Otaku ワールドへようこそ![1]やる気の表明
── GrowHair ──

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今回からレギュラーとして隔週で書くことになりました。よろしくお願いします。(以下はデアル調でいきますです)

●まずは軽く自己紹介

といきたいところだが、苦手なんである、自己紹介。自分のことはいつも棚に上げてるもんだから、改めて自分を特徴づけるものは何か、なんて考えてみると「なんもねーよ、駄目だぁ」とヘコんでしまうのである。


●駄目ライター

そもそも私はクリエイターでも何でもなく、一介のサラリーマンにすぎない。それも感性がものを言うクリエイター的なお仕事とはおよそ縁のないエンジニア。昭和63年入社以来一つ所に勤めているので、勤続年数が平成の年数と一致する。寄らば大樹の陰。クリエイターの対極みたいな身分である。デジクリに書く資格、あるんかいな。柴田編集長、やっぱり降ろして下さい。

●駄目サラリーマン

じゃあサラリーマンとしてならしっかりやっているのかと言えば、これがまた全然駄目で。

一般的に言って、仕事というものは、やる気と能力のある人のところに集まってくるという性質がある。

だから、さぼろうと思ったら、見せないことである。まあ、能力の方はない袖は振れないので心配要らないが、やる気の方は会社では極力温存している。ある日曜日、私が趣味としてコスプレ写真を撮るところを見に来た同僚がいて、「あんな真剣な姿、見たことなかった」と感心していた。

にもかかわらず、けっこう仕事が回ってくるので、最近はもっと積極的に、やる気のなさをアピールしている。

ただし、クビになっては元も子もないので、最低ラインの働きだけはするように心がけている。落ちない程度に低空飛行。

人間、いざそろそろお迎えが来ようかという段になって、もっと仕事しときゃよかった、なんて後悔する奴ぁ、あんまりいないと思うけど。それにしちゃ、みんなよく働くよね。楽しいのかな? おじさんたち、がんばってね♪

●駄目人間

生きる上でのポリシーは、ポリシーなしに生きることである。成り行きまかせ。

それではいけない、人生は目標を持たねばならぬ、とおっしゃる方がいるかもしれない。目標に向かって努力するからこそ進歩があり、人生が充実するのだ、と。お説はごもっともなのだが、そういう高尚な話は、私の体を素通りしてしまう。

だけど正直に言うと、自分のこのポリシー、いや、ポリシーのなさ、いやいや、ポリシーのなさというポリシーを密かに誇りに思っている。

成り行きまかせに生きていると、平々凡々たる生活に埋没してしまうかと言えば、案外にそうでもないのである。例えば、人に薦められた本は(主として漫画だが)できるだけ読んでみる。その方面には興味ないなぁと思っても、この人が面白いと言うのならば、きっと私の知らない面白さがあるのだろう、そう思うと、やはり読んでみずにはいられなくなる。本に限らず、何かを見るのも、どこかへ行くのも、何かをやってみるのも然り。

そうするうちに、やりたいことが急速に膨れ上がっていき、やれることが追いつかなくなってくる。そういうところに心の若さがあるのではないかとちょっとばかり自負の気持ちがある。

●駄目人生

そうやって生きていると、人生どんなふうになるか。そのおちゃらけぶりを振り返ってみる。

小学生の頃は、給食の時間に級友をいいタイミングで笑わせて牛乳を吹かせるのが得意だった。それがなぜか大学では数学を専攻。自分にはこれ以外に考えられない、と迷わず進んだものの、あっという間に難しさについていけなくなって、嫌気がさす。

あの頃走りだったコンピュータグラフィクス(CG)に興味が傾いた。何しろ、洋々たる可能性だけあって実質的には何もない時代だったから、ちょっとしたプログラムを書いて幾何学模様なんかを描いてみせれば、皆がおおっ、と感心した。今でこそCGは美少女とほぼ同義語になっているが、あの頃は美少女の片鱗もなかった。ゼミの教授が寛大で、卒業論文の代わりに幾何学模様の卒業制作で通してくれた。修士課程もその調子。

就職してからはCGでは食えないとみて、画像処理を希望。かなえられてそれなりに幸せな日々を過ごすも、調子こいてデキない上司を小馬鹿にしていたら、斜陽部門に左遷された。

やる気をすっかり失くして趣味の世界へ逃避。画像の世界から離れ難い思いで、みずからカメラを抱えて街へ。折りしも世紀末にさしかかり、その時代を代表するような題材を探し求めるうちに、原宿を「発見」。ビジュアル系ロックバンドのコスチュームでたむろするお姉さんたちを撮りまくることに人生の意義を見出す。

その中の一人は高取英氏率いる月蝕歌劇団の団員で、誘われてお芝居の晴れ姿を見に行った。思いがけない方へ世界が広がり、成り行きまかせの人生のすばらしさを実感。残念ながら、その方はほどなく退団し、私もお芝居への興味は何となくしぼんでしまったが。

ビジュアル系コスの人たちの中にはアニメ系コスに流れる人たちも多くいて、後にくっついてコミケに足を踏み入れた。人の多さにまず驚愕。以降のことはこれから追い追い語っていきましょう。

●情報のセグメンテーション化傾向

最近の時代的傾向として、情報がセグメンテーション化されつつあるな、と思
う。

例えば、1970年代の歌謡曲でキャンディーズやピンクレディーが流行れば日本国民で知らない人はいないと思われるほどの勢いだった。レコードは、ごく一部の人が買うことにより、百万枚売れた。ところが最近は、CDが百万枚売れたからといって、それはひとつの世代のコアなファンたちが全員買うからであって、世の中全般にはあまり知られていなかったりする。

コスプレの世界で「ちょびっツ」の「ちぃ」や「ファイナルファンタジー」の「ユウナ」を知らなければモグリである。それくらい定番中の定番だ。ところが、外の世界には案外と知られていない。

ということは、ある閉じた世界で常識とされていることを、外の世界に放り投げてみせることで、へぇー、そんな世界があったんだー、と驚きをもって迎えられることが多々ありそうである。

オタク文化をテーマにしようと思う。

漫画、アニメ、ゲームを核として、コスプレ、フィギュア、同人誌、声優コンサート、メイド喫茶、等々へと広がりをみせている、ポップなカルチャーについて語っていきたい。

ところで表記について。おたく評論家の大塚英志氏は著書「おたくの精神史」にも述べられているように、ひらがなの「おたく」にこだわっている。一般的には、最近は「オタク」とカタカナ表記が多くなってきている。

私も本文では「オタク」で行こうと考えているが、タイトルではあえて"Otaku"とした。これは、「オタク」という言葉の意味が多様化してきて、否定的なニュアンスを含む場合もあるので、一度そういう多様性をご破算にして、ポップなカルチャーに(作り手にせよ受け手にせよ)何らかの形で関わりをもつ人々を指す、価値判断を抜きにしたニュートラルな言葉として"Otaku"と表現したい。

Otakuとは何か、というあたりからして次回以降にゆずることにして、そんなところをつらつらと書いていきたい。それだけだと3.76回ぐらいでネタが尽きてしまいそうなので、あっちゃこっちゃに話が寄り道するかもしれない。

面白そう、と思われた方、次回以降をお楽しみに。何じゃそりゃー、俺の方がマシなこと書けるぞー、と思われた方、交代しませんか?

【GrowHair】GrowHair@yahoo.co.jp
目下の心配事は、安アパートの床が抜けないかということ。「只今、大量のメイド本を除去して救出にあたっています」なーんて中継された日にゃ、生きていけんぞ。
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▼「やる気の表明」らしからぬ表明ですが、これも芸のうち。連載は、隔週の金曜日になります。なぜ、木曜日に現れたのかというと、レギュラーの茂田さんがダウンしたため緊急出動です。本日の編集後記にも関係あり。(柴田)