[2979] 深く静かに潜航せよ

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《誰でも知っている当たり役を持つのも考えもの》

■映画と夜と音楽と...[490]
 深く静かに潜航せよ
 十河 進

■Otaku ワールドへようこそ![131]
「臘月祭010」:長い年月の痕跡と、今ここだけの儚さ
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■映画と夜と音楽と...[490]
深く静かに潜航せよ

十河 進
< https://bn.dgcr.com/archives/20101217140200.html
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〈ローレライ/眼下の敵/深く静かに潜航せよ/駆逐艦ベッドフォード作戦/渚にて/K-19/クリムゾン・タイド/レッドオクトーバーを追え!/U・ボート〉

●恐怖症をいっぱい抱えて不自由な生活を送る日々

O型でおおざっぱな性格だと思うのだけど、どこか神経質なところがあるのか、いろいろな恐怖症持ちで、それなりに苦労している。けっこう不自由な日々を送っているのだ。一般的なところでは、高所恐怖症である。小学生の高学年になった頃から高いところが苦手になり、四階建ての校舎の吹き抜けになっている階段を昇れなくなった。

初めて東京タワーの展望台に昇ったのは、もう40年以上前のことだが、エレベーターを降りた瞬間、展望窓が床までガラスになっているのを見て、エレベーター横の壁に忍者のように張り付いたまま一歩も踏み出せなかった。渋谷駅前の長い歩道橋は、今でも渡れない。短い歩道橋も数メートル先をじっと見つめて、真ん中しか歩けない。

「ダーティハリー」(1971年)の冒頭部分は、思い出すとめまいがする。プロローグで高層ビルの屋上にあるプールで泳ぐ美女が狙撃され、その現場をハリー・キャラハンが検分するシーンである。カメラは高層ビルの屋上を歩きまわるハリーを、さらに高い位置から捉えているからだ。

もっとも、高所にも慣れることはある。僕が以前に住んでいたマンションの部屋は4階だった。今の部屋は11階建ての7階である。引っ越してきたとき、しばらくベランダには出られなかった。布団を干そうとして真下を見て、しゃがみ込んだこともある。それが、今では平気になった。しかし、たまに間違ってエレベーターで11階にいったときには、やはり廊下に足が踏み出せない。

生活に支障が出ているのは、尖端恐怖症だ。尖ったモノがダメなのである。したがって床屋にいけなくなり、もう20年以上、カミサンに髪を切ってもらっている。目の端にハサミの先がちらちら見えると、眉間がうずき出す。カミサンなら「ちょっと中断してくれ」と言えるのだが、床屋で眉間をおさえて、うずき(めまいみたいな感じだが)がおさまるのを待つわけにはいかない。

そんな風になるのは髪を切っている側からすると鬱陶しいらしく、最近はカミサンも面倒くさがって「床屋いけば」と言い出している。僕も10分くらいなら我慢できるかな、と思っているので、最近流行のカットだけの床屋を試してみようかと考えているが、なかなか決心がつかない。

尖端恐怖症で困るのは、満員電車の中である。目の前で本や新聞を広げられると、その角(角度は90度だが、尖っているのは間違いない)が目の端にちらちらと入って気になり、眉間がうずき出す。目を閉じても、ダメなのだ。そこに尖ったモノがあるという事実を消せず、かえって意識してひどくなる。そうなると、眉間を指でつまんでおさえ、下を向くことになる。

子供の頃は、こんな風ではなかった。多少の高所恐怖症はあったが、平気で床屋へいき、気持ちよく眠ったりしていたのだ。昔、月に一度くらい自転車でまわってくる床屋のおじさんがいて、裏庭に椅子を出し、おじさんに髪を刈ってもらっていた。イチジクの木の下だった。僕は7、8歳だったろう。まぶしいくらいの陽光が差し、日だまりに包まれた幸福感に浸っていたものだ。

●飛行機嫌いなのは閉じ込められた空間にいる恐怖を感じるから

高いところも苦手だが、狭いところ、閉じ込められた場所も苦手である。僕が飛行機が嫌いなのは、高いところを飛んでいるというより、閉じ込められた空間にいる恐怖を感じるからだ。昔、出版労連の定期大会に出ると投票時に議場閉鎖になり、その瞬間から気持ちが騒ぎ始めた。この部屋に閉じ込められたという意識が、平常心を失わせるのだ。

初めて岩波ホールにいったとき、上映が始まると係の人が後ろの扉をロックするのを見て、映画どころではなくなった。出してくれ〜と騒げば出してもらえるだろうとは思うが、それでも腰が落ち着かず何を見たのか、まったく憶えていない。強制的に途中退出を阻止する(背後から明かりが入るのを防ぐためだったのかもしれないけど)やり方に納得がいかず(脇の出入り口はあったようだ)、それ以来、一度も岩波ホールにはいっていない。

そんな性格だから、もちろん狭く身動きできない場所もまったくダメだ。「エイリアン2」(1986年)で人造人間ビショップが基地内から屋外まで狭いパイプの中を這って進むシーンがあり、それを思い出すたびに僕は気分が悪くなる。思い出すな、思い出すな、と言い聞かせるのだが、かえって鮮明に甦らせてしまうのだ。こう書いていても映像が浮かび、頭の中がざわめき始める。

先日のチリの鉱山に閉じ込められた人々のニュースは、なるべく見ないようにしていたのだが、「地下数百メートルの地底に閉じ込められた数十人」というフレーズが僕の想像力を刺激し、夜、寝ようとして目を閉じると映像が浮かび、しばらく不眠症になった。狭いカプセルでの救出シーンでは、「カプセルが途中で止まったら、僕だったら気が狂う」と思い始め、気持ちが悪くなった。

そんな閉所恐怖症を抱えているくせに、マゾヒストなのか、潜水艦映画が割に好きである。先日読んだ吉本由美さんの「するめ映画館」の中で、村上春樹さん、和田誠さん、吉本さんの3人が「海底はドラマの宝庫」と題して潜水艦映画について楽しそうに語っていた。それに刺激されたのか、潜水艦映画が無性に見たくなった。

そのことと心理的に関係しているのかどうかわからないけれど、ずっと気になっていた福井晴敏さんの「終戦のローレライ」を読み始めた。「ローレライ」(2005年)は見ていたのだが、あまり記憶に残っていなくて、妻夫木クンが出ていたのとローレライを香椎由宇が演じていたことくらいしか憶えていない。

村上春樹さんたちが取り上げていた潜水艦映画は、「海の牙」(1949年)「海底2万哩」(1954年)「眼下の敵」(1957年)「深く静かに潜航せよ」(1958年)「駆逐艦ベッドフォード作戦」(1965年)と、(人のことは言えないけれど)古い作品ばかりだった。村上さん推薦の「駆逐艦ベッドフォード作戦」は僕も初公開時に見ているが、潜水艦映画と言えるかどうか疑問は残る。

僕が潜水艦映画で思い浮かべるのは、「眼下の敵」「深く静かに潜航せよ」「U・ボート」(1981年)だ。そんなことをツイッターでつぶやいたら、「渚にて」(1953年)と「K-19」(2002年)も入れてほしいとリツィートされた。それには全く異議はないが、そのやりとりを見ていた会社の人間に「『レッドオクトーバーを追え!』(1990年)が入ってないじゃないですか」と抗議された。

●密室劇としてドラマチックな設定ができる潜水艦映画

潜水艦映画がよく作られるのは、そこが閉じ込められた場所だからだろう。密室劇としてドラマチックな設定ができるし、何かあると全員が死んでしまうから必然的に緊張は高まるし、スクリーンに緊迫感が漲る。人間ドラマも作れるし、戦争アクションにもできるし、冷戦時代に舞台を求めれば核戦争の危機や、そこから発展させて世界の破滅もテーマにできる。

僕が潜水艦に興味を持つきっかけになったのは、少年サンデーに連載されていた小沢さとるさんの漫画「サブマリ707」(1963〜1965年)が好きだったからだ。この漫画で僕は潜水艦同士の戦いの面白さに目覚めた。敵艦を視認することはできず、ソナーだけが頼りの戦いである。いつ魚雷のスクリュー音が近付いてくるわからない怖さと緊迫感に夢中になった。

敵艦をありありと見ることができたら...という発想が「終戦のローレライ」なのだけれど、この小説を読んで僕は改めて潜水艦の戦いの面白さを認識した。敵艦の姿が、その位置がくっきりと見えたら、圧倒的に有利になる。それを可能にした「ローレライ・システム」の存在が、「終戦のローレライ」前半の謎になる。第二次大戦末期、そんなことがなぜ可能だったのか。

潜水艦映画は第二次大戦時の旧式潜水艦ものと、原子力潜水艦登場以降の新式潜水艦ものに大別できるのではないだろうか。原子力潜水艦が登場してから潜水艦特有の弱点は大きく解消できたので、物語の骨格が違ってきたように思う。僕はどちらかと言えば旧式潜水艦ものが好きで、その代表作としては「眼下の敵」「深く静かに潜航せよ」を挙げたい。

第二次大戦時の潜水艦ではドイツのUボートが有名で、連合国側に相当な被害をもたらせ、敵役として多くの戦争映画に登場している。そのUボートと駆逐艦の戦いを、まるで騎士同士の決闘のように描いたのが「眼下の敵」である。「敵ながらアッパレ」という気分が全編を貫いていて、まことに気持ちがよい。殺し合いにフェアかどうかを問うのはナンセンスだが、フェアプレイの精神で戦争したらこうなるのだろうなあと思わされる。

主役は駆逐艦の方である。艦長はロバート・ミッチャム。眠そうなまぶたが垂れ下がったハリウッド・スターだ。子供の頃から苦労をし、若い頃はあちこち放浪し、刑務所に入っていたという噂もある俳優だ。ボクサーとして金を稼いでいたこともある。彼が演じる駆逐艦の艦長は判断が的確で、乗組員たちには慕われ、全幅の信頼を寄せられている。堅物ではなく、情もわきまえた理想的な軍人である。

一方、ドイツのUボートの艦長を演じるのは、クルト・ユルゲンス。僕は、この映画でクルト・ユルゲンスという俳優を覚え、その後、彼の出る映画はかなり見た。クルト・ユルゲンス演じる艦長は、当時の他の映画におけるドイツ軍人の描き方と違い、ミッチャムと同じように高潔で、歴戦の勇者として描かれる。ミッチャムがアメリカ人らしいフランクさを見せれば、ユルゲンスはドイツ軍人らしい厳格さを見せる。対照的だが、互いに相手を認め合う。

駆逐艦とUボートの戦いは、ほとんど相手の姿を見ずに敵の動きを予測するものになる。心理戦だ。互いに相手の出方を推測するうちに、相手の考え方や内面がわかってくる。入り込む。その結果、相手の人格さえ理解する。ドイツ軍艦長が予想外の指示を部下に出し彼らが唖然としているにもかかわらず、駆逐艦艦長がその行動を予測して待ち伏せしていたとわかったとき、ドイツ軍艦長は自分を唯一理解してくれた敵艦長に深い共感を抱いたのではないだろうか。

不思議なことに、生死をかけた駆け引きをする中で、「眼下の敵」のふたりの艦長は深い絆で結ばれていく。しかし、ハリウッド映画である。アメリカの駆逐艦は勝利しなければならないし、ドイツ軍のUボートは沈められなければならない。一体、どうやって終わらせるのだ。こんなにUボートの艦長に観客を感情移入させといて...。そう心配になってくるけれど、実に気持ちよく終わってくれる。後味のよい映画は、僕は好きです。

●原子力潜水艦は潜水艦の持つ弱点をかなり克服してしまった

──村上 原子力潜水艦映画というのは、あまり好きじゃないんだよね。個人的に。やっぱり第二次世界大戦くらいまでのディーゼルエンジンで動いている、古式ゆかしい潜水艦映画が好ましい。

「するめ映画館」の座談会の中で、村上春樹さんはそう語っている。僕もその意見に賛成で、原子力潜水艦は潜水艦の持っていた弱点をかなり克服してしまったので、手に汗握るスリリングさより、別のテーマになりがちなのだ。たとえば「駆逐艦ベッドフォード作戦」は狂信的な駆逐艦の艦長(リチャード・ウィドマーク)が取材で同乗したジャーナリスト(シドニー・ポワチエ)に批判されながらも、ソ連の原子力潜水艦を追い詰め最終核戦争の引き金を引いてしまう話だった。

「渚にて」は、最終核戦争が起こった後の世界が舞台である。北半球は放射能に覆われ、人は住めない。潜水中に核戦争が起こったため生き延びた、アメリカ軍原子力潜水艦の艦長(グレゴリー・ペック)と乗組員たちはオーストラリアにやってくる。しかし、南半球も次第に放射能に覆われつつある。彼らは死を覚悟して潜水艦でアメリカを目指すが、潜望鏡で見たサンフランシスコは死の町だった。

「ハートロッカー」(2009年)で有名になった美人監督キャスリーン・ビグローが監督した「K-19」も冷戦時代のソ連潜水艦で実際に起こった原子炉事故を再現したもので、その状況下でのハリソン・フォードとリーアム・ニーソンの対立が映画を牽引する。「クリムゾン・タイド」(1995年)も危機的状況を前にしたゴリゴリの軍人艦長ジーン・ハックマンと、理性的な副艦長デンゼル・ワシントンの対立で緊迫感を盛り上げた。

ということで、やはり僕には「深く静かに潜航せよ」みたいな古式ゆかしい潜水艦映画が楽しめる。冒頭、アメリカの潜水艦が魔の海域と言われる豊後水道で日本の駆逐艦に沈没させられるが、浮遊物にしがみついて艦長(クラーク・ゲイブル)は生き残る。彼は一年後、再び潜水艦の艦長になり、復讐鬼となって日本の駆逐艦に戦いを挑む。

艦長になるはずだった人望の厚いバート・ランカスターは副艦長を命じられ、艦長の個人的な復讐を批判しいさめる役になる。だが、艦長はモービーディックを追い求める「白鯨」のエイハブ船長のように、妄執に囚われている...。もっとも、ドラマチックでよくできた潜水艦映画なのに、口ひげをたくわえ固めた髪型のクラーク・ゲーブルが、僕にはレット・バトラーに見えて困った。誰でも知っている当たり役を持つのも考えものである。

古式ゆかしい潜水艦を舞台にして、目から鱗が落ちる潜水艦映画を作ったのは、ドイツのウォルフガング・ペーターゼン監督だった。「U・ボート」(1981年)を新宿の巨大な映画館の巨大なスクリーンで見たときのことは、今もくっきりと甦る。そのときの驚き、感動は今も新鮮だ。凄い映画を見た...という気分が、いつまでも消えなかった。

リアルさも凄かった。狭く息苦しい潜水艦の中を実感させられたし、「急速潜航」と指令が出ると重しになるために乗組員が狭い艦内を一斉に艦首に向かって走るシーンなど、なるほどと膝を打ったものだ。その乗組員たちをスティディカムを使ったのだろう、手持ちキャメラが流れるように追っていく。クラクラするような、見事な映像だった。

駆逐艦に追われエンジンを切り音をたてず海底に潜むシーン、爆雷が投擲され艦の近くで爆発するシーン、限界深度を超えても潜航が止まらず、水圧でミシミシときしむシーンの息苦しさ...、まるで自分が艦内にいるようだった。「U・ボート」を見ている間、僕は一度も椅子の背もたれに背中を付けなかった。凄い監督がいたものだと感心したが、その後、ペーターゼン監督はハリウッドに呼ばれ、「ザ・シークレット・サービス」(1993年)「エアフォース・ワン」(1997年)などを作る。

ところで、公開から数年経っていたにもかかわらず、僕の小学生の頃、「深く静かに......せよ」という言葉がまだ流行っていた。「......」のところに、様々な言葉を入れるのである。「放課後、秘密基地、深く静かに集合せよ」といった具合だ。「スタンド・バイ・ミー」(1986年)の樹上の小屋ほど立派ではなかったが、「20世紀少年」(2008年)の野原の秘密基地くらいのものは、僕らも作っていた。

その頃は、僕も狭い穴蔵のような秘密基地に仲間たちと潜む喜びを、素直に感じていられたのだ。閉所恐怖も、狭所恐怖もない。僕には、怖いものは何もなかった。大人になるというのは、そんな穏やかで牧歌的な日々を失うことなのだろう。大人になったために、いつの間にか多くの恐怖症を抱え込み、何かをすり減らすように日々を送り、直りきらない精神の傷を隠して生きるしかないのかもしれない。

【そごう・すすむ】sogo@mbf.nifty.com < http://twitter.com/sogo1951
>
今年最期の原稿になりました。来週はクリスマス・イブ。年に一度しかこない年末年始休暇です。この時期だけは、何となく区切りというものを感じます。年が明けると、いよいよ還暦を迎えることになりました。この連載も12年を迎えます。よく続いているなあ。

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■Otaku ワールドへようこそ![131]
「臘月祭010」:長い年月の痕跡と、今ここだけの儚さ

GrowHair
< https://bn.dgcr.com/archives/20101217140100.html
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壁のモルタルはぽろぽろと徐々に崩れ落ちていったとみえ、塗り込められていた木の板が露出している。その板もほとんどの部分が腐り落ち、もはやかなりの部分が空気の壁になっている。鉄階段の手すりの一部は自然に錆び落ちて途切れている。つる草の触手が宙に伸びる。木製の額縁に入れて壁に掲げられている人形の写真は、傾き、綿埃が堆積している。長い年月放置された人形たちは、かえって生き生きとみえ、生命を宿しているかのよう。

人知れず自然に帰っていきつつある部屋。かつては写真家が住んでいたという。孤独な写真家。愛したのは人形たち。終いには発狂して変死したという噂。......そんな展示が、銀座で今まさに開催中。「臘月祭010」。人形作家9人による作品と、私GrowHairによる人形の写真の展示です。

●こんな人たちがそれぞれの力を発揮した結晶です

参加者たちはみな、アーティストとして、私からみればはるか高いところにいる人ばかり。私はせめて箸とか棒とかぐらいには引っかかっていたいと、ひーこらひーこら言いながら、ついていくのが精一杯。一般的に言って、どんな芸事でも「下から上は見えないの法則」が成り立つように思う。格下の者は、格上の者のすごさをちゃんと理解することはできないのだ。

なので、格下の視点から、参加者たちがどう映っているかを述べてみたところで、浅い描写にしかなり得ず、的を外す可能性が高い。けど、人が人をどうみるかは時々刻々と変わっていくものであり、今はこう見えているというのは、今しか記録できない。なので、少しばかりイタタ......なのを承知の上で、主観を述べてみたい。

【壱】
愛実さん。今回の展示で初めて作品を撮らせていただいた。芸術性の高い、独創的な人形を作る方という印象があり、私なんぞが撮らせていただくということに実は相当なプレッシャーを感じていた。おまけに、ご本人が撮った写真がすでにすばらしく、これ以上何かする余地があるのだろうか、と大いに悩まされる。ご本人は話してみると気さくな方で、威圧感など微塵もなく、私が一方的に作品から畏れを感じて萎縮してたのだが。

10月11日(月・祝)に撮らせていただいた。この日は、茨城県にある煉瓦作りの洋館のリアル廃墟と、川崎のラブホテルの一室を転用した廃墟スタジオとのダブルヘッダー撮影だったが、両方に来ていただいた。人形は、左側の肩から腰にかけて、ごっそりとえぐり取られている。顔は、理想化された美人ではなく、そこらにいそうな地味めのおねいさん、って感じで、愛玩用の人形にありがちな美化をいっさい施していないだけに、非常にリアルな存在感がある。

表情は、苦痛ではなく、憂いをたたえている。外からの力によって大きな部分を喪失してしまった自我のありように悲しみを覚えつつも、その状態を受容し、ただ遠くを見ている。角度によってえぐれ面をどのくらい入れて撮るかで、印象ががらりと変わる。搬入のとき、写真をほめていただけた。おかげで、なんとか役目を果たせたと思うことができ、重石を取り除けてもらった感じ。そうなるとお調子者の私、また撮らせていただける機会があるといいな〜、なんて。

【弐】
青木綾子さん。太陽のように明るく、有無を言わさない力強さがある。似てるとか似てないとかいうことではなく、抽象的なイメージとして、北海道のヒグマを思い浮かべてしまう。川面を掌でべちーーーんと叩くと、打ち上げられたシャケが岸辺でビチビチビチビチ〜、みたいな。

青木さんの手にかかると問題がすっぱすっぱ解決しちゃう。展示の打合せなどで、みんなの希望を細かいところまで全部汲み取ろうとすると、解が存在しなくなり、議論がデッドロックしてしまうことがある。そんなとき、止まった空気にべちーーーん、と一撃を加えてくれる。気がつくとすぃっと解決している。

その力強さが作品にも表れている。他の人の作品を近くに並べると、ごめんなさいごめんなさいと小さくなってしまいそう。今回の出品作は、割とかわいい系の若い女の子。なのだが、ちゃんとついているのだ。何が、って、男性のイチモツが。ご本人によると、ナイことに納得がいかないのだそうで。一方、顔の表情には少しの憂いを含んだやわらかさがある。女性的なロマンと男性的な強さを兼ね備えて、完全体としての安心立命の境地を得る、といった感じか。

11月28日(日)に川崎の廃墟スタジオで撮影した際には、顔の向きとソレの向きと、両方に気をつけた。私が、ああでもないこうでもないと悩みつつ、つまんで動かす姿が面白かったらしい。

【参】
青木萌さん。北海道では、たいへんお世話になりました。......って話はすでに書いてますね。去年の2月に三浦半島の先っちょで撮らせてもらったときは、かわいらしくロマンチックな人形を作る方だという印象だった。けど、人形制作を始めるきっかけは、天野可淡の作品から衝撃を受けて、とのことだった。そのときはそう聞いただけで、創作性の高い、アート寄りの人形も面白いものを作ると知ったのは、もっと後になってからだったような。北海道では、愛玩系とアート系の両方を一体ずつ連れてきていただいた。

写真も豊かな発想力が発揮された、面白いものを撮る。そのあたり、こっちが負けてるかもしれない。機種は違うが、キヤノンの一眼レフを使っていて、望遠系のレンズを持っていないとのことだったので、北海道の2日目、私がズームレンズを使って森で動画を撮っている間、100mmのマクロレンズを貸してあげた。好きなものを自由に撮ったら、何をどんなふうに撮るか、密かにとても楽しみだった。さて、こっちの収録が一段落したとき見せてもらったら、一番重点的に撮っていた被写体は、なんと、ダンナ様だった。あ、ごちそうさま〜。

【四】
guttinoさん。アートの世界を真剣に生き抜こうとする本格派アーティスト。そうでないアーティストがどこにいるのだ、と聞かれると難しいのだが。まず、過去を生きた、あるいは、現在を生きる他者への関心の強さが印象的。どんなアーティストがどんなふうな境地を目指して、どう苦しんで、どういう表現を提示したか、非常に広く、かつ、深く研究している。

アートという広い宇宙と、自己の内面というこれまた広い宇宙との間での相互の投射関係を常に意識しているように見受けられる。それは、アートの中における自己の立ち位置をはっきりさせようという努力に他ならない。アーティストたちの多様なありようを、それぞれに理解した上で、あの人の目指す方向性のベクトルはあっちを向いている、この人のベクトルはこっちを向いている、ならば私のベクトルの向けるべき方向はこうだ、というようなことを、しっかり悩んで意思決定していると感じられる。

それは、アーティストとしてあたりまえのことのようではあるけれど、けっこう勇気の要ることなのだ。自分の立ち位置を探っていたら、結局どこにもなかったと分かって八方塞がりに陥ってしまうという恐怖がちらつくから。それよりも、あまり周りのことを見すぎないようにして、何かやっているうちに自然と自分の方向性が見えてくればいい、と鍵を天の神様に預けちゃったほうが楽かもしれない。私はそれはそれで否定しないけれども。ただ、guttinoさんのような、逃げずに立ち向かう姿勢は、敬意に値すると感じられるのだ。

作品からは、強い衝撃と緊張感が伝わってくる。まわりの空気が締まる。「神は細部に宿る」というが、あらゆる細部がきちんと出来たときに、全体から生命感が立ち上るような現象か。また、人に対して、マメにアドバイスをしてくれる。写真にも非常に詳しいので、大いに参考になる。って、俺が自分でやんなきゃだめじゃーん。がーーー!!!

【五】
赤色メトロさん。何か工夫してみようということと、面倒くさがらずにとにかく動いてみようということにかけて、びっくりするぐらい精力的。ほんとうにいろんなところへ行っていて、いい場所をいろいろ知っている。今まで撮ったロケ地のいくつかは、赤色メトロさんに教えてもらっているのだ、実は。日本の西のほうにある、いい場所を教えてもらっているのだが、まず一度見に行ってみようと決めているのになかなか行けない私とは大違いだ。

去年の臘月祭用に国道駅で撮ったときは、等身大の少女の人形と椅子を持ってきてくれて、びっくりだった。しかし、そのような積極性だけがすごいということではなく、感性がすばらしい。6月のパラボリカ・ビスのときは、空間作りに関して、みんなから絶対の信頼を得て活躍していた。今回の新作は、目や口元の特徴は、過去の作品の特徴をシリーズ的に踏襲しているが、いっそう暗く、訴える力が強まったように感じる。なんだかまるで、人形の姿や表情を介してではなく、人形のもつ自意識が直接的に言葉にならないメッセージをこっちへ投げかけてきているような気さえしてくる。

写真も、工夫を凝らして撮る。ひとつ不思議な符合をみた。最近、新宿の高島屋で人形作家の伽羅さんと、写真家のたかはしじゅんいちさんの展示があった。そこに展示されていた、和装人形の写真。ぱっと見て、ロケ地はあの場所に違いない、と分かる。昔、待合茶屋だったという、古い日本家屋だ。私も何回か、その場所で撮っている。今年の5月5日(水)には、パラボリカ・ビスでの展示用に、赤色メトロさんの和装人形を撮らせてもらっている。

たかはしさんの撮った伽羅さんの人形と、私が撮った赤色メトロさんの人形、構図が似てるのだ。頭上で両手首を赤い帯状の布で縛り上げられているのだ。伽羅さんのは、たかはしさんの、その場での思いつきだという。売れた人形を持ち主から借りてきて撮影したのだが、後で持ち主から怒られたという。あの人形はそういうことをするキャラではない、と。たかはしさんにもそんなことを楽しむ趣味はないという。一方、こっちのは、赤色メトロさんの思いつき。不思議な符合だが、昔、何かあったのだろうか。

【六】
橘明さん。大変。大変に大変。デキるから大変。なんでもデキちゃうから。いたって謙虚で、能力をひけらかしたりなぞ、決してしない。いたって控えめで、あれもこれもばりばりこなしちゃるけー、みたいな精力的なところを表に出したりしない。たいへん親切で、みんなが困っていることがあると「私にできることは何でもしますよ」と申し出てくれる。で、とても器用なもんだから、すぐ頼られちゃう。

勢い、本業のほうでは、どんどん重い責務を背負い込まされるようになってきて、けっこう大変みたい。傍から見ている私なんぞは、ついついじれったくなって、失礼を承知で意地悪なことを言ってみたくなる。「橘さんがエネルギーのかなりの部分を仕事に注ぎ込んじゃうなんてのは、芸術にとっては損失なんだから! 会社組織の仕事なんてのは、その人がやらなければ誰かがやるんだから。適当に手抜きして、余人をもってなしえない方面に力を注がなきゃ」。別に、偉くなろうと思ってばりばり働いた覚えはないそうなんだけど。いやいや大変そうっす。

「制作、後回し後回しで、うっちゃらかさないでね」「だいじょうぶ。黒いやる気がむくむくと湧いてきてるから」。あ、そうですか。そういうわけで、人形の撮影は、橘さんのが最後の最後、11月28日(日)の11:30pmまで川崎のラブホテルだった。作品は、根っこは共通するのかもしれないが、趣向に今までと違った新鮮みがあって面白い。撮っているときは、私は、宇宙船が難破して、無人星に漂着した宇宙人の子供をイメージしていた。衝撃で五体バラバラだけど、もともと宇宙に適したように作り変えられたサイボーグのような体なので、死んだわけではない。......ってな妄想が勝手に私の頭の中に組み立っていく。

展示を見たら、今度はマッドサイエンティストのイメージ。理想の少女人形を作ろうとして始めたはずなのに、作り手本人の意識がおかしくなってるもんだから、意識の迷走に引っ張りまわされて、どんどんおかしなものになっていく。ひひひひ、ひひひひ...。

【七】
土谷寛枇さん。両性具有の作品を初めて拝見したのは、'09年12月23日(火)のこと、高円寺のギャラリーで開かれていた人形のグループ展「すみっこでひそひそばなし」を見に行ったのは、青木萌さんの人形を見るのが目的だったが、そのときに土谷さんも参加していたのである。作品の写真を撮らせてもらったのは、今年の5月のことであり、パラボリカ・ビスでの展示に参加してくれたことによる。

ロケ地はどこがいいかと相談しているとき、どんな場所が好きか聞いたら、「汚いとこ」という答えであった。汚いところの「良さ」というものは、私にもある程度ピンとくる。普通の人がわざわざ見に行かないような薄汚れたイメージの場所にこそ、アートのモチーフになりうるような美が存することがある。一般的には蝶はきれいで蛾は汚いというイメージがあるようだが、それはキャラとして作られたイメージであって、現実には蛾の羽の輪郭線のほうが、鋭い曲線を描いて美しい。

ただ、汚いにもいろいろあって、どういう汚さがいいのかというイメージのすり合わせがなかなか難しい。結局、土谷さんが前々からロケ地として使ってみたかった場所として連れていってもらったのが、かの大学だったというわけだ。今回の新作には、ストーリーがある。汚いところに半ば埋まるようにして横たわっていた汚らしい人形。それを見つけた人が掘り出して持ち帰り、きれいにして、おめかししてみたら、実はなかなかの美人だったという、シンデレラストーリー。写真に写っているのと、展示してあるのが同一人物であることは、言われなければなかなか気づくまい。

【八】
林美登利さん。振り返ると感慨深い。私が創作人形とかかわりをもつ、最初のきっかけとなった人形作家さんだ。'05年4月29日(金)、浜松町で開かれた「ドールショウ」に行ったのは、ローゼンメイデンの作者であるPEACH-PITさんがイベントのチラシのイラストを描いていて、それが欲しかったからという理由。

そのときに、非常にリアルな少女の人形を展示していたのが、美登利さん。思わず目を奪われ「すごいですね」と声をかけていた。さらに厚かましくも、今度写真を撮らせてください、などとお願いしていた。美登利さんは、その時点で、グループ展に出展した経験などがあったものの、ほぼ無名の人形作家だったという。

それが、あれよあれよという間に登竜門を駆け上がっていった感じ。特に今年は活躍著しく、月に2回のペースでどこかに出品していたそうである。6月のパラボリカ・ビスでの展示をきっかけとして、新宿のマルイワンから声がかかって、展示しているし。写真家の堀江ケニーさんに撮ってもらった写真が雑誌「トーキングヘッズ(TH)」に掲載されているし。

これからも、プロの写真家に作品を撮ってもらう機会がどんどんありそうな気配。それと、画廊の企画展として個展が開けたなら、作家としてはトップ集団の一員ということになろうが、それも遠からず実現するんじゃないかな。私としては、後に大きく羽ばたくことになる作家さんを無名のころから注目してきたよん、という点が自慢だったりする。なんとチンケな自慢。というか、美登利さんの裾をつかんでぶら下がってきたおかげで、創作人形の世界について、いろいろ教わり、展示の機会にもあずかってきたという格好だ。ほんとうにありがたいことです。

異形の人形や、虐げられた子供の人形がとてもよい。それは、そういう者たちへの深い愛情に裏打ちされているからこそのことだ。今回の新作"Alice"は、顔が傷だらけ。虐待されてきたのか。けれど、Alice本人は、闘ったり逃げたりを試みるわけでもなく、また、逆に、完全になにもかもあきらめて、感情や意思の働きを失って精神の屍となって魂の抜けたように生きているわけでもなく。仕方のないことは仕方のないこととして受け入れた上で、どこか凛とした空気をまとい、毅然とした表情をみせる。それをあえて「かわいい」と形容してもいいと思う。

【九】
八裕沙さん。美登利さんと知り合ってからちょうど2年後、'07年4月29日(日)のドールショウで初めて会っている。美登利さんの隣のテーブルで人形を展示していた。6月2日(土)に、例の昔、待合茶屋だった日本家屋で美登利さんの人形を撮らせてもらえる話になっていたのだが、それに八裕さんもお誘いした。その撮影の帰りにグループ展をやろうよ、という話が持ち上がって、橘さんもお誘いし、翌年10月に銀座の「ヴァニラ画廊」で実現した。

今回の新作は、表情が面白い。上目遣いで、どんなポーズをとっても、意味ありげな視線を送り、生き生きとした感じが出る。さらに、人形を作る人にしか気がつくことができないであろう工夫が施されているという。まっすぐに立つことができる上に、前傾姿勢でも立つことができるのだ。絶妙なバランス。

去年もだけど、臘月祭では、リーダーを務めてくれている。個性の強い人たちをまとめていくのはさぞかし大変だろうと思うが、がんばってくれている。

【拾】
V銀太さん。俳優・演出家。今回の展示では「展示協力」という形で参加していただいている。けど、誰もが認める、今回の殊勲者。12月12日(日)、搬入の作業が終わって天井の照明を落とし、スポット照明だけにした瞬間、みんなから歓声が上がった。「廃」のイメージが美しく具現化された、うっとりするような心地よい空間。V銀太さんの心意気を見せてもらった格好だ。

こんなことができるんだ。こんな演出が可能なんだ。奇跡か魔法を見るかのよう。制作する者はみな、自分の命を削って作品に与えているのに違いないが、この大掛かりな仕掛けにおいては、特にそれを強く感じさせてくれる。命を分けてもらっているという感覚。

人形は、売れれば買い手のもとへ行くし、そうでなければ作家のもとに戻って存在し続ける。けれど、この空間は、今ここにしかない。わずか11日間の展示期間を終えると、片付けられ、元の何の変哲もない白い箱のギャラリーに戻る。長い時を経てなったとみえるこの空間なのに、実際には、それだけの儚さでしかない。人々に見ていただくこと、そして、記憶の中で生きつづけること、それだけが唯一の「供養」になると言っていい。12月23日(木・祝)までです。ぜひご覧いただければと思います。

人形と写真展「臘月祭010」ドヲル&フォト エキシビション
< http://www.kino19.com
>
< http://www2s.biglobe.ne.jp/%7Emidoti/GrowHairDM01 >
< http://www2s.biglobe.ne.jp/%7Emidoti/GrowHairDM02 >

◇過去形の人形写真家の部屋

人形を愛し撮影し続けた孤独な写真家。その部屋は人知れず廃墟に変わり、人形たちが残された。陽が射しても部屋には何一つ動く気配も無く、風もそよがない。彼の生きた痕跡だけが、過去の存在を映し出している。
人形作家9人による作品、およびその人形たちを写した写真の展示です。発狂して変死した写真家の部屋がそのまま廃墟になりました、というコンセプトの下、空間作りをしました。

【GrowHair】GrowHair@yahoo.co.jp

カメコ。クリスマスっていうのは、あれだよね、非モテ系の面々がネット越しに自虐的なギャグを飛ばしあって盛り上がるお祭りってことでいいんだよね?去年の俺はどうだったかというと、11月からヒトカラで密かにクリスマスソングを練習して歌詞まで覚えきったというのに、人前で披露する機会はついになく、結局イブもヒトカラでクリスマスソング歌って過ごしたっけなぁ。mixiの「中途半端なオタク」コミュには「恋人、友達のいないクズってクリスマス何するの?」というトピが立って、トピ主の「どーせエロゲーだろ。このトピ終了」の挑発を皮切りに、500件あまりの書き込みで盛り上がっている。ラブプラス、モンハン、バイト、コピ本原稿、餅つきするぞ少し早いが、サンタさんがノロウィルスにかかったからクリスマス中止だってよ、おまいらリア充が食い散らかしたチキンにお線香あげてるよ。

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■編集後記(12/17)

・東京都の青少年健全育成条例の改正案が可決された。あちこちで非難囂々のようだ。でも、わたしは規制強化を当然だと思う。従来でも性交シーンや性器を露骨に描いた「著しく性的感情を刺激」する漫画は、成人マーク(18歳以上対象)や不健全指定の対象だった。コンビニでも一般書とは別の所に置かれている。改正は規制対象の範囲の拡大だが、強姦など違法な性行為や、社会規範に反する近親相姦を不当に賛美・誇張した漫画やアニメ、と明確に指定している。さらに「慎重に運用する」との付帯決議もつく。要点は、社会規範に著しく反した漫画を子供に見せない、ということだ。そのような表現や(成人への)販売を禁止するものではない。規制強化されても、粛々とその種の漫画やアニメを生産し販売する自由は保証されている。なぜここに「表現の自由」が侵害されるという反対論がヒステリックに沸騰するのかわからない。まあ、背景にはなんらかの権力闘争や思想戦があるのだろうが、平凡な人の親としては、子供に見せたくないものは遠ざけたいというのはノーマルな感情だ。(柴田)

・ちゃんとした企業はあるけど、気をつけてね、の5年契約。サイト制作をランニングコストだけでできちゃうところとか。サーバ料金から何からコミコミで、途中解約すると違約金として5年分のコストを請求されるところ。初回にどかんとお金がかからないところが好まれるけれど、Webサイトの技術やトレンドってどんどん変わるのに、その間にリニューアルしようとしたら、別料金がかかるわけで。いまだとスマートフォン対応サイトを要求され、例えばiPhoneやiPadだとFlashが表示できないとか、Twitter用の表示をとか。という話よりも、もっと大変なのが、5年以内にその会社がドロンしないとは限らないってことで。毎月払うからリスクは少ないと思っていても、その会社が契約していたサーバへの支払いが滞り、表示されなくなったり、データそのものが消えたり。復活させようとしても、そのサーバが海外とかだったら? FTPで作業(ローカルにデータ作ってそれをサーバにアップ)しているならまだしも、CMSで作業(blogみたいにブラウザで更新作業)していたらローカルにデータが残っていないことは多いよね。急に消えてしまい、連絡はとれず、再度作り直すとしても空白期間ができてしまう。こうやって書いていたら、自分の首も締めてしまう例も出てきそうだ......。なぜこんなことを書いたかというと、本当に倒産した会社があって、100万ほど支払った諸々のお金は戻らず、サイトも完成せず、被害者の会の話によると、どうも計画倒産らしい、とのことで。少々割高でも、1年更新ぐらいにした方がいい。真面目に企画提案して、きちんと作り、作った後も手堅くフォローしてくれるところはいっぱいあるから、そういうところを探してください〜。(hammer.mule)