青山ぼちぼち歩き
── GrowHair ──

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仕事でコンピュータのソフトを書く必要が生じると、最近は自分で書いている余裕がないもんだから、外注している。その外注先の古池さんという方が実に頼りになる。何というか、人並みはずれた生産性なのである。多作のプログラマー。多少の無理を言っても楽々と乗り越えてくれる。

つい最近、古池さんの同僚の方が東京に来た折に「かのスーパーマンはいつもさぞかし猛烈にばりばり働いているのだろう」と聞いてみた。

ところが意外とそうでもないらしく、午後はいつもしばらく窓から外を眺めてぼーっとしているのだそうで。同僚たちは「あれは『降りてくる』のを待っているのだ」と噂しているのだとか。

いいなあ、それ。こっちは誰も憑依しに来てくれないから、何でもかんでも自力でぼちぼちやるしかなく、進まざること首都高速のごとしである。


ここはひとつ、私にも何かに憑いていただけたら。鬼でも悪魔でも蛇でも龍でもなんでもいいから。ということで、何かに遭遇できそうな予感の赴くままに、青山墓地に出向いてみた。「うぇるかむ、降霊ツアー」。

早い話が花見である。いちおう人を誘ってみたのだが、気味悪がって誰も来やしない。墓なんて、いつか入るんだから、今から慣れておいた方がいいのに。結局ひとり。午後3時ぐらいに現地に着いた。

広いっ! 大都会のド真ん中の一等地に広々と横たわる落ち着いた空間。すごい贅沢。生きている人の人口密度は極めて低い。あれがもし最初から更地だったら誰も墓地にしようなどとは言い出さないに違いないが、最初から墓地だと、それを郊外に移転させて跡地にマンションを建設しようなどとは、やはり誰も言い出さない。だからあの場所は墓地であるのが正しい。

昼間は、まあ探せば撮るものがある、程度だったが、夜になってから、俄然、風情が出てきた。おでんや焼き鳥の屋台がいくつも出ていて、モーターの音をぶんぶんうならせながら、白熱電球を煌々と灯している。そこここに花見の輪ができて、おじさんたちのソーラン節の合唱と手拍子が聞こえてくる。

墓地内を抜ける縦横一本ずつの広い道には街灯がついているが、奥へ入ると明かりがない。毎年来ていると思しき集団は心得たもので、ちゃんと照らすものを用意してきている。中にはろうそくを灯しているグループもあり、こちらは風情ありすぎ。思わず足の存在を確認してしまった。

どんちゃん騒ぎをやっているのは、さすがに明るい通りのすぐそばだけで、墓地の奥の方に入っていくと、もう誰もいない。桜、独り占め。通りから見ると真っ暗闇のように見えるが、入ってみると、遠くの明かりのおかげでやっと歩ける程度には明るい。渋谷の方角を見ると、上空まで明るく、墓石や彫像や卒塔婆が桜の枝とともにシルエットで浮かび上がり、美しさ格別である。これは、いい。

夜9時ぐらいにいちおう撮影に区切りをつけ、ワンカップ酒を買ってきた。屋台で燗をつけて売っているのが早い時間から気になっていたのだが、写真を撮り終わるまではと我慢していたのである。墓の前の三段ばかりの石段に腰掛けて、ちびちびと飲む。至福のひととき。

西行法師の句
「願わくば 桜の下にて 春死なん その如月の 望月のころ」を思い出した。

幸せというのは死と隣り合わせだからそう言うのかなーなどと考えた。その辺の土の中からにゅっと手が伸びてきたら、思わず握手しそうである。

とりとめもない空想に耽るうちにワンカップも空になった。さて、と立ち上がると、おやっ? 写真の機材が重くて持ち上がらない。一眼レフにレンズ3本に三脚、それと小物が少々。大した荷物ではないのだが。まるで「もう少しゆっくりしてけや」と言われているようである。

それもいいかとは思ったが、ここで立ち去る機会を逸すると永久にその機会が来ないような予感がして、「それは困る」と思いなおした。えいやっと気合いを入れると何とか持ち上がったが、なんだかやけにずしりと来る重量感にふらふらしながら帰途についた。

「ゲゲゲの鬼太郎」という漫画に「子泣きじじい」という妖怪がいた。泣いている赤ん坊を抱き上げると石になり、どうやっても離れない。それがどんどん重くなっていき、しまいには押しつぶされてしまうのである。どうやら変なものに憑かれてしまったらしい。重いよ、重いってば、重い。

なんだか、余計に仕事が進まなくなった気がする。

【GrowHair】写真を趣味として楽しむサラリーマン、41歳。
< http://www.geocities.co.jp/Hollywood-Studio/2967/
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