Otaku ワールドへようこそ![124]自己実現を果たした人たちの放つ強烈なオーラ
── GrowHair ──

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人生の成功者と言ってさしつかえなかろう男のことをふたつばかり。同じ9月4日(土)のこと。同じ渋谷でのこと。私にとって、昔へとタイムトリップさせてくれる出来事だったというのも共通点。

●大学時代の先輩、華麗なる転身を遂げていた

音信の途絶えていた大学時代の同じゼミの先輩、名前をネットで検索してみたら消息が判明したので、20年ぶりに会ってきた。長村(おさむら)泰作氏。私より1年上の先輩だが、こっちは駿台予備校で1年ズッコケてるので、もともとの学年は同じ。早稲田大学理工学部数学科の中島勝也教授の下で、計算数学を学んだ学友である。卒業して東芝に入社したところまでは聞いていたが、その後、渋谷でラーメン屋を営んでいたことが判明。

いやぁ。私は自分で「よく曲がる人生」なんて言ったりしているが、この程度で言うかと恥ずかしくなるくらい、華麗なる転身だ。「東芝」と「唐そば」、似てないこともないけど。秘伝の味を出すのに、複雑な数式を駆使しているのでなければ、ちょいともったいない感じもしなくもないなぁ。

名前で検索してヒットしたのは、早稲田大学のサイト内のページで、活躍している卒業生を紹介するコーナーだ。
< http://www.waseda.jp/student/weekly/contents/2006b/115j.html
>



「理工学部出身で父の味を守り受け継ぐラーメン屋店主・長村泰作さん」というタイトルで記事になっている。写真も載ってるし。「2007年1月18日掲載」とあるから、3年以上経ってやっと気がついたのか、俺。父親がもう年なので店をたたむ、と言い出したとき、居ても立ってもいられず、継ぐことにした経緯が書かれている。

そう言えば、大学時代から、オヤジさんのラーメンの美味さは、ちょくちょく自慢していた。北九州の黒崎では、長年の評判店だったらしい。ちょっと美味いとかまあまあ美味いとか、そういうレベルじゃないんだそうで。感動的なんだそうで。お客さんが、感極まった表情で、しみじみと「ほんっっっっとにおいしいねぇ」と言ってくれるのだそうで。九州に来たら、ぜったいに寄ってくれ、と言われていたのを忘れていた。

長村氏と私とは、性格がまるで逆だったが、不思議とウマが合ったのは、彼の社交的な性格によるところが大きい。私は、内向的で、鬱気味で、自閉的で、自分から人に話しかけるなんてことは、決してしなかった。計算機室で、プログラムを自作してはひたすらぶん回す日々を過ごしているとき、「何してるの?」と話しかけてくるのは長村氏のほうだった。それも、社交辞令程度ではなく、ひとつ答えると3つ4つ聞いてくる感じで、こっちのやってることを完全に把握するまで、矢継ぎ早の質問攻撃をやめなかった。で、「わかった!」といって、手伝ってくれる。「これとこれなら俺でもできるから」と。

20年以上経って振り返っているせいか、あのころのことは「青春」の香りがいっぱいだ。徹夜作業になったときなどは、夜中過ぎに、「腹減ったなぁ」と言って、一緒に裏の塀を乗り越えてモスバーガーへ行った。別に不正入場してたわけじゃないので、堂々と守衛所の横を通って行けばよかったのだが、単に近道したかっただけ。

だいたい、あの当時のパソコンは計算がめっちゃ遅かった。大型計算機はお金がかかるので、結局使えるのはパソコンしかないわけだが、今のなら1分足らずで終わりそうな計算が、3日ぐらいかかっていた。3日目ぐらいになって近くに落雷があったりすると、非常に心臓に悪い。そんながんばりの甲斐あって、長村氏と連名で学会発表する機会に恵まれた。京都大学で開かれた応用数学会。座長は一松信先生。しゃべるのは私。あれは人生で一番緊張したなぁ。

長村氏は女にモテた。これも私と対極的だ。髪というのは床屋に行って刈ってもらうもんだと思っていたが、彼は美容院に行った。耳にはピアス。男性でピアスはかなりめずらしかった。エレガントでブリリアントなアーバンライフをエンジョイしているふうであった。「モテるでしょ」と人からよく聞かれたそうだが、最初は多少謙遜して「いや、それほどでも」と答えていたが、だんだんめんどくさくなって「はい、モテます」と答えるようになっていた。どっかの県知事とかやってた田中康夫の「なんとなくクリスタル」って覚えてます?あんな時代ですよ(あの本に出てくる店の何割が現存するか、誰か調べてくれないかな)。

それに引き替え、私のほうは、際立ったファッションといえば、リュックを背負って歩いてたことぐらいか。当時はそれで都会を歩くというのはまだまだ珍しく、よく「山でも行くの?」と聞かれた。俺、オタクの原型? そういや、第二人称代名詞として「オタク」を普通に使ってたし。シャツの裾をズボンの外に出すのはカッコいいか、だらしないか、で意見が二分していたころで、私の意見は「入れてたんだけど、自然に出てきちゃったってのがカッコいいんではないか」だったが、「それは間違いなくだらしない」とみんなから言われた。

レクリエーション関係の話になると、長村氏の大活躍の場になった。浅間山を間近に望む追分セミナーハウスでの夏のゼミ合宿のときなどは、嬉々として張り切って、スケジュールを組んだり、宴会の準備をしたりして、大変重宝がられた。数学科って、そういう方面によく気が回る人って少なくて、貴重なのだ。宴会では、みずから道化となって、場を盛り上げてくれる。

また、ふだんの生活においても、院生室のコーヒーの味を格段に向上させてくれた。元はインスタントだったのだが。豆を手でガリガリ挽いて、紙フィルターの谷へ移し、上から湯を注ぐ。最初に少し注いで湯気で蒸らして、なじみをよくして、それから狙うポイントを円を描くように移しながら、ゆっくりと注ぐ。そういうとこまでこと細かに指導してくれる。エルディシュによると「数学者とはコーヒーを定理に変換する機械である」そうだが、コーヒーの質の向上は研究の質の向上にも貢献したのではなかろうか。

院生室で長村氏と私とどんな会話を交わしていたか、よく覚えてないのだが、どうやらそれが元で、あの研究室はスケベだ、といううわさが後輩たちの間に流れてしまったらしい。ある年、ゼミ生に、女性が一人も入ってこなかった。その上、新人歓迎の宴会の席で、新人クンの一人が、卑猥な歌を歌っちゃった。「おもちゃでチャチャチャ」の替え歌で、「おもちゃでやっちゃった」というやつである。本人はうわさを信じきっていて、受け入れてもらおうとのまじめな動機から、精一杯がんばったのであろうが。一同、青ざめ、苦痛の時が流れた。あのときは黙ってたけど、たぶん責は我々にある。この場をお借りして、お詫び申し上げます。

さて、9月4日(土)、唐そば2号店に行くと、長村氏はいた。いやぁ。笑える。お互い、ぜんっぜん変わってないのである。そりゃ、20年余りの歳月はいちおう顔には表れるのだが、雰囲気が。まったく大人になってないのである。なんかこう「その節はどうも」みたいなかしこまった挨拶なんかするようなガラではなく、まるで昨日の会話の続きのよう。間のブランクが一瞬ですっ飛んだ。

結婚したそうだけど、耳にはピアスの穴の痕跡がふたつ、はっきり見えるし、あの調子なら、今でもモテてるに違いない。こっちは、今もってオタクだがな。店のことは、テレビでも放映されたそうだ。それも、ちょっと紹介されたくらいではなく、大転身のストーリーが感動的なドラマ仕立てにされて、一時間番組として放映されたのだそうで。あのころ検索かけてれば、もっとドバドバヒットしてたし、店には行列ができていたそうだ。

いやぁ、語る調子が、なんかはつらつとしている。サラリーマンには向いてなかったんだそうで。いや、私も向いとらんけど、やってますがな。サラリーマン時代は、会社でも電車でも常に手に汗をかいていて、皮膚がぼろぼろだったそうだ。それがラーメン屋になってからは、ぜんぜんなくなったそうで。

ロリコンのマキブチはどうしてるかな、って話になった。「不思議の国のアリス」の作者ルイス・キャロルを引き合いに出すまでもなく、数学とロリコンとは親和性が高い。純粋なんだな。マキブチは私と同学年で、まあ、典型的なモテない系である。私は、ヤツにはちょっと顔向けできない事情がある。ヤツは、3学年ばかり下の数学科の学生の一人であるユッコちゃんにベタ惚れで、本人には話しかけもできないくせに、我々にはいつもユッコちゃんユッコちゃん言ってた。

ユッコちゃんは、ロリコン好みの、ロリロリっとした子だった。御茶の水女子大付属高校出身。清純そうで、おとなしくて、気品があった。実際、大化の改新だかで活躍した歴史上の人物の子孫なんだそうで、それを言っちゃうと苗字を言ったも同然なんだけど。ひいおばあちゃんは「おひいさま」と呼ばれていて、家来を通じてでないと、シモジモの者たちとは口も利いちゃいけなかったのだそうで。世が世なら、我々もユッコちゃんとは直接話もできなかったというわけだ。本物のお姫さま。

ロリコンのマキブチは、修士課程を修了して、女子高の教師になったそうである。何年か後の同窓会で、あこがれの職に就けて幸せかぃ? と聞かれたマキブチは「あいつら、人間じゃねぇ!」と答えていた。一方、ユッコちゃんは、やはり修士課程を修了した後、川崎市内にあるNECの研究所に就職した。その年のうちに、私と結婚し、次の年に離婚している。向こうは代数系で、こっちは解析系で、ちょっと話が合わなかった(うそ)。

そういうわけで、マキブチには顔向けでけん。いま、ユッコちゃんの本名で検索かけてみたら、おお! 出てくる出てくる、輝かしい学会発表の数々。なんか、基礎研究っぽいこと、やっとるな。コルモゴロフ複雑性がどうしたとかこうしたとか、さっぱり分からん。うんうん、ご活躍の様子である。もはや赤の他人ながら、なんとなく嬉しい。だって、逆に、ひどく荒れた生活してる、とかだったら後味悪いではないか。

えーっと、話が逸れた。久方ぶりに消息の判明した長村氏は元気で活躍してたって話である。今、思い返し、この人もまた、「自己実現を果たした人は、放つオーラの強さが違う」の範疇の人だと感じられる。あ、言うの忘れてた。ラーメン、めっちゃ美味かった。九州から東京に進出しているとんこつ系のラーメンはいくつかあるけど、どれとも似てない。深い味。なるほど、男が人生賭けて守り抜こうってだけのことはある。

●行く前から感動していた「Versailles」のライブ

さて、同じ9月4日(土)、長村氏と会った「唐そば」2号店から徒歩5分ほどのところにある、渋谷公会堂へ。2006年10月から5年間、ネーミングライツの設定により「渋谷C.C.Lemonホール」となっているが。

もともとは、人形作家の清水真理さんと映像作家の寺嶋真里さんと、新宿で一緒に食事をしましょう、って話だった。寺嶋さんのつてで、チケットが入手できたとのことで、急遽渋谷になった。ヴィジュアル系ロックバンドのひとつである、Versailles(ベルサイユ)のライブ。

それが私にとってどれほどストライクゾーンど真ん中だったか、分かってなかったみたい。あんまり言ってなかったもんなぁ、ヴィジュアル系大好きだって。しかも最近はとんと疎遠になってたからなぁ。直接はよく知らなくて、ヴィジュアル系の追っかけの追っかけ、っちゅうか。10年くらい前、原宿の橋でコスするファンたちをよく撮っていたのだ。

あのころ、会社で異動を食らって、気分が腐っていた。もともと製版関係の部署で画像処理をやっていて、それは自分のやりたいことと、ドンぴしゃりだった。本当はCGができれば理想だったけど、それでメシが食えるとも思えなかったので。製版現場へはいつでも行けて、プロの撮ったファッション写真の原稿など、つまり4×5(シノゴ)や8×10(エイトバイテン)のサイズのポジフィルムが心ゆくまで眺められた。

それが、ソフトウェアのプログラマの手が足りないってんで、たまたま手伝っていた、他の事業部へ、そのまま異動させられてしまった。ソフトが書けるので、いちおう仕事になってる、ってだけであって、事業そのものには何の興味もなかった。たいていの人にとって、たぶん、一日のうちで仕事にあててる時間が一番長いのだから、人は仕事を通じて自己実現を図れれば、一番幸せである。が、私はその時点で、あきらめた。

写真、自分で撮りに行こう。で、最初は何を撮ったらいいか分からず、花や景色を撮っていた。が、修士課程を修了するときの総長の言葉を思い出した。どの時代でも、世紀の変わり目には、「世紀末現象」と呼ばれる、おかしなことが起きた。そういうものに惑わされず、冷静に自分の道を進んで欲しい、というような話だった。そうか、100年にいっぺんのチャンスだ。何か、世紀末現象的なものをフィルムに収めたい。

で、渋谷とか原宿とか、撮り歩いていて、発見しちゃったのが「橋」である。それと、もうひとつ動機があった。自分の性格を変えたかったのである。渋谷などでナンパしているニーチャンを見ると、尊敬の念でいっぱいになる。なにしろ、すげなく断られても、一瞬で立ち直り、次の狙いに声をかけているのである。俺には、あれはできない。あんな扱いを受けたら、自尊心がボロボロになって、3日ぐらいは落ち込んで過ごしそう。

それじゃ、だめだ。俺もがんばろう。まあ、それで修行のつもりで、原宿や渋谷で見知らぬ人に声をかけまくって、撮らせてもらっていた。街を歩く人に写真撮影をお願いすると、10人にひとりぐらいは応じてくれる。歩いている人よりも、休んでいる人のほうが確率高い。だんだんコツが分かってきて、こっちの性格も変わってきた気がする。雑談ぐらいにはつき合ってもらえる。もっとも、ちゃんとおつき合いしてくださいなどとはとても言い出す勇気はなく、そういう意味では、収穫ゼロだったわけだが。

ヴィジュアル系のコスの人たちは、一言お願いすれば、ほぼ100%撮影OKだった。あと、くれる名刺には、自宅の住所や電話番号が載っているのには、ちょっとびっくりした。紙焼きした写真を郵送してあげるとすごく喜ばれた。いかにうれしかったかを語った長い手紙が来たり、めちゃめちゃきれいな年賀状を何通ももらったり。

ヴィジュアル系のコスの姿は、すごくインパクトがあり、いかにも世紀末的だ。私は約2年にわたってほぼ毎週日曜に橋に行って撮った。最初は、なんだかすげー、メンタリティーとかよく理解できないけど、とにかくフィルムに収めとけー、ぐらいの動機だった。しばらくすると目が慣れてきて、最初のような衝撃はいちいち受けなくなったが、とにかく撮っとけー、だった。

さらにしばらくしてやっと「あ、美しい」とハタと思い至った。その瞬間までは、ダークでゴシックな耽美の世界、って概念、まったく理解していなかった。でも、一度分かっちゃうと、もう好きで好きでたまらない。あのコスのコらって、10代も多くいるってのに、こういうタイプの美というものを、ちゃんと、しっかり理解してるんだよなー。天才なんじゃね? なんて思えてきた。それで、ますますハマる。

あの当時のヴィジュアル系というと、Malice Mizer(マリスミゼル)、Dir en grey(ディル・アン・グレイ)、LAREINE(ラレーヌ)、Psycho le Cemu(サイコ・ル・シェイム)、Raphael(ラファエル)、LUNA SEA(ルナシー)、Kagrra(カグラ)、ムック、犬神サーカス団、グルグル映画館あたりであった。

その後、キャラ系のレイヤーさんを撮るようになって、そっちのイベントに出没することが多くて橋とはだんだん疎遠になっていったし、以降に出てきたバンドなどはよく知らなかったりするのだけど、ヴィジュアル系が飽きたとか嫌いになったとかではなかった。写真を撮ることに関しては、俺を育ててくれた恩人という思いもある。実際、どうしてここで撮っているのかと、通りすがりに聞いてくる人がいて、撮る腕を磨きたいから、と答えると、がんばってください、と力強く励ましてくれる人がいた。

非常にうれしかったけど、自分の中には、疑問というか、迷いもあった。俺はいったいどこを目指しているのだろう。これを続けていると、いったいどこへ行けるというのだろう、と。だから、寺嶋さんからお誘いを受けたときは、そうか、巡り巡って、結局ここへたどり着くのか、と感慨無量であった。見る前から感激していた。

VersaillesのボーカルのKamijoさんは、以前はLAREINEでボーカルをやっていた。LAREINEのコスの人たちはよく撮っていて、みんな互いに仲がよくて、協調性があって、心が優しくて、ノリがよくて、すご〜く好印象だった。中野サンプラザのライブのときは、開場前にたまたま通りがかって、見慣れたコスの人たちが大勢集まっているのを見て、驚いたものである。

そのご本尊が拝めるのだなぁ。今回のライブは、半年にわたる世界ツアーのグランド・フィナーレ。6月のブラジル、チリ、アルゼンチン、ペルー、メキシコ、ノルウェー、ロシア、フィンランド、イギリス。7月のスペイン、フランス、オランダ、ドイツ、もういっちょドイツ、ハンガリー、再びフランス。その合間には、日本全国を巡業。その最後の最後が今回の渋谷、というわけだ。

ビジュアル系が世界的にこれだけ知られているというのも、驚きだ。原宿のコスの人たちも、かなり貢献したと私はみている。今ではすっかり少なくなっちゃったけど、一時期は日曜ごとにすごい数のヴィジュアル系コスの人たちがやってきて、異様な雰囲気をかもしており、海外の東京観光ガイドでは、観光スポットのひとつになったりしていた。また、海外からのテレビなどのメディアがよく取材に来ていた。

さて、そういった万感の思いを引っ提げて見にいったVersaillesのライブ、うん、ほんっとにすばらしかった。まず、音がきれい。リズムのキレがよく、ノリノリになれる。Kamijoさんのボーカルも、太い声が力強くていい。それと、さすがはヴィジュアル系、視覚的にもすごくきれい。衣装がいいだけでなく、立ち姿勢や動きもいいので、ほんとうにいい絵になってる。Kamijoさんの手の動きに、エネルギーあふれる力強さを感じたし、Hizakiさんのワインレッドのドレス風の衣装がすばらしく、また動きが曲線的で、衣装の流れるような動きがすごくきれい。ほんっとによかったなぁ。

終了後の、寺嶋さんの感想。「自己実現を達成した人のオーラの強さは、すごいわぁ」。そう言われて、私もほんとにそうだったなぁと思った。けど、このフレーズを言ったのはもともとは清水さんだったのだそうで。ムックの達郎さんと初めて会ったときに。最初はお客さんの数150人ぐらいのライブをやってたのに、みるみる大きくなり、武道館でライブをやるまでになった。そのオーラがすごかったと。あれ? 私から見れば、清水さんと寺嶋さんも同じ範疇なんだけど。

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喪男。ソープランド行ってきた。金の力を借りないことには誰も相手してくれないもんで。......って話じゃなかった。行ってきたのは廃ソープランド。廃墟サイトを見ていて、どうしても見に行きたくなったので。いやぁ、すごかった、圧倒されたよ。壮大な建築。正面にはトランプのクィーンがどかーんとでっかく。描いたのではなく、タイル細工で作ってあるようだ。

労働者がまじめにこつこつ貯めた3万円を握り締めて行くような、いわゆるワンツーソープ(←入浴料1万、サービス料2万)なんかとは、わけが違う、超高級店。たぶん、値段も桁違い。根本的に目的が違うんじゃないかな。満たすべきは、優雅で粋な遊び心っちゅうか。

それが、廃墟と化して、つる草に覆いつくされんばかりになっていて、おどろおどろしい。ツワモノどもが夢の跡。バブル弾けて山河あり、泡の城夏にしてつる草絡みたりと、笠うち敷きて時の移るまで涙を落としはべりぬ。これ、昭和のバブル最盛期の文化を後世に伝える貴重な資料として、そのままの形で保存しておくべきだよ。すばらしい物件だ。あるいは廃墟スタジオとして再出発を図るとか。たのむ、やってくれ。