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【日刊デジタルクリエイターズ】 No.1628 2004/10/29.Fri.14:00発行
http://www.dgcr.com/ 1998/04/13創刊 前号の発行部数 18296部
情報提供・投稿・広告の御相談はこちらまで mailto:info@dgcr.com
登録・解除・変更・FAQはこちら http://www.dgcr.com/regist/index.html
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<「それでいいのだ」>
■映画と夜と音楽と…(233)
屈服しない男たち
十河 進
■Workforce of a Freelance(4)
FileMakerにまつわる昔話-2
新居雅行
■ブックガイド&プレゼント
ノンストレス・WEBボタンデザイン
【日刊デジタルクリエイターズ】 No.1628 2004/10/29.Fri.14:00発行
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<「それでいいのだ」>
■映画と夜と音楽と…(233)
屈服しない男たち
十河 進
■Workforce of a Freelance(4)
FileMakerにまつわる昔話-2
新居雅行
■ブックガイド&プレゼント
ノンストレス・WEBボタンデザイン
■映画と夜と音楽と…(233)
屈服しない男たち
十河 進
───────────────────────────────────
●1967年のカルト・ムービー
1960年代後半は「反権力」の時代だった。「反逆」や「革命」という言葉が輝
きを保っていた。権力に屈しない、力によって支配されない生き方が美しかっ
た。若者たちは世の中には様々な権力があることに気付き、そんな権力構造の
中に組み込まれることを拒否して反抗した。
1968年、フランスでは5月革命が起こり、カルチェ・ラタンの敷石が剥がされ
た。同時期に開催されたカンヌ映画祭は、ゴダールやトリュフォーを筆頭にし
た改革派によって中止に追い込まれた。アメリカでは各地の大学で紛争が起こ
り、黒人たちは人種差別反対を訴えて時に暴動を起こした。
日本では1969年1月18日から19日にかけて、東大の安田講堂をバリケード封鎖
した学生たちに機動隊が襲いかかった。その東大闘争を支援して学生たちはお
茶の水界隈に終結した。それは後に「神田カルチェ・ラタン」あるいは「神田
解放区」と呼ばれる伝説となった。
そんな時代に一本の映画が封切られた。絶対に服従しない、権力に屈しない主
人公を描いたその映画は多くの若者たちの心を捉え、カルト・ムービーとして
語り継がれることになる。「クール・ハンド・ルーク」という韻を踏んだシャ
レたタイトルを持つその映画は「暴力脱獄」というミもフタもない題名で封切
られた。
酔っ払ってパーキングメーターを壊したために逮捕されたルーク(ポール・ニ
ューマン)は反抗的な態度のために実刑をくらい州刑務所に送られてくる。そ
こには暴力で囚人たちのボスとして君臨する男(ジョージ・ケネディ)がいて、
囚人たちを権力で支配する看守とその頂点である所長がいる。
ルークは微罪である。おとなしく刑期をつとめれば、一年ほどで刑務所を出ら
れる身である。しかし、力によって屈服させられることを嫌い、囚人仲間のボ
スや看守に睨まれる。だが、どんなに暴力をふるわれても屈しないルークは次
第に囚人たちに一目を置かれるようになる。
やがてルークは脱走を図る。連れ戻され、懲罰房に入れられ、拷問のような労
働に従事させられる。それでも彼は屈しない。所長や看守にとってルークを見
過ごせないのは、彼が権力に屈しないからだ。自分たちを怖れない男がいるこ
とが、彼らの存在を、彼らの力を脅かすからだ。
囚人たちは何度も何度も脱走し、屈服しないルークを次第に尊敬し始める。ジ
ョージ・ケネディは囚人たちには君臨しても看守という権力にはへつらってい
た自分の卑小さを自覚する。自分にはできなかったことをクールに実行するル
ークに自らの想いを託し、彼を最も支持し援助する存在になる。
「暴力脱獄」を見た時、僕は19歳だった。鬱屈した心を抱え、肩をそびやかし
て歩いていた。小心で気弱なくせに強がっていた。「30以上を信じるな」と、
流行り言葉を口にした。「なんもかんもぶっ壊せ」とアジる「反逆のメロディ」
のゲバ作(佐藤蛾次郎)に共感していた。
●1974年のフェイバリット・ムービー
大学の四年間を終え就職をする頃、僕は「結局、ぶっ壊せなかった大人の社会」
に入っていくのだと自覚した。僕は不屈の男ではなかった。その時、僕にあっ
たのは諦めではなく不安だった。自分がほかの人たちのように社会の中で自力
で生きていけるのだろうかと不安でたまらなかった。
そんな頃、僕は一本の映画を見た。その映画の主人公は一度は権力に屈服する。
自らの保身と仲間たちの身の保証の引き換えに権力に服従し、「世の中はそう
いうものだ」と諦める。だが、彼はぎりぎりのところで翻意する。人間には守
らなければならない誇りって奴があるんだ、と彼は気付く。
先住民の血が入っているとか、元フットボール選手だったとか、アメリカで最
もセクシーだと言われているとか、当時、バート・レイノルズに関する噂はい
ろいろあったが、僕が初めて見た彼の主演映画は「ロンゲスト・ヤード」だっ
た。その映画はマイ・フェイバリット・ムービーの一本になった。
元NFL(ナショナル・フットボール・リーグ)の選手だったクルーは、八百長
でプロを追われジゴロとして生きていたが、女とトラブルを起こし逮捕にきた
警官を殴って刑務所送りになる。二年に満たない刑期である。
刑務所には力を信奉する所長がいて、彼がオーナーになり看守たちでセミプロ
のフットボールチームを作っている。その看守チームを鍛えるために、囚人た
ちでチームを作り看守チームと試合をすることになる。クルーは所長に命じら
れてチーム作りを始める。
何でも調達してくる「世話役」と呼ばれる囚人がいる。元プロで15年以上も刑
務所にいる老練な囚人がいる。微罪で入ったが、昔、所長を殴ったために30年
出られない老人は、チームのトレーナーになる。凶暴で何人も素手で殺してい
るという囚人は、攻撃陣の要になる。
メンバー集めのエピソードは、まるで「七人の侍」である。個性的な囚人たち
が特技を活かしてチームに参加する。「白人の遊びには付き合わない」と言っ
ていた黒人たちも「試合で思いっきり看守を痛めつけられるぜ」と聞いて参加
する。
シーズンが始まる前に囚人チーム相手に勝利させ(要するに囚人チームは「噛
ませ犬」だ)自信をつけさせようと意図した所長は、囚人チームがリードした
ままハーフタイムを迎え狼狽する。看守チームを負けさせるわけにはいかない
のだ。それは自らの権力を否定されたことになる。
彼は力による支配を信じている。逆に言えば恐怖による支配だ。人々がなぜ力
のある人間に屈服するのか。暴力に対して人々は苦痛という恐怖に怯える。権
力に対する恐怖は身の破滅だ。
ハーフタイムにクルーをシャワールームに呼びだした所長は、クルーに殺人の
共犯という罪をかぶせ「20年の刑は間違いない」と脅し「看守チームを勝たせ
ろ」と命じる。「八百長か」と言うクルーに「前にもやっただろ」と冷笑する。
所長に屈服したクルーは、誰が見ても八百長だとわかる明らかなミスをする。
仲間たちは「売りやがったな」と彼をなじる。点差は瞬く間に3タッチダウン
(21点)を超える。ベンチに身を引いたクルーからチームメイトが身を遠ざけ
る。クルーの理解者は老トレーナーだけだ。
チームは看守たちにボロボロにされる。何人も骨折し、満身創痍になったのを
見たクルーが老トレーナーに聞く。
──所長を殴って後悔したことは…
──ない。
そう、もちろんクルーは絶望的な点差をひっくり返すためにグラウンドに戻る。
それは、20年の刑と引き換えに取り戻した自尊心である。誇りを失わないため
に、彼はクォーターバックの定位置に向かって走る…
●1994年のベスト・ムービー
「ロンゲスト・ヤード」から二十年、僕も社会に出て二十年が過ぎた。その年、
刑務所を舞台にした一本の映画が公開された。スティーブン・キングの中編を
忠実に映画化した作品で、ティム・ロビンスが静かで知的で緻密な受刑者を演
じた。
彼は銀行マンだったが、妻の不倫現場を見付け、妻と相手の男を撃ち殺したと
される罪で終身刑を宣告されている。激情に駆られて殺したのではなく、冷静
に何発も撃ったということが陪審員の心証を悪くしたのだ。だが、彼はそれを
冤罪だと主張し続ける。
刑務所に収監された主人公は、ルークやクルーと違い看守や刑務所長に露骨に
反抗はしない。いや、彼らに従順である。囚人を殺すことも躊躇しない残虐で
暴力的な看守の相続税の相談にのり、所長の脱税の手伝いをする。その見返り
に彼は身の安全と楽な仕事を確保する。
彼は図書室を作り、囚人たちに通信教育を受けさせる仕事を黙々と続ける。彼
の武器は銀行マンとして培った知識と経験、緻密な頭脳だけだ。それによって
囚人の中に味方を作り、権力に取り入って自分の地位を確保する。
だが、彼の行為は権力への媚びには見えない。ギブ・アンド・テイク。ビジネ
スのように彼はクールにすべてをこなす。表情を変えず、所長の脱税の二重帳
簿を付け、その見返りに様々な要求を出す。それは彼ひとりのためだけではな
い。囚人たちにとっての要求でもある。
彼は自分の仕事に自信を持っている。だから、権力に媚びずへつらわずに正々
堂々と見返りを求める。囚人たちの食事の改善を求め、老いた囚人の楽な仕事
への配置換えを要求する。だが、彼には秘かに進めていた計画があった。数十
年、決して諦めずに穴を掘り続け、ある日、突然に独房から消える。
「ショーシャンクの空に」と題されたその映画は、僕にひとつの生き方を示唆
した。それはあからさまな権力への反抗ではなかった。だからといって、力を
怖れるのでもない。暴力や権力の怖さを知り、それを分析し自分の持っている
能力で対抗しようとするクールな生き方だった。
暴力や権力に屈服したように見えるかもしれないが、彼は志を持続し、ついに
はその望みを遂げる。彼は数十年間、一度も希望を失わない。シャワー室で犯
された時も、所長に屈服させられた時も、彼は誇りを失わない。自尊心を守り
続ける。
人は自分ができる範囲で、自分が持っている能力で、自尊心を、誇りを守り続
ければいいのだと、僕は「ショーシャンクの空に」に教えられた。勤め人とし
て生きてきた二十年間に対して「それでいいのだ」と力づけられた気がした。
希望をなくさなければ、人はどんなことにも耐えられる。
【そごう・すすむ】sogo@mbf.nifty.com
いい季節になりました。暑くもないし寒くもない。街に落ち葉が舞い始め、風
が冷たくて気持ちがいい。それなのに週末の二日間、まったく部屋を出ずに過
ごしてしまった。もっとも、原稿を書き、録画した映画を見、音楽を聴いて、
本を読んでいました。もちろん酒を片手に…
デジクリ掲載の旧作が毎週金曜日に更新されています
http://www.118mitakai.com/2iiwa/2sam007.html
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■Workforce of a Freelance(4)
FileMakerにまつわる昔話-2
新居雅行
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●電子化し始めた編集現場でFileMakerによる編集作業
当時、筆者は日経パソコンの編集記者だった。87年入社で89年退社と短い期間
だったが、実にたくさんのことを覚えさせてもらったし、後の仕事につながる
職場だったことは言うまでもない。
在籍中に、編集部員は1人1台のパソコンをもらえるというお達しが出て、小躍
りしたものだ。DOSだとEpsonの98互換機、MacだとSEを買ってもらえる。それ
まではMacintosh Plusを何人かで共有するといった具合だったので、環境は一
気によくなる。
会社としてもちょうど、電子編集に向けて動き出しているところだった。しか
し、日経パソコン編集部は、会社の流れに先立ってネットワークや電子メール
を導入し、今風に言えば「IT化」していたのである。
筆者が入社当時は、原稿は原稿用紙に手書きしていたが、ある時期から、テキ
ストをフロッピー入稿するようになる。その話は今回はさておき、あれこれあ
って、ともかくフロッピーで写植にまわすわけだ。ただ、いろいろワークフロ
ーの都合があったのだろう。表は手打ちだったのである。
出版系の人はよく理解できると思うが、表が並ぶような地味なページを仕上げ
るのって実に大変でつらい作業だ。読者のみなさんはざっと飛ばし読みするか
もしれないが、ほんとに大変なのだ。大変な割に出来上がりがとて~も地味な
ため、どっとつかれることもしばしばある。
あるとき、そういう仕事の担当になった。確か、各社のいろいろな製品を表に
まとめたディレクトリ的な記事で、10ページほど表が並びそうな感じだったと
いう記憶がある。
フロッピー入稿によって、何がいいかというと、写植会社の打ち間違いがなく
なることだ。当たり前だが、それは編集現場ではきわめて大きい。校正で写植
機での打ち間違いを拾うのは大変なのだ。他人の間違いは予想外なことがよく
あり、けっこう見つけられない。
また、がっさりと元原稿が消えているようなこともあって、さらに泣きを見る。
そうした作表レベルの作業もなんとかフロッピー入稿できないかと考えて、ふ
とFileMakerの利用を思いついた。検索はできなくても、ソートとテキスト出
力は問題ない…はずである。
●FileMakerで編集職場に一定の成果を出せた
そこで、こうしたワークフローをするために、少しレイアウトデザインも妥協
してくれないかと交渉したりなどして、ともかく出校できた。いちおう商業出
版だけに、それなりのデザインは必要だけど、単調になることを少し目をつむ
ってもらった記憶がある。
表と言っても2次元のものではなく、各ボックスに「会社名」「会社名」など
の見出しと内容が並ぶものだった。そうした見出しもフィールドに入れて、テ
キスト出力し、sedか何かで整形して入稿したと思う。もちろん、フィールド
には少しだけど、自分自身しか訳の分からないテキストをいくつか挿入して、
改行や特別な記号に置き換えるなど、あれこれ工夫をこらした。
結果、スムーズに作業ができた上に、写植の費用が何分の1かになったという
ことで、ともかくほめてもらえた。ディレクトリは製品ものだったので、アン
ケート用紙をメーカーから回収して、その入力をしながらだった記憶がある。
こういうアンケートってすぐには集まらないので、1枚、2枚と到着するごとに
FileMakerで入力作業をしながら、地道に仕上げていくこともできた。
FileMakerを使っているので、データの修正やあるいは入力、追加などはフォ
ームで行ない、暇を見つけてはデータ整理をしていて、入稿に備えていたのを
思い出す。
なぜ、Excelではないかというと、文章があったからだ。短いコメントのよう
な文章だけども、そういうデータは当時のExcelで扱うのはかなりつらいもの
だった。また、データの量も問題になりそうだったこともある。当時の表計算
ソフトはあまり大きなデータサイズになると、重くて使えなかった。
そういう背景で、そこにFileMakerがあったから使ってみたというわけだ。ま
だ、DTPなんてほんの一握りの人しかイメージしていない時代だったけど、小
さな一歩くらいは行っていたと思う。
●そこからビジネスにつながらなかったけども…
今だったら、XMLに出力して、InDesignだったら読み込んでスタイル割り当て
…ってことになるのだろうけど、当時の機能ではあれこれと反則技を繰り出す
ことになってしまう。それでも、最後までできるということが重要なのだ。
Nashobaの人たちは、FileMaker DevCon 2004の基調講演で、ビジネスを成功さ
せるポイントは「タイミングである」と話していた。彼らは、いいタイミング
でNutshellをリリースし、FileMakerをリリースした。だから成功したという
わけである。
筆者にとってのFileMaker入稿体験のタイミングはどうなんだろうか? 電子
化が効率化、コスト低下につながる点を体験した意味は非常に大きかったのは
確かだ。
ただ、電子出版やワークフローといった世界はまだまだ形成されていないため、
足がかりにしてそちらの世界には飛び込めなかった。その意味ではタイミング
的には前にずれていたのかもしれない。FileMakerが多くのユーザの注目を浴
びるという意味でブレークするのはもっと後でもある。
もちろん、ずっとFileMakerは使い続けていたわけだが、FileMakerのノウハウ
が仕事に結びつくのは遥かに後になってからだ。そんなこんなで、“そういえ
ば昔FileMakerでこんなことやったな”と思い出話ができるというのが、今現
在の自分にとっての成果なのかもしれない。だけど、いい思い出であることは
まぎれもない。
【にい・まさゆき】msyk@msyk.net
トレーナー、コンサルタント、デベロッパー、そしてライターと、あれこれこ
なすフリーランス。8月末のFileMaker DevCon 2004に続いて、英語漬けの2週
間に突入中。そんなときにも原稿を書いている…と思うかもしれないが、実は、
前回の記事が微妙に長くて、今回と2回にわたって掲載されたのでラッキーな
のだ。
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■ブックガイド&プレゼント
ノンストレス・WEBボタンデザイン
<http://www.socym.co.jp/pages/books_annai/pc_inet_1.html#web_button>
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著者:武田瑛夢
体裁:B5変型判/160頁 CD-ROM付き
発行:2004.10.25 ソシム刊
ISBN:4-88337-410-6
定価:1,890 円(本体1,800 円)
私たちが街で買い物をする時に、お店の入り口が自動ドアやオシャレなドアノ
ブ等で種類が違うように、WEBサイトの入り方もサイトごとに様々なアプロー
チがあります。WEBサイトでは、ユーザとサイトとの接点となる大切なドアが
「ボタン」。ボタンの役割をもう一度考えて、サイト使用時のストレスを解消
しましょう。
本書はPart1とPart2の2部構成で、Part1では「WEBナビゲーションとボタン」
の関係について他メディアとWEBデザインとの共通点をわかりやすいイラスト
を使って解説しています。ここではWEB実例画面やサンプルボタン、ボタンの
作り方の手順を紹介したHowtoページもあります。Part2では「ボタンでできる
ストレス回避対策」として、WEBのストレスになる要因をピックアップし、具
体的な改善例をサンプルWEB画面を使って解説しています。演出過多や演出不
足など、ユーザがストレスを感じる要因になっている演出/広告/色/画像/
文字の5つの過不足について、左右の画面で比較しています。
1册まるごとWEBのボタンについての解説。多数の各社サイトの掲載協力のおか
げで、オールカラーで画像満載の見やすい本になりました。サンプルボタン画
像データのCD-ROMがついています。
●本誌をソシム株式会社よりデジクリ読者2名様にプレゼント。
応募フォームをつかってください。締切は11月5日(金)14時。
当選者(都道府県、姓)はサイト上に11月中旬掲載予定です。
http://www.dgcr.com/present/20041029.html
■応募受付中のプレゼント
「ステイショナリー・ワンダーランド ~伊東屋の文房具たち~」
デジクリ1625号 写真を楽しむ生活485号 11月2日締切
「Web Designing 2004年11月号」デジクリ1626号 11月3日締切
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■編集後記(10/29)
・身内の自慢話になるが。息子が、勤めている会社の健康診断で、たった一人
オールAの快挙を達成したという。診断書を見たから間違いない。成人してか
らはうっとおしいだけの男だが(うっとおしいのは高校生くらいから、正直言
うと)、こういうのはとってもうれしい。同僚の中では、ファーストフードを
食べず、スナック菓子を食べず、甘い飲料を一切飲まないのでヘンに感心され
ているそうだ。以前ボクシングをやっていたから、甘い物は欲しくないらしい。
食事については、子どもをしっかりしつけた自信がある。幼児の時は、外食で
も食事にジュースなど絶対に与えなかったし、おやつも袋菓子を出したことは
なかった。できあいのおかずを出すことも少なかった。だから今、なにかとだ
らしのない娘だが、ほかの子がランチにジュースをつけてもらっても、わが子
には水かお茶を与えているし、おやつの出し方もまあ許せる。いちおう順調に
育ち上がった息子と娘だが、とりかえしのつかいない失敗がひとつある。ふた
りとも喫煙者になってしまったことだ。もう大人という年齢だったから、勝手
にしろバカ、と投げ出してしまったのがいま思うと残念でならない。(柴田)
・iTunes。出てすぐの頃はCDを入れても曲名が全然出なかった。入力して送信
していたけれど、こんな面倒なことばかりやってられないーと断念。いつまで
たっても終わらないもんね。今はたいていのものは曲名が出るから助かる。ほ
ぅ、これを送信してくれた人がいたのか、へぇ、と遠くにいる見知らぬ人に笑
顔を送る。英会話のCDでは、ちゃんと全センテンス分が入力されていて助かっ
た。きっと入力大変だっただろうなぁ。ある日本版CDだと「IMPORT」と出るの
はどうなのよ。外国の方も「輸入版」として日本版CDを聞いてくれているのね。
ちゃんと「Japanese」と入れてくれているCDもあるなぁ。うーむ、送信しなお
してやろうかなぁ。いまは、曲名が出ない時に面倒と思いつつ、なんだか心の
中でやったー!と思ってしまう。ゲームもiTunesみたいに一元管理できたらい
いのにねぇ。 (hammer.mule)
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発行 デジタルクリエイターズ <http://www.dgcr.com/>
編集長 柴田忠男
デスク 濱村和恵
アソシエーツ 神田敏晶
リニューアル 8月サンタ
アシスト 鴨田麻衣子
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★等幅フォントでご覧ください。
★【日刊デジタルクリエイターズ】は無料です。
お友達にも是非お奨め下さい (^_^)/
★日刊デジクリは、まぐまぐ<http://mag2.com/>、
E-Magazine<http://emaga.com/>、カプライト<http://kapu.biglobe.ne.jp/>、
Macky!<http://macky.nifty.com/>、melma!<http://www.melma.com/>、
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お届け時刻が遅くなることがあります。ご了承下さい。
★姉妹誌「写真を楽しむ生活」もよろしく! <http://dgcr.com/photo/>
Copyright(C), 1998-2004 デジタルクリエイターズ
許可なく転載することを禁じます。
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屈服しない男たち
十河 進
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●1967年のカルト・ムービー
1960年代後半は「反権力」の時代だった。「反逆」や「革命」という言葉が輝
きを保っていた。権力に屈しない、力によって支配されない生き方が美しかっ
た。若者たちは世の中には様々な権力があることに気付き、そんな権力構造の
中に組み込まれることを拒否して反抗した。
1968年、フランスでは5月革命が起こり、カルチェ・ラタンの敷石が剥がされ
た。同時期に開催されたカンヌ映画祭は、ゴダールやトリュフォーを筆頭にし
た改革派によって中止に追い込まれた。アメリカでは各地の大学で紛争が起こ
り、黒人たちは人種差別反対を訴えて時に暴動を起こした。
日本では1969年1月18日から19日にかけて、東大の安田講堂をバリケード封鎖
した学生たちに機動隊が襲いかかった。その東大闘争を支援して学生たちはお
茶の水界隈に終結した。それは後に「神田カルチェ・ラタン」あるいは「神田
解放区」と呼ばれる伝説となった。
そんな時代に一本の映画が封切られた。絶対に服従しない、権力に屈しない主
人公を描いたその映画は多くの若者たちの心を捉え、カルト・ムービーとして
語り継がれることになる。「クール・ハンド・ルーク」という韻を踏んだシャ
レたタイトルを持つその映画は「暴力脱獄」というミもフタもない題名で封切
られた。
酔っ払ってパーキングメーターを壊したために逮捕されたルーク(ポール・ニ
ューマン)は反抗的な態度のために実刑をくらい州刑務所に送られてくる。そ
こには暴力で囚人たちのボスとして君臨する男(ジョージ・ケネディ)がいて、
囚人たちを権力で支配する看守とその頂点である所長がいる。
ルークは微罪である。おとなしく刑期をつとめれば、一年ほどで刑務所を出ら
れる身である。しかし、力によって屈服させられることを嫌い、囚人仲間のボ
スや看守に睨まれる。だが、どんなに暴力をふるわれても屈しないルークは次
第に囚人たちに一目を置かれるようになる。
やがてルークは脱走を図る。連れ戻され、懲罰房に入れられ、拷問のような労
働に従事させられる。それでも彼は屈しない。所長や看守にとってルークを見
過ごせないのは、彼が権力に屈しないからだ。自分たちを怖れない男がいるこ
とが、彼らの存在を、彼らの力を脅かすからだ。
囚人たちは何度も何度も脱走し、屈服しないルークを次第に尊敬し始める。ジ
ョージ・ケネディは囚人たちには君臨しても看守という権力にはへつらってい
た自分の卑小さを自覚する。自分にはできなかったことをクールに実行するル
ークに自らの想いを託し、彼を最も支持し援助する存在になる。
「暴力脱獄」を見た時、僕は19歳だった。鬱屈した心を抱え、肩をそびやかし
て歩いていた。小心で気弱なくせに強がっていた。「30以上を信じるな」と、
流行り言葉を口にした。「なんもかんもぶっ壊せ」とアジる「反逆のメロディ」
のゲバ作(佐藤蛾次郎)に共感していた。
●1974年のフェイバリット・ムービー
大学の四年間を終え就職をする頃、僕は「結局、ぶっ壊せなかった大人の社会」
に入っていくのだと自覚した。僕は不屈の男ではなかった。その時、僕にあっ
たのは諦めではなく不安だった。自分がほかの人たちのように社会の中で自力
で生きていけるのだろうかと不安でたまらなかった。
そんな頃、僕は一本の映画を見た。その映画の主人公は一度は権力に屈服する。
自らの保身と仲間たちの身の保証の引き換えに権力に服従し、「世の中はそう
いうものだ」と諦める。だが、彼はぎりぎりのところで翻意する。人間には守
らなければならない誇りって奴があるんだ、と彼は気付く。
先住民の血が入っているとか、元フットボール選手だったとか、アメリカで最
もセクシーだと言われているとか、当時、バート・レイノルズに関する噂はい
ろいろあったが、僕が初めて見た彼の主演映画は「ロンゲスト・ヤード」だっ
た。その映画はマイ・フェイバリット・ムービーの一本になった。
元NFL(ナショナル・フットボール・リーグ)の選手だったクルーは、八百長
でプロを追われジゴロとして生きていたが、女とトラブルを起こし逮捕にきた
警官を殴って刑務所送りになる。二年に満たない刑期である。
刑務所には力を信奉する所長がいて、彼がオーナーになり看守たちでセミプロ
のフットボールチームを作っている。その看守チームを鍛えるために、囚人た
ちでチームを作り看守チームと試合をすることになる。クルーは所長に命じら
れてチーム作りを始める。
何でも調達してくる「世話役」と呼ばれる囚人がいる。元プロで15年以上も刑
務所にいる老練な囚人がいる。微罪で入ったが、昔、所長を殴ったために30年
出られない老人は、チームのトレーナーになる。凶暴で何人も素手で殺してい
るという囚人は、攻撃陣の要になる。
メンバー集めのエピソードは、まるで「七人の侍」である。個性的な囚人たち
が特技を活かしてチームに参加する。「白人の遊びには付き合わない」と言っ
ていた黒人たちも「試合で思いっきり看守を痛めつけられるぜ」と聞いて参加
する。
シーズンが始まる前に囚人チーム相手に勝利させ(要するに囚人チームは「噛
ませ犬」だ)自信をつけさせようと意図した所長は、囚人チームがリードした
ままハーフタイムを迎え狼狽する。看守チームを負けさせるわけにはいかない
のだ。それは自らの権力を否定されたことになる。
彼は力による支配を信じている。逆に言えば恐怖による支配だ。人々がなぜ力
のある人間に屈服するのか。暴力に対して人々は苦痛という恐怖に怯える。権
力に対する恐怖は身の破滅だ。
ハーフタイムにクルーをシャワールームに呼びだした所長は、クルーに殺人の
共犯という罪をかぶせ「20年の刑は間違いない」と脅し「看守チームを勝たせ
ろ」と命じる。「八百長か」と言うクルーに「前にもやっただろ」と冷笑する。
所長に屈服したクルーは、誰が見ても八百長だとわかる明らかなミスをする。
仲間たちは「売りやがったな」と彼をなじる。点差は瞬く間に3タッチダウン
(21点)を超える。ベンチに身を引いたクルーからチームメイトが身を遠ざけ
る。クルーの理解者は老トレーナーだけだ。
チームは看守たちにボロボロにされる。何人も骨折し、満身創痍になったのを
見たクルーが老トレーナーに聞く。
──所長を殴って後悔したことは…
──ない。
そう、もちろんクルーは絶望的な点差をひっくり返すためにグラウンドに戻る。
それは、20年の刑と引き換えに取り戻した自尊心である。誇りを失わないため
に、彼はクォーターバックの定位置に向かって走る…
●1994年のベスト・ムービー
「ロンゲスト・ヤード」から二十年、僕も社会に出て二十年が過ぎた。その年、
刑務所を舞台にした一本の映画が公開された。スティーブン・キングの中編を
忠実に映画化した作品で、ティム・ロビンスが静かで知的で緻密な受刑者を演
じた。
彼は銀行マンだったが、妻の不倫現場を見付け、妻と相手の男を撃ち殺したと
される罪で終身刑を宣告されている。激情に駆られて殺したのではなく、冷静
に何発も撃ったということが陪審員の心証を悪くしたのだ。だが、彼はそれを
冤罪だと主張し続ける。
刑務所に収監された主人公は、ルークやクルーと違い看守や刑務所長に露骨に
反抗はしない。いや、彼らに従順である。囚人を殺すことも躊躇しない残虐で
暴力的な看守の相続税の相談にのり、所長の脱税の手伝いをする。その見返り
に彼は身の安全と楽な仕事を確保する。
彼は図書室を作り、囚人たちに通信教育を受けさせる仕事を黙々と続ける。彼
の武器は銀行マンとして培った知識と経験、緻密な頭脳だけだ。それによって
囚人の中に味方を作り、権力に取り入って自分の地位を確保する。
だが、彼の行為は権力への媚びには見えない。ギブ・アンド・テイク。ビジネ
スのように彼はクールにすべてをこなす。表情を変えず、所長の脱税の二重帳
簿を付け、その見返りに様々な要求を出す。それは彼ひとりのためだけではな
い。囚人たちにとっての要求でもある。
彼は自分の仕事に自信を持っている。だから、権力に媚びずへつらわずに正々
堂々と見返りを求める。囚人たちの食事の改善を求め、老いた囚人の楽な仕事
への配置換えを要求する。だが、彼には秘かに進めていた計画があった。数十
年、決して諦めずに穴を掘り続け、ある日、突然に独房から消える。
「ショーシャンクの空に」と題されたその映画は、僕にひとつの生き方を示唆
した。それはあからさまな権力への反抗ではなかった。だからといって、力を
怖れるのでもない。暴力や権力の怖さを知り、それを分析し自分の持っている
能力で対抗しようとするクールな生き方だった。
暴力や権力に屈服したように見えるかもしれないが、彼は志を持続し、ついに
はその望みを遂げる。彼は数十年間、一度も希望を失わない。シャワー室で犯
された時も、所長に屈服させられた時も、彼は誇りを失わない。自尊心を守り
続ける。
人は自分ができる範囲で、自分が持っている能力で、自尊心を、誇りを守り続
ければいいのだと、僕は「ショーシャンクの空に」に教えられた。勤め人とし
て生きてきた二十年間に対して「それでいいのだ」と力づけられた気がした。
希望をなくさなければ、人はどんなことにも耐えられる。
【そごう・すすむ】sogo@mbf.nifty.com
いい季節になりました。暑くもないし寒くもない。街に落ち葉が舞い始め、風
が冷たくて気持ちがいい。それなのに週末の二日間、まったく部屋を出ずに過
ごしてしまった。もっとも、原稿を書き、録画した映画を見、音楽を聴いて、
本を読んでいました。もちろん酒を片手に…
デジクリ掲載の旧作が毎週金曜日に更新されています
http://www.118mitakai.com/2iiwa/2sam007.html
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■Workforce of a Freelance(4)
FileMakerにまつわる昔話-2
新居雅行
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●電子化し始めた編集現場でFileMakerによる編集作業
当時、筆者は日経パソコンの編集記者だった。87年入社で89年退社と短い期間
だったが、実にたくさんのことを覚えさせてもらったし、後の仕事につながる
職場だったことは言うまでもない。
在籍中に、編集部員は1人1台のパソコンをもらえるというお達しが出て、小躍
りしたものだ。DOSだとEpsonの98互換機、MacだとSEを買ってもらえる。それ
まではMacintosh Plusを何人かで共有するといった具合だったので、環境は一
気によくなる。
会社としてもちょうど、電子編集に向けて動き出しているところだった。しか
し、日経パソコン編集部は、会社の流れに先立ってネットワークや電子メール
を導入し、今風に言えば「IT化」していたのである。
筆者が入社当時は、原稿は原稿用紙に手書きしていたが、ある時期から、テキ
ストをフロッピー入稿するようになる。その話は今回はさておき、あれこれあ
って、ともかくフロッピーで写植にまわすわけだ。ただ、いろいろワークフロ
ーの都合があったのだろう。表は手打ちだったのである。
出版系の人はよく理解できると思うが、表が並ぶような地味なページを仕上げ
るのって実に大変でつらい作業だ。読者のみなさんはざっと飛ばし読みするか
もしれないが、ほんとに大変なのだ。大変な割に出来上がりがとて~も地味な
ため、どっとつかれることもしばしばある。
あるとき、そういう仕事の担当になった。確か、各社のいろいろな製品を表に
まとめたディレクトリ的な記事で、10ページほど表が並びそうな感じだったと
いう記憶がある。
フロッピー入稿によって、何がいいかというと、写植会社の打ち間違いがなく
なることだ。当たり前だが、それは編集現場ではきわめて大きい。校正で写植
機での打ち間違いを拾うのは大変なのだ。他人の間違いは予想外なことがよく
あり、けっこう見つけられない。
また、がっさりと元原稿が消えているようなこともあって、さらに泣きを見る。
そうした作表レベルの作業もなんとかフロッピー入稿できないかと考えて、ふ
とFileMakerの利用を思いついた。検索はできなくても、ソートとテキスト出
力は問題ない…はずである。
●FileMakerで編集職場に一定の成果を出せた
そこで、こうしたワークフローをするために、少しレイアウトデザインも妥協
してくれないかと交渉したりなどして、ともかく出校できた。いちおう商業出
版だけに、それなりのデザインは必要だけど、単調になることを少し目をつむ
ってもらった記憶がある。
表と言っても2次元のものではなく、各ボックスに「会社名」「会社名」など
の見出しと内容が並ぶものだった。そうした見出しもフィールドに入れて、テ
キスト出力し、sedか何かで整形して入稿したと思う。もちろん、フィールド
には少しだけど、自分自身しか訳の分からないテキストをいくつか挿入して、
改行や特別な記号に置き換えるなど、あれこれ工夫をこらした。
結果、スムーズに作業ができた上に、写植の費用が何分の1かになったという
ことで、ともかくほめてもらえた。ディレクトリは製品ものだったので、アン
ケート用紙をメーカーから回収して、その入力をしながらだった記憶がある。
こういうアンケートってすぐには集まらないので、1枚、2枚と到着するごとに
FileMakerで入力作業をしながら、地道に仕上げていくこともできた。
FileMakerを使っているので、データの修正やあるいは入力、追加などはフォ
ームで行ない、暇を見つけてはデータ整理をしていて、入稿に備えていたのを
思い出す。
なぜ、Excelではないかというと、文章があったからだ。短いコメントのよう
な文章だけども、そういうデータは当時のExcelで扱うのはかなりつらいもの
だった。また、データの量も問題になりそうだったこともある。当時の表計算
ソフトはあまり大きなデータサイズになると、重くて使えなかった。
そういう背景で、そこにFileMakerがあったから使ってみたというわけだ。ま
だ、DTPなんてほんの一握りの人しかイメージしていない時代だったけど、小
さな一歩くらいは行っていたと思う。
●そこからビジネスにつながらなかったけども…
今だったら、XMLに出力して、InDesignだったら読み込んでスタイル割り当て
…ってことになるのだろうけど、当時の機能ではあれこれと反則技を繰り出す
ことになってしまう。それでも、最後までできるということが重要なのだ。
Nashobaの人たちは、FileMaker DevCon 2004の基調講演で、ビジネスを成功さ
せるポイントは「タイミングである」と話していた。彼らは、いいタイミング
でNutshellをリリースし、FileMakerをリリースした。だから成功したという
わけである。
筆者にとってのFileMaker入稿体験のタイミングはどうなんだろうか? 電子
化が効率化、コスト低下につながる点を体験した意味は非常に大きかったのは
確かだ。
ただ、電子出版やワークフローといった世界はまだまだ形成されていないため、
足がかりにしてそちらの世界には飛び込めなかった。その意味ではタイミング
的には前にずれていたのかもしれない。FileMakerが多くのユーザの注目を浴
びるという意味でブレークするのはもっと後でもある。
もちろん、ずっとFileMakerは使い続けていたわけだが、FileMakerのノウハウ
が仕事に結びつくのは遥かに後になってからだ。そんなこんなで、“そういえ
ば昔FileMakerでこんなことやったな”と思い出話ができるというのが、今現
在の自分にとっての成果なのかもしれない。だけど、いい思い出であることは
まぎれもない。
【にい・まさゆき】msyk@msyk.net
トレーナー、コンサルタント、デベロッパー、そしてライターと、あれこれこ
なすフリーランス。8月末のFileMaker DevCon 2004に続いて、英語漬けの2週
間に突入中。そんなときにも原稿を書いている…と思うかもしれないが、実は、
前回の記事が微妙に長くて、今回と2回にわたって掲載されたのでラッキーな
のだ。
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■ブックガイド&プレゼント
ノンストレス・WEBボタンデザイン
<http://www.socym.co.jp/pages/books_annai/pc_inet_1.html#web_button>
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著者:武田瑛夢
体裁:B5変型判/160頁 CD-ROM付き
発行:2004.10.25 ソシム刊
ISBN:4-88337-410-6
定価:1,890 円(本体1,800 円)
私たちが街で買い物をする時に、お店の入り口が自動ドアやオシャレなドアノ
ブ等で種類が違うように、WEBサイトの入り方もサイトごとに様々なアプロー
チがあります。WEBサイトでは、ユーザとサイトとの接点となる大切なドアが
「ボタン」。ボタンの役割をもう一度考えて、サイト使用時のストレスを解消
しましょう。
本書はPart1とPart2の2部構成で、Part1では「WEBナビゲーションとボタン」
の関係について他メディアとWEBデザインとの共通点をわかりやすいイラスト
を使って解説しています。ここではWEB実例画面やサンプルボタン、ボタンの
作り方の手順を紹介したHowtoページもあります。Part2では「ボタンでできる
ストレス回避対策」として、WEBのストレスになる要因をピックアップし、具
体的な改善例をサンプルWEB画面を使って解説しています。演出過多や演出不
足など、ユーザがストレスを感じる要因になっている演出/広告/色/画像/
文字の5つの過不足について、左右の画面で比較しています。
1册まるごとWEBのボタンについての解説。多数の各社サイトの掲載協力のおか
げで、オールカラーで画像満載の見やすい本になりました。サンプルボタン画
像データのCD-ROMがついています。
●本誌をソシム株式会社よりデジクリ読者2名様にプレゼント。
応募フォームをつかってください。締切は11月5日(金)14時。
当選者(都道府県、姓)はサイト上に11月中旬掲載予定です。
http://www.dgcr.com/present/20041029.html
■応募受付中のプレゼント
「ステイショナリー・ワンダーランド ~伊東屋の文房具たち~」
デジクリ1625号 写真を楽しむ生活485号 11月2日締切
「Web Designing 2004年11月号」デジクリ1626号 11月3日締切
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■編集後記(10/29)
・身内の自慢話になるが。息子が、勤めている会社の健康診断で、たった一人
オールAの快挙を達成したという。診断書を見たから間違いない。成人してか
らはうっとおしいだけの男だが(うっとおしいのは高校生くらいから、正直言
うと)、こういうのはとってもうれしい。同僚の中では、ファーストフードを
食べず、スナック菓子を食べず、甘い飲料を一切飲まないのでヘンに感心され
ているそうだ。以前ボクシングをやっていたから、甘い物は欲しくないらしい。
食事については、子どもをしっかりしつけた自信がある。幼児の時は、外食で
も食事にジュースなど絶対に与えなかったし、おやつも袋菓子を出したことは
なかった。できあいのおかずを出すことも少なかった。だから今、なにかとだ
らしのない娘だが、ほかの子がランチにジュースをつけてもらっても、わが子
には水かお茶を与えているし、おやつの出し方もまあ許せる。いちおう順調に
育ち上がった息子と娘だが、とりかえしのつかいない失敗がひとつある。ふた
りとも喫煙者になってしまったことだ。もう大人という年齢だったから、勝手
にしろバカ、と投げ出してしまったのがいま思うと残念でならない。(柴田)
・iTunes。出てすぐの頃はCDを入れても曲名が全然出なかった。入力して送信
していたけれど、こんな面倒なことばかりやってられないーと断念。いつまで
たっても終わらないもんね。今はたいていのものは曲名が出るから助かる。ほ
ぅ、これを送信してくれた人がいたのか、へぇ、と遠くにいる見知らぬ人に笑
顔を送る。英会話のCDでは、ちゃんと全センテンス分が入力されていて助かっ
た。きっと入力大変だっただろうなぁ。ある日本版CDだと「IMPORT」と出るの
はどうなのよ。外国の方も「輸入版」として日本版CDを聞いてくれているのね。
ちゃんと「Japanese」と入れてくれているCDもあるなぁ。うーむ、送信しなお
してやろうかなぁ。いまは、曲名が出ない時に面倒と思いつつ、なんだか心の
中でやったー!と思ってしまう。ゲームもiTunesみたいに一元管理できたらい
いのにねぇ。 (hammer.mule)
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編集長 柴田忠男
デスク 濱村和恵
アソシエーツ 神田敏晶
リニューアル 8月サンタ
アシスト 鴨田麻衣子
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