Otaku ワールドへようこそ![41]エレガントか、宇宙
── GrowHair ──

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エレガントな宇宙―超ひも理論がすべてを解明する我々の住む宇宙と対をなす、もうひとつの宇宙がどこかにあって、見かけ上はそっくりだけども、実はすべてが反物質でできている。そっちの宇宙にも自分とそっくりなやつが住んでいる。ある日、何もない宇宙空間で、そいつと待ち合わせをする。やあ、と言って握手した瞬間、2人の自分はお互いに打ち消しあい、一瞬にして消滅。それと等価なエネルギーが閃光となって四方八方に飛び去っていき、後には何も残らない。

そんな空想をかきたててくれた、この本。
エレガントな宇宙 — 超ひも理論がすべてを解明する」。

5年も前のベストセラーを、今さら取り上げて大騒ぎするのは間が抜けている感じだが、私がそうであったように、意識下のどこかでこういう衝撃を待ち望んでいながら、たまたま出会わずに素通りしている人がまだまだいっぱいいるような気がしてならない。年末年始の休みを、同じCMを何百回も見て過ごすよりは、たまには普段絶対に手に取ることのないジャンルの本を読み耽って過ごしてみるのはいかがだろうか、と思うのである。


●理科の問題は社会の問題

この本自体は、物理学の最先端の理論を、専門外の人々にも(理解とは言わないまでも)味見くらいはできるようにと噛み砕いて解説した啓蒙書である。しかし、この理科の本は、社会に対して光明をもたらし、時代の転換につながる大きな貢献をしてしかるべき潜在力があるように思えた。

日本社会は裕福層と貧困層の二極化の傾向にあると言われるが、別の観点からも二極化しつつあるように見える。専門家と非専門家である。専門家は、仕事としてシステムの構築や技術の革新に取り組んだり、趣味として個人の技能や審美眼を発揮するマニアックな領域を追求したりする人である。一方、非専門家は、仕事では既存のシステムをマニュアルにしたがって運用・維持し、趣味では対価と引き換えに入手可能な商品としての娯楽を消費する人である。人数構成比は、感覚的に1対9ぐらいか。

現代社会はテクノロジーの社会。パソコンやケータイが年齢や職種などの壁を越えて普及し、コンピュータで管理・制御されるシステムが社会の中で中枢的な役割を果たす。ところで、パソコンやケータイの心臓部である大規模集積回路(LSI)の中の配線は、1mmの約10,000分の1の幅の導線が、それと同じくらいの間隔でびっしりと引きめぐらされている。それらが断線したり隣りと接触したりしないよう、ちゃんと作れる方法を知っている人は、社会全体からみれば、ごくごくわずかである(私のまわりにはうじゃうじゃいるけど)。つまり、ごく少数の専門家が最先端のテクノロジーを駆使して構築したシステムの恩恵を、社会全体が享受するという構造がある。

それは言い換えると、他人任せの社会ということでもある。ケータイの故障ひとつとってみても、自分でできることはあまりなく、お店に持ち込んで文句を言うくらいしかない。高度なテクノロジーのおかげで我々の生活が便利になった一方、日々、中身については専門家任せの、得体の知れないブラックボックスに取り囲まれて暮らしている。心理的には、「自分では何もできない」という無力感を、「お客様は神様」という特権意識で埋め合わせてバランスをとっているというところか。

そのせいか、社会問題全般に対しても、何か不都合が起きたら非専門家が声高に専門家を非難するという構造ができつつある。3年ほど前、鳥インフルエンザが世に恐怖を蔓延させた(ウィルス自体はそれほど蔓延しなかった)とき、浅田農産が感染の疑わしい鶏を黙って出荷していたことが明るみに出て、非難が集中した。「食べる人の身を顧みず、利益を優先するとはなにごとか」と。

そして、経営者の浅田夫妻は自殺した。感染疑惑隠しは確かにまずい判断だったが、根はそれほどの極悪人ではなかったとみえる。これをいじめと呼ばずして、何と呼ぼう。学校のいじめは社会の縮図。そこだけ何とかしようとしても、どうにもならないだろう。他人を非難するのは、自力で問題を解決するよりずっと簡単である。「私が経営を引き継いで正しい養鶏というものを実践してみせる」と名乗りを上げる者はついになく、浅田農産は潰れた。

自分を棚に上げて、他人を痛烈に非難する社会というのは、90年代のアメリカにおいて、特徴的だった。何でもかんでも訴える社会。友達でも先生でも、トラブルがあれば、すぐに裁判所に話を持ち込んじゃう。社会の問題はすべて「敵」のせいにする。私には、(個々の人がというよりは)社会全体が強迫神経症のような精神の病を患っているように見えた。日本人は、欧米人とは精神の構造が根本から異なり、敵対よりも協調が尊ばれ、他人を慮る心をもって美となすような文化が底流にあるので、アメリカのようなことにはならないだろうと予想していたのだが……。

この「すべて他人任せ」、「何かあれば当事者に非難の集中砲火」という社会の病に対する治癒の道は、知識の光を当てることなのではあるまいか。我々が高校までに習う数学や物理は、17世紀には解明されていたことばかりで、それ以降のことは教科書のどこにも触れられていない。あまりに難解な学問で生徒を苦しめてはかわいそうだという教育的配慮もあるのだろうが、みんなで仲良く時代に取り残されて卒業というのもどうかと思う。

「エレガントな宇宙」は、この空白部分を埋めてくれる本である。最先端の科学は厚い壁の向こうにいる専門家たちのものだという疎外感が緩和され、ようやく時代に追いつき、21世紀という時代の住人の仲間に入れてもらえたという感覚がもたらされる。専門家を、分かり合える存在という距離にまで引き寄せてくれ、日夜研究に勤しむ当事者の視点からものが見えてくるのが、この本の社会的効用なのではないかと思う。

●原理とは、発見するものではなく、発想するもの?

物理学というのは、現実の状態や現象をよく観察し、そのすべてを矛盾なく説明する原理を見出すことを目指す学問である。現実に観察されるどんな現象とも齟齬をきたしてはならず、その意味では、何よりも現実に忠実な学問と言える。ところが、そうやって注意深く構築してきた理論の最先端では、現実というものを、とてつもなく現実離れしたものとして捉えている。

最新の理論によれば、我々の住む宇宙を包含する容れ物としての空間は、よく知られている3次元空間プラス時間のほかにあと7つ次元があり、合計11次元の時空間をなしているという。付け加えられた7つの次元は、大きな広がりをもつわけではなく、そっちの方へ進んでいくと、ちょっと行っただけでぐるっと一回りして、元の位置に帰ってきてしまうという。その「ちょっと」は、原子の大きさからも、さらに20桁ばかり下だが。

そして、これ以上分割できない物質の最小単位は、「超ひも」と呼ばれ、11次元空間に巻きついて振動する小さな輪ゴムのようなものだという。巻きかたと振動のしかたにいくつかのパターンがあり、それによって、物質の構成単位であるクォークになったり、光の粒(光子)になったり、重力を伝える粒(グラビトン)になったりするらしい。

11次元空間や超ひもを実際に見てきた人はいない。だが、現実の現象を観察することによって構築されてきた理論の体系を矛盾なく統合しようとすると、こういう構造を考え出さざるを得なかったということのようである。つまり、この理論は、発見されたというより、考え出されたものと言えるのかもしれない。しかし、そうとしか説明のしようがないというのであれば、我々は、現実とはそういうもんだと受け入れるしかない。

科学の発展の途上で、画期的な発見があると、我々は、普段の生活から経験的に得られる「現実」に対する直感的な認識を、劇的に改めなくてはならないという事態に遭遇する。コペルニクスの地動説は典型的な例である。日常生活レベルでは、地平はどこまでも平らで、太陽が東から昇って西に沈むという認識で何ら問題ないが、現実を正しく認識しようという態度で臨むなら、地球が太陽のまわりを回っていなくてはならない。

ニュートンが発見した「万有引力」は、世の中にどのくらい理解されているだろうか。万有というからには例外は許されず、地球とリンゴだけでなく、リンゴとリンゴや、鍋とやかんや、あなたと私もお互いに引っ張りっこしている。試しに力の大きさを計算してみたら、とてつもなく小さかったけど。それでも、ゼロとは本質的に異なる、というのが正しい現実認識である。

●過去三回経験した現実認識革命

さて、この本の内容をざっと追ってみよう。物理学の理論の発展の途上で、劇的な現実認識革命をニュートン以降にあと三度経験しているという。

第一は、アインシュタインの特殊相対性理論のとき。これは、光の進む速さがどこから見ても一定であるという観察結果を組み込んだ理論である。物の寸法や時間の経過は絶対的な尺度ではなく、立場によって変わるという。

仮に、限りなく高精度な時計を右腕と左腕にしていたとする。右手を手前から奥へとすっと動かすと、右腕の時計のほうが、遅く進む。ところで、右腕の時計には蝿が止まっていたとして、その蝿から見ると、逆に、左腕の時計のほうが遅く進む。矛盾するようだが、どちらも正しい。

空間の3次元に時間軸を加えた4次元の時空間で考えたとき、両者の視点が統合され、矛盾が解消する。時空間においては、すべての物が光の速さで移動している。その移動方向が、3次元空間方向にゼロ、つまり静止しているとき、時間は最も速く進む。空間方向に移動しているときは、そっちに移動の成分を取られるので、時間方向に移動する速さは遅くなる。

つまり、時間の経過が遅くなる。空間方向に全速力を使い果たしている光にとっては、時間は経過しない。何億光年もの彼方からやってきた光も、その光自身に言わせれば、生まれたてのほやほやで地球に到達する。先ほどの私と蝿との視点の違いは、座標の軸を回転させたことに相当する。写真家の土門拳氏は「仏像は走っている」と言ったそうだが、これは正しい。

これだけでも眩暈がしそうだが、あとふたつ革命がある。第二は、一般相対性理論である。これは、重力の伝播を組み込んだものである。仮に、今、この瞬間、太陽が消滅したとしよう。そうすると、地球と太陽との間に働く万有引力が解消するので、地球は公転をやめ、直線運動を始める。しかし、それが始まるのは8分後である。「情報」も光の速さを超えて伝達することはできないので、8分間は、地球は「気がつかず」に、存在しない太陽のまわりを回り続ける。これを説明づけるために「時空間は重力によって曲げられる」としたのが、この一般相対性理論である。

第三の革命が超ひも理論である。これは、相対論と量子論を統合して矛盾を解消した理論である。これが、先ほどの11次元の時空間に巻きつくひもの話。詳細は本に任せましょう。

●空想をかきたてられる

この本のことは、イラストレーターの高橋里季さんから、個展に行ったときに教えてもらった。彼女も効能を期待して読んだわけではないのだろうけど、妙に空想をかきたててくれるものがあり、クリエイティブな活動をする人が、インスピレーションの源とするのにも、いいかもしれない。

私はこんなことを考えた。宇宙には、大きく広がった次元がもうひとつぐらいあり、その高次元の空間にも知的な生き物が住んでいるのかもしれない。高次元の世界は想像しづらいので、比喩的に、次元をひとつ落として考えよう。平面上に正方形を描くと、閉じた内側の領域と、広大に広がった外側の領域とに分けられる。内部は完全な密室で、線の一部を破らない限り、出入り不可能である。ところが、その平面を3次元の住人が眺め下ろすとき、正方形の内部も外部もいっぺんに鳥瞰できてしまう。

同様に、4次元世界の住人は、我々の世界のすべてがいっぺんに眺め渡せるのである。例えば、トイレのような密室に閉じこもったとしても、別の次元の方向に移動したとたんに壁も柱もスパッと途切れて、何もかもが丸見えになっているのかもしれない。すべてがお見通しなのだから、宇宙戦艦やらライトセイバーやらで戦ってどうにかなる相手ではない。そして、ここが一番やりきれないところだが、4次元世界でモテないやつらが、しょうがなく3次元に走り、萌え〜とか言ってたりするのかもしれない。

【GrowHair】GrowHair@yahoo.co.jp
カメコ。春先暑い思いをして、秋口寒い思いをすることの多い私は無精者。はて、ジャンパー、どこだっけ? あ、春先脱ぎ散らしたそのままの状態で上にいろいろ堆積してた。まずクリーニングに出さねば。早くしないと冬になっちゃうよ〜。/今年の冬コミは大晦日まで:百八つ煩悩払って残る萌え
< http://www.geocities.jp/layerphotos/
>

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エレガントな宇宙―超ひも理論がすべてを解明する
ブライアン グリーン Brian Greene 林 一
草思社 2001-12
おすすめ平均 star
starわからないのに面白い。宗教的陶酔。
starまだ読んでいる最中なのですが・・・・・・・
star魅了される面白さ
star理論物理学ってすごい!
star英語は、難しくないのだが

The Fabric of the Cosmos: Space, Time, and the Texture of Reality マンガ 超ひも理論―世界で一番わかりやすい! はじめての“超ひも理論”―宇宙・力・時間の謎を解く 超ひも理論とはなにか 美しき大宇宙~統一理論への道~

by G-Tools , 2006/12/15