Otaku ワールドへようこそ![18]メリークリスマス
── GrowHair ──

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毎年この時期になると悩むことがある。若いころに遡って話を始めないとならないのだが、ちょいと身の上話なんぞ、させて下さい。

10代後半から20代の間ずっと、自分の内部から聞こえてくる声があった。「お前は30歳まで生きられないからな、やりたいことがあったら今のうちにやっとけよ」。何だかよく分からないが、そういうこともあるのかな、と頭の片隅で意識しつつ生きてきた。

実際には何事もなく、拍子抜けの30歳を迎えた。その直後、実は性質の悪い病気に感染していることが判明した。慢性C型肝炎である。中学1年のときに血小板減少性紫斑病というのをやっていて、それでかなりの量の輸血を受けた。

あのころはまだC型肝炎ウィルスHCVというのは発見されておらず、何かありそうだということで非A非Bと呼ばれていたが、チェックのしようもなく、感染血液が使われていた。

この病気は、まったく自覚症状のない潜伏期が10年以上続き、黄疸や疲労感などの症状が現れたときにはもう相当ひどくなっている。私の場合は風邪か何かで不調のときにいちおう検査してみて判明したので、肝硬変に至る手前の線維症の状態であった。自覚症状はないことになっているが、何となく、内部から警告信号が発せられていたものらしい。「やられとるぞ」と。


インターフェロンという薬を数ヶ月にわたり80本注射する治療が施された。発熱、吐き気、脱毛、鬱などの副作用に悩まされたが、これが効いて完全治癒する確率は半々だった。もし効かないと、後は進行を遅らせる治療しか残っていない(10年前の話)。

幸いにも治療は功を奏し、血液1ミリリットル中に数万匹いたHCVはすべて消滅した。

こういう経験をすると、自分は何か大きなものに生かされている、という感覚をもつもののようである。だって、同じ境遇にあった人、おそらく数十万人かそれ以上は肝硬変から肝癌になって死んでいったのである。どうして自分がこっち側に転がることが許されたのか、考えないわけにはいかない。「俺にいったい何をしろと言うのだ」。

考えると心苦しいが、大してできることはない。下妻物語のイチコの台詞ではないが、「返せねえよ、でっかすぎて」。本来は輸血を受けた人は全快したら献血で返すのが筋なのだが、肝炎の場合はそれができない。どうしたもんかと考えたが、私の場合、割と大きめの会社に勤めているので、鼠小僧よろしく給料泥棒を張って、慈善団体に回すぐらいがせいぜいかな。本当はボランティア団体にでも入って労力を提供したほうが貴いような気もするが、今の立場を利用した社会還元のしかたというのも許されるのではないか。

で、毎年この時期に悩むというのはその金額である。相場ってあるのだろうか。もちろんこういうのは気持ちが大事であって、金額の多寡の問題ではない。だけど、自分の生活にとって痛くも痒くもない程度の額を出して、いいことをしたような気分に浸っているというのも、なんか刺さるものを感じるし。

それと。ひところ「世界を100人の村にたとえると」というのが話題になったが、確か大学を出ているのはひとりぐらいではなかったか。世界的にみればほんのひとつまみの最高水準の生活をしている人たちがどれほどの幸福感を味わっているのかと思えば、よその会社よりも給料が安いだの、いい車に乗れないだの、不平不満たらたらというのもどうかと思う。今、自分がここにこうしてあることに感謝の気持ちは忘れたくない。誰に対してというのではなく、みんなに。

さらに。私自身のこの一年を振り返ってみると「絶好調」と言ってもよいほどであった。仕事の出来栄えだけはともかく。新鮮な出来事がいろいろあった。神秘主義者ではないのだが、左手の薬指にはめた「誓いの薔薇の指輪」のパワーかいな、とさえ思えてくる。

そんなことをあれやこれやと鑑みて、今年は百万円に決定。月曜の朝、郵便局から赤十字の「海外たすけあい」に振り込んできた。こういうとき、独り身はいい。もし脳内妻ではなく3次元のリアルカミサンがいたら、ひと悶着は避けられなかっただろう。

しかし。こういうことは、どんなに理屈をこねてみても、人に言った瞬間にどうにも偽善っぽくなるのは避けられないもので、やっぱり言うべきではなかったかな、とも思うのだが、まあどう受け取られてもいいやということで。いやらしいついでに本心をもう少し言うと、これを読んだ方々の中に、もし献血や寄付をして下さる方がいたら、私の無力感が少し和らいで嬉しいかな、と。

私なんぞがひとりでじたばたしてみたところで、焼け石に水。世界中で多くの人が直面している貧困、飢餓、病苦、紛争などの苦難がこれっぽっちの貢献でどうにかなるものではない。だけど、そういうのを切り捨てて、各自が競争原理に基づいて自己責任において自分の幸福だけを追求する社会というのも、なんだかむずむずする。凶悪犯罪が目立ち、人々がお互い疑心暗鬼になって暮らす社会というのも、なんだか冷たく暗い。

かといって、みんなが幸せな気持ちでクリスマスを迎えられますように、なんて言ってみたところで、まるっきり現実味のない、絶望的なまでに楽観的な祈りとしか響かない。それでも何かの拍子にせめてほんの一瞬だけでもほっと一息つかせてくれるような空気が世の中を暖めてくれることがあってもいいのではないか、それくらいのささやかな奇跡はあってもいいのではないか、とは思う。

とてつもない絶望の中にささやかな希望を込めて「メリークリスマス」。

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カメコ。テレビ収録はいろいろあったけど、おおむね成功のうちに全日程を終了しました。ロケ地や内容もこちらの希望がほぼ全面的に通った形で。詳しくお伝えするのは来年に...。
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