Otaku ワールドへようこそ![28]オタクのイタリア見聞録
── GrowHair ──

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もし、イタリアに詳しい方が読まれたら片腹痛いと思われそうだし、自分でも数年後に読み返したらあまりの無知っぷりにのたうち回りそうな予感がしなくもないが、それも一興、初めてのイタリアの印象を記しておこう。

●壮大と卑小

行く前から、どうしても解せないことがあった。古代ローマ時代からの伝統美をたたえた荘厳な建築物の立ち並ぶイタリアの街に、何故スリだの置引きだのというセコい犯罪がはびこるのだろう。

実際、大理石造りの巨大な建造物は至るところに見られ、ミラノ中央駅もそのひとつだった。地下鉄を降りて地上に出ると、国家の威信をかけて建てたかのような駅が眼前に現れる。コリント式の装飾を施した円柱と高い天井が畏敬の念を起こさせる。広々としたコンコースと切符売場があり、その奥から幅の広い大理石の階段が天国にでも通じようかという荘厳さをたたえて延びている。

上がると天国ではなく、プラットフォームだ。二十数本の線路が手前に向かって行き止まりになっており、蒲鉾を並べたような天井が全体を覆い、巨大な空間を形成している。心がおおらかになる。


一方、イタリアのスリや置引きのセコさはつとに有名である。子供をダシに使って油断させたり、服にジュースなどをこぼしておいて親切に教えてあげるふりをしたりといった手口がガイドブックにいやというほど書いてある。観光客の中には、わざわざ小額を入れた財布をポケットに入れて地下鉄に乗り、お手並みを拝見してくる人までいるようだが、私は展示用の写真が入っている旅行かばんをを丸ごとやられたら一巻の終わり、そんな余裕かましてはいられない。

とは言え、発車まで1時間ほどあるので、駅前広場に出てみる。桐の並木が薄紫の花をつけている。ベンチに腰掛けて缶入りのレモンソーダを飲んでいると、みすぼらしいなりの若者が近づいてきた。物乞いだ。こっちだって昨年末に床屋に行って以来、髪もヒゲもぼうぼう、なりのみすぼらしさは引けをとらないのに、よく声かけてくるよな。愛想よく話しかけてくるが、言葉がまったく通じない。どんな事情なのか、職探しが大変なのか、この国をどう思っているか、など、聞きたいことは多々あり、歯がゆい思いだ。

飲みかけの飲料を欲しがるそぶりをするが、まさかそんなものまで欲しがるはずもないから、それほど困っているというジェスチャーだろう。小銭を渡したら、満面の笑顔で握手して、去っていった。目で追っていると、別の人にも声をかけ、交渉の末、飲みかけの飲料を獲得していた。

●ヴェロナでも子供にせびられる

メーデーにはYuzuとElisaが観光案内してくれた。ヴェロナ駅で電車を降り、近くにあった小さなオープンカフェで朝食をとっていると、小学校高学年ぐらいの女の子が2人、近づいてきた。Yuzuが、しばらく話した後、店でサンドイッチを買ってやり、さらに小銭を渡した。それにつぶつぶ苺ポッキーを一箱。あ、それって好物だからと、日本人のコスプレ仲間から送ってもらったものではないか。気前いいなぁ。私からも小銭を少々。

ルーマニアからの移民の子だという。腹を空かしていたので、食べ物を恵んだのだという。お金で渡しちゃうと、本人はろくに食べず、親の酒代になりかねないので。親は働かず、子供に物乞いをさせているのだという。収穫なく家に帰ると親に殴られるのだとか。どんな教育だ。

「知らない人と話をしてはいけません」と言われて育つのと「知らない人から金品をせびり取ってきなさい」と言われて育つのでは、ものの見方、考え方がおのずと違ってくることだろう。

前者のように箱入りで育ったのでは、似たような価値観をもった少数の人としか交流がなく、世間が狭くなるに違いない。世の中はよく分からないけど、きっと悪人ばかりがのさばるのだろう、という漠然たる疑心暗鬼の世界観が形成されるかもしれない。

娯楽映画やテレビドラマの「文法」を鵜呑みにして、心の美しい人は見かけも美しい、悪人は見かけも醜い、というのを実世界にもあてはめて信じ込んでしまうかもしれない。まあ、人生の目的は世の中をあるがままに理解することではないので、いいっちゃいいんだけど。

一方、後者はどうだろう。日々、侮蔑の眼差しを受け、みじめな思いを重ねるうちに、人の心の裏側をいやというほど見てしまうのではなかろうか。苦労知らずの人間は他人の心の痛みが分からないから、悪気はなくとも突き刺すような言葉を浴びせてしまうことがあるだろう。親切心を装っていても、その裏にある得意満面の優越感が見え隠れする人もいるだろう。

彼らは心の機微には人一倍敏感なのに、気づかぬふりをして快活に振舞う、大人びた強さを身に着けていくことだろう。逆に、同じようなつらさを経験しているがゆえに、人の心も察することのできる、真に優しい人もいて、つかの間の心の安らぎを得るときだってあるかもしれない。心を見抜く慧眼に加えて、表現力を獲得すれば、すぐれた芸術家になるに違いない。

こうしてみると、いいことづくめの教育方針みたいだが、何か間違っているような気もしないでもない。

●オタク文化はどうか

もうひとつ疑問があった。古代ローマ時代からの伝統美をたたえた荘厳な建築物の立ち並ぶイタリアの街に、オタク文化が根付く土壌があるのか。

もちろん、日本の漫画やアニメはすでにイタリアにもよく浸透している。ヨーロッパの国々の中では一番ではなかろうかと思われる。昨年8月に愛知万博会場で7か国の代表が集まって開催された「世界コスプレサミット」ではイタリアが優勝している。イタリア社会でも少子高齢化が進んでいるなど、どこかメンタリティに共通するものが感じられたりする。

しかし、それでもなおかつ、日本発のオタク文化は、イタリアの伝統文化の中に放り込まれたとき、不協和音を発するような気がしてならなかった。

日本は湿っぽくて狭いところに人がごちゃっと住んでいるせいか、創造性の発揮のしどころが壮麗壮大な方向へと向かいづらく、細部指向、バーチャル指向に入り込みやすい。漫画やアニメの絵やフィギュアなどは、細部にどれだけ凝るかが勝負といったところがある。「神は細部に宿る」("God is in the details.")の思想に裏打ちされている。

もっともこの言葉は、古くからユダヤ教にあったものを、ドイツの建築家ミース・ファン・デル・ローエ(Mies van der Rohe, 1886-1969)が好んで使ったことで広まったようである。原義では「神は日常の些事から遠く切り離された高邁な地に存在するのではない。信仰は日々の現世的な生活から遊離したものであってはならない」という教えのようであるが、日本の思想はむしろ「仏は細部に宿る」で、「細部の細部にまで神経を行き届かせて拵えた作品にはおのずから魂が宿り、神々しいまでの美しさを放つ」ということのようである。たとえそれが「萌え」の魂だったとしても。

もちろんキリスト教の建築や芸術が細部をおろそかにしているということではないが、全体としては壮大さ、荘厳さが際立つ。そういう文化の中に萌えキャラが放り込まれると、何だか貧相な感じがしないだろうか。

展示初日の午後、Yuzu、Elisa、Francesco、Mariと5人で抜け出して、ブレーシアを観光した。ガイドブックでは小さな扱いだが、山頂に城が聳え立ち、麓には1世紀からの神殿の半壊状態の遺跡があり、実は見所が多い。一番の見所は、ローマカトリックの各教区の中心的な教会「ドゥオーモ」である。ドーム内壁には天井画が施され、壁には大きな絵が何枚も掲げられ、息を呑むような美しさである。入りしな、Yuzuは片膝を着いて素早く十字を切った。そのモーションは実に優雅であった。

外へ出てから、余計なことかと思いつつ、日本の教会における結婚式事情を話してあげた。教会式の方がカッコいいからという理由で、そのときだけ俄かクリスチャンになって式を挙げるカップルが多く、ひとつのビジネスになっていることとか。その牧師だって偽者で、実は英会話学校の講師だったりして、採用基準は見かけがカッコいいことだとか。「それってタブーじゃない!」とぶりぶり怒っていた。ひー、ごめんなさいー。

教会と城跡とを結ぶ石畳の道は歴史の重みを感じさせる、落ち着いたたたずまい。こんなところに漫画やアニメの店があってはならない、というところにそれはあった。しかしさすがにアニメイトのようではなく、個人経営の小さな古本屋といった店構えである。景観に配慮してか、外から萌えキャラが見えたりはしない。中に入ると、日本の漫画のイタリア語翻訳版やアニメDVDの字幕版、キャラクターグッズなどが所狭しと置かれている。

向かい合わせに十数人掛けられるテーブルがあり、二十歳前後に見える男の子たちが4!)5人ずつのグループになって、何やらテーブルゲームに興じている。服装がわざとのように安っぽく、脇にはパンパンに膨らんだリュックサックが置かれているあたり、見事に秋葉系だ。真似しているのか、見かけを気にせず機能性だけを追求すると自然にこうなるのか。

ただし、みんな大きな声でのべつ幕なしにしゃべっていて、明るく賑やかだ。沈黙禁止法でもあるんかいね、と思えるほど、電車の中でもレストランでも、みんな大声でよく話すが、オタクたちも、そこはイタリア人だった。

●政治と国際情勢

月曜の夜はYuzu、妹のMeki、Yuzuママとディナー。あ、ポルチーニ茸だ。酒井順子氏の「負け犬の遠吠え」によれば、負け犬(三十代独身女性)とオタクはくっつけようにも、話題に接点がないのでくっつきようがないそうで、その例として、オタクはイタリア料理の高級食材であるポルチーニ茸の話題について来れないとある。負け犬に負けてたまるかとたんまりいただき、これでいつエルメス嬢が現れても大丈夫である。

政治や国際情勢の話になった。日本とイタリアは共通点が多い。第二次大戦の敗戦国で、おかげで今でもアメリカの言いなりで、手出ししたくもないイラクに派兵させられ、挙句の果てはテロに怯える日々である。イタリアでは未遂で捕まった事件があったそうである。日本がやられないのは、防備がしっかりしてるからだとYuzuは言うが、どうだろう。やろうと思えば隙だらけだけど、日本は国際社会の中ではまだまだ子供、いじめちゃ後味悪いので大目に見てもらっているのではあるまいか。

また、欧米と中東との対立は、宗教戦争だという。キリスト教には人を殺せという教えはないが、イスラム教では異教徒は敵だから殺せと指導している、だから紛争が起きるのだ、と。おいおい。歴史的にみて、キリスト教者が神の名の下に異教徒を殺したことって全然なかったっけ? 自分は絶対的な善人だから、世の中に何か問題が起きるのは、自分とは全く異質な「悪人」の仕業に違いない、そういう奴らは懲らしめてやれば、世の中がよくなるのだ、って考え方、なんかすごーく違和感あるぞ。相手も同様に考えていたら、平行線ではないか。

自由主義経済の体制下で、もし世界が平和だったら、地下からお金の湧いてくる中東の一人勝ちで、世界の覇権を掌握するようになる。それを阻止したい欧米が宗教紛争にかこつけてひっ掻き回し、武器を購入・消費させ、バランスを取っているのではあるまいか。アメリカは汚れ役を背負い、おかげでアジアもヨーロッパも中東に隷属せずに済むのでは?

まあ、もっとも私はここ何年も投票にすら行ってないから、大きなことを言う資格はない。反論せず、適当に相槌。ディナーは平和裏に幕を閉じた。

紙面が尽きたので、一言だけ。ストリートファッションは、ミラノよりも、パリよりも、ニューヨークよりも、東京が一番面白い。

【GrowHair】GrowHair@yahoo.co.jp
国際親善カメコ。同じ頃、Maboたち5人のコスプレイヤーは中国に飛んでいた。去年、テレビ出演で知り合った仲間である。抗州でのイベント「世界レジャー博覧会」でゲストとして舞台に立った。8月に愛知で開かれる「世界コスプレサミット」の予選も兼ねたイベント。Maboによる写真とレポートは下記サイトでどうぞ。/森永卓郎氏は「萌え経済学」でイタリアと中国の萌え事情をよく分析されている。特に中国人の発言「日本人も日本の作品も好きだけど、外交政策に文句を言いたいだけ」が印象的。
< http://yaplog.jp/mabo_le-chic/
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