Otaku ワールドへようこそ![37]「ニート一揆」とはなんだったのか
── GrowHair ──

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結局、あの騒ぎは何だったのだろう。あれから3週間経つというのに、自分の中に納まり所が見つからず、記憶の仮置き場にずっと居座っている。

●ニートがついに立ち上がった!

9月16日(土)午後、ニートやそれに近い青年約100名が「家賃をタダにしろ!」と要求を掲げ、中野から高円寺まで、けたたましくデモ行進した。主催は「高円寺ニート組合」。
< http://neet.trio4.nobody.jp/
>

午後3時過ぎ、中野サンプラザ裏手にある囲町(かこいちょう)公園をたまたま通りがかって、そこに集結した100名ほどの若者たちを見たときは、てっきり新興宗教団体かと思った。ものものしく周囲を固めて監視する警官の数、ざっと50名。公園脇の道路にはパトカーなど警察の車両が12台ほど。さては、数日前に教祖の死刑が確定したあの宗教団体かと。

若者たちはほとんどが20代に見え、7割方が男性だ。ロリ服の女性や外国人もいる。一畳大のござに墨で大書して掲げた「一揆」という文字が遠目にも目立つ。歌ったりトランペットを吹き鳴らしたりして、お祭り騒ぎの様相だが、いったいどういう趣旨の集まりなんだろう。近くの警官に聞いてみると、ニートに近い生活をする若者の集団で、家賃をタダに、との要求を掲げ、これから高円寺までデモ行進するのだそうだ。何、それ?


4:10pm、デモ行進出発。3列に隊列を組み、前後を3台ずつの警察車両が、脇を約50名の警官が固める。先頭車両後部には大型スピーカーが据え付けられ、大音響で音楽を鳴らしている。その車両の前面には「家賃をタダにしろ。ニート組合」と大書した赤い横断幕。隊列の中ほどでは、2畳分ぐらいはありそうな台車の上にちゃぶ台が置かれ、居間になっている。そこに3人ほど上がり、酒盛りが開かれている。

掲げられたプラカードには、「家賃をぶちのめせ!」「金ねぇぞ!」「礼金・敷金は親の仇」「画鋲ぐらい刺させろ!」「築30年」などに混ざって「広い部屋でSEXさせろ!」なんてのもある。

サンプラザ前を通り、中野通りを右折し、中野駅下のガードをくぐる。南口に出たときは4:30pm。先導車両の屋根の上に組まれた監視台に2人の警官が後ろ向きに立ち、「速やかに進みなさい」「3列になりなさい」などとがなっているが、まるで反抗するかのようにのろのろと進む。

大きな交差点では、それぞれ10名ほどの警官が待機し、交通整理にあたる。信号待ちの歩行者は、想像を絶するものを見たような怯えた目で見守っている。私は用事があって、途中で帰ってしまったが、デモ行進は高円寺駅まで続けられ、駅前でニート御輿をかついだりして大騒ぎしていたらしい。

かかった曲は「涙をふいて(三好鉄生)」、「オー・シャンゼリゼ」、「襟裳岬(森進一)」、「Monkey Magic(ゴダイゴ)」など。

・写真を30枚ほど掲載している Mkimpo Kid 氏のサイト:
< http://www.mkimpo.com/diary/2006/free_rent_06-09-16.html
>

●振り返って残る不安あれは結局なんだったのか

常識的な観点からすると、けしからん暴挙である。集会・デモの権利の濫用。100人以上もの警察官を動員させ、交通を妨げ、大音響を撒き散らして市民に迷惑をかけておいて、訴えている内容はまるっきりナンセンス。

家賃をタダにしろとか言う前に、働けよ。あんなに元気そうなら、働こうと思えば働けるだろ。やるべきことやらずに、不満を訴えていれば誰かが何とかしてくれるだろうなんて、考えが甘い。まず社会の責任果たさんかい!

しかし、これを言い切ってみても、何かすっきりせず、不安が残る。

●道化を笑う者は道化

どうも彼らは、非難されたり嘲笑されたりすることを百も承知で、むしろそれを狙っているようなふしがある。道化師を見て笑うなら、そのこっけいな演じっぷりを素直に楽しんで笑えばいいのであって、素のままでああいうふうなんだと勘違いして嘲笑したりすれば、こっちが道化である。

それに、あれだけのことをやってのけたという機動力には、ほめてやりたい気持ちが湧かないでもない。不活性な人々と目されていたニートがあれだけ集まって騒ぎを起こせることを示したのは痛快だとも言える。しかし、面白半分という動機で、人はあれほどまでに動くものなのか。それなりのコストや手間隙がかかったであろうに。内容は空虚でも、何か主張したいという主張だったのか。ダメ人間のダメっぷりを見せつけたかったのか。どうせ世の中変わりっこないから何を訴えても同じという皮肉だったとか?

主張に内容がないのは、ひとつには、闘う相手が見えないということもあるのだろう。諸悪の根源たる人物がいて、そいつを権力の座から引きずりおろせばすべてが丸く収まるとか、悪い政治体制を革命で一新すれば住みやすい世の中がやってくるという筋書きが見えていれば分かりやすいのだが、現代社会の問題というのは漠然としすぎて、敵が見えない。特に社会が混乱しているということもなく、全体的にはうまくいっているようにも見えるけど、個人個人の生活の中にあまり幸福感がなく、生きるってこういうことでいいんだっけ、みたいな。それを誰かに何とかしてくれと言いたくても、誰に何をしてくれと言ったらいいのか、よく分からない。

●システム至上主義の時代

ある社会で、人の命よりも重んじられているものが何かを考えてみると、その社会のキーワードが見えてくる。例えば、イデオロギーの違いが人を殺す理由として社会的に容認しうるものだとしたら、その社会は政治闘争の時代にあると言える。仇討ちがOKなら人情の時代とか。現代の日本社会は何だろう。私は、「システム」の時代なのではないかとみている。電気・ガス・水道がちゃんと供給され、電車が定刻通り走り、店の棚には商品が整然と並び、ゴミはさっさと片付けられ、情報通信は滞りない、そういう状態を安定的に維持する仕組みとしてのシステムが現代社会では最も重要視されているのではないかというふうに見える。

それは、世の中便利になったということで、それ自体はたいへん結構なことだが、反面、システムが一番偉くて、人間はシステムに隷属して、維持・発展させるための交換可能な消耗材へと格下げされているようなところがある。世のため人のためではなく、システム大明神様のために働いている。

失業などでひとたびシステムから脱落すると、生活を立て直すのが難しい。そういう人たちを救う仕組みは、社会保障制度や福祉制度という形で、いちおうシステム内に用意されてはいる。しかし、道端にホームレスがごろごろしている現状を見ると、十分に運用されているのか疑わしくなる。

救済システムの運用の生ぬるさに加えて、世論として、脱落者は自己責任だから放っておけばいい、個人の問題だから社会問題として取り上げる必要はない、という見放した意見を言う人が増えてきているように感じる。

●相対的幸福は不幸の表れ?

一方、システムの枠組みから寸分たりともはみ出さずに暮らしている善良な小市民は、その恩恵に浴して幸せかと言えば、どうもそうとも言い切れないところがある。あのデモを見物して侮蔑的な言葉を吐いている人たちは、確かに立派に自立して生きているかもしれないが、生きることに幸福が実感できているかとなると、別問題な気がする。

幸せって何だろう。夏の浜辺でさんさんとふりそそぐ太陽の光を浴び、カクテル片手にビーチチェアに寝そべり「ああ、極楽、極楽」とつぶやくとき、比べるべき相手を必要としない。こういう場面では、「ああ、極楽、極楽」とだけつぶやくのが正しい。これを間違って「丸の内あたりであくせく働くサラリーマンのことを思えば天国と地獄だな」と言ったのでは、幸せの意味がすっかり変質してしまう。相当イヤミな幸せだ。自分よりも不幸そうに見える人を無理やり探し出してきて、「あいつよりはマシだ」と優位を確認しなければいられないとなると、その状態はもう幸福とは全異質の、むしろ、「生きてくのつらくない?」な状態なのではあるまいか。

ニートをダメ人間扱いして見下し、相対的に自分の方が上だと思っている人は、ニートに感謝しなくてはならない。自分よりも下層の生活をすることによって、プライドを下支えしてくれてありがとう、と。

ところで、皮肉なことに、あのデモには偽者のニートがけっこういた。嘲笑する側とされる側、まっとうな人間と思っている側とダメ人間を演じている側とが、生活水準や社会的なステータスとしては、実は大差なかったりする。

●システムの背後で疲弊する心

システムの側の人間も幸福を実感できないとなると、ここに、現代社会の2層構造が浮かび上がってくる。前面には驚異的なまでに円滑に回っている巨大で緻密なシステムがあり、背後には、人々の疲弊した心がある。

そこには、システム優先指向の考え方が、人々の心を疲弊させているというメカニズムが働いているように見える。システムから便利さを享受する消費者も、仕事をする立場になってみれば、それを維持・管理する側となる。

どうも最近、システムの巨大化・緻密化が進んでいくのに伴ってか、単調な反復作業を飽きずに続けるタイプの職種よりも、緻密な思考と集中力の持続が要求されるタイプのものが増えてきているように感じる。

電車の改札口の切符切りの仕事は自動改札に置き換えられた。それは、切符切りの仕事を廃止に追い込んだ一方、自動検札・精算システムの構築の仕事を生み出した。システム構築は高度で知的な精神労働には違いないが、向く人と向かない人がいる。もともと向いていない、思考が大雑把で、気楽に生きるのが性分に合っているような人たちまで、知的労働へと移行させられつつあり、それが心の疲弊を生じさせているのではあるまいか。便利さや経済的な豊かさを多少は減じてでも、最小限働いて気楽に生きたいという希望を社会が容認しなくなりつつあるように感じる。「お気楽なやつ」のように、気楽さは時として、まるで悪のように言われることがある。

●システムを相手に闘ってもしょうがない

諸悪の根源がシステムだったとしても、それを破壊することを狙って運動してもしかたがない。システムが壊れたら、自分たちが不便になるだけで、何の得にもならない。そのあたりが、敵の見えないゆえんであろう。

思うに、闘っている相手は、人々の硬直した価値観なのではなかろうか。怒涛のナンセンス攻撃で糞真面目な精神をぐずぐずにほぐしてしまう狙いだったのではあるまいか。しかし、あれを見物していた多くの人たちは、メッセージを受け取り損ない、ますます態度を硬化させてしまった。

結局、あの騒ぎは何だったのか。様々な立場の人々の間での相互理解がすっかり希薄になって、ばらばらになってしまった現代社会の姿を見せつけてくれた、悲しい光景だったのだと思い至ったとき、ようやく記憶の中の納まり所が見つかったように思えた。

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「広い部屋でうんぬん」のプラカードを掲げて参加したKatoler氏はブログで振り返り、社会構造の問題として深く分析している。「徹頭徹尾ナンセンスだからこそ起爆力を持つ」、「死ぬほどくだらないスローガンを掲げた運動だからこそ、ニートたちは集まってくる」。
< http://katoler.cocolog-nifty.com/marketing/2006/09/post_ff7e.html
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【GrowHair】GrowHair@yahoo.co.jp
作業の合間の息抜きで、ダレないものって何がいい? スリザーリンクはダメだった。熱くなりすぎ。ランク入りするまでムキになってやってしまった。
< http://www.puzzle-loop.com/
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< http://www.puzzle-loop.com/hall.php?hallsize=6
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遊びかたはこちら。
< http://www.nikoli.co.jp/ja/puzzles/slitherlink/
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