[2926] 大人の喧嘩:不毛地帯

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《MANGAの基本である、キャラへの思い入れが足らない》

■電網悠語:日々の想い[167]
 大人の喧嘩:不毛地帯
 三井英樹

■ショート・ストーリーのKUNI[86]
 鉄腕アトム2010
 ヤマシタクニコ

■ローマでMANGA[33]
 気持ちのいいMANGA
 midori



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■電網悠語:日々の想い[167]
大人の喧嘩:不毛地帯

三井英樹
< https://bn.dgcr.com/archives/20100930140300.html
>
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実はテレビが大好きだ。小さい頃、我家のTVはオンボロで、連続して見られる時間がかなり短かった。なのでそれ以来、延々とTVを眺めていられる状況は、私にとっては、かなり贅沢な時間になっている。問題は見ている時間がないこと。ここ一週間も殆どTVをつける間がなかった。

少し前までは、全く見ない(見れない)時期もあったのだが、敢えて見ようと努力するようにしている。それは、余りに世間と話が合わないと辛いから、話題の共通性がなくなると困るから。で、ドラマを見ようと決める(そもそもバラエティは挫折した。面白みが分からず、息子に解説を求めるレベル)。1シーズンに1本くらいは決めて、録画で良いから見る。

当然、シーズン当初は複数本を見る。そして数回で判断する、この後も時間を投資するかどうか。決め手は、基本的にリアル感と役者の粋さ。多少先が読めて退屈でも、役者が頑張っていると付き合ってしまう。またドラマのリアル感でいうと、大根は余り入り込む余地がないので安心して感動できる。


感動の仕方で、自分でも驚いたのが、「不毛地帯」。最初に引っかかったのは「言葉」。私の身の回りの言葉ではなかった。もっと上級というか、役職が上がるとこのような会話をするのかという驚き。品格という品質。ストーリー以前にそこで捕らわれた。

  ▼不毛地帯 - フジテレビ
  < http://www.fujitv.co.jp/fumouchitai/index.html
>
  ▼mitmix@Amazon - 不毛地帯
  < http://astore.amazon.co.jp/milkage-22?_encoding=UTF8&node=54
>

更に、引き込まれたのは、その評価の分かれ方。職業柄SNS的なところでは、幾つかのキーワードで時折探してみる。大きなところでは、そこそこ引っかかる。その中で刺さったのは、ある女性の評価「言葉が笑っちゃう」というものだった。怒りで真っ赤な顔になっても、敬語なんだよ、と。もちろんドラマとしての骨太さは評価している。それでも、やはり言葉が異星人語に聞こえたのだろう。

おぉここまでやるかという策略や、まぁやるだろうなと思える謀略を前にして、肩を震わせながら、敬語で応酬する。それは滑稽に見えつつ、カッコいい姿だった。闘い方を示してくれているという意味で。

考えてみれば、男一匹ガキ大将的というか、怒鳴ったり殴ったりすれば問題が解決するシンプルな世界の出自である。冷静に、青白い炎のように怒るという方法を見るのが稀である。直情型の分かり易いリアクションしか浮かばないのが常である。だから、骨太で、しかも実在の人間のお話、というだけで、異世界モノの匂いがしてくる。


同じ人物との確執、新しい人との出会い。舞台は、商社が扱うモノだったり、時代だったり。多くの様々な絡み合いが、壮大なスケールの舞台で展開される。もちろん、ご都合主義的な展開もあった。けれど、それが原作なのか、放送時間の関係なのか、すら調べる気にもならない。それだけ、ぐいぐいと引っ張り込まれた。

役者の動きを見ながら、自分の過去も見ていたのだと思う。扱う商品(といっても自動車メーカーとの提携だったり、石油プラントだったりと、私の生活圏とは無縁のものだったけれど)が、TV番組という枠内で、Webと重ね合わせやすかったのだろう。多くて二回でほぼそのプロジェクト(商品)は一段落する。短期間に凝縮されたドラマは、分かりやすく、また諸々を投影しやすい。

プロジェクト毎に用意されている、背景/課題/人間関係/展望などなどが、幾つかの思いあたる人物や事柄に当てはまっていく。あの人があー言っていたのは、そーいう事か。こー言えば状況は変わっていたのかも、そーいう考え方もあったか。ドラマの筋書き以外で、色々と気付かされた。

Webが単なるサイト構築ではなく、広報戦略に深く関わらざるを得ない状況になっているのも影響している。見栄えがどうとかの話以前に、何をしたいのかを上の方と詰めておかないと、効果測定もできないし、深い関係性もできないし、面白い仕掛けを作り上げることも困難だ。


カッコいいという定義自体が、自分の中で変化してきているのだろう。紅の豚のポルコや銀幕全体から醸し出される「かっこいいとは、こういうことさ」的な雰囲気。「意地も見栄もない男なんて最低よ!」。意地も見栄もある、闘い方。ただ闘えば良いという訳ではない。

  ▼mitmix@Amazon - 紅の豚 [DVD]
  < http://astore.amazon.co.jp/milkage-22/detail/B00005R5J6
>

現場での闘い方、裏方としての闘い方、個人としての闘い方、チームとしての戦い方。それぞれに葛藤があり、意味のある勝ちがあり、淋しい勝ちがあり、意味のある負けがあり、意味もない負けもある。

負け側の潔さも気分が良いものが多い。敵側だって様々な事情や止むに止まれぬ何かがある。全戦全勝はあり得ない。負けたときに学びを多くしなければ先に行きつけない。勝ち負けに関わらず、言葉は大きな位置を占めている。

Webですら、コミュニケーションが主軸になる以上、言葉の持つ意味はより強くなる。完成形でも強まるだろうけれど、それ以上に開発現場で強くなっていっている。ここ数年の動きとしての率直な感想だ。プロジェクトの成り立ちや成長過程での品格は、必ずや完成形から漂い出る。

身を引き締めて見入ったドラマ。録画したものは、DVD保存もしているけれど、シーンごとに5分程度に切り刻んだものでも幾つか残した。感動しながら学んでいる。でもそもそも品もなく未熟なので、外に出るまでには未だ未だ時間がかかりそう。それでも、日々勉強、日々蓄積。

  明日、死ぬかのように生きろ。
  永遠に生きるかのようにして、学べ。
         マハトマ・ガンジー

【みつい・ひでき】感想などはmit_dgcr(a)yahoo.co.jpまで
・日本語は難しい。
・結構楽しくなってきた/言葉も色々
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・まぁ四の五の言わずに、ただ楽しんで観てますが、大抵は。
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■ショート・ストーリーのKUNI[86]
鉄腕アトム2010

ヤマシタクニコ
< https://bn.dgcr.com/archives/20100930140200.html
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ある日、鉄腕アトムは考えた。
「リアルの世界ではいつのまにか2010年になってる。ぼくが誕生したのは2003年4月7日という設定で、当時は確かにそれが『未来』だった。でも、いまはそうではない。ぼくはいつまでもマンガの世界にいる必要はないんじゃないか?そうだ。リアルの世界に行ってみよう! ぼくの友だちもきっといるにちがいない」

そこで、アトムは2010年の日本にやってきた。
「なんだかごみごみしているなあ。ぼくの想像とだいぶちがっているぞ」

アトムはきょろきょろしながら歩いた。狭い道路に車がひしめき、自転車がたくさんあるのは意外だった。なぜだろう? 自転車にみえてほんとうはそうじゃないのかもしれない。人間たちの服装は20世紀なかばとそんなにちがっていない。ぴかぴかの高層ビルが建っているかと思うと、すぐそばにはいまにも倒れそうな木造のアパートがある。妙におじいさんやおばあさんが多い。でも、人間たちがすごく薄くて小さな電話を持ち歩いているのには驚いた。

「あら、アトムの着ぐるみ?! かわいい!」
「最近の着ぐるみはコンパクトにできてるのね!」
あちこちでおばさんたちに声をかけられ、頭をさわられた。着ぐるみって何だっけ? アトムはすっかり疲れてしまった。なんだかあまり楽しくないし、少しさびしかった。街には自分のようなロボットがいっぱいいるかと思ったのに。

アトムは交番に入ってみた。
「おまわりさん、ロボットがいるところはどこですか?」
「ロボット? ああ、そうだなあ」
おまわりさんは壁に張った地図を見ながら答えた。
「ここに大きなロボット工場があるから行ってみたら」

アトムはさっそく行ってみた。工場には確かにロボットがいたが、業務用ロボットばかりだった。
「あんた、何しにきたん?」
介護用ロボットが聞いた。
「ぼくは鉄腕アトム。よい子のためにたたかうんだ」
「ふうん。ほんで何しに来たん」
「ぼくはリアルの世界で友だちを見つけたいんだ。君はぼくのともだちになってくれる?」
「何ねぼけてんねんな、もー。毎日毎日介護介護でそんなひまあるかいな」
「かいごって何?」
「からだの不自由なお年寄りを寝返りさせたり、おむつ替えたりするねん」
「毎日、そればかりなの?」
「そのために作られたんやからしゃあないやないの」
「ふーん」

アトムの足元では、丸いお掃除ロボットがくるくるとまわりながら移動していた。声をかけようとする間もなく、くるくるまわりながら向こうに行ってしまった。

「ぼん、何してんねん」
横から声をかけたのはすしロボットだった。ロボットといっても金属製の箱形だ。ごはんをセットすると、にぎり寿司用に成型したもの、いわゆるシャリ玉をひとつひとつトレーの上に出すようになっている。

「ぼくは鉄腕アトム。心やさしい科学の子。七つの威力を持っているんだ。君は...どこが口? どこが頭?」
「頭もなにもあるかいな。毎日毎日すし飯をまるめるだけや。悪いか。ASIMOかて、えらそうにしてるけどひざ曲げて歩くだけやないか。くやしかったらすし握ってみいっちゅうねん」
「ぼくの友だちになってくれる?」
「そら別にええけど、わしら店に配置されたらそこから動かれへんで」
「そうなんですか」

「まあ友だちになりたい言うんやったらなってもええけどな。わし、実は明日から店に置かれるねん。おまえもついていくか。おれがすし握るかっこええとこ見せたるわ。ほんで、おまえもいっしょにすし握ってみ。どんだけたいへんな仕事かわかるで」
「わかりました。ついていきます」
「おれのことはジョージと呼んでくれ」

翌日、アトムはすしロボットについていった。連れて行かれたところは宅配専門の寿司店だった。どんどん注文が入る。ジョージは頭からほうりこまれたシャリをローラーを回転させながらみるみる形を整え、ぽとり、ぽとり、と吐き出していく。

「うまいなあ、ジョージ。よし、ぼくも負けずにやってみるよ」
アトムはジョージが作ったシャリ玉を見ながら手でまるめてみたが、これが意外にむずかしい。
「へたやな! なんじゃそら! 大きさがばらばらじゃ!」
「ご、ごめんなさい。次はちゃんと作ります」
しかし、今度は形がばらばらだ。

「なんじゃそら! そんなバナナみたいなすしがあるかい! そっちはギョーザか、これはまた回転焼きか! おまえ、まじめにやらんかい!」
「まじめにやってたんですけど...ごめんなさい、やりなおします」
「あー、そない何回もやってたらシャリがつぶれてまうがな! おはぎとちゃうぞ! それはもう捨てて、新しいのを作れ!」
「食べ物を捨てるなんてもったいないと思います。お百姓さんたちが一生懸命作ったお米なんです」

「ええかっこゆうな! いややったら捨てんでもええもん作らんかい!」
「は、はい。わかりました」
アトムは一生懸命、どこが悪かったか考え、作り直した。
「ジョージ、できました」
「おお、形になっとる。しやけど時間かかりすぎや。話にならん」
「一生懸命作ったんです。ぼくの愛がいっぱい詰まっています。食べた人はきっと幸せになります」
「なにが幸せじゃ! 10年早いわ!」

ば、こーん!
ジョージはアトムをぶん殴った。といっても、すしロボットには腕らしきものがないが、そこは体全体を使ったか何かしたのだろう。とにかく殴った。アトムはぶっとんだ。
「しょーむないご託並べやがって! 何が愛や何が幸せや! おれらロボットにはそんなもん関係ない! 心とか愛とかを『無』にして作るもんや! 毎日毎日おんなじもんをおんなじように作ってなんぼの世界やねん! 甘いこと言うな!」
「ぼ、ぼくは...心正しい科学の子」
「どーでもええわっ!」
「ううっ...」

アトムは嗚咽をもらし、しばし伏せったままだった。やがてゆっくり、ゆっくり立ち上がると、きっぱりと言った。
「わかりました。ぼく、心を無にします」
アトムはまぶたを閉じ、精神を集中した。心を無にした。次に目を開けると、全身に力がみなぎったようだった。アトムの体はまばゆいばかりに光り輝き、オーラを放ち、テーマ音楽が鳴り響いた。
♪そ、ら、を超えて〜ら・ら・ら星のかなた〜〜〜〜〜〜!!!

アトムは10万馬力でシャリ玉を作り始めた。ものすごいスピード。まったく同じ重量、同じフォルム。少しの乱れもない。作る、作る、作る、作る、作る。
「作りすぎじゃ!」
「えっ」
「おまえな、商売は需要と供給で成り立っとんじゃ! わしらは必要に応じてセットされたすし飯を握ったらええんじゃ! だれが勝手にすし飯取ってきて握れゆうた! シャリ玉が山盛りやないか! こんなもん余ったらどないすんねん! どあほ!」
ば、こーん!
「ジョージ...」
「もうええ、しばらく何もすんな!」

アトムは泣きながら部屋の隅の椅子に腰掛けた。ああ、いったい自分は何をしているんだ。ウランやコバルト、お茶の水博士がなつかしかった。
「やっぱりぼくはマンガの世界でしか生きていけないのか。この世界にはぼくの友だちはいないのか...」
ふと見ると床に紙が落ちていた。アトムはそれを拾い、そこにプリントされた画像に見入った。

「おーい」
ジョージが呼んだ。
「あ、はい」
「さっきは悪かった。わしもちょっと言い方きつかったわ。別にいけずする気はないねん。わしの信念をストレートに伝えたかっただけや。まあ、ゆうたら、愛やな」
「はい...むずかしいんですね...」
「まあだんだんわかってくるわ。みんなそうや。気にすんな...おい、何見てるねん、それ」
「あ、そこに落ちてたんですけど、この人はどこにいるんですか」
「どこにって」
「もしかしたら、ぼくの友だちになってくれる人かも」
「友だち? こいつと?」
「はい。だめですか?」
「だめなことないよ...だめなことないけどな...」

アトムが握りしめた紙には、先行者の画像が印刷されていた。だれがこんなものを今ごろプリントしたんだ。ジョージはためいきをついた。
「おまえもさびしいねんなあ。そやなあ。わしでは物足らんやろし。わしよりはこのひとのほうがええかもしれんなあ」
「ぼくは...そんな意味で言ったのでは」
「いや、ええねん! 気ぃ使うな! わしがとやかく言うことやない。よし...とりあえずもう一回、シャリ玉作ってみるか! なんでも経験や。むだにはなれへん!」
「はい!」

ふたたびジョージによるシャリ玉作り特訓が始まった。ジョージは自分の知識と技術のすべてをアトムに注ぎ込んだ。鉄腕アトムはすっかりシャリ玉作りの名人になった。
「もうわしが教えることは何もない! おまえは一人前や! どこにでも行ってこい!」
「ジョージ! ありがとう。君のことは忘れないよ!」

鉄腕アトムはその後、習得した技術を携え中国の「友だち」に会いに行った。ついでにシャリ玉作りの技術指導をしたそうである。

【ヤマシタクニコ】koo@midtan.net
みっどないと MIDNIGHT短編小説倶楽部
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■ローマでMANGA[33]
気持ちのいいMANGA

midori
< https://bn.dgcr.com/archives/20100930140100.html
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過去において、講談社の「モーニング・アフタヌーン編集部」と10年ほど仕事し、その後も時々仕事が発生する。そんな関係なので、私にも「関係者」として「モーニング」「モーニング・ツー」「アフタヌーン」を送ってくれている。週刊モーニングは、どういうわけだか知らないけれど、時々来なくなって今もその時期。

それはともかく、モーニング・ツーそしてアフタヌーンに付いてくる「四季賞」の単行本(年に4回開催される新人賞の入賞作品を集めて発行。だから年4回)が楽しみだ。

二つに共通の読後感がある。「フィクションの快楽」と私が呼ぶやつ(母によく「女の子がヤツなんて言っちゃいけません」って言われた。ごめん、ママちゃん、また言っちゃった)がそこにある。

日常生活だったり、アクションだったりの「衣服」はともかく、リアルを超えた想像力を駆使したエピソードや設定がすごく楽しい。現実の生活でありえない設定や展開を、起こってもおかしくないような説得力を持って提供してくれる。そして、その世界がそれぞれ作者によって違って、いろんな世界が出現する。「ありえなさ」と現実世界の差もそれぞれだ。大人の童話、ファンタジーだ。旅みたいに、いつも使わない脳みその部分をこちょこちょされるのが気持ちいい。

この気持ちよさを提供してくれるMANGAには、二つ特徴があるように思う。あり得ない世界に説得力を持たすためのノウハウ=MANGA言語と、もう一つは作者の言いたいこと、あるいは伝えたい自分の世界の存在だ。

特に四季賞では話、絵ともレベルの高さに驚くのだけど、たまに絵の表現に稚拙さが見え隠れしている作品がある。ただ、その線には、叶わないまでも必死に表現したいものに近づけようと苦心した結果が読み取れる。その賢明さもまた気持ちがいい。そういうことって文なら行間に、音楽なら音符と音符の間に、絵なら空間ににじみ出るもの。

空間ににじみ出る、その「これを伝えたい」「これを表現したい」という思いがとても大事。それは壮大なテーマでもいいし、特殊な設定でもいいし、ただただ好みなカワイコちゃんでもいい。

ローマのマンガ学校での私の授業は「MANGA・セミナー」。MANGA言語をなんとか学習して欲しいと思ってる。そして実際に4ページか8ページの作品を作ってもらう。もちろん、200作以上の応募作から選ばれ、大賞を取ったアフタヌーン四季賞の作品と、学校に入って初めてマンガを描く人の作品を同じ土俵に並べるのは酷である。それを十分承知しながら、その無理をしてしまう。

絵が下手なのはいい。描き始めたばかり(マンガが好きなら、もっと前から描かないの? と思うのは私ばかりじゃないだろうけど)。ストーリーが稚拙なのもいい。描きたいこと、伝えたいこと、が......ない。これが一番難しいのだろうか。

実は、中には、毎年何人か何年も温めてるストーリーがあるからこれを描きたい、と言う生徒もいる。大体において初心者が、扱いきれないほどの大河物語で、既出のものによく似てる。まぁ、これもまだ慣れてないのだからしょうがないとしようか。憧れたものに近づきたいという、ファン意識が制作の動機になるのはよくある話だから、決して悪いことではない。

MANGAは絵とテキストで話が進んでいくわけだけど、絵のほうがインパクトがあるので、素人はどうしても絵に力を入れたがる。なんというか、絵に力をいれることが悪いというわけではなく、絵だけに力を入れてしまう。そしてその絵は、状況を説明するためのイラストレーションになってしまう。

どこかで読んだ話に、状況解説のイラストレーションではわくわくできない。例えば「この僕の理想の女の子の、こういうセクシーな姿を描きたい〜」っていう思い。これが足らないのだと思う。

そういうものがあればどこかで読んだ話がベースでも、彼の、彼女のMANGAになるはず。MANGAの基本である、キャラへの思い入れが足らない。キャラは大河物語を展開するための駒に過ぎなくなっているように思う。

憧れの既成の物語に触発された何かがあるはずなのに、その物語の表面的な構成要素だけに目が行ってしまってる。ファンの目で止まっているというわけなのだ。作家なら、もう一歩、中に入り込む...そういう道があるのだということをわかってもらうのが先決のようだ。

今年の授業は11月半ばから。小学校、中学校、高校などの普通校ですら、長い夏休みが終わって9月に半ばから新学期が始まる。マンガ学校のような専門学校は10月開講が普通。その中で私が受け持つセミナーは、開講のゴタゴタが済んでからの開始となるわけで11月半ばから。

ちょっとだけ拗ねたような空気を感じました? 実は、ちょっとだけすねてます。正式コースではなくMANGAセミナーであることに。ヨーロッパ式のマンガにも役に立つと思っているので。ただ、校長の、専門学校なのだから卒業してすぐに役立つことでないと、生徒をおちょくっているようなもの。。。という意向は理解できます。

ヨーロッパのマンガは以前にもここで書いたように、状況展開で話が進むので一冊のページ数が少ない。日本のMANGAは、読者がキャラに感情移入をして読んでいくので、経過時間が読む時間とキャラの体験時間が一致し、ページ数が多くなる。出版側の体制はページ数が少ない本作りなので、イタリア人作家が書き下ろしで多いページ数を作っても、売ってくれるところがない。。。

校長が理解している「MANGA」は絵のスタイルだから、MANGA言語を理解してくれたら、少なくもコミックス科の授業の一環くらいには成りうるとも思うけれど、私が何とか説明しないと校長からは言ってこないだろう。。。というのはまた別の話、別の問題。

【みどり】midorigo@mac.com

これを書いてるのは、9月24日。そう、日本の外交が終わった記念すべき日。中国の「漁船」が海上保安庁の巡視船に体当たりをして逮捕され、法治国家として法に基づいて裁かれるべきところを、中国の脅しに負けた日本にあっさり釈放されてしまった。海上保安庁によると、あの漁船は一隻で領海侵犯していた。漁業であれば数隻で作業をするのが当たり前。中国漁船の多くは海軍船を改造した工作船であることが多いそうな。「いつものように」百隻ほどの中国船が近くを航行してたとか。そして一隻だけ領海侵犯した。

レアアースをもう分けてやらん、建設会社フジタの関係者4人を拘束したぞ、そのとたん船長を釈放。つまり、騒げば言うことを聞く国と認識されてしまった。いや、実際そうなのだと見せてしまった。

これからは中国のやりたい放題。。。なんて嫌ですよ。外交が終わった日と書いたけど、そうであってはならないの意味。政治家は票を得るために民意に添って活動する。あるいは民意を誘導しようとする。もうたくさんだ、日本は独立した法治国家だと一人一人が認識し、声を上げる時が来たのではないでしょうか。

イタリア語の単語を覚えられます!と言うメルマガだしてます。
< http://archive.mag2.com/0000075559/index.html
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■編集後記(9/30)

・何年か前、市の健康診断を受けたら「あなたは高血圧だから降下剤が必要」と言われたが、薬なんか飲むのはいやだ放置していたら、ここ2年ほどはまったく正常値である。あれはいったいなんだったんだろう。かかりつけの医師は、わたしの問題点は悪玉コレステロールLDLとピロリ菌だと言い、薬を飲むようにと控えめにすすめるのだが、わたしはいやですと答え続けて来た。そうこうしているうちに、わたしに有利な意見が報道された。日本脂質栄養学会は「コレステロールは高めのほうが長生きできる」というのだ。従来の、日本動脈硬化学会が唱える「LDLが高過ぎると心臓病の原因になるため、食生活の改善や薬の服用により下げるべきだ」という常識(?)とまっこうから対立する。前者は「すべての死亡原因を含めると、現在の基準値の140より高い方が死亡者が少ない。コレステロールは細胞の膜やホルモンをつくる大事な成分。むやみに数値を下げるのはよくない」という。ムフフ、とりあえず放置だ。また、60歳代以上の8割が感染しているというピロリ菌だが、そのうち胃がんになるのは0.2〜0.3%だという。胃がんになるかどうかは、食生活や遺伝が関係して来る。除菌したほうがいいが数万円かかる。とりあえず放置だ。べつに長生きしたくもないから。しかし、メタボ、ピロリ、悪玉コレステロール、アシネトバクターとか、なんかユーモラスな響きで、どうでもいいやって気分にさせられるのである。(柴田)

・6時に洗濯機をまわしたのをすっかり忘れて、干したのは13時半。夏場ならこれでも乾いたが、さすがは秋、18時でも生乾き。一部だけ干しっぱなしにしておいたら、今日は雨......。忙しくて天気予報チェックしていなかった。/寝室の窓際に着脱式の竿をつけてもらっていた。頼んだ自分を褒めてあげたい(笑)。夏や冬、外で干す作業をするのはつらい。部屋にある着脱式の竿でパラソルハンガー(以前軸の部分が短ければと書いたことがある。出てたよ。買ったよ。)や上着用10連ハンガー、バスタオルハンガーなどに洗濯物をセットしておき、窓を開けたら移動だけ。竿に直接干すのはジーンズなどの数点のみ。急な雨でも取り込みやすい。/友人から写メ。見ると献血車(は間違いで採血車というらしい)がうつっていて、ボディには「紅7号」。それを見つけた貴女、そして私にメールしてみようと思ったところが素晴らしいわ。検索すると、大阪府は紅、千葉はしらゆり、香川はみちしお、広島はもみじ、沖縄はでいご。そして新潟は「ゆうあい」だ......。(hammer.mule)
< http://www.kenketsu.com/lets/d60.html
>  移動採血車の名前