[1955] 残酷な月

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【日刊デジタルクリエイターズ】 No.1955    2006/04/11.Tue.14:00発行
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          <明るい笑顔の人たちが増えた>          

■デジタルサウンズ研究室 
 残酷な月
 モモヨ(リザード)

■電網悠語:Ridual内面・展開編[110]
 街路
 三井英樹
 
■デジクリトーク
 水先案内人
 南部秀則



■デジタルサウンズ研究室 
残酷な月

モモヨ(リザード)
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四月は残酷な月と謳った有名な詩作品がある。エリオットの『荒野』だ。この
詩のよい読者といえぬ私にとって、この冒頭のパッセージこそが『荒野』で
あった。

かつて個人的な不幸がこの月にあった。以来、雨のそぼふる最中、町に充満す
る土の匂いと花をつけた路傍の雑草、露草の紫が目に染みるまま町を彷徨し、
胸一杯に追悼の思いを抱きしめた春があった。

そんな個人的な経験からさまざまな思いがこのフレーズから響きだすからだ。

そのエコーは、ついにリフレインと化してしまっているが、こうなると、もは
やエリオットも何もない。それでも、私は、私のこのレクイエムめいた感覚は
エリオット由来のものである、と勝手に思い込んでいる。

まあ、詩のみならず、あらゆる芸術作品の享受とは、こんなものかもしれない。

作者の意図と裏腹に、見知らぬ個人が作品を手前勝手に理解していることは多
かろう。それでも、自己の発した情報に命を吹き込み、それを人生に生かして
くれているのであれば、それはある意味で作者にとって願わしいことである。
と、みずから音楽作品を世に出してきた私などは思うのであるが、だからとい
って、それで『荒野』の《私物化》を合理化するつもりは、さらさらない。

が、身勝手なことは承知で、私は、露草のにおい、タンポポが芽吹く直前の生
命力のこもった大地に、ある残酷な事象を見、それで「四月は残酷な月」など
と嘯(うそぶ)くのである。

実際のところ、ここ幾年かは、子供達の出会いと別れの春、という見かたが、
親の私にも伝染して、彼等の新学期の準備を手伝うなどするうちに、この残酷
な季節を行き終えてしまっている。これに先立つ開花、散花すら享受できてい
ない。それゆえなのか、妙に健康的な春を生きているような気がする。さすれ
ば、手間をかけてくれた子供達には、その点で感謝すべきなのであろう。

学校指定のノート類を買いそろえ、足りない鉛筆、クレヨンをチェックして補
充、記名する。また、学校に改めて提出する書類も多い。下世話な話だが、つ
い先日確定申告を終えたばかりの身には、けっこうこれが辛い。やっと楽にな
れたと思っていたところだから、よけいにきついのだ。

ということで、結局、今年も春を満足に享受できなかったといってボヤクわけ
だが、ひるがえって考えると、これは幸福の証でもあろう。人間、世の中に生
をうながされるうちが花である。

モモヨ(リザード)管原保雄
<http://www.babylonic.com>

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■電網悠語:Ridual内面・展開編[110]
街路

三井英樹
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職場が変わったので、最近電車に乗っている時間が増えた。なかなか疲れが抜
けない働き方をしているので、ぼーっと外や人を眺めて時間をやり過ごす。

ここ数年、ネットの中の自分に響く部分だけに没頭して来た。それで良いと思
いつつ、孤立した流れに入って行くことを、どこか恐れていた。自分のネット
の使い方が、一般性を失なっては、多分ネットコンサル的な働きはできなくな
る。自分の使い方を絶対視するなら、それは押し売りだから。

街路を行き来する人達を眺めながら、何か置き忘れてきたものがあるような思
いにさせられる。そうか、こういう生活が基盤なんだという、今更気が付いた
のかと言われそうなこと。

                 ●

電車の中。ケータイに没頭する人たち。ゲームをする人、メールを読み書きす
る人。声に出してキャーキャー騒ぐ女子学生。ヘッドホンから耳に過度な負担
をかけつつ、回りにも迷惑を垂れ流す若者。女性の裸身を外側に向けて、ス
ポーツ新聞に没頭する紳士たち。

画一的に何が正しいとか言い出す気はしない。昔からある風景、見慣れた情景、
当たり前の生活。雑然としつつも、何かしら秩序がある。多少の不自然さをは
らみつつ、それでもどこか安心感のある空気。

どれも、もはやネットに完全に無関係ではないけれど、PC系Webとは距離があ
りそうだ。自分がメインにしてきた分野の小ささを思い知る。どんな素晴らし
いサイトや、革新的なユーザインターフェース(UI)を作っても、彼らが目を
輝かせて話すことはない話題なのだろう。

                 ●

駅の売店で、誰かが何かを買っている。顔見知りなんだろうか、会釈もするし、
笑顔も見える。毎日通る、この場所で、多少の会話と共に、購買と息抜きが同
時に進められている。

コムツカシく状況分析をするのは悪い職業病だ。でも、羨ましい。モノを売る
際に、あんな風にできたなら。検索性能やユーザビリティとか、関係ない。少
し年いったオバちゃんの笑顔に、勝てると思えない要素がある。

ビジュアル的視点から、売店のオバちゃんをそのままWebのUIにする時代は多
分来ないだろう。別に美人でないと言っている訳ではない。電車の発車間際の
きわどいタイミングでも、商品とお金とお釣りを手渡してくれる安心感に勝る
機能はない。でもそれが伝わるUIをデザインできると思えない。今は。

                 ●
                 
東京の外側をぐるっと囲むような周回コースなので、気分は遠足の方々もいる。
電車から山や川が見える。写真でもモニター越しでもない、ホンモノの風景の
中で、目を輝かせている幼児と、腰をかがめて家庭サービスしているお父さん
もいる。

興奮して走り出しそうな子供を必死で制するお父さんと、嬉しそうにそれを見
つめる荷物係のお母さん。十年前の我家とそっくり。電車に乗っても、子供独
特の甲高い声が、嬉しさとケタタマシさを放ってる。

少子化対策に、お金をばら撒くことが解答でない事を更に思う。お金があるか
ら子育てするのではない。したくなるのでもない。子供と一緒にいて楽しいと
思えることが、モティベーションなんだろう。

そうした楽しさ自体を提供することはできないかもしれないけれど、本来の楽
しさに専念しやすくすることは、情報のパイプがお手伝いできるかもしれない。

どこで乗り換えれば楽なのか、何両目が乗り次が楽なのか、どの時間帯が適切
か、何を予め用意しておけば便利なのか。今よりもっと気軽に調べられたら、
どれくらい喜んでくれるだろうか。

                 ●

ケータイをめぐる風景も変わってきた。相変わらず、街中で大声で歩きながら
話す輩や、職場ですらウロウロしてしか話すことができない方々、駅の自動改
札の手前で突然立ち止まって電話しだす人達。相変わらず迷惑な場面は多いけ
れど、街行く人たちの表情はこの十年で大きく変わっている。

無表情に職場に向かう朝のラッシュアワーですら、どことなく昔とは違ってい
る気がする。明るい笑顔の人たちが増えた。まるで自宅でくつろいでいるかの
ような話し方と笑顔が、街のいたるところで見られるようになった。ケータイ
の存在は大きい。

暗い無表情が国民性であるかのように言われていたのが嘘のようだ。皆な、こ
んなにもお話したかったのか、と驚く。そして、どこでもコミュニケーション
できることが、何をもたらすのか預言されているかのようにも思う。

                 ●

ネットが一般化してき始めて十年。少し前までは、今までできなかったことを、
Webで実現することに注力してきた。今まで特別な場所からしかアクセスが許
されなかったことを、Webはその時間と空間において開放してきた。

でも、ケータイが短期間に達成してきたように、多分気持ちを伝えることが主
たる機能に変わっていくんだろう。できなかったことを、できるようにするだ
けではない。我慢してやってきたことを、気持ちよく終わらせることができる
ようにする。

眩しい春の陽の光の中、色々な表情の方々を見ながら、まだまだやれることが
山済みなのを実感する。そして、ネットがその技術力の部分から脚光を浴びて
きた時代は終わり、着実なインフラとしての使命を帯びてきていることも、実
感する。

技術が主役だった時代から、人が主役の時代へ。「あったら便利」な時代から、
「なくては辛い」時代へ。この基盤を守りたい、良くしたい。裏方としての
「やり甲斐」が膨らんでくる。

【みつい・ひでき】 mit_dgcr@yahoo.co.jp / ridual@nri.co.jp
転職、怒涛の一週間でした。疲れました。
<http://www.2ndfactory.com/>

・Ridual(XMLベースのWebサイト構築ツール)公式サイト
<http://www.ridual.jp/>
・超個人的育児サイト(書籍は絶版中)
<http://homepage3.nifty.com/mitmix/MilkAge/>
・Webデザイン エンジニアリング
<http://itpro.nikkeibp.co.jp/article/COLUMN/20060309/232107/>

■Creator's Table Vol.4(富士ゼロックス+デジタルクリエイターズ)
デザイナーが本当に聞きたい「Webの話」
講師:茂田カツノリ、石原強、三井英樹
4月28日(金)開催決定 定員50名(先着順)
参加申し込み受付は → <http://www.dgcr.com/>

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■デジクリトーク
水先案内人

南部秀則
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デザイン会社にいた若かりし頃。私が机に向かってイラストを描いていたら、
そばで見ていたコピーライターの女性がこう言った。

「イラストはイイわよね。みんなに見てもらえて……。」
「…え?」

その時、私はその意味が分からなかった。でも、描きながらその事を考えてい
るウチに、その人が何を言いたかったのか、なんとなく分るような気がしてき
た。画像は「見る」だけで済むけれど、文字は「読む」というプロセスが必要。

タイトルなどの大きな文字は読んでもらえるけれど。やはり細かい本文の文字
は、「読もう」という気になってもらわないと読んでもらえない。

もしかしたら、そんな事を言いたかったんじゃないだろうか……。そしてその
時に、自分はイラストの役割を知ったような気がする。

書店に平積みされている単行本を何となく見ている時。タイトルと一緒に、や
はり表紙の絵や写真が目に入る。そこに惹かれるものを感じた時、初めてその
本を手に取るのではないだろうか。

雑誌をパラッと開く。その時まず目に飛込んでくるのは、絵や写真等のビジュ
アルだろう。そしてタイトルを読み、面白そうだと感じた時、本文の細かい文
字を読もうという気になる。

そう考えると、ビジュアルというのは一種の水先案内人のような気がする。そ
の本を手に取ってもらう。そして本を開き、肝心の中身を読んでもらうための。

リレー競技でも、バトンをスムーズに受け渡すのは重要な要素。同じように、
いかにスムーズに本文にバトンを渡すかが役目のような気がする。

カットイラストの場合、その文章に即した絵が求められる。どんな内容なのか
が一目で分かるように。

ただ、全部を説明してしまってはいけないとも思っている。本文を読む前に、
絵を見ただけで分ったような気がしてしまうから。

たとえば、話しの途中でやめられたら気になるでしょ?
「ちょっとぉ、言い出したんなら最後まで言ってよ。」みたいな。

それと同じで、「え? どういう意味なんだろう。」と、ちょっとだけナゾを
残しておく。そして、その答えを本文の中で探してもらう…。

なんて、それはあくまでも理想的なパターン。現実は、そんなに甘くはないん
だけれど。

それだからこそ、上手くバトンが渡せたと思えた時。そんな時は、一人ひそか
にニンマリしている自分がいる。

旅人を無事目的地に送り届け、その背中を見送りながら、案内人がゆっくりと
煙草をくゆらせるように。

【南部秀則/イラストレーター】
思いつくままに綴ってみましたが、それは文章を読まなければ挿し絵が描けな
いという事でもあって。おかげで、面白いものをいっぱい読ませてもらったよ
うな気がします。そしてそれは、とってもありがたいことだったのかも……。
そう思うこの頃です。
HP <http://homepage3.nifty.com/tobira/index.html>
Blog <http://nitijo.cocolog-nifty.com/zakki/>


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■編集後記(4/11)
・先日、「東京アートミュージアム」のサイトの使い勝手の悪さを書いたが
(同意のメール少なからずあり)、じつはよく似たテイストのサイトが大分前
から存在していて、かつてちょっと文句をつけたことがあった。港区高輪の
「再春館ギャラリー」である。トップはフル画面の6/12くらいのスペースが緑
地でそこに挨拶がある。結局、最後までその小さ過ぎる面積で押し通す。画面
半分を占めるホワイトスペースの意味はなんだ? クリックすると現在および
次の写真展情報が出る。広いホワイトスペースで、写真も文字も小さいうえに
網がかかっているから、ものすごく読みにくい。しかも、写真展の内容解説の
テキストは勝手に上に向かってスクロールしている。落ち着いて読めやしない。
どうやって止めるんだ。クリックしても望むようには止まってくれない。小さ
な写真をクリックすると、写真3点とテキストのページに飛ぶ。そこにある薄
くて小さな行間なしの文字のかたまりが、先ほどの動くテキストだ。止まって
いても読みにくい。写真をクリックすると、普通はぐぐぐっと大きく見せてく
れるものだが、ここではせいぜい名刺くらいのサイズにしかならず、拡大効果
はあまりない。EXHIBITION、SCHEDULE、なんていう小さな小さな表示をクリッ
クするとなにやらもったいぶった出方をする情報はとにかく小さい。ACCESSは、
地図上の要所要所にあるポイントをクリックすると、そこのようすが写真で慌
ただしく出てくる。12回クリックしないと着かない。イージーアクセスで7回。
わー、めんどうくさい。地図見れば一発で行けるのではないか、無駄な細工だ。
最後のINFORMATIONで、このサイトをデザインしたのが「東京アートミュージ
アム」のと同じ会社だとわかった。再春館って、あの再春館だろう。「人が年
齢を重ねることで生じる悩みや苦しみを和らげたい」という願いの実現を目指
す、とかいう会社だろう。この読みにくさは、年齢を重ねた人にちっともやさ
しくないサイトと思うんだがなあ。               (柴田)
<http://www.saishun-g.com/>

・CSで料理番組やリビング番組を録画。たまったのを見ようとしたら英語。録
画登録時にミスったようだ。ながら用BGMにはならず。が、マーサ・スチュワ
ートをはじめとした人たちの英語ってわかりやすい。簡単な英語をゆっくり、
はきはき話してくれるのだ。使われる単語は少ないし、外来語になっているも
のも多い。手順の説明に使う文法は基礎的なものだからリスニングの勉強にな
るかも。ま、意味はわかっても画面見なきゃ、作らなきゃ、その料理は習得で
きないのだと反省しつつ。アメリカやイギリスの家庭料理番組は見た目美味し
そうなんだけど、大味なのかなぁなんて思ってしまい、あまり作る気がしない。
日本の番組の方が、味や多様性ではいいんじゃないかなぁ。 (hammer.mule)

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編集長     柴田忠男 
デスク     濱村和恵 
アソシエーツ  神田敏晶 
リニューアル  8月サンタ
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