<オレはジオン軍のパイロットがいいです>
■わが逃走[42]
ガンプラブームを思い出す 〜祝・ガンダム30周年&オレ独立10周年の巻
齋藤 浩
■私症説[03]
そういう傾向をもった脳
永吉克之
■展覧会案内
第76回毎日広告デザイン賞入賞作品展
ヴィデオを待ちながら 映像、60年代から今日へ
■気になる情報・記事CLIP
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ガンプラブームを思い出す 〜祝・ガンダム30周年&オレ独立10周年の巻
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■わが逃走[42]
ガンプラブームを思い出す 〜祝・ガンダム30周年&オレ独立10周年の巻
齋藤 浩
< https://bn.dgcr.com/archives/20090409140500.html
>
───────────────────────────────────
のっけからディープなタイトルでスミマセン。「わが逃走」ももうすぐ連載3年目。ちなみに今年はオレがフリーのデザイナーとして独立して10周年。さらに、全く関係ないけどガンダム生誕30周年なのだそうです……って言われてみればそうか。あの当時オレは10歳。で、今年はシジューだってさ、わはは。我ながらおかしーや。
で、早速当時を思い出してみる。スーパーカー、宇宙戦艦ヤマト、ピンクレディー、ブルートレイン、スター・ウォーズ、そして銀河鉄道999。小学生の興味の対象はものすごいスピードで変化していく訳だが、そんな折、死んだはずのヤマトの乗組員達が都合良く生き返って、何食わぬ顔で新たなる敵と戦いはじめたのだ。
どうも、そのあたりがきっかけとなってオトナの腹黒さを感じるようになったんじゃないか。世の小学生(=オレ)は次第に流行りモノに魅力を感じなくなっていき、なにか夢中になれるものに飢えてきたのだ。
ちょうどそんなときに、常識を覆すとんでもないアニメの放送が始まった。これこそ日本が世界に誇る文化、芸術、テクノロジーの原点(と言っても過言ではない)「機動戦士ガンダム」である。
ガンダムという作品がどれくらいスゴイかってことは、いろんなところで語られているので今日はそんなに書きません。ストーリーはもちろん革新的だったし、キャラクターもその人物がまるで実在するかのような血の通いっぷり。
で、オレ的に最もスゲーと思うポイントは、その“世界観”だ。全長18メートルもの巨大ロボットが格闘する“ありえねえ”世界を、もっともらしく言いくるめちゃう“設定”の数々。少しでもオタク(当時はまだそんな呼び名はなかったが)の素質をもった奴は、そのホントらしいウソにシビレたのだ。ナマイキな小学生達は口々にこう言ったのだ。「ガンダムってリアルだよね」。
そういったウソの根回しが、巨大ロボット(知ってるだろうけど、劇中ではモビルスーツと呼称)=子供のものという偏見、呪縛から解き放ってくれたおかげで、ホントはロボ好きなのに大きな声で言えなかった少年達〜小学校高学年から大学生まで〜を、大手を振って世間を歩けるようにまでしてくれたのである。ビバ“設定”!!!
で、あれから30年。幸か不幸か、背広着たサラリーマンが会社帰りにガンダム談義しながら赤提灯で一杯やる、なんて風景が日常になっちゃった。まさか日本の21世紀がこんなことになるなんて、誰が想像し得たであろうか。ガンダムビジネスはいまやン兆円産業とまでいわれているしなあ。
オレら世代が後期高齢者になる頃には、「ガンダム墓石」や「ガンダム骨壺」なんてものまで売り出されるんじゃないか。戒名や院号はもう古い! 死んだらガンダムの世界で戦死したってことでオフィシャル設定に記録される権利とか、生前に自分が所属する軍、部隊を決めておいて、死んだら2階級特進するオプションとかを、坊主と組んで売り出したりしてな。ホントにそうなりそうでコワイ。あ、でもそうなったらオレはジオン軍のパイロットがいいです。骨壺はいい音色の北宋のものを希望。
さて、ここからガンプラの話です。ちなみに、ガンプラとはガンダムのプラモデルのこと。
ブームってものは送り手によって仕組まれたものも多いけど、歴史に残るブームは受け手のパワーによるものが多い。オレが知る限り、ガンプラも後者だ。リアルな世界にリアルな兵器を見せつけられてしまうと、その世界を自分のものにしたくなってしまうのがマニアの人情。
鉄道好きが、自分で車両を所有できないことへの埋め合わせ手段として、写真を撮ったり模型を作ったりしてしまうように、ガンダムに影響を受けまくってしまったオタク(という呼び名はまだなかったが)たちからは、その世界をミニチュアとして自分のものにしたい! という欲求が高まっていったのであった。だが、当時の立体物といえば、似ても似つかない合金おもちゃくらいで、“リアル”の洗礼を受け手しまったオタクたちにしてみれば、まったく満足のいくものではなかったのだ。
そんなオタクたちの声が天に届いたのか、なんと放送終了後だっていうのに、出たんですよ、ガンダムのプラモデルが。発売当時はまだ普通に買うことができたのだが、次第に雑誌等がそれらをとりあげはじめ、某アニメ雑誌で特集が組まれた頃から急激に人気商品となり、某模型雑誌がガンダムの別冊を発売する頃には超人気商品と化し、それを読んだ小学5年生のオレが欲しくなった頃にはすでにガンダムプラモ(その頃はまだガンプラという呼び名はなかった)は超品薄状態に突入していたのだった。
ほんと、今じゃ考えられないでしょうけど、まったくと言っていいほど手に入らなかったんですよ、ガンダムプラモ。どっかの模型店に入荷したとウワサをきけば、チャリンコ飛ばして駆けつけるも売り切れ……の繰り返し。
そんな訳で、当時の小学生〜中学生男子が血眼になって自転車で町を徘徊していたのは、ガンダムプラモを探していたのだ。とは言い過ぎかもしれないが、でも当時の空気としては、そんな感じだった。友達のなかには入荷するかもわからない店の前に朝5時から並んだ強者もいた。まあ、そんなことする奴がいたせいか、PTAがガンダム禁止例を出した、なんて噂も飛び交った。
いつの世もそうだけど、新しい文化が起こると必ずその親世代は、それらを理解できないゆえ悪ととらえ、禁止するんだよなー。テレビにしても漫画にしても、ガンプラにしても、ファミコンにしても。テレビや漫画があるからコンテンツビジネスという活気が生まれ、ファミコンを経験したからこそ、気構えなくネット生活に馴染めたんだと思うのだが。
そういえば私の高校の担任は、息子にファミコン禁止令を出していたため、息子は友達との話題についていけずクラスで孤立したという噂を聞いた。まあ、飛びつく方も禁止する方も、極端なのはいかんよね。ちょっと話がずれたかな。
で、運命の出会いだ。ある日、祖父の家の帰りに立ち寄った池袋西武に、なんと、あったのですよ。超品薄状態のガンダムのプラモデル!! といってもいわゆるモビルスーツではなく、艦船モノだったのだが。
でもそんなことはどうでもいい。とにかく実物が売ってる、そして今それを買うだけの金もある!(ちなみに300円)。それだけで腰が抜けそうな喜びを感じた。見るとレジ脇に積んであった箱が、次から次へと売れていく。慌ててオレも並ぶ。そして、ついに憧れのガンダムプラモ「シャア専用ムサイ艦」を手に入れたのだった。あの時の感動は忘れられないなあ、300円。
早速作った。そんなにパーツ数も多くなく、30分くらいで組めたと思う。窓部分を「蛍光オレンジ」で、台座を鉄道模型用の「赤2号」で塗装したと記憶している。いままで平面だけの世界だったガンダムのメカが、いま立体となってここに!!
同じ模型でも「世の中に実在するものが縮小された」ではなく、「実在しないものが、いかにも実在するかのように立体化された」なのである。これってガンダムの世界観そのものじゃないか。
といった具合に、従来の模型とはまったく異なる次元の、ガンプラという存在にオレはスゲー感動し、いつまでも片目をつぶって下から見上げつつ、それがいちばんカッコよく見える角度を探していたのだった。
てなところで今週はこのへんにしときます。次回は「ついに入手! ガンダムとグフの巻」とかいう、ますますどうでもいい話になりそうですね。
【さいとう・ひろし】saito@tongpoographics.jp
< http://www.c-channel.com/c00563/
>
1969年生まれ。小学生のときYMOの音楽に衝撃をうけ、音楽で彼らを超えられないと悟り、デザイナーをめざす。1999年tong-poo graphics設立。グラフィックデザイナーとして、地道に仕事を続けています。
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■私症説[03]
そういう傾向をもった脳
永吉克之
< https://bn.dgcr.com/archives/20090409140400.html
>
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霊体験のない人は生涯に一度も体験しないが、ある人は何度も体験するらしい。それが、霊体験とはそういう傾向をもった脳が見せる幻影だとする根拠を脳科学者たちに与えることになる。実を言うと私も霊体験と言えるものがあるのだ。しかし20代のころに一度あるだけ。だから「そういう傾向をもった脳」をもっているとは考えにくい。それに、あまりにもリアルで、あれが幻影なら、私の人生は全て幻影だったと言わなくてはならない。
●
まだ30歳前だった。東京に住んでいる頃で、当時なら、名前を聞けばたいていの若い人は、ああ、あの学校ねと、すぐ思いついて自然と微笑んでしまうほど有名な専門学校で美術の講師をしていた。
生徒のほとんどは高校を出てからすぐに入学してくるのだが、M子は4年制大学を出て、しばらく百貨店でOLを経験してから、25歳で入って来た。受講態度から言葉遣いから身のこなしまで、まだ子供の生臭さを漂わせている他の生徒とは明らかに違っているので、私はかねてからM子に関心をもっていた。
しかし、それだけに教室を支配する年齢層が作り出す雰囲気に、彼女はなかなか溶け込めず、孤立しがちで、休憩時間になって生徒たちが談笑している間も、休んでいる時間が惜しいかのように、今習ったところのおさらいを黙々としているような生徒であった。
当時は個人情報が、現在のように厳しく管理されることがなく、私のような非常勤講師でも、生徒の親の職業まで簡単に知ることができた。だから彼女と私の年齢が近いことや、同じ保谷市(現在の西東京市)の住人であること、趣味も似ていることなど、共通部分が多いことを知って、個人的に話をしてみたいと思っていたら、ある日の授業の中休み、他の生徒たちがみな休憩室に行ってしまった後、教室に彼女とふたりきりになったことがあった。
彼女の周辺のことをいろいろ知っているのを不審に思われてもいけないと思い、ふたりっきりで黙り込んでいるのもアレだから、というような口調で「どこに住んでるの?」と聞いてみた。当然「保谷です」と答える。「え、保谷? へえ、僕も保谷。で保谷のどの辺?」としらじらしく驚いて見せたのをきっかけに、彼女は積極的に自分のことを話し始めた。
寡黙だと思っていたM子だったが、本性は話し好きだった。世代の違う他の生徒たちの話題について行けなかったのだ。それに仕事で接客を経験しているだけに、会話の受け答えにもそつがなく、むしろ彼女の方が私に関心をもっているかのような態度で話すのだった。
私は彼女の容貌には関心がなかった。実際、容貌は並か、並以下かもしれない。しかし自分が受け持っているクラスの生徒というのは、一部のふざけたサル以外はだいたい可愛いもので、学ぶことに熱心で、慕ってくる生徒は特に可愛い。しかもそれが女性だったりすると、教え子としての可愛さと異性としての愛おしさの境界があいまいになってくることがあるのだ。
●
秘密裏の交際が始まって一年近く経った。M子は両親と住んでいたので、こちらから電話をするのは難しかった。だから逢う約束をするには彼女からの電話を待つか、週に一度、私の授業のある日にこっそりメモを交わすしかなかったのだ。ケータイなんて便利なものがない時代だった。
ある日、私のアパートでのことだった。M子と諍いになることは、めったになかったのだが、その日は激しい口論になった。自分の行動に私がいちいち干渉するのが厭だと彼女が言ったのがきっかけだった。二〜三日連絡をしないと、何をしていたのかと問い詰められる、映画を観に行った話をすると、どうして僕に黙って観に行ったのか、誰かと一緒だったのかなどと執拗に聞かれる。それが厭だと言う。口論がエスカレートして、彼女は別れると言い出した。誕生日にプレゼントしたネックレスをはずして私に投げつけると、待ってくれと懇願するのも聞かず、部屋を出て行こうとしたのでM子は死んだ。
彼女は顔面を紫色に鬱血させて、仰向けでベッドに横たわっていた。私は、半開きになった彼女のまぶたを閉じてやり、突き出している舌を押し戻して口を閉じてやった。むくんだ顔が見るに耐えなかったので、頭を反対側へ転がして顔を向こうの壁に向けさせた。
私は、M子との口論の一部始終を思い出しながら何時間も坐り込んでいた。ときどき彼女の胸に耳を当てて、心臓が動き出していないか確かめた。しかし瞳孔を確かめる気にはならなかった。恐怖と苦しみにのたうち回っている間の彼女の、あの狂った眼つきが頭から離れなかったからだ。しかし体が硬直し始めたのを見て、やっとその死を受け入れられるようになった。そして私は現実的にものごとを考え始めた。つまり、横たわっている遺体をどうするかということである。
もう零時近くになっていた。私は、部屋の灯りを消し、開いた窓によりかかって、遠くの、街灯に浮かび上がっている人気のない通りを眺めながら考えていた。25歳とはいえ、娘の帰宅の遅いのは両親としても気がかりだろう。それに葬儀屋の手配もある。早く家族に連絡をしてやらなければならないのは分っていたが、それはできなかった。彼女が死んだのが私の部屋だったからだ。学校の方針で、講師と生徒の個人的な交際は禁止されていた。ましてや女子生徒と恋愛をしたとなると、免職処分は間違いのないところだ。
そうならないためには、遺体を処分して、彼女が失踪したことにするしかない。とはいっても私には車がなかった。怪しまれずに遺体を捨てに行くには、どうしても車が要る。ならば、やはり解体して数回に分けて川にでも捨てるか、トイレに流すか、あるいは食べてしまうか以外に方法はなかった。私は、まったくとんでもないものを背負い込んでしまったものだと絶望的な気分に陥っていた。バラバラ殺人と呼ばれる事件の犯人たちも、やはりこんな追いつめられた気分になったのだろうか。
しかたない、解体しようと言ってベッドの方を振り返ると、M子がこちらに顔を向けて、私をじっと見つめているのが月明かりのなかに見えた。今にも泣きそうな眼だった。
●
死後硬直までしていた屍体が、何の外的な力も加えられず、自律的に動いたのだ。これは事実である。脳が見せる幻影などでは決してない。人類がみな潜在的にもっている、予備の回路とでもいうべきものが起動して、M子を動かしたのである。
映画『ターミネーター2』で、シュワルツェネッガー演じるところのT-800というアンドロイドが、それよりも高性能のT-1000にとどめを刺されて、いったんは機能を停止するが、予備の回路が起動して蘇生し、T-1000を打ち破る。それと同じ現象がM子に起こったのだ。ただ、私を打ち破るほどのエネルギーではなかったというだけの違いだ。
自分が解体されようとしているのを察知した彼女の予備回路が、防衛のために泣き顔を作り、私の良心に訴えようとしたのかもしれない。解体している最中もその表情は変らなかった。切り刻まれながら訴え続けていた。今にして思えば哀れではある。
【ながよしかつゆき】katz@mvc.biglobe.ne.jp
・無名芸人< http://blog.goo.ne.jp/nagayoshi_katz
>
ここでのテキストは、私のブログにも、ほぼ同時掲載しています。
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■展覧会案内
第76回毎日広告デザイン賞入賞作品展
< http://mainichi.jp/enta/art/news/20090311ddm010040099000c.html
>
< http://journal.mycom.co.jp/news/2009/03/16/058/index.html
>
< https://bn.dgcr.com/archives/20090409140300.html
>
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会期:4月22日(木)〜5月18日(月)10:00〜20:00 最終日17時
Part1(第1部「広告主課題の部」第2部「発言広告の部」):4月22日(水)〜5月4日(月)
Part2(第3部「広告主参加作品の部」):5月6日(水)〜5月18日(月)
< http://macs.mainichi.co.jp/design/ad-m/index.html
>
会場:松屋銀座7F・デザインギャラリー1953(東京都中央区銀座3-6-1 TEL.03-3567-1211)
< http://www.matsuya.com/ginza/evcal.html
>
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■展覧会案内
ヴィデオを待ちながら 映像、60年代から今日へ
Waiting for Video:Works From the 1960s To Today
< http://www.momat.go.jp/Honkan/waiting_for_video/index.html
>
< https://bn.dgcr.com/archives/20090409140200.html
>
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会場:東京国立近代美術館 企画展ギャラリー(1F)
会期:3月31日(火)〜6月7日(日)10:00〜17:00 金20時(入館は閉館30分前まで)月休(5月4日は開館)、5月7日(木)
観覧料:一般850円、大学生450円、高校生以下・18歳未満、障害者手帳を持つ人とその付添者1名は無料 入館当日に限り、「木に潜むもの」展、所蔵作品展「近代日本の美術」も観覧できる
内容:アメリカ、ヨーロッパ、日本のアーティストによる、60年代から今日までのフィルムとヴィデオ作品約50点を集め紹介するもの。今日の映像隆盛のスタート地点、60-70年代の作品を大規模に検証する、国内初の展覧会である。ウォーホル、アコンチ、ナウマン、セラ、オッペンハイムなど、知る人ぞ知る作家による名作を一堂に、加えて60-70年代の流れを汲む現代の作品紹介する。
●連続講演会/場所:講堂(地下1階)/聴講無料、申込不要(先着150名)
◇「方法としての『彫刻』〜ポストミニマリズムと映像をめぐって」林道郎(上智大学教授)
日時:4月18日(土)14:00〜15:30
◇「マクルーハンとヴィデオ・アートの接点を考える〜その理論的・歴史的条件」門林岳史(日本学術振興会特別研究員)
日時:4月25日(土)14:00〜15:30
◇「60-70年代の音楽と美術」小沼純一(早稲田大学文学学術院教授)
日時:5月9日(土)14:00〜15:30
◇「60-70年代の構造映画と美術」西嶋憲生(多摩美術大学教授)
日時:5月16日(土)14:00〜15:30
◇「映されたパフォーマンスする身体〜60-70年代のダンスと美術」木村覚(日本女子大学専任講師)
日時:5月23日(土)14:00〜15:30
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■気になる情報・記事CLIP
< https://bn.dgcr.com/archives/20090409140100.html
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●Flashを脱いで生まれ変わったユニクロ.COM キャンペーンからEC主体のサイトにチェンジ(ASCII.jp)
< http://ascii.jp/elem/000/000/405/405974/
>
●最高賞金10,000ポンド - 国際デザインアワード「James Dyson Award 2009」(マイコミジャーナル)
< http://journal.mycom.co.jp/news/2009/04/08/070/index.html
>
●DESIGNTIDE TOKYOが10月末に開催、出展者エントリーを開始(マイコミジャーナル)
< http://journal.mycom.co.jp/news/2009/04/02/074/index.html
>
●Mac Fan ソフトウェアレビュー28 Photoshopプラグイン「Nik Color Efex Pro 3.0 COMPLETE EDITION」(マイコミジャーナル)
< http://journal.mycom.co.jp/column/macfansoft/028/index.html
>
●仏像ブームはなぜ起きた? 展覧会、鑑賞ツアーが好調なワケ(nikkei TRENDY net)
< http://trendy.nikkeibp.co.jp/article/special/20090403/1025190/
>
●天下の吉本興業にあって、天下のジャニーズにないもの(ITmedia)
< http://bizmakoto.jp/makoto/articles/0904/08/news004.html
>
●この春デビュー! 自転車ライフ 〜ロードバイクからピストバイクまで、春のお薦めモデルを一挙公開!(L-Cruise)
< http://trendy.nikkeibp.co.jp/lc/cover/090408_jitensha/
>
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■編集後記(4/9)
・ここ数日の汗ばむような陽気に、半月くらい前からポチポチ出ていた土手の土筆や蒲公英が、一気に目立つようになった。土筆はなぜか北斜面にしか生えない。不思議だ。土筆も蒲公英も食べたことがある。シロツメクサ(クローバー)も旺盛に陣地を拡大していて、その緑はうまそうだ。これも食べられる。たいしておいしくはないが、今年もトライしてみるか。妻は露骨にいやがるが。/毎年このシーズンに、玄光社から届く重量級の書籍が「イラストレーションファイル」、第一線で活躍しているイラストレーターの「仕事ファイル」である。この本(ムック)は20年くらい前から同じスタイルで、一人1ページ、平均4点の作品が掲載されている。作品はすべてポスターや広告など実際に使われた形で掲載されているほか、連絡先、略歴、顔写真、サイトURL、デジタル制作の場合は0S・アプリ・データ入稿の可/不可、制作スタッフ名などが同じページに見やすく整理されている。かつては分厚い一冊だったが、2003年版から「デジタル」と「アナログ」の二冊を同時刊行になった。その分け方はいまや説得力ないと思っていたら、今年の2009年版からはスッキリと名前順に「あ〜さ行」が上巻、「た〜わ行」が下巻と変わった。上巻に422人、下巻に457人(外国人28人含む)とものすごい人数が収容されて、名実ともに日本でもっとも情報量の多い「イラストレーターのデータバンク」となっている。上下巻あわせて1,720g、それはいいとして6,400円+税の価格は、プロにとっては必要経費だが、イラストレーターを志すタマゴ達にはかなりきびしい金額である。アカデミック版があればいいなと思った(画期的じゃない?)。(柴田)
< http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4768302815/dgcrcom-22/
>
上巻
< http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4768302823/dgcrcom-22/
>
下巻
・F1。外出が続いていて、二回とも見られていない。外出時にケータイにもらったメールに「バトン」と書かれてあって、非常に驚いた。え? だってバトンは今まで……ホンダの時は……え、フェラーリが、マクラーレンが……げほんげほん。荒れまくったレースだったらしい。R氏にちらっとそのことを書いたら、解説が届き、なるほど〜と。後記ネタに事欠きませんね、とも書いてらしたのだが、見てないんだもん(泣)。どうせまた同じ展開だと思っていたんだよなぁ。(hammer.mule)
ガンプラブームを思い出す 〜祝・ガンダム30周年&オレ独立10周年の巻
齋藤 浩
< https://bn.dgcr.com/archives/20090409140500.html
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のっけからディープなタイトルでスミマセン。「わが逃走」ももうすぐ連載3年目。ちなみに今年はオレがフリーのデザイナーとして独立して10周年。さらに、全く関係ないけどガンダム生誕30周年なのだそうです……って言われてみればそうか。あの当時オレは10歳。で、今年はシジューだってさ、わはは。我ながらおかしーや。
で、早速当時を思い出してみる。スーパーカー、宇宙戦艦ヤマト、ピンクレディー、ブルートレイン、スター・ウォーズ、そして銀河鉄道999。小学生の興味の対象はものすごいスピードで変化していく訳だが、そんな折、死んだはずのヤマトの乗組員達が都合良く生き返って、何食わぬ顔で新たなる敵と戦いはじめたのだ。
どうも、そのあたりがきっかけとなってオトナの腹黒さを感じるようになったんじゃないか。世の小学生(=オレ)は次第に流行りモノに魅力を感じなくなっていき、なにか夢中になれるものに飢えてきたのだ。
ちょうどそんなときに、常識を覆すとんでもないアニメの放送が始まった。これこそ日本が世界に誇る文化、芸術、テクノロジーの原点(と言っても過言ではない)「機動戦士ガンダム」である。
ガンダムという作品がどれくらいスゴイかってことは、いろんなところで語られているので今日はそんなに書きません。ストーリーはもちろん革新的だったし、キャラクターもその人物がまるで実在するかのような血の通いっぷり。
で、オレ的に最もスゲーと思うポイントは、その“世界観”だ。全長18メートルもの巨大ロボットが格闘する“ありえねえ”世界を、もっともらしく言いくるめちゃう“設定”の数々。少しでもオタク(当時はまだそんな呼び名はなかったが)の素質をもった奴は、そのホントらしいウソにシビレたのだ。ナマイキな小学生達は口々にこう言ったのだ。「ガンダムってリアルだよね」。
そういったウソの根回しが、巨大ロボット(知ってるだろうけど、劇中ではモビルスーツと呼称)=子供のものという偏見、呪縛から解き放ってくれたおかげで、ホントはロボ好きなのに大きな声で言えなかった少年達〜小学校高学年から大学生まで〜を、大手を振って世間を歩けるようにまでしてくれたのである。ビバ“設定”!!!
で、あれから30年。幸か不幸か、背広着たサラリーマンが会社帰りにガンダム談義しながら赤提灯で一杯やる、なんて風景が日常になっちゃった。まさか日本の21世紀がこんなことになるなんて、誰が想像し得たであろうか。ガンダムビジネスはいまやン兆円産業とまでいわれているしなあ。
オレら世代が後期高齢者になる頃には、「ガンダム墓石」や「ガンダム骨壺」なんてものまで売り出されるんじゃないか。戒名や院号はもう古い! 死んだらガンダムの世界で戦死したってことでオフィシャル設定に記録される権利とか、生前に自分が所属する軍、部隊を決めておいて、死んだら2階級特進するオプションとかを、坊主と組んで売り出したりしてな。ホントにそうなりそうでコワイ。あ、でもそうなったらオレはジオン軍のパイロットがいいです。骨壺はいい音色の北宋のものを希望。
さて、ここからガンプラの話です。ちなみに、ガンプラとはガンダムのプラモデルのこと。
ブームってものは送り手によって仕組まれたものも多いけど、歴史に残るブームは受け手のパワーによるものが多い。オレが知る限り、ガンプラも後者だ。リアルな世界にリアルな兵器を見せつけられてしまうと、その世界を自分のものにしたくなってしまうのがマニアの人情。
鉄道好きが、自分で車両を所有できないことへの埋め合わせ手段として、写真を撮ったり模型を作ったりしてしまうように、ガンダムに影響を受けまくってしまったオタク(という呼び名はまだなかったが)たちからは、その世界をミニチュアとして自分のものにしたい! という欲求が高まっていったのであった。だが、当時の立体物といえば、似ても似つかない合金おもちゃくらいで、“リアル”の洗礼を受け手しまったオタクたちにしてみれば、まったく満足のいくものではなかったのだ。
そんなオタクたちの声が天に届いたのか、なんと放送終了後だっていうのに、出たんですよ、ガンダムのプラモデルが。発売当時はまだ普通に買うことができたのだが、次第に雑誌等がそれらをとりあげはじめ、某アニメ雑誌で特集が組まれた頃から急激に人気商品となり、某模型雑誌がガンダムの別冊を発売する頃には超人気商品と化し、それを読んだ小学5年生のオレが欲しくなった頃にはすでにガンダムプラモ(その頃はまだガンプラという呼び名はなかった)は超品薄状態に突入していたのだった。
ほんと、今じゃ考えられないでしょうけど、まったくと言っていいほど手に入らなかったんですよ、ガンダムプラモ。どっかの模型店に入荷したとウワサをきけば、チャリンコ飛ばして駆けつけるも売り切れ……の繰り返し。
そんな訳で、当時の小学生〜中学生男子が血眼になって自転車で町を徘徊していたのは、ガンダムプラモを探していたのだ。とは言い過ぎかもしれないが、でも当時の空気としては、そんな感じだった。友達のなかには入荷するかもわからない店の前に朝5時から並んだ強者もいた。まあ、そんなことする奴がいたせいか、PTAがガンダム禁止例を出した、なんて噂も飛び交った。
いつの世もそうだけど、新しい文化が起こると必ずその親世代は、それらを理解できないゆえ悪ととらえ、禁止するんだよなー。テレビにしても漫画にしても、ガンプラにしても、ファミコンにしても。テレビや漫画があるからコンテンツビジネスという活気が生まれ、ファミコンを経験したからこそ、気構えなくネット生活に馴染めたんだと思うのだが。
そういえば私の高校の担任は、息子にファミコン禁止令を出していたため、息子は友達との話題についていけずクラスで孤立したという噂を聞いた。まあ、飛びつく方も禁止する方も、極端なのはいかんよね。ちょっと話がずれたかな。
で、運命の出会いだ。ある日、祖父の家の帰りに立ち寄った池袋西武に、なんと、あったのですよ。超品薄状態のガンダムのプラモデル!! といってもいわゆるモビルスーツではなく、艦船モノだったのだが。
でもそんなことはどうでもいい。とにかく実物が売ってる、そして今それを買うだけの金もある!(ちなみに300円)。それだけで腰が抜けそうな喜びを感じた。見るとレジ脇に積んであった箱が、次から次へと売れていく。慌ててオレも並ぶ。そして、ついに憧れのガンダムプラモ「シャア専用ムサイ艦」を手に入れたのだった。あの時の感動は忘れられないなあ、300円。
早速作った。そんなにパーツ数も多くなく、30分くらいで組めたと思う。窓部分を「蛍光オレンジ」で、台座を鉄道模型用の「赤2号」で塗装したと記憶している。いままで平面だけの世界だったガンダムのメカが、いま立体となってここに!!
同じ模型でも「世の中に実在するものが縮小された」ではなく、「実在しないものが、いかにも実在するかのように立体化された」なのである。これってガンダムの世界観そのものじゃないか。
といった具合に、従来の模型とはまったく異なる次元の、ガンプラという存在にオレはスゲー感動し、いつまでも片目をつぶって下から見上げつつ、それがいちばんカッコよく見える角度を探していたのだった。
てなところで今週はこのへんにしときます。次回は「ついに入手! ガンダムとグフの巻」とかいう、ますますどうでもいい話になりそうですね。
【さいとう・ひろし】saito@tongpoographics.jp
< http://www.c-channel.com/c00563/
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1969年生まれ。小学生のときYMOの音楽に衝撃をうけ、音楽で彼らを超えられないと悟り、デザイナーをめざす。1999年tong-poo graphics設立。グラフィックデザイナーとして、地道に仕事を続けています。
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■私症説[03]
そういう傾向をもった脳
永吉克之
< https://bn.dgcr.com/archives/20090409140400.html
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霊体験のない人は生涯に一度も体験しないが、ある人は何度も体験するらしい。それが、霊体験とはそういう傾向をもった脳が見せる幻影だとする根拠を脳科学者たちに与えることになる。実を言うと私も霊体験と言えるものがあるのだ。しかし20代のころに一度あるだけ。だから「そういう傾向をもった脳」をもっているとは考えにくい。それに、あまりにもリアルで、あれが幻影なら、私の人生は全て幻影だったと言わなくてはならない。
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まだ30歳前だった。東京に住んでいる頃で、当時なら、名前を聞けばたいていの若い人は、ああ、あの学校ねと、すぐ思いついて自然と微笑んでしまうほど有名な専門学校で美術の講師をしていた。
生徒のほとんどは高校を出てからすぐに入学してくるのだが、M子は4年制大学を出て、しばらく百貨店でOLを経験してから、25歳で入って来た。受講態度から言葉遣いから身のこなしまで、まだ子供の生臭さを漂わせている他の生徒とは明らかに違っているので、私はかねてからM子に関心をもっていた。
しかし、それだけに教室を支配する年齢層が作り出す雰囲気に、彼女はなかなか溶け込めず、孤立しがちで、休憩時間になって生徒たちが談笑している間も、休んでいる時間が惜しいかのように、今習ったところのおさらいを黙々としているような生徒であった。
当時は個人情報が、現在のように厳しく管理されることがなく、私のような非常勤講師でも、生徒の親の職業まで簡単に知ることができた。だから彼女と私の年齢が近いことや、同じ保谷市(現在の西東京市)の住人であること、趣味も似ていることなど、共通部分が多いことを知って、個人的に話をしてみたいと思っていたら、ある日の授業の中休み、他の生徒たちがみな休憩室に行ってしまった後、教室に彼女とふたりきりになったことがあった。
彼女の周辺のことをいろいろ知っているのを不審に思われてもいけないと思い、ふたりっきりで黙り込んでいるのもアレだから、というような口調で「どこに住んでるの?」と聞いてみた。当然「保谷です」と答える。「え、保谷? へえ、僕も保谷。で保谷のどの辺?」としらじらしく驚いて見せたのをきっかけに、彼女は積極的に自分のことを話し始めた。
寡黙だと思っていたM子だったが、本性は話し好きだった。世代の違う他の生徒たちの話題について行けなかったのだ。それに仕事で接客を経験しているだけに、会話の受け答えにもそつがなく、むしろ彼女の方が私に関心をもっているかのような態度で話すのだった。
私は彼女の容貌には関心がなかった。実際、容貌は並か、並以下かもしれない。しかし自分が受け持っているクラスの生徒というのは、一部のふざけたサル以外はだいたい可愛いもので、学ぶことに熱心で、慕ってくる生徒は特に可愛い。しかもそれが女性だったりすると、教え子としての可愛さと異性としての愛おしさの境界があいまいになってくることがあるのだ。
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秘密裏の交際が始まって一年近く経った。M子は両親と住んでいたので、こちらから電話をするのは難しかった。だから逢う約束をするには彼女からの電話を待つか、週に一度、私の授業のある日にこっそりメモを交わすしかなかったのだ。ケータイなんて便利なものがない時代だった。
ある日、私のアパートでのことだった。M子と諍いになることは、めったになかったのだが、その日は激しい口論になった。自分の行動に私がいちいち干渉するのが厭だと彼女が言ったのがきっかけだった。二〜三日連絡をしないと、何をしていたのかと問い詰められる、映画を観に行った話をすると、どうして僕に黙って観に行ったのか、誰かと一緒だったのかなどと執拗に聞かれる。それが厭だと言う。口論がエスカレートして、彼女は別れると言い出した。誕生日にプレゼントしたネックレスをはずして私に投げつけると、待ってくれと懇願するのも聞かず、部屋を出て行こうとしたのでM子は死んだ。
彼女は顔面を紫色に鬱血させて、仰向けでベッドに横たわっていた。私は、半開きになった彼女のまぶたを閉じてやり、突き出している舌を押し戻して口を閉じてやった。むくんだ顔が見るに耐えなかったので、頭を反対側へ転がして顔を向こうの壁に向けさせた。
私は、M子との口論の一部始終を思い出しながら何時間も坐り込んでいた。ときどき彼女の胸に耳を当てて、心臓が動き出していないか確かめた。しかし瞳孔を確かめる気にはならなかった。恐怖と苦しみにのたうち回っている間の彼女の、あの狂った眼つきが頭から離れなかったからだ。しかし体が硬直し始めたのを見て、やっとその死を受け入れられるようになった。そして私は現実的にものごとを考え始めた。つまり、横たわっている遺体をどうするかということである。
もう零時近くになっていた。私は、部屋の灯りを消し、開いた窓によりかかって、遠くの、街灯に浮かび上がっている人気のない通りを眺めながら考えていた。25歳とはいえ、娘の帰宅の遅いのは両親としても気がかりだろう。それに葬儀屋の手配もある。早く家族に連絡をしてやらなければならないのは分っていたが、それはできなかった。彼女が死んだのが私の部屋だったからだ。学校の方針で、講師と生徒の個人的な交際は禁止されていた。ましてや女子生徒と恋愛をしたとなると、免職処分は間違いのないところだ。
そうならないためには、遺体を処分して、彼女が失踪したことにするしかない。とはいっても私には車がなかった。怪しまれずに遺体を捨てに行くには、どうしても車が要る。ならば、やはり解体して数回に分けて川にでも捨てるか、トイレに流すか、あるいは食べてしまうか以外に方法はなかった。私は、まったくとんでもないものを背負い込んでしまったものだと絶望的な気分に陥っていた。バラバラ殺人と呼ばれる事件の犯人たちも、やはりこんな追いつめられた気分になったのだろうか。
しかたない、解体しようと言ってベッドの方を振り返ると、M子がこちらに顔を向けて、私をじっと見つめているのが月明かりのなかに見えた。今にも泣きそうな眼だった。
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死後硬直までしていた屍体が、何の外的な力も加えられず、自律的に動いたのだ。これは事実である。脳が見せる幻影などでは決してない。人類がみな潜在的にもっている、予備の回路とでもいうべきものが起動して、M子を動かしたのである。
映画『ターミネーター2』で、シュワルツェネッガー演じるところのT-800というアンドロイドが、それよりも高性能のT-1000にとどめを刺されて、いったんは機能を停止するが、予備の回路が起動して蘇生し、T-1000を打ち破る。それと同じ現象がM子に起こったのだ。ただ、私を打ち破るほどのエネルギーではなかったというだけの違いだ。
自分が解体されようとしているのを察知した彼女の予備回路が、防衛のために泣き顔を作り、私の良心に訴えようとしたのかもしれない。解体している最中もその表情は変らなかった。切り刻まれながら訴え続けていた。今にして思えば哀れではある。
【ながよしかつゆき】katz@mvc.biglobe.ne.jp
・無名芸人< http://blog.goo.ne.jp/nagayoshi_katz
>
ここでのテキストは、私のブログにも、ほぼ同時掲載しています。
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■展覧会案内
第76回毎日広告デザイン賞入賞作品展
< http://mainichi.jp/enta/art/news/20090311ddm010040099000c.html
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< http://journal.mycom.co.jp/news/2009/03/16/058/index.html
>
< https://bn.dgcr.com/archives/20090409140300.html
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会期:4月22日(木)〜5月18日(月)10:00〜20:00 最終日17時
Part1(第1部「広告主課題の部」第2部「発言広告の部」):4月22日(水)〜5月4日(月)
Part2(第3部「広告主参加作品の部」):5月6日(水)〜5月18日(月)
< http://macs.mainichi.co.jp/design/ad-m/index.html
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会場:松屋銀座7F・デザインギャラリー1953(東京都中央区銀座3-6-1 TEL.03-3567-1211)
< http://www.matsuya.com/ginza/evcal.html
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■展覧会案内
ヴィデオを待ちながら 映像、60年代から今日へ
Waiting for Video:Works From the 1960s To Today
< http://www.momat.go.jp/Honkan/waiting_for_video/index.html
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< https://bn.dgcr.com/archives/20090409140200.html
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会場:東京国立近代美術館 企画展ギャラリー(1F)
会期:3月31日(火)〜6月7日(日)10:00〜17:00 金20時(入館は閉館30分前まで)月休(5月4日は開館)、5月7日(木)
観覧料:一般850円、大学生450円、高校生以下・18歳未満、障害者手帳を持つ人とその付添者1名は無料 入館当日に限り、「木に潜むもの」展、所蔵作品展「近代日本の美術」も観覧できる
内容:アメリカ、ヨーロッパ、日本のアーティストによる、60年代から今日までのフィルムとヴィデオ作品約50点を集め紹介するもの。今日の映像隆盛のスタート地点、60-70年代の作品を大規模に検証する、国内初の展覧会である。ウォーホル、アコンチ、ナウマン、セラ、オッペンハイムなど、知る人ぞ知る作家による名作を一堂に、加えて60-70年代の流れを汲む現代の作品紹介する。
●連続講演会/場所:講堂(地下1階)/聴講無料、申込不要(先着150名)
◇「方法としての『彫刻』〜ポストミニマリズムと映像をめぐって」林道郎(上智大学教授)
日時:4月18日(土)14:00〜15:30
◇「マクルーハンとヴィデオ・アートの接点を考える〜その理論的・歴史的条件」門林岳史(日本学術振興会特別研究員)
日時:4月25日(土)14:00〜15:30
◇「60-70年代の音楽と美術」小沼純一(早稲田大学文学学術院教授)
日時:5月9日(土)14:00〜15:30
◇「60-70年代の構造映画と美術」西嶋憲生(多摩美術大学教授)
日時:5月16日(土)14:00〜15:30
◇「映されたパフォーマンスする身体〜60-70年代のダンスと美術」木村覚(日本女子大学専任講師)
日時:5月23日(土)14:00〜15:30
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■気になる情報・記事CLIP
< https://bn.dgcr.com/archives/20090409140100.html
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●Flashを脱いで生まれ変わったユニクロ.COM キャンペーンからEC主体のサイトにチェンジ(ASCII.jp)
< http://ascii.jp/elem/000/000/405/405974/
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●最高賞金10,000ポンド - 国際デザインアワード「James Dyson Award 2009」(マイコミジャーナル)
< http://journal.mycom.co.jp/news/2009/04/08/070/index.html
>
●DESIGNTIDE TOKYOが10月末に開催、出展者エントリーを開始(マイコミジャーナル)
< http://journal.mycom.co.jp/news/2009/04/02/074/index.html
>
●Mac Fan ソフトウェアレビュー28 Photoshopプラグイン「Nik Color Efex Pro 3.0 COMPLETE EDITION」(マイコミジャーナル)
< http://journal.mycom.co.jp/column/macfansoft/028/index.html
>
●仏像ブームはなぜ起きた? 展覧会、鑑賞ツアーが好調なワケ(nikkei TRENDY net)
< http://trendy.nikkeibp.co.jp/article/special/20090403/1025190/
>
●天下の吉本興業にあって、天下のジャニーズにないもの(ITmedia)
< http://bizmakoto.jp/makoto/articles/0904/08/news004.html
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●この春デビュー! 自転車ライフ 〜ロードバイクからピストバイクまで、春のお薦めモデルを一挙公開!(L-Cruise)
< http://trendy.nikkeibp.co.jp/lc/cover/090408_jitensha/
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■編集後記(4/9)
・ここ数日の汗ばむような陽気に、半月くらい前からポチポチ出ていた土手の土筆や蒲公英が、一気に目立つようになった。土筆はなぜか北斜面にしか生えない。不思議だ。土筆も蒲公英も食べたことがある。シロツメクサ(クローバー)も旺盛に陣地を拡大していて、その緑はうまそうだ。これも食べられる。たいしておいしくはないが、今年もトライしてみるか。妻は露骨にいやがるが。/毎年このシーズンに、玄光社から届く重量級の書籍が「イラストレーションファイル」、第一線で活躍しているイラストレーターの「仕事ファイル」である。この本(ムック)は20年くらい前から同じスタイルで、一人1ページ、平均4点の作品が掲載されている。作品はすべてポスターや広告など実際に使われた形で掲載されているほか、連絡先、略歴、顔写真、サイトURL、デジタル制作の場合は0S・アプリ・データ入稿の可/不可、制作スタッフ名などが同じページに見やすく整理されている。かつては分厚い一冊だったが、2003年版から「デジタル」と「アナログ」の二冊を同時刊行になった。その分け方はいまや説得力ないと思っていたら、今年の2009年版からはスッキリと名前順に「あ〜さ行」が上巻、「た〜わ行」が下巻と変わった。上巻に422人、下巻に457人(外国人28人含む)とものすごい人数が収容されて、名実ともに日本でもっとも情報量の多い「イラストレーターのデータバンク」となっている。上下巻あわせて1,720g、それはいいとして6,400円+税の価格は、プロにとっては必要経費だが、イラストレーターを志すタマゴ達にはかなりきびしい金額である。アカデミック版があればいいなと思った(画期的じゃない?)。(柴田)
< http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4768302815/dgcrcom-22/
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上巻
< http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4768302823/dgcrcom-22/
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下巻
・F1。外出が続いていて、二回とも見られていない。外出時にケータイにもらったメールに「バトン」と書かれてあって、非常に驚いた。え? だってバトンは今まで……ホンダの時は……え、フェラーリが、マクラーレンが……げほんげほん。荒れまくったレースだったらしい。R氏にちらっとそのことを書いたら、解説が届き、なるほど〜と。後記ネタに事欠きませんね、とも書いてらしたのだが、見てないんだもん(泣)。どうせまた同じ展開だと思っていたんだよなぁ。(hammer.mule)