[2757] ジャズが似合うマンハッタンの夜

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《なんだかパチンコ玉のように無個性にみえる人生》

■映画と夜と音楽と...[444]
 ジャズが似合うマンハッタンの夜
 十河 進

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■映画と夜と音楽と...[444]
ジャズが似合うマンハッタンの夜

十河 進
< https://bn.dgcr.com/archives/20091204140200.html
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〈マンハッタンの二人の男/マンハッタンの哀愁〉

●「マンハッタン・オプ」の文庫解説の依頼がきた

二年ほど前のことになるが、ソフトバンク文庫の編集部から「矢作俊彦さんの『マンハッタン・オプ』シリーズを復刊するので、解説を書いていただけないか」というメールが入った。僕の本の担当編集者が矢作さんの担当編集者と親しいというので、そのルートで矢作さんに分厚い二巻本を献本してあったから、そのせいかと最初は思った。

長くこのコラムを読んでもらっている人にはわかると思うが、僕は矢作さんの愛読者である。矢作さんが最初の長篇「マイク・ハマーへ伝言」を出す以前から「ミステリマガジン」の二村シリーズ「真夜中へもう一歩」の連載を読んでいた。このコラムでも、何度か矢作さんの小説や映画「アゲイン」について書かせてもらった。

ソフトバンク文庫の編集者に連絡をとると、僕が以前にデジクリに書いた矢作版「ロング・グッドバイ」のコラムを読んでの注文だという。「そんなんでいいの?」と思ったが、結局、「マンハッタン・オプ」第三巻には僕の解説が載っている。一巻目は坪内祐三さん、二巻目は関口苑生さん、四巻目は中条省平さんという豪華な執筆陣で、僕としては「凄い顔ぶれと並んだなあ」と気後れしている。

しかし、ずっと愛読していた作家の解説を書くのは心楽しくも妙なものだった。それに、最近の矢作さんは純文学に寄っている。「ららら科學の子」「悲劇週間」は純文学誌「文學界」に連載されたし、現在も新作を連載中だ。福田和也さん、坪内祐三さんという純文学系の評論家に高い評価を受けている。だから、文庫解説もそういう顔ぶれになったのだろう。

僕の解説のタイトルは「無国籍作家が書いた私立探偵小説へのオマージュ」とつけさせてもらった。「無国籍映画」と言われた日活映画好きの矢作さんに引っかけたタイトルだった。「マンハッタン・オプ」がCBSソニー出版から出たのは、もう28年前のことになる。すべての短編がスタンダード・ナンバーの英語タイトルを持つ短編集だった。

その本の巻末には「この小説はFM東京夜十一時四十五分(月〜金)に放送中の番組"マンハッタン・オプ"の放送台本を著者自ら加筆訂正したものです」という断り書きが書かれていた。その当時、日下武史が演じるマンハッタン・オプはまだ放送が続いていたのである。そして、毎回、タイトルになるスタンダード・ナンバーのジャズ演奏が素敵だった。

さて、「マンハッタン・オプ」の解説を書いた結果、もしかしたら矢作さんと会えるかと期待する部分と会うのが怖い気持ちが交錯したが、結局、矢作さんとは何の接触もなかった。もっとも、会うと何を言われるか怖かったのでそれはそれで助かったのだが、どこか拍子抜けする気分もあった。

昔、カメラ雑誌編集部にいたとき、矢作さんとは親しい写真家の横木安良夫さんに会って「矢作さんて、どんな人ですか。怖い人だと聞くんですが」と言うと、横木さんは笑って「そんなことないよ」と答えた。また、美人写真家の安珠さんに会ったときにも矢作さんについて質問したが、きちんと答えてはもらえなかった。やはり、僕にとっては矢作さんは謎の人なのである。

●「マンハッタンの二人の男」はメルヴィル自身が主演

──「ALL ALONE」は、マル・ウォルドロンが「マンハッタンの哀愁」という映画のために書いた曲だ。「マンハッタンの哀愁」は1966年に公開された。今では忘れられた映画かもしれないが、60年代半ばから映画に狂った少年にとっては、モーリス・ロネとアニー・ジラルドの大人の恋物語が記憶に残っている。そう、僕にとってのマンハッタンは「マンハッタンの哀愁」やジャン=ピエール・メルヴィル監督「マンハッタンの二人の男」など、なぜかフランス映画で描かれた夜のマンハッタンなのだ。もしかしたら、矢作俊彦さんのイメージも、そうなのかもしれない。

これは、僕が書いた「マンハッタン・オプ」の解説文の一部だ。文庫の三巻目には「ALL ALONE」という短編が含まれていたので、それに結びつけて書いた。「マンハッタンの哀愁」(1965年)を矢作さんが見ているかどうかはわからないが、ジャン=ピエール・メルヴィル監督の「マンハッタンの二人の男」(1958年)は見ているだろうという確信があった。

映画好きで映画監督でもある矢作さんが「フィルム・ノアールの巨匠」であるジャン=ピエール・メルヴィル監督の初期作品(なおかつメルヴィル自身が主演)を見逃しているはずがない、と僕は勝手に想像したのだ。「マンハッタンの二人の男」はひと晩だけの話で、ほとんどが夜のシーンである。明け方には物語が終わってしまう。マンハッタンの夜景がとてもきれいだ。

「マンハッタンの二人の男」は奇妙な映画で、国連総会の投票の場にフランスの主席代表が欠席した理由を探る記者とカメラマンの話である。その主席代表は女好きで、どこかの女の所にしけこんでいるに違いないと考えた記者は、裏情報に詳しいカメラマンと共に可能性のある女を訪ねて歩く。女優の卵、歌手、外交官専門の娼婦、踊子...などなど、まるでマンハッタンの地獄巡りだ。

やがて、主席代表は女と密会する部屋で心臓発作を起こして死んでいるのがわかる。記者とカメラマンはその部屋で死体を発見する。カメラマンはソファで死んでいる主席代表をベッドに運び服を脱がせる。ベッドサイドのテーブルに女の写真を飾り、その様子を撮影する。カメラマンはスキャンダラスな写真で大金を稼ごうと考えたのだ。

後半は、写真で稼ごうとするカメラマンと、それを阻止しようとする記者の追跡劇になる。記者は死んだ主席代表の娘と共にカメラマンが立ち回りそうな24時間営業の現像所へいったり、売り込みにいきそうな新聞社をまわったりする。そんなシーンに流れ続けるのは、ジャジーな曲だ。カメラマンが飲んだくれているバックではジャズバンドが演奏し、トランペットがもの憂げな曲を奏でている。マンハッタンの夜のシーンとジャズは、本当に相性がいい。

●「マンハッタンの哀愁」は全編にジャズが流れる

「マンハッタンの哀愁」は、いきなりクルマを走らせる男と女のシーンから始まる。男は俳優、女は女優。ふたりは夫婦らしい。どこかのパーティ帰りなのだろう、男はタキシードで、女は美しいドレス姿で髪をアップにしている。男は女に感謝の言葉を口にするが、女はどこか醒めている。その間、シーンを邪魔しない程度に流れるジャズはスピード感のあるリズムを刻んでいる。

男が豪華なマンションの前にクルマを駐める。女が降りる。男は車庫へ向かう。女はエントランスへ入る瞬間、振り返る。そこにオープンカーに乗った若い男がいる。誰かを待っている。女は微笑む。そのまま部屋に入っていく。男が部屋に帰ってくる。女がいきなり別れ話を始める。「離婚なんて大したことないわ。紙切れ一枚のことよ」と男を慰める。

女は新しい相手ができたと言う。その男を待たせている。10歳も若い俳優のようだ。「昔のあなたを援助したように、私は彼の役に立てるわ」と女は言う。かつて、男は人気女優である女のおかげで映画スターになったのだ。だが、今、新しい相手の登場で、男は妻に去られる。妻は何の未練も見せない。男は茫然とするだけだ。

それから、どれほどの時間が流れたのだろう。男はパリを棄て、マンハッタンの安アパートで暮らしている。生活は荒れている。灰皿には吸い殻が山のようになり、新聞が散らかり、酒瓶が転がっている。汚れたままの食器やグラス。無精髭がのびたままの男はベッドの上で、ぼんやりと天井を見つめている。

男を演じたのはモーリス・ロネ。「死刑台のエレベーター」(1957年)ではエレベーターに閉じ込められ、「太陽がいっぱい」(1960年)ではアラン・ドロンにナイフで心臓を刺され、「鬼火」(1963年)では人生に絶望して死んでいったモーリス・ロネである。

「マンハッタンの哀愁」の絶望してアパートのベッドに寝転ぶモーリス・ロネは、「鬼火」の主人公アランがマンハッタンに逼塞している姿のように僕には見えた。モーリス・ロネという俳優は、陰気な役が似合うのだ。苦悩を抱えて生きている苦しさが眉間のしわに現れる。その眉間の苦悩のしわは時に陰険にも見えるから、悪役が振られたりするのだろう。

男は、ベッドから起きあがり、夜のマンハッタンに出ていく。あるダイナーに入り注文をするのだが、フランスなまりが強い英語なので通じない。隣りに座っていた中年の女が代わって注文してくれる。それから彼女はフランス語で話しかけてくる。フランス人なのだ。女を演じたのはアニー・ジラルド。美人ではないが、人生の倦怠を演じさせたら絶品の女優である。

店が終わり、夜のマンハッタンに出たふたりは街をさまよい、ジャズ・バーやクラブでグラスを傾ける。女は自分の話をするが、男は自分のことは何も話さない。あるバーでかかっていた曲が「オール・アローン」である。「みんな孤独」と訳すのだろうが、僕は昔から「誰も彼もひとり」と訳している。これほど、映画のテーマを象徴する曲はない。

女はイタリアの貴族出身の外交官と結婚し娘もいたのだが、その家を飛び出し友人の部屋に転がり込んでいた。だが、あるいきさつがあり、一文無しの宿無しになっている。男は「そのために、ひっかけられたのか」と疑う。思いが表情に出る。だが、女と安ホテルに入り、抱き合う。その後、眠っている女をおいて男は街に出る。

ホテルを後にして深夜の街を歩いていくと、下水のふたの隙間から水蒸気が立ちのぼっている。男は足を止める。女はグラスを傾けながらとりとめのない話をしたが、その中で「夜のマンハッタンで地下から吹き上がってくる白い水蒸気が好き」と言っていたのを甦らせたのだ。男は暗い表情のまま、ホテルへの道を引き返す。

妻に裏切られた男の傷の深さが垣間見えるシーンは、後半になって初めて現れる。女に心を開き愛し始めたとき、相手を信じ切れない自分の気持ちが頭をもたげるのだ。自分がどれだけ以前の妻の裏切りに傷つけられていたか、男は知る。信じたい、だが、また裏切られるのじゃないか。傷つけられるのじゃないか。今度、深い傷を負ったら男は立ち直れない。

この映画を最初に見たとき、僕はまだ人生で遭遇する本当の痛みには出逢っていなかった。やがて、それがやってきたとき、僕は泣き喚きバタバタとみっともない醜態を演じた。黙って耐えることができなかった。狂ったように友人たちに電話をかけ、救いと共感と慰めを求めた。だが、それを契機に去っていった友人もいる。

やがて嵐のような日々が過ぎ落ち着いたとき、僕の中に二度と修復できない損なわれた何か、が残った。それから長い時間が過ぎ去ったものの「きみの胸の傷は今でも痛むか」と訊かれれば、「痛む」と答える。それは、深い傷になり、心の奥の何層にも重なった底に潰瘍痕のように隠れているが、何かをきっかけにして生傷を顕わにする。血を流す。痛み始める。

「マンハッタンの哀愁」の原題は「マンハッタンの三つの部屋」。メグレ警視シリーズで有名なジュルジョ・シムノンの小説だ。僕は「過去の部屋」「現在の部屋」そして「未来の部屋」の三つだと解釈した。深く傷ついた男の未来の再生を予感させて映画は終わるが、彼は本当に再生できたのだろうか。傷は癒えたのだろうか。

ちなみに、モーリス・ロネ自身は、1983年、56歳を目前にしてガンで亡くなったという。そのモーリス・ロネの年齢を、僕は追い越してしまった。今では、どんな目に遭っても痛みも感じることがないほど、僕は鈍感になってしまった。いや、痛みに狎れてしまったのかもしれない。

【そごう・すすむ】sogo@mbf.nifty.com

年末に書店に並ぶ予定の「映画がなければ生きていけない2007-2009」の再校を三連休で読み返したところ、「こんな本、出す価値があるのか」と自信をなくしました。自分で言うのも何ですが、ある種の必死さは一巻目に最もよく出ていると思います。狎れてきた己を顧みて、ちょうど10年になるから三巻でまとめて来年からの連載やめちゃおうか、と弱気の虫に襲われています。

●305回までのコラムをまとめた二巻本「映画がなければ生きていけない1999-2002」「映画がなければ生きていけない2003-2006」が第25回日本冒険小説協会特別賞「最優秀映画コラム賞」を受賞しました。
< http://www.bookdom.net/suiyosha/1400yomim/1429ei1999.html
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受賞風景
< http://homepage1.nifty.com/buff/2007zen.htm
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< http://buff.cocolog-nifty.com/buff/2007/04/post_3567.html
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■Otaku ワールドへようこそ![108]
男性の人形に込められた男性の魅力とは

GrowHair
< https://bn.dgcr.com/archives/20091204140100.html
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ひとつのことにばかり集中して取り組んでいると、思考が狭いほうへ狭いほうへと入り込んでいき、いわゆる「煮詰まる」(本来の意味とは異なるほうの)という不吉な精神状態に陥りかねないのではないかとの心配が生じてくる。けど、その対象を通じて、世界が広がっていくという感覚もあって、それが楽しくてしかたがないのだから、まあ、いいじゃないかとの思いもある。

このところ、週末というと人形を撮ってばかりいる。12月にグループ展をやりましょうという話になり、私が10人の人形作家による作品の写真を撮ることになった時点で、こうなることは予測の範囲内であって、楽しみにもしていたわけで。キャラ系のコスプレ写真を撮ることを週末の趣味にしていた、いわゆる「カメコ」から、人形写真を撮る人へとシフトしているけど、もともとよく曲がる人生だし、特に無理しているというわけではない。

平日も写真の整理があるので、ひところは毎晩のように行っていたヒトカラも今は封印中。それだって、一番楽しいことを二番目に楽しいことに優先させたというだけの話であって、ぼやいてはバチが当たる。

それに、この活動を通じて、ロケ地のレパートリーは増えたし、バラエティに富んだ人形を撮る機会に恵まれているわけだし、人形作家さんたちの話は面白いし、視野は広がっているという感覚がある。ただ、傍目には、人形に人生をからめ取られたとか、魂を食われたとか、ホラーっぽく見えたりもするのかなー、と。今回は、男性が作った男性の人形に魂を捧げてみた。

●しょぼーんとした成人男性の人形

人形作家の松本潤一さんの作品を撮るにあたり、それまでになく、うんと悩んだ。どう撮ったもんかと。男の子の人形というのは、よく見てきた。愛くるしさを備えた中性的な少年であったり、凛々しい武者人形であったり。けど、松本さんのはそういうのとは似ても似つかない、どこか哀愁のただようリアルな成人男性の人形なのである。こういうのは見慣れない。

着衣はなく、当然のごとくイチモツがニョキッと生えているのみならず、毛までもじゃもじゃと生えている。一見して、うわっ、すっげー、とのけぞってしまう。どーんと仁王立ちさせて、下から仰ぎ見る角度(※)で撮れば、その突拍子のなさが強調されて、見る人をのけぞらせる効果抜群に仕上がるに違いない。けど、そういう撮り方でいいのか。

※「ローアングル」という。「アオリ撮り」と呼ぶのは厳密には正しくない。アオリ撮りとは、レンズの光軸と像面の中心からの法線とが一致しない撮影方法のことであり、それ用の機材がないとできない。しかし、ローアングルの意味でアオリ撮りという慣習が広まってしまってからいまさら言ってもしょうがないか。

戸惑いを察してか、11月1日(日)の自由が丘の土間土間での打合せのとき、コンセプトを文章で説明した資料を持ってきてくれた。正確な言葉は忘れたが、今の時代は普通の人が普通に生きていくだけでもなかなか大変になってきている、だから、その飾り気のない姿にいとおしさを感じる、というようなことが書かれていた。どーん、じゃ、だめじゃん。しょぼーんでいこう。

11月21(土)に中野の哲学堂公園で撮影した。ここで人形を撮るのは、由良瓏砂さんの、美登利さんのに続いて3回目。しかし、今までに使った撮影ポイントは避け、あえて水飲み場などの人工物を入れてみたりして、違ったふうに撮ってみようと決めていた。それに、季節が違えば風景もすっかり変わっている。大ぶりの青い実と白いふわふわの毛虫とをたっぷりと実らせていた花梨の木は、実も葉もなくなって目立たず、代わりにススキの穂が太陽光を透かしてまぶしい。地面では乾いた落ち葉が風に押されてかさかさ移動する。

思惟する猫は相変わらずだ。いつもの人からえさをもらい、それぞれお気に入りの場所で寝る。日の動きにつれて、ときおりのろのろと寝場所を移る。瓏砂さんが勝手に「シュレディンガー」と名前を付けちゃった猫は、生きてるのか死んでるのか気になってしかたがなかったが(※)、ちゃんと生きていた。

※シュレディンガーの猫:物理学者のエルヴィン・シュレディンガーが提唱した量子論に関する思考実験。素粒子の位置は観察するまでは原理的に決定不可能と言われているが、その位置によって猫の生死というマクロな現象が左右されるような装置があったとすると、猫の生死もまた不確定状態なのか、という問題提起。

松本さんからゆっくり話を聞けたのは、撮影後になってしまったが。決して強い調子で主張を述べることはせず、人に威圧感というものを微塵も与えず、おっとりとして常に物腰やわらかだ。うっかりこっちが強い調子でものを言ったりすると、怯えて萎縮してしまうのではなかろうかと思われるほどで、こちらも自然に口調がやわらいでいく。

彼は、人形制作を「最後の命綱」のようなものと位置づけているという。手を離すと底なし沼に沈んでいきかねないという恐怖感をもっている。母親がアルコール依存症で、苦労してきたらしい。自分も依存症に陥りやすい傾向があることを自覚していて、だからこそ人形制作というクリエイティブな活動に勤しんでいないと、どこへも行けない無限循環の依存世界へと嵌っていきかねないということのようだ。普通に生きていくこと自体に毒が含まれていて、徐々に自分を蝕んでいく、それを遅らせるための延命策として創作活動があるという感覚なのだという。

生きていくことには競争が伴う。勝ち抜いて生き延びなくてはならない。ちゃんとしっかりしていなくてはならない、優等生でいなくてはならないという目に見えないプレッシャーがかかる。ちゃんとちゃんと、しっかりしっかりの基盤に乗っかっているのが苦しくてだんだん耐え切れなくなっていくと、いつの間にかコンプレックスを植えつけられ、自己否定のサイクルに陥っていく。今はそんな世の中。なかなか自由闊達にという生き方ができない。

そんな中で「強くある」ってことが果たして答えなんだろうか、という疑問がある。鋼鉄の鎧をまとい、ぴかぴかと光り輝いていればかっこいいかもしれない。模範的な勇姿として人を惹きつけるかもしれない。けど、そのかっこよさが男性の特質なのだろうか。外見を完璧にとりつくろって、心は泣いている。内側に向かって悲鳴を上げている。そのあたりにこそ男性の本質があるのではないか。楽屋裏を見て興醒めというのではなく、そこにこそ本当の魅力があるのではないか。

祭りで、神輿の担ぎ手の写真を撮っていたことがあるそうだ。あらかじめ撮らせてくださいと断っていて「いいっすよ」と快く承知してもらっていた。力強い、かっこいい姿が何枚も撮れる。ところがある瞬間、ふとつらそうな表情を見せたのだという。なぜだかは分からない。けど、なんだかさびしそうにみえたという。心には何か深い傷を負っていて、それがふとした瞬間に表情に出てしまったのかと。そこに魅力を感じ、この人のことをもっと知ることができたならば、と思ったそうだ。

また、エネルギー全開、気力充実で社会の頂点付近でばりばりに活躍し、人々の羨望の的にもなっているような人が、得意満面に自慢話をするのをみると、それが悲鳴に聞こえるという。本当はこんな過酷な競争に巻き込まれたくはなかった、なぜだか抜け出られなくなっちゃったんだ、誰か助けてくれー、と。

苦しみ、傷、悲哀、悲鳴、そんなものが込められた、しょぼくれた男性の裸の人形。うまく撮れただろうか。カメラの背の液晶画面で見てもらった限りでは、喜んでいただけたので、ほっとしている。と同時に、撮るということの楽しみが少し広がったような感覚にささやかな喜びを感じている。

●美少年の人形と舞踏家の人形

2日後の11月23(月・祝)にはポティロンの森でguttinoさんの人形を撮影した。ポティロンの森は農業をテーマにしたテーマパーク。景色が広々としていて、自然がいっぱい。畑があり、牧場があり、羊がいて馬がいる。建物もヨーロッパの田舎風でかわいらしい。「ポティロン」とはフランス語でかぼちゃのこと。それも、くり抜いてシンデレラが乗るようなでっかいやつ。

何年か前にコスプレのイベントで3回ほど行っていて、写真撮影には絶好の場所で、気に入っていた。ハリーポッターとかデスノートのコスがよく映えた。もちろん、ローゼンメイデンもトリニティブラッドもドラゴンクエストもテイルズオブリバースもよかったけど。アンティークな農具がそこここに置かれていて、写真にいい味を添えてくれた。おそらく牛に引かせて畑を耕したのだと思われる、木製の台車にさびさびの鉄製の車輪、車輪からはスパイクが出ているような道具など。

これでもいちおうゲリラ撮影は極力避けたいという心がけぐらいはあり、都内にある庭園やテーマパークにずいぶん問合せた。けど、撮影許可が下りなかったり、料金がべらぼうに高かったりして、苦戦していた。で、思いついたのが、都心からだいぶん離れた、交通の利便性のあんまりよくないところなら、基準が緩かったり料金が安かったりしないだろうかということ。それで、何年も行っていなかったこの場所をふと思い出したのである。

ポティロンの森は茨城県にあり、最寄り駅はJR常磐線の牛久駅。まず、上野駅から牛久駅まで電車で1時間近くかかる。そこからは、イベントのときは臨時シャトルバスを走らせていたけど、普段は路線バスがない。タクシーを利用すると、片道30分ほど、5,000円近くかかる。時間的にも金銭的にも下見に行っている余裕はなかったが、電話してみると、撮影OKで、特に事前申請も要らず、一般の入場料以外に料金もかからないという。タクシー代は高いけど、スタジオ借り賃だと思うことにすれば、そんなにべらぼうな値段ではない。

guttinoさんも、松本さんと同じく、今度のグループ展がきっかけで最近知り合ったばかり。これまでじっくり話したことがなかった。が、今回、行き帰りにたっぷり話すことができた。それも、なぜか芸術論のような重い話題が多くなった。私が興味をもって聞いたからってこともあるのかもしれないけど。

10年ほど前から写真にのめり込み、自分で現像したりもしていたという。写真家の名前がぽんぽん出てきて、私は全然知らなかったりする。わ、恥ずかしい。カメラ渡して、帰ろっかなー。けど、話の内容は非常に面白い。人間に深い興味を抱いている感じがよく伝わってくる。そういう人と話す機会に恵まれると、砂漠でオアシスを見つけたような気分になる。

私の一人勝手な印象かもしれないが、このごろ世の中、味気なくなった。およそ芸術や文学に親しみのない人が多くなった。世のシステム化傾向を違和感なく受け入れ、社会の運用ルールを絶対視して、生活上の雑事に詳しく、システムを最大限に活用して利便性を追求し、利得を図ることに熱心で、生きることがゲームのよう。

どこに何があってどんなサービスを提供していて利用ルールはどうなっているといった現実的なことについてはディテール指向でどんどん詳しくなっていくけど、人間に興味をもつ必要性は感じていない。お金と引き換えに得られる娯楽・快楽に満足できちゃって、およそ創造性・芸術性というものを発揮しようという動機がなく、それを疑問にも思わない。それで問題なく元気いっぱいに生きているのだから、今のシステム化社会によく適応して健康的とも言えるのかもしれないけど、なんだかこっちが窮屈な気持ちになってくる。そういう思いをすることがなぜか多いのだな、このごろ。

私から見ると、なんだかパチンコ玉のように無個性にみえる人生を送っている。個性うんぬんよりも、社会全体が秩序を崩さずに常に安定的に回っていることのほうが大事と考えているフシがあり、人生の起伏のなさを、そんなもんだと受け入れているようにみえる。

劇場に行って、建物だけ見て、芝居を見ずに帰ってくるような人生。いや、そういうのがいいという人に向かって、私がとやかく言う筋合いのものではなく、どうぞどうぞとしか言いようがないのだけれど。ただ、その対極的なところで、人間の内面性を重視し、創造的に生きる人をみると、先ほど言ったように、砂漠でオアシスの気分になるのである。

この論は、帰りの電車で、ますます深まっていった。そういうふうに創造的に生きる人の人生は、無個性な味気ない人生よりは豊かなようにもみえるけど、必ずしも万人に薦められるような模範にはなり難いなぁ、と。徹底的に創造的な生き方を貫き、結局自殺しちゃった芸術家の名前がぽんぽこぽんぽこ挙がる。そうかぁ。

guttino さんの説では、芸術家の中には、自分の魂を削って作品に込めるような姿勢で制作に取り組む人が多くいるという。そこへ徹底的にのめり込むと、魂を削って削って、結局なくなってしまうのではないか。そうなったら死ぬしかなくなるのではないか。うーん、そう考えると、オアシスどころか、不健全な活動なのか。

えーっと話が大幅に逸れたけど、guttinoさんもやはり男性の人形を2体、連れてきてくれた。一人は、セーラー服の男の子。まあ、自慢じゃないが、セーラー服を着た男性というものには、私も多少、なじみを感じないわけではない。...なーにを言ってんだか。guttinoさんのはスーパー美少年。というか、着せるものによって性別が違って見える、中性的な存在。セーラー服を着せたのは、映画「ベニスに死す」が好きだからオマージュとして。タジオを演じたビヨルン・アンドレセンは、それ以外の映画に一切出演しなかったという伝説の美形俳優。

私は残念ながらその映画を見ていない。というか映画はめったに見ない。じゃあコンセプトもろくに理解しないままにその人形を撮ってたのか、と言われると、もう、消え入りたい気分である。ごめんなさい。け、けど、まあ、それはそれとして、かわいく撮れてるんじゃ、ないかな、と...(消え入りそうな声で)。

もう一体は、ロシアのバレエダンサー・振付師のヴァーツラフ・フォミッチ・ニジンスキー(1890─1950)。代表作にドビュッシーの管弦楽曲「牧神の午後への前奏曲」による「牧神の午後」(1912年)がある。1919年には精神衰弱のため引退していて、映像はひとつも残っていない。ニジンスキーのファンは、みんな写真だけでほれ込んでしまうという。

さて、guttinoさんがニジンスキーを作ろうと思ったきっかけは、井桁裕子さんの人形の個展で吉本大輔さんの舞踏を観たことからだそうである。学生の頃は山海塾、田中泯、北方舞踏派など見ていたがその日鍛えられた筋肉の美しさを再認識させられ、そして舞踏家を作るならいっそ伝説のダンサーであるニジンスキーを作りたいと思ったとのこと。またピカソ、コクトー、サティ、ドビュッシー等天才達の集まっていた1910年代および少し下ったあたりの時代に憧れを感じていたからということもあるそうで。

すいません。さっぱり分かりません。芸術に理解をもたぬ人間が増えて嘆かわしいのうんぬんかんぬんと他人のことをとやかく言ってる場合じゃなかった。決定的に、勉・強・不・足。嘆かわしいのは、俺だ。深く反省します。

【GrowHair】GrowHair@yahoo.co.jp

もし仮に、「寝るときは頭を北に向けてはならない」とする北枕禁止法が施行されたとしたら、どうだろう。まずかろう。まず、他人の福祉に反しない限り、個人の思想や言動の自由を最大限にまで保障するとする憲法に違反する疑いがある。社会通念といったって、個人個人の思い込みが、社会全体にわたって、なぜかたまたまベクトルの向きがほぼ揃っちゃったというだけの現象にすぎないのであって。その思い込み自体に論理的な根拠はなく、普遍性は成り立たない。地域によっちゃ、ベクトルの向きがそっちを向いていないかもしれないし、時代が変わればいっせいに向きが変わってくることもありうる。もともと個人の主観や信仰に属することを多数決の力で束ねて法制化することには違和感を覚える。そこには、思想や習慣が周囲と異なる人をよってたかって迫害する、いじめの精神さえにおってくる。

娘に「玻南(はな)」と名づけようとしたが、「玻」の字が戸籍の名前に使える漢字リストになかったために受理されなかったのに対して、これを不服として受理を求める裁判、ついに最高裁ですか。単純には、法に則って拒否されたことに対して、法を知らなかったからといってゴネてるだけのようにも見えるけど、この戸籍法、さきほどの仮想上の北枕禁止法のニオイがぷんぷんと漂う。私の個人的な感覚としては、「瑠璃も玻璃も照らせば光る」の「玻」の字、ごくごく普通で、特段に特殊な字を探し出してきたという感じはしない。くだんの親は、まさかこの字が駄目とは思ってもみなかったことだろう。何でこんなところに国家権力が介入してくるんだというお怒り、よく分かる。がんばってほしいなぁ。

それよか、あれだ。DQNネーム。すごいね。人の名前とはかくあるべし、という固定観念を木っ端微塵に粉砕してくれるね。もはや現代アートを見たときの感覚に近い。考案した人の発想の超越性にただただ感服し、こちらの頭の固さを反省するばかりである。「戦争(せんそう)」「大麻(たいま)」「煮物(にもの)」「黄熊(ぷう)」「ハム太郎(はむたろう)」「光宙(ぴかちゅう)」。「羽姫芽(わきが)」「亜成(あなる)」「希空璃(ふぐり)」。「誠太郎(せいたろう)」と「賢一郎(けんいちろう)」ってまともじゃん、と思ったら姉妹なのね。戦争ちゃんもふぐりちゃんも女の子。「金星(まーず)」、おいおい合ってないから。「飛哉亜李(ひゃあい)」。って、これだよね? 「ヽ(゜∀。)ノヒャアイ!!」。顔文字。あの巨大掲示板の住人がリアルで結婚して子供作ったってことか。いやはや恐れ入りました。ヒャアイとしか言いようがない。
< http://dqname.jp/
>

< http://www.geocities.jp/layerphotos/Dolls0911B/
> 今回の写真
< http://yahiro.genin.jp/rougetsu.html
> 人形作家10人展「臘月祭」

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■編集後記(12/4)

・「鳩山内閣メールマガジン」を読んでいる。毎週木曜日発行で、一番新しいのが第9号である。このメールマガジンは、......予想通りまったくおもしろくない。読むべきは読者の感想である。これはリンクされた先(首相官邸サイト)にあり、読者による前号の評価と感想が掲載されている。主催者発表だから数字はそのまま受け取れないが、評価はいちおう好意的だ。興味深いのは感想(1件120字まで)で、1251件(うち自由意見1057件)から100件ほど掲載されていた。各コラムに対しての感想は○だけでなく△や×の意見もある。おもに事業仕分けについて書いた鳩山コラム「『しがらみ』との決別」を仕分けてみると、全部で70件、○19、△14、×37となる(直感的に分けたから正確とは言えないが)。仕分けを○とするが14件、×が13件、△が9件で、バランスを考えた配置か。仕分け以外で鳩山首相に対する意見は○△が合わせて9件なのに対し、×が24件と悪い評価の方が圧倒的に多いのはどういうわけだ。その他にもなかなか辛辣な意見があり、どうせ民主党に都合のいい意見集に決まっていると思っていたので正直驚いた(外国人参政権には絶対反対という意見も5件あった)。まともな編集しているのか、戦略上こうしているのかはわからないが、いちおう国民の意見を聞くポーズをとっているので、メルマガ登録して、どんどん意見を書き込んで送るといいと思う。ただ、このページは首相官邸サイトのトップから辿れないのはなぜだ。不都合な真実だからか?(柴田)
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・北枕で寝てる。窓への動線を考えたら、どう考えても北枕しかなかった。磁場の関係とか、頭寒足熱だとかで北枕の方がいいらしい。偉い人しか北枕で寝てはいけなかったからという説もあったり。お釈迦様が死ぬ時に北枕だったのは、普段から北枕だったという話も。なのでお釈迦様と同じ北枕で寝ている不遜なワタクシ。法案ができたら洗濯物干しが不便だわ。/「科学」と「学習」おまえたちもか。うちの甥らに、遊ばせてあげたかった......。本当にお世話になりました。付録ではキットはもちろん、冊子も面白かった。お殿様に褒美を聞かれ、お米をひと粒、翌日にはその倍ずつ30日間くれ、と言った男。最初はまわりに馬鹿にされていたのに、途中でお殿様の蔵がからっぽになり、お殿様からギブアップの申し出があったという話は今でも覚えているなぁ。/所得税、住民税の扶養控除廃止。配偶者控除の廃止は先送り。子供手当があるとはいえ、親を扶養している人は大変。年金があるからいいのか。(hammer.mule)