ついに踏まれた知床交会点
── GrowHair ──

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●快挙

日本の陸地にある39か所の交会点で、最後の最後まで到達されずに残っていた北緯44°東経145°の地点が、1月9日、二人の日本人男性によって、ついに踏まれた。高柳氏と金子氏は明治大学在学時代の山岳部の先輩後輩だという。

スノーシューズで膝ぐらいまで潜る雪の上を歩いて登り、烈風吹きすさぶ稜線を進み、雪崩や滑落の危険性もあろうかという急斜面を標高差にして50メートルほど下っての到達である。快挙である。

到達記の中で高柳氏は、サンテグジュペリの一節「大切なものは目には見えないんだよ」を引用して、目には見えない大切な何かを掴み取った喜びを記している。

オホーツク海の波の音を背にして登り、眼下には巨大な湖が凍結しているのを見下ろし、真っ白な山々の神々しい姿に打たれ、とある。写真はその美しさをよく見せてくれている。木々は白く化粧し、凍結した湖は真っ白な平面をなし、その向こうにはオホーツク海が深い青色に広がる。


●日本一到達困難な交会点

この快挙を私が知ったのは1月15日のことである。ふと気になって交会点到達プロジェクトのウェブサイトへ行ってみたら、難攻不落の知床が攻め落とされていた。前日に到達記が掲載されたばかりであった。

以前にも書いたが、ここの交会点は二度のアプローチが退けられている。夏にアプローチを試みた人は、密な植生に阻まれて全く足を踏み入れられず。雪深い3月にスキーでのアプローチを試みた人は、雪上にキャンプを張って一日半歩いたけれども、わずか6.7kmの行程のうち半分も進めず。三度目の正直と言うけれど、今回、鍛えの入った二氏はスノーシューズで6時間歩いて到達している。そして、その日のうちに帰還している。

このゲームは早い者勝ちのようであって、また遅い者勝ちでもある。難易度の高いところが最後まで到達されずに残るので、ひとつの国なり地域なりの最後の一か所を最初に制覇した者が一番高い栄誉を手にすると言ってよいだろう。

●祝福

メールアドレスを公開している高柳氏に、早速、祝福のメールを送った。翌日、返事をいただいた。お礼の言葉に続いて、今回の到達に至った経緯が書かれて
いた。

<ここから引用>
このプロジェクトのことは、昨年の12月の終わり、登山の雑誌「山と渓谷」の2005年1月号の「夢の山行プラン」という特集記事で知りました。その時点で日本の陸地で残る交会点はすでにあとひとつになっていました。しかも日高と知床は大好きな場所でもありました。他の人も狙っているようで、居ても立ってもいられなくなりました。年末年始にでもアタックしようと思っていたのですが、過去の経験上、この時期は雪が少なく、しかも状態がよくないので先延ばしにしました。そしてチャレンジの末、到達できました。遠音別岳にも登頂したかったのですが欲張るのはよくないと引き返した次第です。
<ここまで引用>

単にゲームに勝つという射幸心からではなく、その地に相当の思いがあって行ったのだというところが、嬉しくなった。この栄誉がそれを手にするに価する人によって獲得された、と思えたのである。

●高柳氏が見てきたもの

そもそも、こういうプロジェクトのことを聞いて居ても立ってもいられなくなるタイプの人たちには、共通する感性の波長というのがあるのかもしれない。高柳氏のホームページを眺めいて、大いに共振するものがあった。

登山だけでなく、鉄道の廃線跡歩きや古い切符集めという趣味もあって、これがまた、よい。そこには、自然そのものや人々の生活に結びついた古いもの、あるいは役目を終えて忘れ去られつつあるものを慈しむ心が見てとれる。時として、よきものを無神経に叩き壊して上書きしていく開拓精神や、そこから生じる場違いに無機質な人工の建造物への悲鳴や敵意も。

写真がまた、すばらしい。目のつけどころが渋いのだ。

広い野原に一軒だけ孤立する廃屋。屋根は半分くらい抜け落ち、窓に打ち付けられたトタン板は錆びているが、とにかく立っている。何十年そこにあるのだろう。

雪が降り積もり、誰も訪れない冬の遊園地。

役目を終えてただ放置されている一両のディーゼルカー。肌色の地に窓の周辺が朱色の急行用旧型車両。塗装はひび割れてめくれ上がり、錆びた地肌が所々露出している。雨水が伝ったであろう線に沿って、錆の縦線が幾条もついている。それでいて床下の機器は傷みがみられず、ひとたび「起きろ」と号令がかかれば、重そうなエンジンが軽く回るときのあのガラガラガラガラという音を今にも立てはじめそう。

生い茂る草の葉っぱ。どれもこれも元々の輪郭線が全く分からないくらいに食い荒されている。そこにのさばるのは3匹の毛虫。タイトルは「コギャル」。うっそ~。

一日にたったの一往復しか列車が来ない楓駅の横を、何十本もの特急が通りすぎる。

真夏の沖縄の空に飛行機。
キャプションにいわく「夏の空に外来種の蝿が一匹」。

熊笹の大きな葉っぱを横切る形で7個ばかりのパンチ穴を空けた虫を「芸術家」と賞賛。

道路標識に「牛横断注意」とあるが、あたりは一面の雪の平原。草を食む牛の姿を見るには、想像力を働かせないと。

交差点の信号機。赤、黄、緑と縦に並ぶ。キャプションには道元の逸話。道元が宋に渡って学び、日本に帰ってきて、ある人がこう尋ねた「あなたは宋まで行って何を学びましたか」。道元いわく「眼は横に鼻は縦についている」ことだと。その尋ねた人は「あなたはそんなことを学びに行ったのですか」と笑ったそうである。なんと愚かな。

これらの写真を眺めていると、なんだかたまらない気持ちになって、あーっと声を絞り出して悶えてしまいそうである。

●見えないものが見える人と見えない人と

こういうことは語りすぎるとかえって野暮かもしれないが。
分かる人と分からない人がいるんだろうなぁ。

12月に出張で初めて台湾に行った。台北は都会なのにもうどっちを向いても異国情緒たっぷりで、すばらしかった。特に印象に焼きついたのは、車道まで張り出して建っている建物の一階部分が歩道と商店街になっているのだが、それを支える四角い柱の外装のタイルがぼろぼろと剥がれ落ちていたこと。

それと、道ばたの赤い消火栓がホコリをかぶって白っぽく煤けて見えていたこと。それが何だか美しく感じられた。生活感が表れていて、自分にとっては異国でありながら、もう何年も住んできたような親しみをおぼえる。

それを地元の駐在さんに言ったら、「半導体で急成長したとは言いながら、台湾にはまだまだお金がなくてね」ときた。ありゃりゃ。褒めたつもりがけなしたと受け取られちゃったよ。「いやいやそういうことではなくて」と説明しようかとも思ったが、伝えるのが不可能なような気がして、面倒になって黙ってしまった。

映画「千と千尋の神隠し」が封切られた2001年の暮のこと。コミケで千尋のコスのコを撮らせてもらった。京都で日本画を専攻する美大生。その後何回かメールをやりとりした。いわく「私も千と千尋はもぅアタマおかしいんじゃないかってくらい好きスギで、周りの友人らにはその勢いにヒかれたりしております(苦笑)」。映画は10回も見たそうである。作品やキャラへの「好きで好きでたまらない」という思いが突っ走ってするのがコスプレの心であることを気づかされた。

また別のコスプレイヤーから去年のクリスマス前にもらったメールも、本人は「悩んでいる」と言っているけど、ゆずってほしいくらい、いい感性だ。

<ここから引用>
季節柄、街はイルミネーションが綺麗なわけで友達がめちゃ感動してたけど、私はダメなんですよ。たとえ恋人がロマンチックだからとデートで見せてくれても、すごいねーと口だけでしか言えない。女としてこれってどうなのかと悩みました(笑)。昨日もイルミネーションが綺麗なことよりそれを取り囲む建物に気を向けてしまいました。イルミネーションはただの電飾飾って電気トオシただけやんと、かなり冷めてる自分。虚しい人間だわ…女として可愛げもないなぁ (;_;)
<ここまで引用>

いいぞ、いいぞ。これがもし、何を見ても心が動かない、というのでは確かに虚しいかもしれないけど。そうではないのだ。美大を出ていて、いい絵を描くのだ。心の底の方にある、暗~い部屋の、さらに奥へと通じる重い扉を開けてみると、その向こうには地獄が垣間見えた、みたいな。最近のメールでは「寫眞館ゼラチン」に気が引かれると言っていた。

そうだ、彼女には上と同じ台湾の話をしたら、ちゃんと受け取ってもらえたぞ。ほれほれ。やっぱり分かる人には分かるのだ。

●ネットワーク

交会点どうしが互いに緯線と経線で結ばれて網の目をなすように、共通の感性の波長を持った人たちがネットワークでつながっていく。

●付記

高柳氏のホームページ:
http://homepage3.nifty.com/hidaka/


知床の交会点の到達記録のページ:
http://confluence.org/confluence.php?lat=44&lon=145


【GrowHair】GrowHair@yahoo.co.jp
高柳氏の言うには、雑誌「山と渓谷」はいわゆる山屋にとっては軟派系に属するのだそうだ。す、すごい感覚の相違! 私の基準で軟派系の雑誌といったら、KERAとかなんだけどなー。
http://www.indexmag.co.jp/kera/


たまにコスプレイヤーから「KERAに載ったので見て下さい~」とメールをもらう。本屋で手にとってカウンターに持っていくことに最近は抵抗がなくなってきた。42歳、サラリーマン。
http://i.am/GrowHair/