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【日刊デジタルクリエイターズ】 No.1609 2004/10/01.Fri.14:00発行
http://www.dgcr.com/ 1998/04/13創刊 前号の発行部数 18245部
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<消してしまいたい記憶のひとつ>
■映画と夜と音楽と…(279)
感情のない世界
十河 進
■Workforce of a Freelance(2)
OMEは何するもの?
新居雅行
【日刊デジタルクリエイターズ】 No.1609 2004/10/01.Fri.14:00発行
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<消してしまいたい記憶のひとつ>
■映画と夜と音楽と…(279)
感情のない世界
十河 進
■Workforce of a Freelance(2)
OMEは何するもの?
新居雅行
■映画と夜と音楽と…(279)
感情のない世界
十河 進
───────────────────────────────────
●甦る「アルファビル」
村上春樹さんの新作「アフターダーク」を読んでいたら「アルファビル」とい
う名前のラブホテルが主要な舞台として出てきた。もちろん小説中でジャン・
リュック・ゴダールの「アルファビル」について言及する部分はある。村上さ
んの世代だと、大学に入った頃に見たであろう映画である。
村上さんは以前、「神の子どもたちはみな踊る」でもゴダールの「気狂いピエ
ロ」の中のセリフをエピグラフに使っていたから、やはりゴダール世代なのだ
ろう。あの時代、映画が好きな若者たちでゴダールの洗礼を受けなかった者は
いない。もちろん僕もそのひとりだ。
僕が18歳で上京した1970年、主に新宿の映画館だったが、ゴダールの映画はい
つでも見られるくらい頻繁に上映されていた。「勝手にしやがれ」「小さな兵
隊」「女と男のいる舗道」「軽蔑」「アルファビル」「気狂いピエロ」「男性・
女性」「ウィークエンド」「中国女」「東風」など、僕は片っ端から追っかけ
て見た。
「アルファビル」は1965年、ゴダールが「気狂いピエロ」の前に作った映画で
ある。現実のパリをそのまま撮影したSF作品だった。主人公の名前はレミー・
コーション。他の惑星からアルファビルへある人物を救出にやってきた男だ。
演じるのはエディ・コンスタンチーヌである。
エディ・コンスタンチーヌは若くもなく(というより僕にはひどく年寄りに見
えた)二枚目でもなく、アクションができるわけでもないが、まるでボギーの
パロディのようにロングコートに帽子を目深にかぶってハードボイルドヒーロ
ーを気取っていた。
「アルファビル」のストーリーを要約するのはむずかしい。というより、ゴダ
ールの映画においてストーリーを説明するのは無意味だ。ただ、この後、ゴタ
ールはどんどんストーリー性をそぎ落としていくのだが、この時期はまだスト
ーリーを追うことができる作品を作っている。
しかし、正直に言うと、最初に見た時、僕はストーリーが理解できなかったし、
スクリーンで何が進行しているのか皆目わからなかった。その後、「アルファ
ビル」について書かれている文章などを読んで、なるほどそういう話だったの
かと納得したのである。
だが、若い頃は「わからない」という言葉がなかなか出ない。見栄を張る。虚
勢を張る。自分を自分以上に見せたがる。僕は友人たちとゴタールについて話
しながら「『アルファビル』が描いたのは人間性を失った未来の恐ろしさなん
だよ」などとしたり顔で喋っていた。消してしまいたい記憶のひとつだが、そ
ういう記憶に限って消えてくれないのだ。
ゴダール映画はどれも難解で、当時は難解であることそのものが価値を持って
いた。だから、難解である作品を理解したように喋らなければならなかったの
だ。今の若い人たちはもっと素直に「わかんねぇよ、こんな映画」と声を上げ
るかもしれない。
●愛という感情を甦らせる
最近、WOWOWで「アルファビル」が放映され、僕は数十年ぶりに再見した。見
ようと思ったのは懐かしかったからだが、「アルファビル」という作品が棘の
ように僕の記憶に刺さっていたからでもある。僕にとって「アルファビル」は
ゴダール作品の中で唯一、思い入れできなかった作品だった。
改めて見ると、何だか肩すかしを喰ったようなわかりやすさだった。レミー・
コーションがミッションを受けてアルファビルにやってくる。ブラウン教授と
いう人物を捜しているらしい。レミーは教授の娘のナターシャ(アンナ・カリ
ーナ)を見つけ、彼女から情報を聞き出そうとする。やがて、アルファビルの
秘密が明らかに…
設定は未来なのだが、すべてその時代(1965年)のパリをそのまま撮っている。
ただ、未来都市風の雰囲気を出すために夜間撮影が多い。高感度フィルムの粒
子の粗い画面も効果的だし、照明をうまく採り入れて人工的な雰囲気を醸し出
す。ホテルの部屋、街角のカフェ、ハイウェイなど、それらしく見えるからお
かしい。
アルファビルは高度に発展した未来都市だ。そこでは、人々は感情を殺して生
きている。いや、人類が感情を喪ったのだ。すべては合理的に解釈される。ア
ルファビルでは、涙を流すと死刑になるのである。涙を流すことが感情を顕す
ことの端的な証左だからである。
売春も国家によって制度化されて管理される。セックスは快楽としてしか認め
られない。愛情は、存在そのものが理解されない。「愛するって、どういうこ
と」とナターシャは口にする。別にカマトトぶっているわけではない。アルフ
ァビルでは効率と進歩がすべてなのだ。人間的感情はすべて否定され、禁止さ
れている。
長くそういう状態が続いたために、アルファビルの人間たちには感情というも
のが理解できない。怒り、悲しみ、慈しみ、歓び、そして愛すること、それが
どういうものなのかがわからない。時々、不意に涙が出ることがあると、戸惑
い恐怖する。誰かに見られなかったかと周囲を見渡す。涙を流した、と密告さ
れれば命がない。
これは、もの凄く単純な、今から振り返れば陳腐なほどの設定ではないか、と
僕は数十年ぶりにアンナ・カリーナのアップを見ながら思った。
どうせ、機械文明は悪役で、最後に破壊されるに決まっているのだ、と思って
みていたら、やはり最後は工場のようなところへレミーが拳銃を構えて忍び込
み、ジェイムズ・ボンドのようにコンピュータを破壊する。
そして、ラストシーンはふたりでアルファビルを脱出すべく夜のハイウェイを
ひた走るのだが、対向車のヘッドライトを浴びながらお定まりのようにナター
シャは口にする。
――あなたを愛している。
●徹底した個人映画の魅力
しかし、ゴダールの映画が長い時間に耐えて残るのは、そんな陳腐に思える設
定でも、深いところにある核を取り出して見せてくれるからだ。スクリーンに
描かれたものは表層に過ぎない。「アルファビル」という映画全体が観客に伝
えてくるのは、もっとずっとずっと深いところにある何かなのだ。
ゴタール映画には、そう思わせるものがある。事実、「アルファビル」を見終
わった時、僕はスピルバーグのSF映画(たとえば「AI」)を見た後とはまった
く違う感情に襲われた。人生で必要な何かをつかんだのだ、とさえ思う。その
映画を見る前と後では生き方さえ違ってくるような何か…
それが何だ、と問われれば僕は「わからない」というしかない。言葉で伝えら
れるものなら2時間近くも費やして映像で表現する必要はない。「アルファビ
ル」という映画全体が伝えてくる何か…、それは「アルファビル」を見ること
でしかわからない。
たとえばアンナ・カリーナのアップショット、彼女の視線、瞳の動き、それが
何かを伝える。「アルファビル」はゴダールが愛するアンナ・カリーナのため
に作った映画である。それも、アンナ・カリーナの愛を甦らせるために作った
映画ではないかと思う。
愛という感情を喪っていたナターシャが「あなたを愛している」と映画のラス
トで言う時、それはゴダールへ向かって発せられているのである。「アルファ
ビル」はシンプルに要約すれば、ナターシャが「愛」を甦らせていく物語なの
だが、それは自分への愛の復活を願ったゴダールの個人的テーマでもあった。
しかし、現実生活ではアンナ・カリーナの愛は甦らなかった。1961年に結婚し
たゴダールとアンナ・カリーナの生活は5年ほどで破局を迎える。「ゴタール
といると息が詰まりそう」とアンナ・カリーナは言い捨ててゴタールの元を去
る。「アルファビル」公開の翌年だった。
極度に個人的な感情移入が「アルファビル」にはある。ゴタール映画がいつま
でも記憶に刻み込まれ、愛おしい映画として残るのは、おそらく徹底した個人
映画であるからだ。「気狂いピエロ」にしろ「男性・女性」にしろ「勝手にし
やがれ」にしろ、ゴタール個人の強烈な思い入れが観客に伝わるからだ。
ゴタールの映画を見るということは、たとえばランボウの詩集を読むのと同じ
行為である。彼の映画には多くの詩や文学作品や、時には哲学書や絵画論まで
が引用されるが、彼自身が詩人の資質を持っている。ゴタールは詩を書く代わ
りに映画を作っている。
「アルファビル」の中にレミー・コーションが初めてナターシャに詩というも
のを読ませるシーンがある。ポール・エリュアールの詩だ。ナターシャは、た
どたどしく読む。そして、詩に反応して何かを甦らせる。「何かを思い出すみ
たいだわ」とナターシャは言う。
「アルファビル」を18歳で初めて見た時に、僕は映画が伝えてくるものに完全
に反応できなかった。だから中途半端な気持ちのまま、気になる映画として長
く僕の心の隅に棘のように刺さっていた。
今、長い時間を経て見ると「アルファビル」が伝えてくるものは明確だった。
「アルファビル」が伝えてくる何かに、僕は数十年経ってようやく反応できた
のだった。
感情のない世界で、僕は生きられない。
【そごう・すすむ】sogo@mbf.nifty.com
原稿を書くので「悲しみよこんにちは」を見直していたら、フランソワーズ・
サガンの訃報。関川夏央が朝日新聞で「結局、彼女は『老いた少女』のように
死んだのだ」とコメントしていた。「さよならをもう一度」や「夏に抱かれて」
など映画化作品には好きなものが多い。
デジクリ掲載の旧作が毎週金曜日に更新されています
http://www.118mitakai.com/2iiwa/2sam007.html
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■Workforce of a Freelance(2)
OMEは何するもの?
新居雅行
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OMEと聞いて、あれか! と思ってもらえる人も少ないと思う。もっとも、東
京都のちょっと奥地にある地名かと思うかもしれないが、そうではなく、筆者
を中心に展開している開発プロジェクトだ。Open Mail Environmentの略でOME
と呼んでいるのだが、当初はMac OS Mailing Environmentと言っていた。2003
年の3月に現在の名前に変更している。
OMEについて、まずは紹介させていただきたい。もちろん、自分が絡むプロジ
ェクトだけに、書く事は山ほどある。書いている暇があったらバグをつぶせと
か、OMEのマニュアルを書けと言われそうだが(笑)、まあいいとしよう。単
に自慢話にならないように気をつけながら、プロジェクトの中で出てきたいろ
いろなことを、折に触れて解説したいと思う。
http://mac-ome.jp/
●バラして組み立てる
OMEとは何か? 結論を言えば、この問いに答えられない。それを情けないと
思うか、面白いと思うかは皆さん次第だ。OMEを象徴するキーワードをともか
く挙げておくと、「1メール1ファイル」「オープンソース」「UNIX的?」
「Mac OS Xネイティブ」…ってなところだろうか。いずれにしても、メールを
送受信する世界をある種の方針のものと作り上げようというのが主旨でもある。
メールの送受信というと、簡単に思ってしまう。正直言って、自分でも当初は
なめていた。しかし、送信も受信も、非常に世界が深い。とっても深い。底は
ない。そして、あれこれ対応し始めるとキリがない。しかも、送信と受信って、
天と地ほどとは言わないまでも、けっこう違う世界なのである。
メールソフトという限りは、やはり普通に送受信できないといけない。普通に
送受信ができるようになるというところに至るのに、けっこう大変だったとい
うのもあるのだが、それはOMEに限らずみんな苦労をしている。しかし、実用
的なテーマとして「メール」を掲げたのは正解だったと感じている。一定の目
標目指してがんばらざるを得ないからで、だからこそまとまったものが出来上
がった。
「ある種の方針」というのは、つきつめれば、ひとつのまとまったアプリケー
ションを作るのが目的ではないということだ。結果的にできてしまうものはい
いとしても、メールをやりとりするためのいろいろな素材を、自分で組み合わ
せて自分の好きにして使うというのがOMEの目指すところなのである。
いちおう、分かりやすいと思われる用語を使って表現すれば「コンポーネント
化」ということだが、これはちょっとマーケティング用語っぽい。JavaBeans
だとか、ActiveXとかいった意味でのコンポーネントよりも、考えるところは
広いのである。
現状のコンピュータだと、プロセス間の通信としてさまざまな手法が使えるが、
たとえば、ファイル、それもテキストファイルをベースにしてアプリケーショ
ン間でデータの受け渡しができるのであれば、お互いに簡単に済ます事ができ
る。パフォーマンスに大きく問題が出ないのであれば、簡単なことこそ、次の
ステップに行くためのお手軽な近道である。
また、AppleScriptのようなスクリプト環境は異なるコンポーネントをつなぐ
糊の役目をするし、特定の単機能を呼び出しやすくしてあることから、各種の
スクリプトを使ったつなぎもそこそこできる。あの手この手を繰り出そうとい
うのである。
OMEはバラして使うものという見方をする人もいる。バラしというと、Power
Bookを分解するように思うかもしれないが、ソフトウエアのばらしはちょっと
テイストが違っていて、気分はレゴでお城を造るようなものだとも言える。い
や、もっと適切に言えば、OMEというコンセプトでマクロプログラミングをし
ていると言えばいいだろうか。だからこそEnvironment~環境なのである。
OMEをバラして遊ぶのもいいが、それをベースにしたアプリケーションもある。
アプリケーションを使う場合は、メールのリストやフォルダの分類などが普通
にメールソフトのように見えるわけだが、はっきり言って、メール専用の単一
アプリケーションに比べてパフォーマンスはやはり悪くなる。一方、使い勝手
は悪くないわけだ。そういう使い方もOMEなのである。
だったらMail.appとか使えばいいじゃないかと思うかもしれないが、OMEをベ
ースにしたアプリケーションがあって使われている理由は、テキストファイル
でメールが残っているとか、メールの作成にエディタが使えるとか、あるいは
マイコンセプトなアプリケーションに利点を見いだすのか、オープンソースだ
からちょっと改造してみようと思わせるのか、いろいろな側面が影響している
だろう。
突き詰めれば「これ」といった状態がないのがOMEなのだ。代表的な画面を作
るのにいつもどんなに悩むか…結局、Finderでメールの一覧が見える画像にい
つも落ち着くが、これとて一切見ていないユーザもいると思う。OMEのユーザ
はさほど多くはないと思うが、たぶん、一人として同じ状態で使っているユー
ザはいないのじゃないかと思う。でも、OMEのファウンダとしては、それはま
さに思うツボと言わしてもらいたい。
●オルタネイティブでもいいでしょ
おっと、いかん、いかん、筆者がOMEのことを語ると、かようにコンポーネン
ト化を軸にした堅い話になってしまう。ということで、OMEでイベントなんか
で集まったときには、極力、筆者でない誰かにプレゼンテーションや、あるい
は展示ブース対応をしてもらう。そのみんなが、自分なりにOMEを説明するの
を聞くのがけっこう楽しいのである。
イベントなんかでは、ステージでプレゼンテーションを行なう機会をもらえた
りする。そこで、集まってくれたメンバーのみんなに均等に当たるように、持
ち回ってもらう。さすがにそういうことになるとみんないろいろ準備するのだ
が、そのときには自分の趣味がどっぷり出てくるというのが見物なのである。
UNIX的をつきつめて、EmacsでOMEを使うという路線もあったし、エディタのマ
クロにフォーカスした話もある。ただ、昨年のMac-iTokyoのときの「OMEはト
ルコライスだ」というのはさすがに大受けしたが、これだけの説明ではなんの
ことかさっぱり分からないだろう。きわめて内輪受けネタである(説明すると
長くなるのでこの話はいずれ…)。
一方、ブースに来た人に説明するみんなの説明を、思わず耳をそばだてて聞い
てしまったりもする。なるほど、そういう風にも言えるなとか、いろいろ思う
訳だが、誰がどんなに必死に説明しても、伝わならいこともあるし、誤解され
ることもある。
ただ、やっぱりMac系のイベントよりUNIX系のイベントの方が説明は楽だねと、
皆で納得した。UNIXに近い概念のものはあっても、Mac的なところからはかな
り遠ざかった存在であることも事実だろう。とりあえずのOMEはMac OS Xにの
み対応なので、Macの世界のものなのだが、現実的なポジションはUNIX寄りで
あることは認識しているつもりである。
●1メール1ファイルの真意
1メールを1ファイルというのが、自分が考案したものというつもりはもちろん
ない。mh-eは歴史的な存在だし、筆者も少しは使った事がある。そして、現在
でもいくつか1メール1ファイルというメールソフトはある。Windowsでは電信
八号が有名だし、Mac OS XでもGyazMailがある。UNIXというかEmacs環境では
Wanderlustというのがある。いずれにしても、1メール1ファイルできちんと動
くというのは、きちんとしたファイルシステムがあるという前提が必要だろう。
その意味では、Mac OS 9版のOMEもあるものの、OS 9とOS Xでは動きが全然違
っている。
一般的なメールソフトは、テキストファイルの場合もあるが、ある1つのファ
イルにメールの内容を詰め込むのが一般的だ。そうすることで、アクセス速度
を速めるのが目的としては大きいだろう。しかしながら、メールソフトが扱い
たい1つの対象、つまりエンティティとして1つのメールを、ファイルなどのOS
のエンティティと揃えることで、メールソフト以外の別のアプリケーションや
プロセスから非常に使いやすくなるのである。
つまり、OMEのメールのバックアップはFinderでCDに焼き込んでやればいいと
いうことで、OMEのデータをFinderからアクセス可能なのである。また、単独
テキストファイルだから、Jeditでもmiでも、あるいはテキストエディトでも
何でもいいからとりあえず開いて参照できるということだ。
もっとも突き詰めて考えれば、1メール1ファイルではだめな場合があって、す
ぐに分かるように、添付ファイルがあったらどうするという問題がある。そこ
はMac OS 9で開発しているときに「フォルダにまとめる」という手法を思いつ
いたが、つまりはファイルシステムの1アイテムが1メールであるという点はキ
ープできるのだ。厳密には、添付メールは1メール1ファイルではないのだが、
全体的な傾向として1メールが1ファイルと言っても許してもらえる範囲だろう。
●OMEをつぶさに見るには
ざっとOMEを紹介したが(これでも、キーワードを全部説明していないので
「ざっと」だ)、使った事がある人にはある程度はうなずいてもらえると思う
けど、そうじゃない人に取ってはなんのこっちゃと思っていることだろう。
ということで、Webサイトに来てくださいと言いたいところだが、自分で言う
のもなんだがWebサイトを見て理解は相当大変だと思う。いや、かえって分か
らないと思うというと言い過ぎだろうか?
OMEは、2004年10月22、23日に大阪産業創造会館で開催される「オープンソー
ス関西2004」に昨年に続いてブースを出展するので、ぜひともそこで実物を見
てほしい。そこで見る実物がどんなものになるか分からないし、すでに述べた
ように誰が説明するかでポイントが違うというスリリングなコミュニティだが、
百聞は一見にしかずということで、現物を確かめに来て、あれができないのか、
これができないのかと是非とも質問を浴びせてほしいと思っている。ただし、
お手柔らかに。
【にい・まさゆき】msyk@msyk.net
トレーナー、コンサルタント、デベロッパー、そしてライターと、あれこれこ
なすフリーランス。大学の講義を持っているが、後期のみなので、9月末~1月
上旬という1年のうちの4分の1あまりの期間だけなのだけど、今年も始まった
という感じ。講義自体、コンピュータを利用した演習なので、講義運営も
XOOPSを始めいろいろな素材を使ってやろうと思っている。
自分のサイト:http://msyk.net/
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■編集後記(10/1)
・首都圏散策マガジン「散歩の達人」10月号は、川口・蕨・鳩ヶ谷・戸田特集
である。わたしが生まれて30数年住んだ川口市、そして住み始めて10か月の戸
田市が紹介されているのだから、チェックしなければ。サブタイトルの「ブナ
ンに行こうよ。」とは、なかなか皮肉。川口・蕨・鳩ヶ谷の合併が、新市名の
「武南」問題で空中分解しちゃったのもつい最近のことだ。事実上吸収される
二市が意地を張らず、「川口市」にしとけばよかったのに。来年は、県内に桜
宮市、東埼玉市なんて、氏素性不明の名前の市も誕生する。武雄市は「湯陶里
市」なんて、まぬけな語呂合わせ市名を拒否して近隣との合併をやめた。当然
である。わが戸田市は、独立独歩、周囲からの合併の誘いを拒否しているのが
カッコいいが、本当のところはどうなのか知らない。さて、本を開くと、戸田
市は4市のうちもっとも扱いが小さい。競艇場以外なんにもない。店も散歩ス
ポットも、ほんの数カ所。まったく特色のない町である。こんな記事にならな
い町だとは思わなかった。散歩スポットは自分で探すからいいけど。(柴田)
・新しいパソコンを買うと、アプリケーションのインストールやデータの入れ
替えが面倒。アプリケーションCD-Rを入れて、シリアル入れて……。環境設定
を触っているし、思いつきで入れているフリーウェアなんかもあって、以前の
環境にするのは難しい。毎回メモしておけばいいんだが、ほんとに面白そうだ
けで入れているソフトがいっぱいなのだと、反省するフリをする。が、OSXの
場合、新しいパソコンを立ち上げたら「古いパソコンからデータを転送します
か?」と聞かれるので、あまり期待せずにOKしたら、同じ環境が実現。シリア
ルを再入力する必要なし(テストした範囲では)。おおーーっ! ヘビーユー
ザーさんは何を今さらと言うかもしれないが、これは凄いって! あっ、コラ
ムで既出だったかもしれない。関係ないと記憶スルーしていたかも……。とに
かく買い換えが楽っ。快適~。 (hammer.mule)
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発行 デジタルクリエイターズ <http://www.dgcr.com/>
編集長 柴田忠男
デスク 濱村和恵
アソシエーツ 神田敏晶
リニューアル 8月サンタ
アシスト 鴨田麻衣子
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Copyright(C), 1998-2004 デジタルクリエイターズ
許可なく転載することを禁じます。
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●甦る「アルファビル」
村上春樹さんの新作「アフターダーク」を読んでいたら「アルファビル」とい
う名前のラブホテルが主要な舞台として出てきた。もちろん小説中でジャン・
リュック・ゴダールの「アルファビル」について言及する部分はある。村上さ
んの世代だと、大学に入った頃に見たであろう映画である。
村上さんは以前、「神の子どもたちはみな踊る」でもゴダールの「気狂いピエ
ロ」の中のセリフをエピグラフに使っていたから、やはりゴダール世代なのだ
ろう。あの時代、映画が好きな若者たちでゴダールの洗礼を受けなかった者は
いない。もちろん僕もそのひとりだ。
僕が18歳で上京した1970年、主に新宿の映画館だったが、ゴダールの映画はい
つでも見られるくらい頻繁に上映されていた。「勝手にしやがれ」「小さな兵
隊」「女と男のいる舗道」「軽蔑」「アルファビル」「気狂いピエロ」「男性・
女性」「ウィークエンド」「中国女」「東風」など、僕は片っ端から追っかけ
て見た。
「アルファビル」は1965年、ゴダールが「気狂いピエロ」の前に作った映画で
ある。現実のパリをそのまま撮影したSF作品だった。主人公の名前はレミー・
コーション。他の惑星からアルファビルへある人物を救出にやってきた男だ。
演じるのはエディ・コンスタンチーヌである。
エディ・コンスタンチーヌは若くもなく(というより僕にはひどく年寄りに見
えた)二枚目でもなく、アクションができるわけでもないが、まるでボギーの
パロディのようにロングコートに帽子を目深にかぶってハードボイルドヒーロ
ーを気取っていた。
「アルファビル」のストーリーを要約するのはむずかしい。というより、ゴダ
ールの映画においてストーリーを説明するのは無意味だ。ただ、この後、ゴタ
ールはどんどんストーリー性をそぎ落としていくのだが、この時期はまだスト
ーリーを追うことができる作品を作っている。
しかし、正直に言うと、最初に見た時、僕はストーリーが理解できなかったし、
スクリーンで何が進行しているのか皆目わからなかった。その後、「アルファ
ビル」について書かれている文章などを読んで、なるほどそういう話だったの
かと納得したのである。
だが、若い頃は「わからない」という言葉がなかなか出ない。見栄を張る。虚
勢を張る。自分を自分以上に見せたがる。僕は友人たちとゴタールについて話
しながら「『アルファビル』が描いたのは人間性を失った未来の恐ろしさなん
だよ」などとしたり顔で喋っていた。消してしまいたい記憶のひとつだが、そ
ういう記憶に限って消えてくれないのだ。
ゴダール映画はどれも難解で、当時は難解であることそのものが価値を持って
いた。だから、難解である作品を理解したように喋らなければならなかったの
だ。今の若い人たちはもっと素直に「わかんねぇよ、こんな映画」と声を上げ
るかもしれない。
●愛という感情を甦らせる
最近、WOWOWで「アルファビル」が放映され、僕は数十年ぶりに再見した。見
ようと思ったのは懐かしかったからだが、「アルファビル」という作品が棘の
ように僕の記憶に刺さっていたからでもある。僕にとって「アルファビル」は
ゴダール作品の中で唯一、思い入れできなかった作品だった。
改めて見ると、何だか肩すかしを喰ったようなわかりやすさだった。レミー・
コーションがミッションを受けてアルファビルにやってくる。ブラウン教授と
いう人物を捜しているらしい。レミーは教授の娘のナターシャ(アンナ・カリ
ーナ)を見つけ、彼女から情報を聞き出そうとする。やがて、アルファビルの
秘密が明らかに…
設定は未来なのだが、すべてその時代(1965年)のパリをそのまま撮っている。
ただ、未来都市風の雰囲気を出すために夜間撮影が多い。高感度フィルムの粒
子の粗い画面も効果的だし、照明をうまく採り入れて人工的な雰囲気を醸し出
す。ホテルの部屋、街角のカフェ、ハイウェイなど、それらしく見えるからお
かしい。
アルファビルは高度に発展した未来都市だ。そこでは、人々は感情を殺して生
きている。いや、人類が感情を喪ったのだ。すべては合理的に解釈される。ア
ルファビルでは、涙を流すと死刑になるのである。涙を流すことが感情を顕す
ことの端的な証左だからである。
売春も国家によって制度化されて管理される。セックスは快楽としてしか認め
られない。愛情は、存在そのものが理解されない。「愛するって、どういうこ
と」とナターシャは口にする。別にカマトトぶっているわけではない。アルフ
ァビルでは効率と進歩がすべてなのだ。人間的感情はすべて否定され、禁止さ
れている。
長くそういう状態が続いたために、アルファビルの人間たちには感情というも
のが理解できない。怒り、悲しみ、慈しみ、歓び、そして愛すること、それが
どういうものなのかがわからない。時々、不意に涙が出ることがあると、戸惑
い恐怖する。誰かに見られなかったかと周囲を見渡す。涙を流した、と密告さ
れれば命がない。
これは、もの凄く単純な、今から振り返れば陳腐なほどの設定ではないか、と
僕は数十年ぶりにアンナ・カリーナのアップを見ながら思った。
どうせ、機械文明は悪役で、最後に破壊されるに決まっているのだ、と思って
みていたら、やはり最後は工場のようなところへレミーが拳銃を構えて忍び込
み、ジェイムズ・ボンドのようにコンピュータを破壊する。
そして、ラストシーンはふたりでアルファビルを脱出すべく夜のハイウェイを
ひた走るのだが、対向車のヘッドライトを浴びながらお定まりのようにナター
シャは口にする。
――あなたを愛している。
●徹底した個人映画の魅力
しかし、ゴダールの映画が長い時間に耐えて残るのは、そんな陳腐に思える設
定でも、深いところにある核を取り出して見せてくれるからだ。スクリーンに
描かれたものは表層に過ぎない。「アルファビル」という映画全体が観客に伝
えてくるのは、もっとずっとずっと深いところにある何かなのだ。
ゴタール映画には、そう思わせるものがある。事実、「アルファビル」を見終
わった時、僕はスピルバーグのSF映画(たとえば「AI」)を見た後とはまった
く違う感情に襲われた。人生で必要な何かをつかんだのだ、とさえ思う。その
映画を見る前と後では生き方さえ違ってくるような何か…
それが何だ、と問われれば僕は「わからない」というしかない。言葉で伝えら
れるものなら2時間近くも費やして映像で表現する必要はない。「アルファビ
ル」という映画全体が伝えてくる何か…、それは「アルファビル」を見ること
でしかわからない。
たとえばアンナ・カリーナのアップショット、彼女の視線、瞳の動き、それが
何かを伝える。「アルファビル」はゴダールが愛するアンナ・カリーナのため
に作った映画である。それも、アンナ・カリーナの愛を甦らせるために作った
映画ではないかと思う。
愛という感情を喪っていたナターシャが「あなたを愛している」と映画のラス
トで言う時、それはゴダールへ向かって発せられているのである。「アルファ
ビル」はシンプルに要約すれば、ナターシャが「愛」を甦らせていく物語なの
だが、それは自分への愛の復活を願ったゴダールの個人的テーマでもあった。
しかし、現実生活ではアンナ・カリーナの愛は甦らなかった。1961年に結婚し
たゴダールとアンナ・カリーナの生活は5年ほどで破局を迎える。「ゴタール
といると息が詰まりそう」とアンナ・カリーナは言い捨ててゴタールの元を去
る。「アルファビル」公開の翌年だった。
極度に個人的な感情移入が「アルファビル」にはある。ゴタール映画がいつま
でも記憶に刻み込まれ、愛おしい映画として残るのは、おそらく徹底した個人
映画であるからだ。「気狂いピエロ」にしろ「男性・女性」にしろ「勝手にし
やがれ」にしろ、ゴタール個人の強烈な思い入れが観客に伝わるからだ。
ゴタールの映画を見るということは、たとえばランボウの詩集を読むのと同じ
行為である。彼の映画には多くの詩や文学作品や、時には哲学書や絵画論まで
が引用されるが、彼自身が詩人の資質を持っている。ゴタールは詩を書く代わ
りに映画を作っている。
「アルファビル」の中にレミー・コーションが初めてナターシャに詩というも
のを読ませるシーンがある。ポール・エリュアールの詩だ。ナターシャは、た
どたどしく読む。そして、詩に反応して何かを甦らせる。「何かを思い出すみ
たいだわ」とナターシャは言う。
「アルファビル」を18歳で初めて見た時に、僕は映画が伝えてくるものに完全
に反応できなかった。だから中途半端な気持ちのまま、気になる映画として長
く僕の心の隅に棘のように刺さっていた。
今、長い時間を経て見ると「アルファビル」が伝えてくるものは明確だった。
「アルファビル」が伝えてくる何かに、僕は数十年経ってようやく反応できた
のだった。
感情のない世界で、僕は生きられない。
【そごう・すすむ】sogo@mbf.nifty.com
原稿を書くので「悲しみよこんにちは」を見直していたら、フランソワーズ・
サガンの訃報。関川夏央が朝日新聞で「結局、彼女は『老いた少女』のように
死んだのだ」とコメントしていた。「さよならをもう一度」や「夏に抱かれて」
など映画化作品には好きなものが多い。
デジクリ掲載の旧作が毎週金曜日に更新されています
http://www.118mitakai.com/2iiwa/2sam007.html
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■Workforce of a Freelance(2)
OMEは何するもの?
新居雅行
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OMEと聞いて、あれか! と思ってもらえる人も少ないと思う。もっとも、東
京都のちょっと奥地にある地名かと思うかもしれないが、そうではなく、筆者
を中心に展開している開発プロジェクトだ。Open Mail Environmentの略でOME
と呼んでいるのだが、当初はMac OS Mailing Environmentと言っていた。2003
年の3月に現在の名前に変更している。
OMEについて、まずは紹介させていただきたい。もちろん、自分が絡むプロジ
ェクトだけに、書く事は山ほどある。書いている暇があったらバグをつぶせと
か、OMEのマニュアルを書けと言われそうだが(笑)、まあいいとしよう。単
に自慢話にならないように気をつけながら、プロジェクトの中で出てきたいろ
いろなことを、折に触れて解説したいと思う。
http://mac-ome.jp/
●バラして組み立てる
OMEとは何か? 結論を言えば、この問いに答えられない。それを情けないと
思うか、面白いと思うかは皆さん次第だ。OMEを象徴するキーワードをともか
く挙げておくと、「1メール1ファイル」「オープンソース」「UNIX的?」
「Mac OS Xネイティブ」…ってなところだろうか。いずれにしても、メールを
送受信する世界をある種の方針のものと作り上げようというのが主旨でもある。
メールの送受信というと、簡単に思ってしまう。正直言って、自分でも当初は
なめていた。しかし、送信も受信も、非常に世界が深い。とっても深い。底は
ない。そして、あれこれ対応し始めるとキリがない。しかも、送信と受信って、
天と地ほどとは言わないまでも、けっこう違う世界なのである。
メールソフトという限りは、やはり普通に送受信できないといけない。普通に
送受信ができるようになるというところに至るのに、けっこう大変だったとい
うのもあるのだが、それはOMEに限らずみんな苦労をしている。しかし、実用
的なテーマとして「メール」を掲げたのは正解だったと感じている。一定の目
標目指してがんばらざるを得ないからで、だからこそまとまったものが出来上
がった。
「ある種の方針」というのは、つきつめれば、ひとつのまとまったアプリケー
ションを作るのが目的ではないということだ。結果的にできてしまうものはい
いとしても、メールをやりとりするためのいろいろな素材を、自分で組み合わ
せて自分の好きにして使うというのがOMEの目指すところなのである。
いちおう、分かりやすいと思われる用語を使って表現すれば「コンポーネント
化」ということだが、これはちょっとマーケティング用語っぽい。JavaBeans
だとか、ActiveXとかいった意味でのコンポーネントよりも、考えるところは
広いのである。
現状のコンピュータだと、プロセス間の通信としてさまざまな手法が使えるが、
たとえば、ファイル、それもテキストファイルをベースにしてアプリケーショ
ン間でデータの受け渡しができるのであれば、お互いに簡単に済ます事ができ
る。パフォーマンスに大きく問題が出ないのであれば、簡単なことこそ、次の
ステップに行くためのお手軽な近道である。
また、AppleScriptのようなスクリプト環境は異なるコンポーネントをつなぐ
糊の役目をするし、特定の単機能を呼び出しやすくしてあることから、各種の
スクリプトを使ったつなぎもそこそこできる。あの手この手を繰り出そうとい
うのである。
OMEはバラして使うものという見方をする人もいる。バラしというと、Power
Bookを分解するように思うかもしれないが、ソフトウエアのばらしはちょっと
テイストが違っていて、気分はレゴでお城を造るようなものだとも言える。い
や、もっと適切に言えば、OMEというコンセプトでマクロプログラミングをし
ていると言えばいいだろうか。だからこそEnvironment~環境なのである。
OMEをバラして遊ぶのもいいが、それをベースにしたアプリケーションもある。
アプリケーションを使う場合は、メールのリストやフォルダの分類などが普通
にメールソフトのように見えるわけだが、はっきり言って、メール専用の単一
アプリケーションに比べてパフォーマンスはやはり悪くなる。一方、使い勝手
は悪くないわけだ。そういう使い方もOMEなのである。
だったらMail.appとか使えばいいじゃないかと思うかもしれないが、OMEをベ
ースにしたアプリケーションがあって使われている理由は、テキストファイル
でメールが残っているとか、メールの作成にエディタが使えるとか、あるいは
マイコンセプトなアプリケーションに利点を見いだすのか、オープンソースだ
からちょっと改造してみようと思わせるのか、いろいろな側面が影響している
だろう。
突き詰めれば「これ」といった状態がないのがOMEなのだ。代表的な画面を作
るのにいつもどんなに悩むか…結局、Finderでメールの一覧が見える画像にい
つも落ち着くが、これとて一切見ていないユーザもいると思う。OMEのユーザ
はさほど多くはないと思うが、たぶん、一人として同じ状態で使っているユー
ザはいないのじゃないかと思う。でも、OMEのファウンダとしては、それはま
さに思うツボと言わしてもらいたい。
●オルタネイティブでもいいでしょ
おっと、いかん、いかん、筆者がOMEのことを語ると、かようにコンポーネン
ト化を軸にした堅い話になってしまう。ということで、OMEでイベントなんか
で集まったときには、極力、筆者でない誰かにプレゼンテーションや、あるい
は展示ブース対応をしてもらう。そのみんなが、自分なりにOMEを説明するの
を聞くのがけっこう楽しいのである。
イベントなんかでは、ステージでプレゼンテーションを行なう機会をもらえた
りする。そこで、集まってくれたメンバーのみんなに均等に当たるように、持
ち回ってもらう。さすがにそういうことになるとみんないろいろ準備するのだ
が、そのときには自分の趣味がどっぷり出てくるというのが見物なのである。
UNIX的をつきつめて、EmacsでOMEを使うという路線もあったし、エディタのマ
クロにフォーカスした話もある。ただ、昨年のMac-iTokyoのときの「OMEはト
ルコライスだ」というのはさすがに大受けしたが、これだけの説明ではなんの
ことかさっぱり分からないだろう。きわめて内輪受けネタである(説明すると
長くなるのでこの話はいずれ…)。
一方、ブースに来た人に説明するみんなの説明を、思わず耳をそばだてて聞い
てしまったりもする。なるほど、そういう風にも言えるなとか、いろいろ思う
訳だが、誰がどんなに必死に説明しても、伝わならいこともあるし、誤解され
ることもある。
ただ、やっぱりMac系のイベントよりUNIX系のイベントの方が説明は楽だねと、
皆で納得した。UNIXに近い概念のものはあっても、Mac的なところからはかな
り遠ざかった存在であることも事実だろう。とりあえずのOMEはMac OS Xにの
み対応なので、Macの世界のものなのだが、現実的なポジションはUNIX寄りで
あることは認識しているつもりである。
●1メール1ファイルの真意
1メールを1ファイルというのが、自分が考案したものというつもりはもちろん
ない。mh-eは歴史的な存在だし、筆者も少しは使った事がある。そして、現在
でもいくつか1メール1ファイルというメールソフトはある。Windowsでは電信
八号が有名だし、Mac OS XでもGyazMailがある。UNIXというかEmacs環境では
Wanderlustというのがある。いずれにしても、1メール1ファイルできちんと動
くというのは、きちんとしたファイルシステムがあるという前提が必要だろう。
その意味では、Mac OS 9版のOMEもあるものの、OS 9とOS Xでは動きが全然違
っている。
一般的なメールソフトは、テキストファイルの場合もあるが、ある1つのファ
イルにメールの内容を詰め込むのが一般的だ。そうすることで、アクセス速度
を速めるのが目的としては大きいだろう。しかしながら、メールソフトが扱い
たい1つの対象、つまりエンティティとして1つのメールを、ファイルなどのOS
のエンティティと揃えることで、メールソフト以外の別のアプリケーションや
プロセスから非常に使いやすくなるのである。
つまり、OMEのメールのバックアップはFinderでCDに焼き込んでやればいいと
いうことで、OMEのデータをFinderからアクセス可能なのである。また、単独
テキストファイルだから、Jeditでもmiでも、あるいはテキストエディトでも
何でもいいからとりあえず開いて参照できるということだ。
もっとも突き詰めて考えれば、1メール1ファイルではだめな場合があって、す
ぐに分かるように、添付ファイルがあったらどうするという問題がある。そこ
はMac OS 9で開発しているときに「フォルダにまとめる」という手法を思いつ
いたが、つまりはファイルシステムの1アイテムが1メールであるという点はキ
ープできるのだ。厳密には、添付メールは1メール1ファイルではないのだが、
全体的な傾向として1メールが1ファイルと言っても許してもらえる範囲だろう。
●OMEをつぶさに見るには
ざっとOMEを紹介したが(これでも、キーワードを全部説明していないので
「ざっと」だ)、使った事がある人にはある程度はうなずいてもらえると思う
けど、そうじゃない人に取ってはなんのこっちゃと思っていることだろう。
ということで、Webサイトに来てくださいと言いたいところだが、自分で言う
のもなんだがWebサイトを見て理解は相当大変だと思う。いや、かえって分か
らないと思うというと言い過ぎだろうか?
OMEは、2004年10月22、23日に大阪産業創造会館で開催される「オープンソー
ス関西2004」に昨年に続いてブースを出展するので、ぜひともそこで実物を見
てほしい。そこで見る実物がどんなものになるか分からないし、すでに述べた
ように誰が説明するかでポイントが違うというスリリングなコミュニティだが、
百聞は一見にしかずということで、現物を確かめに来て、あれができないのか、
これができないのかと是非とも質問を浴びせてほしいと思っている。ただし、
お手柔らかに。
【にい・まさゆき】msyk@msyk.net
トレーナー、コンサルタント、デベロッパー、そしてライターと、あれこれこ
なすフリーランス。大学の講義を持っているが、後期のみなので、9月末~1月
上旬という1年のうちの4分の1あまりの期間だけなのだけど、今年も始まった
という感じ。講義自体、コンピュータを利用した演習なので、講義運営も
XOOPSを始めいろいろな素材を使ってやろうと思っている。
自分のサイト:http://msyk.net/
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■編集後記(10/1)
・首都圏散策マガジン「散歩の達人」10月号は、川口・蕨・鳩ヶ谷・戸田特集
である。わたしが生まれて30数年住んだ川口市、そして住み始めて10か月の戸
田市が紹介されているのだから、チェックしなければ。サブタイトルの「ブナ
ンに行こうよ。」とは、なかなか皮肉。川口・蕨・鳩ヶ谷の合併が、新市名の
「武南」問題で空中分解しちゃったのもつい最近のことだ。事実上吸収される
二市が意地を張らず、「川口市」にしとけばよかったのに。来年は、県内に桜
宮市、東埼玉市なんて、氏素性不明の名前の市も誕生する。武雄市は「湯陶里
市」なんて、まぬけな語呂合わせ市名を拒否して近隣との合併をやめた。当然
である。わが戸田市は、独立独歩、周囲からの合併の誘いを拒否しているのが
カッコいいが、本当のところはどうなのか知らない。さて、本を開くと、戸田
市は4市のうちもっとも扱いが小さい。競艇場以外なんにもない。店も散歩ス
ポットも、ほんの数カ所。まったく特色のない町である。こんな記事にならな
い町だとは思わなかった。散歩スポットは自分で探すからいいけど。(柴田)
・新しいパソコンを買うと、アプリケーションのインストールやデータの入れ
替えが面倒。アプリケーションCD-Rを入れて、シリアル入れて……。環境設定
を触っているし、思いつきで入れているフリーウェアなんかもあって、以前の
環境にするのは難しい。毎回メモしておけばいいんだが、ほんとに面白そうだ
けで入れているソフトがいっぱいなのだと、反省するフリをする。が、OSXの
場合、新しいパソコンを立ち上げたら「古いパソコンからデータを転送します
か?」と聞かれるので、あまり期待せずにOKしたら、同じ環境が実現。シリア
ルを再入力する必要なし(テストした範囲では)。おおーーっ! ヘビーユー
ザーさんは何を今さらと言うかもしれないが、これは凄いって! あっ、コラ
ムで既出だったかもしれない。関係ないと記憶スルーしていたかも……。とに
かく買い換えが楽っ。快適~。 (hammer.mule)
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編集長 柴田忠男
デスク 濱村和恵
アソシエーツ 神田敏晶
リニューアル 8月サンタ
アシスト 鴨田麻衣子
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