[0976] 好きにならずにいられない

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【日刊デジタルクリエイターズ】 No.0976    2001/11/16.Fri発行
http://www.dgcr.com/    1998/04/13創刊   前号の発行部数 19795部
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 <おじさんたちは、いつの時代も少女に弱いのである>

■デジクリトーク
 好きにならずにいられない
 十河 進

■デジクリトーク
 新聞の山~片付けってにがて
 midori(在ローマ)



■デジクリトーク
好きにならずにいられない

十河 進
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●人を好きになるということ

「櫻の園」(1990/100分)を見るたびに感じるのは、人を好きになることの
幸福感と悲しみである。それはどんな人であっても同じ普遍的なことなのだと
思う。そのことを思春期の少女たちを主人公にして描いたから「櫻の園」はテ
ーマがより鮮明になり、その年の映画賞のベストワンを独占した。

まだ本当の人生に踏み出していない(と大人たちは思っている)17、18歳の少
女たちを主人公に描いたがために、人を好きになることの本当の意味での幸福
と悲しみがピュアな形で抽出された奇跡的な作品である、と僕も思う。だから、
中年以降の男が多い映画評論家や映画記者たちに絶賛されたのかもしれない。
おじさんたちは、いつの時代も少女に弱いのである。

原作は吉田秋生のマンガだが、それをチェーホフの「櫻の園」が始まるまでの
2時間のドラマに凝縮し、大勢の登場人物たちを見事に捌ききった中原俊監督
の手腕も見事だった。少女たちを演じたのはほとんどが新人で、そのことも等
身大の少女たちのドラマとして成功した要素だった。

舞台は地方の女子校である。お嬢様学校で、その学校は年に一回の創立記念日
にチェーホフの「櫻の園」を上演するのが伝統である。当日の朝、舞台監督の
朝丸がボーイフレンドと一夜を明かし、早朝から演劇部の部室にいるシーンか
ら映画は始まる。校則に逆らって初めてパーマをかけた部長の清水由布子が登
校してくる。

やがて、前夜、部員の杉山紀子が別の女子校の生徒たちと喫茶店でタバコを吸
っていたところを補導されたという話が伝わる。そのことを理由に「櫻の園」
の上演が中止になるかもしれない、というのが唯一ドラマチックな設定である。

ディテールを描く映画がある。日常的な話が展開され、その中での人の心理や
感情を描く映画群である。日本映画なら小津安二郎監督の作品群が浮かんでく
る。心理小説を生んだフランスは、さすがに日常の細やかなディテールを描く
のが上手く、エリック・ロメールやクロード・ソーテなどの作品群はその代表
的なものだろう。

「櫻の園」もディテールを描く映画である。たとえば、それは校則に違反して
パーマをかけてきた髪を登校してきた部員たちに見とがめられた時の部長の清
水由布子が何気なく髪に触れるシーンなどに明瞭だ。

清水由布子は「子供の時からしっかりした子と言われてきた」と杉山紀子に叙
懐するシーンがあるように、優等生で真面目である自分を変えよう(反逆しよ
う)とパーマを当ててきたのだが、どこかで気が挫けそうになる自分も感じて
いる。そのことが、髪を気にする彼女の仕草に表れているのだ。

この映画でぼくが贔屓にしているのは、杉山を演じたつみきみほだ。新人たち
の中で唯一、すでに名前が出ていた女優である。吉川晃司主演、大森一樹監督
の「テイク・イット・イージー MODERN TIME」(1986/108分)など、何本か
の映画に出演していた。

お嬢様学校の雰囲気がなじまず他校の友人たちと遊び歩き、不良扱いされてい
る杉山紀子のキャラクターは、大きな目を少し上目遣いにして人を見る屈折し
た仕草で表現される。それは卑屈さではなく、どこか斜に構えている人間の強
がりがうかがえるのだ。また、つみきみほのシャープな容貌は、不良として見
られている彼女の悲しみと強がりを表現する。

演劇部にはいつも男役を演じる大柄な倉田知世子がいて、下級生の憧れの的で
ある。彼女は「櫻の園」の主役の女主人を演じることになったのだが、女役が
厭で仕方がない。女にしては大柄すぎる自分の容姿を恥じ、「もっと女の子ら
しく生まれたかった」と清水由布子に告白する。彼女は「櫻の園」が中止にな
ることを願っている。

清水由布子、杉山紀子、倉田知世子、この三人の関係の中で、人が人を好きに
なることの意味、その時に人はどのように耐えるのか、どのように悲しむのか、
好きな人にどのような心遣いをするのか、といったことが描かれていく。この
映画では、それがすべての人に共通する普遍的なテーマとなり得ているのだ。

●なぜ、人を好きになるのだろうか

清水由布子はひとりで部室にいる時に登校してきた杉山紀子から「清水さん、
倉田さんのこと好きなんでしょ」と言われ、「なぜ、なぜ、そう思うの」と思
わず聞き返すが、「だって、いつも見てるから」と杉山に言われる。しかし、
この時、どんなに鈍い観客も杉山紀子が清水由布子を好きであることを感じる
はずだ。

人の隠している心がわかるのは、それほどその人が好きな人を(現象的な意味
だけではなく)見つめているということだ。倉田知世子を見つめている清水由
布子を杉山紀子は見つめている。だからこそ、清水由布子が倉田知世子を好き
なのだと杉山紀子は理解した。清水由布子を見つめる自分と同じように、倉田
知世子を見つめる清水由布子を彼女は見つめているからだ。

人は人を好きになり、その人を見つめるだけでその気持ちがわかるようになる。
前日の最終稽古(ゲネプロ)でとちり続けた倉田知世子を部員たちは「あの知
世子がどうしたのだろう」といぶかり噂をするが、彼女を見つめていた清水由
布子にはその理由がわかっていた。

女主人の衣装を付けた倉田知世子を呼び止め、清水由布子は彼女の胸元に用意
してきた飾りを縫いつける。「私もね、早くから胸が大きかったから厭だった
の。これで目立たなくなるわ。この衣装、少し倉田さんには小さいし」と彼女
は倉田知世子の心を代弁する。倉田知世子は女役で登場すること、さらに胸の
目立つ衣装が厭でセリフを何度もとちっていたのだ。

人を好きになると、どうしてその人を見つめないではいられないのか。その人
が近くにいるだけで息が苦しくなる。すべての想いが集中し、何も手に付かな
くなる。その人の一挙手一投足が気になり、少しの仕草も見逃すまいと見つめ
続ける。どんな人にも経験があるだろう。もちろん僕にだってある。

この映画は「人を好きになること」をピュアに抽出して描いたと書いたが、そ
れは、少女たちの憧れの世界を使っているからだと思う。彼女たちの憧れの世
界は精神性だけで描かれていく。そこに同性愛的な要素はないし、肉体的要素
も入ってこない。純粋に「人を好きになる」ことの精神的な意味が昇華される。
ここで描かれる「人を好きになる」ということは性別を越えた普遍性を持って
いるのだ。

●人を好きになることの幸福感

なぜ、人は人を好きになるのか。それはおそらく孤独から逃れたいからだと思
う。誰かを好きになり、その人を通じて世界と繋がっていたい、自分ひとりで
はないことを人を好きになることで確認したい、この世界に自分が存在するこ
との意味を知りたいという本能的なものなのではないかと思う。

しかし、孤独から逃れたい故に人を好きになったとしても、人を好きになった
が故にさらに深い孤独に陥ることもあるし、深い悲しみを知ることもある。杉
山紀子の清水由布子への想いは届かず、彼女は深い孤独の中で他校の不良と呼
ばれる少女たちと付き合っている。

さらに杉山紀子は清水由布子から「正直言うと、私、あなたたちのことをよく
思っていなかったのよね」とまで言われてしまうのだ。「そうだと思っていま
した」と杉山紀子はあくまでクールに答えるが、その時のつみきみほの表情が
とても悲しくて、杉山の気持ちを思うと本当に切なくなる。

しかし、清水由布子は「それは自由にやっているあなたたちが羨ましかったの
だ」と自己分析し、その結果、ふたりは新しい関係になるのだが、清水由布子
の自己改造の意識は杉山ではなく倉田知世子へと向かうのである。

この映画の中では「○○さんのことが好き」という言葉が何度か放たれる。清
水由布子は倉田知世子と舞台化粧をしながら「私、倉田さんのことが好き、ダ
メ? ねっ、ダメ?」と告白する。それは、杉山紀子に「倉田さんが好きなんで
しょ」と言われたことが引き金になっている。

倉田知世子は「もっと言って」と応え、清水由布子は何度も「私、倉田さんが
好き」と繰り返す。自信を失っている倉田知世子は、自分を好きになってくれ
る人間がいることを言葉で何度も確認し、自分が孤独ではないのだ、清水由布
子に望まれている人間なのだと言い聞かせる。そのことで自分の存在理由を確
認し世界と繋がりを保とうとしている。

そう、人から愛された人間は自分の存在が誰かに望まれているのだと実感でき、
それだけで存在理由を確認できるのだ。自分はひとりではない、と世界に向か
って叫びたくなる。自分が死ねば(存在しなくなれば)悲しんでくれる人がい
ることを実感できるのだ。

清水由布子と倉田知世子はふたりで写真を撮る。そのシーンは「櫻の園」のハ
イライトである。ふたりは部室の裏にカメラをセットし椅子を持ち出して並ん
で座る。「もっと撮ろ」「もっと寄ろ」と言いながらふたりは身を寄せ合い、
次第にカメラに近寄っていく。好意を確認しあったふたりの最も幸福な瞬間が
訪れたのだ。

あまり映像的的テクニックを使わない映画の中で、このシーンにはスローモー
ションが使われる。この瞬間を永遠に延ばしたい、というふたりの想いを代弁
するかのように高速度撮影によって映像的に時間が延ばされるのである。

だが、清水由布子に好意を抱く杉山紀子は部室のドアの陰で、ふたりの幸福の
絶頂を見ている。このシーンでは「人を好きになること」による幸福感と悲し
みが同時に描かれている。

●人を好きになることの苦しみ

人を好きになったが故に知る悲しみはよくわかる。好きになった人が自分では
なく別の誰かを好きなのだと知った時のやるせない気持ちをほとんどの人が知
っているだろう。知らないと言える人は幸福だ。だが、多くの人はそのことに
よって学び成長する。杉山紀子も好きな人が自分ではなく別の人を好きである
ことを知り、そのことに耐えなければならない苦しさを学んでいる。

ドアの陰でふたりを見守る杉山紀子の寂しそうな、それでいて耐えている表情
が素晴らしい。こういう時には、文章は映像に敵わないと思う。舞台監督の朝
丸が呼びにくると杉山紀子はふたりを気遣って朝丸を止め「倉田さんと清水さ
んは中にいるわよ」とふたりに聞こえるように言った後、「倉田さん、清水さ
ん。舞台よ」と廊下から声をかけるのだ。

彼女が自分の気持ちを抑えてそこまで気遣うのは「好きな人」への想いがある
からだ。彼女は清水由布子が幸せであることを願っている。その彼女の想いは
仲間の他校の少女たちの前では隠されることはない。杉山の想いが発露される
そのシーンがあることで、僕は救われる思いだった。そう、彼女の想いは誰か
に確認されるべきなのだ。

「杉山さあ、前に素敵な人がいるって言ってたじゃん」
「素敵だよ」
「その人も『櫻の園』に出るの」
「出るよ。小間使いの役」
「小間使い?」
「いい役」
「あんたは?」
「その小間使いが好きになる役」
 
こんなやりとりの後、仲間たちに冷やかされた杉山紀子は解放されたような幸
せそうな表情をする。ここでは、彼女は清水由布子への想いを隠す必要がない。
彼女は自分の想いをストレートに表現できる幸せを感じている。

「櫻の園」が始まる舞台の袖で、杉山紀子は「清水さん、今日、誕生日じゃな
い。そうでしょう、4月○日」とさりげなく言う。それは杉山紀子の精いっぱ
いの告白である。しかし、全員が「おめでとう」と口にし清水由布子は「あり
がとう」と応えて、出演者全員が見守る中、開幕ベルと共に舞台へ出ていき映
画は幕を閉じる。

清水由布子は杉山紀子の想いに気付くのだろうか──

どうも人は人を好きにならずにいられない存在らしい。そのことは17や18歳の
少女たちであっても50歳の中年男であっても、基本的には同じことのようであ
る。やれやれ。

【そごう・すすむ】sogo@mbf.nifty.com
雑誌編集者。注文していたアルトサックスが50歳の誕生日に届いた。自宅では
練習できないので週末に練習に出る。ドレミしか吹けないが、サックスの音が
出た。利根川の土手で下手なサックスを練習しているオヤジがいたら、それは
僕です。

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■デジクリトーク
新聞の山~片付けってにがて

midori(在ローマ)
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●お片付け~お片付け~

私は主婦だから、家の片付けは世の掟に従うと私の役目と言う事になる。哀れ
かな、我が背の君。

なんでって、私は片付けが下手なのだ。家事全般下手だけど、料理は自分だっ
てうまいものを食べた方が気分がいいから、それなりに工夫する。洗濯は洗濯
機がしてくれるし、アイロンは始めるまでが面倒だけど、始めてしまえば、お
日さまの匂いのする洗濯物のシワをのばす作業はなかなか楽しい。掃除は掃除
機でごまかす。ほこりをはらうのはめんどくさいけど、まぁ、10日に一度くら
いはする。

でも片付けはてんでだめだ。イタリア人って一般に片付け上手。きれい好きの
ダンナは、仕事から帰る度に、ひとつ大きな深呼吸をしてから家に入るんじゃ
ないかと思う。

片付けをするかしないかの問題ではない。物をしまう場所を見つけるのが下手
なのだ。片付けを始めると本当にくたびれる。類型的にしまわずに、見つけた
空間に押し込むから、いざ探すとどこにあるのかわからなくなる事はざらだ。

ローマで独り者だった時に片付け上手の友達が遊びに来た。あちこちに散らば
っていた似たようなガラクタを集めて靴の箱に入れてタンスの中に隠す…どう
見てもいりそうにないものをビニール袋に入れる…そんな事をやってずいぶん
スッキリした部屋にしてくれた。スッキリは長く続かなかったけれど。

ダンナもその友人もそうだけれど、片付けが上手な人は思いきり良く色々なも
のが捨てられる。逆に言うと、片付けが下手な人はこまごましたものに妙な執
着を持っていると思う。

●ガラクタ生活への手引き

学生から社会人一年生にかけて、祖父母が住んでいた二間の家で独り住まいを
した。中学生の時に祖母が逝き、祖父が逝って数年経った所だった。

物をしまう場所を確保しようと、祖父母が残し、形見分けでも処分されなかっ
たものを引っぱり出して捨てられるものは捨てようと思い立った。残ったもの
はほとんど祖母がとっておいたものだった。茶箪笥の引き出しには、着物の端
切れがたくさんあった。押し入れの上の棚には結婚式の写真がたくさんあった。
他にあったものは覚えていない。

着物の切れ端の中には祖母が着ていた着物の見覚えのある切れ端があった。大
正末期から昭和初期のモダンな色使いの、おそらく襦袢に使ったのであろう切
れ端があった。

結婚式の写真は私の知らない人たちの写真だった。どれも白黒で、みな一様に
和装だ。緊張した若い面もちの花嫁は角隠しを取り、重々しい刺繍を施した華
麗な振りそでを着ていた。今こんな和服をつくったら相当な値段だろう。

丁寧にたたんだ切れ端の、古い菓子箱にきちんと入っていたその写真のありか
たに、そうやって仕舞った祖母の魂が、仕舞ったその時の気持ちと息使いがそ
こに残っているような感じを受けた。

で、とても捨てる気になれず、また元あったように納めた。

絵本と雑誌を買いまくり、本棚が二つあったが、そこに納まりきれなかった。
新聞をとったけれど、目を通す暇がないままに、朝刊と夕刊、日に二部づつ溜
まっていった。で、ばかなことに、どうしても日順を追って読みたいと言う妙
なこだわりがあった。また、読まずにちり紙交換に出すには、新聞代がもった
いない、というより、その読んでない記事の中に、素晴らしい記事が隠されて
いるようで、みすみす宝をすてるような気分になり、押し入れの中に積上げた。

「PLAYBOY」日本語版が創刊になった時迷わず購入した。じっくりと腰をすえ
て編集した感のある雑誌だった。創刊号の表紙は、これしかないよね、と思わ
れる黒地に白のバニー。本国のようなお色気だけでなく、読み物も上質、写真
も上質、高級グラフィック誌の趣があってこの購入には実に満足したものだ。

第2号は、白地に黒のバニー。まっいいか、という感じ。若干お色気が増えた
が、まだまだ高級グラフィック誌。

第3号は紺地にグレーのバニー。うーーん、なぜバニーにこだわっているの?
第4号からヌード。そんな趣のある雑誌を捨てていいものだろうか? 他にも
「ゴロー」創刊号が、創刊号という事で捨てられなかった。

ジョージ秋山の「アシュラ」が話題になった当時の少年マガジン。優れた夏の
企画物は極上品。上村一夫、芳谷圭児、川本コオといった青年向けの漫画家を
起用して各号短編読み切り、しかもオフセット2色刷りという豪華さ。上村一
夫の籠ぬけの話、スミと黄を使った美しいページは今でもはっきり覚えている。
続いて既成の「児童向け物語」を元に(どれも一癖ある作品ばかり。「動物農
場」を石の森章太郎が描いたのものがとりわけ印象に残っている)大御所が競
作という企画。そんな雑誌は捨てられな(「かった。」私がイタリアへ来た事
で、もちろんそんな「蔵書」はとっくに処分されてます)い。

そんなこんなで物は増え、仕舞う場所はなく、祖母の思い出までとっておいて、
同僚夫婦が来た時にその御主人から、オレの友達でもこんな乱雑な部屋に住ん
でない、お墨付きをいただいたのだった。

●片付けがヘタな理由…

ローマでとりあえず主婦になって少しマシになった。まず、雑誌を買うのをや
めた。当地のマンガ月刊誌がことごとく廃刊になったので、全タイトル買って
いたけどこれもやめることになった。たまに買う新聞のおまけについてくる女
性誌のに興味ある記事を見つけると、それだけ切り取ってファイルして残りは
捨てる事にした。日本から送られて来たマンガ誌も面白いと感じた作品と、第
一話を切り取ってファイルして残りは興味ある人にあげたりすてる事にした。
(第一話って大事で難しい)

それでも、旅行中に買った絵はがきの残りが捨てられない、手紙やグリーティ
ングカードが捨てられない。その土地で買った地図、ひどい時にはみやげ物の
包装紙、食堂の領収書、切符や拾った落ち葉も捨てられない。

子供の服でもう着られなくなったものでも、思い出と称して1着か2着はとって
おく。

蒐集癖と言うのも少し違うようだ。
キーワードは、どうやら過去への執着らしい。体験した事、過ごした事、関わ
った人、感じた事…これらを追憶する手がかりを残しておきたい、という欲求
があるようだ。

人の性格やあり方を表現する言い方はいろいろあるけれど、未来型、現在型、
過去型というのがあるような気がする。未来型の人はまだ見ぬ事への設計や将
来の展望が得意だ。こういう人は過去のしがらみをどんどん切れるから、こう
いうガラクタを捨てられる。現在型は自分の今の位置をしっかり把握する事が
できる。とりあえず何かをとっておく事をしても、不必要と見きわめをつけれ
ば捨てることに躊躇はない。

過去型は、未来を見極めるのが不得手。過去を振り返って、それを分析し意味
を見つけだそうとする。私はこれで、現在の自分の位置をはっきり把握するの
も不得手だ。過去を悔やんだり懐かしんだり、と言う意味ではなく、過去をし
っかり振り返るための材料になるものを捨てるのが忍びない。

牛だね。一度飲み込んだものを、また口に戻して咀嚼し直す。

こうして過去を分析しつつ、自分を築き上げていくのは時間がかかる。これで
いいじゃないか、という気持ちと、人生も半ば、振り返ってないで積極的に前
へ進む時じゃない? と言う気持ちと両方持つ悩める時を過ごしている。第二
の思春期のようだ。

そして、捨てられない領収書やコミックスフェアの案内書がとりあえずたまっ
ていく。メールでのやり取りが増えて、手紙が溜まらなくなったのはいいこと
だ…

【Midori】midoroma@geocities.co.jp
お久しぶりです。そういうわけで第二の思春期の真っただなか…悩める中年は、
前進の手始めとしてメルメガの発行を始めました。イタリア語の単語を画像と
結び付けて覚えようというコンセプトです。

http://www.mag2.com/m/0000075559.htm

▼そういえば、モスクワの関西人はどうしているのだろう?

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■編集後記(11/16)
・書店での巡回コースには必ず新刊マンガの棚があるのだが、そろそろ出るん
じゃないかなと待っていた「魁!!クロマティ高校3」がとうとう出ていた。
しかし今回は厚い、重いのである。どうしてかというと段ボールと重ねてシュ
リンクされているのだ。そしてたかが新書版マンガで800円もする。なぜだ! 
ト岡田氏のように叫んだ(声に出さず)わたしだった。完全限定超レア&ステ
キ メカ沢携帯ストラップが付録なのだ。メカ沢とは茶筒みたいなロボットキ
ャラでメカ沢新一という。いらね~よ、こんなもん。普通なら390円のマンガ
が2倍もする。こんなの10円くらいの安物よ。しかもわたしは携帯は解約しち
ゃったんだよう。でもマンガは読みたかったので泣きながら800円+税を支払
ったのであった。野中英次のばかやろー、とんでもねーぞ講談社。(柴田)

・後記を書くと、いろんなメールをもらう。紹介したいと思いながら、調査中
だったり、ある程度の成果が出るまで保留にしてしまっている。ごめんなさい。
昨日の後記の「千五百円から」は、「千五百円お預かりします」とか「こちら
千五百円からのお釣りになります」ならいいっす。あれだと、まだ渡す必要が
あるのか?と思うのでした。これ前にも言ったような気が。/で読者さんに「
googleで検索するとかなりの数がヒットします」と教えてもらって調べてみる
と皆さんこだわってる。うんうん。外資系ショップのマニュアル翻訳ミスでは
ないかとか、「千五百円から頂戴いたします」との混同だという説や「千五百
円から(お買い上げ金額を)お預かりします」という意味だろうとも。商品代
金はもらうものではなくて預かるものという認識からだそう。私にしてみれば、
渡しているのは千五百円。いったん預けているのは千五百円。代金は払うもの。
お釣りは返してもらうもの、という認識なんだけどな。譲って略していると考
えたとしても、その略し方だと気持ち悪いよー。客本位の会話してほしいな。
/「こちらコーヒーになります」への、いつコーヒーになるんだよ~、という
突っ込みメールも。です、ございます、ならいいんだよね。 (hammer.mule)
http://web.kyoto-inet.or.jp/people/kbys_ysm/dabun12.html
http://www3.tky.3web.ne.jp/~oyanagi/studyroom/4.html
http://member.nifty.ne.jp/cyoro/nazo02.htm
http://web.kyoto-inet.or.jp/people/senjutsu/F2shop.html
http://homepage1.nifty.com/tadahiko/GIMON/QA/QA070.HTML

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