[1338] 時速100キロで破滅に飛び込む

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【日刊デジタルクリエイターズ】 No.1338    2003/06/27.Fri発行
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            <運命の女に囚われて>

■映画と本と音楽と… 175
 時速100キロで破滅に飛び込む
 十河 進

■金曜ノラネコ便
 おかしなコトバは伝染するんです
 須貝 弦

■セミナー案内
 トッププロデューサーに聞く「次代のコンテンツビジネスプロデューサーに
 不可欠な要素とは」~産官学それぞれの取り組み~

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 クリエーターズ・マーケット



■映画と本と音楽と… 175
時速100キロで破滅に飛び込む

十河 進
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●ランボウ詩集が甦らせた「気狂いピエロ」

車の中、バックミラーをフェルディナンが覗き込む。
──何が見えるの?
──時速100キロで破滅に飛び込む男の顔。

マリアンヌはバックミラーを自分の方に向ける。
──何が見える?
──時速100キロで破滅に飛び込む男に恋する女の顔。

そのセリフを聞いた時(というより字幕を見た時)、18歳の僕はマリアンヌを
演じるアンナ・カリーナに恋をした。その瞬間、僕の世界にはアンナ・カリー
ナだけしか存在していなかった。そんな素晴らしい殺し文句を言える女がいる
のだと、僕はスクリーンの中の女優に恋をしたのだった。

そんなことを、先日、久しぶりに開いた文庫本の表紙裏に書かれた三十数年前
の自分のメモを見て思い出した。そこには「気狂いピエロ」のふたりのセリフ
が書いてあった。その本は角川文庫から出ていた金子光晴訳の「ランボウ詩集」
である。本の最後のページに書いてあったメモによれば、その文庫本を僕は
1970年7月3日に買っている。

ということは、ジャン・リュック・ゴダールの「気狂いピエロ」を見たのは、
その日付より後のことだろうか。いや、「気狂いピエロ」を見たからランボウ
詩集を買ったのかもしれない。どちらにしろ、1970年の夏に僕は新宿の京王名
画座で「気狂いピエロ」を初めて見た。

あの頃、東京ではゴタール映画がいつでも見られた。いつもどこかでゴダール
映画がかかっていた。「男性・女性」「アルファビル」「彼女について私が知
っている二、三の事柄」……ゴダールは毎年、新作を作っていた。そして、僕
は「中国女」と最新作「東風」を新宿紀伊国屋ホールで見た。

「中国女」を見た後は、映画の中で学生たちが毛沢東を讃えて歌う「マオ、マ
オ、マオ……」というフレーズが耳について離れず、しばらく無意識に口ずさ
んでいた。あの頃、紅衛兵は世界の学生たちの憧れだったし、修正主義者たち
を糾弾し中国を真の革命路線に戻そうとする毛沢東は革命の英雄だった。僕た
ちは紅衛兵たちのスローガン「造反有理」を共感を込めて叫んだ。

その一年前、僕は四国の地方都市の高校に通っていた。友人の生徒会長が体育
祭で造反演説を行って無期停学になったり、ある朝、学校に行ったら黒板に大
きく「造反有理」と書かれたりしていた頃だった。僕は、友人たちと映画を作
ろうとしていた。それは、学校権力に対抗する僕らのメッセージになるはずだ
った。

ある日、リーダー格だった元新聞部部長は「朝日ジャーナル」を持って溜まり
場の喫茶店に現れ、「見ろ、このカッコよさ」とそれをテーブルに置いた。そ
こには、3本ターレットの16ミリカメラを手に持ってパリの街を歩いているジ
ャン・リュック・ゴダールが写っていた。

1968年、パリの五月革命に呼応してカンヌ映画祭を粉砕してしまったゴダール
は、深い意味も考えず無前提的に革命に憧れていた僕たちのヒーローだった。
彼は五月革命以降、ますます先鋭的で政治的な映画へと突き進んだ。しかし、
地方都市ではゴダールの映画など上映されるはずもなく、僕たちは彼の作品を
一本も見ないまま彼を崇拝した。

後年、村上龍の「69」を読んだ時、革命に憧れ学校権力に反抗し、ゴダール作
品を一本も見ずに神と仰ぎ、映画を作ろうとしていた高校生が日本にはいっぱ
いいたのだと知った。「69」に描かれた1969年に長崎で高校三年生だった少年
たちの姿は、そのまま僕たちに重なった。

●ゴダール映画が日常的に見られた時代

1970年の春に上京した僕はゴダールの映画がいくらでも見られることに狂喜し、
毎日のように名画座に通った。「小さな兵隊」「軽蔑」「アルファビル」「男
性・女性」「彼女について私が知っている二、三の事柄」「中国女」「気狂い
ピエロ」「ウィークエンド」「東風」……、夏までに僕は十本の作品を見た。

僕の手元に今も「ゴダールの世界」という本がある。1969年に竹内書店から出
た本で、リチャード・ラウドという人が1967年に出版したものだ。翻訳は柄谷
真佐子。後にスーパーエディターを自称する若き安原顕が中央公論社に入る前
に編集した本である。それを僕は1970年6月に早稲田通りの古本屋ヤマノ井書
店で見付けて購入した。

その本の表紙には「気狂いピエロ」のワンシーンが使われている。月を見なが
ら草むらで寝ているフェルディナンとマリアンヌのシーンだ。片手を枕にして
身を横たえたフェルディナンと彼の腹を枕にしてフェルディナンと見つめ合う
マリアンヌである。

美しいシーンだった。逃避行の途中で野宿するふたり。まだまだ蜜月時代のふ
たりは身を寄せて語り合う。月の光がそんなふたりを浮かび上がらせる。彼ら
の足下に寄せるさざ波が月光を映している。世界には彼ら以外、誰も存在して
いない。彼は月に棲んでいたひとりの男を物語る。

──彼は逃げた。
──どこへ?
──ここへ。きみが美しいと思って……、きみに恋して……。
  きみの脚も、君の胸も感動的だ

「気狂いピエロ」は映画を破壊しようと試みながら、ゴダールの才能が珠玉の
美しさに結晶した映画だ。ぼくが最も愛する映画である。映像は美しく、音楽
は悲しい。ふたりの絶え間ない会話は人生の機微や男女の断絶を透かし彫りの
ように浮かび上がらせ、哀しみにあふれる。

「気狂いピエロ」は典型的な「運命の女に囚われて破滅していく男の物語」で
ある。ジャン・ポール・ベルモンドが演じたピエロことフェルディナンは、妻
子を棄てて若いマリアンヌと当てのない逃避行を続ける。やがて犯罪に手を染
め、裏切ったマリアンヌを殺して自分は青く塗った顔に赤と黄色のダイナマイ
トを巻きつけて爆死する。

そして、あの忘れられないラストシーンがやってくる。爆死したピエロの魂が
漂うかのように、島の突端で爆発する炎と煙を捉えたカメラはゆっくりとパン
し、水平線を写し出す。ナレーションが流れる……

──とうとう見付けたのね
──何を?
──永遠
──海に溶ける太陽

僕がフェルディナンとマリアンヌのセリフを「ランボウ詩集」の表紙裏にメモ
したのには訳がある。「気狂いピエロ」には、ランボウの詩を始めとして様々
な文学作品からの引用がなされるが、ラストシーンの海の画面に重なるフレー
ズはランボウの「永遠」なのである。

●アンナ・カリーナの面影は今も生き続けるか

「気狂いピエロ」でアンナ・カリーナに恋した僕は、フェルディナンが繰り返
し口にする「セ・ラ・ヴィ」という言葉も胸の奥に深く刻みつけた。セ・ラ・
ヴィ──それが人生だ。その言葉は僕の脳裏に焼き付けられ、よくその口まね
をした。少し気取って、鼻濁音を入れたフランス語風の発音で……

──おい、このラーメン、まずいな
──セ・ラ・ヴィ

──彼女にふられてしまった
──セ・ラ・ヴィ

そんな具合だった。あの頃、僕にとって「セ・ラ・ヴィ」は魔法の言葉だった。
そう言えば、すべてのことが納得できたし、世の中の理不尽を意識しないです
んだ。社会の不正義に対し立ち上がってくる幼く未熟な正義感も抑えられたし、
鈍感な人々を許すことができた。どんなことが人生の途上で起きようと、僕は
生きていけると思った。

しかし、長い長い時間が過ぎてゆき、その時間を生きた僕は「セ・ラ・ヴィ」
という言葉を簡単に口にできなくなった。人生は「セ・ラ・ヴィ」と言いきっ
てしまえるほど単純ではなかった。あるいは逆説的に捉えれば、「セ・ラ・ヴ
ィ」と言うだけですべてが語られてしまうほど単純でもあった。

今の僕が「セ・ラ・ヴィ」と口にする時、18歳の僕が青年の衒気にあふれて言
っていた「セ・ラ・ヴィ」とはまるで違う意味になる。長い年月で失われたも
のは、あまりに多い。長い時間を生きてきて、まだ残された時間を生きていか
ねばならない男が溜め息のように口にする「セ・ラ・ヴィ」でしかない。結局
こういう人生だったのだという諦めに似た何かが紛れ込む。

我が家の玄関の壁には二十年以上、額に入った「気狂いピエロ」のスチールが
掛かっている。隣り合わせて停めた車の窓から上半身を乗り出してキスをする
フェルディナンとマリアンヌだ。その写真を見るたびに「気狂いピエロ」を見
た頃が甦る。だが、僕は「気狂いピエロ」をもう一度見ようとは思わない。改
めて見ることで想い出が修正されるのを怖れるのだ。

僕は、アンナ・カリーナに溺れ騙され裏切られ破滅していくジャン・ポール・
ベルモンドになるはずだった。男を破滅させる女、運命の女、ファム・ファタ
ール……そんな女と出逢う、それは18歳の少年のロマンチシズムだったのかも
しれない。単なる感傷だと言われれば、今の僕は「そうだ」と答えるしかない。

今、「ランボウ詩集」のメモを見て甦った記憶が僕を試す。現在の僕は「時速
100キロで破滅に飛び込む男に恋する女」と、男の言葉にすぐに反応する女の
媚びや不実を見抜くかもしれない。現実の人生を生きてきて、分別もでき社会
の仕組みを思い知らされた僕は、アンナ・カリーナにもう一度恋することがで
きるだろうか。

【そごう・すすむ】sogo@mbf.nifty.com
カミサンが陶芸教室に通い始めて一年ちょっと。家の中に不思議な陶芸品が増
えていく。長年愛用した茶碗も割られ、手製の茶碗に変わった。まあ、メシが
食えれば何でもいいんですけどネ。

・旧作が毎週金曜日に更新されています
http://www.118mitakai.com/2iiwa/2sam007.html

・竹内敏信ギャラリー&オリジナルプリント
http://www.genkosha.com/gallery/photo/

・玄光社WebSite
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■金曜ノラネコ便
おかしなコトバは伝染するんです

須貝 弦
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私が仕事ではじめて名古屋に行ったとき、ファミレスで面食らったのが「ご注
文は以上でよろしかったでしょうか?」という表現だ。他の店でも、当たり前
に使われている。私はこれを初めて耳にしたとき「名古屋人っておかしな言い
回しするなぁ」と思ったのだが、あとあと調べてみると「新潟方言説」「北海
道方言説」「名古屋方言説」「いや、もうワケわからん」などと、諸説あるこ
とがわかった。

Googleでいろいろ探して回ったのだが、「北海道の一部の人の間でフツーに使
われていた」表現が、何かの拍子、それは例えばどこかのファミレスやコーヒ
ーショップの社員がまず名古屋に降臨し、名古屋圏内のチェーン店に「~でよ
ろしかったでしょうか?」を徹底的に伝染させたのち、日本全国に広まってい
ったのだろう――と推測できる(本当かよ!)。

ひょっとすると「~でよろしかったでしょうか?」という表現は、ある町では
なんらおかしくないのではないかと思う。もしくは、実際はもっと方言ライク
な言い回し――例えば「よかったべかなぁ?」(←いい加減……)――を誰か
が頼まれもしないのに標準語に置き換えたうえで伝染させたのではないかとも
考えられる。いや、私が勝手に考えているだけだが、これはこれでワクワクす
るテーマじゃないか。

たとえば、日本のある地域では電話に出たときに「はい、須貝です」ではなく
「はい、須貝でした」と名乗るところがある。電話をかけたときも「もしもし、
須貝ですが~」ではなく、「もしもし、須貝でした」と言う。その地域では問
題ないだろうが、たとえば東京とかに出てきてその言い回しを使うと、周囲は
面食らうだろう。ましてや、カスタマーサポートなどのコールセンターに勤め
て、全国のお客さまからの電話を取るような仕事に就いたら大変だ。

ただ、バイト敬語とかマニュアル敬語とか言われるコトバに対し、私は不快感
を抱きながらも、目くじらをたてるようなことはしないように心掛けている。
なぜなら、実際は結構年齢が高い世代でも敬語、というかコトバが崩壊してい
るにも関わらず、バイト敬語などを「若者が、若者が」などと言って話を持ち
出すからだ。

政治家の演説を聞いてみればいい。何かセミナーに参加して、どっかの会社で
それなりの地位にある人の話を聞いてみればいい。電車に乗って、車掌のアナ
ウンスをじっくり聞いてみればいい。某カメラメーカーの「お客さま相談セン
ター」に電話してみればいい。近所の工場跡地にできる高層マンションの建築
に反対する集会に出てみればいい。世の中、意外とまともな日本語が喋れる人
が少ないことがわかる。

そして、自分の話しているコトバを録音してみると、よくわかる。自分だって、
決して褒められるような日本語、敬語を話しているわけではないのだ。私は取
材のテープを起こす度に、自分のコトバのいい加減さに憂鬱になる。みんなで
きてないし、自分もできてないんだから、崩れて行くのはもはや止められない
(ちゃんとできている人もたくさんいるが、そういうのは残念ながら感染力が
弱い)。

――しかしね車掌さん、「通過電車の"待ち合わせ"をいたします」っていうの
は、ちょっとおかしいと思うナ。

【すがい・げん】sugai@macforest.com
あと、たまに巨人戦を見ているとアナウンサーがやたらと「~であります」を
連発していて、テレビを消したくなるときがある。それが吉田アナだか山下ア
ナだか小川アナだか思い出せない。みんないっしょなんだもん。

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■セミナー案内
プロデューサー養成セミナー Vol.1
トッププロデューサーに聞く「次代のコンテンツビジネスプロデューサーに
不可欠な要素とは」~産官学それぞれの取り組み~
http://c-place.ne.jp/0000engine/pec_engine.cgi?N=s030621162328
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<主催者情報>

映画・アニメ・ゲームなどのコンテンツビジネスマーケットにおいて、ビジネ
スのグローバル化が進む昨今、企画制作、資金調達といった初期段階から、配
給、二次利用といった、回収段階までを総合的に視野に入れたコンテンツビジ
ネスプロデューサーの必要性が産業界、教育業界の双方で聞かれるようになっ
てきています。

経済産業省商務情報政策局メディアコンテンツ課では、日本発のコンテンツを
世界的に展開し、コンテンツビジネスマーケットを活性化することを目指し、
現役で活躍するプロデューサーのためのカリキュラムを設定する準備に入って
います。本年度の上半期でその養成カリキュラムを体系化し、下半期にその実
証実験として数箇所の教育機関、自治体の協力のもと講座を開講する予定です。

今回のセミナーでは、事業の具体的な取組、今後の計画に関する説明と共に、
映画業界、アニメ業界、ゲーム業界を代表するトッププロデューサーを招き、
産業界から見たプロデューサーに対するニーズ、また、あるべきプロデューサ
ー像にスポットを当てながら、次世代のコンテンツプロデューサーに必要な要
素について語っていただきます。

日時:7月4日(金)14:00~16:00(開場13:30)
会場:アークアカデミーヒルズARKフォーラム(六本木アークヒルズ アーク森
ビル36F)
参加料:無料(先着順・要予約)
主催:経済産業省
http://www.meti.go.jp/policy/media_contents

パネラー:
原正人(アスミック・エース エンタテインメント株式会社取締役会長 株式
会社プロデューサーズアカデミア取締役会長)
石川光久(株式会社プロダクション・アイジー代表取締役)
水口哲也(株式会社ユナイテッド・ゲーム・アーティスツ代表取締役社長)
広実郁郎(経済産業省 商務情報政策局 文化情報関連産業課 課長)
モデレーター:山根 節(慶應義塾大学ビジネススクール教授)

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■イベント案内
クリエーターズ・マーケット
http://www.creatorsmarket.com/
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会期:6月28日(土)~29日(日)11:00~18:00
入場料:1日券500円、2日券900円、当日券1日券800円
会場:ポートメッセなごや2号館(名古屋市港区金城ふ頭2-2 TEL.052-221-
0036)
内容:ファッション、イラストレーション、フォト、アートオブジェ、インテ
リア、クラフト、雑貨、アクセサリー、パフォーマンス、フード等々オールジ
ャンルのオリジナルワークのギャラリー&マーケット(展示即売会)。クリエ
ーター同志のコミュニケーション、お客とのコミュニケーションを楽しみなが
ら、新たな出会いや発見、ビジネスチャンスがある。

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■編集後記(6/27)
・バイト用語とかマニュアル敬語とか、ナイトゲーム中継のアナウンサーや評
論家の物言いとか、移動販売車とか、駅のアナウンスとか、気に入らないもの
がいっぱいである。先日の後記にたいして、いくつかご意見をいただいたので
そのうちお二人のコメントをご紹介したい。           (柴田)

▼実は「よろしかったでしょうか」というのは、北海道の方言にあるそうです。
ニュースになった一般的に使われている言葉とはまた別物だとは思いますが。
(略)これ以外にも、聞くところによると過去形になる言葉がいろいろあるよ
うです。この微妙な丁寧語は、相手との距離感を保つためのもの、責任回避の
ような心理ではないか、といった解説がされていたと記憶しています。失礼に
ならないように、不快な思いをさせないように‥‥それが全くの逆効果を生ん
でいるようです。Googleで「よろしかったでしょうか」を検索すると、なかな
か面白いですよ。
http://www.google.com/search?num=50&lr=lang_ja&q=よろしかったでしょうか

▼しかしやっぱり「以上で宜しかったでしょうか」はおかしい。以前、あの表
現はどこかの方言だと聞いたことがあります。関西弁でも「~やんか」と自分
の経験を相手が知っているように話す表現方法がありますが、それに近いもの
があるような気がします。私は関西の人にこう言われると「え?私、知らない
けど‥‥」って思ってしまう。(笑)まあ、とにかく「宜しかったでしょうか」
は違和感のある表現だと言えると思います。
あと、レジで合計金額が1000円だとして、1000円ちょうど渡したときでも、店
員さんは「1000円お預かりします」って言いますよね。あれもやっぱりおかし
い。おつりはないんだから、正しくは「1000円いただきます」だと思うのです。
頂きますってその人がもらう訳じゃないんだからっていう突っ込まれそうです
が、でもやっぱりお預かりしますってことは返してくれるの? っていう気が
します。私は昔、マックでバイトをしていたことがありますが、意識的に
「1000円ちょうど頂きます」と言っていました。確か、そう言えと店長に言わ
れたような覚えがあります。

・ねむい。ねむすぎる。かなり疲れていてナチュラルハイ。心が荒んでいた時
期は過ぎ、怒りっぽいのは相変わらずだが、笑いはじめると止まらない。そう
いやリベリオンがまた東京でやるらしい。/ただいまFlash Liteセミナー中。
小松さんの説明わかりやすい~。いまHTML書いてます。   (hammer.mule)
http://www.amuse-pictures.com/rebellion/  リベリオン

<応募受付中のプレゼント>
 「イラストレーションファイル 2003」&
 「イラストレーションファイル・デジタル 2003」ペア 1332号。
 Web制作演習 Flash MX 1333号。
 素材辞典Vol.126 <ITビジネス・オフィスワーク編> 1333号。

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