もし宝くじで一億円当たったら、欲しいものがある。一眼レフカメラ用の交換レンズである。誰も欲しがらないから誰も作らないけど、私にとっては是が非でも欲しい。だから、札束を持ってメーカーへ乗り込み、私のために一本だけ作って欲しいとお願いするのである。やってくれないだろうか。
あ、ところで、宝くじについては、いろんな人がいろんな買い方をしていいと思うが、私には私の買い方がある。あれはむやみやたらと買っていればいつかは当たるというものではない。運命だ。ある日、宝くじ売り場の前を通りかかると、一枚の券が光っている。それを買うと、当然のごとく当たりで、事もなげに「知ってたよ」とつぶやく、そんなもんじゃないかと思う。そういうわけで、いまだかつて、買ったことがない。
あ、ところで、宝くじについては、いろんな人がいろんな買い方をしていいと思うが、私には私の買い方がある。あれはむやみやたらと買っていればいつかは当たるというものではない。運命だ。ある日、宝くじ売り場の前を通りかかると、一枚の券が光っている。それを買うと、当然のごとく当たりで、事もなげに「知ってたよ」とつぶやく、そんなもんじゃないかと思う。そういうわけで、いまだかつて、買ったことがない。
●2つの相反する懸念
欲しい欲しいといったって、タイムマシンや不老不死の薬が欲しいのとはわけが違う。メーカーまでお願いしに行こうってんだから、ちゃんと作れるものなのかどうかぐらいはしっかり考えておかなくてはいけない。
「そんなもん、物理的に不可能でしょ」と追い返されたりしては、目もあてられない。理系の面目が丸つぶれな上に、欲しいレンズは手に入らず、しかも一億円が余ってしまう。
逆の懸念もある。そんなレンズ、すでにあったという場合である。欲しいレンズが手に入るという救いはあるものの、知らなかった自分が赤っ恥かく上に、やはり一億円が余る。
●幻想的な絵が撮れるレンズ
それは「ピントを合わせる位置によって画角が変化しないレンズ」である。それがどういうものかという説明は後回しにして、まず、なぜそんなレンズが欲しいかという、背景事情から。
私はコスプレ写真を撮るとき、二重露光を多用する。一枚撮った後、フィルムを次のコマに送らず、同じコマでもう一回シャッターを切り、絵を重ねるのである。これにより、現実を写実的に切り取るという写真の側面とは一味違った、幻想的な雰囲気が出せる。
無関係な二枚の絵を重ねても、たまたま面白い絵になることはあるけれど、私が多用するのは、もっと狙いのある手法で、同じ位置からピントだけを変えて、二重露光するというものである。望遠系のレンズを使い、絞りを開いた設定で、近くの被写体にピントを合わせると、背景はほとんど物の形が判別できないほどぼやけて、もやもやした模様になる。
二回目の露光で、今度は背景にピントを合わせることにより、もやもやの中に絵を描き加えることができる。一方、被写体はピンボケになるので、元の絵と重なると、ソフトフォーカスのような効果が得られる。全体としては、ソフトフォーカスよりもいっそう幻想的な感じになる(作例1、2)。
このとき、ピントを変えたことによって、絵の縮尺が変わってしまっては問題が起きる。ピントのカチッとフワッとの位置がずれてしまう。それより、もっと大きい問題は、被写体の輪郭線の付近が背景に負けて欠けてしまうのである。二重露光で絵が重なった場合、明るいほうが勝つ。樹木のような暗めの背景に、髪の色が蛍光ピンクの人ならよいが、晴れた空を背景に、黒い髪の人では、完全に負けて、頭の一部がなくなってしまう。
この問題は、遠方にピントを合わせたときに、絵の縮尺が小さくなるときに起きる。今あるレンズはたいていこのタイプなのである。
●コスプレと二重露光は相性がいい
風景写真の場合だと、できるだけ写実的に情景を切り取ることにより、その場の臨場感を忠実に伝えようとするのがよいのかもしれないが、コスプレ写真の場合、必ずしも写実的な描写がよいわけではない。「コスプレをやっています」という現実を伝えたいわけではなく、架空の物語の世界を表現したいのであるから。
架空のキャラを理想として、それを人間が真似るわけだから、どうしても人間がキャラに追いつかないという限界は避けられない。そこを写真特有の効果で補い、現実くささを薄れさせるのが撮る腕前の見せどころだともいえる。こういう目的に、上記の二重露光の手法は、よく適している。
逆に、写真特有のさまざまな効果がアニメ作品の絵に取り込まれることがある。ソフトフォーカスの効果はどの作品にも当たり前のように多用されている。写真では、光のいたずらで、写実性を阻害するさまざまな現象が起き、「フレア」とか「ゴースト」と呼ばれて邪魔物扱いされるが、そういうものでさえ、なんらかの効果が見出され、使われることがある。
強い逆光を浴びて撮ると、カメラのレンズ間で何回も往ったり来たりの反射が起き、絞り羽根の形がフィルム上で結像してしまうことがある。絵の中に、白っぽい五角形あるいは六角形が、斜め線上に点々を連なって写りこんでいるという形で現れる。「マリアさまがみてる」のアニメ版では、この絞り羽根が描き込まれた絵があった。二重露光の効果も、いつかアニメで使われることがあればいいと思う。
●で、作れるの?
では、そういうレンズが物理的に製作可能なのか、検証に入りたい。
そもそもレンズとは何か? レンズとは、平行に入ってきた光を屈折させ、一点に集めるような形に加工された透明物質である(図1)。
(厳密に言うと、これではちょっと狭いけど。凹レンズもあるし、屈折ではなく回折現象を利用した回折格子レンズもあるし)
光が集まった点を「焦点」といい、レンズから焦点までの距離を「焦点距離」という。入ってきた光が一点に集まるのが理想だが、いろいろな要因で、そうならないことがある。これを「収差」という(図2)。
では、レンズを使うと、なぜ写真が撮れるのか? 物体の表面に光が当たると、あらゆる方向に拡散反射する。物体の表面上の一点から拡散した光のうち、レンズの表面に当たった分は、レンズの表の面と裏の面とで二回屈折して通り抜け、しばらく行ったところで一点に集まる。そこに何もなければ、そのまま直進して、再び広がっていく。物体の別の一点から拡散した光は別の一点に集まる。そこで、光が集まる点からなる平面上にスクリーンを立ててやると、物体の倒立像が現れる(図3)。
スクリーンの代わりに、受けた光の強さに応じて化学変化を起こす乳剤を塗った透明フィルムを置き、そのフィルム上に像を映し出した後、現像処理を施すことによって、乳剤の化学的変化を透明度の差異に置き換えてやることで、絵が記録される。これが写真のしくみである。デジタルカメラの場合は、フィルムの代わりに、受けた光の量に応じて電圧を生じるフォトダイオードに置き換え、電気信号として絵を取り出す。
●ピントによって画角が変わる
次に、画角とは何であるか? 画角とは、物体側のどれだけの範囲がフィルムの枠内に収まるかを表す角度のことである(図4)。
カメラを持った人が実際の風景を眺め、まっすぐ左から、斜め左前、正面、斜め右前、まっすぐ右へと、ぐるぐるっと180度見渡したとき、そのうち何度がフィルム上に収まるか、という角度である。
画角は、フィルムのサイズとレンズの焦点距離とによって決まる。フィルムの範囲を底辺として、焦点距離を高さとするような二等辺三角形を考えると、その頂角が画角に相当する(図4のハッチング部分)。
さて、被写体が非常に遠くにあるときは、焦点距離のところに像ができるが、近くに寄ってくると、ピントがぼけてしまう(図5)。
このときは、フィルムを焦点距離よりも離してやると、ピントの合った像ができる。被写体がどんどん寄ってくると、フィルム面をどんどん遠ざけなくてはならないが、このとき、画角も変化していく(図6)。
被写体が近づけば近づくほど、画角が狭くなるのである。つまり、ピント位置によって画角が変化しないレンズは存在しない。ないものねだりであった。
●レンズは一枚ではない
しかし、あきらめるのは、まだ早い。この結論は、レンズ一枚では無理だと言っているにすぎない。実際のカメラで使われるレンズは、一枚だけということはなく、何枚かを組み合わせて構成されている。複数のレンズを組み合わせる目的のひとつは、収差の除去である(図7)。
しかし、それだけでなく、ズーム機構のような機能性を持たせることもできる(図8)。
レンズ群をふたつのグループに分け、グループ内では互いに固定して、グループ間の距離を変化させることにより、画角が制御できる。言い換えると、レンズ全体としての焦点距離を変化させることができるのである。ということは、ピント位置によって変化した画角をズーム機構でなおしてやればよいのである。
第一の懸念が払拭されたとたんに、第二の懸念が台頭してくる。一億円出してでも欲しいレンズがただのズームレンズだったというオチ。それもなさけない。
まあるい緑の山手線の真ん中を通って延びる中央線の沿線に住んでいる私は、さっそくヨドバシカメラに行って、ズームレンズを片っ端から覗いてみた。画角が変わらないようにピントをズームと連動させたものは見あたらなかった。しかし、驚いたことに、ピントを近くに合わせるほど画角が広くなるという、通常とは逆の動きをするものがあった。それができるなら、一定に保つことだって可能だろう。きっと誰も欲しがらないので、別の機能を優先して、こうなったのだろう。だとしたら、連動機構をなおすだけである。新たにレンズを設計しなおさなくても済むので、一億円もかからないだろう。
●私はクロマニヨン人
行ったついでに、デジタル一眼レフも見てみた。私はフィルムカメラで撮っているが、そろそろデジタルが欲しくなってきた。キヤノンの EOS 5を使っているので、レンズの互換性から、デジタルもキヤノンしか選択肢はない。ところが、あろうことか、キヤノンのデジタル一眼レフは、どれもこれも多重露光の機能が備わっていないのである。げ。
そういうのは二枚別々に撮っておいて、後でやれ、と。それだったら、画角が違ったって、片方を拡大なり縮小なりして合成すればいいわけだよな。普通そうするもんなの? なんだか自分がものすごーく時代遅れの人のような気がしてきた。あー、ショック。
しかし、面倒な後処理なしに、その場で絵が合成できたほうが便利ではないか。レンズの先につけるフィルタで、中心付近の円内は素通し、周辺部では回折格子でレンズ機能を持たせ、中心部で近くの物体にピントを合わせると、周辺部では遠くの物体に合ってるようにしたらどうだろう。
一回の露光で済むし。ファインダー絵が見れるし。動画も撮れるし。言っちゃう前に特許出願しておくべきだったか。
(付記)図はレンズ設計ソフト「ZEMAX」を使って作成しました。図中の花の絵はフリー素材の「Star Dust 素材館」よりいただきました。
< http://lunar.littlestar.jp/stardust/
>
【GrowHair】GrowHair@yahoo.co.jp
カメコ。日曜日、高橋里季さんの個展に行ってきた。原宿という場所柄によく合った、いまどきの女の子のイラスト作品。モデルはいないというが、ライフスタイルまで見えてきそうな現実感。赤と白のほぼ相似な女の子二人の絵のタイトルが「フィボナッチ数列」って...。数学から物理、哲学、宗教、精神分析、文学、美術、萌え... とすっかり話し込んじゃって、楽しかったぁ。
里季さんのサイト:
< http://www007.upp.so-net.ne.jp/RIKI/
>
欲しい欲しいといったって、タイムマシンや不老不死の薬が欲しいのとはわけが違う。メーカーまでお願いしに行こうってんだから、ちゃんと作れるものなのかどうかぐらいはしっかり考えておかなくてはいけない。
「そんなもん、物理的に不可能でしょ」と追い返されたりしては、目もあてられない。理系の面目が丸つぶれな上に、欲しいレンズは手に入らず、しかも一億円が余ってしまう。
逆の懸念もある。そんなレンズ、すでにあったという場合である。欲しいレンズが手に入るという救いはあるものの、知らなかった自分が赤っ恥かく上に、やはり一億円が余る。
●幻想的な絵が撮れるレンズ
それは「ピントを合わせる位置によって画角が変化しないレンズ」である。それがどういうものかという説明は後回しにして、まず、なぜそんなレンズが欲しいかという、背景事情から。
私はコスプレ写真を撮るとき、二重露光を多用する。一枚撮った後、フィルムを次のコマに送らず、同じコマでもう一回シャッターを切り、絵を重ねるのである。これにより、現実を写実的に切り取るという写真の側面とは一味違った、幻想的な雰囲気が出せる。
無関係な二枚の絵を重ねても、たまたま面白い絵になることはあるけれど、私が多用するのは、もっと狙いのある手法で、同じ位置からピントだけを変えて、二重露光するというものである。望遠系のレンズを使い、絞りを開いた設定で、近くの被写体にピントを合わせると、背景はほとんど物の形が判別できないほどぼやけて、もやもやした模様になる。
二回目の露光で、今度は背景にピントを合わせることにより、もやもやの中に絵を描き加えることができる。一方、被写体はピンボケになるので、元の絵と重なると、ソフトフォーカスのような効果が得られる。全体としては、ソフトフォーカスよりもいっそう幻想的な感じになる(作例1、2)。
このとき、ピントを変えたことによって、絵の縮尺が変わってしまっては問題が起きる。ピントのカチッとフワッとの位置がずれてしまう。それより、もっと大きい問題は、被写体の輪郭線の付近が背景に負けて欠けてしまうのである。二重露光で絵が重なった場合、明るいほうが勝つ。樹木のような暗めの背景に、髪の色が蛍光ピンクの人ならよいが、晴れた空を背景に、黒い髪の人では、完全に負けて、頭の一部がなくなってしまう。
この問題は、遠方にピントを合わせたときに、絵の縮尺が小さくなるときに起きる。今あるレンズはたいていこのタイプなのである。
●コスプレと二重露光は相性がいい
風景写真の場合だと、できるだけ写実的に情景を切り取ることにより、その場の臨場感を忠実に伝えようとするのがよいのかもしれないが、コスプレ写真の場合、必ずしも写実的な描写がよいわけではない。「コスプレをやっています」という現実を伝えたいわけではなく、架空の物語の世界を表現したいのであるから。
架空のキャラを理想として、それを人間が真似るわけだから、どうしても人間がキャラに追いつかないという限界は避けられない。そこを写真特有の効果で補い、現実くささを薄れさせるのが撮る腕前の見せどころだともいえる。こういう目的に、上記の二重露光の手法は、よく適している。
逆に、写真特有のさまざまな効果がアニメ作品の絵に取り込まれることがある。ソフトフォーカスの効果はどの作品にも当たり前のように多用されている。写真では、光のいたずらで、写実性を阻害するさまざまな現象が起き、「フレア」とか「ゴースト」と呼ばれて邪魔物扱いされるが、そういうものでさえ、なんらかの効果が見出され、使われることがある。
強い逆光を浴びて撮ると、カメラのレンズ間で何回も往ったり来たりの反射が起き、絞り羽根の形がフィルム上で結像してしまうことがある。絵の中に、白っぽい五角形あるいは六角形が、斜め線上に点々を連なって写りこんでいるという形で現れる。「マリアさまがみてる」のアニメ版では、この絞り羽根が描き込まれた絵があった。二重露光の効果も、いつかアニメで使われることがあればいいと思う。
●で、作れるの?
では、そういうレンズが物理的に製作可能なのか、検証に入りたい。
そもそもレンズとは何か? レンズとは、平行に入ってきた光を屈折させ、一点に集めるような形に加工された透明物質である(図1)。
(厳密に言うと、これではちょっと狭いけど。凹レンズもあるし、屈折ではなく回折現象を利用した回折格子レンズもあるし)
光が集まった点を「焦点」といい、レンズから焦点までの距離を「焦点距離」という。入ってきた光が一点に集まるのが理想だが、いろいろな要因で、そうならないことがある。これを「収差」という(図2)。
では、レンズを使うと、なぜ写真が撮れるのか? 物体の表面に光が当たると、あらゆる方向に拡散反射する。物体の表面上の一点から拡散した光のうち、レンズの表面に当たった分は、レンズの表の面と裏の面とで二回屈折して通り抜け、しばらく行ったところで一点に集まる。そこに何もなければ、そのまま直進して、再び広がっていく。物体の別の一点から拡散した光は別の一点に集まる。そこで、光が集まる点からなる平面上にスクリーンを立ててやると、物体の倒立像が現れる(図3)。
スクリーンの代わりに、受けた光の強さに応じて化学変化を起こす乳剤を塗った透明フィルムを置き、そのフィルム上に像を映し出した後、現像処理を施すことによって、乳剤の化学的変化を透明度の差異に置き換えてやることで、絵が記録される。これが写真のしくみである。デジタルカメラの場合は、フィルムの代わりに、受けた光の量に応じて電圧を生じるフォトダイオードに置き換え、電気信号として絵を取り出す。
●ピントによって画角が変わる
次に、画角とは何であるか? 画角とは、物体側のどれだけの範囲がフィルムの枠内に収まるかを表す角度のことである(図4)。
カメラを持った人が実際の風景を眺め、まっすぐ左から、斜め左前、正面、斜め右前、まっすぐ右へと、ぐるぐるっと180度見渡したとき、そのうち何度がフィルム上に収まるか、という角度である。
画角は、フィルムのサイズとレンズの焦点距離とによって決まる。フィルムの範囲を底辺として、焦点距離を高さとするような二等辺三角形を考えると、その頂角が画角に相当する(図4のハッチング部分)。
さて、被写体が非常に遠くにあるときは、焦点距離のところに像ができるが、近くに寄ってくると、ピントがぼけてしまう(図5)。
このときは、フィルムを焦点距離よりも離してやると、ピントの合った像ができる。被写体がどんどん寄ってくると、フィルム面をどんどん遠ざけなくてはならないが、このとき、画角も変化していく(図6)。
被写体が近づけば近づくほど、画角が狭くなるのである。つまり、ピント位置によって画角が変化しないレンズは存在しない。ないものねだりであった。
●レンズは一枚ではない
しかし、あきらめるのは、まだ早い。この結論は、レンズ一枚では無理だと言っているにすぎない。実際のカメラで使われるレンズは、一枚だけということはなく、何枚かを組み合わせて構成されている。複数のレンズを組み合わせる目的のひとつは、収差の除去である(図7)。
しかし、それだけでなく、ズーム機構のような機能性を持たせることもできる(図8)。
レンズ群をふたつのグループに分け、グループ内では互いに固定して、グループ間の距離を変化させることにより、画角が制御できる。言い換えると、レンズ全体としての焦点距離を変化させることができるのである。ということは、ピント位置によって変化した画角をズーム機構でなおしてやればよいのである。
第一の懸念が払拭されたとたんに、第二の懸念が台頭してくる。一億円出してでも欲しいレンズがただのズームレンズだったというオチ。それもなさけない。
まあるい緑の山手線の真ん中を通って延びる中央線の沿線に住んでいる私は、さっそくヨドバシカメラに行って、ズームレンズを片っ端から覗いてみた。画角が変わらないようにピントをズームと連動させたものは見あたらなかった。しかし、驚いたことに、ピントを近くに合わせるほど画角が広くなるという、通常とは逆の動きをするものがあった。それができるなら、一定に保つことだって可能だろう。きっと誰も欲しがらないので、別の機能を優先して、こうなったのだろう。だとしたら、連動機構をなおすだけである。新たにレンズを設計しなおさなくても済むので、一億円もかからないだろう。
●私はクロマニヨン人
行ったついでに、デジタル一眼レフも見てみた。私はフィルムカメラで撮っているが、そろそろデジタルが欲しくなってきた。キヤノンの EOS 5を使っているので、レンズの互換性から、デジタルもキヤノンしか選択肢はない。ところが、あろうことか、キヤノンのデジタル一眼レフは、どれもこれも多重露光の機能が備わっていないのである。げ。
そういうのは二枚別々に撮っておいて、後でやれ、と。それだったら、画角が違ったって、片方を拡大なり縮小なりして合成すればいいわけだよな。普通そうするもんなの? なんだか自分がものすごーく時代遅れの人のような気がしてきた。あー、ショック。
しかし、面倒な後処理なしに、その場で絵が合成できたほうが便利ではないか。レンズの先につけるフィルタで、中心付近の円内は素通し、周辺部では回折格子でレンズ機能を持たせ、中心部で近くの物体にピントを合わせると、周辺部では遠くの物体に合ってるようにしたらどうだろう。
一回の露光で済むし。ファインダー絵が見れるし。動画も撮れるし。言っちゃう前に特許出願しておくべきだったか。
(付記)図はレンズ設計ソフト「ZEMAX」を使って作成しました。図中の花の絵はフリー素材の「Star Dust 素材館」よりいただきました。
< http://lunar.littlestar.jp/stardust/
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【GrowHair】GrowHair@yahoo.co.jp
カメコ。日曜日、高橋里季さんの個展に行ってきた。原宿という場所柄によく合った、いまどきの女の子のイラスト作品。モデルはいないというが、ライフスタイルまで見えてきそうな現実感。赤と白のほぼ相似な女の子二人の絵のタイトルが「フィボナッチ数列」って...。数学から物理、哲学、宗教、精神分析、文学、美術、萌え... とすっかり話し込んじゃって、楽しかったぁ。
里季さんのサイト:
< http://www007.upp.so-net.ne.jp/RIKI/
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