Otakuワールドへようこそ![97]シンプルなケータイ、不機嫌な老婦人、英会話の効用
── GrowHair ──

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●ついにケータイを買った!

ケータイを持つのを長いことためらっていた私だが、時代の趨勢に抗いきれず、ついに入手。NTT DoCoMo の P906i。……のモックアップ。機能が究極的に絞り込まれているおかげで、私でも難なく使いこなせる。二つ折りになってるのを上に開いたり、横に開いたりできる。ボタンが押せる。ストラップが付けられる。それくらいがすべて。いくら使っても月々の支払いはゼロ円。充電の必要なし。決して電話がかかって来ないというスグレモノ。私にぴったりのケータイだ。

5月30日(土)、秋葉原のパセラで歌った後、気分よく歩いていると、段ボール箱にみっしりと詰め込まれた多種多様なモックアップ機が一個100円で売られているのを発見。一個500円のもあるが、どう違うのか分からない。けど、最新機種がどうのこうのと店員さんに言いくるめられて500円のを買っちゃった。色は桜色をやや渋くしたような色。

ケータイのモックアップなんて、いったい誰が買うんだよ、って自分が買っといて言うのもナンだけど、クエスチョンマークがひらひら飛び交う。ところが意外と売れてるらしい。少しは入っているらしい部品目当ての、分解したい人向けに。なんていうのはまだまともなほうで、登校時にケータイを預けなきゃいけない学校の生徒が、預け用のニセモノとして、とか。妙な市場があったもんだ。なんか世の中複雑化しすぎて、わけわかんなくなってないかー?



ドン・キホーテでかわいいストラップを5つばかり買い集め、ぢゃらっとつけてみる。本体よりデカい、ストラップの束。女子高生に変身するとき用の小道具の出来上がり。いやいや、この趣味、始めるよりもやめるほうが、ぜーったいに大変だと思う。

木曜日。朝、すね毛を剃ってから出社。これが、予想外に手間取った。4枚刃の髭剃りで、一回ジョリっとやると、それだけで目詰まり。シャカシャカ洗って、またジョリっ。それの繰り返し。つるっつるになるまでに、何時間かかったことか。会社に着いたら、昼近かった。大遅刻。理由はとても言えまい。

その日の夜は、宴会。例年だと新人歓迎会なんだけど、今年は新人、ゼロ。で、ただの宴会。初々しさの足りない会に少しでもフレッシュな風を吹かせようと、私は大サービス。宴会場に着くなりトイレへ直行して、着替え。事前の予告まったくなしに、いきなりセーラー服で登場。すんごいどよめきと笑い。カ・イ・カ・ン。

もはや世の中、恐いもんなし。しこたま飲んで、もう着替えるのが面倒くさくなったので、そのまま電車に乗って帰っちゃおうかとも思ったが、かろうじて残っていた理性が働いて、元の姿に戻る。

翌日、職場で、昨日の幹事がストラップぢゃらりのケータイを私のところへ持ってきてくれる。あれ? そのときまで、宴会場に置き忘れて帰ってたってことにすら、気づいていなかったよ。やっぱケータイ持つのに向いてないワタシ。

●馬場の不機嫌ばばぁ

月曜の夜。歯が痛い。明日、歯医者に行こう。さしあたって、硬いものはダメだから、刺身と十割そばにしようと高田馬場の和食屋に向かう。店はビルの4階にある。エレベータは地下2階にいる。「上」を押して待つ。

老婦人が来て「下」を押す。なんだかいら立った様子で、落ち着きがない。エレベータがすぐに来ないといった些事がいちいち癇に障るのか。背が低めで割と恰幅がよい。還暦近い年齢か。

ドアが開く。私が先に乗る。老婦人が乗ってくる。「上だと思いますよ」とおだやかに声をかけてみる。答えず、「B2」をガシっと押す。ガシっ、ガシっ、ガシガシガシガシガシガシガシガシっ! 10連射。そんなことしても下から来たものは上へ行くと思うけど?

動き出す。もちろん、上へ。「ぐがぁ!」のような、言葉になっていないイヤな声を発する。コイツさえいなければ、という恨みがましい目でこっちをにらむ。無視、無視。不機嫌最高潮ばばぁを後に残して4階で降りる。いやいや、すごい人がいるもんだ。

  不機嫌菌 撒くオニババ用 マスク欲し

こういうことがあると、自分が人間という生き物に関して、まだまだ何も知らないんだということに絶望的な気分にさせられる。だって、どう考えてもさっぱり分からない。まわりを不快にさせるような態度をとってばかりいたら、次第に疎まれ、つまはじきにあって、自分の居場所を狭めていき、結局損するのは自分なのに。

若いうちからずーっとそんな態度でやってきたのだろうか。おそらく60年近く生きてきたであろうに、今までカドがとれて丸くなる機会がぜんぜんなかったのだろうか。社会とまったく接点をもたずにここまで来たとか? そんなことが可能なんだろうか。

私は、もはや何を言っても通じまいと思って無視したけど、今までには、そういう態度ではいけないよ、とちゃんと諭してくれる親切な人だって、いたであろう。それを聞いて態度を改めようとは思わなかったのだろうか。

それとも、昔はなかったカドが今になって出っ張って来ちゃったのかな? 女としての生物的機能が終了し、社会的にも女として期待されるような物腰や立ち居振る舞いから免除されるようになって、女という題名の芝居を打つ必要がなくなったとき、むき出しになった本性は我利我欲のカタマリだったとか?怖えぇぇ〜。

あるいは。明日の食い扶持の確保もままならぬ、苦労続きの厳しい人生を歩んできた、とか? 戦後の食糧難を強く生きぬいてきた、みたいな。礼節なんてもんは、衣食足っての前提があってこそ成り立つものであって、激しい生存競争を繰り広げる自然界の基本原理は弱肉強食なのだ。生きる厳しさのせいで、そういう世界観に凝り固まっちゃったのだろうか。我々だって、そうやって生き延びてきた人々の子孫だったりするわけか。え〜っと、「羅生門」にもそんな人が出てきてたっけ。

しかし、物腰おだやかで心やさしいおばあさんだって、世の中にはたくさんいるわけで。それらを分かつものは何なんだろう。その人のもっている資質?あるいは、たまたま恵まれた境遇にあったから穏やかな人格が形成された、ってだけのこと? もしかすると、小さいころ、親の虐待とか級友のいじめとかにあったりして、人間不信に陥り、すべての人に敵意と怨恨をいだく人生を歩んできちゃった、とか?

ところで、地下2階って、何があったっけ? それがヒントになって、人物像の輪郭が少しは見えてきたりしないかな? 後日、行ってみると「歌謡スナック」とある。かな〜り、意外。歌謡スナックの何? ママさん? お客? あの般若が客あしらいするの? 歌うの? どっちもイメージできん。いやはや、人間って、ムズカシすぎる。

●駅前留学の効用

十数年来の駅前留学仲間のひとりであるI老さん(←めずらしい苗字)から英文和訳のチェックを頼まれ、6月7日(日)の夕方、高田馬場のROYAL HOSTで4時間ばかり、錆びついた頭をじゃりじゃりと無理やり回転させ、苦悶してきた。

そもそも15年ほど前に英会話を始めた動機は、女の子にモテたいという下心が9割であった。ちょうど、ヨメと別れて、次を見つけなきゃと思ってたときで、そのころ、バツイチはモテると言われていたりして、期待に胸をときめかせていたものだ。残る1割ぐらいはマジメな動機もあり、本当は苦手科目ではなかったはずなのに、勉学をさぼってばかりいたものだから、中途半端な実力のままで学生時代が終わってしまった、という後悔の念があった。

それと、数学専攻という経歴はモテ要素としては、マイナスの働きしかしないことに気づいていた。数学なんていうのは、苦手であることを表明しあうことによって共感の輪ができるものだ、っていうのが世の中一般の認識のようで、一人ぐらい「俺、修士課程まで専攻した」なんてやつが混ざっていると、もうほとんど変人扱い。一人の宇宙人の襲来をもって、全人類が一致団結する、といった構図しか生まないのであった。そこへいくと、「英会話がデキる」という響きのなんとステキなことか。ずるいぞ英会話。やっぱこれからは俺も英会話だ、というわけである。

このスキームのどこが間違っていたのか、いまだにちゃんと分析しきれていない。とにかくモテなかった。ぜんぜんモテなかった。まだまだ実力が足りないからカッコ悪いのだろうか、と躍起になって勉強した。やっぱりモテなかった。英検1級に合格しても、TOEICで970点取っても、まるでモテなかった。そのうち飽きて、投げ出した。プロとして英語で食っていけそうな実力を備えていたって、そんな気さらさらなかったし。モテないんじゃ、意味がない。

しかしまあ、駅前留学仲間とはようけ遊んだ。Novaで過ごした時間よりも、21時で終わってから飲みに行ったり、朝までカラオケで過ごしたりと、そっちの時間のほうが圧倒的に長かったんじゃないかってくらい。その後、K田氏と0田さんは、結婚しちゃったし。やっぱ駅前婚活だったんじゃんか。いつも半ば強引に我々をカラオケに誘い、歌は我々よりも多少上手い程度だったY岡くんは、カナダに渡って本格的に歌の修行をするとか言って早稲田大学を中退しちゃったけど、結局ヨーロッパ方面に行ったようで、今、どこで何してるんだか。あの大学は上から出るよりも横から出るほうが大成するというから、今に頭角を顕すかと期待している。徳間書店で「月刊アニメージュ」の副編集長を務めていたW辺さんは、その後、音信不通だけど、どうしてるのかな?

I老さんはIT方面で仕事をする傍ら、まじめにコツコツと英語の勉強を続けているようで、TOEICでは915点取ったという。で、今回は、「翻訳実務検定 TQE(Translator Qualifying Examination)」を受けているのだそうで。この試験は、「プロ翻訳者へのパスポート」と謳われ、合格すると、翻訳大手の(株)サン・フレアに翻訳者として登録することができる。翻訳で年収一千万円稼ぎ出す人もいるらしい。

送られてきた英文を期限までに和訳して返送する、という形式の試験で、何でも参照可、というところが面白い。普通の辞書とかネット上の情報だけでなく、歩く辞書とか下心のある辞書とかもOK。頼れるツテがあるのも実力のうち、ということらしい。で、私が引っ張り出された、というわけだ。

英文和訳の試験は区分が20に類別されていて、「IT・通信」を選んだI老さんのところに送られてきた問題文は、UNIXに関するものであった。私は20年来のUNIX使いなので「ディレクトリのパーミッションを0755(drwxr-xr-x)に設定する」のような文章もすらすらと意味がとれて、ラクショーである。

その試験の採点基準は知らないけど、私の中の基準では、I老さんが自力で作ってきた答案ですでに90点、それを私がチェックして、細かいミスなどを直し、93点ぐらいになった感じ。ちょっとは役に立つことができて、面目は保った感じだけど、元の答案のままでもきっとその試験には受かっていたであろう。元の出来がいいと、チェックは楽で楽しい。逆に、元が60点ぐらいだと、どんなにがんばって直しても、どうしても80点ぐらいにしかならない上に、へとへとに疲れてしまうものだ。

もっとも、錆びた線路の上を電車が走ると、ずーずーとすごい音をたてて、エネルギー効率が著しく悪そう、というのと同じことがこっちの頭でも起きてたわけで、そこは無理やり動かすのに力が要ったのだけれど。

まあ、傍目には、一緒に英語の勉学に励む仲のよいカップル、と映ったかもしれない。数学では、このようなことが起きたことはいまだかつてない。ビバ、英会話! しかし、ずいぶん回りくどいモテ方だと思った。

【GrowHair】GrowHair@yahoo.co.jp

水曜日の武さんのベーシックインカム論、私も大いに共感。今の社会って、種々の問題をシステムの整備によって解決しようという方向性がちょっと行き過ぎた感じで、人よりもシステムのほうが偉くなっちゃってないかぃ?

システムさえちゃんと回っていれば、ものごとがスムーズに運んで、生活の利便性が確保されて、社会が安定しているように見えるけど、我々個人個人の生きる喜びとか、自己の存在価値の評価とか、文化を培い芸術をたしなむ精神面の豊かさとかは昔よりよくなっているのかな? そんな実感、ぜんぜんわかなくない? システム至上主義社会では、お金が主体的な住人になってて、人はそれを蓄えたり動かしたりする媒体になり下がってないかい?

原点に立ち返れば、お金って、一人の人が社会にしてあげたことと、その人が社会からしてもらったこととの差分なわけで、その人が将来社会からしてもらえる権利なわけで、社会がその人に負っている負債なわけである。理想的にはね。お金持ちとは、社会への貢献度の高い人のことであるから、まさしく偉い、ってことになる。だったら家事をしたとか、電車で席を譲ったとか、きれいな音楽を奏でたとか、ぜんぶお金に換算しちゃえばいいかというと、それもちょっと虚しい気が。これ読んで面白いと思ってるアンタ、ホレホレ、お金出しなはれ、ってやっぱヤでしょ?

ベーシックインカムの考え方はいいんだけど、実際に導入するとなると、いろんな障害が出てきそう。低く見積もってもざっと年間10兆円の財源をどうするか、とか。支給された年金を酒だのギャンブルだの女だのに、あっという間に使っちゃって、もっとよこせ、とか言い出す、ホンマモンのダメダメ人間とか、けっこう出てきそうな気がするぞ。アメリカの「フードスタンプ」みたいな制度に落ち着けばいいのかなぁ。受給資格を提示すると、コンビニやファーストフード店の賞味期限切れ廃棄処分の食料がタダでもらえたりする、とか。

その制度が導入されたら、俺、会社辞めちゃいそうだなー。そっちのほうが楽じゃん、みたいな軽いノリで。でもきっとしばらくすると、何も貢献してないのに社会から施しを受けてばっかいる自分、ってもんに嫌気が差してくるんだろうなぁ。会社での労働とはまったく異質な、なんらかの形で社会にお返しできることはないだろうか、と真剣に悩み始めるだろうな。俺とは何か、オノレの価値はいかほどか、なんて問いに面と向き合う必要に迫られることなく、なんとなく自分は立派にやってるぞ、社会的信用はそれなりにあるぞ、という誇りが得られちゃうサラリーマンって、やっぱ気楽な稼業かも。見方を変えれば、いちばんつまらんやつ。

訂正。前回「賢帝」とあるのは「献帝」の誤りでした。どうも失礼しました。