[1551] セグウェイ返してくださいキャンペーン!

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【日刊デジタルクリエイターズ】 No.1551    2004/06/28.Mon.14:00発行
http://www.dgcr.com/    1998/04/13創刊   前号の発行部数 18819部
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     <ネットで起こした喧嘩はネット上で解決すること>

■KNNエンパワーメントコラム 
 セグウェイ返してくださいキャンペーン!
 神田敏晶

■電網悠語:Ridual開発記編 
 ネットは魔界か?
 三井英樹

■おしらせ
 日刊デジタルクリエイターズ 第1回東京オフ会





■KNNエンパワーメントコラム 
セグウェイ返してくださいキャンペーン!

神田敏晶
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KNN神田です。

最近、初対面の人に、「あなたがセグウェイで"逮捕"された人でしたか!」と
ありがたくない印象を持たれることが多い。書類送検されて罰金刑として50万
円の交通違反が申し渡されただけなのだが、世間の印象はそんなようなものだ。
もちろん前科者にもなっていない。

何人も死者を生み出した三菱自動車は罰金たったの20万円(by国土交通省)だ。
http://www.mlit.go.jp/kisha/kisha04/09/090611_3_.html
しかし、セグウェイを日本の道路で乗って、夢と希望の未来を示唆したら罰金
50万円だ。

証拠物件で押収されているセグウェイが、違反が確定した後も戻ってこないこ
とを不服に思い、「セグウェイ返してください!」キャンペーンをblogで開始
した。
http://blog.livedoor.jp/kandaknn/archives/3026337.html

控訴という閉鎖された空間の中で、国家を相手に時間と金をかけて戦うよりも、
ボクは開かれた空間の中で世論に問いかけるというblogで問題を提起する方法
を選んだ。TrackBackによる抗議方法だ。

ぜひ、キャンペーンに協力できる人は、TrackBackしてほしい。
この記事へのトラックバックURL
http://blog.livedoor.jp/kandaknn/tb.cgi/3026337

警察の取り調べなど受ける機会は、あまりないと思うが、非常にストレスフル
な日々であった。下記のテキストは、昨年の押収された時に寄稿しようとした
デジクリ原稿であるが、不利になりそうなので、あえてふせていたものである。
そのあと、セグウェイが2台も押収され、新型のセグウェイを追加で購入する
はめになり、現在に至っている。

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2003年8月25日「どうやら、ボクは今、警察に追われているようである」

KNN神田です。

人生、長く生きていて、経験できる事と、出来ない事がある。また、経験しな
くてもいいような経験をしてしまうこともあるようだ。今回は、しないでいい
経験をしてしまうようである。

「どうやらボクは、今、警察に追われているようである」。

なんだか、小説の書き出しのようだが、ノンフィクションだ。詳しい事情は、
遠方にいるので、まだよくわからない。

事の起こりは、やはり7月9日におこなった「セグウェイ広告」で日本の公道を
セグウェイで営業活動をおこなったことらしい。あの時は道交法というよりも、
道路使用許可がないからという理由で警告があったが、右翼の広報カーも、ニ
セモノ時計の屋台も、合法ドラッグも、当然「道路使用許可」を得ていないと
切り返した。

その後、原宿警察から事情を伺いたいとの話があった時に、「その説明のため
だけに、わざわざ署に出向くことはできない。こちらにいらしてくださればい
つでも」とお答えしたが、何の音沙汰もなく、今日に至っていた。

あれから約一ヶ月半、あとでわかったのだが、先週の金曜日、朝の7:00頃に関
連会社、8:00頃にKNN、その後、クライアントに数十人の警察(刑事?)が動
員され、証拠物品をいろいろと「押収」していったそうだ。

朝の7:00から押収するというのは、彼らの常套手段だが、当然、そんな時間に
誰も出社はしていないし、当人であるボクがいるはずがない。さらに、彼らが
一番押さえたかった証拠の「セグウェイ」は、ボクと一緒に巡業中で事務所に
は一台も存在しない。

現場にいないので、なんとも想像しにくいのだが、警察の証拠品の押収風景と
は、よくテレビのニュースで見かける「何十億の脱税」とかでよく見るダンボ
ールにいっぱい書類を運んで運びだすようなあの光景であろう。

事務所の様子を聞いてみると、パソコン、請求書など、いろんなファイルを裁
判所からの押収の許可証を見せて、持ち去ってしまったようである。KNNのパ
ソコンの中には、TSUTAYAで借りた恥ずかしいレンタルDVDも入っているのに。

こちらには一切何の連絡もなく……。そういえば携帯電話に、非通知発信で留
守電なしのコールが2~3回あったようだが、どうやらそれのようだ。非通知発
信で電話されて、メッセージもなければ、対応のしようがない。着信履歴に
「110番」とでもあればわかるのだが……。せめて留守電にメッセージをいれ
ておくべきだろう。

しかし、警察も仕事といえども、暇ではないはずだ。電話一本で「裁判所から
正式な許可がでたから出頭してほしい」といえば、当然、日本国民としてその
命令にさからうつもりはない。しかし、証拠品が確認できないところにわざわ
ざ、何十人も天下の公僕を使って、貴重な血税を巻き散らかしている点が、い
かがなものか?

世間では、劣悪な凶悪犯罪がはびこってもいるのに……。しかも、クライアン
トにまでいって裁判所からの通知を示して押収することが、どのような意味を
持つのかも理解している上での「犯行」だから、どうやら「スケープゴート」
にしたいようだ。

アメリカで乗れる乗物が日本で乗れない数十年も前の「道交法」に対して、新
しい概念ルールを日本も考えなければ、新しいビジネスにも、新しい技術革新
にも、新たな交通革命にも乗り遅れてしまうことは明確だ。

もちろん「セグウェイ」はこれが完成形ではない。新たなブレイクスルーによ
って、さらに画期的な乗物になったとしても日本では私有地だけでの利用にな
ってしまう。

アメリカ人は、この200余年の歴史の中で、国を作ってきたし、領土を拡大し
たし、法律を変えるし、大統領も自ら選らんでいる。だから経済界、産業界も
法制度を変えるための術があるからこそロビー活動などがさかんだ。

日本の場合、新しい技術や科学の進歩に合わせての法的制度の進化はあまりに
も遅すぎる。第二次世界大戦後、アメリカに指導された法律のまま、今世紀に
いたっても、戦争の度に自問自答する結果となってしまっている。

「道交法」も、クルマが登場していなかったらもっと簡単なルールであっただ
ろう。ブレーキやアクセルのいらない画期的な機能を搭載したクルマが登場し
ても100年前のクルマのオールドファッションな法律を適用し続けるのであろ
うか?

ガソリンを燃料にするのではなく、これからは水素と酸素をエネルギーにして
内燃機関がなくても動力となりえる時代だ。人とクルマが安全で安心であるこ
とが大事であり、ブレーキの有無を論議するよりも、安全に止まれるため機能
がそなわっているかどうかのほうに注目すべきなのではないだろうか? 燃料
電池で動くローラースケート型義足が現れたらどうなるのかとか。

大きな組織に属していると、個人の考えではなく全体のルールを重んじてしま
う。ローカルで個人的な事情は邪魔な存在だ。ムダとは知りながら、ムダなこ
とに人生の大半の時間を投じてしまう。小さな組織では、ルールよりもむしろ
個性が重要である。命令系統も組織体そのものも変えることができる。

大きな警察という組織だけで、犯罪を制御できなくなっているのも、それが理
由ではないだろうか? 本当に今、どのように問題を解決すべきか? という
部分を、制度やシステムと照らし合わせるのではなく、それが起きうる原因を
解明する、もしくは想像できるイマジネーション力が必要ではないだろうか?

それはそうと、本件は日本の「事件」になっているようなので、何らかの対処
はしないといけない。もし、こういう「事件」に明るい方が読者におられたら
どうやって対応すべきか示唆いただければ光栄である。
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と結んだが、この時から、10ケ月を経過した今でも証拠物件が返却されないの
は不可解すぎる。

担当刑事との駆け引きも、「神田社長も早く、証拠品を返してほしいでしょ」
との声に任意の捜査協力に昨年だけでも7回も応じてきた。また、我々(刑事)
は上部組織である検察庁に対して「調書」を提出することが仕事なんですと説
明する。

検察庁の担当検事は、「こちらは起訴状を書くので、あとは裁判所が刑を判断
するので、裁判所からの呼び出しにしたがってもらうことになる。また、簡易
裁判という方法でやれば、一番すみやかに事件は解決する。時間もかからない
だろう。ただし、呼び出しがあるまでは海外などに出張してもらっては困る。
裁判所の呼び出しに応じないと大変なことになる」と脅しとも思えるような、
申し渡しを受けていた。

しかしだ。6月の下旬になっても、やってくるのは、罰金50万円の督促状と、
行政処分の「免許停止」の講習の呼び出しだけだ。裁判所はいつになれば呼び
出してくれるのだろうか? また、セグウェイでどうして、自動車免許の免停
になるのかも、ボクの頭では、理解できないし、何の説明もない。

blogでキャンペーンを展開することにより、法律に詳しい人が解説してくれた。
「セグウエイの事件に学ぶ刑事訴訟法」
http://www.tez.com/blog/archives/000122.html

このblogによって自分のおかれている立場がはじめてよくわかった。書類をス
キャンしてblog公開してよかったと思う。

本来は、事件の罰金を言い渡す前に裁判所が説明すべきことなのに、裁判所も
しくは検察庁の説明義務の職務怠慢としか思えない。

なぜ、いまだにセグウェイや登記簿謄本などが、返却できないのか? 
その本当の理由を国家権力集団に求めたい! 
応じるまでは、ブタ箱からでも面会人を通じてblogでも抗議していくつもりだ!

KandaNewsNetwork,Inc. http://www.knn.com/
blog http://knn.typepad.com/
CEO Toshi Kanda mailto:kanda@knn.com
#617-10-18,Maruyamacho,Shibuyaku,Tokyo,150-0044
Mobile 81-90-7889-3604 Phone81-3-5458-6226

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■電網悠語:Ridual開発記編(56)
ネットは魔界か?

三井英樹
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2004年6月佐世保。また忘れてはいけないことが起こってしまった。小学生が
自分の同級生に刃物を向ける。まだまだ良く分からないことが多いので直接的
に問題として取上げることは避けたい。驚きや悲しさや様々な想いが、この一
か月間頭の中をグルグルと回っている。どう整理すべきなのか、頭が拒否して
いるようにも感じる。理由は一つ。我が子が被害者にも加害者にも、なって不
思議でないと感じているからだ。我が子に限ってなどとは夢にも思っていない。

我家には、中一(12)と小五(11)の子供がいる。さしたる問題児ではない。
事件を報じる新聞の一面の見出しを見て、二人ともが絶句した。当然ながら、
この問題は家族で話し合った。別に結論が出る訳じゃない。原因探しをしてい
る訳ではない。こんなことが起こってしまった今の日本をどう思うかを、それ
ぞれから話す。

日頃から議論できるように育てて来ていないせいもあって、教科書的な答えや、
当事者固有の問題のような意見が多かった。学校での取上げ方も聞いたが、担
任の個性がそれぞれ出ている程度にしか感じない。でも教育の現場の混乱は伝
わってくる。

普通に入手できる情報には目を通すようにしている。様々な意見があるが、こ
の問題の本質を深く考えている人達には一つの共通概念があるように思う。そ
れは、普通に育ち普通に遊んでいけた子供が、こうした道に進んでしまったこ
とに対して自分自身を責めているような部分だ。

原因探しをして、防止に努めるのももちろん大切だ。けれど、その前に、何故
救えなかったのか、何故押し留められなかったのか。直接当事者達に接するこ
とができない人達でも悔しく思っている人達が沢山いる。実際に何かできた訳
ではない。距離的にも離れている。しかし、「子供たち」に何かしらできたの
ではないのか。当事者や社会を語る前に、自分に向き合っている人達がいる。

子供の問題は大きい。自分の子供たちが10代になる前あたりから、「子育て」
の大変さを改めて感じている。子供が加害者になる事件も増えたが、親がその
子に対する加害者になる事件も増えた。報道のたびに、「親らしさ」も問われ
る。子供を持つ資格といった観点でも話される。背筋を正さないと読めない話
が多い。

しかし、敢えて反論すると、親もある日突然「親」になる訳ではない。子供と
一緒に育っている。様々な取るに足りないような会話を重ねる中で、親の自覚
が生まれ、親としてすべきこと、してはならないことが心に芽生えてくる。そ
して、それには時間がとても必要だ。けれど、そうした時間を待ってくれる程、
今の社会はゆっくりと進んでいない。

子供たちと接する時間を取るように頑張っている。頑張らないとそもそも時間
が取れないし、時間をとったからといって、タスク管理表でチェックしていく
ようには問題は解決されない。正直「面倒くさい事」だし、誰かがやってくれ
たら嬉しいとさえ感じてしまう事柄だ。仕事の管理の仕方は通じない。答えが
見えているのに、自分の血を分けた子が気がついてもくれないというイライラ
は、情けなくも感じる。答えを示しても、それはその子にとって「答え」には
ならなかったりする。本人が気付くこと自体が「答え」だったりもする。もち
ろん、逆に教わる事だって山のようにある。自分が教える立場にあるなんて奢
りは通用しない。

充分なコミュニケーションをとっているとは言えない我家だが、一つ気がつい
たことがある。子供が望むことは昔から変わっていない。「私の話を聞いて」、
「私と真正面から向き合って」という点だ。とことん付き合う、これが求めら
れている。そう、昔ガクラン着ていた頃に自分自身が「大人」に求めてたこと
だ。必死に自己主張する我が子の姿は、そのまま当時の自分の姿だ。自分の経
てきた道を、我が子が少し違った角度で通っていると感じるのは、中々感慨深
い。そして、向き合えたと感じられる時間が共有できたとき、子供達は何かし
ら晴れ晴れしい顔をしている。

キチンと向かいかって会話をすることは難しい。ただ話をしたり、説教するこ
との数倍のエネルギーが必要だ。口は一つでも持て余すのに、耳は二つあって
も尚足りない。でも互いが「聞く」という姿勢を保つことの大切さは、今の時
代特に大切だと日々感じさせられている。聞くには聞く側の忍耐も必要だし、
話す側の勇気も要る。

しかし、子供達の友達と話していても、彼らが本音を語りがっているのは感じ
る。誰も想いを心の奥底にしまいこんだまま進めない。王様の耳はロバの耳と
叫べる「穴」が必要だ。親や大人は時として、そんな役を担わなくてはならな
い。しかも喜んで(ここが唯一無二の「その子の親」という立場に置かせて貰
っている醍醐味だ)。

ネットの影響が語られる。ネットに書き込む傾向が問題になっている。ネット
という「特殊な環境」が子供たちに何を与えているかという論点もよく目にす
る。そんな「仮想」の世界ではなくて「リアル」な世界の体験を優先しろと指
導もされる。しかし私には違和感がある。

ネットで語られる言葉は、「リアル」ではないのだろうか。書き込みする者も、
それを読む者も、実在しないのか。「ヴァーチャル」という言葉を拡大解釈し
て、あたかも現実社会で起きていないような事柄だと考えるのは、旧人類だけ
じゃないのか。悪口を言う者も、それを読む者も、既に実在している。なのに、
それにフタをしてきれい事を言っている気がしてならない。「ネットの世界で
は皆がオカシクなるのだから、本気で接する必要はない。そんなことは放って
おいて、リアルのことに専念しなさい」って、何か変じゃないか?

これは、まさに子供たちが忌み嫌う姿勢でもある。「タテマエ」や「取り繕い」
に対する嫌悪感は、多感な子供達には大きい。目の前に見えている問題を直視
せず、立場や習慣で処理することに怒りを感じるのは、今も昔も多分変わりな
い。変わってきたのは、その怒りの出し方だ。

ネットのなかった昔は、衝突した事柄に対抗するには、何かしら直接対決せざ
るを得ない状況にあった。でも今は選択肢が増えた。直接対峙するのは疲れる。
そのエネルギーを、違う方向に向けることで、ウップンを晴らすことができる。
例えば、ネットに書き散らすことだ。書いたり、話すことは、自分の中にある
「何か」を吐き出すことであり、その「排泄」の効果は精神に影響する。

理論上世界中の人が読める場所に書き散らすことは、沈黙の同意者が自分を取
り囲んでいるかのような錯覚にも浸れる。「リアル」ではないというイイワケ
が、様々なブレーキを取り外し暴走し、暴走していることすら自覚できない。
何に対して怒りを持っていたのかも、何から逃避しているのかさえ、見えなく
なる。

更に、ネットを「はけ口」にすることを危険にしているのが、ネットの世界に
「大人」が少ないことだ。ネット時代が一般的に幕開けして余りに歴史が浅い。
経験則が成立していない。どうコミュニケーションしていいのか誰も見本を見
せられない。但し、大人は少ないだけだ、いない訳ではないにも関わらず。

私は個人的なことでも仕事でも、ネット上でよく「喧嘩」をする。全然大人じ
ゃない。とことん話を詰めたいし、できるだけ端的に書くので、表現が強く、
誤解も多いらしい。挨拶文も嫌いだし、書面と同じフォーマットでメールをや
り取りする気持ちも端から理解できない。戦歴は人より多いだろう。後悔する
事も、謝る事も多いが、和解に至ることも多い。

ネットのやりとりで、私は一つのルールを決めている、「ネットで起こした喧
嘩はネット上で解決すること」。最終段階を越えない限りネットに踏みとどま
ることにしている。メールでもめた事柄を、「メールでは議論が発散するので、
今度呑みに行きましょう」というソリューションはナンセンスだ。その場やそ
の人との関係は良好化するだろうが、それでは解決になっていない。それは問
題を先送りにするだけで次回への教訓もない。その場しのぎは「解」ではない。
私はその時議論している事を解決したいだけでなく、ネットでの「よりよいコ
ミュニケーション」の仕方を習得したい。ネットが、本音で語り合える場にな
ることを願っている。

子供たちも、本音を言える場所を探して、ネットに行き着いたのではないだろ
うか。現実社会では言えない事を語れる場、逆に言えば、それ程子供たちの心
の中に何かを叫びたい衝動があるのではないか。だとしたら、問題なのはネッ
トではなく、現実社会だ。言いたいことが聞いて貰えない社会。大人でもそう
感じている。子供たちが真っ先に純粋に反応しても不思議ではない。

先日、英教育研究所が子供のネット教育についてコメントを発表した。「子ど
もにチャットルームや電子メールの利用を一切禁止しても、ふさわしいインタ
ーネットの使い方について何ら教えることにはならず、むしろ将来的に直面す
る危険に対して無防備な状態を生み出すだけになる(Rebekah Willett氏)」。
これは実は年齢的な子供についてのみ話しているのではないように読める。氏
の指摘する「子ども」とは、我々大人のことではないのか。
ref) http://pcweb.mycom.co.jp/news/2004/06/08/004.html

人の命の重みを説きながら、高校生が殺しあう映画の看板が校門の横に立てら
れる。そうした映画が大きな話題になる。規則を破ったら根掘り葉掘り様々な
ことが聞かれるのに、大儀の説明もなく爆弾が落とされる。子供たちは馬鹿で
はない。そんな矛盾には気がついている。そして、自分でも気が付かない心の
奥で何かしらのイライラやモヤモヤが蓄積されている。

ネットが魔界なのではない、現実が魔界なのだ。今ネットは現実魔界の排泄物
を一手に引き受けているようなものだと捉えるべきではないだろうか。そう、
憎悪も悪意も全て。根底に存在している善意とかが霞んで見えなくなるほどに。

人は人とコミュニケーションしなければ生きていけない。そして、人と人との
交流の場では衝突も避けられない。様々な価値観があり、様々な人がいるのだ
から。しかし、その衝突を最小化する知恵はあるはずだ。その希望は捨てたく
ない。そのためには「上手に衝突する」しかない。衝突を避けるだけでは、知
恵は育たない。そして、その知恵を子供たちにバトン渡ししてあげたい。

仕事を無理やり打ち切って、子供の寝る前に家に辿りつき、たわいない、本当
に他愛ない会話をしながら想う、「何かできる」と、「何かしなきゃ」と。

【みつい・ひでき】 h-mitsui@nri.co.jp / ridual@nri.co.jp
オフ会、参加できない...残念。全然お顔を知らずに書き続けるこのコラム。
知らないのに知っている。こういうコミュニケーションもアリだと思う。

・Ridual(XMLベースのWebサイト構築ツール)公式サイト
 http://www.ridual.jp/
・超個人的育児サイト(書籍は絶版中)
 http://member.nifty.ne.jp/mit/MilkAge/

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■イベント案内
日刊デジタルクリエイターズ 第1回東京オフ会
<http://dgcr.com/off20040710/index.html>
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6月25日現在のゲストは、神田敏晶、モモヨ、石原強、まつむらまきお、笠居
トシヒロ、古籏一浩、永吉克之、茂田カツノリ、十河進、須貝弦、北川かりん、
ユビキタスマン 各氏! 直接お話できるチャンスです。海津宜則さんから、
都合で行けそうにない、との連絡をいただきました。

●開催概要
日時:2004年7月10日(土) 17:00~20:50 (16:50受付開始)
会場:プレゼンテーションルーム(東京都渋谷区渋谷1-1-11 青山SIビル6F)
<http://www1.biz.biglobe.ne.jp/%7Ekaigi/goannaizu.htm>
参加費:5,000円(当日会場にてお支払いください)
収容数:50人
申込・詳細:<http://dgcr.com/off20040710/index.html>
問合せ:デジクリ東京事務所 TEL.03-3582-1200

協賛:グローバル・テクノロジー・デザイン株式会社<http://www.gtd.co.jp/>


<応募受付中のプレゼント>
・「Web Designing 2004年7月号」デジクリ#1548(6/30締切)

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■編集後記(6/28)
・わたしは、いまでも血液型と人格は関係なく、能見正比古氏の「発明」だと
思っている。「血液型人間学」なんてナンセンスだ。ところが、血液型と性格
(人格と性格の違いはよく分からないが)は関連があるようだ、と敢えて言お
う。日本人の多くが血液型性格判断が大好きで、日常生活にすっかり定着して
しまった。わずか4つの分類というシンプルさで、とにかく親しみやすくわか
りやすい。たぶん否定する人より信じる人の方が多いだろう。信じていると自
然にそういう性格になってしまう。A型だから神経質、というように(大笑い、
わたしもA型だ)。人は血液型を知ることで性格が変わる、あるいは変わる可
能性があるのではないか、といった程度の「関連」であるけど。朝日新聞be
「こだわり会館」(6/29)に、「血液型と人格の関連性を『確信しているので
はなく、リアルだと断定している』という」おおわだしょうぞうさん(43)が
取り上げられていた。「興味のあることなら何でもアリで突っ走るB型だから」
だというが、本当にハンパじゃない人で、否定論に反論するサイト「ABO FAN」
を自分で作ってしまった。だいぶ強引で攻撃的な内容もあるが、読んでみると
なかなか楽しめる。やはり、文献をちゃんと読んでいる人の意見は説得力があ
る。それでもわたしは、「血液型人間学」を否定するけど。    (柴田)
・ABO FAN
http://www010.upp.so-net.ne.jp/abofan/

・現実での自分の位置や人間関係を忘れてしまわないようにと心がけるように
している。これを読むと恐ろしくなる。(教えてくれてありがと。匿名希望さ
ん。)                         (hammer.mule)
http://yoriyori.k-server.org/  よりぬき合宿所

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発行   デジタルクリエイターズ <http://www.dgcr.com/>

編集長     柴田忠男 
デスク     濱村和恵 
アソシエーツ  神田敏晶 
リニューアル  8月サンタ
アシスト    鴨田麻衣子

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