[1024] 同志としての男と女

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【日刊デジタルクリエイターズ】 No.1024    2002/02/08.Fri発行
http://www.dgcr.com/    1998/04/13創刊   前号の発行部数 20188部
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 <私はそんな乱暴な性格の人間だ>

■デジクリトーク
 同志としての男と女
 十河 進

■デジクリトーク 金曜ノラネコ便
 私は電話とファックスが嫌い
 須貝 弦

■展覧会案内
 Digital-pop コンピューター芸術と娯楽のはざま



■デジクリトーク 
同志としての男と女

十河 進
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●ジーンズ姿で降りてきた殿山泰司

殿山泰司は、昭和の終わりから遅れること3カ月余、1989年4月30日にこの世を
去った。享年74歳。戦前から役者を始め、戦後は映画を中心に活躍し自ら「三
文役者」と称した。今は知らない人が多いかもしれないが、現役時代にどんな
映画にでも出た殿山泰司は、名前は知らなくても顔はよく知られているバイプ
レーヤーだった。

殿山泰司の盟友であった新藤兼人は殿山泰司の死の2年後、岩波書店から「三
文役者の死 正伝 殿山泰司」を上梓した。それから9年、2000年秋に監督作品
「三文役者」(2000)を公開し、映画はキネマ旬報ベストテンに入った。

映画「三文役者」は、モノマネ芸人としてデビューした竹中直人が徹底的に殿
山泰司の特徴のある喋り方と声を再現し、まるで殿山自身が生き返ったかのよ
うな印象を与えた。竹中直人自身は、かつて一度だけ殿山泰司と同じ映画に出
たことがあるという。

僕は30年近く前、新宿・紀伊国屋書店の裏階段で殿山泰司とすれ違ったことが
ある。ジーンズに太いストライプのシャツを身につけ、何冊かの本を片手に階
段を降りてきた。ミステリとジャズの本を何冊か出していた頃のことだ。その
時の本人の歩き方と竹中直人の歩き方が見事に重なった。

1994年12月22日に逝去した乙羽信子は、それから6年も経つ映画である「三文
役者」にふっくらとした元気な姿で登場する。黒バックのスタジオにスーツ姿
で登場し、狂言回しの役を担いながら殿山泰司の思い出を語っていく。彼女も
殿山の盟友であった。僕は、彼女も生き返ったかのような印象を受けた。

新藤兼人によると殿山泰司の死後「三文役者」の映画化を準備していたが、乙
羽信子の肝臓癌が判明し、彼女の最後の映画として「午後の遺言状」(1995)を
先に制作したため「三文役者」が後になったということである。

新藤兼人、乙羽信子、殿山泰司は、まさに志を同じくする盟友という感じが僕
にはする。戦後、彼らは松竹との軋轢から近代映画協会という独立プロを立ち
上げ、合宿方式という独特のシステムで映画を作り続けてきた同志たちなのだ
と、高校生の頃に「裸の島」(1960)という映画の存在を知って以来、僕はずっ
と思っていた。

「裸の島」は幻の映画だった。登場人物は、瀬戸内海の小島に暮らす夫婦と子
供ふたりだけ。セリフはなく、音楽だけの映画だという。その映画は島にスタ
ッフと役者が何日も合宿して撮影し、モスクワ映画祭でグランプリを受賞した
のだと映画雑誌には書かれていた。

ビデオが普及した現代でさえ「裸の島」を見るのは困難だが、1960年後半の高
校生にとって「裸の島」を見るのはほとんど不可能だった。実際、僕は1970年
に上京し、名画座で新藤兼人監督作品をずいぶん見たけれど、ついに「裸の島」
を見ることはできなかった。セリフのない実験映画ということで、名画座でさ
え上映に二の足を踏んだのかもしれない。

僕が「裸の島」を見ることができたのは、その映画の存在を知ってから20年後
のことである。水のない瀬戸内の小島で暮らす一家の一年が綴られるだけであ
るが、僕は映像だけで語ることの素晴らしさに感動した。

彼らは早朝から大きな島へ船で行き水を汲んで運び、坂道を水桶を天秤棒で肩
にかけて運び上げ、段々畑に水をやる。畑仕事に励む。土は水を一瞬にして呑
み込んでしまう。毎日、毎日、その繰り返しだ。

唯一ドラマチックな設定は、病気になった子供の手当が間に合わずに死んでし
まうこと。母親はその悲しみにうちひしがれ、運んでいた水桶をぶちまけて泣
き崩れる。この夫婦を乙羽信子と殿山泰司が演じた。

●ふたりの女の間を優柔不断に漂う

新藤兼人は「三文役者の死 正伝 殿山泰司」を、生涯ふたりの女の間をフラフ
ラして決断しなかった「優柔不断の泰ちゃん」のことから書き起こしている。
ひとりは戦前から同棲し戦後に籍を入れた鎌倉に住む戸籍上の妻。ひとりは、
戦後、京都にいる時に恋をした17歳も年下の女性で、生涯連れ添い死を看取っ
た赤坂の愛人である。

映画「三文役者」は殿山泰司が恋に落ちるところから始まる。荻野目慶子が演
じた18歳のウェイトレスに35歳の殿山泰司は恋をするのだ。泰司は相手の親に
「必ず籍を入れる」と約束して鎌倉に向かうが、それまで正式に結婚していな
かった鎌倉の相手(吉田日出子が演じた)は、「籍も入れてないのに離婚とは
何ですか」と怒り改めて入籍し、おまけに姪を養女にしてしまう。

まったく優柔不断な男であるが、気持ちはわかる。いくら若い女に恋をしたか
らといって、十年以上苦労をかけた妻(内縁にしろ)を「はい、そういうこと
で」と縁を切れるわけがない。映画「三文役者」は、赤坂の愛人との関係を中
心に描くが、荻野目慶子の熱演と脱ぎっぷりのよさ(?)もあって、しみじみ
とした映画になっていた

新藤兼人は本の方では、そんな殿山泰司を描いた後に「女性問題に関しては深
入りしてはならない。他人にはとうてい理解できない男女のカンケイなのであ
る」と書く。何だか、僕はそこに新藤兼人の個人的な思いを感じてしまったの
だが、それは深読みだろうか。

今年90歳になる現役最長老の映画監督である新藤兼人は、シナリオライターと
して溝口健二の弟子になり「愛妻物語」(1951)で監督デビューした人である。
「愛妻物語」は新藤兼人の最初の病死した妻をヒロイン(乙羽信子が演じた)
にした物語であり、主人公のシナリオ作家を若き宇野重吉が演じた。

その時すでに新藤兼人は再婚していたのだが、「愛妻物語」に続く「原爆の子」
(1952)でも乙羽信子を起用し、ふたりは恋に落ちる。その後、ふたりは長く映
画創りの同志として常に行動を共にするが、愛人関係であることは公然の秘密
だった。

新藤兼人と乙羽信子が結婚するのは、27年後のことである。それから何年ふた
りは一緒にいたのだろう。妻の肝臓癌を宣告された新藤兼人は最後の映画とし
て乙羽信子と杉村春子を主演に「午後の遺言状」を制作する。その乙羽信子と
のことを「午後の遺言状」の制作過程と共に綴ったのが「愛妻記」(岩波現代
文庫)である。

もう十数年前の放映だと思うが、大森一樹監督・斉藤由貴主演で乙羽信子の自
伝が二時間ドラマになったことがある。斉藤由貴が乙羽信子を演じ、宝塚以来
の親友である越路吹雪を相楽ハル子が演じた。新藤監督の役は根津甚八だった
記憶があるが違うかもしれない。

映画ファンの大森一樹監督のことだからずいぶんと凝っていたが、僕がニヤリ
としたのは「愛妻物語」と同じシーンをドラマの中の映画として撮影し、そこ
に寺尾聰を使ったことである。寺尾聰は宇野重吉の役で出演した。

「愛妻」という言葉は新藤兼人の中では特別の言葉であるはずだ。どうしても
このシナリオだけは自分で監督したいとこだわり続けた「愛妻物語」であり、
その映画創りで初めて出会った乙羽信子である。

そして、「愛妻記」と題した本の中では新藤兼人は終始「乙羽さん」と書く。
彼にとって乙羽信子とは単なる愛人や妻という存在ではなく、やはり同志だっ
たのではないだろうか。

●唯一ハリウッドで認められた不倫カップル

ハリウッド・バビロンなどと言われる実態とは別に昔のハリウッドは不倫関係
に厳しく、家庭を棄ててイタリアの映画監督ロベルト・ロッセリーニの許に走
ったイングリッド・バーグマンは一時期ハリウッドを追放されていた。アメリ
カはタテマエではピューリタンの国であり、夫婦関係を裏切ることは神に誓っ
た言葉を棄てることなのである。

しかし、そんなハリウッドで不倫の関係にありながら尊敬されていたカップル
がいる。ハリウッド史上、最も人々から愛され尊敬されたふたり、キャサリン
・ヘップバーンとスペンサー・トレーシーである。その証拠にふたりともアカ
デミー賞の主演男優賞・主演女優賞を複数回、獲得している。

スペンサー・トレーシーは1937年「我は海の子」と1938年「少年の町」で連続
してアカデミー賞主演男優賞を受賞し、この記録は1993年「フィラデルフィア」
1994年「フォレスト・ガンプ 一期一会」によってトム・ハンクスが連続受賞
するまで不滅の記録を誇っていた。

キャサリン・ヘップバーンにいたっては何と主演女優賞ノミネートが12回、受
賞は1933年「勝利の朝」1967年「招かれざる客」1968年「冬のライオン」1981
年「黄昏」の4回だ。間違いなく、この記録を抜く女優は現れないだろうと言
われている。

僕がこのふたりの映画を同時代として見たのは「招かれざる客」(1967)だっ
た。裕福でリベラルな白人の夫婦がいる。娘は明るく聡明で偏見のない自由な
考え方で育ち、そのこと自体は彼らの誇りでもある。だが、ある日、娘が婚約
者として連れてきた男は黒人(シドニー・ポアチエ)だったという映画である。

この映画はキャサリン・ヘップバーンに2度目のアカデミー主演女優賞をもた
らせたが、同時にスペンサー・トレーシーの遺作ともなった。キャサリン・ヘ
ップバーンは撮影中から彼の死期を感じていたのではないか。永年の飲酒癖は
スペンサー・トレーシーの躯を蝕んでいたのである。

そう思って「招かれざる客」を見直してみると、数十年連れ添った夫婦の雰囲
気が演技ではなく見えてくる気がする。キャサリン・ヘップバーンがスペンサ
ー・トレイシーをいたわり説得する姿に本物のカップルの年輪がうかがえる。

●自立する女と依存する男

キャサリン・ヘップバーンとスペンサー・トレイシーが初めて共演するのは19
41年の「女性NO1」という映画だ。幸いなことに、この映画を僕は見ているか
ら、彼らが出会った映画と死別する直前の映画を見ていることになる。

初共演の時、キャサリンは31歳、スペンサーは41歳だった。以来、26年間にわ
たるハリウッド伝説の大人のラブ・ストーリーは続くことになる。しかし、こ
の大人のラブ・ストーリーを伝説にしたのは、スペンサー・トレーシーの妻の
大人の対応があったからである。

飲酒癖が抜けずアイルランド人らしく喧嘩っ早かったスペンサー・トレイシー
には無名時代に結婚した女優の妻がいたが、ふたりの間に生まれたのは聾唖者
だった。スペンサー・トレイシーの奥さんは、それ以後、聾唖者の息子を育て
ると同時に聾唖者の教育に生涯を捧げ、アメリカ各地に聾唖者の施設を作った。
その上で、キャサリン・ヘップバーンとは大人のつきあいを続けたという。

立派な奥さんとは反対にスペンサー・トレイシーが酒浸りになったのは聾唖者
の息子、その子のことだけにかまう妻に対する不満があったのかもしれない。
覚悟を決めた女性に較べ、いつの時代も男は甘ったれで自立できないのだ。誰
かに依存しないと生きていけない。

そんな頃、スペンサー・トレイシーはキャサリン・ヘップバーンに出会い、ふ
たりは公私共にベストカップルになる。コンビ作はヒットし、私生活では自立
する女キャサリン・ヘップバーンは彼の面倒を見た。おまけに、週末はスペン
サー・トレイシーに奥さんと子供の待つ家庭へ帰ることを勧めたという。

スペンサー・トレイシーが心臓発作で倒れた時、彼の妻とキャサリン・ヘップ
バーンは一緒に彼の看病をする。しかし、キャサリン・ヘップバーンは正妻に
遠慮したのだろうか、スペンサー・トレイシーの葬儀には出席していない。

「三文役者」を見ていても思ったものだが、愛し合う男と女は互いに相手を頼
りにして生きている。その相手が仕事仲間であり、自分の仕事の隅々まで理解
しているようならオンリーワンの存在になってしまう。正式に結婚していよう
が、不倫の関係だろうが、互いにオンリーワンの存在になれば人生を共に歩む
同志になれる。

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出版社勤務。読者の方から、ジンマシンについてのメールをいただきました。
ありがとうございます。何とか2週間ほどで治まりました。しかし、原因は一
体、何だったのだろう。休日の後半からひどくなるので、出社拒否症が原因な
のではないかと自己分析しているのだが……。

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■デジクリトーク 金曜ノラネコ便
私は電話とファックスが嫌い

須貝 弦
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電話とファックスが嫌いだ。面倒臭い。メールで済むものなら全部メールで済
ませたい。私はそんな乱暴な性格の人間だ。急ぎでも重要でもない業務連絡が
いちいち電話で届いたりすると、結構むかつく。本当だからしかたがない。

電話は人の時間を奪うから嫌いだ。メールは相手が読みたいときに読めるし、
自分も読みたいときに読めば良い。それに送受信した内容はデータとして残る
から、言った/言わないの問題も起こらない。

急いでいたり重要だったりすれば、プライオリティを上げたりタイトルに【至
急】【重要】【要返信】などと入れればほとんど見てもらえるし、それでもダ
メだとか、ここはちゃんと話して伝えるべきだなとか、そういう局面になって
電話が登場すればいい。

以前に、大事なことに限って電話で伝えてくる人がいた。その人は「大事なこ
とだから電話で伝える」のだが、私は「大事なことならメールで伝えて欲しい。
口頭はイヤだ」と言う。この間にあるギャップは、かなり大きいのかもしれな
い。

また、この業界にいると「いつでも連絡がつく」と勘違いしている人も多く、
そういう人は自分が起きている時間帯であれば、昼夜を問わず電話をかけてく
る。私は電話で起こされるのをとても嫌うので、家の中でも電話はマナーモー
ド。マナーモードで充電器にセットしておくと着信時に電話が光るので、気が
付かないこともないが、布団に入ってしまえばもう知らない。

ファックスは、受信した端末のところまで行かないと受け取ることができない
ので、嫌い。出先にいることの多い私にとって「ファックスで校正を送ったの
で今夜中に戻して下さい」という電話は、「今夜中に300万円用意して下さい」
と言っているのと等しい。

モノクロの校正ならできればPDFにして送って欲しいというのが本音で、事実
PDFで校正を送ってくれる出版社も多くなってきた。カラーでも初校(最初の
校正)はPDFで送ってくれる場合が多い。原稿執筆の仕事だったら、PDFで校正
を見せてくれればそれで何ら問題ない。編集から請け負っているような場合、
それもカラーページなんかの場合は、必ず校正紙の原本を受け取るので、ファ
ックスでもPDFでもないのだが。

しかし校正をPDFにしてくださいというのは、コンピュータ関係の雑誌以外で
は無理な相談で、やはりファックスで届いてしまう。一時期、あまりにもファ
ックスが多くて頭に来たあげくに思い付いたのが、以前に私が自分のメルマガ
の中で紹介し、濱村さんがデジクリの後記にも書いてくれたD-FAXだ。

D-FAXのサービスに申し込むと無料で「D-FAX番号」が与えられる。この番号に
はポケットベル料金でファックスが送れる。送った内容はマルチページTIFFデ
ータにされメールで届く。だから出先でもメールがチェックできてマルチペー
ジTIFFの開けるビューアさえあれば、どこでもファックスが受け取れるように
なるわけだ。

ちなみにWindowsではイメージング、MacではGraphicConverterなどのマルチペ
ージTIFF対応のソフトで受信ファックスを開くことができる。

・D-FAX
http://www.D-FAX.ne.jp/

D-FAXのおかげでファックスについての問題は解決しているが、それでもどこ
かの広報代理店から届く「○○社新製品発表会の御案内」だったりすると、つ
い舌打ちしてしまう。

思い出したついでに書いておこう。その広報代理店は、新製品の発表会の案内
をメールと自宅のファックスの両方に送ってくることがある。更には、そのメ
ールやファックスには必ず「□ご出席 □ご欠席」などと書かれている。そし
て返答期限までにこちらが何のアクションもしないと、ご丁寧に電話がかかっ
てくる。

「先般お送りいたしました○○の発表会についてでございますが、ご出欠のお
返事をいただいておりませんでしたので」って、誰かの結婚式でもあるまいし、
出ないことについての連絡をいちいちする人がいるのだろうか……。最初のメ
ールやファックスはまだしも電話までくると、さすがにムッとする。

できる限りメールで済ませたい。できる限りシンプルにしたい。それは叶わぬ
願いだろうか? 私とデジクリの編集長は、実はメールでしかやり取りしたこ
とがない。やればできるのだ。そういえば、メールのシンプルさでは柴田さん
が抜きん出ていると思われる。

しかし、世の中そうも行かないのもわかっている。

「ラブレター」の類いが嫌いだった。世の中にメールの無い頃、彼女から渡さ
れる、他愛のないことばかり書かれた手紙。人に言うほどでもない話をナゼ?
と思った――って話を別の女の子にしたら「あなたとつき合う女の子は大変だ
ね……」と言われたのは確か8年前だ。

●今週の画像
http://www.macforest.com/dgcr/003.html
とはいえこんなモノが使いこなせるとうれしかったり……。

【すがい・げん】sugai@macforest.com
とはいえプライベートでは、くだらない電話やメールのやりとりばかりして気
を抜いている。最近ちょっと発想が守りに入っていたと感じていたので、思い
きって攻めに転じよう! と思ったが、思ったところで止まってるこの頃。

・macforest.com
http://www.macforest.com/

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■展覧会案内
Digital-pop コンピューター芸術と娯楽のはざま
http://www.info-g.co.jp/D-pop/
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JR東日本では、単なる通過点としての駅から、安らぎ集う駅を目指して様々な
試みを続けてまいりました。そしてこの度、日本を代表する文化施設の集中す
るエリアに隣接する上野駅のリニューアルに際し、正面口吹き抜けに、新たに
展示空間「Breakステーションギャラリー」を設けました。今後、東京芸術大
学の助言をいただきながら様々な企画展示を展開していきます。「ガレリア」
の2階回廊の一隅を占めるこの展示空間が、みなさまの生活の中で安らぎと感
動を生み出す空間になりますよう、そして上野駅が、この新たな展開の中でみ
なさまにとってより身近に、そして魅力的に生まれ変わりますよう努力を続け
てまいります。どうぞご期待ください。<サイトの「ご挨拶」より>

展覧会タイトル Digital-pop コンピューター芸術と娯楽のはざま
会期 2月22日(金)~3月13日(水)第一部
   3月14日(木)~3月31日(日)第ニ部
   第二部では、静止画、アニメーションの全作品を入れ替えます
時間 (平日)11:00~19:30(土・日・祝)10:00~18:30
   初日のみ11:30~ 

会場 JR上野駅・ガレリア(正面玄関口脇)

出展作家 檜山巽 岸啓介 花山由理 扇原康成 喜多見康 富岡聡
PUDDING PICTURES ドルバッキーヨウコ 岡部タカノブ
 
企画 喜多見康・Breakステーションギャラリー運営事務局
協力 富士ゼロックス株式会社
主催 JR東日本

<喜多見康さんから> http://www.info-g.co.jp/kitami/

この度の展示は、
「EXIT2001」
http://www.info-g.co.jp/ko2/
「roboart」
http://www.digitalimage.org/robot/robofesta/index.html
という、昨年私が企画した2つの展覧会を高く評価していただき、開催の運び
となりました。2回の展示の取り組みでは、CG表現の様々な分野で日本を代表
する、または今後代表するであろう若い才能に展示していただけた、という満
足感がありました。しかしそれだけに「これだけの内容の作品なのだからもっ
と多くの方々、一部のCGファンや美術愛好者ではなく、むしろ普通の一般の方
々に気楽に『娯楽』として見て、楽しんでいただきたい」という企画者として
の課題も残す結果となりました。

今回、JR東日本の主要駅再開発計画の記念すべき第一弾として上野駅がリニュ
ーアルされます。その上野駅再開発の目玉企画のひとつとして、数10年の歴史
を持つ上野駅舎の重厚な吹き抜けホールと回廊部分をそのまま生かして、展示
スペース「ガレリア」が誕生します。その、こけら落とし展示の企画とプロデ
ュ-スの大役を光栄にも私がさせていただくことになりました。

一日の乗降客が20万人にも及ぶ大きな駅を舞台に、コンピューターによる芸術
表現として、極めて高いレベルのものを展示できる機会をいただき、作家とし
て企画者としてこれに勝る喜びはありません。ぜひご覧いただきたくご案内い
たします。

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■編集後記(2/8)
・きのう神田敏晶さんに会った。この前会ったのは数年前の夏の幕張か、Y2K
問題で神田さんがプロジェクト組んでた頃か、もう記憶にない。当時27歳とか
いってた神田さんだが、もはやそうは言い張れないような気がした。生ビール
を飲みながら、これからのデジクリについていろいろ話した。近い将来(と言
っても2か月くらい先)なにかイベントをやろうと、とりあえず結論を出した。
(あくまで予定ヨ)他にもいろいろ考えていますのでご期待ください。(柴田)

・そりゃ苺ムースっしょ。洋なしのタルトってあんまりねぇ…。うっ、そのキ
ャラメルソースがっ。こ、凝ってる。そうきたか! ふーむ。なるほど。この
洋なしタルトなら価値あるよ。洋なしのタルトぉぉぉ! ぜ、全員一致? わ
かるわかる。あそこで洋なしのシャーベットではなく、チョコアイスクリーム
ってのもポイント高いわ。食べたい。どこのお店? こっちにはないの? 通
販とかないよなぁ。あああーー。今日、洋なしのタルトを注文しちゃう人多い
んだろうな。食べさせろぉぉー! かなピギャース。    (hammer.mule)
http://msew.msec.ne.jp/dodb/  どっちの料理ショー
http://www.geocities.co.jp/Playtown-Yoyo/7410/chamago.html 茶魔語辞典

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発行   デジタルクリエイターズ <http://www.dgcr.com/>

編集長     柴田忠男 
デスク     濱村和恵 
アソシエーツ  神田敏晶 

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 担当:濱村和恵
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