電子浮世絵版画家の東西見聞録[91]展示について深く考えた、秋刀魚のオイルサーデイン
── HAL_ ──

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今、ちょうど展示会の中日を過ぎたところです。今回の個展は昨年春に清澄白河で行った展示の焼き直しなのですが、ほぼ同じ内容の展示をまったく違う環境で行ってきた中で、展示会のあり方について深く考えることが出来ました。

グループ展では、展示物にまったく異質の組み合わせをすることはまず考えられず、似たような環境で制作された、似たような作品が並びます。自己主張が強すぎる作品が多く並んでしまった場合は、それぞれが浮き上がってしまい、統一感のない展示になってしまいます。

私はグループによる展示会にはお祭りという要素が大切で、単に作品を展示するだけではなく、様々な展示の中で人と人との出会い交流があり、そのつながりを楽しむものだという考えがあり、とても好きなのです。それなのに、作品だけ運び入れ、当番制にしているにもかかわらず受付にも出ない、搬出も人任せという作家もいるのは不思議なことです。



個展はグループ展とは違い、ひとつの空間を完全に自己主張の場にすることが出来ます。それは、手工芸の達人でもパフォーマンスを行う人でも、時間と空間をお金で買い取り自分の満足する展示を行い、オープニング時には友人を招いて酒を飲み交わし交流を深めることになります。まあ、それはそれで良いのかも知れませんが、そこに個展を開催するということの重要な意味があるのでしょうか。そういったことは、金と時間のたっぷりある趣味の絵描きさんが、レンタルスペースに利益をもたらすためにやればいいのです。

私も過去一度だけ、金でスペースを借りた個展を開催したことがあります。この時は手作りの料理によるミドルデイパーティーを行い、会場からあふれんばかりの人が集い、深夜遅くまで酒を飲み交わし楽しい想い出として記憶に残りました。この時はそれだけではなく、様々な企業に協力、協賛していただくことが出来、作品も売れ、成功を収めたと思っています。

個展は数回開催していますが、その時以外の個展はレンタルスペースを借りることなく、会場のご要望に応じた展示という形を取ってきています。会場としては、個人経営ギャラリーはもちろん、デパートやショッピングセンターの催事場などです。最近では、前記した清澄白河にあるsakuraギャラリーでの個展がそうなのですが、この会場は物理的には完全にギャラリー空間としての運営でした。毎回壁に釘打ち、そして塗り替えという純粋なスタイルです。

通常、真っ白で無機質なギャラリー空間に展示するのは、展示作品が環境に左右されないようにという配慮で、購入者の環境を想像して鑑賞出来るからということです。それはそれなりに良いことだと思っていたのですが、見に来る人も個展会場という特殊な空間の中で無機質になってしまうことに気がつきました。前回展示の時は、確かに作品をしっかりと見て頂けてはいましたが、見る目が構えてしまうのです。そして目に見えた事実だけの質問を投げかけられても、その答えを提示することは、私にとってこのうえなく面倒なのです。

01.jpgSAKuRA GALLERYの展示

今回の展示は特殊で、狭いカフェギャラリーの空間に大判作品をむりやり閉じ込めた展開です。このカフェは、現代的で固定的な様式で作られているのでもなく、古風な家具に身を固めているわけでもなく、様々な様式を持つ家具に取り囲まれています。それにもかかわらず、ミスマッチ感のない落ち着いた空間になってています。通常の目にする空間は、展示カフェ同様に様々な物が混在しています。このカフェの展示空間は、まさにそういった日常なのです。日常の中に展示された作品は、作品自体がとても生かされて見える事ことに気がつきました。

02.jpgZAIM cafe ANNEXの展示

私は、週末はギャラリーにいるようにしています。カフェに入ってきた客を観察していると、まず入り口の扉から入り、室内の空気に触れ、絵の前で立ち止まるのです。カフェギャラリーとはいっても絵を見に来る客ばかりではなく、純粋に落ち着いた一時を得るために来る客がほとんどです。私の作品はそんな人達に不意打ちを食らわせますが、その中に入り込んだ客は、まるで子供がはじめての物を発見した時の表情のように、不思議な輝きを見せてくれます。

しかし客はそのまま自分の席を取り、飲み物や食べ物を注文し、作品を見ることもなく自分の世界に入っていきます。それでも数分経つと、再び作品に目を走らせ、そしてまた自分の世界に戻り、本を読んだり歓談したりしていくのです。中には立ち上がり全ての作品をじっくり見て回る人もいます。そんな方に時々声をかけると、sakuraギャラリーの客とは違い、まず作品を評価して下さり、作品の背景の話を聞きたがるのです。作品の前に立つ人が、生きている人間として話しかけてきてくれるのです。

今回の展示で「一枚の絵」は単に「一枚の絵」としての存在だけではなく、作る人がいて見る人がいる、そしてその間につながりを感じ取れる。そんなあたりまえのことが明確になり、そこから新たな人間のストーリーが始まっています。現在の展示は2週間という区切りの中で行っているのですが、お客様の評判が良いようで、展示期間が延ばされることになりました。さらにここ一回だけの展示として終えることはなく、来年に向けた大きな展開のお話も湧き上がってきているようです。

気に入った作品を探し出して使ってくれる。そんなギャラリースペースとして展開するオーナーとサポートスタッフの力、作品を見に来る人々の声、それらが一体になり、作品にぶつかる。そこには安直なレンタルギャラリーの運営とは違う考え方がつながりを求め、個展は作品の展示だけではなく人と人をつなぎ止める絆となる運営が大切なのだということを実感しました。

さてさて、パーティ当日ですが雨ということもあり、はっきり言って来場者は少なかったのです。これは忙しさの中での私の声掛けも満足に出来なかったという結果なのですが、とても充実したパーティーになりました。音響設備のない中なので、自前で機材を運び込んでライブをやってくれた南沢カズ&伊藤広規の「K&K」、横浜近辺の友人達、都内からわざわざ足を運んでくれた友人、無尽蔵にビールとワインを出して下さったカフェのオーナー、軽食を作ってきてくれた近所の方、そしてこのテキストの最後に書いてくれている料理研究家satokoの味。そんなつながりが広がり、来てくれた人はしっかり楽しんで帰って下さいました。

03.jpg
用意された料理とワイン

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南沢カズ&伊藤広規・ライブ

ZAIM CAFE ANNEX 「Jazz香る版画展」Artist HAL_ 開催中
< http://zaimcafe.com/annex/index.html
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◇本日のお薦めYouTube Music
ニーナ・シモン(Nina Simone、1933年2月21日─2003年4月21日)

ピアノを弾き、始めから終わりまでシャウトすることもなく淡々と語るように歌う個性派シンガー。彼女の太い歌声は黒人独特の悲哀を含み、聞く人々の意識と心を奪います。クラシックで有名なジュリアード音楽院で作曲を学び、作りあげる音楽はJazzに限らずブルース、ゴスペル等、多様な音楽性を生かしたアルバムになっています。彼女はトラディショナルな曲を取り上げることが多いのですが、民族性を生かしたアレンジで生きる喜び、悲しみ、切なさ、むなしさを歌い上げます。人種問題にも深く関係した、彼女ならではの思いが込められているように感じられてなりません。

Ella Fitzgerald : One note Samba(scat singing)1969
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Ella Fitzgerald - Summertime
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Ella Fitzgerald - Round Midnight
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Ella Fitzgerald The Man I love
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Ella Fitzgerald and Joe Pass - Cry me a river(1975)
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◎秋刀魚のオイルサーデイン

今回も秋の味覚の代表、秋刀魚の登場です。最近では新鮮な秋刀魚が手軽に手に入り、お刺身でも食べられていますが、こんな調理方法も覚えておくといいですよ。

05.jpg秋刀魚はぶつ切りにして、内臓を出してきれいに水で洗い、水分を拭き取ります。多めの塩をふってしばらく置き、水分が出て来たらキッチンペーパーでしっかり拭きとります。秋刀魚を鍋に入れ、ニンニクのスライス、鷹の爪、ローリエなどを加え、オリーブオイルをひたひたに入れます。これを弱火でだいたい30分くらい煮込めばOKです。もしも途中でオイルが少なくなった場合は、オイルを加えます。骨まで柔らかい、カルシュームたっぷりのサーディンが出来上がります。

06.jpgこの秋刀魚のオイルサーディンは、冷蔵庫で2〜3日経った頃が美味しく頂けます。保存は一週間程度。カリカリに焼いたガーリックトーストに乗せ、その上にレモンスライスを置いたり、オープンサンドやサラダなど、工夫次第で色々楽しむことが出来ます

【HAL_】横浜在住アーティスト hal_i@mac.com
Web < http://homepage.mac.com/HAL_i/
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Web < http://lohasfood.exblog.jp/
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