Otaku ワールドへようこそ![99]決定版! ミもフタもない英語学習法
── GrowHair ──

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旧Novaに通っていたころ、よく生徒仲間から「どうしたらそんなに上手く英語が話せるようになるの?」と聞かれることがあった。そういうのにまじめに答えてはいけない。いろいろ試してみた学習法の中で、これもよかった、あれもよかった、なんてことを並べ立てていくと、相手は次第に不機嫌になっていく。しまいにゃ「そんだけ勉強すりゃ、上手くなってあたりまえじゃない!」とかって、怒られちゃうのである。おもむろに腹のポケットのチャックを開けて、「翻訳コンニャク!」とでもやればよかったのかな?

ニュートンは偉大だ。万有引力を発見して名を馳せるようになってからは、上流階級の紳士淑女が集うサロンなどにも呼ばれるようになったに違いなく、行けば決まって「あの偉大な発見はどのようにしてなされたんですの?」なんて聞かれたに違いない。まじめに答えていると、相手がうんざりしているか爆睡していることを発見したに違いない。そこでひねり出した答えは世紀の傑作というほかはない。「りんごが木から落ちるのを見て」だってさ。

あのねぇ、万有引力の法則っていうのはねぇ、すべての物体にはお互いに引っ張り合う力が働いていて、その大きさfはそれぞれの質量m1、m2に比例し、重心間の距離rの2乗に反比例する、その比例定数Gはいつでもどこでも不変である、ってやつでしょ? 観察から帰納的に導き出されたケプラーの法則なんかを、演繹的に説明づけられちゃう根本原理なわけでしょ? それ、りんごの木、眺めててひらめくかぁ? みんなよく信じるよなぁ。

ヤフオクで競り落としたコンニャク、食べたら一夜にして英語がぺらぺらに話せるようになってました。なんてね。ふと気がつけば、今はもうすでに21世紀。あってもいいんじゃないかな? ひょっとしたらと思ってヤフオクをチェックしてみると……。なんとっ! 過去に何回か出てた形跡があるじゃんか! 翻訳コンニャク。競り落とされてるのもあるし。どうだったんだろ? ってなわけで、まじめに語る気があんまり起きないんですけど、今回は、英語学習法のことなど。



●パンパンの風船を見ると針でプチっとやりたくなる

ものは食うけど痩せられるダイエット法とか。何もしないけどお金が儲かるネットビジネス商材とか。勉強しないけど英語ができるようになる学習法とか。みんな、そういうの好きだよねぇ。で、どうするかというと、その秘訣が書いてある巻物を買うとか、ネットビジネス商材をダウンロードするとか、スクールに入会するとか、お金で解決しようとするんだよねぇ。

解決、しましたか?[Yes/No]

ウェルカム・トゥー・資本主義社会。かつて私は、大学の図書館で論文のコピーをとりながら、コピーをとるようなスピードで、論文の内容が頭に入っていくような魔法があるといいのになー、と思ったことがある。けど、そういう仕掛けは存在しないんだよねー。存在しないけど、ぎりぎり嘘にはならない宣伝文句で、さも存在するかのような感じを抱かせ、それで成り立つ商売なら存在するんだよねー。それが資本主義。

人々の夢、期待、射幸心、欠乏感、心の隙間、ラクしてズルしたい気持ち、そのへんをこちょこちょとくすぐって、ものの購買へと誘導すれば、ゼニになる。これ買うといいよ。だめだった? なら、これがあるよ。まただめだった? そういうときは、とっておきの、これ。なんてね。消費の無間地獄。まずそこを「学習」するのが英語学習の第一歩なのではないかと。

もういっこ。仮に英語を一所懸命勉強したとして、その結果得られるのは、英語力です。いい仕事が次から次へと舞い込み、お金ががっぽがっぽ儲かり、人々の尊敬と羨望を集め、異性にはモテまくり、ハワイのビーチでなぜか小さい傘がささった青いカクテルをすすりながら「太陽がいっぱいだぁ」なんてつぶやくとか(南仏でもいいけど)、そういうバラ色の生活が手中に、みたいなことは、起きません。せいぜいが、原稿料タダのメルマガに駄文を書きつづって、自己満足に浸ってるくらいが関の山です。保証します。

どこの英会話学校に行っても必ずいるんです。実力の伸びよりもプライドの伸びのほうが速い人。クレジットカードを使えば、まだ稼いでいないお金を使って買い物ができちゃうのと似て、せっせとスクール通いをすれば、まだ身につけていない実力を先取りしてプライドを肥えさせられちゃう。休日の街の軽薄な娯楽ムードには目もくれず、自己研鑽に努める、向上心あふれるワ・タ・シ。ああ、素敵ですねぇ。自己イメージと現実の実力との間の、どんどん進んでいく乖離、どこまで行って、ついにどうなるのか、ちょっと心配な私です。

たぶん、そういう人は、そういう人どうしでつるむんでしょうね。ポッシュ*なケーキ屋さんかなんかで、スイーツを前に、「私たち、こんなに自分磨きに励んで、キラキラ輝いているのに、釣り合うようないい男がいないのよねぇ」なんて嘆いているんじゃなかろうか。
 *posh:高級な、豪華な、上流階級の、上品な。

私はいい男ではないので、あんまり詳しくはないのですが、たぶん、いい男は「こいつにとっ捕まったらヤバイ」と直感すると、一瞬にして、ダサい男に化けます。これで完全インヴィジブル。スイーツ(笑)な淑女たちからは、まったく見えなくなります。そうやって、自分の姿勢を低くすることで、誰のプライドを傷つけることもなく、平穏のうちに、難を逃れている。忍法葉隠れの術。いい男がいないとお嘆きの貴女、そのへんの葉っぱをめくってみると、いるかもしれませんよ。

そうだ、他人事じゃなかった。数学専攻ではちっとも女の子が寄ってこないので、英会話だったらなんとかなるだろうと始めてみたけど、がんばってもがんばってもちっともモテず、人生を返してほしい、と嘆いている俺であった。詳しくは、前に書いたとおりです。まー、つまり、英語に英語以外のことを期待しちゃうと、ろくな結果を招かないということですな。

古典的な笑い話にこんなのがある。大学教授が一人でいるところへ女子学生が近づき、色仕掛けに出る。「ワタシ、単位をもらえるなら何でもします」「じゃ、勉強しなさい」。

●赤字を埋め合わせるには、楽しむしかない

ガキんちょに毛が生えた程度の私が、人生哲学めいたことを語るのはカタハライタイというものだが、ひとつ、これは言えるんじゃないかという仮説を温めているので、世に問うてみたい。名づけて「人生赤字の法則」。略して「性赤説」。何かというと、「努力と報酬とを比べると、常に報酬が努力を下回る」という法則。

一億円もらえるなら、どんなことでもしよう、と思う人はいるかもしれない。将棋を勉強して、プロになって、公式戦7タイトルを総ナメにすれば、年収一億は下りません。やってみます? 多分、山の2合目あたりのところで、もう要らないから、気ままな暮らしがいいや、と言って放り出すと思います。将棋でトップクラスのプロに至る努力と、年収一億円は、まったく釣り合っていません。私は羽生ではないけど、それくらいのことは分かります。

ホリエモンが破竹の勢いでガッポガッポ稼ぎまくってたころ、どっかの経済誌でインタビュー記事を読んだことがある。まあ、誰でもあやかりたいと思うのは自然なことで、いったいどういうふうに生きてるとそんなにお金が稼げるのか、聞いてみたい、というわけだ。ホリエモンはホリエモンで、そんなに特別なことはしていない、という調子で、どんな質問にも気前よく答えてくれる。

けどねぇ、私はそれを読んで、あ、俺はホリエモンじゃなくていいや、って思いましたね。具体的な数字は忘れちゃったけど、毎日、おびただしい数のメールが届くのを効率よくさばいていかなくてはならない。一通あたり数秒。件名に「〜について」だけではなく、内容の要約も書くようにと、みんなに言っておく。そして、大部分のメールはタイトルを一瞥しただけで、ボンボコボンボコごみ箱に捨てていく。捨てるメールは1秒足らずで。

読む必要ありと、ほぼ直感的に思ったのだけ、さっと目を通し、さらにその中で必要があるのだけ、手短に返事を書いて送る。そういうのも含めて1通あたり平均数秒。来る日も来る日も。丸一日、メールのやりとりだけでつぶすわけにはいかないのだ、と言っていた。ごもっとも。そんなせわしい生活、悪いけど俺はごめんだから。

勉強というのは決して面白いわけはないものだけれども、将来への布石として、我慢してやっておかなければならない、と思っている人は意外に多い。子供にそういうことを言う親も多そうだ。悪いことは言わないから、おやめなさい。あなたには向いていません。一流大学にパスして、いいところにするりと就職できて、すいすい昇進して、いい車に乗って、マイホームを建てて、安定な生活が送れる、その報酬に比べて、青春を台無しにして、人によっちゃ勉強よりも大切だという人生経験とやらを迷わずバッサリと切り捨て、睡眠時間まで削って、体を壊しそうなくらい勉強するという努力は、釣り合っていません。大赤字です。

で、この赤字分を埋め合わせるのは何かというと、対象そのものを楽しむことなんじゃないかと思います。英語にしろ将棋にしろ会社経営にしろ、基本のところに、それを楽しんでるっていうのがないと、続かないんじゃないか、って気がしています。英単語帳に萌えキャラが登場するのもいいし、化学の元素を擬人化してみるのもいいけど、真に楽しむというのは、そういう飾りつけで遊ぶことではなく、対象そのものに興味をもって、それに没入することがまったく苦にならないようにすること、なのではないかと思います。

●文化の違いを楽しもう

英語はコミュニケーションの手段であって、それ以外の手段ではない。特にプライドに餌をやるための手段にしないほうがいいのは、さきほど述べたとおり。コミュニケーションそのものを楽しむという姿勢で臨むのが一番。もちろん、青い目の外国人と面と向かって話をする楽しさは基本なのだが、もうひとつ、文化の違いに気づくという楽しみがある。

英語学習というものが、鉛筆はpencilで、道はroadで、馬はhorseで、かぼちゃはpumpkinだ、なんていう対応づけをひたすら記憶していって、置き換えるだけなら、機械的な作業であって、面白くもなんともない。ところが実際はそうはいかない。

デミ・ムーアの主演していた映画「The Butcher's Wife」は、直訳すれば「肉屋のかみさん」だ。まあ、そのタイトルじゃ、客が来ないのは想像に難くないけど、邦題はどうなったかというと「星の降る街」だ。"I love you." を夏目漱石は「月が綺麗ですね」と訳し、二葉亭四迷は「わたし、死んでもいいわ」と訳したそうである。かっこいい! 私もトライしてみよう。
「や ら な い か」

いい文章の基本型は「起承転結」だという。これ、洋の東西を問わず、世界の共通認識だと思っている人は多い。ところがどっこい、英語には、起承転結に相当する表現がないのだ。表現がないということは、そういう概念もないということだ。ジーニアスの和英辞典では "logical development" と訳しているがこれは「論理的展開」ということであって、起承転結とは似ても似つかない。ネット上のALCの辞書には "introduction, development, turn, conclusion" とあり、ひとつひとつは忠実な訳だけど、全体をみるとき、いい文章の典型だなんて、きっと誰も思わないだろう。むしろ、混乱した文章のつくりだと思うかもしれない。もうひとつ、"quick getaway, build up, climax, ending" というのも載っているが、これは起承転結じゃなくて、オルガスムス曲線だね。あっちの人はそういうのをいい文章の典型だと思うのだろうか。
< http://www.alc.co.jp
>

以前、会社の研修で、早稲田大学教授の篠田義明先生の「テクニカル・ライティング」の講義を受けたことがある。その中で、分かりやすい文章の典型のひとつとして、
1.結論
2.理由、その1(最重要な理由)
3.理由、その2(第2に重要な理由)
4.理由、その3(第3に重要な理由)
5.再び結論
という構成を挙げていた。途中まで聞いて、この人の言いたいことは何だろう、と推量する必要がなく、受け手側に補完を要求しないという点で、明確である。また、文章の途中のどこでちょん切られたとしても、概要は分かる、という機能性がある。
< http://www.f.waseda.jp/shinoda/shinoda_001.htm
>

その逆は "beat around the bush" という。言いたい結論をなかなか言わず、遠巻きにぐるぐる回って、だんだんに中心に寄っていくという話のもっていき方である。日本では、言い出しづらい話を切り出すときに、相手が気色ばんで話がこじれたりしないように、顔色を見ながら徐々ににじり寄っていくというのは、スムーズなコミュニケーションのための話術であり、一種のマナーであったりもする。

生徒が教授のところにやってきて「あのー、母が病気なんです」。まぁ、わざわざ身の上話を聞いてもらいに来るわけがないから、言いたいことは、「レポートの提出が締め切りに間に合いそうにないので、もう少し待ってください」みたいなことなんだろうな、というのは教授もすぐに察しがつく。しかし、まぁ、にやにやしながら最後まで聞いてやるわけだ。

どうも西洋では、そういう話のもっていき方というのは、あまり歓迎されないらしい。聞く側が、話す側の言いたいことを察してあげなくてはならないというのは無用の負担であり、それは話す側の表現力の稚拙さのせい、ということになっちゃうらしい。言いたいことは何だ、さっさと言え、とイライラしちゃうらしい。

会社で、120%ぐらい日本人な上司をサンプルに使って実験してみた。「今度の月例の報告会ですが、私からの報告を免除していただきたいのですが」。めちゃめちゃ怒られましたね。「そういうことを簡単に言うな!」と。どういうことだ、と聞くので、私は理由1、理由2、理由3を用意していたのだが、理由1の半分も聞いてもらえず、却下。プラス、長い説教。

文化の違いは、おそらく宗教から来ているのだろうと思われることもある。嫉妬という感情の取り扱いが、明らかに違う。どうもキリスト教の影響の強い方面では、嫉妬は悪い感情、言い換えると罪だから、自分の中の嫉妬心をしっかり封印しておくのは個人の責任であるとみなされているようである。いいことがあると、躊躇なく吹聴してまわる。聞くほうも「君と僕とは友達だ、だから君にとっていいことがあったというのは、僕にとっても嬉しいことだ」という反応をする。それが当然だという共通認識ができている。だから、聞かれもしないのに「俺のガールフレンドが……」なんて話を普通にする。日本でそれやったら、そうとう嫌味なノロケ野郎、と嫌われるぞ。

日本だと、嫉妬という感情自体は自然なものであるから、それを起こさせるような、自慢話やノロケ話をするのは、するほうが悪い、という共通認識があるように思う。だから、人と会ったときも、いい話は置いておいて、暑いとか景気が悪いといったネガティブな話で、まず、共感の基盤を築いておく、みたいなとっかかり方をよくする。

これ、西洋人は、かなりいら立つようです。会って "Hi, what's up?" と聞かれて暗い話を返す人はあまりいない。なぜなのか聞いてみたら、自分の生活がうまくいっていないようなことを言えば、相手は、友達として助けてあげなきゃ、と思うわけで、余計な負担を押し付ける結果になる、だから悪い話はなるべくしないのが相手への配慮なんだ、と解説してくれた。この手の文化比較的な話は、ほんとにきりがないほどあるのですが、まあ、これくらいにして、要するに、人生赤字の法則の赤字部分を埋め合わせるには、こういうのを楽しんじゃうしかないと思うわけです。

さて、前置きが長くなったが、ここからは各論。お薦めの学習法などを具体的に二つ三つ挙げておきましょう。……のつもりだったのですが、紙面が尽きました。まぁ、だいたい想像はつくでしょう。ミもフタもない話です。学習時間を切り詰めるのは不可能、とか。ご要望があればそのうち。

【GrowHair】GrowHair@yahoo.co.jp

このごろ、スーツよりもセーラー服を着る機会が多い私。スネ毛が伸びてる暇がない。7月4日(土)は、会社の濃ゆ〜いヲタ仲間と池袋パセラでカラオケ。会社ではなかなかおおっぴらにできないヲタっぷりを全開にする会。私はわが内なる少女を解放。K柳さんは「鬼畜眼鏡」という18禁のBL系ゲームで二次創作小説を書いているという、バリバリの腐女子。昨年末にウチの会社から派遣切りに遭い、派遣元からも切られちゃったのだが、運良く別の会社で正社員として採用されている。新しい職場はヲタ要素ゼロだそうで。社員旅行のカラオケでは、オタクの定番である「アクエリオン」を歌ったが、それでもオタクだとはバレず、「パチンコやるなんて、意外だね」と言われたそう。エヴァもパチンコのキャラだと思われてて「あれ、面白いね。アニメ化すればいいのに」だって。オタクというのは、この世で例外的に存在する特殊な少数民族で、自分たちとは接点ゼロの世界と思ってるらしい。うーん。/広島県福山近辺に、知り合いが3人、偶然かたまって住んでいることが最近判明。しかも3人ともめっちゃ濃ゆ〜いオタク。カラオケ行こうって話が持ち上がっている。セーラー服持って、参じます。/なにかとお世話になっている劇団"MONT★SUCHT"(モントザハト)の公演が7月22日(水)にある。10時過ぎから、日蝕下の井の頭公園の全域を使って。劇団「虚飾集団廻天百眼」の公演『黒色サロス』の一部として、錬金術をテーマにしたパフォーマンス『沈黙の書〜太陽と月の結婚』を演じる。予約不要、入場無料。
< http://montsucht.web.fc2.com/
>
/これまたお世話になっている人形作家の八裕沙(やひろまさご)さんが、8月に個展を開催する。8月21日(金)〜30日(日)。銀座八丁目の木之庄美術(旧館)にて。7月12日(日)に案内はがき用の写真を撮った。EOS 5D MkIIで。写りは上々。
< http://www.geocities.jp/layerphotos/Park090712/
>