時間が遅かったせいか、店は空いていた。テーブル席に子供をふたり連れ
た母親がいるだけだった。上の女の子は12、13歳くらいだろうか、下の男の子
はまだ10歳にはなっていないだろう。子供たちの前にはにぎり寿司が一人前ず
つ置かれていた。

「さあ、食べなさい」と母親が言った。男の子が待ちかねたように箸を取った。
女の子はゆっくりと「こんなものは、いつでも食べているのよ」という余裕を
見せるように箸を使った。

にぎり寿司をほおばった子供たちに向かい「おいしい? おいしい?」と母親
は子供たちの顔を覗き込むようにしてしきりに聞いた。男の子は下を向いた。
僕は目を背けた。見てはならないものを見てしまった気がした。

しかし、カウンターに座った僕の視線の正面にいた女の子の母親を見返す刺す
ような目を僕は一瞬、見てしまった。「やめてよ、そんなみじめなこと」と彼
女は言いたげだった。母親の言動を恥じていたのではなく、母親の存在そのも
のを恥じているように見えた。彼女のみじめさは、僕にも伝わった。

しかし、僕には母親の気持ちも想像できた。どういう事情があるのかはわから
ない。しかし、その日、彼女は子供たちに寿司を食べさせることを決意して、
その店に入り経済的な余裕のない中で寿司を注文したのだろう。「おいしい?
おいしい?」と聞いた時に、彼女は子供たちからの「おいしいよ」という言葉
を聞きたかったに違いない。

その子供たちの返事が彼女の苦労を水に流してくれたことだろうと僕は思う。
だが、みじめさだけを娘に感じさせる結果になったのだ。女の子にとって、寿
司はどんな味だったのだろうか。

その時の寿司の味を僕も覚えてはいない。僕とカミサンは無言で寿司を平らげ、
早々に店を出た。味なんか覚えていられるわけがないじゃないか。

──あの女の子、本当に厭がっている目をしていたね、とカミサンは店を出て
からつぶやいた。カミサンも女の子の視線に気付いたのだ。

──まるで「一杯のかけそば」だな、と僕は吐き捨てるように言った。無性に
腹を立てていた。貧しいということに、貧しい人間が感じなければいけないみ
じめさや屈辱に、僕は腹が立って仕方がなかった。あの母親だって余裕があれ
ば、あんなみじめな思いを子供たちにさせずにすんだのだ。

昭和30年代の話ではない。現代に本当の貧乏はないなどと言う輩がいるが、そ
んなことはない。一億総中流などと言われる今だからこそ、少しでも貧しい者
は自分が貧しいことに敏感にならざるを得ない。意識したくなくても、世の中
は否応なく常に貧しさを意識させられる仕組みになっている。

街を歩くだけでショーウィンドウの品々が「お前は貧しい、お前は貧しい」と
囁きかけてくる。ブランド品を下げた若い娘たちが「お前は貧しい、お前は貧
しい」と見せつけてくる。

あの女の子のその後が、僕には気になって仕方がない。今はもう17、18歳くら
いだろう。その年頃なら欲しいものがいっぱいあるはずだ。世の中は誘惑に充
ちている。彼女は毅然と生きているだろうか。

彼女がみじめさや屈辱にスポイルされずに育っていてほしいと、僕は今もあの
時のことを思い出しながら願っている。もう顔も覚えていないけれど……。

【そごう・すすむ】sogo@mbf.nifty.com
雑誌編集者。夏休みに「海ほたる」までドライブした。海の真ん中にいる、と
実感できる場所だ。夜は、デートスポットですね。食べ物が高くてあまりおい
しくないのは仕方がないことなのだろうか?

昔書いた文章が「投げ銭フリーマーケット」に出ています。デジクリに書いた
文章も数編入っています。
http://www.nagesen.gr.jp/hiroba/

ネットギャラリーとオリジナルプリント販売を担当しています。
http://www.genkosha.com/gallery/photo/

映画「山びこ学校」
http://jmdb.club.ne.jp/1952/cb000890.htm

名作の舞台「山びこ学校」
http://village.infoweb.ne.jp/~fwiy5082/Atrie/meisaku/yamabiko/gakkou.htm

映画「にあんちゃん」
http://jmdb.club.ne.jp/1959/ci004710.htm

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■デジクリトーク
関西人もはまった、このロシア映画の不思議世界

東 知世子
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ロシア映画と言っても、正直言うと、どこから話せばいいか分からへんように
なる。それは、なんかロシアが好きか嫌いかと聞かれたときに、感じるどうし
ようもない迷いと、なんとなく似ている。

本音で言えば、日本と同じくらい気に入ってるが、それほど、甘くないロシア
の現実も重々承知だ。かと言って、多数派の日本人が言うように、最低・最悪
・底無しの嫌悪感を感じるときも、必ず何度かはあるのだが、それでも全面的
に大嫌いというほど、嫌いにもなれん。

ロシアっていうところは、そういう意味で、なんだか不思議なところやねん。
イタリアとか、スペイン、他の西欧諸国だったら、景色や建物、美術館・・・
遊び三昧、それほどの不自由もなしで、きっと住んでもええとこやろなあ、と
思うし、「ああきれかった、ああおいしかった、ああ素晴らしかった、ああ皆
いい人だった」で終わってしまう気がするねん。

それはそれで、とてもいい思い出だ。だが、ロシアに関しては、それじゃどっ
か済まへんねん。そういう一般的に外国で体験する良さは、はっきり言ってほ
とんどないし、サービスなんかソ連時代から、いまだに底辺を這ってる感じす
らする。それでも、なんか分からん得体の知れんような、心にずしーっとくる
ものがある気がする。この下手すると、一生引きずりそうな重さ。

この手の重い感情というのは、おそらく、一般的な現代日本人に受けへん感情
やろう。大方の人にとっては、「そんなもんいらんわ!」と一言で片付けられ
てしまいそう。

ドストエフスキーの「カラマーゾフ兄弟」のように、あんな難しいもん読んだ
ところで、どうしようもあらへん、永遠に解きようのない重さを背中に背負っ
たところで、トルストイが一生かかっても、解決できなかった、人類的な問題
を、密かに共有したところで、「それが、なんになるねん?」と言われれば、
それまでかもしれん。

ロシア映画も、なんとなく、それと似た種類の物のような気がする。別に、教
養じみている映画ばかりちゃうねんけど、その中に流れる独特の空気の重さは、

なんか日本では味わえないタイプのもんで、人生のまた違った渋さを湛えてい
る、という気がするんですわ。

特に白黒で撮ったアレクセイ・ゲイルマンのごく最近の作品、「フレスタリョ
フ、車を!」なんか、まさにそういう感じだった。この人の作品、「戦争のな
い20日間」なども、それより20年以上前に撮られているわりに、作品の中の空
気が、ほとんどまったく変わってへん。そういうこだわり方が、なんとなく好
きやし、安心する。

●時代が進まない世界

大体、その昔の話になるが、関西人の映画狂時代、京都の怪しげな某小映画館
にて、エイゼンシュタインの「戦艦ポチョムキン」を見たときのことは、いま
だに忘れ難いもんがある。廃品回収で、せっせと集めてきたような椅子から、
思わずずり落ちそうになるほど、ショックだった。

もちろん、昔の映画だから仕方ないにしても、この律儀すぎる、かたくなに職
人気質のようなこの映画は、一体なんやねん! というくらい、四面四角ばっ
て、「世界よ!これが我が産み出したるモンタージュ手法であるぞ!!」みた
いな調子ですべてが展開している。(今の国家的に軍事に力を入れるプーチン
もこういう勢いでやってるように、見えるのが怖い)

なにをするにも、スローガン。「タバーリッシ(同志よ!)」握り拳を突き上
げて、万歳三唱、でかい図体のロシア船員集まって、「ウラー!!(万歳!)」、
まさに、関西人にとっては、自分自身が、オデッサの階段から転げ落ちそうな
気分にさせられる、そんな世界なのだ。もう怖い、怖い。

凄い映画ながら、これを見た瞬間に、もちろん漠然とではあるが、ソ連の人民
が辿ったその後の過酷な運命が、まるで悪夢の走馬灯みたいに、目の前を、一
瞬にして駆け抜けていった気がしてん。私は、今のとこなんの権力もあらへん
し、独裁者でもなんでもないが、こういう映画を利用したら、下手すると、国
民扇動やろうと、言論弾圧だろうと、もう思い存分、なんでもできそうな勢い
ちゃうか?

もちろん、エイゼンシュタインに、意図的に、そういうつもりがあったとは、
思いたくないし、彼は常識を超えるレベルで、素直で真面目で、えらく正直な
人やったんやと思う。

だからこそ陰に隠れて一生懸命、漢字も覚えたし、こっそり、日本から来た歌
舞伎の一座に通訳として紛れ込んで、異国の芝居も研究した成果が、こうなっ
たんだから、それこそ恐るべき探求心だ。

運命はまた、想像を絶するほど過酷だったにちがいない。最初がこれやったら、
後はどうなるねん?

どうなったかという、その一例が、世界的に有名なタルコフスキーの映画に強
烈に現れている気がする。

もちろん、一見すると全く関係のないタイプの映画手法。でも、押しつぶされ
そうな沈黙の世界。動的なエイゼンシュタインとは、正反対の静的でジリジリ
させるカメラワークも、あくまで、オリジナリティーを追求した時点で、それ
までに模範とされていた映画の反動とも思える。

まちがいなく、凄い映画だというのは分かる。とにかく、「アンドレイ・リュ
ブリョフ」は強烈だった。ただ、たくさん一度に見られる映画ではないし、お
そらく、何度見ても答が出ない部分がたくさん残る、謎解きのような作品が多
い気がする。そういう楽しみ方は、極めてロシア的感覚に思えるねん。

こちらでは、タルコフスキーでなくとも、一般的に気に入った映画は、信じら
れないほど何回も見る。「あそこのあの台詞、あの演技、あの眼差しをもう一
回見るんや!」という人がけっこういるらしい。芝居でも、しつこいくらい同
じ作品をやる。

だからか、時代遅れという感覚があまりない。いや、ほとんど、時代が進まな
い世界というのが、ロシアという広大な国土では、ほとんどなんとちゃうかな。

時間が、ほぼ何十年前から止まってしまったような、そんな場所を、シベリア
のいろんなところで見かけた。

そうかと言えば、全然違う民族で、ムードもなんだかオリエンタルなのか、イ
ラン・イラク的な中近東なのか、日本から見ると得体の知れないアルメニア、
グルジア辺りの映画も、以前は、ソ連の映画産業をしょって立つほどの人気で、

実力派の俳優がたくさんいたという。

彼らには、イタリア人、スペイン人を思わせる濃いー顔立ちに、熱烈なパッシ
ョン、なんだか分からないエネルギーがある。それが満ち溢れた絵を描いたピ
ロスマニは、例の歌謡曲「百万本の薔薇」で知られる伝説のグルジア人画家だ。

この画家のことを、撮った映画が二本あるようだ。残念ながら見ていないが、
おそらく凄い映画だと思う。そのうち、一本を撮ったアルメニアのパラジャー
ノフはこれまた世界的に知られる映画監督だが、ソ連時代、長く同性愛容疑を
かけられて、刑務所に入れられていた。

にもかかわらず、その期間にゴミ屑のようなものを使って、素晴らしくキッチ
ュでポップな、芸術品を創作し続けており、生涯に数本の映画しか撮らなかっ
たが、これまた、現代の伝説のような人物らしい。

今回、これらの映画が三百人劇場で公開されるらしい。関東地方に限定の映画
祭なのか、関西や他府県も回るのか、定かではないが、とりあえず、手元にあ
るHPをお知らせするので、もしご関心を持たれましたら、どうぞ拝見あれ。
http://www.bekkoame.ne.jp/~darts/pagej350.html

モスクワの関西人 / 東 知世子 chiyoko@orc.ru

ロシア演劇 批評家日記
http://www.l-mode.com/diary/new/russian.html

メールマガジン「ロシア・天井桟敷」バックナンバー
http://melma.com/mag/24/m00010124

ロシア演劇HP
http://www.geocities.co.jp/SilkRoad/5825/tenjousajiki.html

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<「ロシア映画社ホームページ」編集子からのメールを転載>

平素はロシア映画にご高配を賜りありがとうございます。
現在、東京(千石)・三百人劇場において、ロシア映画の新旧名作69本を連続
上映する「ロシア映画の全貌2001」を好評開催中です。是非、この機会にお誘
い合わせのうえご鑑賞ください。
詳しいことは、「ロシア映画社ホームページ」をご覧ください。
--> http://www.people.or.jp/~russia-eigasha/

ホームページには、日本で発売されているロシア映画のDVDを紹介する「ベスト
ヒットDVD」
--> http://www.people.or.jp/~russia-eigasha/shop/index.htm

これまでに公開されたロシア映画のパンフレットを発掘するお宝コーナー
--> http://www.people.or.jp/~russia-eigasha/shop/pamph/index.htm

新生ロシアの視点で書かれた21世紀の映画史「ソヴェート映画史-七つの時代」
--> http://www.people.or.jp/~russia-eigasha/book/t/index.htm

などがあります。
また、掲示板では、「HP読者が選ぶベスト・ロシア映画」の話題で盛り上がっ
ています。ホームページご訪問の際には、掲示板にもご参加ください。

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■イベント案内
「ロボフェスタ神奈川2001」明日より開催
http://www.pref.kanagawa.jp/osirase/robo/
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世界初のロボットの祭典「ロボフェスタ神奈川2001」が8月25日(土)から開
幕。8月の横須賀、その後9月に川崎、10月に相模原、そして11月に横浜と4会
場を地域特性にあわせたテーマを設定してリレー開催する。登場ロボットの総
数は3000体を超える世界最大規模のロボットの祭典となる。

入場料 普通入場券(大人700円、高校生400円、小中生200円)4会場共通4回
入場可能の特別入場券(大人2500円、高校生1200円、小中生500円) 

横須賀会場 横須賀市南体育会館 横須賀市久里浜6-14-1 京浜急行京急久里
浜駅から徒歩10分
日時 8月25日(土)~9月2日(日)9時半~17時半
*アシモは8月25日(土)26日(日)のみ登場

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■編集後記(8/24)
・サラ金のCMが気に入らない。レオタードがただただ踊るとか、とうていお姫
さまとは見えないタレントとか、そういうのもばかみたいだが、さいきん見た
やつには驚いた。妻がハワイに行きたいといい、夫が金がないというと、妻は
サラ金に行って借りてきて、夫婦して喜ぶ、ってやつ(うろおぼえだが)トカ、
「初めての×××~」トカ、サラ金から金を借りたら利子つけて返さにゃなら
んという当たり前のことをすっ飛ばして、ファッションのように金を借りよう
という呼びかけはとっても危険だ。「初めての~」なんて調子いい歌はじつに
あぶない。何度も聞かされると、借金なんか誰でもやってる、あたりまえの行
為に思えてしまう。こういう志の低い広告をつくるクリエイターよ、いくら仕
事はいえあんまりじゃないの。世の中はますます悪くなる一方だ。ハワイ云々
のCMを見て、ばっかじゃないの~ト罵倒していた娘夫婦は健全だ。(柴田)

・マシンの調子が悪いー。起動した際、デスクトップが表示されマウスは動く
のだが、実際の作業ができるようになるまで4分待たされる。いれっぱなしの
DVDメディアのマウントに時間がかかるのかと思っていたが、IEやEudoraが突
然終了。一度リストアしてなんとか保つようになったが、昨日はPhotoshopが
起動しなくなった。今度はリストアしてもダメ。チェックソフトでの異常はな
し。何をやってこうなったのか、さっぱり見当がつかないのだが、非情にも締
め切りは迫ってくる。仕方ないので、別パーテーションにOSを入れ直す。うお、
さくさく動く…って、また環境整えないといけないのかっ! (hammer.mule)

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     <http://www.dgcr.com/>

編集長     柴田忠男 < mailto:tdo@green.ocn.ne.jp >
デスク     濱村和恵 < mailto:zacke@days-i.com >
アソシエーツ  神田敏晶 < mailto:kanda@knn.com >
        森川眞行 < mailto:morikawa@siliconcafe.com >

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