[2584] 男たちの哀しき欲望

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<ああ、それにしても性欲……>

■映画と夜と音楽と…[408]
 男たちの哀しき欲望
 十河 進

■Otaku ワールドへようこそ![90]
 ネットでは意外と近かった:ハレンチなコケットショウ
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■映画と夜と音楽と…[408]
男たちの哀しき欲望

十河 進
< https://bn.dgcr.com/archives/20090213140200.html
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●「かぶりつき人生」と「あの胸にもう一度」を見た年

──凄いぞ。革のつなぎのライダースーツの下は何も着てないんやぞ。そのチャックのリングを口でくわえてドロンが脱がせるんや。

性欲の塊のような新聞部部長のTが興奮した口調でそう言ったのは、高校二年の夏前のことだったろうか。彼は、ドロンと同じことがしたくてたまらないというように身悶えた。後に彼は大手出版社に入り、誰彼かまわず女性に手を出していたそうだが、その異常性欲が身を滅ぼしたという噂は聞いていない。まあ、結局はひとつの生き方だったのだろう。

ただし、その当時の僕も人並みに性的なものに対して敏感だったから、Tが大騒ぎする映画に興味が湧いたのは事実だった。それに、その映画は新聞の映画評で芸術的価値を認められていた。原作は白水社から「世界の現代文学」の一冊として出版されていたマンディアルグの「オートバイ」という小説だ。そのシリーズでは「ライ麦畑でつかまえて」も出ていた。「かぶりつき人生」(1968年)というタイトルの映画を見にいくのとは訳が違う。

しかし、その年の春、僕が「かぶりつき人生」を見にいったのは、決して下世話な興味があったからではなかったと断言しておきたい。原作は後に谷崎賞までとった田中小実昌さん(通称コミさん。後年、ゴールデン街の酒場で見かけたときは緊張した)であったし、監督は後に数々の名作を作る神代辰巳だった。彼の監督デビュー作を封切りで見る幸運に僕は恵まれたのだ。それもスケベごころのおかげ……(あっ、しまった)。

まあ、そんなことで、僕もTが大騒ぎする映画を見にいった。その映画にはアラン・ドロンが出ていたから、本当なら僕はすぐに見にいくべきだったのだ。しかし、その映画が何となくイヤラシソーだったので、二の足を踏んでいたのである。当時の僕は興味がありながら、性的なものに反発するという妙な潔癖さを抱え込んでいた。

13歳のときに見た「太陽がいっぱい」(1960年)でドロンのファンになり、前年に公開された「冒険者たち」(1967年)で僕のドロン熱は最高潮を迎えていた。しかし、その映画のドロンは、僕をガッカリさせるだろうという予感があったのだ。テレビの映画紹介番組などで流れる映像から、僕はドロンの色事師めいた面が強調される映画だとわかっていた。

案の定、「あの胸にもう一度」(1968年)のドロンは、僕をガッカリさせた。性的なものに潔癖な少年が不倫を許せるはずがないし、人妻になった女と逢瀬を重ね、にやけた顔でライダースーツを脱がしていくドロンには目を背けたくなった。もっとも、映画はマリアンヌ・フェイスフルが中心で、ドロンの出番はそんなに多くはなかったけれど……。

ヒロイン(マリアンヌ・フェイスフル)は、結婚前から関係が続いている大学教授(アラン・ドロン)に会うために大型オートバイを走らせる。その間に回想があり、男に抱かれる想像が挿入される。たぶん今から見れば、そう大したセックスシーンではないのだろうが、描き方が耽美的でアンモラルな罪を犯すような雰囲気があった。

僕が驚いたのは、数年前に「アズ・ティアーズ・ゴー・バイ」という曲をヒットさせたマリアンヌ・フェイスフルの大胆な脱ぎっぷりとセックスシーンである。「あの胸にもう一度」を見て以来、マリアンヌ・フェイスフルは純情派から性的に解放されたブァンプ派になった。ラストシーンの衝撃も凄かった。今でもドロンがファスナーのリングをくわえてライダースーツを脱がすシーンとラストシーンは鮮やかに甦る。

●マリアンヌ・フェイスフルとの40年ぶりの再会

40年ぶりにマリアンヌ・フェイスフルに再会したとき、僕は「嘘だろう」と思った。22歳の美女が、いきなり60過ぎの太ったおばさんになって現れたのだ。元々、彼女の面立ちを明確に憶えてはいなかったが、どこにも昔の面影を見出せなかった。まず、体型がまったく違う。スリムでスレンダーな肢体……、「あの胸にもう一度」の印象はそれだった。でなければ、身体にぴったり張り付くような黒革のライダースーツなど似合うはずもない。

しかし、スクリーンに映っている女優は、太った身体に安物の厚手のコートをかぶり、みっともない歩き方をするおばさんだった。ほっぺたは膨らみ、二重顎が目立つ。ロンドン郊外の村に住む労働階級の未亡人という設定だから、ことさら貧乏くさい恰好をしているのかもしれないが、それにしても「ええー」と僕は声を出しそうになった。

そのおばさんは、無愛想な息子が運転する自動車で病院にいく。病院で待っているのは可愛い少年だ。「おばあちゃん」と少年が喜ぶ。そのいくつかのシーンだけで、そのおばさんが少年をいかに愛しているかが伝わり、息子の嫁とのぎくしゃくした関係や孫である少年が難病で命が危ないということがわかる。的確でオーソドックスなオープニングだった。

その映画のタイトル「やわらかい手」(2007年)を聞いただけでは、どんな映画なのか想像はできないだろう。「Irina Palm(イリーナの掌)」というのが原題だが、これからどんな物語が思い浮かぶ? 僕は朝日新聞掲載の沢木耕太郎さんの映画コラム「銀の森」で紹介されていたので、内容的な予備知識はあったけれど予想外の展開に驚いた。

主人公マギーの孫は、オーストラリアの専門病院でしか治療はできないと宣言される。6週間以内に渡航しないと間に合わない。だが、費用は大金だ。治療費のために自宅も手放しアパート暮らしの息子夫婦には、とてもそんなお金はない。銀行ローンも断られ、マギーも職を探すがどこへいっても「何の資格もなく、あなたの歳では無理だ」とにべもない。

そんなとき、繁華街の風俗店の「接客業、高給保証」という張り紙を見る。応募したマギーにやくざっぽいオーナーは「接客業とは弁護士に教わった遠回しな言い方。つまり、売春婦だ」と教える。マギーは帰ろうとするが、オーナーはマギーの手を「見せてみろ」と子細に観察する。そして、オーナーが連れていったのは、壁に小さな穴が空いている殺風景な部屋だった。

●日本の風俗店が「やわらかい手」の発想の源になった

オーナーは「東京で見て、ロンドンで俺が作った」と自慢するように言うが、そんな風俗店が新宿歌舞伎町あたりにあるのを僕も聞いたことがある。壁の穴は、男が立ち上がったときの股間の位置に開けられている。身長差はあるだろうから、中には台に乗ってその穴に腰の位置を合わせる男もいるだろう。

客は壁の向こうに立ち、穴に自分の性器を差し込む。マギーの仕事は、ローションをつけた手でそれをやさしく愛撫し射精させることなのだと説明される。オーナーはマギーの掌がその仕事に向いていると見抜き「稼げる」と言う。マギーは驚き一度は逃げ帰るが、孫のためにと引き受ける。

マギーは「イリーナ」という源氏名を付けられ、「イリーナの掌」は評判になる。男たちがイリーナのボックスに列を作る。オーナーはその列を見て自分もマギーの手を試し「絶品だ」と言う。そのオーナーにつけ込むようにマギーは借金を申し込む。6000ポンド。オーナーは了解し、マギーは借金を返すまで、一日何十本という男たちの性器を愛撫し射精させることになる。

壁に向かう男たちを描いたシーンがある。俯瞰で撮られたショットだ。壁にぴったりと身をくっつけ、壁の上部に設置されたバーを両手でつかんでいる。男たちが身悶えする。バーをつかむ手に力が入る。ズボンを下げ、性器だけを壁の向こうに突きだし腰を振る。そんな男たちのシーンに、僕は哀しみを感じた。

60過ぎのおばさんだとは誰も思わず、その手の感触だけを求めて男たちは列を作る。手っ取り早く安く欲望の処理ができるシステムだが、「男って哀しいなあ」と思うほかない。そんなところへいくくらいなら、僕は欲望を我慢する。順番を待って並ぶ自分がみじめになるに違いない。射精した後の虚しさが身に沁みるだろう。そんなみじめさに甘んじ、自尊心を棄てるほどの価値を僕は己の欲望の充足に見出さない。

僕は「やわらかい手」のイリーナの穴の前に列を作る男たちを軽蔑しているのではない。そんな風に処理しなければ、我慢できない男たちの欲望が哀しいだけだ。僕はきっとそんな列には並ばないだろうけれど、男たちに対する共感もあるし、同情や憐れみもある。人ごとだとは思えない。「ああ、それにしても性欲……」と天を仰ぎたくなる。

それは、愛妻アンナ・カリーナに去られたジャン・リュック・ゴダールの嘆きだった。天才的映画監督も己の性欲には手を焼いたのだ。性欲がなければこの世はどれだけ平和だろう。少なくとも性犯罪はなくなる。しかし、性欲がなくなれば繁殖がなくなり、人類は滅ぶ。もっとも、現在では性欲は繁殖のためのものではなくなった。性欲そのものを充たすために性欲があるのなら、なくったっていいんじゃないか。

もちろん、欲望の強さには個人差がある。前述の新聞部のTは本当に性欲の塊のような男で、そういう男だからなのか、よくもてた。友だちの恋人や奥さんを寝取り、ばれて友だちをなくした。性欲が友情を裏切らせるのだ。欲望を充足させるために人でなしになる。僕は、彼のように欲望が強くなかったことを喜んだ。強い欲望を持つことは、欲望を充たすために人生を費やすことになるからだ。

さて、評判になったイリーナことマギーは、ライバルの性風俗店のオーナーに好条件で引き抜きをかけられる。オーナーに話をすると「いつから移るんだ」とクールに言われ、「あなたにとって私は何なの?」と不満を漏らす。オーナーを演じるミキ・マノイロヴィッチがいい。マギーに「金を返さなければ殺す」と脅すような男だが、次第にマギーに惹かれていく気持ちをクールな表情の中に見せる。

「やわらかい手」はマギーが選んだ仕事が特殊なものだったが故に、周囲に様々な波紋を広げる。近所に住む老嬢の友人たち、死んだ夫、息子夫婦、オーナー、マギーに仕事を教えるシングルマザーの風俗譲など、彼女を取り巻く人々の気持ちが顕わになり、変化する。だが、可愛い孫の命を救うというマギーの目的は変わらない。だから、この映画はとても後味がいい。

マリアンヌ・フェイスフル……、一時はローリング・ストーンズのミック・ジャガーの恋人でもあったが、今や完全にデブのおばさんになった。だが、「やわらかい手」のマギーの何と魅力的なことか。「あの胸にもう一度」の彼女の顔は思い出せないが、「やわらかい手」のマギーのだぶついた頬を忘れることはないだろう。

彼女は男たちの欲望を充たす仕事を続ける中で強くなり、人を許せる寛容さを身に付けていく。男たちの哀しき欲望を包み込む慈母のように……。

【そごう・すすむ】sogo@mbf.nifty.com
そろそろ花粉の季節。アレルギーを抑える薬はずっと飲んでいるが、今年はどうなるだろう。電車の中も町の中もマスクをした人が増えている。僕はマスクが嫌いで、あまりしたくはないのだだけれど……。

●305回までのコラムをまとめた二巻本「映画がなければ生きていけない1999-2002」「映画がなければ生きていけない2003-2006」が第25回日本冒険小説協会特別賞「最優秀映画コラム賞」を受賞しました。
< http://www.bookdom.net/suiyosha/1400yomim/1429ei1999.html
>
受賞風景
< http://homepage1.nifty.com/buff/2007zen.htm
>
< http://buff.cocolog-nifty.com/buff/2007/04/post_3567.html
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■Otaku ワールドへようこそ![90]
ネットでは意外と近かった:ハレンチなコケットショウ

GrowHair
< https://bn.dgcr.com/archives/20090213140200.html
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結局のところ、私の行動を導いたのは誰だったのだろう? まあ、古くから、善光寺参りだって牛にひかれて行くこともあるというから、似たようなもんかもしれないけど。変なソフトウェアに導かれて鶯谷参り? 奇妙ないきさつで、アングラっぽい怪しげなイベントに行ってきた。結果としては、昭和のかほりただようエネルギッシュでコケティッシュなショウを堪能できて大満足だったので、悪い運ではなかったようだけど。

●探り出された人物相関に知らない人が

SPYSEE(スパイシー)について、べちおさんから教えてもらったとき、すでにGrowHairは載せられていた。このサイトは、ウェブ上で公開されている情報を自動的に収集・分析して、人と人とのつながりを探り出し、各人物についてつながりのある人物のリストや相関図を表示してくれるという、たいへんいい「お世話」を焼いてくれるサイトである。
< http://spysee.jp/
>

GrowHairはプロフィールまで晒されている。デジクリ2000号に書いたときのものだ。あのとき、匿名という安全地帯に立ってえらそーにものを言う自分が許せないような気がして本名を公表しちゃってるのだが、それがこんなところに転載されているとは。しかも、年齢、身長、体重、スリーサイズまで。さらには、勤め先やその悪口まで。ヤヴァイって。
< http://spysee.jp/GrowHair
>

さて、私とつながりのある人物のリストを見ると、上位のほうはだいたいデジクリ関係者と人形作家だ。妥当なところである。ところが下位のほうになってくると、面識がないどころか、聞き覚えもない名前がちらほらと。ためしにつついてみると、お笑い芸人だったり、レースクイーンだったり、安土桃山時代の大名だったり、新約聖書の登場人物だったり。

名前に聞き覚えがないということは、私がどこかにその名前を書いたはずもなく。かといって、石田三成公やバラバがGrowHairに言及したという史実があったとは考えづらいし。いったいどこでどんなつながりが生じているのか、まったくもって謎である。

そんな中に「デリシャスウィートス」の名前がある。検索をかけて出てきた情報を総合すると、「コケテッシュでシュールなショウを演じる一座。4人の男性のサイケデリックでエネルギッシュな生演奏をバックに、ファンシーな衣装に身を包んだ艶かしい6人の女たちが唄と踊りと寸劇を繰り広げる。日本のハレンチステーヂ! 人間の刹那的バカンス! いかれポンチ! 若者の衝撃運動! 1998年より、都内・地方のライヴハウスを中心に、幅広く活動」という一座のようである。面白そうじゃないか!

今まで知らなかったのが惜しいくらいである。もっとも、このブッ飛んだ気配ただようコケットショウ一座が、まじめでなんの奇も衒いもない私と、いったいどういうふうにつながっていると判定されたのか、相変わらず謎ではあるのだが。

●つながりが見えてきた

それが2月6日(金)のこと。デリシャスウィートスのウェブサイトを見ると、翌日、鶯谷で開かれるオールナイトイベントに出演予定とある。「まきますか、まきませんか」と言われたら一も二もなくまいちゃう性格の私、節分には豆をまかなかったし、恵方巻きも巻かなかったけど、「こういう種まきの機会は逃しちゃいかんぜよ」との天の声には、ほいほいしたがう。

しかし、「ドレスコードあり」という記述がちょっとひっかかる。私のようなふつうの人がふつうの格好で行ったら、入れてもらえないんじゃなかろうか。ずっと前、新宿の厚生年金会館の近くのライブハウスでクラブ系のイベントがオールナイトであって、それに行ったとき、ちょっと面白い目にあったのを思い出した。新宿駅から歩いて行ったのだが、前のほうをたいへん奇抜な格好をしたカップルが歩いている。

色とりどりの布の端切れを大量に植えつけた、明らかに手作りとみえる衣装をまとい、南国の鳥のようになっている。遠目にもたいへん目立つ。真夜中近い時間のことで、靖国通りを進むにつれてだんだんと人通りがまばらになっていくのだが、それでもどこで方向をたがえることもなく、結局、彼らが歩みと止めたところで追いついてみれば、そこが私の目的地でもあった。

開場前で、道に人がたむろしていたが、私のようなふつうの格好の人のほうが少数派だった。逆転負けを喫したような気分。ドレスコードはなく、入るのに支障はなかったけど。そんなことがあったので、少なくとも入れてもらえることだけは確認しておこうと思った。

mixiにデリシャスウィートスのコミュを見つけ、管理人であり、一座のスタッフである「ヴーちゃん」さんにメッセージを送って、イベントのことを聞いてみる。すぐに返事が来て、当日行けば4,000円で入れる、とのこと。撮影もOKとのこと。よしっ、なら行ってみるべ。

さらに、フライヤー持参で500円割引との情報を教えていただく。フライヤーはヴァニラ画廊と、高円寺にある古着屋「ちょこれーとちわわ」に置いてあるという。あっ。つながりが見えてきた。

ちょこちわわは、去年、由良瓏砂さんに教えてもらったお店だ。瓏砂さんは手作りの小物などをよく置いてもらっているようで、この日はプードルをかたどった置物を持ち込んでいた。私は10月にヴァニラ画廊で展示を予定していて、DMを置かせてもらった。さらに、お店のウェブサイトでも紹介していただいた。
< http://yaplog.jp/choco-chiwawa/archive/267
>
< http://yaplog.jp/choco-chiwawa/archive/268
>

そのつながりであったか。土曜のイベントでは、ヴァニラ画廊とちょこちわわが出展することになっている。ヴァニラ画廊で展示をするということは、こういう方面とつながりができてくるということなのか。なんだか、ひじょうに、うれしい。SPISEEからつながりがあるぞと言われた後で、つながりを作りに行くという展開は、多少奇妙な感じがしなくもないけど。

●モダンでピチピチでモーレツだった

そのイベントは「デパートメントH 2099」。鶯谷にあるイベントスペース「東京キネマ倶楽部」で、2月7日(土)の24時からオールナイトで開かれた。私は、その日、昼には海で人形の撮影があったが、夜はこのイベントへ。ダブルヘッダーだ。いったん帰るのも面倒になり、池袋のパセラで2時間ほどヒトカラして、鶯谷へ。そんな私は46歳、青春真っ只中。

大きな会場。人がいっぱい。何百人いるのだろう。「グランドキャバレーのような造り」と形容した人がいるけど、私は行ったことがないので、ピンとこない。5階から7階までが吹き抜けで、5階にステージがあり、キャットウォークがT字に突き出ている。ステージ前には踊れるスペースが。このあたり、いわゆる「クラブ」に近いかも。

その後方には、衣装や小物などのお店のブースが20店舗ほど並んでいる。上の階にも客席があり、ステージを見下ろせる席があって、通路を隔てた奥はテーブル席になっている。その上の階は、スタッフ専用で、照明などの機材が置かれている。

来場者の中には、前衛的な格好の人もけっこういる。セクシーなランジェリー姿の男性とか。生まれたままの姿に毛が生えた程度の人も。あ、いちおう全くの天然の姿ではなくて、コテカ(インドネシアの少数民族の男性が盛装として装着する角みたいなキャップ)を装着してたり、ボディーペイントしてあったりして、隠してはあるんだけど。前衛的なのにマエをあんまりマモっていないとは、これいかに?

こういうクラブ系のオールナイトイベントとアキバ系のオタクとは、まったく接点がないのかと思いきや、下の階の奥のほうにはガンプラの一角が設けられている。周辺の進行にはほとんど関心がない様子で、ひたすら制作に没頭している人たちがいる。それと、別の一角には着ぐるみの人たちがいて、ローゼンメイデンの翠星石や薔薇水晶や雪華綺晶もいたりする。いわゆる「ドーラー」あるいは「着ぐる民」である。いまや、どこへ行ってもオタクに遭遇するのかも。総理大臣から自宅警備員まで、広く分布している時代だからなぁ。

デリシャスウィートス以外にもいくつかの出演グループがいて、最初はドラァグクイーンのショウ。ド派手な衣装に身を包んだドラァグクイーン10人が次々とステージに登場し、妖艶な色気を振りまく。そして、彼ら(彼女ら?)による節分の豆まき。小さく包装された豆がステージから投げられる。節分はもう過ぎているので、チョコレートの包みも混ぜてあるという。

一年前、秋葉原の雲雀亭で女装した男のメイドさんからチョコをもらったのを思い出した。後でmixiの日記を読んで回っていると、雲雀亭で見た男のメイドさんの一人が、この会場に来ていた模様。これ、何? 逃れられない運命? しかし、ゆっくりと弧を描いて降ってきたパッケージをキャッチすると、チョコではなく、豆だった。ふぅ、そこまで深い縁ではなかったということらしい。

ほかのパフォーマンスの中には、エロいのやグロいのも。個人的な嗜好の偏りかもしれないけど、私はエロいのはまあそんなに苦手ではないのだけど、グロいのはちょっとかんべんしてほしい。見てるだけで血圧が下がる感じ。萎える。つーか、その場にへたり込んでしまったよ。ゲロは吐かなかったけど。吐きそうだった。体を傷つける芸とか、汚い芸とか、ちとつらい。えーっと、アングラワールドへようこそ?

……前置きが長くなったが、午前2:30の予定をだいぶん押して、いよいよデリシャスウィートスの登場。うわっ。明るいっ! 元気っ! 高度成長期の活力あふれるモーレツな国、ニッポンって感じの、レトロな元気感覚? ピチピチしたカワイコちゃんたちが、きびきびした早いモーションで踊る踊る跳ねる跳ねる。たいへん躍動的。歌も上手くて、さわやかのびやか、耳に心地よい。

ハレンチと謳っているけれど、ちっともエロくはない。健康的なお色気ムンムンって感じ。白いデカパンをみんなで一斉に脱いで、頭の上で振り回して見せたりするんだけど、下にはちゃんとピンクのデカパンを穿いてるし。この辺も昭和のかほりただよう演出なんだろうなぁ。昭和前半に書かれたエッセイなどを読むと「レビュー」というものがよく出てきて、これまた私にはぜんぜんピンとこないのだが、こんな雰囲気のショウだったのかも。

バックの生演奏の人たちは、黒の紋付の羽織といった和装系の衣装で、洋楽器との取り合わせはシュールだけど、やや地味な感じ。実際、メンバー紹介であいさつするときぐらいしか、しゃしゃり出てきたりしない。演奏も控えめなんだけど、めちゃめちゃ完成度高くて、きれいな音。決して大音響でガンガン攻めてきたりはしないのだけど、リズムが軽快で、ノリノリにさせてくれるのだ。

いやぁ、すばらしい! 楽しかった! 元気のシャワーをたっぷり浴びた感じ。さわやかな後味! 景気が「ていまい」しているこの時期、この一座にはもっともっといろんなところにゲリラ的に出没していただいて、日本中に蔓延するどよよんとした情けない空気を一掃してくれたらいいのに、なんて思っちゃうのであった。

私が撮った写真はこちら:
< http://www.geocities.jp/layerphotos/Uguisudani090207/
>

デリシャスウィートスがメインで出演する東京でのイベントは、4月にある。
タイトル:デリシャ●カーニバル とびだせ!人間 第19回
日時:4月5日(日)
   第1公演 開場13:00/開演13:30/終演15:00
   第2公演 開場17:00/開演17:30/終演19:00
会場:井荻會館(築80年の木造の温かな一軒家)
   東京都杉並区西荻北4-35-9(JR西荻窪駅北口から徒歩10分)
入場料:2,000円
・デリシャスウィートスのウェブサイト
< http://www.derisya.com/
>

【GrowHair】GrowHair@yahoo.co.jp
カメコ。土曜の昼間は湘南方面の海岸で人形の撮影だった。こんな時期に海に行くのは変人ぐらいだろうから、人のいない海辺でのびのび撮れるだろうと期待して行ったのだが……。水仙があたり一面にみごとに咲き誇り、見に来た人たちでけっこうにぎわっていた。ガクっ。水仙に埋もれるように座らせた人形が、季節感の現れたいい感じに撮れていて、いちおう収穫あったけど。3か月前のロケハンは、ロケハンになっていなかったと思い知らされる。

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■気になる記事CLIP
< https://bn.dgcr.com/archives/20090213140100.html
>

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●第1回 政党ウェブサイト全ページクオリティ実態調査 結果発表
(ウェブアクセシビリティ総合サイトA.A.O.)
< http://www.aao.ne.jp/service/research/cronos2/party/
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2008年11月および2009年1月に、「政党ウェブサイト全ページクオリティ実態調査」を実施いたしました。調査対象サイトのうち、サイト全体でアクセシビリティ対応が行なわれている可能性が高い「Aレベル」のサイトはアメリカ共和党1サイトのみ、Bレベルに到達したサイトも1サイトにとどまりました。一方、対応が不十分と考えられるDレベル以下のサイトは日本の政党で7サイト中4サイト、調査対象全体では13サイト中9サイトを占めました。(アライド・ブレインズ株式会社のプレスリリースから)

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■編集後記(2/13)

・DVD「エイリアン・ライジング」を見る。当然、あの「エイリアン」とは関係がない。またしても、遺跡を発掘していて封じ込められていた怪物を甦らせてしまい、人間が次々と襲われるというストーリーである。こういう設定は、もはやお手軽怪物映画のお約束みたいなものだ。パッケージのメインコピーは「人類はもう、逃げられない」だが、人類と呼ぶには登場人物があまりに少ない。街道沿いに孤立した田舎町が舞台なのは、登場人物を節約するためだろう。村人たちは物語半ばで大部分が死体になっているから、画面で動いている人物は数人しかいない。「最高のスタッフが満を持して放つ『人間対エイリアン』のノンストップ・バトル・ムービーの傑作!」ともうたっているが、どこかゆる〜いストーリー展開で、いつどこからか怪物が現れて食われてしまうかもしれないという、切羽詰まった恐怖感がない。ハラハラドキドキ感がない。極限状態というのに、人間側は内輪もめを始める、これもお手軽怪物映画の定石。主人公は女性保安官で、誤って少女を射殺してしまった痛恨の過去があり、心の傷をあらわす意味だろうか、ときどきそのシーンがフラッシュバックする。怪物と向かい合った絶体絶命のピンチに、そんな映像を出してもしょうがないと思うがなあ。怪物は地球人のDNAを採取に来た宇宙人であるとか、殺すにはウランが有効だとか、とってつけた設定なんかどうでもいい。怪物のデザインは本家「エイリアン」に似てなくもない。動きもけっこういい。にせものにしては上出来の部類だ。ところで、今までに見た映画で一番吹き替えがヘタだった。あまりのひどさに、途中から日本語字幕で見ざるを得なかった。(柴田)
< http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B001JE5QYG/dgcrcom-22/
>
アマゾンで見る

・昨日書いた柚希礼音さんのお披露目演目は「太王四神記 Ver.II」に決定。花のが結構面白かったので行かねばなるまい、ってかショーはないのね。踊れる人なのに〜! 花の時みたいに、録音(シンセ?)のような音で踊るのはやめて欲しいな。それまで生演奏なので迫力が減るのだ。スピーカーが弱いみたい。話は変わるが、韓国語の名前の法則がよくわからなくて苦手。「クオン・サンウ」でも、サンの後にウがつくのに慣れなくて、なかなか覚えられなかった。「太王四神記」の主人公の名前は「タムドク」。これもすぐに忘れてしまう。舞台では、とーっても大事なシーンで「ホゲー!」と親友の名前を涙ながらに叫ぶのだが、コントに思えて、なかなか慣れない。あと、「hogehoge」の文字が頭に浮かんでしまい、現実に引き戻されてしまうのさ。(hammer.mule)
< http://glossary.tank.jp/t07FF.html
>  hogeとは
< http://d.hatena.ne.jp/keyword/hoge
>
新潟や熊本では「穴が開く」ことらしい
< http://www.sanspo.com/geino/news/090212/gne0902121616000-n1.htm
>
水様のお相手はつかこうへいの娘に