ただいまぁ〜。ソウル好き夫婦が、三泊四日でソウルの街を早馬のように駆け抜けてきました。
今回は、観光会社で組まれたツアーに乗るのではない自由な旅だったので、初日にゆったりした時間をもてました。以前書いたように、ツアーでは「お土産屋さん回り」という不自由な時間の束縛があるので、早い時間の飛行機で成田を発っても結局はホテルに入る時間が遅くなり、初日は何も出来ないのです。また、ホテルも寝るだけとはいっても格安ツアーでは満足できない事が多く、飛行機とホテルを自分で選択した今回は充実した旅になりました。
時間に余裕があるとはいっても、短い日程の中に様々な事柄を一気に詰め込んだので、とても忙しく行動し、まさに駆け抜けたといった感じです。そんな旅から帰ってきたばかりの頭の中は、チゲの中のように様々な素材がごちゃ混ぜになり、まとまりがつかない状態ですが、食べてみるとそのごちゃ混ぜ感がとても美味しくなると信じています。でも、美味しくさせるためにはコチュカル(唐辛子)のようなスパイスが必要ですね。まあ、そのスパイスは何とかなるでしょう。
今回は、観光会社で組まれたツアーに乗るのではない自由な旅だったので、初日にゆったりした時間をもてました。以前書いたように、ツアーでは「お土産屋さん回り」という不自由な時間の束縛があるので、早い時間の飛行機で成田を発っても結局はホテルに入る時間が遅くなり、初日は何も出来ないのです。また、ホテルも寝るだけとはいっても格安ツアーでは満足できない事が多く、飛行機とホテルを自分で選択した今回は充実した旅になりました。
時間に余裕があるとはいっても、短い日程の中に様々な事柄を一気に詰め込んだので、とても忙しく行動し、まさに駆け抜けたといった感じです。そんな旅から帰ってきたばかりの頭の中は、チゲの中のように様々な素材がごちゃ混ぜになり、まとまりがつかない状態ですが、食べてみるとそのごちゃ混ぜ感がとても美味しくなると信じています。でも、美味しくさせるためにはコチュカル(唐辛子)のようなスパイスが必要ですね。まあ、そのスパイスは何とかなるでしょう。
さて、早馬のように駆け抜けてきた旅と、話を掛けるわけではありませんが、今回はピマッコリ(避馬通り)を紹介します。この通りの漢字語を読むとなんだかよく分からないと思いますが、後ほどちゃんと説明しますね。
まず、ピマッコリに行くことになった経緯をお話します。今回の旅の前々日には、横浜ZAIMでおこなった《小さな額の中の「大きな宇宙展」》の搬出があったのです。この出展者の一人、イラストレーターの「ラジカル鈴木」氏が打ち上げレセプション、そして二次会にまで付き合ってくれました。彼は、この東西見聞録を読んで下さっていたようで、韓国に行ったら是非、友人に会ってきて欲しいと紹介された人物がいました。
その人は姜さんという韓国人で日本で16年間もの間仕事をし、その中でラジカル氏とのお付き合いがあったということです。Mailで紹介を受けたのは訪韓前日でしたので連絡先などをお伺いし、当日ソウルから電話をかけてみました。電話に出た姜さんはとてもお上手な日本語を使い、紳士的な対応をされる暖かみのある方で、安心してお会いすることが出来ました。
待ち合わせたのは狎鴎亭(アックジョン・地名)から少し離れたところで午後一時頃ということでしたが、会う場所が分からず散々歩きまわり、時間が押してしまったのです。姜さんは忙しい中に時間を作って下さったようです。その時はあまり時間がとれなかったので、夕方以降再びお会いする約束をして一度別れホテルに戻ったのですが、会う前に散々歩き回り、戻る前にも姜さんから教えてもらった狎鴎亭まで散々歩いたので、疲れ切っていた状態でした。
狎鴎亭は、現在新しい街として生まれ変わっている最中でブランドショップや高級食堂などが次々作られ、私達が宿泊した明洞が原宿だとしたら、ここは青山や赤坂、六本木といった感じの所です。紹介された通りは、ブランドストリートと呼ばれ狎鴎亭駅から徒歩で20分以上という交通の便は良くはないのですが、ソウルは東京以上に車の街です。狎鴎亭に遊びに来る約60%が自分の車で、後の残りはタクシーだそうです。タクシーも200円くらいなので経済的です。
そのようなお洒落な場所を見て回った反動というわけではなく、単に疲れただけなのですが、ホテルで待ち合わせたガイド役の教え子・李賢景が気を遣い、夕飯は近くにしましょうと提案をしてくれました。そして、satokoが行ってみたかったという、ピマッコリに姜さん達を呼ぶことにしたのです。ピマッコリの場所は鐘路にあり、明洞から比較的近いのです。
姜さん達との待ち合わせ時間になり、タクシーに乗りピマッコリに行ってくれと言うと、タクシーの運転手は「最近はピマッコリと言っても分からないよ」と言います。ピマッコリは、開発のために取り壊される予定になっている路地裏の飲み屋街です。日本で言えば池袋の人世横町(人生ではない所が面白い)や、新宿の思い出横町(通称ションベン横町)のような場所です。ここは近いうちになくなってしまうのです。
お金のない若者、学生達が立ち寄る避馬通りは、人がやっと通り抜けられるくらいの路地裏で、このあたりの店のほとんどが食べ物は一種類しかないようです。私達は姜さんが連れてきた彼の先輩と一緒に、ヨルチャチム2と言うパジョンの店に入りました。この店は、ピンデットゥでは地元の人が一番だという有名な店です。名前の由来は分かりませんが、日本語に訳すと汽車店2になります。
汽車店で出される料理はパジョン専門で、ピンデットゥは以前の東西見聞録に記したように緑豆のパジョンのことです。ここのパジョンは、他の店で見ていたような大きな物ではなく、直径20センチほどと小振りで皿に山盛り出てきます。注文したのはもちろんピンデットゥ、海鮮葱チジミ、一段落して追加注文したのが牡蠣のチジミです。それから、蛤のスープを頼んだのですが、日本の蛤とはちょっと違って、殻の表面がバカ貝のように白っぽく筋が入り、凸凹していました。でも、肉質は蛤でバカ貝のように赤くはなく味も濃厚な良い味でした。
そして、この蛤のスープが入ってきた鍋がとても良い感じに使い古され、年期を感じさせます。アルミ製なのですが、鍋のフチはすっかり潰れボコボコの銀色に光り輝いています。あまりのアーティスティックな自然さに欲しくなってしまったので、もらってきたかったのですが店にとっても思い出の品なので売ることは出来ないと断られてしまいました。明るいところでちゃんと写真を撮りたかったと思う逸品でした。
この店では姜さんの奥様も加わり、楽しい会話に花が咲きました。食べたものはどれもこれも美味しかったのですが、ここで飲んだマッコルリのシュワシュワした飲み心地が良かったぁ(市販の瓶入りですけれどね)。これこそ韓国人の最大の酒の肴と言われる「会話」の力にこそあるということでしょう。そして、心は踊り、足は歌い、次の店へと繰り出すのでした。
あ、そうそう。マッコルリを飲み過ぎてピマッコリの名前の由来を話していませんでしたね。地元では「血(ピ)味(マッ)通り」と信じて疑わない人も多いそうですが、本当は朝鮮時代、馬に乗った高官達が通る際に庶民は平伏しなければならなかった、という事を面倒くさがった鐘路の人が馬が来ると逃げ込んだ裏路地という名前だと言うことです。「避馬通り」の漢字語の通り馬を避けた通りですね。
写真は「ピマッコリ」と散々、飲み、食い、語り、次の店に繰り出す直前です。
・ラジカル鈴木オフィシャルサイト
< http://www.big.or.jp/%7Eradical/
>
【HAL_】横浜在住アーティスト hal_i@mac.com
Web < http://homepage.mac.com/HAL_i/
>
Web < http://lohasfood.exblog.jp/
>
Web < http://Web.mac.com/hal_i/
>
Sound Drawing グループ「ZIetZ」の公式サイト
< http://zietz.hal-i.com/
>
「塗り絵で親しむ俳句の世界」(桃園書房)著者名・飯田晴山
「Shade 9 ガイドブック」BNN新社「ArtRageで絵を描こう!」BNN新社
「Photoshopバージョンブック」毎日コミュニケーションズ
「Illustratorバージョンブック」毎日コミュニケーションズ
まず、ピマッコリに行くことになった経緯をお話します。今回の旅の前々日には、横浜ZAIMでおこなった《小さな額の中の「大きな宇宙展」》の搬出があったのです。この出展者の一人、イラストレーターの「ラジカル鈴木」氏が打ち上げレセプション、そして二次会にまで付き合ってくれました。彼は、この東西見聞録を読んで下さっていたようで、韓国に行ったら是非、友人に会ってきて欲しいと紹介された人物がいました。
その人は姜さんという韓国人で日本で16年間もの間仕事をし、その中でラジカル氏とのお付き合いがあったということです。Mailで紹介を受けたのは訪韓前日でしたので連絡先などをお伺いし、当日ソウルから電話をかけてみました。電話に出た姜さんはとてもお上手な日本語を使い、紳士的な対応をされる暖かみのある方で、安心してお会いすることが出来ました。
待ち合わせたのは狎鴎亭(アックジョン・地名)から少し離れたところで午後一時頃ということでしたが、会う場所が分からず散々歩きまわり、時間が押してしまったのです。姜さんは忙しい中に時間を作って下さったようです。その時はあまり時間がとれなかったので、夕方以降再びお会いする約束をして一度別れホテルに戻ったのですが、会う前に散々歩き回り、戻る前にも姜さんから教えてもらった狎鴎亭まで散々歩いたので、疲れ切っていた状態でした。
狎鴎亭は、現在新しい街として生まれ変わっている最中でブランドショップや高級食堂などが次々作られ、私達が宿泊した明洞が原宿だとしたら、ここは青山や赤坂、六本木といった感じの所です。紹介された通りは、ブランドストリートと呼ばれ狎鴎亭駅から徒歩で20分以上という交通の便は良くはないのですが、ソウルは東京以上に車の街です。狎鴎亭に遊びに来る約60%が自分の車で、後の残りはタクシーだそうです。タクシーも200円くらいなので経済的です。
そのようなお洒落な場所を見て回った反動というわけではなく、単に疲れただけなのですが、ホテルで待ち合わせたガイド役の教え子・李賢景が気を遣い、夕飯は近くにしましょうと提案をしてくれました。そして、satokoが行ってみたかったという、ピマッコリに姜さん達を呼ぶことにしたのです。ピマッコリの場所は鐘路にあり、明洞から比較的近いのです。
姜さん達との待ち合わせ時間になり、タクシーに乗りピマッコリに行ってくれと言うと、タクシーの運転手は「最近はピマッコリと言っても分からないよ」と言います。ピマッコリは、開発のために取り壊される予定になっている路地裏の飲み屋街です。日本で言えば池袋の人世横町(人生ではない所が面白い)や、新宿の思い出横町(通称ションベン横町)のような場所です。ここは近いうちになくなってしまうのです。
お金のない若者、学生達が立ち寄る避馬通りは、人がやっと通り抜けられるくらいの路地裏で、このあたりの店のほとんどが食べ物は一種類しかないようです。私達は姜さんが連れてきた彼の先輩と一緒に、ヨルチャチム2と言うパジョンの店に入りました。この店は、ピンデットゥでは地元の人が一番だという有名な店です。名前の由来は分かりませんが、日本語に訳すと汽車店2になります。
汽車店で出される料理はパジョン専門で、ピンデットゥは以前の東西見聞録に記したように緑豆のパジョンのことです。ここのパジョンは、他の店で見ていたような大きな物ではなく、直径20センチほどと小振りで皿に山盛り出てきます。注文したのはもちろんピンデットゥ、海鮮葱チジミ、一段落して追加注文したのが牡蠣のチジミです。それから、蛤のスープを頼んだのですが、日本の蛤とはちょっと違って、殻の表面がバカ貝のように白っぽく筋が入り、凸凹していました。でも、肉質は蛤でバカ貝のように赤くはなく味も濃厚な良い味でした。
そして、この蛤のスープが入ってきた鍋がとても良い感じに使い古され、年期を感じさせます。アルミ製なのですが、鍋のフチはすっかり潰れボコボコの銀色に光り輝いています。あまりのアーティスティックな自然さに欲しくなってしまったので、もらってきたかったのですが店にとっても思い出の品なので売ることは出来ないと断られてしまいました。明るいところでちゃんと写真を撮りたかったと思う逸品でした。
この店では姜さんの奥様も加わり、楽しい会話に花が咲きました。食べたものはどれもこれも美味しかったのですが、ここで飲んだマッコルリのシュワシュワした飲み心地が良かったぁ(市販の瓶入りですけれどね)。これこそ韓国人の最大の酒の肴と言われる「会話」の力にこそあるということでしょう。そして、心は踊り、足は歌い、次の店へと繰り出すのでした。
あ、そうそう。マッコルリを飲み過ぎてピマッコリの名前の由来を話していませんでしたね。地元では「血(ピ)味(マッ)通り」と信じて疑わない人も多いそうですが、本当は朝鮮時代、馬に乗った高官達が通る際に庶民は平伏しなければならなかった、という事を面倒くさがった鐘路の人が馬が来ると逃げ込んだ裏路地という名前だと言うことです。「避馬通り」の漢字語の通り馬を避けた通りですね。
写真は「ピマッコリ」と散々、飲み、食い、語り、次の店に繰り出す直前です。
・ラジカル鈴木オフィシャルサイト
< http://www.big.or.jp/%7Eradical/
>
【HAL_】横浜在住アーティスト hal_i@mac.com
Web < http://homepage.mac.com/HAL_i/
>
Web < http://lohasfood.exblog.jp/
>
Web < http://Web.mac.com/hal_i/
>
Sound Drawing グループ「ZIetZ」の公式サイト
< http://zietz.hal-i.com/
>
「塗り絵で親しむ俳句の世界」(桃園書房)著者名・飯田晴山
「Shade 9 ガイドブック」BNN新社「ArtRageで絵を描こう!」BNN新社
「Photoshopバージョンブック」毎日コミュニケーションズ
「Illustratorバージョンブック」毎日コミュニケーションズ