[2828] センチメンタルにノスタルジック──【GinEn】展を観て

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《一度にいくつものことなんか考えられない!》

■武&山根の展覧会レビュー
 センチメンタルにノスタルジック──【GinEn】展を観て
 武 盾一郎&山根康弘

■グラフィック薄氷大魔王[217]
 「スーパータスカー」じゃない人へ
 吉井 宏



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■武&山根の展覧会レビュー
センチメンタルにノスタルジック──【GinEn】展を観て

武 盾一郎&山根康弘
< https://bn.dgcr.com/archives/20100407140200.html
>
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武:どうもですー

山:こんちわー。昨日はおつかれさまでした! ってことで昨日の余りの酒を呑む。けっこう残ってるぞ。

武:お疲れさまでした! 昨日の記憶がほとんどない。まあいいやw

山:油そば食べたん覚えてる? < http://twitpic.com/1cw0kb
>

武:なんとなく。ところで、どうしたんですかその腫れ上がったクチビルは?

山:いやー、とある飲み会でですね、ちょっとその日は疲れてたんですよ。そしたらなんか気を失って倒れたらしくってですね。おもいっきり顔面から落ちた、とw 記憶はない。

武:それって急性アルコール中毒じゃね?

山:そうみたい。

武:大丈夫かよ。こっちが恐いわ!

山:前歯はグラグラしてるわ唇は5針縫うわでたいへんやで。金が。

武:マジでひくわ、それ。

山:まあよくあることっちゃよくあることやねんけどね。

武:ないだろ、フツー!

山:わっはっは! みなさん気をつけましょう! 倒れる時はきっちり受け身をとって下さい! くそう、一応柔道初段やのに。

武:意識失ってしまったら関係ないだろ!

山:そうか。。さて、ではそろそろ本題に行きますか。

武:ほいな。


●【GinEn】展/東京アートミュージアム


山:今回は初めての場所ですねー。ところは仙川「東京アートミュージアム」で開催中の【GinEn】展。写真展です。
  < http://www.tokyoartmuseum.com/
>

「伝統的であり、最も一般的であった写真現像方法である銀塩写真がいま、古典的な表現手段となりつつある。そんな中、写真表現の世界で長く活動を続ける作家5人が、銀塩写真を新たな手法として、それぞれの独特の視点、プロセスを持ち寄ってひとつの空間に集い、視覚表現の再考を提示する。」とある。


武:駅前の桜は満開でした! 天気は悪かったな。2004年にオープンしてるんだね、俺も行ったの初めて。

山:結構たってるんやな。建築は安藤忠雄。

武:そうみたいですねー。で、道挟んで向かいにある建物も一連なんだよね。

山:受付の兄さんと話してんけど、どうやらその先にも新しいマンションを建設するらしく、それで「安藤ストリート」が完成するみたいです。


武:へえー。向かいのプラザ・ギャラリーだっけか? あれは20年くらい前からあったとか言ってなかった? < http://www.plaza-gallery.com/
>

山:あ、そのギャラリーは結構昔からあったみたい。

武:オーナーさんは一緒みたいだよ。

山:受付の兄さんと話したん?

武:はて、受付はお姉さんだったような。。もう何を見ても女性に見える。。

山:病気やないかw


武:「個展のDM置かして頂けますか?」って聞いたら、「道挟んだはす向かいがTAMのミュージアムショップでプラザ・ギャラリーっていうんだけど、伊藤さんって方がオーナーなので聞いてみて下さい」って言われて、行ってみた。あそこら辺一帯の大家さんってことなんかな、「仙川から芸術を発信してます」と。

山:ギャラリー二つぐらいあったんちゃうか。僕が行った時は写真展の展示作業してたな。


●TAM(東京アートミュージアム)で展示するとしたら


武:「TAM(東京アートミュージアム)で展示します」ってなったらどうよ?

山:展示しにくいなー。なんかいろいろできそうで、やっぱできない、みたいな感じ。平面じゃなければいろいろできるんかもしらんが、多分作品数をすごく少なくしたくなる。

武:なんかね、正直居心地が良い空間とは言えないなあ。なぜか恐く感じたんですよ。靴音は響くし、重くて冷たい感じだし。一番上に昇ってみるとことさら恐いんですよ、押し潰されそうな感じ。

山:恐い? 恐いとは思わんかったけど。細長いんですよね。
< http://reikoyamamoto.blogzine.jp/senkawa13 >
< http://www.182ch.net/reports/report017/sengawa.htm
>


武:どうもあの「コンクリート打ちっぱなし」があまり得意ではないんだなあ。なんつか、こう、活発に物品が流通していかないようなイメージw

山:なんじゃそりゃw

武:なんだろうなあ。。「旧ソ連」みたいなw

山:ほう。僕はそんな印象持たへんかったけど。

武:俺はあのコンクリ全部覆いたい。あの場合、空間の独特さに合わせた展示とかしたくないって思っちゃうなあ。長っ細い空間自体はいいんだけど、コンクリートと窓の付き方がものすごく気になる。あと階段の狭さとか。

山:あの窓、確かにちょっと微妙やね。横に細長い窓。作品見る時に光入ってきて見えないんですよ。

武:絶対あれ作品のこと考えて設計してないよなw 安藤忠雄が筋骨隆々の上半身を誇示しながらボクサー・グローブはめてファイティング・ポーズで「俺の建築に勝ってみろ!」って威嚇されてる感じw

山:ふむ。なんせ展示しにくいと思うわ。

武:それは「ホワイト・キューブ」に慣れ過ぎてしまったせいなのだろうか?

山:それもあるかも。


武:なんつーかなー、作品よりも建築が気になってしまうわな。それってミュージアムとしてはどうなん? 例えば映画館で上映室の設計が気になって仕方なくなったらヘンじゃね?

山:例えばですね、近所にこんなとこあるんですよ。前に展示やってて観に行ったんですが。最近もやってたけど。銭湯の二階で、そこも銭湯として使われててんけど、今は使ってなくてスペースだけ残ってる。そこを貸し出してる、と。これおもろいとこやったんですよ。古い銭湯。
< http://yawarakanautsuwa.blogspot.com/
>


武:ああ、こういうんなら分るんですよ。もともと展示用の空間ではないと。ストリートだってある意味そうだよね。で、地場・空間と対話しながら作品を「インストール」していく、と。

山:ただね、そこに作品があっても、どっちかというとスペースの方が面白いというか。。まあ、うまく使ってる作品もありましたが。

武:展示していくプロセスそのものに重点が置かれるよね。

山:実際に空間と対話しながら制作していく、という作品ならええかもしらんけど、外で作った作品をただそのまま持ってきてそこに展示しても、場が強いとなんか繋がらへん。


武:アーティストが「その空間にどのようにコミットしたのか」が作品になるんですよね。

山:それやとわかるねんけどね。

武:うん。でも全く対話しないで置いてみたらどうなるかっていうのもやり方としてはありじゃん。

山:確かに方法としてはありやろね。でも、それやとやっぱりその「場」との戦いに勝たなくてはならないw あえて負ける、というのもありか。

武:そういう「関わり」を見せるってことにはなる。

山:どっちゃにしてもそこらへんをよく考えた作品の方がおもろいやろね。

武:そうね、「どのように空間と対話したか」だよね。

山:そうそう。


武:あ、あと入り口が狭い! 分りづらい! 一体何処から入るんだ? と焦ったよ。

山:あー、わかりにくかったな、入り口。看板的なものがないんよね。ガラス扉で中が見えるので、一応わかったけど。

武:それにしても分りづらいよ。

山:そうやね。

武:行ったことないけど、もの凄く高い料理屋さんとかで屋号とかも出してないようなのってあるじゃないですか、なんかそんなん。特別な人しか受け入れて貰えない感じ。

山:そう、、、か?


武:入場料300円ってのがまあ面白いところだなあと思った。無料だと経営が成り立たないんだろうし、もうちょっと高いと「えーっ」て感じだしね。なんとなく300円くらいなら払ってもいいか、みたいな気持ちにはなる。

山:それは良心的、というかどこでもそれぐらいの値段にしてくれっちゅうねん。電気代ぐらいにはなるんかな。いや、電気代けっこうかかるか、あそこ。

武:かかりそうだなw 空調代とね。

山:そうやね。

武:そうだと赤字だよね。

山:まあでも300円はいいと思います。


●安藤ストリート


武:まずは『安藤ストリート』をじっくり読んでください。
< http://reikoyamamoto.blogzine.jp/ynot/2007/09/post_53d3.html
>
  「最後に安藤氏は書いている。『街をつくるのはあくまでそこにいる個人なのだ』。人がいるから、街と道ができるのだ。」

山:ほう。そういう背景やったんか。


武:いやさ、通称「安藤ストリート」ですか。なんだかちょっと異様ってのは言い過ぎだろうけど、違和感あったもん。それがいいのか悪いのかってことじゃなくて。この一角はなんだろうなあ? ってそっちの方が印象が大きい。TAMの内側の空間もそう。展示されるどんな作品より、伊藤容子さんの「安藤ストリート物語」の方が面白そうだもん。多分あの一角が全て伊藤さんの作品で、その中に伊藤さんご本人が作品として居る、みたいな感じ。なんつか、安藤建築じゃない方がいいじゃん、とすら思ったんすよ。

山:うん、別に安藤建築じゃなくていいw


武:荒川修作の方がよくね? 仙川反転地w
< http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8D%92%E5%B7%9D%E4%BF%AE%E4%BD%9C
>

山:それはどうやろw まあ安藤建築やと、色んな意味でわかりやすい、っちゅうのはあるかもね。実際それを見に来る人も多いみたいで。

武:最近思うんはね、いわゆるこういう特徴のありすぎる建築って、特に暮しと密接な場合は向かないんじゃないんかなあって思うんですよ。

山:養老天命反転地は住んでる訳じゃないんやろ。

武:そう。養老天命反転地は住宅ではないから奇想天外でいいんだけど、「安藤ストリート」は住む所もあるじゃないですか。


山:ずっと暮らすことによって、次第に慣れてくるもんやと思わんでもないが。

武:そうなんかねえ。絵やグラフィックや漫画やCGの中で「オシャレでカッコいいクールな(殺風景な)街」って描かれたりしてたわけじゃないですか。それが実際に街にドカンと現れてみると、なんだか据わりが悪いとかってない?

山:ふむ。そう言えば先日川口にSWAMPの面々で行きましたが、あそこも不思議な風景やったねー。

武:そうそう。なんだか殺風景なんですよ。「絵に描いた餅」が現実に出てきちゃったような。

山:僕もあの風景には違和感を感じた。だけどすごいいっぱい人が住んでて、みんなお花見してたり。はたしてみんな、どういう風に感じて過ごしてるんかな、って思た。

武:ゲームの中に居るような感覚に近いというか。リアル・セカンド・ライフ。

山:セカンド・ライフやったことない。


武:街ってさあ、不思議だよなあ。

山:そうやね、、って話とびすぎやなw 「安藤ストリート」には、なんていうんやろ、妙な「自足」感を感じたような。妙な。

武:そうね。発信というより、ここの閉鎖空間で事足りてるというかね。

山:あきらかに異質やし。

武:異質だよね。

山:広がる気配がない、というか。あの通りだけ、みたいな。

武:そうですね。そのコンパクトさもね。「閉じた世界」は僕の好みではあるんだけどね。

山:そう考えると確かにオーナーさんの一個の作品的な感じあるな。

武:あるある。オーナーの伊藤さんの小宇宙に迷い込んだ、的なね。モダン小宇宙「安藤ストリート」。


山:でもカオス的なもんがないからちょっと不安になる、ってとこもあるかな。

武:あるある。それが「恐い」く感じたんだ、俺。

山:なるほど。なんか美術館の個々の作品も閉じ込められてしまってるように思えてきたな。きっちり配置されてしまってるというか。ここは芸術をするところです。はい、感動して下さい! みたいな、、あ、でも美術館ってそうか。

武:そうねえ。

山:なんやろな、出口が必要なんかな。

武:そうですねえ。「帰る手続き」、かあ。

山:閉じ込めてしまうんやなくてね。何処に帰るか、っていうのも考えるとこやけど。


武:あの狭い入り口から出るってのもなあ。あれさ、上に出口があったら面白いんじゃね? で、道路の上を渡ってプラザ・ギャラリーのミュージアム・ショップに行くの。

山:ああ、それいいな。上に出口はいい。

武:美術館ってさ、ミュージアム・ショップでペナントを買うのが、「帰る手続き」なわけでしょ。お参りに行ってお守り買うようなもん。

山:そうしてあげるとわかりやすいわな。

武:それが「行った実感」になるし、それが「帰る手続き」でもあるんだよね。

山:そういうとこはある。


●5人の写真家


山:で、今回は5人の写真家の展示、と。

武:やっと展示の話だなw 入って最初にあるのがモノクロの人ですよね。

山:小平雅尋。1972年生れ。『続きの代わりに』というシリーズから出してるみたいです。「社会と自然の関係を探りながら、無意識の感覚を引き出し、根源的な問いへ向かった」とある。これ、展示は若い人から年齢順になってるんやな。

武:若い順なんか、なんかオモロいな。俺はこの写真好き。
< http://www4.ocn.ne.jp/%7Ekodaira/media/DIR_10/DIR_5601/tudukisunbird001 >
(本人のウェブサイトより < http://www4.ocn.ne.jp/%7Ekodaira/11.html
>)
  なんつか、まだ視点が固まり切ってないというか、切り取るスタイルは揺れてる感じはあるような気がしたなあ、では次の方どうぞ〜。

山:え! そんなサクッといくんか。


武:え、まだなんか言う? とりあえず一番好きな写真がサイトにあったんで俺は満足w 若いので頑張って下さい! 俺も応援します! 俺のことも応援して下さい! 応援するなら金送って下さい!

山:たぶん武さんのこと知らんと思うで。。

武:まあね。こんな知らないところで言われてるなんてねえ、アーティスト冥利に尽きるじゃないですか。

山:えっと、「無意識の感覚を引き出して根源的な問いへ向かった」とあるけど、どうなんやろ。社会と自然の関係を強く意識した、というのをあまり写真からは感じなかったが。


武:例えば上記の俺の好きな写真だとさ、空、雲、鳥、太陽なんだけど、それらを名詞的に捉えてるのではないじゃないですか。一瞬「何の写真かな?」ってなるでそ。それが「無意識の感覚を引き出して」ってことなのかな。部分の切り取り方で一瞬「?」って感じさせてる写真というかね。個人的には好き。

山:うーん、僕の感覚では、寄りの写真よりも引きの写真の方がよかった、空とか、海とかの。寄りの写真は部分じゃないすか。むしろ、無意識というよりも作家の自意識を感じたんだが。自分が、ここを観ている、という。

武:例えばこれとかね、良く撮れてるんだろうけど、ちょっと方向性が違う感じだよね。
< http://www4.ocn.ne.jp/%7Ekodaira/media/DIR_10/DIR_5601/tudukihosen001 >


山:きれいな写真やね。

武:ザ・舟、水、空、雲!って感じしたんだよな。

山:そうなんか? むしろこっちに抽象性を感じた。

武:うーん、そうかあ。なぜか印象には残るんだけど。

山:というわけでいいたいこと終わりw

武:では、お次の方どうぞ〜。


山:えっと、糸井潤。1971年生まれ。『廓寥(かくりょう)-Empty Sky』
< http://www.junitoi.com/works/emptysky/emptysky_j.html
>
「数々の移動を繰り返して来た僕は或る日空を見上げてみる。その空は様々な場所で過ごした時に仰いだ空と変わらずに虚無を携えていた。そこで出会った人々はその「場所」に留まり、移動を繰り返すのは自分ひとりだけだと思えて来る。そしてその「場所」と「人々」の記憶は、ピントがいつまで経っても合わないレンズから見える光景のように霞み、薄れて行く。」

この方は技法がどうなってんのかわからんかった。蝋でプリントをはがしたって書いてあったけど、どうやんねん。写真というよりも版画やな、と思た。


武:なんつかね、要素多過ぎ。紙のハジッコになんかくっつけて、パンチ穴あけて、蝋みたいな感じになってて、透明のアクリルケースに入っているでしょ。箱庭的なんだろうけどね。紙のパンチ穴要るんかなあ? とか思った。気持ちは分るけどさ。なんだろう時を封じ込める感じっていうのかな?

山:そんな感じなんやろね。パンチ穴はファイリングをイメージしてて、とか。

武:なんかしらの郷愁というかノスタルジー表現なんだろうけど、普通にピンのボケた写真をガッツリ見せるんじゃダメなんかなあ? とかね。

山:絵が好きなんかな。

武:ああ。ジョセフ・コーネル好きだよね、絶対。

山:コーネル? どうやろ。

武:まあそんな感じw  では次行ってみよか!


山:えっと、鈴木信彦。1964年生まれ。『TOKYO SPIRITUAL』
< http://www.ac.auone-net.jp/%7Etokyo-sp/
>
「華やかな都会の夜の街を背景に哀愁に満ちた満たされない想いや自分自身に忠実に前向きに生きる人々の切ない一瞬の表情を切り取った写真です。」


武:ふむ。明快ですよね。

山:なんか安心したりする。

武:そうですね。首尾一貫してるってことですよね。

山:そうやね。正面にこっち向いてる女の人の写真があったけど、やっぱりちょっとドキッとしますねー。


武:さっきの人までが年下なのかあ。若いときの方が理屈っぽいんかね。

山:理屈っぽいというか、積み重ねて行くと理屈と表現が合って来るんじゃあないでしょーか。

武:そうね、「あーだこーだ」言うより作品見せた方が早くなるっていうかね。もう多くを語らなくても良くなるんでしょうね。

山:いや、理屈っぽい人は歳いっても理屈っぽい。

武:わはは! けど、歳食って来ると作品が明快にはなるんだなあ、それが評価されるかは別としてさ。

山:やっぱりいろいろそぎ落とされたりして、洗練されるんやろね。

武:「その人でしかない仕事」になるんだろうね。そう思うとアーティストって面白いなあ! って希望が湧いて来るよ。


山:では次。大塚勉。1951年生れ。『Trans Body』
「この作品はモノクロの印画紙を一週間ほど沼に沈め、それをそのまま作品にしたものです。そのため、季節やその他の要因によって左右されるため、色合いが微妙に変化しています。写真は合成された身体で構成され、解体と再構築そして融合さらに溶解へと変容を重ね、二つの身体(男性・女性)と《支持体》としての印画紙に刻まれた自然などが、それぞれの境界線を行き交っています。」


武:作家のサイトないなあ。。。
< http://www.ississ.jp/history_1993-2001.html#Tsutomu%20Otsuka
>
  20代だったら好きだったろうなあ、これ。って思ったw 「エロス&グロす」。なんだろう、シュールレアリスムって捉えてもいいのかしら。

山:あの色合い、表面の荒さ、重厚感、って懐かしい。確かに昔はすごい好きやったはず。

武:作り込み系写真で、どちらかというと絵画ですよね。なんか時代を感じちゃうw

山:沼に沈める、っていうのもなんかすごいな。前にも観たことあるかも。。

武:そんな感じするよね。というか、こういうの俺たち描いてた気がしない?

山:方向性は似てる、似てた。


武:なんか、作品観てるとね、共感と懐かしさと同時に「痛々しさ」がこみ上げて若干自己嫌悪に似た感覚になったんよ。これを歳食っても作るカア。これ、キツくないかなあ。50歳超えて作るの。

山:そんなw  ええやんか別に。この方の昔の作品は知りませんが、まあ、一つの形式になってるんやろね。

武:還暦になったら花鳥風月やりたいだろ、日本人ならw

山:別にそうとも限らんやろw

武:内田裕也は還暦越してもロックだからなあ。。なんつかなあ、「過激」という古典、っつうのかなあ。

山:古典になるのか。もはや。

武:古典だよね。ロックもシュールも。ポップもね。そんな感じで次行ってみよか! いよいよオオトリですね。階段を昇った2Fフロアに展示されてるのが。


山:田村彰英。1947年生れ。『黄昏の光』
  「解体されてしまった、名も無き工人により作られた建築を100年前のレンズと8×10フィルムを使い、記録した作品です。」
  僕が生まれた年にNY近代美術館に作品が永久保存されてる。

武:これぞ「ザ・ノスタルジー」ですね。といっても「モダン」ね。モダン・ノスタルジー。写真の存在を考えるとさ、ど真ん中だよねこういうの。ところで「モダン」ってなんだったんだろうね。

山:なんすかね。

武:ものすごく大きなトゲがノドに刺さったまんま、みたいなね。

山:モダンが?


武:そうそう。今や銀塩もキューポラもなくていいものでしょう。なんか毒っぽいし。モダンってそういうトコあるよ。で、その「毒のようなもの」が今ノスタルジックなんすよ。簡単に滅びてもいけない。ていうかさ、モダンより遡らないんだよ。そこでいつも歴史が途切れる。モダンより昔になると、これまた「ファンタジー」のような扱いというか「フィクション」になってしまう。

山:遡らないということは、何かが始まった、ということやろね。モダンとは。
< http://d.hatena.ne.jp/keyword/%A5%E2%A5%C0%A5%F3
>


武:で、現代ってモダーンはもう要らないものになっていて、朽ちていく様がなんらかの郷愁を誘うというかね。俺らだと「モダン」と「コンテンポラリー」で線引きがなんとなくあるような。

山:印象としてあるわな。そういう線引き。

武:モダンは古いんだよね、要するに。モダンなのにw

山:モガ、モボ、大正デモクラシーw みたいなイメージもある。

武:モダン問題w これ難しい。

山:「モダニズム」とかになってくるともっとわからん。モダン、っていうからわかりにくくなるところあるんちゃうか? 「近代」って言えばもうちょっとわかりやすいんちゃうか。ただの時代区分だから。18世紀以降なんやね。
< http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%BF%91%E4%BB%A3
>

◇ノスタルジーとセンチメンタル/モダンと現代美術


武:写真ってさノスタルジー装置だよね。

山:あ、そうそう、そこいうの忘れてた。今回ね、僕も思たよ、それ。例えば5人の作家の言葉が非常に気になった。「虚無、記憶は霞み、薄れて行く。哀愁、満たされない想い。黄昏、名も無き。」などなど。ノスタルジック、と言うかなんだこのセンチメンタリスティックな展示は! とか思た。

武:ああ。センチメンタルねえ。田村彰英の写真はセンチメンタルなところは感じるけどノスタルジックな気もした。

山:撮ってるものが撮ってるもんやからかな。

武:ノスタルジーとセンチメンタルはちょっと違うな。「ノスタルジー=郷愁」「センチメンタル=感傷」かな。

山:そうやね。たぶん。


武:そう考えるとセンチメンタルな展示ではあるなw

山:非常に感傷的な印象。郷愁というよりそっちの方が強く感じたかも。

武:多分、「安藤ストリート」がセンチメンタルなんですよ。

山:わはは。

武:いや、なんかそんな感じしない?

山:どうやろ、あまり感じなかった気がするけど。。

武:センチメンタルって流行ってるのかな?

山:しらん。

武:新しいものを追い求めなくとも時代がどんどん加速してくし、なんか追い越されちゃってくっていうかね。もう根源的に必要なものは揃っていてさ、不必要なものが加速してるんじゃないかなあとか。

山:写真って、現代美術には欠かせないものになってるよな。記録、写真に撮ることで作品成立するじゃないですか。むしろ記録しないと成立しなかったり。

武:もうちっと分かり易く。


山:写真に撮って記録することによって、事象が確定する。出来事ね。

武:例えば、SWAMPがワークショップやるとするじゃないですか。その時に記録写真係が必要でしょ。そういう意味での写真ってこと?

山:そう。なんて言うんかな、作品を作る、作品を飾る、などの行為があるでしょ。その行為を写真なり映像なりで記録する。その記録を発表することによって作品として成立する。例えば絵画を発表する場合でも、それを写真に撮って行為そのものをウェブに上げるなりポートフォリオなりにしないと認められない、みたいな。

武:ああ。出来事を写真なり映像なりに閉じ込めるということだよね。それって案外「フィクション」なんだけどね。それをアーカイブと呼ぶよな。

山:アーカイブ化しないとダメ、みたいなとこあれへん?


武:プロセスをアーカイブするってのは、つまり「物語」ってことですよね。物語が欲しいんじゃないのかな。即物的に作品そのものだけを手にとればいいんだろうけど。かつてはみんな共通の物語を共有してたんじゃないのかな、なんとなく。けどその「物語」は崩壊してしまった。なので個別に「物語」が必要になって来る。

山:そうそう。物語。アーカイブするってことは物語化、続いて歴史化するってことに繋がるよな。で、その場合、写真そのものが作品ってことではないですね。

武:そだね。写真はあくまでもアーカイブ。

山:そうすると、写真そのものを現代美術として作品にしようとすると、写真の写真を撮らなくちゃいけないのか?w そんな人おらんのかな。あ、杉本博司か。杉本博司はモダニストを自任してるな。
< http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%89%E6%9C%AC%E5%8D%9A%E5%8F%B8
>


武:「作品」にしっかりと帰着させられてるかどうか、ということなんかもね。杉本博司や河原温のような現代美術作家は平面で「時間」を取り扱ってるんだよね。「シャッターの瞬間」とはまた違った時間軸を動かない絵なり写真なりに封じ込める。うん、閉じ込めてるんだよ。
< http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B2%B3%E5%8E%9F%E6%B8%A9
>

山:確かに作品って閉じ込めるな。何かを。平面は特にそうなんか。出口はないのか。

武:杉本博司の作品って出口ないよな、帰れないw そんな感じしたよ。

山:ははw モダンって出口ないんかw

武:入る時がちょっとしんどいけど、いったん入っちゃうと出られない。モダンって閉じちゃってるんだなw


山:ということは安藤ストリートはやっぱりモダンw

武:モダンだね。なんかさ、仙川駅に戻る時になんでだか、ものっそい空しいというか切ないような哀しい気持ちになったんよ。なんでだろ? 決して「未来」を垣間見た気がしない。

山:展示にしてもそうやけど、どうしてもノスタルジーなりセンチメンタルなり、過去との関係が強い。ん? センチメンタルはどうなんやろ。「感傷」とは、物事に感じて心をいためること、とある。何に対して心を痛めてるんやろ。

武:忘却してしまうこと。または忘却されてしまうこと。

山:僕は酔っぱらって忘却しまくってますが、悲しくないぞw それともそれすら忘れてるだけかw

武:写真でその忘却が防げるかというと、そんなことないかも知れないけど、ある情感を醸し出すスイッチにはなるよね。人には感傷が必要なんだよ。


山:ということは、やっぱり過去を閉じ込めようとする行為、ってことか。

武:閉じ込めて置いたそれ(=作品)を見るといつでも感傷スイッチが入って、センチメンタルに浸れる。一通り浸って蓋を閉じればまたいつもの現実が待っているけど少しだけ風景が違って見える、とかw ちゃんと帰って来れればの話だけどね。

山:で、武さんは帰って来れたん?

武:僕はずっと居続ける覚悟を決めたのですw というか帰らされた。モダンから追い出された。だから哀しくなっちゃったんだw

山:現代からもモダンからも拒絶w どこいくねんw

【GinEn】展/東京アートミュージアム
< http://www.tokyoartmuseum.com/
>
会 期:2010年1月9日(土)〜2010年4月18日(日)11:00〜18:30 月火水休
入場料:一般300円/大高生200円/小中学生100円

【武 盾一郎(たけ じゅんいちろう)/絶賛引き蘢り中】
アーティスト活動歴15年目の初個展『Real FantASIA』是非来て買って下さい!
< http://take-junichiro.tumblr.com/post/371808706/real-fantasia-press-release
>
会期:7月9日(金)〜7月18日(日)11:00〜19:00 ※12日(月)休廊
会場:gallery TEN(東京都台東区谷中2-4-2)
< http://blogs.dion.ne.jp/blogten/
>
take.junichiro@gmail.com
twitter  < http://twitter.com/Take_J
>
Ustream 制作ダダ漏れ配信
< http://www.ustream.tv/channel/Take-Junichiro-live-drawing
>
Take Junichiro Art works
< http://take-junichiro.tumblr.com/
>
246 表現者会議
< http://kaigi246.exblog.jp/
>

【山根康弘(やまね やすひろ)/前歯にノスタルジー】
yamane@swamp-publication.com
twitter < http://twitter.com/swamp_jp
>
SWAMP-PUBLICATION
< http://swamp-publication.com/
>

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■グラフィック薄氷大魔王[217]
「スーパータスカー」じゃない人へ

吉井 宏
< https://bn.dgcr.com/archives/20100407140100.html
>
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街で、動きのおかしい人やクルマを見ると、やはりケータイしながらだったりする。「運転と携帯を同時にこなす人は稀に存在」って記事がありました。同時に複数の作業ができる「スーパータスカー」が40人に一人の割でいるらしい。逆に言えば、「スーパータスカー」じゃないほとんどの人は、一度に一つのことしかできないってことなんですが。
< http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20100405-00000001-natiogeo-int
>

200人を対象に実験したところ、複数の作業を同時に行うと、ほとんどの被験者はどちらの作業もうまくできなかったそうだ。ところが、200人中5人は同時に行っても問題なくこなし、さらに2人は同時に行うほうがうまく作業できた、とのこと。少なくとも僕はちがうなあ。うらやましい。

仕事しながら音楽聴くことさえ、基本的に僕はできない。日本語の歌詞が入った音楽やトークのポッドキャストは完全にダメ。耳が言葉を理解しようとし、今考えるべきことがすっ飛んでしまう。絵の塗りとかフィギュアのサンドペーパーがけみたいな単純作業のときは大丈夫だしトランス状態になったりしてキモチイイんだけど、考えたり判断したりを含む作業のときにはまったくダメ。くだらないミスを頻発したりする。

音楽をかけながら仕事してると、リラックスしたり明るい気持ちになったり、空気が良くなる。でも、音楽聴きながら仕事ってことで同時に二つのことをしてるんだから、気分的には忙しく充実して感じても、明らかに効率も質も落ちるようです。充実した時間と思うのは錯覚でしょう。

「アニメーターズ・サバイバルキット」って本に書いてあったこと。

......「多くのアーティスト同様、仕事中に音楽を聴く習慣があった私は、ミルト・カール(ディズニーの黄金期を支えた伝説的アニメーターの一人)の仕事場で無邪気に彼にこう聞いた。『仕事中に音楽は聴かないの?』

ミルト『なんというくだらない質問だ! こんなバカげた質問は初めて聞いた!!』『ぼくはそんなに器用じゃない! 一度にいくつものことなんか考えられない!』

天才の発した言葉は強烈だった。それから私は静寂と向き合い、むやみに鉛筆を動かす前に考えることを覚えた。私のアニメーションはすぐ向上した。私がこの知恵を伝授すると、多くのアーティストは同じ過程をたどる。自分たちの作品の出来があまりにも良くなったことに驚いていた。」

......だそうです。この本、実践のところはあんまり見ないけど、序章や余談のところが役に立つし刺激になる。

昔、ラジオを聴きながら受験勉強みたいなスタイルがありましたが、不思議でした。当時やってみたところ、まったくダメで、何も頭に入らなかったので。ラジオ聴きながら勉強してるよって言いふらして油断させ、ライバルを蹴落とす作戦だったのかもね。

また、スタバなどでイヤホンしながら勉強したり仕事したりしてる人をよく見かける。周囲から自分を遮断して勉強に集中するため、ってのはよく聞く理由だけど、ほとんどの人は効率落ちてると思う。音楽かけながら3時間の勉強が、音楽なしで1時間勉強するのと同じ効果だったら、どちらを選ぶ? ってことかな。まあ、気分がいいほうを選ぶ人も多いんでしょうけど。

○先週の補足

「abrAsus 保存するメモ帳」で、A4の紙の折り方のムービーがありました。これもイイけど、A4を横に切って蛇腹状もいいんじゃないかと。また、うちにはA3スキャナがあるので、A3コピー用紙を横に3つに切って蛇腹状に折ってみた。A4三つ折りより少し小さくなるけど、畳み直したりしないでページを順番にめくっていけるので便利かも。
< http://trendy.nikkeibp.co.jp/article/column/20100208/1030977/?P=1
>

【吉井 宏/イラストレーター】
HP < http://www.yoshii.com
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Blog < http://yoshii-blog.blogspot.com/
>

日曜、アートフェア東京に行ってきた。以前はNICAFなどこういった大規模な展示会にはよく行ってましたが、久しぶりに。ちゃちゃっと見て帰ろうと思ったら、すごい人。30分くらい並んで入った。中も人でいっぱい。通路が行きたい方向に行きにくいくらい。各ギャラリー、若いアーチストをフィーチャーしてるようでした。気になったアーティストの名前だけメモってきました。平面の絵より、立体作品に惹かれる。立体やりたい!

●アニメ『ヤンス!ガンス!』Wiiシアターの間で配信中。アヌシー国際アニメーション映画祭2010 TVシリーズ部門にノミネートされました!
< http://www.annecy.org/annecy-2010/festival:en/official-selection:c8
>

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■編集後記(4/7)

浦島太郎の真相―恐ろしい八つの昔話 (光文社文庫)・鯨統一郎の連作推理小説「浦島太郎の真相 恐ろしい八つの昔話」を読む(光文社文庫、2010)。まず日本酒バーで常連2人とマスターのヤクドシトリオが、怒濤の昭和トリビア(無駄知識)合戦を繰り広げる。昔の話になるとみなイキイキとして、微に入り細にわたって、とどまるところを知らない。やたらなつかしくおもしろいったらない。一転して、語り手の工藤(探偵)がもてあましている未解決案件の話になると、それまで黙ってストールで日本酒を飲んでいた美人大学院生・桜川東子がやおら乗り出して、「その事件はこんなお伽話に似ていますね」と、ある昔話の謎を驚くべき新解釈で解き明かす。そんな視点があったのかと驚愕(たとえば、さるかに合戦の真相は大化の改新なり)。で、最後に、事件の謎をそのお伽話になぞらえて、一気に鮮やかに(我田引水とも言えなくもないが)解決する。すべてこの三段階パターンで8編、みごとなものである。語り手の工藤の言葉に出さないツッコミが絶妙。一粒で三度おいしい推理小説である。大厄以降の男、読むべし。(柴田)
< http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4334747256/dgcrcom-22/
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→アマゾンで見る

●radikoがiPhoneで聴ける! アプリ「iRadiko」と「ラジ朗」。どちらも無料。もしかしたらiPadでも聴けるようになるのかも。どうせわかるだろうから書いてしまうが、地域外の人でも東京の放送が聴けるはず。大阪に住んでいるが、東京の放送が聴けている。WiFi接続したら大阪の放送、3G接続したら東京の放送。ということは、伊集院光のとか深夜モノがクリアに聴けるのね! タイマー録音できたら最高だなぁ。地域情報(交通情報、天気、知事の動向、イベント、プロ野球中継......阪神戦とかね)は大阪の放送が聴きたいから、外出時に東京の放送しか聴けないのは何だけど。あと3Gで繋ぎっぱなしってのは、規制にひっかかるような気もする......。WiFi接続ポイント拡大の話が出ていたから、そっちに期待できるかも〜。深夜モノだけでも地域関係なく聴けるようにして欲しいな。/「ありがとう浜村淳」は毎日タイマー録音して、家事しながら聴いてるよん。/なるほど。スーパータスカーじゃないと思う。自転車の片手運転は1分持たない。乗りながら通話なんてそもそもできないのだが、会話している時は会話しか頭にない。他のことをしながらだとすぐにばれる。音声中心のAMラジオは仕事中には聴けない。テレビやラジオはルーティン仕事時に椅子に座り続けるために使う。考える仕事になると耳には入ってこない(たぶん......記憶にはない。潜在意識が聴いてる?)。シャットアウト。たまに入ってくると、集中力が切れたんだなぁと休憩。つけないことも多い。音声ではなく、手を動かすもの同士だと並行してできることはあるような。(hammer.mule)
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