<しかし、これも芸術のためだ。>
■笑わない魚[221]
句読点はいかに使うか
永吉克之
■デジアナ逆十字固め…[42]
コップの向こう側
上原ゼンジ
■子育てSOHOオヤジ量産プロジェクト[145]
娘が小学生になってしまったことについて
茂田カツノリ
■イベント案内
CSS Nite shuffle
■笑わない魚[221]
句読点はいかに使うか
永吉克之
■デジアナ逆十字固め…[42]
コップの向こう側
上原ゼンジ
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娘が小学生になってしまったことについて
茂田カツノリ
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■笑わない魚[221]
句読点はいかに使うか
永吉克之
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文章に用いられる句読点、つまり「。」と「、」は一種の「親切」である。読み手が理解しやすいようにつけられた目印ともいえるわけだから、これをないがしろにしている文章書きは、極道者か無政府主義者の類いである。
句読点は別名「苦闘点」と呼ばれるくらい、それを使いこなすには不撓不屈の精神力と、微に入り細を穿つ心配りが不可欠となる。しかし、句読点を巧みに用いたからといって、この作家の句読点の美技は他の追従を許さない、などと読者から賞讃を受けることはない。どんなにソツなくこなしても、誰からも誉められることのない家事労働のようなものである。
ちなみに、私の句読点様式は、桐之宮家の流れを汲むもので、貴族的な香りを漂わせつつも、その根底には仏教的な無常観が据えられている。海外を見渡しても、これほど精緻かつ典雅な句読点を使う流派はない。
●読点
日本語には、英語のように単語ごとにスペースを空ける決まりがなく、時に単語の区切りさえ判らなくなることがある。たとえば読点をいっさい使わずに、
「私は宝物にしていたハワイで買った大福餅で三郎を殴りました」
と書くと当然、読む側は頭の中で、
「私は宝、物にしていたハ、ワイで買った大福、餅で三郎を殴りました」
と、区切ってしまうはずだ。つまりこの人は自己愛が強くて「私は宝」などと言っている。また「ワイで買った」と言うところを見ると、大阪の男性らしい。しかし「餅で三郎」とは、どこまでが苗字なのだ。「餅・で三郎」なのか「餅で・三郎」なのか。しかし「物にしていたハ」とは何なのだろう。訳が分からない…とかなんとか混乱して読むのをやめてしまうにちがいない。こんな場合、桐之宮様式に従って、
「私は、宝物にしていた、ハワイで買った大福餅で、三郎を殴りました」
といった具合に点を打つと、突然スッキリと意味が通るようになる。あたかも、一週間、腹の中に溜めに溜めた便が、堰を切った怒濤のごとく噴出し、便器を埋め尽くしたような爽快感があるではないか。読点とは下剤にほかならない。
そもそも桐之宮様式を極めた読点遣いの匠なら、どんなメッチャクチャな文章でも、理解できる文章に仕立て上げることができるのだ。たとえば無作為に平仮名を羅列して作った、
「ぼひらねちゃんげどぼざじょいほまきゃぴまぐんゆ」
という、密教の呪文のように難解な、文章とはいえない文章でも、
「ぼひら、ねちゃんげど、ぼざじょい、ほまきゃ、ぴまぐんゆ」
のように点を打てば、つまり墓碑らというのは、実は根ちゃんだけども、ぼざ女医だから、帆を巻けば、ぴまぐんなのであるということが、突如として理解されるのである。
あたかも、悪酔いしてバスに乗り、揺れるたびに戻しそうになるのをこらえながら、なんとか目的地までたどり着き、バスを降りるやいなや歩道の上にぶちまけ、反吐の池の中に、未消化のラーメンを見つけたときのようなカタルシスがあるではないか。
しかし、こんな錬金術とでも呼ぶべき読点遣いは、今の日本の文芸界では、あまり見られなくなった。今後、廃れる一方であろう。残念なことだ。
●句点
数学的に考えると、「点」とは位置を示すことができるのみで、長さも面積もない、一次元の存在でなければならない。
だから、「句点」とはいっても、円形をしているから、点ではなく面であり、面積がある。ちなみに罰点(×)も点ではなく線だから長さがある。本来なら「句円」「罰線」と呼ばなければならないところだ。
また「早合点」には面積はないが、位置を示すことができない。「交差点」には人生があるが、面積もある。「紅一点」は美人なら好きだが、面積どころか体積まである。「笑点」の大喜利はマンネリを極めていて、むしろ笑える。
正統性を重んじる桐之宮様式では、これら、点に似て点に非ざるものは、受け入れがたいのであるが、使わないと文章の終わりがどこか分らなくなるので、いやいやながら使う、あるいは、ふて腐れて使うことを旨としている。
ところで、小説『野ブタ。をプロデュース』や「モーニング娘。」の句点遣いはいただけない。本来は打たない所に句点を打つことの意外性を目論んだのだろうが、まだ甘い。小説が芥川賞「候補」で終ったのは、その甘さを選考委員が見逃さなかったからだ。句点を始めに打って『。野ブタをプロデュース』にすれば、受賞していたはずである。また「モーニ。ング娘」あるいは「モーニング娘°」なら、間違いなく、上方お笑い大賞を獲得していたであろう。
【ながよしかつゆき/門番】katz@mvc.biglobe.ne.jp
前回は、私にしては珍しく虚偽の少ないコラムになったが、ブログを閉鎖するとか、仕事を辞めて餓死するとかいったあたりは、デマである。いったい誰がそんな無責任なことを言ったのだ。
・ちょ〜絵文字< http://emoz.jp/
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■デジアナ逆十字固め…[42]
コップの向こう側
上原ゼンジ
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●表参道、青山界隈をコップ片手に撮影
今まで、いろんなものをレンズの前にかざして撮影してきた。透明な塩ビにマニキュアのトップコートを塗って凸凹にしてみたり、オーガンジー(透け透けの布)でソフト効果を試してみたり、宝石のオモチャでミラージュしてみたり……。そして今度はガラスをフィルター代わりにしてみることにした。
もちろん普通のガラスだと素通しになってしまうので、ちょっと凸凹したようなものが面白い。具体的にはアジアン雑貨店などで売っている一輪挿しやコップの類。手作りのガラス製品で、ちょっとウネウネしていて気泡が入っているようなもの。それをカメラのレンズ前にかざして撮影するわけだ。まあ、家の中でやっている分にはまだ許されるが、コップをカメラにくっつけて、そこいらをうろつき回っているオジサンというのは、かなり怪しい感じになるだろう。
今までもかなり怪しい撮影をしてきた。薄いゴム生地製のフニャフニャシフトレンズや、一眼レフにボディキャップだけ着けて撮影するピンホールカメラなど。しかし、コップを持っての撮影というのは自己記録を更新するぐらい斬新かもしれない。しかもコンパクトデジカメだから、とても素晴らしいアートを創作していると気づく人はいないだろう。
ということで、表参道、青山界隈をコップ片手に撮影してきた。この場所を選んだのは、骨董通り近辺のインテリアショップで新たなガラス器を探し出す目的もあった。幸い天気も良くて、お散歩しながら撮影するには最適だったが、初めはコップを取り出すのに少し躊躇した。しかし、誰もオレ様のことなんざあ気にしちゃいねえと開き直って撮影を決行。
コンパクトデジカメでも、居合い抜きのようにノーファインダーで撮影するというのなら、多少様になるかもしれないが、コップじゃあねえ……。しかも写り具合を微妙に変えるためにコップの位置を調整しなげればならない。慣れないからコップとデジカメを手にもたついてしまう。想像以上の格好悪さだな。
●ボトルカッターを注文する
天気がいいから、液晶画面はテカるし、人の眼は気になるしで、心地よい撮影というわけにはいかなかったが、不審尋問されることもなく無事撮影は終了。そしてハウスショップ「Madu」で、いい感じのガラス器も購入。
撮影結果に関してはけっこう良好だった。。そんなにいい写真が撮れたというわけじゃあないんだけど、可能性は感じた。可能性というのは、ガラスの凹凸で写真が歪む感じが、なかなか美しくてよろしい。
< http://kitschlens.cocolog-nifty.com/photos/glass/index.html
>
今まで塩ビにマニキュアのトップコートを塗ることによって、同じような効果を得ようとしていたが、ガラスのほうが美しい。チープさを求めてわざと安っぽいものを使ってきたわけだが、ただ安っぽいのではなく、「なんか変な感じだけど、きれい」のほうがもちろんいい。ガラスと塩ビの描写の違いを明確に言語で伝えることは難しいが、今後クネクネガラス方面を深く静かに探求してみようと思わせるものがあったことは確かだ。
ただし、コップを持って撮影するというのはどうにかしたい。そこで、コップを切って円盤状にする方法がないかと思ってネットで調べてみた。そして探し出したのが「ボトルカッター」(6,800円)だ。
< http://www.sgs-jpn.com/howtowhy/bottle.htm
>
ワインのボトルなんかを切って、照明用ランプの傘を作ったりというのに使うものらしい。私は一瞬迷い、次の瞬間注文してしまった。ボトルを切る以外には何の役にも立たない代物だ。また家人が激怒する姿が思い浮かぶ。しかし、これも芸術のためだ。温かな気持ちで見守って貰うしかないな。
ボトルカッターは明日届く予定だ。しかし、良く考えたらバーナーを買って、直にガラスを焙ってみたほうが面白いかもしれない。原稿を書き終えたらちょっと調べてみよう。
ということで、連載はチープなレンズを求める旅から、美しく歪むフィルターを求める旅へと移行していきそうな気もするし、暖かくなってきたからミジンコを求めて三千里になるかもしれない。まあ、気の向くまま好きにやらせて貰うことにしよう。
【うえはらぜんじ】zenstudio@maminka.com
◇キッチュレンズ工房
< http://kitschlens.cocolog-nifty.com/blog/
>
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■子育てSOHOオヤジ量産プロジェクト[145]
娘が小学生になってしまったことについて
茂田カツノリ
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どうも、年中時差ボケの茂田です。
●娘が小学生にっ
僕の人生に大きな変革をもたらしてくれた娘が、この春ついに小学生になった。小柄な娘が制服を着てランドセルしょってる姿は、なかなかサマになってて親としても誇らしい気分。
お父さんは心配性なので、毎朝学校までついて行くつもりだったのだが、三日めにして「もうついてこないでっ」と言われてしまった。これからはサングラスにマスクして、全裸にロングコートで尾行することにしよう。
●ここまでを振り返る
子育てにおいては、小学生になるっていうのは大きな一段落。もちろんまだまだ親として教えねばならないことはたくさんあるが、とりあえず人間として生きてゆくことができる年齢に到達したな、という実感はある。
いままでを振り返ってみると、まず産まれてから一歳までは、困惑の日々だった。最初は、時間を自分の思うように使えないということにも慣れなかった。いつでも思い立ったときにコンビニなり本屋なりに行けるのが当たり前と思ってたから、子供を連れてく、という要素を生活に組み込む必要があったのだ。これはすぐに慣れたけど。
これが一歳を過ぎ自分で歩き始めると、目が離せなくてもう大変。転んで怪我するくらいはかまわないけど、それ以上の問題につながりそうなもの、たとえばコンセントなどはキャップするし、風呂も水を溜めたままにはしないなどの気遣いが必要。
二歳になると、危険なこと、やってはいけないことをだいぶ理解するようになる。自分でご飯も食べれるようになるから、このあたりでちょっとひといき、という感じ。
うちの場合は年子の弟がいるから、これが二歳になって多少聞き分けするようになるまでは、やっぱり大変だった。まあ楽しいことのほうがずっと多かったから、大変とは思ってないけど。
そして、年子の二人が二 - 三歳になってから以降は、二人で工夫して遊んでくれるので、親の負荷はとっても少なくなった。これが母親と子供が一対一で過ごす形だったら、もっとずっと大変だったろうな、と推測できる。
これから子持ちになる皆さん、子供は一人より二人のほうがトータルでは楽ですよ。上が一歳、下が0歳の一年間さえ乗り切れば、あとは一人だけより楽っ。
上の子が小学生になると、下の子は一人で幼稚園行くわけで、もしかして寂しがるかなと心配した。しかしこっちはこっちで、この半年の間に人間的にみるみる成長し、顔つきもぐっとしっかりしてきて、いまはゴミ出しくらい普通にやってくれる五歳児になった。
●小学校っていうもの
子供を小学校に行かせるとなると、心配なのが学級崩壊やイジメなどの問題。こうしたものの実体はそう簡単にはわからないし、「乗り切れる強さを持ってほしい」とかいう単純なことで済む問題とも思えない。
僕自身は渋谷に住んでいることが快適に感じていて、それは多様な価値観が存在するのが当たり前、という風潮が感じられるから。大人にそういう雰囲気の人が多いから、子供も比較的大丈夫だろうと思うのは、甘い考えかもしれないけど、いまんとこそう思うことにしている。
これが郊外のニュータウンで、社会的存在が似ている人が集まった状況だと、もうちょっと違うのかな。
たとえば公園デビューさせるときに人間関係に気を遣うとか、幼稚園の願書を取るために徹夜するとか、母親どうしの派閥や見栄張りで疲れるとかいう、女性週刊誌にありそうなネタは、僕ら夫婦はいっさい感じることがない。
自分たちにとって快適な環境なら、子供にもあっている、という状態ならいいなあ、と思うのだった。
【しげた・かつのり】
職業は、一応起業家。そろそろ成功したいなあ。
あ、4月末に僕の監修した「FileMaker関数・スクリプト+α事典」が発売されますので、よろしく。
【イベント情報】- FileMaker Fun Night! -
第23回・ポータルについて考えよう
5月26日(土)16:30〜18:00/AppleStore Ginza 3F
情報を整理して表示するためには欠かせない機能である「ポータル」は、便利だけれど使いこなしにちょっとした知識を要する部分もあります。そんなポータルの基本・留意点・応用事例などをまとめてご紹介します。ぜひ身につけてほしい「ポータルフィルタリング」などのテクニックもご紹介します。
なおこの日は、引き続き19時からまつばらあつしさんのイベントもあり、デジクリがAppleStoreを乗っ取る記念日なのです。
【※開始時間が変更されています。ご注意ください】
・有限会社レクレアル
< http://www.recrear.jp/
>
・子育てSOHOオヤジ - The Blog!
< http://amonita.jugem.jp/?eid=34
>
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■イベント案内
CSS Nite shuffle
< http://shuffle.cssnite.jp/dgcr.html
>
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日時:4月16日(月)19:00〜22:30
会場:渋谷duo -music exchange-(東京都渋谷区道玄坂2-14-8)
料金:3,000円
主催:スイッチ
内容:DJタイムやダンスフロアがあるわけではありませんが、クラブで開催するCSSNiteです。Flash/WPFなどの話題もあります。
「エコなWebデザイナーになろう。」長谷川恭久
環境改善でよく使われているキーワードをWebデザインに当てはめながら、Webの世界をよくするための考え方や例を紹介。
「ついに出たApolloのパブリックベータ、インストールから向かうビジョンまで」太田禎一(アドビシステムズ)
FlashとPDFの融合、脱ブラウザ、マイクロソフトのWPFと競合するデスクトップアプリケーション戦略として注目を集めているApollo。Apolloの概要から、その制作方法、目指すビジョンまで。
「リッチコンテンツ制作に求められるセンスとスキル」北村健(ベースメントファクトリー)、松岡清一(NRI NET COM)
Flashだけでなく、Ajax、WPF、Apolloなど、増えつつあるリッチコンテンツの制作プラットフォームをどのような思考で選択するか、クライアントにどのように提案していくかを語る。
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■編集後記(4/12)
・「日はまた沈む」から「日はまた昇る」にいたるのはビル・エモットだが、「そして、日は昇った! 日本が世界の『富』を牽引する」と言い切るのが増田俊男である(PHP研究所、2007)。著者は、強気な見通しで「日本大復活!」とか「だから日本は勝つ。」「空前の内需拡大バブルが始まる!」などを次々に出版してきた時事評論家だ。書かれていることはリアルでスリリングだ。本文の構成が非常に巧みである。第一部・日本復活は本当か─その影に潜む「危機」に迫る! 第二部・「宿命」で動くアメリカの危機─従属する日本はどうなる? 第三部・世界経済はどうなるのか─日米が牽引する時代が始まった!感嘆符が多いが(笑)読み進めるほど、なるほど、そうだったのか! の連続である。「歴代内閣にみる対米従属の歴史」を読むと、あの小泉劇場が "アメリカの国益のために" 果たした役割がはっきりわかる。第二部からは、先の六カ国協議の本質(=米朝の阿吽の呼吸に日本をふくむ各国が振り回されている)もよくわかった。経済音痴のメディアにミスリードされている日本の現状も理解できる。見出しも具体的で、それだけ読んでいってもほぼ主張がわかる。ともかく、日本の危機やだめなところをこれでもかというくらい並べてくれる。そして、その本質は「資本の意志」があっても「力の意志」のない、自分自身に責任が持てない国になっていることだという。日本は事実上米の属国であり、米の貯金箱としての役割しか期待されてこなかった。しかし、いまこそ日本が真に独立した国家として再生できるチャンスであると筆者は力説する。元気が出るなあ、ほかの三冊も読んでみようか。(柴田)
・「セクシーボイスアンドロボ」を見た。文化庁メディア芸術祭マンガ部門大賞受賞という原作のマンガを知らず、予告を見ても興味を持てず、でもまぁ初回だけは録画しておこうかな、って流れ。「いじめにあって親に相談する子供がいるのだろうか」「相談したって親の反応はわかっている」「面倒なことには関わらないように言われ」「でもその面倒なことに関わった子たちがその後どうなったのかは知らない」「自分たちの世界は家と学校とコンビニ」「(事件を目撃して人に言いたくなる。宗教とテレクラの張り紙を見てテレクラを指差し)こっち」と続く。人から見てゴミとしか思えないようなものを大事にしている一人の男性。三日しか記憶が保たず、自分が生きてきた証として、コースターやレシートなどを大事にしていたのだ。主人公の女の子の姉は、洋服を買った時についてくるタグを引出しにしまう。主人公に、なぜ捨てないのかと聞かれ、なぜだろうと答える。父親は子供の頃から牛乳瓶のフタを集めている。奥さんに見つかり、死んだらその年の大掃除で捨てると言われ、せめて五年は残しておいて欲しいと言う。女の子はある女店主に「知ったら後戻りできない」と言われる。面倒なことに関わってはいけないと思いながらも、関わる決心をする。そしてあることが起こり、その子が女店主に「もし私が行動を起こさなければ。だとしたら私のせいだ」と言うと、その女店主は「そうよ、あなたのせいよ。だってあなた一人で生きているんじゃないもん。この世界にあなたは関わっているの。どうしようもなく関わっているのよ」と答える。映像的にいい時と悪い時がかけ離れているし、主人公の男性や、演出に時々違和感を覚えるが、全体的なキャスティングが好きだ。原作にあるのかどうかわからないんだけど、時々「ん?」とひっかかることばがある。調べてみると脚本は「すいか」の木皿泉さん。「すいか」が大好きであった。教授浅丘ルリ子さんも出ているし、大後寿々花ちゃんがいい感じだし、しばらく違和感を我慢して木皿さんの選んだことばの出てくるドラマを見てみようっと。(hammer.mule)
< http://www.ntv.co.jp/sexyvoice/
> セクシーボイスアンドロボ
< http://ja.wikipedia.org/wiki/
> 「木皿泉」で検索
句読点はいかに使うか
永吉克之
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文章に用いられる句読点、つまり「。」と「、」は一種の「親切」である。読み手が理解しやすいようにつけられた目印ともいえるわけだから、これをないがしろにしている文章書きは、極道者か無政府主義者の類いである。
句読点は別名「苦闘点」と呼ばれるくらい、それを使いこなすには不撓不屈の精神力と、微に入り細を穿つ心配りが不可欠となる。しかし、句読点を巧みに用いたからといって、この作家の句読点の美技は他の追従を許さない、などと読者から賞讃を受けることはない。どんなにソツなくこなしても、誰からも誉められることのない家事労働のようなものである。
ちなみに、私の句読点様式は、桐之宮家の流れを汲むもので、貴族的な香りを漂わせつつも、その根底には仏教的な無常観が据えられている。海外を見渡しても、これほど精緻かつ典雅な句読点を使う流派はない。
●読点
日本語には、英語のように単語ごとにスペースを空ける決まりがなく、時に単語の区切りさえ判らなくなることがある。たとえば読点をいっさい使わずに、
「私は宝物にしていたハワイで買った大福餅で三郎を殴りました」
と書くと当然、読む側は頭の中で、
「私は宝、物にしていたハ、ワイで買った大福、餅で三郎を殴りました」
と、区切ってしまうはずだ。つまりこの人は自己愛が強くて「私は宝」などと言っている。また「ワイで買った」と言うところを見ると、大阪の男性らしい。しかし「餅で三郎」とは、どこまでが苗字なのだ。「餅・で三郎」なのか「餅で・三郎」なのか。しかし「物にしていたハ」とは何なのだろう。訳が分からない…とかなんとか混乱して読むのをやめてしまうにちがいない。こんな場合、桐之宮様式に従って、
「私は、宝物にしていた、ハワイで買った大福餅で、三郎を殴りました」
といった具合に点を打つと、突然スッキリと意味が通るようになる。あたかも、一週間、腹の中に溜めに溜めた便が、堰を切った怒濤のごとく噴出し、便器を埋め尽くしたような爽快感があるではないか。読点とは下剤にほかならない。
そもそも桐之宮様式を極めた読点遣いの匠なら、どんなメッチャクチャな文章でも、理解できる文章に仕立て上げることができるのだ。たとえば無作為に平仮名を羅列して作った、
「ぼひらねちゃんげどぼざじょいほまきゃぴまぐんゆ」
という、密教の呪文のように難解な、文章とはいえない文章でも、
「ぼひら、ねちゃんげど、ぼざじょい、ほまきゃ、ぴまぐんゆ」
のように点を打てば、つまり墓碑らというのは、実は根ちゃんだけども、ぼざ女医だから、帆を巻けば、ぴまぐんなのであるということが、突如として理解されるのである。
あたかも、悪酔いしてバスに乗り、揺れるたびに戻しそうになるのをこらえながら、なんとか目的地までたどり着き、バスを降りるやいなや歩道の上にぶちまけ、反吐の池の中に、未消化のラーメンを見つけたときのようなカタルシスがあるではないか。
しかし、こんな錬金術とでも呼ぶべき読点遣いは、今の日本の文芸界では、あまり見られなくなった。今後、廃れる一方であろう。残念なことだ。
●句点
数学的に考えると、「点」とは位置を示すことができるのみで、長さも面積もない、一次元の存在でなければならない。
だから、「句点」とはいっても、円形をしているから、点ではなく面であり、面積がある。ちなみに罰点(×)も点ではなく線だから長さがある。本来なら「句円」「罰線」と呼ばなければならないところだ。
また「早合点」には面積はないが、位置を示すことができない。「交差点」には人生があるが、面積もある。「紅一点」は美人なら好きだが、面積どころか体積まである。「笑点」の大喜利はマンネリを極めていて、むしろ笑える。
正統性を重んじる桐之宮様式では、これら、点に似て点に非ざるものは、受け入れがたいのであるが、使わないと文章の終わりがどこか分らなくなるので、いやいやながら使う、あるいは、ふて腐れて使うことを旨としている。
ところで、小説『野ブタ。をプロデュース』や「モーニング娘。」の句点遣いはいただけない。本来は打たない所に句点を打つことの意外性を目論んだのだろうが、まだ甘い。小説が芥川賞「候補」で終ったのは、その甘さを選考委員が見逃さなかったからだ。句点を始めに打って『。野ブタをプロデュース』にすれば、受賞していたはずである。また「モーニ。ング娘」あるいは「モーニング娘°」なら、間違いなく、上方お笑い大賞を獲得していたであろう。
【ながよしかつゆき/門番】katz@mvc.biglobe.ne.jp
前回は、私にしては珍しく虚偽の少ないコラムになったが、ブログを閉鎖するとか、仕事を辞めて餓死するとかいったあたりは、デマである。いったい誰がそんな無責任なことを言ったのだ。
・ちょ〜絵文字< http://emoz.jp/
>au&Yahoo!ケータイ公式サイト
・無名芸人< http://blog.goo.ne.jp/nagayoshi_katz/
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■デジアナ逆十字固め…[42]
コップの向こう側
上原ゼンジ
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●表参道、青山界隈をコップ片手に撮影
今まで、いろんなものをレンズの前にかざして撮影してきた。透明な塩ビにマニキュアのトップコートを塗って凸凹にしてみたり、オーガンジー(透け透けの布)でソフト効果を試してみたり、宝石のオモチャでミラージュしてみたり……。そして今度はガラスをフィルター代わりにしてみることにした。
もちろん普通のガラスだと素通しになってしまうので、ちょっと凸凹したようなものが面白い。具体的にはアジアン雑貨店などで売っている一輪挿しやコップの類。手作りのガラス製品で、ちょっとウネウネしていて気泡が入っているようなもの。それをカメラのレンズ前にかざして撮影するわけだ。まあ、家の中でやっている分にはまだ許されるが、コップをカメラにくっつけて、そこいらをうろつき回っているオジサンというのは、かなり怪しい感じになるだろう。
今までもかなり怪しい撮影をしてきた。薄いゴム生地製のフニャフニャシフトレンズや、一眼レフにボディキャップだけ着けて撮影するピンホールカメラなど。しかし、コップを持っての撮影というのは自己記録を更新するぐらい斬新かもしれない。しかもコンパクトデジカメだから、とても素晴らしいアートを創作していると気づく人はいないだろう。
ということで、表参道、青山界隈をコップ片手に撮影してきた。この場所を選んだのは、骨董通り近辺のインテリアショップで新たなガラス器を探し出す目的もあった。幸い天気も良くて、お散歩しながら撮影するには最適だったが、初めはコップを取り出すのに少し躊躇した。しかし、誰もオレ様のことなんざあ気にしちゃいねえと開き直って撮影を決行。
コンパクトデジカメでも、居合い抜きのようにノーファインダーで撮影するというのなら、多少様になるかもしれないが、コップじゃあねえ……。しかも写り具合を微妙に変えるためにコップの位置を調整しなげればならない。慣れないからコップとデジカメを手にもたついてしまう。想像以上の格好悪さだな。
●ボトルカッターを注文する
天気がいいから、液晶画面はテカるし、人の眼は気になるしで、心地よい撮影というわけにはいかなかったが、不審尋問されることもなく無事撮影は終了。そしてハウスショップ「Madu」で、いい感じのガラス器も購入。
撮影結果に関してはけっこう良好だった。。そんなにいい写真が撮れたというわけじゃあないんだけど、可能性は感じた。可能性というのは、ガラスの凹凸で写真が歪む感じが、なかなか美しくてよろしい。
< http://kitschlens.cocolog-nifty.com/photos/glass/index.html
>
今まで塩ビにマニキュアのトップコートを塗ることによって、同じような効果を得ようとしていたが、ガラスのほうが美しい。チープさを求めてわざと安っぽいものを使ってきたわけだが、ただ安っぽいのではなく、「なんか変な感じだけど、きれい」のほうがもちろんいい。ガラスと塩ビの描写の違いを明確に言語で伝えることは難しいが、今後クネクネガラス方面を深く静かに探求してみようと思わせるものがあったことは確かだ。
ただし、コップを持って撮影するというのはどうにかしたい。そこで、コップを切って円盤状にする方法がないかと思ってネットで調べてみた。そして探し出したのが「ボトルカッター」(6,800円)だ。
< http://www.sgs-jpn.com/howtowhy/bottle.htm
>
ワインのボトルなんかを切って、照明用ランプの傘を作ったりというのに使うものらしい。私は一瞬迷い、次の瞬間注文してしまった。ボトルを切る以外には何の役にも立たない代物だ。また家人が激怒する姿が思い浮かぶ。しかし、これも芸術のためだ。温かな気持ちで見守って貰うしかないな。
ボトルカッターは明日届く予定だ。しかし、良く考えたらバーナーを買って、直にガラスを焙ってみたほうが面白いかもしれない。原稿を書き終えたらちょっと調べてみよう。
ということで、連載はチープなレンズを求める旅から、美しく歪むフィルターを求める旅へと移行していきそうな気もするし、暖かくなってきたからミジンコを求めて三千里になるかもしれない。まあ、気の向くまま好きにやらせて貰うことにしよう。
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◇キッチュレンズ工房
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■子育てSOHOオヤジ量産プロジェクト[145]
娘が小学生になってしまったことについて
茂田カツノリ
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どうも、年中時差ボケの茂田です。
●娘が小学生にっ
僕の人生に大きな変革をもたらしてくれた娘が、この春ついに小学生になった。小柄な娘が制服を着てランドセルしょってる姿は、なかなかサマになってて親としても誇らしい気分。
お父さんは心配性なので、毎朝学校までついて行くつもりだったのだが、三日めにして「もうついてこないでっ」と言われてしまった。これからはサングラスにマスクして、全裸にロングコートで尾行することにしよう。
●ここまでを振り返る
子育てにおいては、小学生になるっていうのは大きな一段落。もちろんまだまだ親として教えねばならないことはたくさんあるが、とりあえず人間として生きてゆくことができる年齢に到達したな、という実感はある。
いままでを振り返ってみると、まず産まれてから一歳までは、困惑の日々だった。最初は、時間を自分の思うように使えないということにも慣れなかった。いつでも思い立ったときにコンビニなり本屋なりに行けるのが当たり前と思ってたから、子供を連れてく、という要素を生活に組み込む必要があったのだ。これはすぐに慣れたけど。
これが一歳を過ぎ自分で歩き始めると、目が離せなくてもう大変。転んで怪我するくらいはかまわないけど、それ以上の問題につながりそうなもの、たとえばコンセントなどはキャップするし、風呂も水を溜めたままにはしないなどの気遣いが必要。
二歳になると、危険なこと、やってはいけないことをだいぶ理解するようになる。自分でご飯も食べれるようになるから、このあたりでちょっとひといき、という感じ。
うちの場合は年子の弟がいるから、これが二歳になって多少聞き分けするようになるまでは、やっぱり大変だった。まあ楽しいことのほうがずっと多かったから、大変とは思ってないけど。
そして、年子の二人が二 - 三歳になってから以降は、二人で工夫して遊んでくれるので、親の負荷はとっても少なくなった。これが母親と子供が一対一で過ごす形だったら、もっとずっと大変だったろうな、と推測できる。
これから子持ちになる皆さん、子供は一人より二人のほうがトータルでは楽ですよ。上が一歳、下が0歳の一年間さえ乗り切れば、あとは一人だけより楽っ。
上の子が小学生になると、下の子は一人で幼稚園行くわけで、もしかして寂しがるかなと心配した。しかしこっちはこっちで、この半年の間に人間的にみるみる成長し、顔つきもぐっとしっかりしてきて、いまはゴミ出しくらい普通にやってくれる五歳児になった。
●小学校っていうもの
子供を小学校に行かせるとなると、心配なのが学級崩壊やイジメなどの問題。こうしたものの実体はそう簡単にはわからないし、「乗り切れる強さを持ってほしい」とかいう単純なことで済む問題とも思えない。
僕自身は渋谷に住んでいることが快適に感じていて、それは多様な価値観が存在するのが当たり前、という風潮が感じられるから。大人にそういう雰囲気の人が多いから、子供も比較的大丈夫だろうと思うのは、甘い考えかもしれないけど、いまんとこそう思うことにしている。
これが郊外のニュータウンで、社会的存在が似ている人が集まった状況だと、もうちょっと違うのかな。
たとえば公園デビューさせるときに人間関係に気を遣うとか、幼稚園の願書を取るために徹夜するとか、母親どうしの派閥や見栄張りで疲れるとかいう、女性週刊誌にありそうなネタは、僕ら夫婦はいっさい感じることがない。
自分たちにとって快適な環境なら、子供にもあっている、という状態ならいいなあ、と思うのだった。
【しげた・かつのり】
職業は、一応起業家。そろそろ成功したいなあ。
あ、4月末に僕の監修した「FileMaker関数・スクリプト+α事典」が発売されますので、よろしく。
【イベント情報】- FileMaker Fun Night! -
第23回・ポータルについて考えよう
5月26日(土)16:30〜18:00/AppleStore Ginza 3F
情報を整理して表示するためには欠かせない機能である「ポータル」は、便利だけれど使いこなしにちょっとした知識を要する部分もあります。そんなポータルの基本・留意点・応用事例などをまとめてご紹介します。ぜひ身につけてほしい「ポータルフィルタリング」などのテクニックもご紹介します。
なおこの日は、引き続き19時からまつばらあつしさんのイベントもあり、デジクリがAppleStoreを乗っ取る記念日なのです。
【※開始時間が変更されています。ご注意ください】
・有限会社レクレアル
< http://www.recrear.jp/
>
・子育てSOHOオヤジ - The Blog!
< http://amonita.jugem.jp/?eid=34
>
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■イベント案内
CSS Nite shuffle
< http://shuffle.cssnite.jp/dgcr.html
>
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日時:4月16日(月)19:00〜22:30
会場:渋谷duo -music exchange-(東京都渋谷区道玄坂2-14-8)
料金:3,000円
主催:スイッチ
内容:DJタイムやダンスフロアがあるわけではありませんが、クラブで開催するCSSNiteです。Flash/WPFなどの話題もあります。
「エコなWebデザイナーになろう。」長谷川恭久
環境改善でよく使われているキーワードをWebデザインに当てはめながら、Webの世界をよくするための考え方や例を紹介。
「ついに出たApolloのパブリックベータ、インストールから向かうビジョンまで」太田禎一(アドビシステムズ)
FlashとPDFの融合、脱ブラウザ、マイクロソフトのWPFと競合するデスクトップアプリケーション戦略として注目を集めているApollo。Apolloの概要から、その制作方法、目指すビジョンまで。
「リッチコンテンツ制作に求められるセンスとスキル」北村健(ベースメントファクトリー)、松岡清一(NRI NET COM)
Flashだけでなく、Ajax、WPF、Apolloなど、増えつつあるリッチコンテンツの制作プラットフォームをどのような思考で選択するか、クライアントにどのように提案していくかを語る。
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■編集後記(4/12)
・「日はまた沈む」から「日はまた昇る」にいたるのはビル・エモットだが、「そして、日は昇った! 日本が世界の『富』を牽引する」と言い切るのが増田俊男である(PHP研究所、2007)。著者は、強気な見通しで「日本大復活!」とか「だから日本は勝つ。」「空前の内需拡大バブルが始まる!」などを次々に出版してきた時事評論家だ。書かれていることはリアルでスリリングだ。本文の構成が非常に巧みである。第一部・日本復活は本当か─その影に潜む「危機」に迫る! 第二部・「宿命」で動くアメリカの危機─従属する日本はどうなる? 第三部・世界経済はどうなるのか─日米が牽引する時代が始まった!感嘆符が多いが(笑)読み進めるほど、なるほど、そうだったのか! の連続である。「歴代内閣にみる対米従属の歴史」を読むと、あの小泉劇場が "アメリカの国益のために" 果たした役割がはっきりわかる。第二部からは、先の六カ国協議の本質(=米朝の阿吽の呼吸に日本をふくむ各国が振り回されている)もよくわかった。経済音痴のメディアにミスリードされている日本の現状も理解できる。見出しも具体的で、それだけ読んでいってもほぼ主張がわかる。ともかく、日本の危機やだめなところをこれでもかというくらい並べてくれる。そして、その本質は「資本の意志」があっても「力の意志」のない、自分自身に責任が持てない国になっていることだという。日本は事実上米の属国であり、米の貯金箱としての役割しか期待されてこなかった。しかし、いまこそ日本が真に独立した国家として再生できるチャンスであると筆者は力説する。元気が出るなあ、ほかの三冊も読んでみようか。(柴田)
・「セクシーボイスアンドロボ」を見た。文化庁メディア芸術祭マンガ部門大賞受賞という原作のマンガを知らず、予告を見ても興味を持てず、でもまぁ初回だけは録画しておこうかな、って流れ。「いじめにあって親に相談する子供がいるのだろうか」「相談したって親の反応はわかっている」「面倒なことには関わらないように言われ」「でもその面倒なことに関わった子たちがその後どうなったのかは知らない」「自分たちの世界は家と学校とコンビニ」「(事件を目撃して人に言いたくなる。宗教とテレクラの張り紙を見てテレクラを指差し)こっち」と続く。人から見てゴミとしか思えないようなものを大事にしている一人の男性。三日しか記憶が保たず、自分が生きてきた証として、コースターやレシートなどを大事にしていたのだ。主人公の女の子の姉は、洋服を買った時についてくるタグを引出しにしまう。主人公に、なぜ捨てないのかと聞かれ、なぜだろうと答える。父親は子供の頃から牛乳瓶のフタを集めている。奥さんに見つかり、死んだらその年の大掃除で捨てると言われ、せめて五年は残しておいて欲しいと言う。女の子はある女店主に「知ったら後戻りできない」と言われる。面倒なことに関わってはいけないと思いながらも、関わる決心をする。そしてあることが起こり、その子が女店主に「もし私が行動を起こさなければ。だとしたら私のせいだ」と言うと、その女店主は「そうよ、あなたのせいよ。だってあなた一人で生きているんじゃないもん。この世界にあなたは関わっているの。どうしようもなく関わっているのよ」と答える。映像的にいい時と悪い時がかけ離れているし、主人公の男性や、演出に時々違和感を覚えるが、全体的なキャスティングが好きだ。原作にあるのかどうかわからないんだけど、時々「ん?」とひっかかることばがある。調べてみると脚本は「すいか」の木皿泉さん。「すいか」が大好きであった。教授浅丘ルリ子さんも出ているし、大後寿々花ちゃんがいい感じだし、しばらく違和感を我慢して木皿さんの選んだことばの出てくるドラマを見てみようっと。(hammer.mule)
< http://www.ntv.co.jp/sexyvoice/
> セクシーボイスアンドロボ
< http://ja.wikipedia.org/wiki/
> 「木皿泉」で検索
- そして、日は昇った! 日本が世界の「富」を牽引する
- 増田 俊男
- PHP研究所 2007-01-25
- おすすめ平均
- 賞味期限あり
- ソロバン片手にお経を読む
- ニュースの裏側:米国の国家戦略から読み解くと
- たまには景気のよい話もいいかも
- 曲名リスト
- セクシーボイスアンドロボ1
- 黒田 硫黄
- 小学館 2001-11-30
- おすすめ平均
- 都会のファンタジー、これはおもしろい作品だ。
- 「現代」を活写した活劇だが、それだけではない
- まあ、最初のはおもしろいんだけど
- 黒田硫黄
- 自分を信じ、他人を愛する想像力と行動力
- セクシーボイスアンドロボ
- 小学館 2007-04-20
- すいか DVD-BOX (4枚組)
- 小林聡美 ともさかりえ 市川実日子
- バップ 2003-12-21
- おすすめ平均
- おいしい作品
- たった数日分働いた金で
- いてよし、つなよし。
- ”普通”と言う尊さ
- 晴れやかな気持ちになります☆