[2010] 知るということ

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<日本海の怒りをこそ怖れる>

■電網悠語:Ridual内面・展開編[120]
 知るということ
 三井英樹

■音喰らう脳髄[2]
 変化は出会いが持ってくる
 モモヨ(リザード)

■買い物の王子さま[124]
 大人買いの夢と現実
 石原 強


■電網悠語:Ridual内面・展開編[120]
知るということ

三井英樹
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●素人さんとの会話

先日、ある会社の人と話をした。開口一番、その方が言った言葉は、「私達を知っていましたか」。業務分野としては重なる部分の多い会社ではあるが、知らなかった。少しためらいながらも、正直に「いいえ」と答える。

一応、メディアには毎日触れる。ネット系も個人でスクラップしているし、雑誌も可能な限り一枚ずつ頁をめくって、自分のフィルタに引っかかるものを探している。それでも聞いたことがない会社だった。

一応礼儀かとも思い、「私達の活動を知っていましたか」と尋ね返す。あっけらかんと、「いいえ」と返事が返ってくる。FlashにしてもRIAにしてもWebにしても、それなりに頑張って活動しているつもりだ、私も会社も。実際、それなりにメディアに載っているし。改めて認知度とは難しいものだと思う。

しかし、その方と話していて気になったことが幾つかある。その人は、殆どメディアを見ていない。雑誌にしても、メルマガにしても、Webサイトにしても、話の節々から、情報に対する貪欲さが感じられない。実際話がかみ合わない。

自分達のやっていることをサイトで告知や報告はしている(お会いする前に調べた)けれど、その分野の情報に疎い。こういうコンソーシアムがありますよ、こういうセミナーがありますよ、こういう有名人がいますよ。どれも新鮮な目で受け止められる。

素人さんと話をしている気がしてくる。まるで妻との会話だ。多分、技術的な部分の話をすれば、もう少し共有点はあったのかもしれないが、同じWebに関わっている気がしない会話を続けた。なんだか虚しさが残る。

●自分で調べないのが流行?

何か新しいことをやっている時、あるいはやり始める時、先駆者を探すというのは、私にとっては当たり前の手順だ。どんなパイオニアがいるのか、どんな活動が既になされているのか。検索が楽になった分、自分のニーズに合った調査がし易くなっている。毎回綿密にとは行かないが、調査を省くことはない。

それは、基本的には驚きを求めての旅と言っても良い。自分の描いたシナリオ通りの結論を肉付けするための情報収集ではない。様々な工夫の跡に、感動し、共感し、驚いて、その分野に引き付けられていく。自分の前に置くニンジンを探しているといっても良い。

しかし、最近はそういう手順は踏まないのが流行らしい。実際、先の御仁のような若いチャレンジャーには良く出会う。活きのいいセンスだけを頼りに、既存の文化を調べもしないで、否定したりする人までいる。私の年齢では「若いなぁ」としか感想が言えない。行けるトコまで行けば良いと心底思う。

既存の情報の蓄積を頼りにするのは、気弱になっている証拠だと思うこともある。でも、自力だけでは届かない場所や人たちがいる。一緒に話したければ、勉強しなければ。特にWebの世界は、背景になっているものの幅が広い。

でも、面倒なんだろう、調べたり、感動することすら。数文字入力で答えや考え方に辿り着けることをありがたがる人たちもいるけれど、逆もいるのかもしれない。そういう情報過多の状態自体をなめて見つめる人たちか。

そういえば、某大学では「■IT」サイトが禁止されているという話を聞いた。学生が、そこのサイトで技術用語をちょこっと調べて、切り貼りして、論文として出されてしまうから。他者の意見を切り貼りして、自分の意見にしても何とも思わず、「提出した」というハードルをクリアした満足感のみを得るんだろうか。

学生の頃、よくノートを写させてはもらったけれど、自分の名前で提出するものは、それなりに考えた記憶がある。ズルが嫌だとか、正義感とか、そんなんじゃなくて、単純に「そーいうの嫌じゃん」という感じ。そして今考えると、悩み付け足すために重ねた思考って、それなりに訓練になっている。

●知って変わらなければ生き残れない

知ることも考えることも面倒くさがる、というのは色んな行動にも反映する。きっと、知ることは、変わることだからなんだろう。誰しも居心地の良い「今」を捨てたくない。知ってしまって、自分と異なる立場のものを受け入れなければならないなら、知るまいという防御本能が働くようだ。思考を拒否するだけでなく、攻撃色を帯びた行動パターンにでる。

大抵は、民主主義の名の下にと、多数決を採りたがる。大勢はこう考えているんだ、大抵の人はこう考えているんだから、オマエが考えを変えろ。幾つもの圧力を経験してきた。こういう数の理論で攻める時、「知る」ということ自体が放棄されている気がしてならない。

私は、意見の衝突が、「知る」という行為の一番重要な場だと思っている。だから、事なかれ主義が一番嫌いだ。何が間違っているのか、何が正しかったのか、どうすれば良かったのか、そういったことを明らかにしないで先に進める訳がない。だから大多数が反対にまわっても、余り気にしない。全員が間違って沈没船に残る決断をする可能性だってある。最初の会社で、上層部が沈没に向かって突き進んだという経験もしているし。

だから自分が指揮をとる重要で根幹的な決定の際には、多数決は避ける。東京人多数の中で、大阪弁を論じるようなものだと思っているからである。大阪弁の良し悪しを、実際に語る人が少数な場で論じても、正しい判断はできない。

堅牢なシステム構築だけを目的に人生を重ねてきた人たちに、ユーザビリティの話をしてもピンとこない。まさに白い目で見られる。そういう人たちしかいない場で多数決を採られても、ユーザビリティ派が優勢になることはないし、意味ある結論には至らない。

働き方についても、そう。様々な働き方と、モティベーション向上方法がある。それを今までのシキタリ優先論を展開されても、異種格闘技混合戦状態のWebの現場では、余り説得力がない。「ルール」自体の維持より、お客様に喜んでもらえたら良いんじゃないの、とかしか考えようがない。

転職を繰り返す者だけが知りうる領域もあるんだろう。様々な規則の馬鹿馬鹿しさと大切さへの理解。お客さんのところに行っても、自社改革についても、少し違った角度で見てる気がする。様々な個人的経験が、知ることの幅をもたらしてくれる。

Web屋が、結局BPR(ビジネス・プロセス・リエンジニアリング)屋さんの代わりをやる羽目になるのは、こうした視点移動ができることにも関係する。これしかない、と思い込んでいる「保守派」とは異なる視点で見つめ直すことができるのだから。そこには、自分が「知って」、「変えられた」経験が活きている。常に変わらなければ生き残れない、職業特性とも言えなくもない。

情報を知る、立場を知る、価値を知る。様々な「知る」ということ。「知」に至る姿勢、方向、防御法、拒絶法。これすら形式を変えていっている。それを推し進める風の生まれるところに、Webもあるように感じる。

Webって本当に様々なものを揺らしながら深化拡大している。本棚の広辞苑を取りに行くより、ネットにつないでググってしまう現在、便利に表示される文字を見ながら、少し考える。「知ること」って何だろう、これからも知り続けられるのだろうか。知った後、自分達はどう変わっていくんだろう。

【みつい・ひでき】 感想などはmit_dgcr@yahoo.co.jpまで
今期は25回の約束でスタート。期せずして2000回達成号にも混ぜてもらえた。今回分で第4コーナーを回ったところくらいか。結構ネタ切れ気味。
・Ridual < http://www.ridual.jp/
>
・Ridual-users < http://groups.yahoo.co.jp/group/Ridual-users/
>
・ミルクエイジ < http://homepage3.nifty.com/mitmix/MilkAge/
>
・日経ITpro Webデザイン エンジニアリング
< http://itpro.nikkeibp.co.jp/article/COLUMN/20060309/232107/
>

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■音喰らう脳髄[2]
変化は出会いが持ってくる

モモヨ(リザード)
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世の中が急激に動き始めたような印象の日々を送っている。何が動き始めたのかは定かでないが、毎日の印象が、ワールドカップに耽溺し寝不足を嘆く声をあちことで聞く一方で、何ものかが急速に姿をあらわそうとしている、そんな気がする。

この表現では不安を煽ってしまうかもしれないので、少し言葉を補っておこう。私が予感する変化は、某国が打ち上げようとしているミサイルとは無縁である。ミサイルはサイト日記ページにも書いたが、意味あるものではない。恐怖の対象ではないのである。

大いなる畏れ(おそれ)を大地、地球、宇宙に対して覚える私にとって誤解を恐れずに言うなら、北のミサイルは水鉄砲のようなものである。むしろ、私は、そうした廃棄物を次々に打ち込まれ、怒りにじっと耐えているであろう海、日本海の怒りをこそ怖れる。

海が怒れば彼の国沿岸部の人々が禍が降りかかる。餓えた国民をかえりみず玩具に大枚をはたくような人物に天罰がくだることは至極当然であるが、大地が怒れば無辜の人々が苦しむ。

世の中の事象はすべて繋がっているので、水鉄砲とて無関係ではないだろうが、とにかく、私が覚える変動その予感はもっと大きなものだ。あと百年もすれば見えてくるものがあるだろう。が、残念ながら時空間を自由に移動する能力はない私である。重力によってこの惑星の大地に繋ぎとめられている。見えているものは、目の前の荒川区東尾久の日常である。

そういえば、先週からデジクリのサイトが変わった。これも変化の表れかもしれない。ネットワークでも水面化で種々の変化が用意されている、そう感じている。

変化の予兆は、人生において人との出会いとしてあらわれる。こんなことは人間を数十年やっていれば当然のことだが、その出会いも私の場合は数が増している。

出会いに加えて、懐かしい友との嬉しい再会もあった。リザードの初期、私は地元でレコード店を経営していたのだが、その頃、よく遊びに来てくれた少年との、ネットを介した再会である。当時は高校生くらいだったと思うが、絵が上手い彼はバンド関連のデザインなどを手伝ってくれたものだ。四半世紀を経て、藤原カムイとして世に知られる存在となっている彼は《再会》を祝してダンボールいっぱいの自作コミックを送ってくれた。

ダンボールいっぱいのドラクエも一つの予兆(おーめん)である。

そんなカムイ君のサイトを経由してSPEED-iDの優朗くんと再会する。SPEED-iDは知る人ぞ知る暗黒系ロックバンドである。優朗くんはそのメインマンだ。カムイ君とは仕事を一緒にした経験があるという。

まずはSPEED-iDのHPを紹介しておく。
< http://www.speedid.com/
>

このサイトは優朗くんの自作である。彼はFLASHで幾つかのサイトを作っているが、いずれも字が小さかったり説明が少なかったりして、サービス心の欠如が顕である。サイトデザインのプロとしては、呆れかつ驚愕するばかりだが、私には面白かった。アーティストみずから直接制作したページは幾つもあるが彼のそれは程度が高く、かつ興味深いところが幾つもあった。ここにも私は変化の兆しを見る。

……思いのほか長くなってしまった。優朗くんのことなどは次回にまわすことにする。が、とにかく、上記サイト要チェックである。

とりわけサイトデザインのプロの皆さん! まずは私の驚愕をおすそ分けしたい。それが新しい発見につながることもあるだろうから。

モモヨ(リザード)管原保雄
< http://www.babylonic.com
>

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■買い物の王子さま[124]
大人買いの夢と現実

石原 強
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世の中には様々な形のイスがあります。座るというシンプルな目的に対して、デザイナーが工夫をこらした成果です。中でも名作と呼ばれるイスは形の美しさが際立っています。一見奇異な形にも、座り心地の良さになるほどと思わせる理由があるのです。

インテリアショップや美術館に展示されている個性的なイスを見ていると、むらむらと所有欲がわき上がってきます。でも現実は厳しい。高価だという経済的理由はもちろん、置いておくスペースにも限りがあります。自宅は手持ちの家具でいっぱいいっぱいなのです。

そこで気になるのがイスのミニチュアです。有名なのは世界最大のチェアコレクションを誇るヴィトラ・ミュージアムのもの。1/6サイズで素材まで忠実に再現して完成度が高い。でも、手間がかかっている分価格も高い。本物のイスが買えてしまうような価格です。

気軽に買えるイスのミニチュアコレクションを、インテリアショップで見かけました。9種類の名作イスが飾ってあり、なかなか良くできています。でも食玩のように、中身がわからないパッケージに入っていてバラ売りでした。どれが当たるかわからないからとそのときは買いませんでした。

雑誌の記事で、このイスコレクションの第2弾が発売されることを知りました。既に発売されているvol.1とあわせれば、イームズにコルビジェ、ウェグナーといった有名デザイナーのあこがれの名作イスが全部で18種類、一度に手に入ることになります。

一脚は500円ですが、箱買いだとそれなりの金額になってしまいます。少しでも安く手に入れられないかと探して見つけたのが、フィギュアやドールなど大人向けのコレクターズアイテムの専門店。このお店では2割引きで扱っていました。

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人気のdesigners Chairの1/12ミニチュアコレクション! 有名デザイナーの代表的なProductsを集めました! コレクション性の高いアイテムです!1 Boxで9種類全て揃います。
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vol.1と新発売のvol.2をあわせて注文すると、ちょっと大きめの箱に入って届きました。わくわくしながら18個ある小さな箱を一つずつ開けていきました。イスを取り出し18個をずらっと並べてみると、ちょっとした美術館気分です。

すべてプラスチック製ですが、細かい所まで丁寧に作られています。手に取って目を凝らしてみると、木目やネジの一本まで再現されていて嬉しくなってきます。スケールが揃っているからそれぞれの大きさの対比もおもしろい。

このまま並べておいては、暴れる息子にすべて破壊されてしまいます。仕方なく箱に戻しました。ミニチュアでさえも飾るスペースがない現実を思い知らされます。でも、いつかは本物をまとめて大人買いしたい。

イスのミニチュアを買ったお店「ロボクリス」
< http://www.rakuten.ne.jp/gold/robochris/
>

【いしはら・つよし】info@webanalyst.jp
ウェブプロデューサー、ウェブアナリスト
最近、vol.1の色違いの限定版まで発売されて迷う。続編も期待したいけど、これ以上増えると本当に仕舞うところがなくなりそう。モノはどんどん積まれていくので、おおきな地震がきたら大変だろうな…。
・ウェブアナ
< http://www.webanalyst.jp/
>

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■編集後記(7/11)

・デジクリの新しい世紀が始まります
サイトもリニューアルオープン バックナンバーすべてを掲載しています
< https://bn.dgcr.com/
>

・静かだ……。娘一家が沖縄に旅行に行っちゃったので、わが家は久しぶりに二人と犬一匹だ。マンションの高層階に娘一家、一階に我々というのは、やはり理想的な住まい方かもしれない(とくに娘にとっては)。平日の日中は、わが家は娘と孫2人に制圧されている。5歳になったばかりの女帝が一番エライ。時々、母親を口でやりこめている。まだ8か月の男児がいま台風の目だ。素晴らしいスピードのほふく前進で、興味のあるものに突進して、なんでも口に入れるから目が離せない。一人が幼稚園に行っている間はまだいいが、二人のチビが揃うとやかましいったらない。たいていどっちか一人を預かることになる(二人の場合も少なくない)。妻がおもにめんどうをみるが、わたしも手助けする。午後からは落ち着いて仕事はできないし、ヘタすると大切な昼寝の時間も奪われてしまう。夕方、どっちかを風呂に入れて、向こうまで送り届けてホッとする毎日だ。だから、父親のいる週末は、原則として孫の来襲はないから、わたしにとって仕事の稼ぎ時だ。それも原則に過ぎないから、じつは完全にフリーということはめったにない。そのめったにないことが、とうとうやってきた。日曜日に、彼らは台風で揺れる飛行機に乗って行ってしまった。これで4日間、完全フリーである。夏休み前の仕事を全部かたづけることができるかもしれない。彼らを見送ったあと、能率よくデータの整理をした。しかし、月曜日の朝に愕然とした。そのデータが見つからない。経過を必死に思い出したら、仕事を終えるとき、新データ集と旧データ集のふたつがあることに気がつかず、旧データ集をバックアップに保存し、新データ集を捨てていたのだった。しかも「確実にゴミ箱を空にする」操作までしていた。ああ、なんということに!もう一回やり直しだ。せっかくの稼ぎ時なのに……。(柴田)

・やっと髪の毛を切ってきた。これから忙しい時期に突入するから、今のうちに切らないとまずいのだ。こんな感じにしたいと一応プリントアウトを持って行ったら、髪の毛が伸びて、シャギー部分の比率が減ったため重く感じるかもしれないが、今のとれかけの感じが今風ですと言われた。裏付けとしてたくさんの雑誌を広げられ、プリントアウトは却下された。うーん。いろいろ教えてくれる先生で、横はこの位置、後ろはこの位置がいいとか何とか。で、このとれかけの感じでアレンジする時にはホットカーラーやアイロンを使うんですよ、と教えられたのだが、そのアイロンが面倒だから手入れしなくていいようなのにして欲しいのよとリクエスト。先生はそれじゃダメだと言いながらも、あまり手のかからないものにしてくれた。さぁこれはいつまで維持できるのか。(hammer.mule)