<そのあたりでオタク領域と地続き>
■映画と夜と音楽と…[361]
性と暴力はエスカレートする?
十河 進
■Otaku ワールドへようこそ![66]
野心のままに生きてごらん撮影会
GrowHair
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性と暴力はエスカレートする?
十河 進
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■映画と夜と音楽と…[361]
性と暴力はエスカレートする?
十河 進
< https://bn.dgcr.com/archives/20080201140200.html
>
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●知的な清純派女優の死亡記事が載った
スザンヌ・プレシェットの死亡記事が1月21日の朝刊に載っていた。19日にロサンゼルスの自宅で亡くなったらしい。1937年生まれだから七十歳。まだ若いが、僕にとっては四十年前に消えた人だった。死亡記事で意外だったのは、最近まで活躍していたらしく「千と千尋の神隠し」英語版の湯婆(ゆばーば)と銭婆(ぜにーば)の声を演じたとあったことだ。
その数日後、「スザンヌ・プレシェット」でブログ検索をしたら、かなりの数がヒットした。多くの人が彼女の死を悼んでいる。いくつか読んでみたが、やはり同年代か少し上の人たちのようだった。スザンヌ・プレシェット最大のヒット作は「恋愛専科」(1962年)だから、団塊世代のアイドルである。
「恋愛専科」では人気の若手スターだったトロイ・ドナヒューと共演し、その後、実生活でもふたりはしばらく結婚していたと思う。イタリアを舞台にした観光恋愛映画で「アル・ディ・ラ」という挿入歌がヒットした。僕も好きな映画で、スザンヌ・プレシェットを見たくなるとビデオをかけることがある。
「恋愛専科」でトロイ・ドナヒューを誘惑する妖艶な有閑マダムを演じたのがアンジー・ディッキンソンだった。知的で純情可憐なスザンヌ・プレシェットの恋のライバルである。アンジー・ディッキンソンのファンである僕としては、妖艶女優と純情女優の両方が見られる便利な映画だ。スザンヌ・プレシェットを妻にし、アンジー・ディッキンソンを愛人にするのが僕の夢(?)だった。
スザンヌ・プレシェットは六十年代半ばには、ナタリー・ウッド、オードリー・ヘップヴァーン、クラウディア・カルディナーレ、ジュリー・アンドリュースなどと並んで「スクリーン」や「映画の友」といったファン雑誌の巻頭カラーグラビアを飾るくらい人気があった女優である。
しかし、「ほら、あの映画に出ていた女優」と人に教えるには、あまりに出演作がマイナーだ。唯一、有名なのはアルフレッド・ヒッチコック監督作品「鳥」(1963年)だろう。ヒロインはティッピ・ヘドレン、脇役の小学校の女教師がスザンヌ・プレシェットだった。だが、「鳥」の中で彼女は悲惨な死にざまを晒す。ヒッチコックはブロンド好きで、ブルネットに対してはサディストである。
そう、スザンヌ・プレシェットはブルネット美人だった。日本人の髪の色に近かった。そのせいか、エリザベス・テイラーの後継者と言われたこともあるらしい。リズほどくせがなく、大成できなかったのが残念だ。
僕が最後にスザンヌ・プレシェットをスクリーンで見たのは、スティーブ・マックィーン主演の西部劇「ネバダ・スミス」(1966年)である。その映画を、スザンヌ・プレシェットが出ているというだけで、僕は見にいった。しかし、その映画では彼女の出番は少なく、僕はひどく落胆したことを覚えている。あれは、四十二年前、昭和四十一年の夏だった。僕は中学三年の夏休みを迎えていた。
●「ネバダ・スミス」を見て感じたアンビヴァレンツな気分
「ネバダ・スミス」のプログラムを今も僕は持っている。プログラムを買う習慣は昔からなかったのだが、「ネバダ・スミス」のプログラムを買ったときの気持ちは忘れていない。スザンヌ・プレシェットの登場シーンがあまりに少なく落胆した僕は映画館のロビーでパンフレットを見て、その中に掲載されている彼女のワンシーンのスチル写真がほしくて買ったのである。
そのパンフレットを開いてみると、当時、他の雑誌からでも切り抜いたのであろう、スザンヌ・プレシェットのグラビアが一枚挟まれていた。プログラムに載っている写真は南部の農民の娘の姿で水田に立ち、スカートをめくりあげて少し太股を見せているセクシーなショットだ。映画の中でもスティーブ・マックィーンとベッドに入る役だった。
「ネバダ・スミス」を見て僕が落胆した理由は、単に出番が少なかっただけではない。スザンヌ・プレシェットがこんな役をやるのかよう、という気分だったのだ。主人公ネバダ・スミスのたった一夜のゆきずりの女である。簡単に寝てしまう役だったし、男を挑発するような表情もした。
知的、純情可憐…というイメージをスザンヌ・プレシェットに抱き続けていた十四歳の少年は、そのとき、ひどく傷ついたのだ。裏切られた気分だった。当時の僕は、性的な知識に関してはひどくオクテだったし、十四歳の少年らしく潔癖だった。しかし、同時に性的なものへの興味が強い年頃である。
マックィーンとスザンヌ・プレシェットがキスをしてベッドに入るところでそのシーンは終わったが、その後のことが具体的にはわからなくても、何となくもやもやしたものを感じてはいたのである。だからこそ、ちょっとセクシーなスザンヌ・プレシェットの写真が載っているプログラムを買ったに違いない。二律背反する気持ちに、そのときの僕は迫られていた。
調べてみると「ネバダ・スミス」の公開は昭和四十一年七月二十三日になっていた。ロードショーだったから四国でも同じ頃に公開されたと記憶している。暑い時季に僕は高松市のライオン館へ見にいった憶えがある。しかし、当時の日記を見てみたが、「ネバダ・スミス」については一行も記述がない。
その少し前、ビートルズが来日した。僕は七月二日(土)の日記に「ビートルズは、今頃は日本を発っているだろう。昨日、テレビ中継を見た。去年、『HELP!』も見たが、やっぱりステージで歌っているときが最高だ」と書いている。それ以降、しばらく映画や音楽についての記述はなく、八月十四日(日)に「今日、父と一緒に『名誉と栄光のためでなく』と『イスタンブール』を見にいった」と出てくる。
●現在の十四歳はどんな性的原体験を持つのか
「イスタンブール」(1965年)という映画は、今では存在さえ忘れられてしまった映画になったけれど、僕はワンシーンを強烈に憶えている。「荒野の七人」のひとりだったホルスト・ブッフホルツ主演のスパイ映画だが、イタリア映画「鉄道員」で人気が出てハリウッドに進出したシルバ・コシナがヒロインで、あるシーンで彼女が突然に洋服を脱ぎ捨てブラジャーとパンティだけになる。
シルバ・コシナはグラマー女優という呼び名があったくらいだから、セクシーさで人気があった人だけど、この突然の脱衣(?)には十四歳の少年は度肝を抜かれ、四十二年経ってもそのシーンが頭に浮かぶ。撮り方も明らかなサービスショットで少しアオリ気味に全身を捉え、美しい脚がさらに長く見えた。それからカメラはティルトアップしシルバ・コシナのバストアップになった。
日記にも、その辺のことが書いてある。当時のキャッチフレーズだと、いわゆる「お色気スパイ映画」だった。ショーン・コネリーのジェームズ・ボンド・シリーズが大人気だった頃で、スパイ映画にアクションとセクシーシーンをふんだんに採り入れた映画ばかり公開されていたのだ。
「イスタンブール」のシルバ・コシナのシーンは、おそらく僕にとっての性的な原体験なのだろうが、ジェームズ・ボンドもののワンシーンも僕にとっての性的原体験になっている。少し早すぎると思うのだが、僕は十三歳の頃にイアン・フレミングの「ロシアより愛を込めて」を読んだのだ。
それは、ソ連の諜報機関スメルシュの女スパイ側から記述されていて、ジェームズ・ボンドを誘惑するために彼女は一糸まとわぬ姿でベッドに入りボンドを待つ。彼女は首に細く赤い布を巻いているだけである。この描写は、十三歳の少年には強烈だった。そのシーンは「007危機一発」(1963年)で、ダニエラ・ビアンキによって演じられた。
現在の映画から見ると、実にたわいのないシーンばかりである。今どきの映画は安心して子供と見ていられない。普通の映画なのに、いきなりリアルな動きを伴ったセックスシーンが登場し、女優があえぎ声をあげる。「恋に落ちたシェークスピア」(1998年)でさえ、突然のセックスシーンとあえぎ声が出てきて僕は戸惑った。
最近のハリウッドでは、いわゆる清順女優が成立しない。逆にリアルなセックスシーンを演じないと女優としての仕事がこないのかもしれない。「スター・ウォーズ」のナタリー・ポートマンも「クローサー」(2004年)では大胆なヌードを見せた。もっとも「クローサー」はセックスそのものをテーマにした映画ではあったけれど…
ハリウッド映画の性的なシーンがエスカレートしたのは、アメリカがポルノ映画を解禁したからではないかと僕は思う。それ以降、性描写はどんどんエスカレートし、ポール・ヴァーホーヴェンの「氷の微笑」(1992年)や「ショーガール」(1995年)のようにポルノ映画まがいのセックスシーンを売り物にする大作が登場する。
現在、ハリウッド映画は12歳以上、15歳以上といった細かく指定された作品が増えているが、僕は「えっ、これで12歳以上オーケーなの」と思うことが多い。中学生の頃の僕のように、映画全体よりワンシーンの性的なショックが記憶に刻み込まれることは多いと思うのだ。
性描写と同時に、暴力描写や残虐描写もエスカレートする。性と暴力は、人間にとって衝撃的な要素であり、ショックを与えやすいものだからだ。しかし、人は慣れる。刺激は日常になれば、刺激ではなくなる。だから、観客に刺激を与えるために表現はエスカレートする。
ここで、僕は昔はよかった、と言うつもりはない。そういうものなのだと思うだけだ。現在の十四歳は清純派だと思っていたスザンヌ・プレシェットがスカートをつまみあげ、太股を見せたくらいでショックは受けないだろう。男のベッドに積極的に潜り込んでも、裏切られたとは思わないかもしれない。
しかし、早熟な十四歳もいれば、オクテで純情な十四歳もいる。それは昔も今も同じだ。アダルト・ビデオで性的原体験をしている十四歳がいるかもしれないし、「スター・ウォーズ」のアミダラ女王に恋し「クローサー」のナタリー・ポートマンを見てショックを受け、裏切られたと思いながらも、その映画の性的なワンシーンが記憶に刻み込まれた十四歳がいるかもしれない。
映画技術が発達し、様々な表現がリアルになり、性表現や暴力表現がより過激になったとしても、それぞれの環境の中で人は育ち学ぶのだろう。そういうものかもしれない。歴史は繰り返す。ちなみに僕は「全裸」より「一糸まとわぬ」という表現を好みます。
【そごう・すすむ】sogo@mbf.nifty.com
HPパソコンとアクオス20インチを自室に導入。PCはXPプロフェッショナルとオフィス2003インストールで8万円ほど。安いなあ。アクオスは、PCモニタとしてもいける。それでも、この原稿はまだG3ノートで打っている。OS9だ。メビウスのXPノートは携帯用にするためDVDドライブを抜いて軽量化した。使いこなしがどんどんややこしくなる。
●305回までのコラムをまとめた二巻本「映画がなければ生きていけない1999-2002」「映画がなければ生きていけない2003-2006」が第25回日本冒険小説協会特別賞「最優秀映画コラム賞」を受賞しました。
< http://www.bookdom.net/shop/shop2.asp?act=prod&prodid=193&corpid=1
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< https://bn.dgcr.com/archives/20080201140100.html
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いつも撮らせてもらっているレイヤーさんたちからお誘いを受け、今年も和歌山のコスプレイベントへ行ってきた。1月13日(日)にテーマパーク「ポルトヨーロッパ」にて開催されたイベント「Candy Pop in ポルトヨーロッパ」である。
汐音(しおね)さんと緒海(おみ)さんとは、一昨年の夏コミで知り合った。衣装の美しさに感動して、こちらから声をかけて撮らせてもらったのである。以降、バラ園で個人撮影させてもらったりしている。二人は、(本人たちはまだまだと謙遜するかもしれないけれど、私が見る限り)熱狂的な宝塚ファンで、情熱のすべてを宝塚関係に注いでいるように見える。その思いをテコに、気の遠くなるような手間暇コストをかけて衣装を制作する。
私は、撮る側も、できるだけ深く作品を理解して、レイヤーさんたちと思いを共有することによって写真の出来ばえも違ってくるのではないかと信じているが、今回はたいへんありがたいことに、イベントに先立って、1月5日(土)、宝塚星組の東京公演に連れて行ってもらった。初めての宝塚なので、私の理解はほんの上っ面に過ぎないに違いないが、受けた印象としては、言いようもないほどすばらしいものだった。
●冬コミでは見つけやすかった
去年3月の和歌山のイベントでも、汐音さんたちを撮らせてもらっている。やはり宝塚コスで。そのイベントには汐音さんたちとのコス仲間である万鯉子さんと蝶子さんも来ていて、立ち話に混ぜてもらっていたら、万鯉子さんたちから鳥取のイベントにとお誘いを受け、春と秋に行ってきたという経緯がある。
12月29日(土)から三日間開催された冬コミの初日、万鯉子さんたち四人のサークル「チーム裏天竺」は「うらてん」と題した同人誌を売っていた。11月に鳥取の中華庭園「燕趙園」で開催されたイベントで、「西遊記」と「のだめカンタービレ」を混ぜこぜにした「のだ遊記」コスをして、あらかじめ用意しておいたシナリオに沿ったシーンを作って撮影し、その写真を漫画風にレイアウトした、同人誌。めっちゃ笑える。
そのテーブルに立ち寄ったとき、少し前に汐音さんと緒海さんが来たので、まだその辺にいるんじゃないか、と万鯉子さんが言う。いや、その辺ったって、一日に15万人以上が来場する大混雑で、はたして見つけることが可能なのか、と思いつつも、ともかくも適当に歩き回ってみたら、ほどなく見つかった。
いや、これなら見過ごすほうが無理だろ、ってくらい目立つ姿。11月2日(金) から12月15日(土)まで、兵庫県宝塚市の「宝塚大劇場」で星組が上演した「エル・アルコン鷹」のティリアン・パーシモンとギルダ・ラバンヌになっている。
イギリス海軍の大佐(実はスペインのスパイ)であるティリアンは、黒を基調として、金ボタンや金の刺繍などの装飾がふんだんに施されたきらびやかな軍服姿。貴族の称号を持つフランスの女海賊ギルダ・ラバンヌは、ぶわっと広がった白のドレス姿。
年明け1月2日(水)から2月11日(月)まで「東京宝塚劇場」で上演することになっているので、私も見に行ってはどうかと汐音さんからお誘いいただく。いやぁ、見たいは見たい、ものすごく見たいけど、私のようなファン未満の人間が一席埋めたら、その分、もっと強い思いで見たい人が一人はみ出すのではないかと多少のうしろめたさを感じる。でも、ぜひ。
というわけで、1月5日(土)、有楽町で汐音さんと待ち合わせ、11時からの公演に。
●野望を遂げるために、どこまで悪事を働けるか
劇場のロビーは、映画「マイフェアレディー」に出てくるアスコット競馬場のごとく、華やかに盛装した貴婦人たちでひしめき合うのかと思いきや、そんなことはなく、華美に走ることのない、品のいいおしゃれをしたお出かけスタイルの淑女たちがほとんどだった。想像通りだったのはオペラグラスだけ。勝手な先入観を反省。初老の紳士の姿もけっこう見受けられる。ネオロマの声優コンサートよりはずっと男性の姿が多い。
約2,000席がびっしりと埋まる。たまーに空席があると、本当に目立つ。その席を埋めるはずだった人は、今ごろ自宅の布団の中で体温計とにらめっこしてくやし涙にくれているであろうことまで想像がついちゃう。我々は8,000円の二階席。チケットを取るのに汐音さんがどれほど苦労したかは、私は知らない。
演目は「エル・アルコン—鷹—」と「レビュー・オルキス—蘭の星—」。「エル・アルコン—鷹—」は、青池保子の漫画が原作。また、主題歌は映画「ゲド戦記」の音楽を手がけた寺嶋民哉が作曲。このあたりでオタク領域と地続きだったりする。
「清く正しく美しく」は阪急電鉄を創業し、宝塚歌劇団を創始した小林一三(いちぞう)の遺訓であり、宝塚歌劇団はこれをモットーに掲げる。が、演目のストーリーは必ずしも清く正しいとは限らないのであった。主人公は、七つの海を制覇したいという野心のままに、とことん悪事を重ねていくティリアン・パーシモン。悪いやつが主役では、いまひとつ感情移入しづらいのだが、なかなか深いテーマだ。
16世紀後半。スペイン、イギリス、フランスが海の覇権を争い、戦いを繰り広げていた。イギリスの名門貴族の御曹司ティリアンは、24歳の若さでイギリス海軍の大佐となっていたが、それは表の顔、実はスペインに通じるスパイであった。スペインに亡命し、無敵艦隊を率いてイギリスを撃破し、世界の七つの海を制覇することが彼の夢であった。
彼の野心に火をつけたのは、ジェラード・ペルー。ティリアンの父エドリントンは母イザベラの不義を疑い、ティリアンにまでつらく当たる。そんな父親以上の情愛をもって接したのが母の従弟であるジェラード。
「野心のままに生きてごらん、ティリアン。君にはそれができる」。ある日、ティリアンはジェラードを追っ手から救い逃がす。ジェラードはスペインのスパイであり、母国に亡命する。これに激昂した父はティリアンと争いになり、ティリアンは父を刺す。その傷がもとで父は死ぬ。
港町プリマスの大商人グレゴリー・ベネディクトは、ネーデルランドをスペインから独立させようと支援する。これが面白くないティリアンは、グレゴリーの商船にスペインからの偽造の密書を忍ばせ、計画的に摘発し、グレゴリーを無実の罪に陥れ、死刑にしてしまう。グレゴリーの一人息子ルミナス・レッド・ベネディクトは父の無念を晴らす決意をする。
ティリアンのスペイン亡命の行く手を阻むのは、フランスの女海賊ギルダ・ラバンヌ。一戦交えるが、敗れたギルダをティリアンは強引に抱く。「女は抱かれていればいい」。そんな強さにギルダは心を奪われてしまう。え? それでいいのかっ?! 俺が言ったら張り飛ばされそうだけど。
ギルダの領地であったウェサン島をジェラードが占拠したという知らせが入り、ティリアンはそこへ行き、ジェラードと再会する。かつては父親のように接してくれたジェラード、ティリアンに野心のままに生きることを教えたジェラードだが、今は権力を争い合う関係。ティリアンは冷酷にもジェラードを絞首刑に処する。
スペインへの亡命を果たしたティリアンは、自ら設計した旗艦「エル・アルコン—鷹—」に乗り込み、スペインの無敵艦隊を率いて、イギリスとの決戦に向かう。
劇の間、隣りで汐音さんはぼろぼろ泣いていた(ようだ)が、悲劇的なストーリーもさることながら、舞台の美しさに感動して泣くという感性がすばらしい。私も舞台の美しさ、衣装の華やかさ、動きやポーズの美しさには感動したけれど、そこまで呼応するには至らなかった。ただ、ジェラードを絞首刑にしたティリアンの「俺の首にもすでに縄が幾重にも巻かれている。だけど、その縄を誰にも引かせはしない」には、それが徹底的に「野心のままに生きる」ってことなんだと、思いを熱くした。「野心に理由などない」が自分の中に余韻を残した。
●和歌山は今日も寒かった
というわけで、次の週末、1月13日(日)は和歌山。「女は抱かれていればいい撮影会」じゃなくて「野心のままに生きてごらん撮影会」、と勝手に呼んでみただけで、実はコスプレのイベント。
和歌山から電車で10分ほど南下したところに海南駅があり、そこからバスで15分ほど西に行った人工島内に「ポルトヨーロッパ」がある。この島は、高級リゾート地になっている。ヨットハーバーがあり、リゾートマンションがあり、一泊3万円以上する高級ホテルがあり。
9:05海南発のバスは、30人ほどの乗客でほぼ満杯。ほとんどがコスプレイヤー。男性は私のほかにもう一人しかいない。始終、ぴーちくぱーちくと大変にぎやか。東京近辺のイベントでも、バスで行く会場だとよくこういう雰囲気になることがあった。和歌山のイベントだと、さすがにほとんどが関西方面の人だと話す言葉から分かる。
暖かそうなイメージのある和歌山だが、この時期の海沿いは風がびゅうびゅう吹いて寒い。観光客の姿があまりないのも、寒々とした感じに拍車をかけている。だけど、コスプレイヤーたちの情熱は熱い。和歌山駅からのバスと和歌山市駅からのバスが到着した10時前には、100人近い列ができた。コスプレイヤー以外の来場者は、ほんのちらほら。
カメコは、コスプレイヤーたちが着替え終わった頃を見計らって遅めに来る人が多いようだ。それと、特に目当てがなく、その場で撮りたくなった人に適当に声をかけて撮らせてもらうカメコは、以前に比べて少なくなったように感じる。特定のコスプレイヤーのグループの専属カメコとして、誘い合って来るパターンが多くなってきているようだ。
人が少ないのは撮影に好都合だけど、こう寒いのは全然好都合ではない。なかなか両立しないものだ。古いヨーロッパの街並みを再現したようなテーマパークは、味わいのあるコスプレ写真を撮るにはたいへん好適だ。
それを狙ってわざわざ東京から来たわけだから、寒さなんてのは根性で吹っ飛ばせ、なんて最初のうちは息巻いていた我々だが、根性にも限界がある。ウォータースライドの下の煉瓦の壁は、背景としてなかなかいいのだが、海風が凝縮されて通り抜ける道になっているようで、常に冷たい風がびゅうびゅう吹きまくり。さすがにたまらなくなって、早々に屋内へ。
汐音さんと緒海さんの衣装は冬コミで一度見ているのだけど、宝塚を観劇してから改めてみると、そっくりにできているのだなぁ、と感心する。あの舞台のすばらしさに感激して、その勢いですごい手間をかけて衣装を制作したんだなーと、思いが少し分かるような気がしてくる。
エル・アルコンの衣装だと分かって「撮らせて下さい」と声をかけてくる女性がいた。初めて会うのに、汐音さんたちとすっかり意気投合して、十年来の知己に会ったように楽しそうに話をしていた。
あまりの寒さに、存分に撮れたとは言い難いもやもやした気分を少し残して終了した。できれば、また行ってリベンジしたい気がする。
【GrowHair】GrowHair@yahoo.co.jp
カメコ。壁に据え付けてある空調が壊れた。風は来るけど、暖かくも涼しくもなく、外の空気そのもの。修理してもらうにしても、まず部屋を片付けて、足の踏み場というものを作らなくてはならない。とりあえず応急処置として、扇風機みたいな形のヒーターを買ってきた。それが三年くらい前。そのヒーターも壊れて、スイッチを入れても反応しなくなった。それが去年の春先。あと少し我慢すれば春だから、このままでいいや。で、そのまま冬に突入し、今に至る。この冬は暖房が一切ない。酒飲んだり、辛いもん食ったりして自分が暖房になるっきゃない。おかげさまで、風邪ひかない。ナントカは風邪ひかないって本当だったようだ。
将棋ニュースプラス「ご主人様、王手です」は次回がいよいよ最終回。一から将棋を習い始めて半年、三人のメイドは3級合格なるのでしょうか。本日配信分、見た。綾ちゃん、よくがんばった。
< http://broadband.biglobe.ne.jp/sitemap/index_shougi.html
>
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■編集後記(2/1)
・娘が新聞を読みながら「ビンゴ〜!」とつぶやく。例の中国産毒物入り冷凍ギョーザを、たしかに食べたことがあるというのだ。普段から、中国産の食品には注意しろと言っていたのに。ヘタしたら今回のように、とんでもない事件の被害者になっていただろう。なぜそんな食品を買ったのだと聞くと、だってパッケージに「JT」とあれば安心しちゃうじゃないと言う。原産国が中国という表示もあるはずだが、「JT」を見ただけでなにも考えずにカゴに入れたそうだ。たしかに、どう見てもまるまる日本製のようなパッケージだものな。「ジェイティフーズ」「加ト吉」「江崎グリコ」「味の素冷凍食品」「マルハ」が製品の自主回収を始めたが、こういう有名ブランドのパッケージなら国産と思って買う人は多いだろう。厚生労働省が販売中止要請した食品会社(問題の中国・天洋食品の製造したものを使用)は20社に近い。それらの製品は、どこまで中国産と表示しているのだろうか。わが家は中国産を輸入したとわかる食品は買わない。中国産原料を日本で加工となると判断に迷う。いままで好きだっ
たM屋のびん詰めの一部も、中国産との表示でもう手をのばさない。でも、表
示がないとわからない。異常に安い物は遠ざけるのがいいと思う。抗生物質や
農薬を過剰に使用した中国産食品のワースト5は、ウナギ、ショウガ、キクラ
ゲ、落花生、ウーロン茶だそうだ。ウナギはそのまずさから、騒がれる以前に
食べなくなったが、国産落花生を使った柿ピーはなかなかないので、仕方なく
中国産を食べている。それにしても、今回の事件はどこかきなくさい。(柴田)
・宝塚歌劇団を創始した小林一三の誕生日は、一月三日。宝塚歌劇の舞台は、実は不倫話(禁断の恋/愛)が多い。そして日本物が意外に多い。作家は男性ばかりなので、男のロマン・美学話も多い。好きな女のために、自分は……というせつない話も多い。編集長に「宝塚は意外に複雑な話もするんだね」と言われたのは、むしろ意外だった。トップが代わったばかりの若い組は可愛い話をするし、アメリカミュージカルものだと複雑すぎるものは少ないかも。ミュージカルだし、スターさんたちの見せ場作らないといけないので、深いところにまで切り込めないし(消化不良の時あり)、基本的にラブロマンスのような気もするが、題材はマンガや小説から歴史上人物までとっても幅広いよ。そして、その題材周辺の書籍類、分厚い歴史書までもが、宝塚内ショップに並び、学生からおばさま方までにバカ売れ。背景を知らなくても楽しめるし、わかると台詞の意味がよりよくわかる。世界史が苦手な私でもハプスブルグ家、ブルボン王朝、愛新覚羅溥儀などのことが少しわかったり。宝塚観劇がきっかけで世界史に興味を持つ人だっているよん。ベルばらだってフランス革命の話だけど、そんなの知らなくても、貴族は裕福なのに民衆は貧しくて、みんなが怒りはじめて、そしてマリーアントワネットは不倫しちゃってて、オスカルは愛に目覚め、愛それは〜、革命ばんざい! 自由だ〜! みたいな。(hammer.mule)
< http://ja.wikipedia.org/w/index.php?oldid=17697524
>
非オリジナル作品だと
< http://kageki.hankyu.co.jp/revue/back.html
> 1999年からしかないけど
< http://hochi.yomiuri.co.jp/column/aiful/news/20080115-OHT1T00006.htm
>
この人が
性と暴力はエスカレートする?
十河 進
< https://bn.dgcr.com/archives/20080201140200.html
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●知的な清純派女優の死亡記事が載った
スザンヌ・プレシェットの死亡記事が1月21日の朝刊に載っていた。19日にロサンゼルスの自宅で亡くなったらしい。1937年生まれだから七十歳。まだ若いが、僕にとっては四十年前に消えた人だった。死亡記事で意外だったのは、最近まで活躍していたらしく「千と千尋の神隠し」英語版の湯婆(ゆばーば)と銭婆(ぜにーば)の声を演じたとあったことだ。
その数日後、「スザンヌ・プレシェット」でブログ検索をしたら、かなりの数がヒットした。多くの人が彼女の死を悼んでいる。いくつか読んでみたが、やはり同年代か少し上の人たちのようだった。スザンヌ・プレシェット最大のヒット作は「恋愛専科」(1962年)だから、団塊世代のアイドルである。
「恋愛専科」では人気の若手スターだったトロイ・ドナヒューと共演し、その後、実生活でもふたりはしばらく結婚していたと思う。イタリアを舞台にした観光恋愛映画で「アル・ディ・ラ」という挿入歌がヒットした。僕も好きな映画で、スザンヌ・プレシェットを見たくなるとビデオをかけることがある。
「恋愛専科」でトロイ・ドナヒューを誘惑する妖艶な有閑マダムを演じたのがアンジー・ディッキンソンだった。知的で純情可憐なスザンヌ・プレシェットの恋のライバルである。アンジー・ディッキンソンのファンである僕としては、妖艶女優と純情女優の両方が見られる便利な映画だ。スザンヌ・プレシェットを妻にし、アンジー・ディッキンソンを愛人にするのが僕の夢(?)だった。
スザンヌ・プレシェットは六十年代半ばには、ナタリー・ウッド、オードリー・ヘップヴァーン、クラウディア・カルディナーレ、ジュリー・アンドリュースなどと並んで「スクリーン」や「映画の友」といったファン雑誌の巻頭カラーグラビアを飾るくらい人気があった女優である。
しかし、「ほら、あの映画に出ていた女優」と人に教えるには、あまりに出演作がマイナーだ。唯一、有名なのはアルフレッド・ヒッチコック監督作品「鳥」(1963年)だろう。ヒロインはティッピ・ヘドレン、脇役の小学校の女教師がスザンヌ・プレシェットだった。だが、「鳥」の中で彼女は悲惨な死にざまを晒す。ヒッチコックはブロンド好きで、ブルネットに対してはサディストである。
そう、スザンヌ・プレシェットはブルネット美人だった。日本人の髪の色に近かった。そのせいか、エリザベス・テイラーの後継者と言われたこともあるらしい。リズほどくせがなく、大成できなかったのが残念だ。
僕が最後にスザンヌ・プレシェットをスクリーンで見たのは、スティーブ・マックィーン主演の西部劇「ネバダ・スミス」(1966年)である。その映画を、スザンヌ・プレシェットが出ているというだけで、僕は見にいった。しかし、その映画では彼女の出番は少なく、僕はひどく落胆したことを覚えている。あれは、四十二年前、昭和四十一年の夏だった。僕は中学三年の夏休みを迎えていた。
●「ネバダ・スミス」を見て感じたアンビヴァレンツな気分
「ネバダ・スミス」のプログラムを今も僕は持っている。プログラムを買う習慣は昔からなかったのだが、「ネバダ・スミス」のプログラムを買ったときの気持ちは忘れていない。スザンヌ・プレシェットの登場シーンがあまりに少なく落胆した僕は映画館のロビーでパンフレットを見て、その中に掲載されている彼女のワンシーンのスチル写真がほしくて買ったのである。
そのパンフレットを開いてみると、当時、他の雑誌からでも切り抜いたのであろう、スザンヌ・プレシェットのグラビアが一枚挟まれていた。プログラムに載っている写真は南部の農民の娘の姿で水田に立ち、スカートをめくりあげて少し太股を見せているセクシーなショットだ。映画の中でもスティーブ・マックィーンとベッドに入る役だった。
「ネバダ・スミス」を見て僕が落胆した理由は、単に出番が少なかっただけではない。スザンヌ・プレシェットがこんな役をやるのかよう、という気分だったのだ。主人公ネバダ・スミスのたった一夜のゆきずりの女である。簡単に寝てしまう役だったし、男を挑発するような表情もした。
知的、純情可憐…というイメージをスザンヌ・プレシェットに抱き続けていた十四歳の少年は、そのとき、ひどく傷ついたのだ。裏切られた気分だった。当時の僕は、性的な知識に関してはひどくオクテだったし、十四歳の少年らしく潔癖だった。しかし、同時に性的なものへの興味が強い年頃である。
マックィーンとスザンヌ・プレシェットがキスをしてベッドに入るところでそのシーンは終わったが、その後のことが具体的にはわからなくても、何となくもやもやしたものを感じてはいたのである。だからこそ、ちょっとセクシーなスザンヌ・プレシェットの写真が載っているプログラムを買ったに違いない。二律背反する気持ちに、そのときの僕は迫られていた。
調べてみると「ネバダ・スミス」の公開は昭和四十一年七月二十三日になっていた。ロードショーだったから四国でも同じ頃に公開されたと記憶している。暑い時季に僕は高松市のライオン館へ見にいった憶えがある。しかし、当時の日記を見てみたが、「ネバダ・スミス」については一行も記述がない。
その少し前、ビートルズが来日した。僕は七月二日(土)の日記に「ビートルズは、今頃は日本を発っているだろう。昨日、テレビ中継を見た。去年、『HELP!』も見たが、やっぱりステージで歌っているときが最高だ」と書いている。それ以降、しばらく映画や音楽についての記述はなく、八月十四日(日)に「今日、父と一緒に『名誉と栄光のためでなく』と『イスタンブール』を見にいった」と出てくる。
●現在の十四歳はどんな性的原体験を持つのか
「イスタンブール」(1965年)という映画は、今では存在さえ忘れられてしまった映画になったけれど、僕はワンシーンを強烈に憶えている。「荒野の七人」のひとりだったホルスト・ブッフホルツ主演のスパイ映画だが、イタリア映画「鉄道員」で人気が出てハリウッドに進出したシルバ・コシナがヒロインで、あるシーンで彼女が突然に洋服を脱ぎ捨てブラジャーとパンティだけになる。
シルバ・コシナはグラマー女優という呼び名があったくらいだから、セクシーさで人気があった人だけど、この突然の脱衣(?)には十四歳の少年は度肝を抜かれ、四十二年経ってもそのシーンが頭に浮かぶ。撮り方も明らかなサービスショットで少しアオリ気味に全身を捉え、美しい脚がさらに長く見えた。それからカメラはティルトアップしシルバ・コシナのバストアップになった。
日記にも、その辺のことが書いてある。当時のキャッチフレーズだと、いわゆる「お色気スパイ映画」だった。ショーン・コネリーのジェームズ・ボンド・シリーズが大人気だった頃で、スパイ映画にアクションとセクシーシーンをふんだんに採り入れた映画ばかり公開されていたのだ。
「イスタンブール」のシルバ・コシナのシーンは、おそらく僕にとっての性的な原体験なのだろうが、ジェームズ・ボンドもののワンシーンも僕にとっての性的原体験になっている。少し早すぎると思うのだが、僕は十三歳の頃にイアン・フレミングの「ロシアより愛を込めて」を読んだのだ。
それは、ソ連の諜報機関スメルシュの女スパイ側から記述されていて、ジェームズ・ボンドを誘惑するために彼女は一糸まとわぬ姿でベッドに入りボンドを待つ。彼女は首に細く赤い布を巻いているだけである。この描写は、十三歳の少年には強烈だった。そのシーンは「007危機一発」(1963年)で、ダニエラ・ビアンキによって演じられた。
現在の映画から見ると、実にたわいのないシーンばかりである。今どきの映画は安心して子供と見ていられない。普通の映画なのに、いきなりリアルな動きを伴ったセックスシーンが登場し、女優があえぎ声をあげる。「恋に落ちたシェークスピア」(1998年)でさえ、突然のセックスシーンとあえぎ声が出てきて僕は戸惑った。
最近のハリウッドでは、いわゆる清順女優が成立しない。逆にリアルなセックスシーンを演じないと女優としての仕事がこないのかもしれない。「スター・ウォーズ」のナタリー・ポートマンも「クローサー」(2004年)では大胆なヌードを見せた。もっとも「クローサー」はセックスそのものをテーマにした映画ではあったけれど…
ハリウッド映画の性的なシーンがエスカレートしたのは、アメリカがポルノ映画を解禁したからではないかと僕は思う。それ以降、性描写はどんどんエスカレートし、ポール・ヴァーホーヴェンの「氷の微笑」(1992年)や「ショーガール」(1995年)のようにポルノ映画まがいのセックスシーンを売り物にする大作が登場する。
現在、ハリウッド映画は12歳以上、15歳以上といった細かく指定された作品が増えているが、僕は「えっ、これで12歳以上オーケーなの」と思うことが多い。中学生の頃の僕のように、映画全体よりワンシーンの性的なショックが記憶に刻み込まれることは多いと思うのだ。
性描写と同時に、暴力描写や残虐描写もエスカレートする。性と暴力は、人間にとって衝撃的な要素であり、ショックを与えやすいものだからだ。しかし、人は慣れる。刺激は日常になれば、刺激ではなくなる。だから、観客に刺激を与えるために表現はエスカレートする。
ここで、僕は昔はよかった、と言うつもりはない。そういうものなのだと思うだけだ。現在の十四歳は清純派だと思っていたスザンヌ・プレシェットがスカートをつまみあげ、太股を見せたくらいでショックは受けないだろう。男のベッドに積極的に潜り込んでも、裏切られたとは思わないかもしれない。
しかし、早熟な十四歳もいれば、オクテで純情な十四歳もいる。それは昔も今も同じだ。アダルト・ビデオで性的原体験をしている十四歳がいるかもしれないし、「スター・ウォーズ」のアミダラ女王に恋し「クローサー」のナタリー・ポートマンを見てショックを受け、裏切られたと思いながらも、その映画の性的なワンシーンが記憶に刻み込まれた十四歳がいるかもしれない。
映画技術が発達し、様々な表現がリアルになり、性表現や暴力表現がより過激になったとしても、それぞれの環境の中で人は育ち学ぶのだろう。そういうものかもしれない。歴史は繰り返す。ちなみに僕は「全裸」より「一糸まとわぬ」という表現を好みます。
【そごう・すすむ】sogo@mbf.nifty.com
HPパソコンとアクオス20インチを自室に導入。PCはXPプロフェッショナルとオフィス2003インストールで8万円ほど。安いなあ。アクオスは、PCモニタとしてもいける。それでも、この原稿はまだG3ノートで打っている。OS9だ。メビウスのXPノートは携帯用にするためDVDドライブを抜いて軽量化した。使いこなしがどんどんややこしくなる。
●305回までのコラムをまとめた二巻本「映画がなければ生きていけない1999-2002」「映画がなければ生きていけない2003-2006」が第25回日本冒険小説協会特別賞「最優秀映画コラム賞」を受賞しました。
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■Otaku ワールドへようこそ![66]
野心のままに生きてごらん撮影会
GrowHair
< https://bn.dgcr.com/archives/20080201140100.html
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いつも撮らせてもらっているレイヤーさんたちからお誘いを受け、今年も和歌山のコスプレイベントへ行ってきた。1月13日(日)にテーマパーク「ポルトヨーロッパ」にて開催されたイベント「Candy Pop in ポルトヨーロッパ」である。
汐音(しおね)さんと緒海(おみ)さんとは、一昨年の夏コミで知り合った。衣装の美しさに感動して、こちらから声をかけて撮らせてもらったのである。以降、バラ園で個人撮影させてもらったりしている。二人は、(本人たちはまだまだと謙遜するかもしれないけれど、私が見る限り)熱狂的な宝塚ファンで、情熱のすべてを宝塚関係に注いでいるように見える。その思いをテコに、気の遠くなるような手間暇コストをかけて衣装を制作する。
私は、撮る側も、できるだけ深く作品を理解して、レイヤーさんたちと思いを共有することによって写真の出来ばえも違ってくるのではないかと信じているが、今回はたいへんありがたいことに、イベントに先立って、1月5日(土)、宝塚星組の東京公演に連れて行ってもらった。初めての宝塚なので、私の理解はほんの上っ面に過ぎないに違いないが、受けた印象としては、言いようもないほどすばらしいものだった。
●冬コミでは見つけやすかった
去年3月の和歌山のイベントでも、汐音さんたちを撮らせてもらっている。やはり宝塚コスで。そのイベントには汐音さんたちとのコス仲間である万鯉子さんと蝶子さんも来ていて、立ち話に混ぜてもらっていたら、万鯉子さんたちから鳥取のイベントにとお誘いを受け、春と秋に行ってきたという経緯がある。
12月29日(土)から三日間開催された冬コミの初日、万鯉子さんたち四人のサークル「チーム裏天竺」は「うらてん」と題した同人誌を売っていた。11月に鳥取の中華庭園「燕趙園」で開催されたイベントで、「西遊記」と「のだめカンタービレ」を混ぜこぜにした「のだ遊記」コスをして、あらかじめ用意しておいたシナリオに沿ったシーンを作って撮影し、その写真を漫画風にレイアウトした、同人誌。めっちゃ笑える。
そのテーブルに立ち寄ったとき、少し前に汐音さんと緒海さんが来たので、まだその辺にいるんじゃないか、と万鯉子さんが言う。いや、その辺ったって、一日に15万人以上が来場する大混雑で、はたして見つけることが可能なのか、と思いつつも、ともかくも適当に歩き回ってみたら、ほどなく見つかった。
いや、これなら見過ごすほうが無理だろ、ってくらい目立つ姿。11月2日(金) から12月15日(土)まで、兵庫県宝塚市の「宝塚大劇場」で星組が上演した「エル・アルコン鷹」のティリアン・パーシモンとギルダ・ラバンヌになっている。
イギリス海軍の大佐(実はスペインのスパイ)であるティリアンは、黒を基調として、金ボタンや金の刺繍などの装飾がふんだんに施されたきらびやかな軍服姿。貴族の称号を持つフランスの女海賊ギルダ・ラバンヌは、ぶわっと広がった白のドレス姿。
年明け1月2日(水)から2月11日(月)まで「東京宝塚劇場」で上演することになっているので、私も見に行ってはどうかと汐音さんからお誘いいただく。いやぁ、見たいは見たい、ものすごく見たいけど、私のようなファン未満の人間が一席埋めたら、その分、もっと強い思いで見たい人が一人はみ出すのではないかと多少のうしろめたさを感じる。でも、ぜひ。
というわけで、1月5日(土)、有楽町で汐音さんと待ち合わせ、11時からの公演に。
●野望を遂げるために、どこまで悪事を働けるか
劇場のロビーは、映画「マイフェアレディー」に出てくるアスコット競馬場のごとく、華やかに盛装した貴婦人たちでひしめき合うのかと思いきや、そんなことはなく、華美に走ることのない、品のいいおしゃれをしたお出かけスタイルの淑女たちがほとんどだった。想像通りだったのはオペラグラスだけ。勝手な先入観を反省。初老の紳士の姿もけっこう見受けられる。ネオロマの声優コンサートよりはずっと男性の姿が多い。
約2,000席がびっしりと埋まる。たまーに空席があると、本当に目立つ。その席を埋めるはずだった人は、今ごろ自宅の布団の中で体温計とにらめっこしてくやし涙にくれているであろうことまで想像がついちゃう。我々は8,000円の二階席。チケットを取るのに汐音さんがどれほど苦労したかは、私は知らない。
演目は「エル・アルコン—鷹—」と「レビュー・オルキス—蘭の星—」。「エル・アルコン—鷹—」は、青池保子の漫画が原作。また、主題歌は映画「ゲド戦記」の音楽を手がけた寺嶋民哉が作曲。このあたりでオタク領域と地続きだったりする。
「清く正しく美しく」は阪急電鉄を創業し、宝塚歌劇団を創始した小林一三(いちぞう)の遺訓であり、宝塚歌劇団はこれをモットーに掲げる。が、演目のストーリーは必ずしも清く正しいとは限らないのであった。主人公は、七つの海を制覇したいという野心のままに、とことん悪事を重ねていくティリアン・パーシモン。悪いやつが主役では、いまひとつ感情移入しづらいのだが、なかなか深いテーマだ。
16世紀後半。スペイン、イギリス、フランスが海の覇権を争い、戦いを繰り広げていた。イギリスの名門貴族の御曹司ティリアンは、24歳の若さでイギリス海軍の大佐となっていたが、それは表の顔、実はスペインに通じるスパイであった。スペインに亡命し、無敵艦隊を率いてイギリスを撃破し、世界の七つの海を制覇することが彼の夢であった。
彼の野心に火をつけたのは、ジェラード・ペルー。ティリアンの父エドリントンは母イザベラの不義を疑い、ティリアンにまでつらく当たる。そんな父親以上の情愛をもって接したのが母の従弟であるジェラード。
「野心のままに生きてごらん、ティリアン。君にはそれができる」。ある日、ティリアンはジェラードを追っ手から救い逃がす。ジェラードはスペインのスパイであり、母国に亡命する。これに激昂した父はティリアンと争いになり、ティリアンは父を刺す。その傷がもとで父は死ぬ。
港町プリマスの大商人グレゴリー・ベネディクトは、ネーデルランドをスペインから独立させようと支援する。これが面白くないティリアンは、グレゴリーの商船にスペインからの偽造の密書を忍ばせ、計画的に摘発し、グレゴリーを無実の罪に陥れ、死刑にしてしまう。グレゴリーの一人息子ルミナス・レッド・ベネディクトは父の無念を晴らす決意をする。
ティリアンのスペイン亡命の行く手を阻むのは、フランスの女海賊ギルダ・ラバンヌ。一戦交えるが、敗れたギルダをティリアンは強引に抱く。「女は抱かれていればいい」。そんな強さにギルダは心を奪われてしまう。え? それでいいのかっ?! 俺が言ったら張り飛ばされそうだけど。
ギルダの領地であったウェサン島をジェラードが占拠したという知らせが入り、ティリアンはそこへ行き、ジェラードと再会する。かつては父親のように接してくれたジェラード、ティリアンに野心のままに生きることを教えたジェラードだが、今は権力を争い合う関係。ティリアンは冷酷にもジェラードを絞首刑に処する。
スペインへの亡命を果たしたティリアンは、自ら設計した旗艦「エル・アルコン—鷹—」に乗り込み、スペインの無敵艦隊を率いて、イギリスとの決戦に向かう。
劇の間、隣りで汐音さんはぼろぼろ泣いていた(ようだ)が、悲劇的なストーリーもさることながら、舞台の美しさに感動して泣くという感性がすばらしい。私も舞台の美しさ、衣装の華やかさ、動きやポーズの美しさには感動したけれど、そこまで呼応するには至らなかった。ただ、ジェラードを絞首刑にしたティリアンの「俺の首にもすでに縄が幾重にも巻かれている。だけど、その縄を誰にも引かせはしない」には、それが徹底的に「野心のままに生きる」ってことなんだと、思いを熱くした。「野心に理由などない」が自分の中に余韻を残した。
●和歌山は今日も寒かった
というわけで、次の週末、1月13日(日)は和歌山。「女は抱かれていればいい撮影会」じゃなくて「野心のままに生きてごらん撮影会」、と勝手に呼んでみただけで、実はコスプレのイベント。
和歌山から電車で10分ほど南下したところに海南駅があり、そこからバスで15分ほど西に行った人工島内に「ポルトヨーロッパ」がある。この島は、高級リゾート地になっている。ヨットハーバーがあり、リゾートマンションがあり、一泊3万円以上する高級ホテルがあり。
9:05海南発のバスは、30人ほどの乗客でほぼ満杯。ほとんどがコスプレイヤー。男性は私のほかにもう一人しかいない。始終、ぴーちくぱーちくと大変にぎやか。東京近辺のイベントでも、バスで行く会場だとよくこういう雰囲気になることがあった。和歌山のイベントだと、さすがにほとんどが関西方面の人だと話す言葉から分かる。
暖かそうなイメージのある和歌山だが、この時期の海沿いは風がびゅうびゅう吹いて寒い。観光客の姿があまりないのも、寒々とした感じに拍車をかけている。だけど、コスプレイヤーたちの情熱は熱い。和歌山駅からのバスと和歌山市駅からのバスが到着した10時前には、100人近い列ができた。コスプレイヤー以外の来場者は、ほんのちらほら。
カメコは、コスプレイヤーたちが着替え終わった頃を見計らって遅めに来る人が多いようだ。それと、特に目当てがなく、その場で撮りたくなった人に適当に声をかけて撮らせてもらうカメコは、以前に比べて少なくなったように感じる。特定のコスプレイヤーのグループの専属カメコとして、誘い合って来るパターンが多くなってきているようだ。
人が少ないのは撮影に好都合だけど、こう寒いのは全然好都合ではない。なかなか両立しないものだ。古いヨーロッパの街並みを再現したようなテーマパークは、味わいのあるコスプレ写真を撮るにはたいへん好適だ。
それを狙ってわざわざ東京から来たわけだから、寒さなんてのは根性で吹っ飛ばせ、なんて最初のうちは息巻いていた我々だが、根性にも限界がある。ウォータースライドの下の煉瓦の壁は、背景としてなかなかいいのだが、海風が凝縮されて通り抜ける道になっているようで、常に冷たい風がびゅうびゅう吹きまくり。さすがにたまらなくなって、早々に屋内へ。
汐音さんと緒海さんの衣装は冬コミで一度見ているのだけど、宝塚を観劇してから改めてみると、そっくりにできているのだなぁ、と感心する。あの舞台のすばらしさに感激して、その勢いですごい手間をかけて衣装を制作したんだなーと、思いが少し分かるような気がしてくる。
エル・アルコンの衣装だと分かって「撮らせて下さい」と声をかけてくる女性がいた。初めて会うのに、汐音さんたちとすっかり意気投合して、十年来の知己に会ったように楽しそうに話をしていた。
あまりの寒さに、存分に撮れたとは言い難いもやもやした気分を少し残して終了した。できれば、また行ってリベンジしたい気がする。
【GrowHair】GrowHair@yahoo.co.jp
カメコ。壁に据え付けてある空調が壊れた。風は来るけど、暖かくも涼しくもなく、外の空気そのもの。修理してもらうにしても、まず部屋を片付けて、足の踏み場というものを作らなくてはならない。とりあえず応急処置として、扇風機みたいな形のヒーターを買ってきた。それが三年くらい前。そのヒーターも壊れて、スイッチを入れても反応しなくなった。それが去年の春先。あと少し我慢すれば春だから、このままでいいや。で、そのまま冬に突入し、今に至る。この冬は暖房が一切ない。酒飲んだり、辛いもん食ったりして自分が暖房になるっきゃない。おかげさまで、風邪ひかない。ナントカは風邪ひかないって本当だったようだ。
将棋ニュースプラス「ご主人様、王手です」は次回がいよいよ最終回。一から将棋を習い始めて半年、三人のメイドは3級合格なるのでしょうか。本日配信分、見た。綾ちゃん、よくがんばった。
< http://broadband.biglobe.ne.jp/sitemap/index_shougi.html
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■編集後記(2/1)
・娘が新聞を読みながら「ビンゴ〜!」とつぶやく。例の中国産毒物入り冷凍ギョーザを、たしかに食べたことがあるというのだ。普段から、中国産の食品には注意しろと言っていたのに。ヘタしたら今回のように、とんでもない事件の被害者になっていただろう。なぜそんな食品を買ったのだと聞くと、だってパッケージに「JT」とあれば安心しちゃうじゃないと言う。原産国が中国という表示もあるはずだが、「JT」を見ただけでなにも考えずにカゴに入れたそうだ。たしかに、どう見てもまるまる日本製のようなパッケージだものな。「ジェイティフーズ」「加ト吉」「江崎グリコ」「味の素冷凍食品」「マルハ」が製品の自主回収を始めたが、こういう有名ブランドのパッケージなら国産と思って買う人は多いだろう。厚生労働省が販売中止要請した食品会社(問題の中国・天洋食品の製造したものを使用)は20社に近い。それらの製品は、どこまで中国産と表示しているのだろうか。わが家は中国産を輸入したとわかる食品は買わない。中国産原料を日本で加工となると判断に迷う。いままで好きだっ
たM屋のびん詰めの一部も、中国産との表示でもう手をのばさない。でも、表
示がないとわからない。異常に安い物は遠ざけるのがいいと思う。抗生物質や
農薬を過剰に使用した中国産食品のワースト5は、ウナギ、ショウガ、キクラ
ゲ、落花生、ウーロン茶だそうだ。ウナギはそのまずさから、騒がれる以前に
食べなくなったが、国産落花生を使った柿ピーはなかなかないので、仕方なく
中国産を食べている。それにしても、今回の事件はどこかきなくさい。(柴田)
・宝塚歌劇団を創始した小林一三の誕生日は、一月三日。宝塚歌劇の舞台は、実は不倫話(禁断の恋/愛)が多い。そして日本物が意外に多い。作家は男性ばかりなので、男のロマン・美学話も多い。好きな女のために、自分は……というせつない話も多い。編集長に「宝塚は意外に複雑な話もするんだね」と言われたのは、むしろ意外だった。トップが代わったばかりの若い組は可愛い話をするし、アメリカミュージカルものだと複雑すぎるものは少ないかも。ミュージカルだし、スターさんたちの見せ場作らないといけないので、深いところにまで切り込めないし(消化不良の時あり)、基本的にラブロマンスのような気もするが、題材はマンガや小説から歴史上人物までとっても幅広いよ。そして、その題材周辺の書籍類、分厚い歴史書までもが、宝塚内ショップに並び、学生からおばさま方までにバカ売れ。背景を知らなくても楽しめるし、わかると台詞の意味がよりよくわかる。世界史が苦手な私でもハプスブルグ家、ブルボン王朝、愛新覚羅溥儀などのことが少しわかったり。宝塚観劇がきっかけで世界史に興味を持つ人だっているよん。ベルばらだってフランス革命の話だけど、そんなの知らなくても、貴族は裕福なのに民衆は貧しくて、みんなが怒りはじめて、そしてマリーアントワネットは不倫しちゃってて、オスカルは愛に目覚め、愛それは〜、革命ばんざい! 自由だ〜! みたいな。(hammer.mule)
< http://ja.wikipedia.org/w/index.php?oldid=17697524
>
非オリジナル作品だと
< http://kageki.hankyu.co.jp/revue/back.html
> 1999年からしかないけど
< http://hochi.yomiuri.co.jp/column/aiful/news/20080115-OHT1T00006.htm
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この人が