Otaku ワールドへようこそ![47]上祐史浩、ミクシィに現る!
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上祐史浩氏がミクシィに入会したのは、アーレフ(旧称:オウム真理教)を脱会して新団体を設立すると記者会見で発表する二日前、3月7日(水)のことである。私は3月11日(日)になって、さる友人の日記からそれを知った。

ニセモノなんじゃないの? 仮に本人だとして、ミクシィで信者集めではあるまいな? 日記、何が書いてあるんだろ? とは言え、まんまと術中に嵌って洗脳されても困るしなー。複雑な思いで、恐る恐る読みに行ってみた。二日後の3月13日(火)彼とマイミク(ミクシィ上の友人関係)になっていた。


●そんな目で見ないで、まず話を聞いてください

もちろん、たったの二日ですっかり洗脳されてしまったということではなく、公開範囲を限定してしまった日記を読むための手段としてである。

まずもって、私は上祐氏とはこれまで一面識もなく、今後も距離を詰めるつもりはまったくない。ただ、キャラ設定として、近い部分はある。彼は私よりも15日だけ年下で、かつて同じ大学の同じ学部に在籍していた。学科は電子通信学科と数学科と異なるが、ともに同じ大学院で修士課程まで修了している。すれ違ったりはしていたかもしれない。

さて、その上祐氏がミクシィに入会したことを3月11日(日)に知り、恐る恐る日記を読みにいってみると、「新団体は開かれた場にしたい、ミクシィを通じて一般の方々と真剣に意見交換したい」とあり、布教のような動きはまったくみられなかった。マスコミのフィルタを通さずに、本人から直接発信された相当量の情報を丸ごと受けることができ、しかも公開された場で質疑応答ができる、有意義な場になっていると思った。

ところが、3月12日(月)に「おもいッきりテレビ」などで上祐氏のミクシィ入会が伝えられると、一気に書き込み数が増え、あっという間にコメント数の上限200件に達してしまった。内容も「人殺し!」、「大嘘つき!」のような短い感情の吐露や、「文章が長すぎる」、「難しすぎる」などの苦情が多く、議論の場としては、機能しなくなってしまった。

そこで、上祐氏は「上祐史浩・新団体、意見交換の場」というコミュニティを立ち上げて議論の場を移し、日記の公開範囲をマイミク限定に変更してしまった。しかし、これはいくらなんでもまずい。マイミクを上祐シンパや勧誘ターゲットで固めておいてから、場を閉鎖し、公の目の届かないところで勧誘なり洗脳なり活動できてしまうではないか。

そこで私は、ミクシィのメッセージ機能(個人宛てのメール)を用いて、上祐氏に抗議し、日記を再公開するよう要請した。すると、返信代わりにマイミク申請が届き、本文には「よろしくお願いします」とだけあった。全体公開は無理だけど、あなたには見えるようにしてあげます、ということらしい。で、私がそれを承認する形でマイミク関係が結ばれた。

日記を見てみると、特に怪しい動きはなく、どうやら単に書き込み数を制限したかっただけのようである。また、数では劣勢のようだが、中立からアンチ寄りの人もけっこういて、いちおうの健全性が保たれている。

というわけで、決して私が上祐氏の洗脳に絡め取られて「あっち側」の人間になってしまったわけではないことをご理解いただけますれば。私は、シンパでもアンチでもない中立の立場から、普段はおとなしく静観し、何かよからぬ動きの兆候を察知したときには世の中に向かってニャーニャー大騒ぎする、番犬のようなものでありたいと思っている。

上祐氏のウェブサイト: < http://www.joyus.jp/
>
上祐氏のミクシィホーム: < http://mixi.jp/show_friend.pl?id=10236634
>

●宗教団体存続のジレンマ

上祐氏の法的な罪状は、オウムの起こした犯罪のことを知りながら、無実だと主張したことによる偽証罪である。懲役三年の判決を食らい、すでに刑期を終えているので、法的な償いは済んだと言える。しかしながら、道義的には、オウムの幹部であったことから、大量殺人の片棒を担いだとも言える。上祐氏自身、その罪を背負って生きていくと述べている。

アーレフを脱会して新団体を設立することについては、月刊「創」4月号のインタビュー記事にもある通りだが、アーレフはすでに事実上、麻原派と上祐派に分裂状態だったので、そうするしかなくなってのことだという。解散させずに宗教団体として存続させるのは、まだ何かよからぬことを企んでいるのではないかと、社会に対して不安を与え続けるが、これは賠償を継続していくためにはやむを得ない選択で、破産管財人や遺族の方々や裁判所と話し合って取り決めたことであるという。

一説によると、賠償総額は約40億円にも上り、今までのところ30%程度しか支払いが済んでいないらしい。しかも、ここ数年は、年間1,000万円程度支払うのが精一杯らしい。これの完済を最優先に考えないと、新団体の加入者は「救われた」けど、被害者が置き去りにされた、では話にならない。賠償責任は上祐氏が引き継いでいる。新団体を解散させては布施を集めることもできなくなり、いよいよ賠償が滞る。

街角に立って、寄付金を集めるという手は考えられる。しかし、信者がそれをやったのでは、「人様の懐をあてにするより、まず自分が働いて、稼いだお金を賠償にあてろ」という反発が起きるだけかもしれない。第三者が組織的に行えばよいかもしれない。集まった寄付金は管財人の管理の下、一旦新団体に寄付した形をとり、賠償にあてれば、それが済んだことをもって、新団体の存続理由が大きく後退するので一石二鳥だ。

上祐氏自身が額に汗して働いて、精一杯返せる分だけ返す、というのは、人の道としては正道だけど、現実問題、それで稼げる金額なんて、賠償額に遠く及ばないのは目に見えている。氏の知名度をもってすれば、もっと効率よく稼ぐ方法があるはずだろうとは思うが、私の乏しい知恵では、本を出版するぐらいしか思い浮かばない。信者に売れたのでは意味がなく、一般に売れてベストセラーになるような内容でないと。だけど、それで人気作家になっては、被害者の気持ちを逆撫ですることになりゃせんか。矛盾か。

●暖かく励ます上祐シンパたちの謎

上祐氏は以前は毎日1〜3本の日記をあげていて、内容も「新団体を創ろうと思った理由」についてなど、重かったが、最近は一日ほぼ1本ずつで、その日の予定や、サイトに近日掲載予定の文章の予告など、やや軽めの内容になってきている。日記本文はコミュにも転載している。

日記に対するコメントのつき方にはパターンができてきている。本文を上げた直後から、「がんばってください」、「お忙しそうですが、無理をなさらないよう」と、暖かい励ましの言葉がどどっと続く。そのあと、中立からアンチ寄りの人が出てきて、核心を衝いた議論が展開される。上祐氏に対する批判的な意見が出たり、提案がなされたりする。通常の読解力では理解不可能な(←婉曲表現)コメントも混ざる。

そのあと、上祐氏が最もポイントを押さえていると判断したであろう1〜2件に対して長めのレスをつけ、それを種にまた議論が続く。悪くすると議論が紛糾し、本人および本題をそっちのけで、汚い罵り合いが延々と続く。

最初のほうだけ見ると、やはりマイミクはシンパで固めたか、と思わせられる。紹介文を見ると自称「上祐ギャル」な人がぞろぞろいるし。ミクシィでは仲のいい友達でマイミクを構成するのは当たり前だし、日記に暖かい励ましのコメントがつくのも普通の光景なのだが、ここで同じものを見ると、なんかすげ〜違和感ある。

上祐ギャルたちは、社会の趨勢に流されずに、自分個人の価値観に忠実であろうとする態度においては主体性があるとも言える。しかし、なぜ社会から警戒されている「過去あり」の宗教団体にわざわざ入ってきたのか、特段の主張があってのことか、というと、どうにも謎である。

●誠意ある謝罪を望む

3月18日(日)、二日前の日記のコメント欄で、真正面から批判をぶつけてみたところ、同日、真正面から回答があった。

まず、私のコメント(要約):

被害者遺族への償いは、「金銭的補償」と「誠意をもった、心からの謝罪」の両面が必要だと思います。後者については、遺族に会いに行って、面と向かって謝罪するとのことですが、心からの反省と誠意ある謝罪であることを理解してもらえるにはどうしたらよいとお考えでしょうか?

被害者遺族は「怨恨」という苦しみを背負っています。これは、麻原氏が処刑されたからといって、解決する問題ではなく、最終的には「赦す」というステージに到達しないことには、この苦しみから解放されることはないでしょう。それは、遺族の方々にとって、簡単なことではなく、もしかすると一生その苦しみから逃れられないかもしれません。

上祐氏は、実行犯ではなく、それでも殺人集団の幹部としての道義的責任を引き受けるとのことですが、しょせん麻原の代理謝罪ではスポークスマンの域を出ず、誠意のこもりようがないのではないでしょうか。加害者の側(ましてやその代理)から被害者の心を救うことが可能でしょうか?

上祐氏からの回答(要約):

被害者遺族の心の苦しみを和らげることは非常に難しいことだと思います。今までは本当の意味で謝罪するための準備をしており、本当の謝罪はこれからである、というのが現状だと思います。

今は、その本当の謝罪の前に、その土台として、なすべきことを出来るだけ早くやらなければならない、と思います。それは、十分にオウムの過去を総括して、麻原氏と旧教団の実体や自己の責任を明らかにして、二度とあのような事件が起きないように努力することです。その上で、遺族の方々に謝罪することと賠償していくことだと思います。

この清算を前提条件とした上でお答えするならば、私は今までの様々な経験からしても、あなたがおっしゃるとおり、「最終的には『赦す』というステージに到達しないことには、この『怨恨』という苦しみから解放されることはない」ということは真実だと思います。

かといって、私という、加害者側とされる立場の者が、すなわち、恨みの対象の一部である者が何をすれば、被害者の方が恨みの感情から自己を解放するお手伝いができるか、というと、それは非常に難しいことだと思います。

その中で、私たちができることは、おっしゃるとおり、本来は、松本死刑囚が刑事責任や賠償の民事責任を負っているところ、それを引き受けたという経緯に対して、自分たちが作った教祖、自分たちが作った教団、そして、事件であった、という認識を深めて、できるだけ謝罪と賠償の責任を自分のこととして果たすように努めることが重要だ、と思います。

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前半のは、どちらかというと社会に対する償い。これもちゃんとやってほしい。過去のことすべてを振り返って精査し、そこから拾い上げられる教訓を社会に還元することが、悪行の埋め合わせのしかたのひとつになる。

善良な市民というクリーンな立場から、悪人を見下して罵詈雑言を浴びせることは、正義という大義名分もあり、甘い誘いである。だけど、もし自分が同じ立場だったらと仮定して、道義的責任を進んで負うことができるかと自問すると、甚だ自信がない。ここに、上祐氏の宗教家としての高いモラルをみる。親鸞の言う悪人正機とはこれであったか、と。

その意味で、私からはもう、こうすべきだ、などと言う資格はない。ただ、加害者だからこそできることというのもきっとあるはずで、そこはもっとじっくり考え、何か道を見出してくれればという願いは残る。今後の動きをじっくりとウォッチしていきたい、あくまでも中立の立場を崩さず。

【GrowHair】GrowHair@yahoo.co.jp
そもそもなんでこの議論に食いついたかというと、3月10日(土)の日記のコメントで上祐氏が「国家陰謀論に傾倒しやすいという社会心理現象が(オウムの内外に共通して)あり、その原因に、アニメやSFへの没入がある」との旨を述べているのが引っかかったからだった。うわ、宮崎勤でいい加減イヤな思いをしてきたのに、今度は「オウムとオタク」かいっ、と。ここに突っ込む質問を投げてあり、回答待ち。回答あったらまた書きます。